瀬崎祐の本棚

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詩集「わが方丈記」 林嗣夫 (2024/05) 土曜美術社出版販売

2024-05-08 10:01:54 | 詩集
第6詩集か(他に選詩集が2冊ある)。134頁に34編を収める。

Ⅰには、「気がついたら八十才を超えていた」(「白い雲」より)という作者の日々の折々の感情から生まれた作品が収められている。
「秋」。秋になり曼珠沙華が大きな波のように足元へ押し寄せ、膝にタッチして去っていくのである。そのほかの花花もつぎつぎにやってきては去っていくのである。作者は自分を訪れている季節の美しさを楽しみながらも、その季節が移ろうことに無常感を感じているのかもしれない。

   秋も少し寒くなるころ
   今度は
   遠くへ出かけていたわたしのこころが
   ようやく わたしのもとへ戻ってきた
   足元の子猫をすくうように
   ちぢこまるこころを
   抱き上げた

そうした季節の移ろいを静かに受け止めている。穏やかな心情がゆっくりと伝わってくる作品だった。

Ⅱでは思索から生じた感情が作品となっている。
「一本の線」では、ニュートンが万有引力を発見したリンゴの落下を一本の線として感じたようだ。真実はそのようにしてあらわれると思い、そして、

   詩とは
   身の回りのもろもろの事象を貫く
   一本のリアルな線である

さらに中原道夫の句、「口寄せに呼ばれざる魂雪となる」を引いて「美しい説明--それは詩であり真実である」という。さまざまな事象を貫く言葉が「確かな一本の線」になることを追い続けている。

Ⅲには「わが方丈記」と題した12編を収めている。各編には「怪物」、「幼い人よ」といった副題が付いている。ここでは社会に対する思索が作品化されている。作者の書斎がちょうど方丈ぐらいの広さだったのだろうか。そこで鴨長明よろしくそこでの思索から生まれた作品をこのタイトルの連作にしたのだろう。自らが存在する位置を確認した上で社会と向きあっているわけだ。

「後記にかえて」では「詩と思想」誌に載せた評論「誌を生きる、ということ」を転載している。詩に向き合う確かな姿勢がここにある。
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