忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

昔の名前で

2009-06-20 | 共に
 夜に集会が開かれるので、自転車で行ってみた。10年単位を遡る久しぶりの参加でもある。過去に出かけていた頃は、少人数だからこその顔馴染みの集まりだった。
 会場は上と下の道路の中間にある。傾斜の急な里道を自転車は無理、通行を邪魔しないよう横に置きそこから歩く。来るのが早すぎたかなと思いながら角を曲がる。
 古い門の扉は全開で、石段の上には主催者側の人たちだろうか来場者を笑顔で迎えている。その一人は古い同級生の友人で、まだ距離があるのに歓迎だ。 「かなり変わったでしょう」と問われるが、私には見慣れた建物に広場など景色はそんなに変化を感じない。あれっ、プールが砂場になっている。だが1年中遊べてそれもいい。
 「○○さんも来てるよ」と聞いて建物の窓を見た。私は早い方どころか、もうある程度の人たちの姿が見える。その間にも来場の人数は増える。
 「あらっ」「珍しい」そんな出会いに笑顔も増える。心の休まる集いは次の再会を願って終了した。外に出ると見送りの友人が「あそこ、○○さんも来てたよ」と別の元同級生を指差す。
 またお久しぶりの繰り返し。主催者側と私を除き女子の同級生がの出席。「○○さん‥‥」別れ際に話した後で、名字を旧姓で言ったことに気付く。彼女たちが来ているのを教えてくれた友人も旧姓を使った?年月を感じない関係もいい。

招待状への案内

2009-06-19 | 平和を
 登録していない番号からケータイに掛かって来た。後の方に同じ数字が並んでいたので、まず大丈夫だけど名乗らずに出た。あちらが私の名字を言って尋ねてから、自分の所属と名前を言った。だったら知っているけど要件はなんだろうかと、言葉を聞く前に悩んでいる。
 山なのでケータイの受信情況のせいか話がはっきり通じなかったが、招待状が必要かどうかのことらしい。でもなにの?
 被爆都市広島が毎年8月6日に開催する広島市平和記念式典への招待状が、届いて出席欠席を選べるのではなく出席する人だけに送付する方法?
 初めての二度とない機会に出席したい気持は強いが、即答は苦手で結局欠席になってしまった。平和公園にはよく行っているが、原爆が投下された同じ日の時間にあの場所に立ったことは無い。
 8月6日は若くして亡くなった友人の命日でもあり、毎年墓参りを兼ねて平和を祈り続けている。以前、非核平和を願う市民からの平和記念日にみんなで平和公園にと誘いもあったがあきらめた。
 家に帰り広島市の電話への返事を伝えると「もったいない。出席すればいいのに、どうして」と批難された。出席を勧められたのが意外で嬉しかった。
 式典には参加できなくても、非核・非戦の平和な社会を守る気持は変わらない。平和は儀式や武力では存続できない。平和憲法の重要な価値を再認識する。

その後はどう

2009-06-18 | 日々
 道路脇の上の段で、伸びすぎた木の枝を切っていた。登っている間は、今年繁った新葉で最初下の道路はほとんど見えなかった。
 始めたのが遅かったのですぐに夕方になる。高い所は好きだが苦手な私、自分の使っていた剪定ノコで手も切った。痛みは諦めるが、赤い血が手とシャツを汚す。地面に降りたが、あいにく血止めのヨモギも見当たらない。袖を捲って汚れだけに気をつけて、下の片付けをすることにした。
 帰宅への自動車が時々走って行くのは後ろ向きでも音は聞こえる。「何してるが~」の声に、目が合ったのは同じの女性。見ればわかるから笑顔が返事。何かを手に持ちどこに行くのか尋ねたいのはこっちの方。
 健康のためにと散歩をする人が歩く時間の道路でもある。「○○さん!その後体のほうはどう?」声に振り向いても、瞬間誰だか考えた。
 散歩姿を見かけることはあっても、こちらは車で立ち止ま話をする機会などなかった長い昔は同級生。女子生徒のあの頃の声がいまでも残っている。
 お互い瞬時に昔に帰って話している。黙っていた病気の話も知っていた。隠していたわけではないので、それが伝わっているもうれしい。
 頭が良くてしっかり者の彼女、すらっとしていた体型の回復もかねての散歩も長続きできる。同級生だが姉さんみたい。数日後の集まりにまた会えると分かる。

いいかげんがいい

2009-06-17 | 共に
 【 いいかげんがいい 】 著者/鎌田 実 発行所/集英社 私が自分で買った初めての鎌田さん本だが、この前に「あきらめない」「がんばらない」「なげださない」の3冊を知人に借りて読んでいた。
 [ 日本では「がんばって」最後の汗の一滴まで絞らないと、認められない。そんな社会だから、幸福感を感じにくい。  今を楽しんで生きるとか、 もっと大切なことは、 「いいかげん」の中に隠れていたのだ ]
 読み始めて私に近い本だと選んだ考えは誤解だと気付き恥ずかしく思う。私のいいかげんさは辞書によると「適当、ほどほど、徹底しない、深く考えず無責任な」面の意味を持つ。
 [ 無理しない、こだわりすぎない、よくばらない、つっぱらない、頃合いに、融通をきかせる、 ほどほどに、 「いいかげん」には、 こんなすてきな意味が、隠されている。 ]
 この鎌田 実さんの本で本物の「いいかげん」を知った。  1章 頭はやわらかなのが、いい  2章 いい加減がわかれば、「老い」も「介護」も「死」もラクになる  3章 力を抜けば、健康で長生きなんて簡単簡単  4章 「いい加減な」な余裕が、心の力になる  5章 こんな世の中になったらいいなあ  6章 迷いながら、「いい加減」に生きればいいのだ  知人の3冊だけでなくこの本を読めて良かった。

どう呼べば

2009-06-16 | 追憶
 他の人たちはどうなのかと考えることがある。私たち夫婦は結婚前からお互いの名前で呼び合ったことがない。たまに言うと不自然でふざけていると思われ、叱られるので逃げる用意も必要だ。
 子供が生まれ私は「お父さん」と呼ばれるようになった。それで私も妻を「お母さん」と呼ぼうとしたら、「私はあんたの母親じゃない」と子供の前で拒否された。
 それからはっきりした呼び名は無しで続いている。「おい!」はとても言えないから、離れていれば「お~い」と呼ぶ。近くに居れば「ちょっと」とか「これ」と言って私に反応してもらう。
 子供たちと共通の呼び方は、いまでも母親だけの特権だ。孫たちのそばでは産まれて直ぐから、おじいちゃん、おばあちゃんと呼び合っているだけでやすらぎを感じる。
 夫をやさしく「○○さん」と名字の半分で呼ぶ従姉がいる。50年ほどさかのぼる結婚前の呼び方の続きをいいなと思う。
 名字ではないが名前をそのまま呼んだり、さんやちゃんをつけたり愛称で呼んでいる夫婦は身近にもいる。それが現在なのだろうが、夫婦に限らず互いの呼び方一つでも人間味の存在環境が変えられそうな気持になる。

仲良くなりたい

2009-06-15 | 日々
 帰る日の朝、孫たちの集団登校を見送りに少し遅れてついて行く。子供たちの歩きなれた元気さが、距離を次第に離してしまう。国道まで約100mの差になり、追いかけるのを諦めた。横に歩けば小学校まで先回りできるかと予想した。近くの家から犬を連れて出て来た人に挨拶。
 犬には昨日挨拶している。学校の方に歩くが、ずっと向こうで見送り帰りの妻が見え引き返すことにした。犬の三匹いる家でまた一斉に吠えた。
 だが猛烈にではない。さっきの犬だけ家から別に繋がれている。昨日と同じに話しかけた。すぐ静かになり私に近寄り匂いを嗅ぐ。私も首を揉んでやる。またね‥‥。

内緒話に疲れて

2009-06-14 | 共に
 話をするのは苦手だが好きだとも思う。対等にを意識している人から話しかけてもらうと普通に話せることはある。逆に私は偉い人間だが、君と話してやるかと威張る人との話となるとこちらから遠慮したい。どちらにしても言葉を使うって難しいと考えてしまう。
 共有する話題ができたのに、「内緒にしていよう。私は誰にも話さない」なんて聞かされると、他の人は自分の好きにすればいいけどと付け足されても困ってしまう。
 「私は内緒にする」は事によっては、他の人にもその同意を強要している。他の人の自由を認めるなら「私は内緒に」は黙っていれば良い話。
 余計なことを必要以上に話せる口など、元々持ってはいないのも知っているはず。なのに内緒話を押し付けられると疲れてしまう。
 他には内緒と決めた人は同じ仲間?にその話を繰り返し少しずつ内緒話を増やして行く。一つを隠すのにも手を焼いているのに、幾つも増やされるとストレス過剰。
 大人の内緒話や極秘情報は嘘の注意も必要だが、事実を自分も知っているのに内緒話で黙っているのはいつまでなのか。なぜ秘密するのかも理解できずにいる。
 内緒と言った本人の口が一番軽いけど今は強情。上手にいい加減で厳しく無い、口の軽さも許せる内緒話に切り替わるのを待っている。

嫌われたもの

2009-06-13 | 日々
 いま手が離せないので代わりに出てと頼まれケータイを持った。「もしもし‥‥」私がケータイを取るとは思っていなかったようだ。
 「おばあちゃんに代わってください」孫が私に話すことは無いとの他人行儀な口調に、会話をするのは諦め「はい」と交代した。
 内容は不明だがうれしそうな孫の声も聞こえる。どうやら夕方おばあちゃんにかけきた話の続きのようだ。「すごいんだよ」今年初めてのカブトムシ、オスとメスの二匹誕生を喜ぶ報告だ。これからカブトムシの餌を買いに行くとも聞いていた。
 餌を手に入れたのでまた電話したのだ。おばあちゃんが孫に言う。「おじいちゃんも○○君とお話ししたいそうだから替わるね」に孫は「もう終わったから電話切るね」との返事。
 おばあちゃんなんとか延長させてたが、おじいちゃんにともう1回言っても気持は頑固ですぐ母さんにケータイを渡してしまった。
 確かに言いたいことは済んだのだろうが、私も一緒にカブトムシをを送るのなど手伝ったのだけど。結局一言の孫の声も聞けなかった。
 おふざけはあるかも知れないが嫌われている関係ではないと思っている。話は上手になったが、今度会う時には、私もふざけ過ぎないで仲良くしたいと反省した。

生きるために

2009-06-12 | 平和を
 臓器移植の是非が、何かと問題になっている。臓器提供者の少ない日本でできる手術は限られ、移植で助かる命を亡くしてもいる。
 募金協力を呼びかけ、海外で臓器移植手術のできる人は限られる。臓器提供に関した人の死の基準は国会でも議論されているが、どうもよくわからない。
 社会保障の今後を思えば、長生きできるのは金持ちばかりとなりそうでもある。分け隔てなく命を大切にする医療であり政治をとの期待は、庶民の高望みと笑われそうなご世知辛い時世か。
 死の基準や臓器移植の新法案を目指す政党の議員だけとは言わないが、選挙になると「国民のために」「皆さんのために行動します」と口にする人たち。その中で献血や臓器移植や献体登録とか介護体験などをしている先生は何人いるかを知りたくなる。
 国民誰もが子供の頃から家庭で学校で、命の大切さを話し合える環境で育つこと。共に思いやりの心の育つ平和な社会を。そんな日本であれば、自ずから臓器提供希望者も増えるだろう。
 現日本国憲法を厳守すると力強く言っていた政党さえ、海外派兵に賛成し本格的参戦可能の新憲法への道を目指す。勝ち馬に乗れば有利が政治の社会か?今日麻生首相は日本郵政の西川社長の問題で鳩山総務相を事実上罷免!
 9条を亡くす憲法改正の不安も深まる。現在までは戦争での殺人とは無縁の自衛隊員、国民の命のために臓器提供登録をしていると信じたい。

やっぱりお人好し?

2009-06-11 | 平和を
 「どうして腹を立てないのか」と叱られる。事にもよるが同じ問題を同様に受け止めていても、苛立ちを言葉と表情など強く態度で見せよと人から指示されるのは嫌い。
 情報も認識も微妙に違って当然で、ものによっては誤解を無視できない。火種は熱を持っていてもたくさん灰をかぶせておけば、やがては火種も灰になる。
 自分の方から苛立ちの火種の元を作り残したくはない。ましてや余計な油をかけたりしないこと。小火で消せても記憶には残るが、場合によっては仲直りもできる。
 苛立ちを押さえられない気持がわかることでも、ずうっとそれを引きずり周囲の人に共感の行動を強制するのは行き過ぎだろう。
 どちらかと言えば私は人を嫌いになれない。人間ができているからではなく、いい加減なのだ。私よりダメではないだろうと思ってしまう。
 「しっかりしろ」とと注意されるが、かなり頭の感覚が鈍ってはいる。人並みに腹が立つこともあるが、考えると疲れ頭が痛くなり眠れないので ぎりぎりまでは我慢する。
 もっと自分を出してもいいのだが、何が自分か迷ってしまう。頭も使わずにいると鈍ってくるのは当たり前。母方の血筋「お人好しの頑固もん」を認定された私だ。少しはしっかりしてないとご先祖さんにも叱られる。次の選挙はもっとはっきりした一票を入れる。