アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

先を生きるからこそ教師

2006年08月30日 03時51分39秒 | Weblog
 きょうし、と打って変換したら狂死と出た。いやな一日になりそうだ。

 以前、全校生徒を前にしてある教師が「君達より先に生まれたから先生だ」と言っていたが、笑ってしまった。先に生まれた、たとえば屋久杉から学ぶことはある。ただ、それは本人にその姿勢があるからできることだ。先生は違う。先を生きるから先生なのだ。
 生徒の今現在から将来を考え生活や学習を指導する。そういう個別指導的なことではなく、これからの世界を考え、そこから生き方を考え、生徒に仕掛けていくということ。生徒がそれをできるようになればもう先生は必要ではない。できない間は先生の言うことに素直に従う以外はない。
 教師は生徒の一歩先を行く。形だけの研修ではなく、研修アイデアを出して、それに予算を組む姿勢が要るように思う。先を行くから前衛だ。ただ、学校が後衛に成り下がっている現状が教師に閉塞感を抱かせる。小手先だけの改革は体質を変えることは不可能だ。