《 1947年広島・長崎 》 【 米、児童1000人にエックス線 】 《 原爆の成長影響調査 》 2014/8/2 地方紙1面トップ記事より
[広島、長崎で1947年9月、米スタンフォード大のウィリアム・グルーリック教授(解剖学)が小学生ら約千人を対象に関節のエックス線撮影をしていたことが1日、米科学アカデミー・研究評議会(NAS・NRC)や米エネルギー省核実験公文書館が所蔵する文書で判明した。]
【 「無用の被ばく」招く 】
[エックス線撮影は、治療目的ではなく、原爆の放射線が子どもの成長に及ぼす影響を調べる予備調査として実施された。実際の被ばく線量は不明だが、被爆児、比較対象群の被ばくしていない子を巻き込んだ「無用の被ばく」だった。
教授は健康への悪影響を懸念し、原爆を開発した「マンハッタン計画」で医学部門責任者を務めたスタンフォード・ウォーレン博士に事前に相談。放射線医学の権威である博士は「被ばく線量はほんのわずか」と〝お墨付き〟を与えていた。
翌年、調査は原爆傷害調査委員会(ABCC)に引き継がれ、規模を拡大して53年まで続き、手の撮影が毎年行われていたとみられる。
ABCCの上部機関としてNAS・NRCに設置された原爆傷害委員会(CAC)の議事録などによると、調査は47年5月1日に承認され、教授は8月22日、米海軍機でグアムから東京に到着。連合軍司令部や旧厚生省と協議を重ねた。
その後、国立予防衛生研究所の医師やABCCの米軍にらの協力を得て9月末まで呉、広島、長崎、佐世保を回り、7~13歳の計957人を対象に身長、体重を測り、骨の発達状況を調べるため、病院などで、ひじ、肩、ひざ、足のエックス線写真を撮影した。
呉、佐世保の子どもは被爆児と比べるデータを入手するための比較対象群。ほかに6歳児35人前後が調査対象だった。
教授は調査前、ウォーレン博士に書簡を送り、骨格の発達を追跡するため、関節のエックス線写真を撮影する計画を伝え、有害ならやめたいと相談。博士は全身被爆の可能性を否定し、被ばく線量も「0・1レントゲン(約1ミリシーベルト相当)に及ばない」と書き、問題はないと答えていた。
教授は48年秋にも長崎で調査。58年に米学会誌に論文を発表した。]
[広島、長崎で1947年9月、米スタンフォード大のウィリアム・グルーリック教授(解剖学)が小学生ら約千人を対象に関節のエックス線撮影をしていたことが1日、米科学アカデミー・研究評議会(NAS・NRC)や米エネルギー省核実験公文書館が所蔵する文書で判明した。]
【 「無用の被ばく」招く 】
[エックス線撮影は、治療目的ではなく、原爆の放射線が子どもの成長に及ぼす影響を調べる予備調査として実施された。実際の被ばく線量は不明だが、被爆児、比較対象群の被ばくしていない子を巻き込んだ「無用の被ばく」だった。
教授は健康への悪影響を懸念し、原爆を開発した「マンハッタン計画」で医学部門責任者を務めたスタンフォード・ウォーレン博士に事前に相談。放射線医学の権威である博士は「被ばく線量はほんのわずか」と〝お墨付き〟を与えていた。
翌年、調査は原爆傷害調査委員会(ABCC)に引き継がれ、規模を拡大して53年まで続き、手の撮影が毎年行われていたとみられる。
ABCCの上部機関としてNAS・NRCに設置された原爆傷害委員会(CAC)の議事録などによると、調査は47年5月1日に承認され、教授は8月22日、米海軍機でグアムから東京に到着。連合軍司令部や旧厚生省と協議を重ねた。
その後、国立予防衛生研究所の医師やABCCの米軍にらの協力を得て9月末まで呉、広島、長崎、佐世保を回り、7~13歳の計957人を対象に身長、体重を測り、骨の発達状況を調べるため、病院などで、ひじ、肩、ひざ、足のエックス線写真を撮影した。
呉、佐世保の子どもは被爆児と比べるデータを入手するための比較対象群。ほかに6歳児35人前後が調査対象だった。
教授は調査前、ウォーレン博士に書簡を送り、骨格の発達を追跡するため、関節のエックス線写真を撮影する計画を伝え、有害ならやめたいと相談。博士は全身被爆の可能性を否定し、被ばく線量も「0・1レントゲン(約1ミリシーベルト相当)に及ばない」と書き、問題はないと答えていた。
教授は48年秋にも長崎で調査。58年に米学会誌に論文を発表した。]