瀬崎祐の本棚

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詩集「静かなるもののざわめき P.S.」 たなかあきみつ (2019/11) 七月堂

2020-02-28 22:04:35 | 詩集
 第6詩集。「アンフォルム群Ⅱ」と副題が付いて、173頁に35編を収める。前詩集は2017年発行でそれ以後の作品とのこと。

   通りすがりの少年たちの口々から高性能な補聴器を通じて
   耳寄りな話の炎天下のトランクルームの猛烈な照り返し
   《なんだかアレはパラシュートの布地みたい》
   耳が砂漠の空気摩擦で火ぶくれ刺創
                        (「25編のアルテファクト」より)

 ジョルジュ・バタイユによれば、アンフォルムは定まった理想の形をもたず、何かの象徴として詩的な言葉に置き換えられることのないようなものであるとのこと。ここで話者が書き留めているものは、果たして形にたどり着くのだろうか。それとも、たどり着こうとする行為そのものを見ればよいのだろうか。

 2章の「静かなるもののざわめき」の作品タイトルには「P.S.」という言葉が添えられている。前詩集の追伸ということなのだろう。その前詩集の感想で私は「物、あるいは事物を絶えず写生して(略)そのような描写がやがては話者の内側を塗りこめていくのだろう」と書いた。

   日射しの無造作に差し込むアルファベットの学名を字義通りに解読するために
   よもやくるぶしの化石をアンドロメダ星雲の図版と誤読しにために
   まずはこの葉書の絵柄のストロークをじっくり参照のこと。

   コヨーテ掲載誌の配達先にさりげなく佇む
   池田学の描く《コヨーテ》の耳をいずれ担架に鞣すだろう
    (「P.S.(d)ぐねぐね暁の死線(デッドライン)どころか、辞書の断層」最終2連)

散乱している夥しい名詞。名付けられながらもその名を拒否しているような事物たち。それらに取り囲まれて身動きができなくなっていく私は、やはりまた眩暈に襲われている。
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void 2nd 1号 (2020/01) 東京

2020-02-25 18:14:03 | ローマ字で始まる詩誌
同人は12名、40頁で、同じ詩誌名での再スタート号。編集発行人は原田道子。
同人の中には、昨年まで原田が選をしていた「詩と思想」誌の投稿欄の常連だった3名もいた。

「pura」榎本いずみ。
表面にあらわれているのは少年の母殺しであるが、作品はその行為を支えている”純粋”な感情を積み重ねていく。

   乱立する天使の梯子を外してゆき
   布越しの体温を忘れてしまいたい
   繋がらない電話へのコール音
   が、スピーカーから流れて刹那
   期待してしまえば
   引き千切られた蔦の冷たさ、

切り詰められて無駄のない発語が印象的な場を構築している。昨年の投稿者の中で私(瀬崎)が最も多く入選にとったのがこの榎本の作品であった。新しい場でのこれからの言葉に期待したい。

「鎧の中」伊藤りねん。数十年のあいだ鎧を着ていた彼女が、人々の前で鎧を脱ぐという。しかし、鎧の中には何者もいなかったのだ。

   やがてショールと菫の花が鎧の脇に置かれると
   彼女の輪郭はすべて消えてしまった
   鎧の中はいつからがらんどうだったのか
   人々が鎧の中を忘れてから随分経つ

堅く守っていたはずの中身はいつしか消滅し、外側の形だけが同じ役割を果たしていたのだろう。大衆が凭りかかり信じているものの本質を皮肉な眼で捉えた作品。この伊藤も投稿欄で活躍していた。

「だぶるふぇいすの宵に」原田道子。意味を追うという無駄な努力を放棄したところからこの作品は読まれ始める。言葉の連鎖はいつまでも揺らいでいて、いつまでも辿りつけない(辿りつこうとしない)道程だけが提示されている。

   う
   うそぅ
   かすかに動(ゆる)いで
   嘘がほんとぅになる
   わきたつウサギの呼気
   息を。点を線を
   どんな銃口に染めようとするのか

かっての原田の作品では「うふじゅふ」なる巫女を思わせる老婆が作品世界を駆けていたことがある。この作品にも「戯論(ばばんちゃ)」なる者が登場し、祝詞とも呪詛ともつかぬ世界を広げていた。
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詩集「芭蕉の猿の面」 冨上芳秀 (2020/01) 詩遊社

2020-02-22 00:08:43 | 詩集
 第13詩集。101頁に81編の散文詩が9章に分けられている。それぞれの章には上田寛子の挿画が付いている
 それぞれの作品は1頁に収まる長さで、芭蕉に材をとった作品や言葉遊びから展開された作品もあるが、多くは夢幻譚のような掌編である。そこには意味も寓意も軽々と跳びこえたような光景が広がっている。

 「油坂の危ないうどん屋」。雨の油坂では滑り降りてくる人がいる。「こんにちは、向こうは悲しい言葉だけが」と言い残してウドンのように落ちていくのだ。私は滑りやすい雨の油坂を上って行かなければならない。

   あの人が待っている明日の危ない家は私の人生の目的のような気がするからです。
   危ないということだけがあの人の存在を妖しく魅力的なものにしています。

 大変な目に会いながらわざわざ危ない場所に向かわざるを得ない、それほどにその危ない場所、そこにいるあの人は魅力的なのだ。まるで作者にとっての〈詩〉のように。そこに向かう〈詩を書く〉という行為を軽妙な光景として描いているようだ。しかしその軽妙さの中には悲愴なものも混じっている。芭蕉に倣っていえば、「おもしろうてやがて悲しき・・・」といったところか。

「オタマジャクシの意味」。路地のタコ焼き屋の前で少女がオタマジャクシすくいをしている。なんと奇妙な取り合わせであることか。さらに、歯のないおばさんに案内された奥の部屋には様々な金魚が飼われていたのだ。

   「さあ、どうぞ」勧めてくれたグラスの中には夥しいオタマジャクシが泳いでいた。
   「これはあなたの人生です。さあ」と女主人は私に迫った。

 はて、オタマジャクシが金魚になるわけはないのだが。この”意味のない”彷徨譚は夢でもみていたということに違いない。・・・ということを描いたに違いない?

 自分の中からこのような光景を取りだし続けて、作者はどこに行こうとしているのだろうか。「後記」には「私は詩の根源への旅を続けたい」とあった。新しい光景を作品にして取り出すことが、作者の新しい地点への旅に必要な営みなのだろう。
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詩集「天を吸って」 野口やよい (2019/11) 版木舎

2020-02-20 16:39:52 | 詩集
 第1詩集か。92頁に20編を収める。作者撮影のカバー写真には、水面に映る木立があり、その背後に空がひろがっている。

 「青いキルト」はアーミッシュのキルトを前にしての作品。作品が生まれるときには、話者は時空を越えてそのキルトが作られた100年前にいる。

   す、と針を刺して
   あなたは滑りこむ
   布の裏の
   みずうみに

   潜っていけば
   いとしい人が待っている

 布に刺繍をほどこすという行為はその布の裏に広がっている湖に入り込むことだ、というイメージは圧倒的だ。ただの布が針を通されることによって新たなものに変わるわけだが、それは自分もその布の裏に隠れていた場所へ行ってしまうことであったのだ。そして湖に入り込んだあなたを呼び戻す声が布の表から聞こえてくるのだ。何でもなかったかのように我が子に返事をするあなたは晴れやかだ。

 この作品を始めとして、作者は微かな心のゆらぎをていねいにすくい取って言葉で留めている。その様に、そっとつまんでピンで留められた柔らかな蝶の羽根を想い浮かべた。作品は、大きな声を立てれば脆く崩れてしまうような、そんなあわいに在る。

 「みずうみ」では、「夜な夜な/家を抜けだして」自分の内側にあるみずうみへ降りていく。みずは真昼に乾いた命をうるおしてくれて、そして、

   いつか
   目覚めない夜がきたら
   衣をぬいで 肌をぬいで
   泳いでいく

   肉をぬいで 骨をぬいで
   みずに溶ける

 最期のときには肉体をひとつずつ薄くしていって、ついに心がみずに溶けていくというのは理想的なことであるだろう。そんなみずうみを持っているからこそ、今は「さざなみの音に/もどる」ことができるのだ。

 本詩集は今年度の日本詩人クラブ新人賞に選ばれたとのこと。充分にそれに値する初々しさと完成度を持った詩集だった。お祝い申し上げる。
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掌詩集「木金土」 岬多可子 (2020/01) 私家版

2020-02-18 17:33:27 | 詩集
 毎年お正月に届けられる掌詩集。A6版12頁で、9編の作品を収め、きれいな3色の毛糸で綴られている。2013年から作られており8冊目。「今年は枇杷色です」という添え書きと共に届けられた。

 「木の蜜に封じられ」。木は柱になってからも樹液をにじませていた。それは「乾かない傷口から 生が滲み出て」いることだったのだ。幼い頃の話者は、その濃い飴色のべたべたに触れたり舐めてみたりしたのだ。ゆっくりと柔らかく形を変えるものの神秘的な魅力が伝わってくる。

   蜜に溺れた蟻が その夢に封じられ
   千 万 億年の後 掘り出される
   触覚のうつくしい悶え
   細く絞られた胴体の震えも
   とろりとした金色のなかに凝固し、今は
   薫る石 燃える石、

 幼い頃に惹かれた蜜は堅く形を整える。そして、琥珀の中に封じ込められた”時”が妖しく透けて見えるのだ。 

「銅葺きの屋根はしずまり」では、話者は古い家の整理をしているようだ。銅葺きの屋根は緑青色に落ち着き、「炉の火も 井の水も とろとろと/衰えていくことを かなしま」ない佇まいなのだ。布切り鋏、糸切り鋏、針、針山、千枚通し。のこすものを大叔母がくれた楕円形の缶におさめていく。

   氷を掻く青緑色の歯車と
   革のベルトが軋む足踏みミシン。
   不用意に 金属同士の触れあってさえ
   簡素に鳴れ、
   深く澄みひろがっている空の日。

 この作品でも時の流れを封じ込めたさまざまな物に、話者は静かに触れている。それらの物は、ただ在るだけで世界をひろげる何かを孕んでいるのだろう。

 今回の詩集に収められた作品は詩誌「左庭」「洪水」などに発表したもので、2015年の「水と火と」の作品に続くものだとのこと。詩集タイトルが「木金土」となっているのは作者の遊び心か。
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