ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

2009-11-10 17:04:34 | 時事(海外)
ベルリンの壁が崩壊して昨日でちょうど20年目となった。

20年前のその日、テレビは壁を越えてきた人々のニュース
で持ちきりであった。その後もしばらくは、壁を壊す人、
壁の上に登り踊る人々など、ちょっとしたお祭り騒ぎの映像
が頻繁に流れていたものである。

その中でなぜか、かまやつひろしが壁に登り「バンバンバン…」
を歌っていたのが強烈に印象に残っている。

なぜ、この歌なのか?

大変理解に苦しむところであった。

当時学生であった私は、この頃すでに海外旅行にはまっていたの
だが、このニュースを見ていて次の旅行先に東ヨーロッパを選ら
んだのである。壁の崩壊からおよそ3ヵ月後のことである。

初めて見るコンクリートの壁は分厚く、持って行ったノミと金づち
ではなかなか壊れなかった。そこで近くに電気ドリルで壁を壊し
ていた人がおり、その人の壊したかけらを大量に頂いて友人知人ら
へのお土産にしたものである。その後、大量の壁を抱えたまま、
壁の向こう側、東ドイツへ向かった。

壁一枚隔てた向こう側に入ると時代は一気に20年は遡った印象を
受けた。ボロボロの車、人々は皆同じような黒っぽいコートを着て
いた。国営デパートには水道の蛇口やなぜかネジ類の工具、また、
スーパーには缶詰や袋入りの牛乳など、とにかく種類がなく同じもの
が大量にあるばかりで買いたくなるようなものは物は皆無であった。
これでも一応、社会主義国の優等生と言われた東ドイツである。
しかし、首都の東ベルリンでさえそうなのだ。ドレスデン、ライプ
ツィヒといった、その他の都市など言わずもがなであった。

しかし、だからといって全てが西側と比べて劣っていたわけでは
ないだろう。少なくとも治安に関して東ドイツは、西ドイツと比べて
もかるかに安全であったと記憶している。また、圧倒的に貧しかった
が西ベルリンにいたホームレスは東ドイツでは全く見かけなかった。

一応、資本主義の勝利という形で冷戦は終結したが、本質的には
経済力や言論の自由といった部分だけで、社会主義の全てを否定
するのは間違っているような気がしてならない。社会福祉などの
分野では取り入れるべき政策もあるはずなのだ。

そんな東ドイツは、壁が崩壊した日からおよそ11ヶ月後の1990年
10月3日に西ドイツに吸収され消滅してしまった。その後は、その
他の東欧諸国も軒並み社会主義を放棄し、資本主義に転換した。

ドイツでは未だ東西の格差が存在するようだ。その他東欧の国でも
勝ち組になれなかった弱者の人々は、昔をどう思っているのだろう。

そのような人々がせめて、「それでも昔よりは、まだマシか…」
と思っているのならまだ幸いである。

















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