忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

抱きしめて上る

2010-04-20 | 日々
 甲双町品の滝への散策途中には風雪のためか、新たな倒木等で自然の景色が壊された場所が多数あった。それでもやはり春、木々の新緑や草花はきれいで目を向ける。
 あれっ!、枯れて灰色がかっているが、大きなサヤエンドウ?がたくさん落ちている。近くの木に巻きついているのはまるで痩せた大蛇か龍だ。幹を締めつけ木よりも太く高く伸びている。あれは藤の実、花は咲いていないが見事な大木の藤に感心した。

どんな場所だか

2010-04-19 | 日々
 昨日の帰りに時間があるからと、カーナビが教えてくれた品の滝を見に脇道にそれた。駐車場から渓谷を歩いて400mが1の滝で、高さ11mから流れ落ちる。
 つぎの2の滝は小さく3の滝は見える場所が木々の隙間。県の自然環境保全地域指定され、遊歩道やベンチなど整備されたことはあるようだが腐り始めていた。雪のためか道も川にも倒木が多く酷い状態。
 川を幾つかの石を踏んで数回渡るとか、はっきりしない急傾斜の狭い道に、滑らない落ちないよう落石注意と気を使う。往復で約3㎞余はかなり運動になった。滝への入口までの道路脇に咲いていた桜並木の数年後が楽しみな場所ではある。

ごめんね

2010-04-18 | 共に
 仏事には1人で出席するつもりでいたが、当日の予定時刻前になって私が不安で付き添いとお目付役を兼ねる人物が同伴する。何回か出会っている間は話がなく、後で出席か欠席を返信用ハガキで知らせるようにとの便りが来る関係。
 付き合いだけの仏事など出ることはあるが、○○家の仏事と捉えはせずあくまで人との関係だ。今回は大切な人につながる人たちと、私の心のつながりを絶ちたくないとの思いから会うために行った。
 仏事などは形式的なことと参加すれば良く、付き添い人はガラス戸の向こうに座る。地元の大き過ぎる声だけがとりえ?の坊さんと、近親者の背中を見ながら私はお経を聞き読み焼香する。亡き人を偲び見る大切な人につながる背中に、心の中で語りかける。
 この家のお墓参り行くのも私だけは初めてのこと。遠くから来た親族のお坊さんの祈りには、共にの癒やしを感じた。過去の納得できない面は消せなくても過去に残しておけばいい。
 付き添いは別棟に動かず、私も同じ部屋で大切な人の写真と並んで2度目の無理な昼食は1人。他の人と話す機会もないまま、帰ることになる。つながりのある人に『泊まってくれると思っていた‥どうして 』と涙を見せられるが「ごめんなさい」を伝えるだけ。心残りに他家には迷惑かけたが1晩泊まりで引き返し、再会。みんな一緒に隣り町で昼食をして、犬の待つわが家帰宅した。 ごめんね

幾つもの夢舞台

2010-04-17 | 共に
 『 人と自然が織りなす夢舞台。 そよ風ふいて、世羅高原の春を彩るロマンチックジュータン 』 春あざやか 夢の芝桜 『 花夢(かむ)の里 ロクタン 』 寄り道して芝桜まつりを見た。
 寒い寒いこれほど寒いとはゆっくり眺める余裕もない。まだ見ごろにはほど遠いのか、50.000㎡、80万株の芝桜と菜の花畑のパンフレットの紹介写真は別の場所かのよう。
 花の時季は限られているが、その後はどうなるのか気になる。花めぐりは同じ町にチューリップ・いちご狩り・ひまわり・ダリアの農場、アイスランドポピー・ラベンダー・ブルーベリーの摘み取り・コスモスの丘、しだれ桜・八重紅しだれ・八重桜の里、ゆり・リナリア・わすれな草・ビオラ・ケイトウ・サルビアの園、ぼたん桜・デイジー・パンジー・つつじ・ふじ・しゃくなげの園、花桃・レンギョウ・菊桃のスカイファームと7カ所はある。
 数カ所行っているけど芝桜と菜の花の里も山の中、だが県外ナンバーの自動車が多かった。園内で働く人数も多く見られた。草引きの手作業を10人ほどの中年女性が黙々と続けている『こんにちは』「ご苦労さま」あの広さではたいへんだ。
 周辺の町でも通ると過疎化は進んでいるようで、解体されず屋根の落ちかけた住宅の廃屋をあちこちに見た。廃業した店舗の古さはその年月を表す。花の夢舞台との違和感に、町を声援したい気分になる。

今に思えば

2010-04-16 | 平和を
 沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題は行き詰まったまま。日本の鹿児島県徳之島や勝連沖埋め立て案まで拒否。そしてアメリカ側は新たにキャンプ・シュワブ沿岸埋め立ての現行計画地から50m余り沖合への移動を修正想定し日本政府に打診と報じられている。
 大国と小国、大きさや力の差だけでない自主独立国的な部分の欠如がある日本。あの太平洋戦争敗北と占領の時代から米日の上下関係はアメリカのために続いて来た。野党自民党らはこの基地問題でも政府案を強く批判するだけ。
 だったら自民党に米軍基地の沖縄県外とか国外移設の代案はあるのか。国民の声は無視して密約でごまかす、ただアメリカ側の要求に服従を続けてきただけのこれまで政府の無責任ぶりは酷い。
 日米安全保障条約改定からでも50年が経過した。アメリカ軍による沖縄地上戦、東京大空襲など本土空爆、広島・長崎への原爆投下で大東亜戦争に敗北した日本帝国は、世界に平和憲法を掲げる国に生まれ変わったはずなのに。
 米軍基地に自衛隊基地で軍事基地と軍事力は日本全土で強化されている。戦中戦後を通して現在まで、その1番の被害者が沖縄県民でもある。基地はいらないとの思いは限りなく強いはず。
 日米安全保障条約とは軍事条約であり、アメリカが巨大な軍事力で圧力行使を世界に展開する戦略拠点に日本は利用できるから。そもそも戦争好きのアメリカと平和憲法の日本に軍事条約や自衛隊がある矛盾。軍事基地の無い日本の平和を待ち望む。

黙っていてでは

2010-04-15 | 共に
 『黙っていてとは言われたんだけど‥‥』他の町で子供たちの近所で暮らしていた知人が、亡くなったことを夜の電話で知った。葬儀も済んでいて歴代のお墓があるこの地に、家族だけで納骨の予定は明日の午前中。
 近くの何人だけでも線香をあげ拝ませてもらったらどうかと言う彼の提案に賛同した。故人となったが長く暮らした人の帰りをみんなで出迎えたい気持ちは一緒のはず。
 翌朝はお墓の近くの草刈りをしたり仕事をしながら、予想の時間を待っていた。普段着での集まろうと決めていたので、自動車の音か人声を聞いてすぐ雨具を脱げば行ける準備はできている。
 迎える仲間が早くもやって来た。私も加わるが、立ち話をしながらでも待つ身に時間は長く感じるのか『早すぎたから帰って出直すか』私も1人で待つのはちょっと、それを引き止め2人で待つ。
 しばらくして下の方から上って来る車を見た。一緒に出迎え遺骨とお墓に手を合わす。こちらから尋ねなくても、93歳で亡くなるまでの話を詳しく聞けた。喪主の『‥ありがとうございました』で歩き始めた私に『‥ ○ちゃん ありがとう』と大きな声で手を振る○○ちゃんの姿があった。

跳ね返っている

2010-04-14 | 日々
 上の道路でバイクが止まり、2人のおしゃべりが始まった。離れていても全て聞こえる。当人たちにはふだんの声で、大きな声とは思っていないだろう。聞く気はなくても、あまりにも詳細に言葉は耳に入って来る。
 かなり小さい声で話しても大丈夫な位置での立ち話だろうに元気すぎる声。遠慮したわけではないが、私はもっと離れて移動した。それでもあまり変化はない。2人のお喋りのたいした意力。
 場所を移すと2人の声に加えて別の遠い所から、ラジオの音だか聞こえて来る。雑音?が2つになった気分だ。あれ、ラジオじゃないのはわかったけどどうも聞いたことのある会話。
 1秒弱前に聞いた上の道路でのお喋りをまた繰り返して聞いている。これって山彦、まさかと疑うがやはり山彦だと認めるしかない。『 ヤッホー ヤッホー 』とか『 お~い 』が私の記憶にある山彦の言葉だった。
 山彦がお喋りまでするとは、初めて知った。両方を一緒に聞いても意味不明で、どちらか片方だと良くわかる。山彦ってこんなに小技も使え凄いんだと驚いた。2人の当人たちは気づいてないだろうな、私だけがちょっと得している気分になれた。

呼び出し音だけが

2010-04-13 | 追憶
 外出などで夜遅く帰り、留守電をそのままにした。他県の県営住宅2階に1人で暮らす80歳を越えた伯母からだった。昼間と夕方まで何度も電話するが、呼び出し音だけが聞こえる。
 大丈夫だろうか何かあったのでは、もしかして入院でもと気になる。近くに子供と孫も住んでいるので、遠くの私が心配してもしかたないとわかっていても独り暮らしを安心できない。
 次の日にやっと声を聞けた。病院通いはしていても声だけは明るく元気に感じるが、仲良し夫婦の伯父を亡くしたやせ我慢もあるかもしれない。昔から自分で動かなければ気のすまない祖母ゆずりの性格なのでと、まだ身の回りや近くの医院と買い物は自分でもなんとか行ける。
 30㎏を切っていた体重もどうやら数㎏プラスしていた。子供たちや孫たちが来るのを待ち、また伯父の位牌に語りかけ写真を並べて故郷を想う日々。年を重ねるのが幸せでもあり、淋しくもある。
 伯母と会ってゆっくり昔話を聞けたらとはずっと思っているが、事情があって行けないでいる。もうわが家の過去を語れる親族は伯母の他にはいない。身内のつながりを大切にしたい気持ちさえ通じずにいる。

心をゆさぶる

2010-04-12 | 平和を
 【 心をゆさぶる 平和へのメッセージ 】 ~なぜ、村上春樹はエルサレム賞を受賞したのか?~  本を1夜で読み終えたのは久しぶりで、内容にもすっきりした気分と共感を覚える。
 広島の書店で1回目に見た時には、棚に戻し買わずに帰った。他の書店にもあったがどうせなら広島のあの場所でと次の機会まで待ち、ちょっとだけ立ち読みしてから前回購入せず遅くなったのを悔やむ。
 [ 今、伝えたい言葉がここにある――― 自分達の未来に恐怖を抱える子どもたち。 世界に影響を与えた、胸に突き刺さるメッセージ。 その誕生の背景には、繰り返される歴史と目をそらせない現実があった。
 真実の言葉が込められたメッセージを掲載 ○「イラクの子どもたちはどうなるの?」シャルロット・アルデブロンさん 2003.2.15 ○セヴァン・スズキさんによる伝説のスピーチ 1992.6.11 ○村上春樹氏のエルサレム賞受賞スピーチ 2009.2.15
 これまでにも多くの人々が平和を、そして反戦の声をあげてきました。どのメッセージにも共通するものがあります。それは、発する人にはとても大きな勇気と覚悟が必要だったということです。この本では、平和へのメッセージをいくつか紹介したいと思います。(本文より) ]
 編集・翻訳協力/大胡田若葉・早川誓子 発行・発売/ゴマブックス 村上春樹氏のスピーチには感動した。他のスピーチは子どもたちが世界に発した。1人は平和集会で当時13歳、もう1人は「地球環境サミット」で当時12歳。大人社会を見抜いた要求に衝撃を受けた。日本はまだ子どもたち自身を認める場は狭く、世界に発する社会にはほど遠い窮屈さがある‥‥。

見ごろとのずれ

2010-04-11 | 日々
 先日新聞を見て満開のチューリップ園にでかけた。皆さんニュースやクチコミで知っての思いは同じなのか、たくさんの見物客で私たちが来た年では最多で駐車場以外にも車。以前娘や孫たちとも来ているが、のんびり楽しめる人数だった。
 幾つかの介護施設関係のグループか、車椅子や杖をついた高齢者の方々ともあちこちで出会う。「こんにちは」挨拶をしただけで、嬉しい笑顔をもらった。小学校低学年らしい2人、会う人毎に元気に明るい「こんにちは」私もすぐに「こんにちは」
 見ごろは続くと記事にはあったが、花弁は枯れ始めているのが目立ち残念だった。遠目で楽しんだチューリップはいいが、他にもニュースに裏切られることは時にある。小沢民主党など、政権獲得当時のニュースまで裏切っている。眉唾物政党は別だが、自然の真実程度は美化する必要もないはずだけど‥。