忘却への扉

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小選挙区制の害

2014-08-22 | 平和を
 
《 直言・安倍政治 ③ 》 『 野中広務 元官房長官 (88歳) 』 【 「負の歴史」に向き合え 】 2014/8/15 地方紙記事より
 ― 安倍晋三首相は集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更に踏み切ったが、自民党は静かだった。
 「若い人が増え、戦争を全く経験していない人が7、8割を占めている。過去の戦争で取り返しのつかないことをやってしまったという気持ちを持っている人が本当に減った。小選挙区制でもあり、今の自民党は多様性に欠けている」
 ― 有権者の多くは説明不足と感じている。
 「首相は『日本の難民を米国が船に乗せ救助している時に攻撃された場合はどうするのか』との説明を好んだ。米国は『そんなことはあり得ない』と断言したのに、閣議決定後の記者会見でまた持ち出した。『国民のため、戦争を排除するためです』と、極めて情緒的な説明を繰り返した」
 ― そもそも、国民を守るために集団的自衛権の行使は必要だと思うか。
 「今回の論議を聞くと、個別的自衛権で対処可能だと確信している」
 ― ただ、軍備拡張と海洋進出を続ける中国との付き合い方は難しい。尖閣問題が深刻だ。
 「2012年、当時の野田佳彦首相が石原慎太郎都知事にあおられて、国有化したのが問題の発端だ。中国の胡錦濤国家主席は『そんなばかなことをすると取り返しがつかなくなる』と警告したと聞いている」
 ― 首相は中国へのけん制を続けている。
 「日中戦争と国交正常化、平和友好条約締結をめぐり、両国のやりとりの歴史がある。きちんと踏まえなければならない。観念的ではいけない」
 ― 首脳会談が開けない状態が続いている。
 「安倍政権は『あれは民主党政権がやったことですから』と、尖閣問題国有化を横に置くこともできるはずだ。ただ福田康夫元首相が訪中し、習近平国家主席と会談した。後は首相が尖閣問題と靖国参拝をどうするかだ」
 ― 打開に向けた鍵は。
 「政治家は特に、歴史の負の部分に向き合わなければならない。私は官房長官の時、旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器の処理に取り組んだ。これが、中国側との信頼関係を深めるきっかけになった。毒ガスの被害にあった中国人は今も苦しんでいる。何人もあって、話を聞いた」
 ― 戦後体験は国民の意識の中でも薄れている。
 「傷ついた人や、犠牲になった人は忘れない。だが、今の日本は傷ついた人も、傷つけた人もほとんどいなくなった。勇気をもって発言してくれる人も少ない。広島、長崎の原爆記念日の宣言や被爆者代表の挨拶を、今こそ大切にすべきだ。福島第1原発の現実も忘れてはならない」
 ― 体験継承は可能か。
 「どこの家庭にも先の戦争の傷跡は残っている。中東をはじめ世界各地でのむごい戦争が報道されている。若い人にも知る機会は必ずある。そこに希望を託したい」]

証拠は国家(軍部)が消し去った

2014-08-22 | 共に
 
《 従軍慰安婦問題 》 『 ルポライター 鎌田 慧 (38年生まれ) 』 【 現実性の本質 直視を 】 《 戦争させない行動必要 》 2014/8/14 地方紙記事より
 [「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』
 戦時中に山口県労務報告会・下関支部動員部長だった、という人物の証言を基にしたショッキングな朝日新聞の記事(1982年9月2日付)は、「裏付け得られず虚偽」として、ついに8月5日に取り消された。
 これまでも、この証言者には疑問があると研究者から指摘され、社内にも早く解決すべきだとの声が高かった。
 遅きに失したとはいえ、日韓の大きなトゲとして突き刺さっていた「従軍慰安婦」問題が、これによって、さらに進化、解決へ向かうことを期待したい。
 「狩りだした」とは「強制連行」のことである。植民地・朝鮮からの「労務供出」や「集団連行」の実態は、この記事が書かれる17年前、朴慶植の憤怒を込めた研究書「朝鮮人強制連行の記録」で、詳細に描かれている。
 それによれば、朝鮮での労務動員は、内地のようには「徴用令」によらず、「募集」の形式を取った。「強制」をカムフラージュする形にしていた。が、執拗(しつよう)な勧誘ばかりか、道路での警官による拉致、護送は珍しくなかった。逃亡者もいたという。
 「従軍慰安婦」もこれと同じように、朝日新聞をはじめとして、「強制連行」のストーリーをなぞるように報道されたのだが、肝心の政府関与を証明する文書は発見されていない。
 それでも、93年8月の河野洋平官房長官談話で「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」として、「政府は(中略)心からお詫(わ)びと反省の気持ちを申し上げ具」と謝罪している。
 暴力を絵に描いたような「強制連行」があったかどうかが問題なのではない。他国を侵略して植民地とし、人々の生活と財産を奪い、困窮させた揚げ句の果てに、労働者や「慰安婦」にした、その犯罪性が問われているのである。
 朝日新聞の失態は、この歴史に関する誤報について、研究者の指摘を虚心に受け止めず、速やかに検証・訂正せず、読者に謝罪しなかったことにある。そうこうするうちに「慰安婦問題」は、日韓外交の重要な課題にせりあがってしまい、侵略との歴史認識は「自虐史観」に基くと主張する人たちの攻撃にきちんと向かい合えなかった。
 私も、かつて意に反して「慰安所」に送られ、いまだ心の傷の癒えない女性の話を聞いたことがある。極端な暴行を受けていないにしても、組織的に人間の尊厳を踏みにじったのは暴力であって、軍隊の罪は大きい。
 80年代、沖縄線の集団自決死の取材に行った渡嘉敷島で、敗戦まで残っていた朝鮮の女性の消息を聞いたことがある。
 日本国中、高山、土木工事から農地造成まで、朝鮮人や中国人を強制労働させていた事実は重い。さらに女性は民族差別、女性差別の上に「慰安婦」という名称で、侮辱的な、一方的な男の価値観を押しつけられた。精神と肉体を蹂躙(じゅうりん)した罪は許し難く、「性奴隷」の批判を受け入れざるを得まい。
 外国人女性が、一方的に戦場に従軍させられ、「慰安婦」の役割を強制させられた全身の屈辱を、私たちが自分のものとして受け止める、その契機として、朝日新聞の検証の意味がある。
 内閣の専横によって、戦争前夜にされている現在、テレビや新聞への権力的干渉が公然となされている。
 戦争の加害を無視し、歴史を否定する現政権に対峙(たいじ)し、戦争をさせない行動を執る―。それこそがアジアの女性たちにかつて与えた悲惨に、少しでも報いることではないだろうか。]

国に青春時代を奪われた

2014-08-22 | 平和を
 《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より 【 青春を塗りつぶされた義父 】 醸成・保育士 (63歳)

 ◇義父は21歳で応酬し、無事帰還した時はすでに28歳になっていた。いつもは穏やかだが、戦争の話になると冗舌になった。ビルマ(現ミャンマー)戦に敗れ、広大なインドの大陸をさまよった果てにシベリアに抑留された。その間の体験は想像するに余りある。しかし、家具職人としての腕があったから重宝されて、パンを余分にもらい、仲間に分けて喜ばれたという。義父は、聞いている私たちが救われるような話しかしなかった。
 ◇義父がやっとの思いで帰ると、宇和島は一面の焼け野原で、家族は親類宅に身を寄せていたが、妹の一人が空襲で亡くなったという。翌日からすぐ、大勢の家族を養うために家具職人の仕事に出た。給料は全部渡し、やっと自分の家庭を持てたときには30歳になっていた。
 ◇「わしは青春時代がなかった。7年も戦争に取られたんじゃ」が口癖だった。あたら7年物輝かしい時代を壮絶な体験で塗りつぶされた義父。義母にはほとんど戦争の話をしなかった。義父が逝って20回目の夏が過ぎようとしている。]