お愉しみはココからだ!!

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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

震度5

2005年07月23日 | My Diary
凄かったですね、震度5。揺れが短かったので驚き程度に終わって良かったですが、あれが続いていたら被害も大きく、もっと衝撃的な経験になったと思います。

このところ疲れ気味の私は自室で昼寝をしていました。ちょっと眠いので横になろうという程度だったので、部屋の隅に畳んでおいた布団にもたれ掛ったままの昼寝でした。そこに震度5の揺れが来た瞬間に目が覚めました。本棚に置いてあった写真立てや置き物が落下した他、本棚の上にあった25cm×30cmくらいの物入れが寝ていた私の頭のすぐ横に落ちてきました。

他の部屋を見ても多少ものが落下した程度で大きな損害はありませんでした。マンションのエレベーターは止まり、ガスもつかなくなりました。ガスはわざと付かなくなるようにしてあるのでしょう。部屋の外にあるガスメーターのボタンを押すとすぐに復旧しましたから。

地震の大きさと被害を調べようとNHKを付けたのですが、なかなか地震ニュースがでない。民放の方が速かったですね。すべての局をしっかりと見比べた訳ではないのですが、NHKはたぶん一番遅かったのでは? 

放送していた大相撲からニュースに切り替わったのが約10分後。関東近郊の震度を報道した上で、渋谷の放送センター内の揺れ具合や屋上カメラからみた揺れ具合などをオンエアしていた、こんな内容は不要だな。とにかく、すばやく状況を知らせること。被害が大きくなさそうならば、通常の放送に戻ればよいので、遅かった分を取り戻そうと地震発生時のNHK内部の様子などはどうでもよい。初報はスピードが勝負だと思うのです。
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『モンゴル抵抗の戦い ~騎馬民族の世界制覇~』

2005年07月18日 | My Diary
ジンギスカンと言えば大モンゴル帝国の創始者とは知っているものの、そのモンゴル帝国について知っているようで知らない。そんな知識の欠如を補ってくれたのが『モンゴル抵抗の戦い ~騎馬民族の世界制覇~』(ロバート・マーシャル)だった。

モンゴルの遊牧民にとって、定住文明との接触が全面的に欠如していたという。3000年の歴史を誇る中国のような国家すら軽蔑の目でしか見なかったという。彼らにとって大地は、家畜を放牧する場でしかなく、その大地にへばりついて働く農民はヒツジ以上の存在ではなかったという。それがために、抵抗のそぶりを見せた都市や村は大殺戮が加えられた。農民が居なくなることで自分達の生活基盤が崩れるという通常ならば思い至る危惧とは全く掛け離れた思考回路を持つ民だったからこそ、徹底した破壊ができた。

半面、偉大なだけに外の世界にまったく興味を示さなかった中国に、新しい風を送り込んだのもモンゴル人たちだった。例えば、交易そのものはいかがわしい職業と見られていたが、砂漠の民で通商になじんでいたフビライは、商人たちに高い地位を与えたという。今で言うベンチャキャピタルとも言える仕組みを作り出し、遠い異国との通商である大キャラバンを編成できるようにしている。アラビア地域から暦法計算を取り入れた結果出来上がった「授時暦」はその後の中国の基本的な暦になり、従来は許されなかった自由な創作活動が保証されることで窯業は活発化し代表的な輸出品となる。紙幣も発行して全経済活動をコントロールすることすらなされた。モンゴル時代というと、暗黒の王朝のように思っていたのは事実と異なり、その後の中華民族の支配を正当化するための作り話だと言う。

文化よりも「征服」物語に興奮する性質として、最大の征服領土を持った王朝の行方というのが興味深かった。中国を支配した「元」、チベットあたりの「チャガイ・ハン国」、ペルシャからアラビアにかけての「イル・ハン国」、旧ソ連領土の「キプチャク・ハン国」。「イル・ハン国」は無分別な経済運営のために13世紀末に崩壊、「元」は14世紀半ばに反乱が大規模化して滅亡。この2つは他のハン国よりも都市化が進み進歩的な国だったという。モンゴル人が広大な定住社会を統治することに慣れていないがために、結果として進んだ地域から順に崩壊することになった。

残りの2つ、「キプチャク・ハン国」は15世紀初頭に分裂し、その一つのクリミヤは18世紀まで存続したという。「チャガイ・ハン国」は16世紀にインドに入りムガール帝国(ムガールはモンゴルのペルシャ語名)になる。どちらも世界史では扱われる事がない事実で、ヨーロッパ人たちからはタタールの怒りとして恐怖と脅威の思いしか残らず、中華国家にとっては征服されたという不名誉な出来事である歴史の一片が、見る立場ゆえに歪められ過小評価されていることがよく理解できた。

それにしても王朝初期は当たるに敵なしの無敵の民族が、なぜ時間の経過ととも弱くなっていくのだろうか。ローマしかり、ペルシャしかり、古代・中世中国も。勃興時のモンゴル人の強さを読み進むと、なぜに途中から急に勢いがなくなって弱くなってしなったのか、その辺りの不朽の命題にぶち当たってしまう。このあたりを、軍事戦略家が分かりやすく解説してくれるととっても面白い物語やTV番組になるんだがなぁ。
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「担当直入というのが好きなもので」

2005年07月17日 | パルプ小説を愉しむ
『鏡の迷路』(ウィリアム・ベイヤー)の主人公、ジャネック警部補が相手方弁護士との会合の場で言う台詞。
「ずいぶん無口なんですね、警部補」
ジャネックは肩をすくめた。「担当直入というのが好きなもので」


今までのもの以上に現実の場で使えそうな台詞だと感じ入り、早速メモしました。口八丁の取引先との会話、これぞと目を付けたお相手とのここぞという場での決め台詞等々、有効に使えそうな機会がいっぱいありそうな台詞です。

NY警察特捜班のジャネックは2つの事件を追っている。一つは富豪夫人の殴殺事件。何年も前に発生し、迷宮入りしたものの関係者を常に悩ませつづけている難事件。もう一つは、催眠薬を酒に混ぜて相手を眠らせて金品を盗み取るKOガールズの一人が盗んだと思わせるコンピューターチップの試作品盗難事件。北カルフォルニアのベンチャー企業から保安部長がやってきて、あれこれと聞きまわる。その保安部長自身がとっても胡散臭い輩。

2つの事件が同時並行で進むのですが、実は2つの事件には接点が何もない。単に同時に進んでいるだけなのです。片方だけではパンチに欠ける内容だが、2つあるとそれなりに話が充実するというやつです。

それでもウィリアム・ベイヤーらしく中身の濃い作品です。主人公のジャネック警部補は、犯人の意識を探りつ捜査をすすめる知能派で、デリケートな優しさを持った性格であるがために、自分の精神に負担をかけてしまう。なんと事件を解決してボロボロになってしまった最後では、自ら望んで街中を巡回するお巡りになってしまうのです。

そんなプロファイリングもどきとも言える捜査手法、KOガールズの一人の精神を蝕んでいる幼い頃の近親相姦の記憶を癒してあげる優しいジェネックの会話等々、事件とそれを解決するための謎解きに止まらない緊迫感を持った小説でありました。
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ペットボトルでロケットを作ったぞ

2005年07月03日 | My Diary
地区の子供会が主催したペットボトルロケット工作&試射の催しに小学3年生の長女を連れて参加してきました。毎年この時期に行われているイベントで、昨年も参加した長女はいたく喜び、今年の催しを心待ちにしておりました。

朝9時半に地元の小学校の体育館に集合し、1.5Lのペットボトル3本からなるロケット本体に、牛乳パックを切って作った4枚の尾翼を取り付けて完成。各自自由に飾り付けや装飾を施した上で試射。空き缶一杯ほどの水をペットボトルに入れ、そこに自転車の空気入れのような装置で空気を入れて、これまた自転車のブレーキのようなスイッチで一気に飛ばすのです。


が、小学生の工作ですので、尾翼が曲がっていたり本体が傾いていたりするために、あっちへ飛んだりこっちへ飛んだり。各自2回のチャンスがあるのですが、もっと飛ばしたいという声がしきり。そんな声にもめげず、お手伝いの人達は12時前にはすべてを終わらせて撤収してしまいました。もう1回位は飛ばせてやりたかったな。子供のみならず一緒に来ている親たちもビデオやカメラに我が子の工作を納めつつ歓声を上げていました。




子供と一緒にというより、子供の代わりに工作しているお父さんもいましたね。



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