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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

「俺に小便を掛けておいて、雨だなんて言うな」

2007年10月21日 | Cinemaを愉しむ
映画『レイヤー・ケーキ』の中で、姿を現わさない殺し屋が主人公のチンピラギャングに携帯電話で警告する上品とは言い難いが凄みがある台台詞。

麻薬取引で一攫千金を目指してサラッと足を洗おうを考えていたギャングが、ボスから二つの頼みごとをされる。どっちも罠であることが後で判るのだが。一つは、麻薬中毒になった友人の娘を探し出すこと、もう一つはあるディーラーと麻薬を取引すること。このディーラーが持っていた麻薬は、ベルギーを根城として麻薬取引している東欧の国際犯罪者というやばいことこの上ないディーラーから盗んだもの。早速殺し屋が差し向けれるが、本来は関係のない主人公も取引しようとしていることから殺し屋に狙われる。

麻薬中毒になった友人の娘探しというのも、アフリカの政治家に騙し取られた金を取り戻させようとギャングのボスを脅すための餌として娘を探そうようとしているのに知らずに加担させられていた。どっちが上手くいっても、上手くいかなくてもボスが彼を殺して、貯めている金を取上げる気でいることを知った×××(これが主人公の名前。エンドロールにちゃんとそう出ている)は、ボスを殺す。

ハリウッド映画と違って、イギリス映画は犯罪ものと言っても犯罪者たちがとっても人間くさい。主人公は、初めて人を殺したことで、精神的に参ってしまう。また、ボスを殺したことが仲間たちに漏れて、その一人からボコボコに殴られる様はとってもアンチヒーローではない。ハリウッド映画だったら、この主人公はジョン・トラボルタだったろうな。「フィッシャー・キング」の役柄のように、いつも冷静沈着。先の先まで読みきって行動するので、失敗がない。そして心の動揺がなく、何よりも仲間からボコボコに殴られるなんてこともない。それに比べて、この×××は何て様だ。

この映画の凄いところは最後の15分の話の進展。主人公なのだから最後は上手く切り抜けるに違いないとずっと思っていたところが、違うかもしれない、これは犯罪に失敗してまう話なのかと思わせ、次の瞬間にはやはり上手く切り抜けるやり手ギャングというキャラに戻る。そのまま終わるかと思うと、最後の最後には何てことはないチンピラに撃たれてしまってお仕舞。ジェットコースターのような、上げたり下ろしたりの15分で、見応えを作ってしまっています。

映像の作りもお気に入りでした。一つのシーンでカメラが止まるんだが、再び動いた時には全く違うシーンがそこから始まる。例えば、ボスに罠に掛けられたと知った主人公がベットに寝そべって思案にくれている顔にカメラが寄ってアップ、カメラが引くと全身黒尽くめとなってボスの屋敷に忍び込んだ主人公となる展開。または、ボスを殺した後で精神的に参って薬に走るが、バスルームの棚の薬を手探りでさがす手が止まって、その手が鏡を戻すと回復した主人公のさっぱりとした顔が鏡に映っているという具合。

ボスのボスが忠告する台詞:「ビジネスで成功してければ、仲介役になれ。」
仲介役って大物になるための必須な役割なんですかね?オリジナルでは何て言っているか英語版を見たら"middle man"と言っていた。やはり仲介役なんだ。犯罪そのもにに手を染めている間は下っ端てことかな。

こんなのもあった。友人から銃を借りるのだが、それは昔人殺しに使って捨てずに取っておいた銃。なぜ始末しなかったのか、と聞かれたその男は「お気に入りだったんだ」などという。それへの突っ込みが「他の銃が嫉妬しないか?」

犯罪者とは言えども持っている人間臭さや弱さが普通の人間らしくてリアリティ感ある物語だったし、映像の作りも良好な佳作でした。
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高樹沙耶

2007年10月20日 | My Diary
スカパーで放送しているチャンネルLaLaTVで高樹沙耶を見ました。そして一機にファンになってしまいました。彼女のエコに対して本格的に取り組む姿勢、何よりも肩から力が抜けていて気取りが全くなく自然体で生きている姿が好感でした。

オーストラリアでアボリジニと暮らした3日間で、魂と肉体の出会いを体感したと語っていたのですが、その言葉の飾らないこと。力みがなく、言葉がごくごく自然に出てくる様は、決して創作した作り話ではないことが一目瞭然に判ります。

人生の色々な転機の時期の星の巡りを番組ホストの鏡リュウジが解説すると、そうだったですねとこれまた感心して相槌を打つ様も好印象でした。世のすべての生き物や出来事を、ありがたみを感じつつ受け入れる、そんな姿勢もエコから出ているように思いましたね。

高樹沙耶というタレントは、フリーダイビングの記録を一時持っていた女優であることは知っていましたが、良くは知らなかった。番組始めの紹介で、1963年生まれと表示されていたのを見た時は、44歳であの容姿だときっとプチ整形していたり、あちこちのエステに通っているに違いない、そんな女優がエコ生活なんて表面だけの見せ掛けだけに違いないと思ったのですが、彼女の気取りない話と話し振りを聞いていると、そんなことは勝手な誤解で、実物の彼女はとっても魅力的は人物であることが短い時間でよく判りました。

番組名は「鏡リュウジの星ものがたり」。西洋占星術研究家の鏡リュウジが毎回ゲストを招いて、星座の話をしながらゲストにあれこれ話を聞くという番組です。
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「業者はこちらの足りない分には責任を負わないの」

2007年10月13日 | パルプ小説を愉しむ
カルフォルニアよくあるオーシャン・ビューとつく地名なのに、海がまったく見えないと文句を言った相棒に対してジェーンが言った台詞。身長が20メートルはあったら海が見えるのだが、そこまでの身長が無いのは業者の責任ではない、というのがカルフォルニアの常識なのだろう。

『蒸発請負人』(トマス・ペリー)の主人公はインデアンの血を引くジェーン・ホワイトフィールド。職業は訳ありで隠れなければならなくなった人々を痕跡なく蒸発させること。そんなジェニーの元に、横領の罠を仕掛けられたために逃げざるをえなくなったという元警官の会計士ジョン・フェルカーが現れる。追っ手に追われながらカナダ国境を越え、身寄りのインディアン居留地に身を隠した後に全くの違う人間として生活するノウハウと新しい名前、各種証明書を与えて分かれた翌日、5年前にジェーンが蒸発させた男、ハリーが殺された。

逃がしたばかりのジョン・フェルカーが実は、ハリーを追っていた殺し屋だと知ったジェーンは、ジョンの跡を追う。追ってくることを予期していたジョンは生まれ故郷の森の中でジェーンを迎え撃つ。湖を渡っている途中に狙撃されて武器も身の周り品も失ったジェーンはインディアンの知恵を使って、殺しのプロと対決する。

ストーリーは面白いし、蒸発請負人という主人公の設定も奇抜かつ魅力的なのだが、話の運び方に着いていけない。訳が下手なのか、それとも俺の頭が悪いのか?ジェーンがジョンを殺し屋だと知ったことは明白なのだが、どうしてそう思うようになったのか?相手の行く先を推理する時もそうだが、細かいところの説明が理解できていない箇所が多くあり、それが興味を殺いでしまうのが勿体無いんだなぁ。
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