忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

珍しいノーマル

2019-01-21 | 画像
 訪問者が「今日は外のほうが、暖かいですよ。(内部は)暖房が必要ですね」。聞きながら、設定温度を上げていた…。 わが家より高地だと思われる訪問者の実家、この冬白くなったか聞いてみた。今年1回高い山で白くなっただけと、だが年によっては積雪積もある地域。なのに業務用車両の多くはノーマルタイヤと、山間部走行もある業務、スタッドレスタイヤでないのにびっくり!!昔、この地もチェーン付けをよくした。

引きずる世代

2019-01-19 | 画像
池上彰 スペシャル「世界が映した日本の100年」。外国人が見た日本?。CMも多く興味はあったが昨夜番組開始前に、「この映像報道は当時日本を敵国視する米国目線で捉えた物が含まれます?」と忖度注意を促したのは、さすがフジテレビ?。
 軍事帝国日本は鬼畜米英、天皇陛下万歳と叫び一億総玉砕、欲しがりません勝までは。従軍慰安婦、大虐殺、私は戦争犯罪の数々に手を染めた身近な本人から聞いた話しを信じる。 関東大震災の際、米国から多額の救援金がとも、その事実を日本国民に伝えていれば真珠湾攻撃はなかったかもとの思い。今も昔も権力側の国民への隠ぺい体質が根強いこの国。米国や海外だから残された貴重な資料、ドイツではユダヤ人大虐殺のアウシュビッツらも遠足に訪れると、オランダなど過去の空襲地域も教育の対象地域、と。日本は侵略地や国内の戦争関連地など平和教育に訪れることなどあるか。戦争への道憲法改悪には近代史も書きかえる。国民にとって知る権利の大切さを実感した。

くすぐったい

2019-01-18 | 画像
 くすぐりのむずむずとも違う?赤ちゃんや幼児が笑うや笑顔を見せるコチョコチョとも違う。だが、それに近い感覚が片方の肩から腕にかけてあり気になり眠りが浅い。くすぐったいより痛みのほうが我慢できるとも思う。朝寝起きに気づき一週間余、早く治って欲しい。
 以前痛みで眠れない時期もあったが、今は昼夜くすぐったい?のが辛い?。どうせくすぐり気分なら、笑いか笑顔になれるのが好き…。

24年前

2019-01-17 | 画像
 阪神淡路大震災から24年。もうと思うか、まだと考えるか…、あの日、大阪に住むいとこは母親の仏事ため帰郷していて、私たちも列席していたが、急ぎ帰って行った。留守にしていたコンクリートアパートの部屋は家具などが落ちたり倒れ涙したと聞いた。
 その後あちこちで災害は起こり犠牲者もでた。伊方核発電所に近い熊本・大分などでも地震頻発、南海トラフ大震災が近いと想定される中、東電福島原発最悪環境破壊の大人災事件も闇の中?原発推進国策で伊方核発電も再稼働。地震国日本に「我亡き後に洪水よ来たれ」・「後は野となれ山となれ」は通用しない。

よく見るけど

2019-01-16 | 画像
 時間つぶしに見る?テレビ、よくCMも見るけど買うことも食べることもない。地方民間放送では宣伝集めも厳しくて安っぽいのも数多く、本体番組はかすむほど?!?効果あるのと心配し、電力の無駄遣いと、核電力売電県民の腹立ちも。
 IOC東京五輪招致疑惑?でよく登場の人物は明治天皇との縁?宮家、神社は番組に。日本会議・神社本庁ら安倍政権宣伝番組は有り過ぎて世論操作の忖度を感じる。高額CMより安っぽい身近なCMがいい。

念仏講

2019-01-15 | 画像
 この地では年2回が1回に減った、昔はこの村も毎月念仏講の集いがあったのだろうか。私の子どもだった頃、村は幾つものに別れ、は組に、また組も数軒毎に…。念仏講は組毎に各戸を順に番回っていた。
 同じとはいえ家に上がることなど珍しい、その例外?が念仏講。念仏を唱え食し語り楽しんだ。葬儀も講組内が主に、仏教の習慣かと思っていたのだが、2宗派だけ?と知った。頼母子講(無尽講)も念仏講の一つ?祖父の思い出。

市原悦子さんも

2019-01-14 | 画像
 市原悦子さん82歳死去。私にとっては演技派女優としてよりも、故常田富士男(ときた・ふじお)さんお2人の独特の語り口、75年〜94年まで?の名コンビが人気アニメ番組「まんが日本昔ばなし」が強い印象に残る。
 「ぼうや よい子だ 寝んねしな 今も昔もかぎりなく…」。毎週楽しみにしていた。まんが日本昔ばなしの本は買って、今もわが家にある。市原悦子さんの逝去報道に今日、1話だけアニメを見た。孫への読み聞かせも思い出。

あの店に

2019-01-13 | 画像
 遠距離を50㏄スクーターで何度か行ったあの店の陳列棚にいた招き猫。また会いに行くつもりでいたのだが…。じっとしたまま身動きは見せない。だが、歓迎の暖かな言葉を感じさせてくれた。

他人事でなく

2019-01-12 | 画像
 乾燥注意報のよく出る冬、ニュースに火災場面も増え怖さを感じる。若く村(町)で消防団員だった頃、家屋や山火事に幾度も出動した。現在と異なりプラスチック製品のなかった当時、黒煙はあまり見ず、木造家屋は全焼した。
 炊事、風呂、焚き火、ロウソク・マッチと生活の中に火は多く、子どもの頃から火は身近で危険性も知っていた。消防団に入るのも、火事や災害から地域住民を守るともにを思う日々だった。