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本格的時代劇映画『蠢動』

2013年11月06日 | Cinemaを愉しむ


この時代劇は、今まで観た映画と全く違う文法で作られている。違和感と戸惑いがあまりも大きかったため、観たその日(11月1日)に書き込みが出来ず、自分の思いを自然発酵させようと思って待った。待っている間にも、纏まらない自分の思いをまとめる手助けにしようとyahoo映画や映画.comなどのレビューを読んでみた。レビューにはこんなことが書かれていた。

パンやズームなど使わず、フィックスで撮影されていることが映像を印象深くしている
 -そうなのだろう。でも、私の頭の中で巣食っていた得体のしれないものはこんな技法論ではない。

何人もの追手と切りあった者と、雪道を必死で走りぬいて来た者との対決の場で、両者の顔には汗ひとないのが不自然
 -そんなことはどうでもいい。

壮絶な切り合いにも拘わらず、積もる雪を血しぶきが染めないのが不自然
 -こんな重箱の隅をつつくようなことを言って何になる

武士道とは何か?藩の思惑に翻弄される武士たちの不条理さ
 -これだ、これが腑に落ちない理由だった。

その昔に隠し田発覚による藩取り潰しを回避するために一人で罪を負って自決した武士がいた。城代家老を始め藩の者は皆、口には出せないがその男に救われたことに深い感謝の念を抱いている。しかし、公儀から遣わされた剣術指南役兼スパイに隠し田を発見され、再度藩取り潰しの危機に陥った時に城代家老が採った秘中の策は、剣術指南役を暗殺し、恩ある武士の一人息子を暗殺者として仕立て上げた挙句に抹殺することだった。しかも、犯罪遂行後の逐電という状況証拠を作りあげるために、本人が望んで止まない他藩での剣術修行として送り出すという一種のだまし討ちの体裁にしながら。

ストーリーから見ると、藩のためなら犯してもいない罪に問われて殺されることが許されるのかという武士道のあり方に疑問を投げかけた物語と思えるかもしれない。最初は私もそう思った。だが、腑に落ちなかった。個を犠牲にする武士道の理不尽さを描いた映画なのだ、とはどうしても思えなかった。

ノーブレス・オブリージュ。私が真っ先に思った疑念はこの言葉から生まれたものだった。

多くの人を救うためであれば、自ら犠牲になることを尊い行為だと思う。この武士の父親はそれを持っていた。でも、その息子は持っていなかった。父親が藩の犠牲になったという被害者意識と、それゆえに自分は剣の道を究めていきたいという強烈で折れることのない一念は持ったが他人を思いやる高貴な精神までは受け継がなかった息子の狭了さ。それは、年輪を重ねたことで生まれる余裕・悟りと若さゆえに廻りが見えない未熟さの違いかもしれない。この映画が描いたもの(と私が思ったもの)はこれであって、決して個に犠牲を強いる封建社会の不条理さではなかった。

自分の会社を売り払ってこの映画制作の資金を捻出したという三上康雄監督の思いはどうか分からないが、私はそう思った。作り手の思いは尊重する。でも、それとは違った思いを観客が抱くことも自由であるはずだ。それを発見させてくれたのもこの映画が初めてだった。

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