ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

小笠原諸島 おがさわら丸編(1)

2022-01-04 13:28:13 | 旅行(国内)
年末から小笠原諸島、父島へ行って来た。

国内では行ってみたいところのひとつだったが、なにせ行くのに時間がかかる。東京から船で24時間、これ以外に行く方法がないことが最大の壁だった。しかも船は週に1便しかない。行って帰ってくると最短でも6日間かかる。船賃も最安の2等和室で往復5万7千円。この価格だと東南アジアや南アジア、時期もよるがヨーロッパや北米へも行けてしまう。国内にしても、今や沖縄や石垣、北海道の道東へも1万円そこそこで行けてしまう時代に、結して行きやすい旅先とは言えない。けれどコロナ禍で出国できない今なら、それも全部、妥協できる。というわけで、晴れて行くことにした。

小笠原諸島は、東京から南におよそ1000キロのところにある。西に100キロ行くと、噴火でできた新しい島、西ノ島があり、300キロ南に行くと悲惨な戦場となった硫黄島がある。最近、軽石を噴出し、世間を騒がせている島はこの硫黄島のすぐ近くにある。同じ小笠原村の管轄にある、日本最南端の沖の鳥島はここから南西に向かって930キロほど。さらに南に1200キロ行くとグアム、サイパンに辿り着く。気候は亜熱帯で、この正月の平均気温は19度だった。最高で23度。沖縄よりずっと暖かいと思う。日中は半袖でOK、朝晩は冷え込むので長袖か1枚羽織りものがいる。海水浴は出来そうでできない感じ。地元の子は入っている。島民曰く、日本で冬にこんなに暖かいのは、小笠原だけだそう。自衛隊や気象観測員のいる硫黄島と南鳥島は除いてということで…。

小笠原丸という船が週に一便、東京と父島を結んでいる。私たちは最安値の2等和室を利用。8人の雑魚寝の大部屋だ。一人分のスペースはおよそ畳1畳分だけ。船は4年前に新造された最新船で快適だった。しかもコロナで現在、定員の半分以下しか乗せていないので、私たちの大部屋は行きも帰りも私たち3人だけの貸し切り。結果8人部屋を3人で使用でき、これは返って2等洋部屋の1ベッド使用より、快適でラッキーだったと思う。ただし2等和室は船底近くにあり、ボイラー音が多少うるさく、当然、窓もない。マットも薄く、寝てばかりの為、背中が痛くなるのは間違いない。タイタニックでいえば3等客船の位置。上級に行くほど上階になる。乗船下船の順番も特等や1等から優先して行われる。デッキも1等しか入れないエリアもあり、こういうサービスはやはり金次第だなと。他に特2等や1等、そして特等は多分、価格相応、快適だと思う。本来なら700人近くが乗る船に300人以下しか乗っていないのだから、船内はガラガラ状態。これだけでも随分、居心地が良かったはず。客層はほとんどが若い人、ダイバーやシュノーケル目当ての方が圧倒的に多い。あとは年配者と家族連れが少しで、帰省の島民は本当に少ない感じだった。

一番気がかりだった肝心の揺れだが、行きは航路のすべてが穏やかで、ほとんど揺れなしで無事クリア。帰りは一転、父島から翌朝の八丈島まで16時間ほど大揺れ。隣の大部屋の子供がゲロ三昧で気の毒だった。同室にいると、もらいゲロ現象があり、大変、危険だ。同じ部屋でなかったのが幸いした。とは言え、ほとんどが外洋なので酔い止め薬は必須だと思う。船内の食事は高くて不味いとの評判だったので、すべて持参した。お湯もレンジもあるので、持ち込みがベストだと思う。

船内にWiFiもなく、東京を出航すると2時間半以降、あとは父島に着く30分前までずっと圏外になる。船内の各部屋(大部屋含む)にはテレビもあるが、基本BS以外は映らないし、しかも画像も悪い。トランプやUNOをやったり、あとは読書か昼寝。微妙な揺れのせいか、なぜかよく眠れ、往復ともに24時間中15時間以上寝ていた。

行きは午前10時、竹芝桟橋出航、翌朝午前10時父島到着。帰りは午後15時、父島出航、翌午後15時竹芝到着。

東京を出て翌朝、船のデッキに出ると、気候が冬から春に変わっていた。

ようやく父島到着。

けれど、寝すぎの為か背中の痛みで最悪だった。

つづく…




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