第十三話『大海篇』はシリーズ最終話。売り手も買い手も幸せとなる商売を目指した幸の生きざまの大団円。前回から続いている吉原でも衣装比べで残念ながら二位となってしまったことを惜しまれる一方、一位となって吉原御用達となり一般庶民の手が届かなくなる店にならなかったことを良かったと思ってくれる人たちもいる。幸のみならず、菊枝も新しい意匠を凝らした笄を銀三匁という手ごろな価格で売り出して大成功する。二人に共通するのは、書い手のことも考えることと協力してくれる人たちをいつまでも大切にすること。そのために協力する人の輪が年とともに大きくなっていく。
二人を襲う不幸は、江戸の大火事と新しく出した店の権利を失うこと。元の所有者が二重に売っており、もう一人の所有者の方が書面がしっかりとしていたために幸と菊枝は店を失うことになってしまう。しかも、店の所有権を主張するもう一人とは惣ぼんこと井筒屋三代目保晴だった。幸と手代の賢輔に対して甘いと教え諭すは惣ぼん。身近と思っていた人間に裏切られたと感じる幸たちの落ち込みは大きい。そこへ大火事が江戸を襲い、人々は困窮する。そんな中でも幸は新しい知恵を出し、今度は同じ町で商売する他業種の店との協同できるようにする。言ってみれば、地域ですべてがそろうシッピングセンターか。街の区切りが分かるように店は同じ色の暖簾を出し、同じように商い商品名を掲げ、床几を使って商品を見やすく展示するようにし、しかも町内双六を開発して人々に広報宣伝していく手段も考え付く。組という同業者との信頼と協力関係に続いて、町という地理的につながった仲間との協力関係も作り出すことによって、売る方も幸せで買う方も便利で幸せとなる状況を作り出していく。女中時代に叩き込まれた商売指南の志を一生持ち続け実践していった挙句の幸せな世界がここに完成した。
一方、敵役の音羽屋は、謀書謀判の罪に問われて家財没収の上で江戸処払いとなる。その昔に泉州の生糸を違法に買い占めた折に偽名を使っていたのが判明してしまったためのお沙汰。音羽屋の謀書謀判を暴いたのがなんと惣ぼんこと井筒屋三代目保晴。幸と菊枝が騙された店売買にも音羽屋が絡んでいたことを知った惣ぼんが手を尽くして音羽屋の悪事を調べ上げて奉行所へ密告したのであった。地獄に落とした後で拾い上げる惣ぼん。やっぱり悪人ではなかったことが判明して安心。
このシリーズを読むと、不思議と幸せな気持ちになれた一方で、日本では通用するが海外で商売する上では妨げとなるのだろうと心配になることが多々あった。価格は需要と供給との関係で決まるという経済学の一般常識に反してまで書い手のことを考える値付けは、日本では美学だが愚かな商売方法と思う国も多い。商売相手を叩き潰した上で独占化価格を設定して儲けを最大化するという経営としては当たり前の考え方があるし、騙された方が悪いとするバザール商売が当たり前の地域もある。そんな国々では、幸の商売方法が上手くいかないどころか食い物にされてしまうだろう。そこそこの儲けで我慢し、回りの人たちとの三方良しの関係を築きあげられる日本という国の特異ではあるものの素晴らしさが誇らしい。
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第十二話の『出帆篇』。いよいよ属している組合が太物だけではなく呉服も扱える組合に脱皮することを決めてお上へ届け出る。冥加金千六百両という大金をふっかっけられたものの、以前鈴屋江戸本店が幕府に貸した形の上納金千五百両を相殺することを認めさせ、実質百両に値切ることに成功した。昔の上納金がここで活きてくるとは、伏線の張り方が上手だ。後は、組に属するお店すべてが呉服商いを上手にできるかどうか。智慧が武器の幸は、呉服切手という一種の商品券を考え付く。組全体で呉服切手を扱うことで、反物を運ぶ手間と労力を客に負わせなくて済むはず。でも、偽切手の出現や品の価格の差をどうするか?そこで、家内安全という文字を染め込んだ反物の販売を組で行うことを提案する。火事、地震、疫病など、数々の災害に見舞われていた江戸庶民の願いを反物に染め込むという。染め込みこそ、鈴屋江戸本店の得意技。結果はもちろん上首尾。
この話の一番の盛り上がりは、月蝕。忌み嫌われていた月蝕が起こるのだが、なぜか売られていた暦には書かれていなかった。大阪時代の知り合いの学者からの忠告を受けて、月蝕があることを予知していた幸は、新たに客となった御家人の嫁入り衣装を手伝う中、婚礼当日が月蝕の日であることを告げる。とんでもないことを言われたと憤る用人。衣装の用意は潰れてしまったが、元々はライバルの日本橋音羽屋が大手大名から手を回し、その仕事を横取りしていた。肚の中は煮えくり返るものの、御家人の用人に当たるのは不当と考え、また縁起ものの婚礼にケチがつかないように婚礼用意の仕事キャンセルを快く受け入れる。しかも、ドタキャンされた相手に月蝕があることも知らせるという新設ぶり。万が一のことを考えた両家は婚礼を一日延期し、これがこの家の婚礼を救うこととなった。しかもこの話が武家筋に広がる。逆に立場を悪くしたのが日本橋音羽屋。万事が塞翁が馬、というやつか。正直な商いが一番というこのシリーズの哲学がここでも発揮されている。
更なる商売繁盛を目指す幸たちは、吉原が行う衣装比べに参加することとなる。とは言っても、金にあかせた贅沢三昧の着物など作るつもりもない。目を付けたのは、吉原の女郎あがりの女芸者。それまでは男だけの職業だったところに、踊りや三味線、芸事が得意な年季明け女郎が、芸で身を立てないと志すが、女郎時代の着物しか持っておらずに苦戦。それを見た幸たちは、買って幸せ、売って幸せ、着て幸せを実践できるモデルを見つけたこととなったところで十二話が終わって次回へ続く。
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大河ドラマにでもなりそうな長さと内容なのだが、物語がフィクションなので大河ドラマにはならないだろう、残念ながら。
こんかいのお話は江戸の大火事が出てくる。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたことは聞いているので、火事が多かったという事実を踏まえて、幸たち語鈴屋の商売が広がっていく。綿の着物の新しい用途として浴衣を開発し広げている過程で身に着けた新しい染め方を同業者たちに公開することとした。染めるのは「火の用心」。火事が起きないようにするゲン担ぎと心の用心とを呼びかけるための柄物だが、これを組合仲間に公開して習得してもらい、一斉に売り出すこととした。折しも、綿花の不作の中音羽屋の綿買い占めにあった組合仲間は、綿生地の入手に苦労するが、「火の用心」と染め上げられた浴衣は大好評を博す。組合仲間は幸に大いに感謝。
火事で苦しむ江戸の人々の気概を高めようと勧進相撲が催される。ある年、いつも決まって年末に五鈴屋を訪れる老夫婦が来ない。心配していた幸を始め店の人々だったが、年明けに主人のみが供を引き連れて訪れる。買い物ではなく商売の相談をしに。その人は勧進相撲の興行主で(なんと話が上手い方に転がることか)、力士たちが纏う浴衣を誂えたい、ついては五鈴屋に柄を考えてもらいたいとのこと。頭をさんざんに捻った賢輔は、幕内力士には各自の四股名を、幕下力士には揃いの手形模様を考え出す。四股名の染めは夫々に工夫を凝らして異なるものとする。金に糸目は付けぬといった興行主に対して、幸は通常の価格でよいという。代わりに、生地を店売りさせてほしい。なぜなれば、贔屓にする相撲取りと同じ浴衣を纏うことで、贔屓の力士を応援したいと思う気持ちを江戸の人々は思うはず、その思いを叶えてあげたいからと。売って幸い、買って幸せの商売哲学が発揮できると。もちろん、諸手を挙げて賛同される。幸の深慮はこれで終わらずに、組合仲間に声をかけて一緒に売り出すことを申し入れる。願ってもない商売話に組合仲間は喜び協力。そして、勧進相撲の幕開けとともにその浴衣生地はバカ売れしていく。
物語の最後部分で、組合に新たに加わりたいというお店が登場。今は呉服店だが、呉服組合の高く値をつけて大いに儲けようという姿勢を疑問に感じていた丸屋だった。丸屋の商売の仕方に好意を持っていた組合仲間は参加を受け入れる方向で考えることになったその時、一人が驚くべき提案をする。丸屋は、呉服を扱ったまま太物の組合に入ってもらいたい。なぜ?と思う面々を制して、その老人は言う。呉服に加えて太物を扱うようになる丸屋に入ってもらうことで、自分たちの組合は太物の組合から呉服太物の組合に発展するべきだ。自分たちの商売もそうだが、何よりも幸たち五鈴屋が呉服商売に戻れる道を作ってあげたい。それが、2度に渡って幸たちが組合仲間に提供した商売機会に対する真っ当な恩返しになる。思わず、頭を下げる幸。そして次回へと続いていく。
美談で塗り固められた物語で心がホッコリするものの、経済学的には変だと思ってしまう。価格は需要と供給とで決まるというのが経済学の鉄則。綿生地を不足し、しかも需要が増大しているときに綿の価格を上げることになんの問題があろうか。それが火事後で困っている人が相手ということで後ろめたさがあるためだろうが、日本以外の世界規模の商売を考えると、高く売る機会を逃すようなことは考えられない。正価がなく売主と買主との駆け引きで価格が決まる中東のバザールを始め、株売買、土地売買などもそうだ。自分利益を犠牲にしてまで相手のことを考えてする商売のあり方は、世界基準では「お人よしのバカ」と見なされる。聞き心地の良い言葉でいうとナイーブ。この小説を読みながら、こんな商売を理想として考えるビジネスマンが生まれてしまったら、日本経済はたちまち食い物にされてしまうであろうという心配が心の中に広がっていくのを感じながらの読書だった。
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絹が取り扱えずに綿のみで勝負するようになった幸たちが智慧を絞って浴衣を一大ブームにしていく藩士が第十編『合流篇』。「合流」にどういう意味を入れ込んだのかまでは分からなかったが、それでも従来は湯文字としてほとんど下着としてしか扱われなかったものを、染め方と形を工夫して江戸庶民に爆発的な人気とともに受け入れられていく。夏に絹織物では暑すぎる、江戸庶民が大好きな湯でさっぱりした折角の帰り道にも汗が滴る。そんなニーズを汲み取って、涼し気で粋な柄が入った浴衣というファッションを作りだすことで幸たち五鈴屋は商売を盛り返していく。
このシリーズは、常に創意工夫を怠らず困難に立ち向かっていく幸たち主従の不屈のチャレンジ精神に加えて、自分たちの才覚に溺れることなく周りの人々を信じ、助け合う気高い精神も読みどころの一つになっている。自分が困難な時期に手を差し伸べくれた人の恩を忘れずに、相手が困ったときには損得勘定を抜きにして援助する。そうして人と人の和が繋がって、商売のみならず人としての生きざまも豊かになっていく、そんな精神がシリーズの根底にあることが今の世知辛い世で暮らしている今の人々にとってのひと時の憩いを提供している。単にストーリーを追いかける物語で終わらないところに惹かれている自分に遅まきながら気付いた。
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第八編『瀑布篇』では、幸が考案した小紋染めが江戸町人に大いにうけて人気商品となり、五鈴屋は益々の発展を遂げる。ところが、あまりの人気に目を付けられた結果、幕府から1500両もの御用金を命じられてしまう。運あれば不運あり。一方的な申し入れだが、幕府からの命令である以上拒むことはできない。御用金支払いのために高利で両替商から借り入れして金利を支払うのも馬鹿らしく、金利の支払いが後々の五鈴屋の首を絞めかねないことを恐れた幸は、1500両の3年分割払いを申し出る。前例のない申し出ではあったが、借り入れして発生する金利の半分に相当する金額を上乗せすることを交換条件として出したことで、幕府側にも利があることとなって受け入れられる。
以前から付き合いのある両替商に挨拶にいった際に、挨拶がしたいと望む同業の両替商に引き合わされる。実は、その両替商は5代目店主の惣次だった。大阪で行方を絶った後に江戸で出てきて、両替商に婿入りして店を繁盛させている遣り手とのこと。その場で惣次は、御用金の下命には裏で糸を引く悪い奴がいると仄めかす。以前、大手の両替商である音羽屋の主人が結を見染め、是非後沿いにとの申し入れがあったのだが、音羽屋の主人は父親ほど年が離れているだけではなく、結をねっとりと眺める目つきが気に入らずに幸は断っていた。その音羽屋が黒幕かもと疑う幸。疑念は残る中、音羽屋に遊びに行った結は主人からちゃんとしたもてなしを受けてまんざらでもない。でも、結は手代の賢輔と添いたいと願っている。姉の幸もそれを望みつつも、賢輔の才覚を見込んでいる幸は、賢輔を次の五鈴屋の主人にしようと考えており、まだ嫁とりの時期ではないと判断する。その判断に不服な結は、ある日家を出てしまう。五十鈴屋にとって大切な新しい小紋柄の型紙も一緒に消えてしまっていたことが判明したところで第八編『瀑布篇』が終わり、第九編の『淵泉篇』へと続く。
これまでになかった十二支を象った小紋柄の型紙は、五鈴屋にとってこの上ない大切な財産。結は勝手に持ち出して、事もあろうか音羽屋に身を寄せていた。好いた賢輔と一緒になれず、姉ほどの能力もないことが引け目になっていた結は、音羽屋の力と型紙を使って自分なりに勝負しようと考えた結果だった。音羽屋が借金のカタにとった呉服屋の女主として、結は日本橋で呉服商売を始める。五鈴屋で培った才覚と新しい小紋柄を大いに受けて、店は好調。十二支を象った小紋柄の型紙には細工が施されており、「五」「金」「令」が十二支の文字の中に隠されていた。これを知った結は、両替商の寄合の席で音羽屋主人が新しい柄物の反物を仲間内に配った際に種明かしをする。五と金と令で「五鈴」。自分は五鈴屋主の妹であると名乗り、反物の柄である十二支を染めた型紙は姉が「婚資」として持たせてくれたものと言う。これは、音羽屋の中での自分の地位を固めるために結なりに考えたことであった。
「嫁資として持たせた」美談が、江戸っ子にうけて、五鈴屋で売り出した同じ十二支の小紋反物も売れ行き好調。両店ともウィン-ウィンになったわけだが、五鈴屋が寄合から除名されるという事件が起きてしまう。ある大名家から受けた100反の購入依頼が、同業者の顧客を奪ったと言われ、寄合のルールに基づき除名されてしまう。除名されてしまったからには商売を続けるわけにはいかない。福久の法要の折に出会わせた惣次は、自分たちで寄合を作ればよいとアドバイスされ助かる道が見つかる。仲間が見つかるまでに間は、呉服の商いを中止して太物(綿)だけの商いとすることにする。絹と綿では単価が違い過ぎるために、売上は大幅減少するものの、幸を中心に五鈴屋の手代たちは結束して困難に立ち向かう。そんな中でも工夫を忘れない幸。綿の良さを活かせる道があるはずと必死に考える。そして、辿り着いたのが浴衣。寝巻であって人前に出られるような着物ではない浴衣だったが、工夫をすれば可能性が開けるのではと必死で考え、工夫に工夫を重ねるところで第九編『淵泉篇』が終わって、次へと続く。
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第七編は『碧流篇』 江戸の田原町店が本格的に商いを始める。目の前の時代の流れを追いつつも時代の流れに流されない大局観をもって、「蟻の目と鶚の目」の両方を持てと言った元番頭の戒めを忘れずに。「蟻の目」でやったことは、帯の愉しみ方を教える催しを毎月14日に開催し、次第次第に客を増やしていったこと。「鶚の目」としてやったことは、武士のものであった小紋を町人用の反物に取り入れること。しかも、五鈴屋のトレードマークともいれる鈴を小紋にすることにした。
アイデアは、それを実現しなければ意味はない。小紋を染め上げるためには、型紙と腕の良い染め師が必要。型紙は以前から取引があった伊勢が名産だったので、手代を送り込むことで入手できた。そして、開店の際に反物展示用の撞木を作ってくれた指物師の義兄が腕の良い染め師であることが分かる。しかも、その妻は毎月の帯の催し物に常連客という好都合だったので、さっそく依頼に行くとあっさりと断られる。指物師の力蔵は、同じ染め師であった父親を染め物の事件ゆえに失っており、それが理由で型染を頑なに拒んでいる。それでも、何とか依頼したい幸は手を尽くす。ある日、見てもらおうとした小鈴模様の型紙を力蔵が邪険に振り払う。持ってきた型紙と入れ物の箱が土間に落ちる。ころもあろうか、箱のふたに張り付いた型紙が、綺麗な小鈴の文様を映し出す。思わず見惚れる力蔵。亡き父親のために武士用の型染から一切手を引いた力蔵だったが、新しい小紋染めは町人のためと聞いて、ついに協力を約束する。ここの場面は、第七編の中での愁眉ですね。ゾクゾクしているシーンです。
出来上がった染め物は、当時の歌舞伎の第一人者の中村富五郎が是非使いたいという。江戸紫に小鈴の小紋を散らした反物で誂えた衣装で、一世一代の出し物となる「娘道成寺」興行前のお練りをするのだという。願ってもない幸運。その時、富五郎が一つ注文を出す。仕立てを幸とお竹に任せたいと。去り際に富五郎が言う。昔売れる前の時代、芸で色々と悩んでいた頃に二人の友がいたという。一人は人形浄瑠璃師、もう一人は貸本屋に居候しながら戯作を書こうと散々苦労していたものの芽が出ることはなく自分の夢を捨て去ったのだという。それを聞いて茫然とする幸とお竹。運命の歯車が音を立てて嵌った瞬間だ。お練りの日、出来上がった着物を着た富五郎がそっと呟く。
「一緒やで、智やん」
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第五話『転流篇』では、無事に桔梗屋の買取が進む。小が大を飲みこむことで五鈴屋は繁盛する切っ掛けを掴む。更なる成長をもたらしたものは、帯への着目だった。それまでは、絹織物の反物は薦めるが、帯については品揃えも知識も少なかった呉服屋から脱して、手持ちの着物を違った愉しみ方で着こなしてもらえるよう帯の商いに入り込んでいく。「着物一枚に帯三本」と言っていた先代のお家さんの言葉をヒントに、新しい商売を切り開いていく。どんな着物にどんな帯を合うか、年にあった帯の結び方は何か、帯に関する様々な知識を店で働く全員が学んでいく。ここになって、女衆の最年長のお竹どんの知識が活きてくる。母親が死んで引き取った妹の結とお竹どんが手代と一緒に客訪問し、モデルとなって帯の営業を進めていく。更には、2枚の帯を重ね、しかも片方の端には五鈴屋の印である鈴をあしらうことで、女性受けする可愛らしさと他店に真似されない工夫もほどこす。この帯を「五鈴帯」と名づけ、流行りつつあった歌舞伎の忠臣蔵を宣伝のために使うことまでする。お軽役の役者に衣装を無償提供する代わりに、「五鈴帯」を舞台上で言ってもらう。初日の小屋の外の道頓堀に掛かる橋の上に、「五鈴帯」と記した提灯を掲げた手代たち。それを見た観劇帰りの人々が何事かと思っているところに、「五鈴帯」をつけた10人の若い娘たちが両脇に提灯が並ぶ橋を渡る。帯には、歌舞伎の中でお軽が付けていたのと同じ「五鈴帯」。まるで、ランウェイを歩くファッションモデルのよう。この場面は、鳥肌が立つほどに臨場感豊かで劇的。これで一挙に「五鈴帯」の人気に火がつく。そしていよいよ江戸への出店を考えようかというところに、六代目店主の急逝という大事件が起こる。
第六話『本流篇』では、いよいよ江戸に出店する。俵町に小ぶりの店を居抜きが買い取り、じっくりと時間をかけて開店の準備を進める。ここで採用した宣伝手法が手ぬぐい。店の暖簾に合わせた色にトレードマークの鈴と店名を染めた手ぬぐいを、あちらこちらの神社仏閣の手水舎に置くことで、人々の目に止まるようにしただけではなく興味関心までもかき立てようという作戦。この作戦は当たり、人々が田原町五鈴屋を噂しだした年末の12月14日、赤穂浪士討ち入りの日に万難を排して開店。道行く人々が惹きつけられるように店内へと誘われる。大阪とは違って、店前現金売りのために反物が見やすいようにディスプレイされ、手頃なお値段と丁寧は接客で人々の話題と関心を惹きつける。
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第三話『奔流篇』では、商いが大好きな次男の惣次と一緒になった幸が、夫婦力を合わせて店を立て直す。貸本の空きスペースに店名を刷り込んだり、上等な傘に店名と屋号の鈴をあしらって人気を博す。今でいう広告を江戸時代にやってしまった幸の頭のよさ。そこに惣次の商才と努力で益々上向きになったのもつかの間、利だけを追求して情を忘れてしまった惣次が、五鈴屋発展の起爆剤と見込んだ上質な糸を作り出す村から商売を断れてしまう。
五鈴屋の店主がこの男で居る限りは、お断りや。私ら江州者は、不実な輩とはよう付き合わん
と宣言されてしまう。そして幸が五鈴屋の主なら取引するという。
そして第四話『貫流篇』では、店主の惣次が店をでたまま行方不明になり、やがては隠居し妻の幸を離縁するという知らせが届く。自らの不始末を自らの手で解決しようとした惣次の考えた末の結論であり、店には決して近づくこともない。主のいない店のままではやっていかれず、やむを得ず戯作者になろうと貸本屋に居候していた三男を後継ぎに据える。9年間努力して人気戯作を書くことが出来なかった智蔵も、自分の才能に見切りをつけ店に戻ってくる。だが、商才がないことを誰よりも知っている本人は、幸の操り人形になると宣言する。自分はあくまでも人形、実際に商いを差配するのは女房の幸。三兄弟に続けて嫁ぐこととなった幸は、覚悟を決めて今まで以上に商売に取り組む。そんな最中、五鈴屋に同情的で陰ながら助けてくれていた桔梗屋に買い取りの話がでる。高齢で後継ぎもいない桔梗屋の主は真澄屋の話に乗るものの、手付が払われた直後に約定が覆されることに。憤る桔梗屋だが、真澄屋は引かない。嫌だったら手付金を返せと迫る。手付金を使ってしまった桔梗屋は何ともできずに困っている寄合の席で、幸は真澄屋に対抗して桔梗屋買い上げに名乗りを上げる。物語を盛り上げに盛り上げたところで、第五話へ。
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第二話『早瀬篇』ではお話しがさらに進展する。四代目主人の徳兵衛に愛想を尽かして実家に戻った菊栄の持参金35両を返すために、同業者の仲間から金を借りた五鈴屋は、近々のうちに主人に後妻を見つけて身を固め、商売に身を入れられるようにすることを条件とさせられる。相も変わらず悪所通いが収まらずに悪評が立っている四代目の元に来てくれる良縁など見込めるわけもない。番頭の治兵衛が考えた最後の一手が、女衆の幸を嫁に迎えるというもの。消去法の選択でもありながら、幸の頭の良さと根気、人柄を見込んだが故の大決断をすることとなった。
当初はその気もなかった幸だが、卒中風で半身不随の寝たきりになってしまった番頭から、
今は商い戦国時代。お前はんは、その戦国時代で戦国武将になれる器、
と諭されて幸は心を決める。名のある店の娘ではなく、女中である女衆を嫁に迎える以上、同業の仲間たちの承認がいる。寄合に出かけていく幸の姿、心持ち、そして寄合での立ち振る舞い、ここが第二話の山場と言える。反物の商品知識について質問されても、知らないで押し通し、最後には商売をする上で知識よりも大切なものは心得であると、奉公に上がった当初に番頭から叩き込まれた「商売往来」を一つの間違いもなく諳んじることで同業者たちの度肝を抜き、嫁として認めさせる場面は心が沸き踊る。1時間ドラマであれば、45分くらい経過したところで登場する大いなる見せ場といったところ。
無事に五鈴屋の嫁となった幸は、商いについて学んでいく。商品の素材、色、織り方、そして売り方そのものまで。新しい目で見るがゆえに、今までの当たり前が当たり前でなくなってくる。学び続ける幸だったが、主の徳兵衛が堀に落ちて死んでしまう。ただでさえ先行きが暗い店がどうなるか。他の大店の婿に行く予定だった次男が店を継ぐことになるが、その次男が出した条件は幸を嫁とすること。この次男は見た目も悪く堅物だが、真面目一本で商才ある。この次男が店立て直しのパートナーとして幸を見込んだところで第二話が終わり、次へと続く。盛り上げに盛り上げてから、この続きは第三話でとなるお話しの繋げ方も上手です。
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寝たきりになった番頭から幸が教わるシーン。
「知恵は何もないところからは生まれはしまへん。知識、いう蓄えがあってこそ、しぼりだせるんが知恵だすのや。商いの知恵だけやない、生き抜くためのどんな知恵も、そないして生まれる、と私は思うてます」
なるほどな、と思わせてくれる台詞があることも商売をネタにした物語としての厚みを増してくれる。そして、嫁に迎えられることになった幸は、御寮さんに相応しい身なりもするようになる。ある時は
扇面松を散らした金茶色の綸子の着物、
ある時は
瑠璃紺に光琳波の晴れ着と白藍の帯、
ある時は
白地に青竹色の細縞を織り込んだ明石縮の単衣に萱草色の帯、そして紅鬱金色の紙入れ、
こんな具合に折に触れて上物の着物の描写が出てくる。読んでいてもピンとは来ない着物の世界だが、どんな模様や柄なのか、どんな織りなのかを想像する愉しみも出てきた。決して若い頃だったら愉しめなかったであろう読書の愉しみになっている。
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高田郁というと『みをつくし料理帳』がまず思い浮かぶが、その高田郁が著した長編小説が『あきない世傳 金と銀』
享保の改革が行われていた頃、摂津の国で生まれ育った幸という一人の女の子が、幼くして生家から離れて大阪の呉服屋「五鈴屋」で住み込み女衆として働きだす中、持って生まれた賢さが周りから認められて、女ながら商売の道を歩むことができるのか。第一作目のタイトルが『源流編』 源ということで、幸の生い立ちから奉公が始まり、商いの世界でどう生きていけるようになるか、その裏にある父からの「商は詐」という考え方から脱することができるのか、さらりとしたお話しのスタートでありながらも、幸を巡るテーマが色々と出されている。
このお話しの見どころは、女に教養など不要と言われた江戸時代中期に、学者の娘として生を受けて学問したいという希望があったにも拘わらず、家庭の事情で女衆として奉公に出される不遇をどのような努力で克服するのか、また周りの人たちの温かい支援と酷い仕打ちとが両存する中での人情の機微、そして資本主義として金儲けが当たり前の時代から見ると荒唐無稽とも思われるこの時代にあった「商は詐」という考え方を幸がどのように折り合いをつけるのか、そして金儲けにどのような手法と哲学と見出すのか、というところにありそうだ。
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慣れない奉公先で緊張するとともに気持ちが萎えてしまっている幸に、店の番頭がこう声をかける。
ひとというのは難儀なもんでものごとを悪い方へ悪い方へと、つい考えてしまう。それが癖になると、自分から悪い結果を引き寄せてしまうもんだすのや。断ち切るためにも、笑うた方が宜しいで。
そのとおりですね。ついつい悲観的になったり、自分で自分を憐れんだりしている内に状況はますます悪化するなんてよくあることですからね。自分の未来は自分で切り拓く、と考えると過去に捉われているのは無駄。前を向いて進むためには、笑うことが必要。そんな人生観ですかね。
二人を襲う不幸は、江戸の大火事と新しく出した店の権利を失うこと。元の所有者が二重に売っており、もう一人の所有者の方が書面がしっかりとしていたために幸と菊枝は店を失うことになってしまう。しかも、店の所有権を主張するもう一人とは惣ぼんこと井筒屋三代目保晴だった。幸と手代の賢輔に対して甘いと教え諭すは惣ぼん。身近と思っていた人間に裏切られたと感じる幸たちの落ち込みは大きい。そこへ大火事が江戸を襲い、人々は困窮する。そんな中でも幸は新しい知恵を出し、今度は同じ町で商売する他業種の店との協同できるようにする。言ってみれば、地域ですべてがそろうシッピングセンターか。街の区切りが分かるように店は同じ色の暖簾を出し、同じように商い商品名を掲げ、床几を使って商品を見やすく展示するようにし、しかも町内双六を開発して人々に広報宣伝していく手段も考え付く。組という同業者との信頼と協力関係に続いて、町という地理的につながった仲間との協力関係も作り出すことによって、売る方も幸せで買う方も便利で幸せとなる状況を作り出していく。女中時代に叩き込まれた商売指南の志を一生持ち続け実践していった挙句の幸せな世界がここに完成した。
一方、敵役の音羽屋は、謀書謀判の罪に問われて家財没収の上で江戸処払いとなる。その昔に泉州の生糸を違法に買い占めた折に偽名を使っていたのが判明してしまったためのお沙汰。音羽屋の謀書謀判を暴いたのがなんと惣ぼんこと井筒屋三代目保晴。幸と菊枝が騙された店売買にも音羽屋が絡んでいたことを知った惣ぼんが手を尽くして音羽屋の悪事を調べ上げて奉行所へ密告したのであった。地獄に落とした後で拾い上げる惣ぼん。やっぱり悪人ではなかったことが判明して安心。
このシリーズを読むと、不思議と幸せな気持ちになれた一方で、日本では通用するが海外で商売する上では妨げとなるのだろうと心配になることが多々あった。価格は需要と供給との関係で決まるという経済学の一般常識に反してまで書い手のことを考える値付けは、日本では美学だが愚かな商売方法と思う国も多い。商売相手を叩き潰した上で独占化価格を設定して儲けを最大化するという経営としては当たり前の考え方があるし、騙された方が悪いとするバザール商売が当たり前の地域もある。そんな国々では、幸の商売方法が上手くいかないどころか食い物にされてしまうだろう。そこそこの儲けで我慢し、回りの人たちとの三方良しの関係を築きあげられる日本という国の特異ではあるものの素晴らしさが誇らしい。
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第十二話の『出帆篇』。いよいよ属している組合が太物だけではなく呉服も扱える組合に脱皮することを決めてお上へ届け出る。冥加金千六百両という大金をふっかっけられたものの、以前鈴屋江戸本店が幕府に貸した形の上納金千五百両を相殺することを認めさせ、実質百両に値切ることに成功した。昔の上納金がここで活きてくるとは、伏線の張り方が上手だ。後は、組に属するお店すべてが呉服商いを上手にできるかどうか。智慧が武器の幸は、呉服切手という一種の商品券を考え付く。組全体で呉服切手を扱うことで、反物を運ぶ手間と労力を客に負わせなくて済むはず。でも、偽切手の出現や品の価格の差をどうするか?そこで、家内安全という文字を染め込んだ反物の販売を組で行うことを提案する。火事、地震、疫病など、数々の災害に見舞われていた江戸庶民の願いを反物に染め込むという。染め込みこそ、鈴屋江戸本店の得意技。結果はもちろん上首尾。
この話の一番の盛り上がりは、月蝕。忌み嫌われていた月蝕が起こるのだが、なぜか売られていた暦には書かれていなかった。大阪時代の知り合いの学者からの忠告を受けて、月蝕があることを予知していた幸は、新たに客となった御家人の嫁入り衣装を手伝う中、婚礼当日が月蝕の日であることを告げる。とんでもないことを言われたと憤る用人。衣装の用意は潰れてしまったが、元々はライバルの日本橋音羽屋が大手大名から手を回し、その仕事を横取りしていた。肚の中は煮えくり返るものの、御家人の用人に当たるのは不当と考え、また縁起ものの婚礼にケチがつかないように婚礼用意の仕事キャンセルを快く受け入れる。しかも、ドタキャンされた相手に月蝕があることも知らせるという新設ぶり。万が一のことを考えた両家は婚礼を一日延期し、これがこの家の婚礼を救うこととなった。しかもこの話が武家筋に広がる。逆に立場を悪くしたのが日本橋音羽屋。万事が塞翁が馬、というやつか。正直な商いが一番というこのシリーズの哲学がここでも発揮されている。
更なる商売繁盛を目指す幸たちは、吉原が行う衣装比べに参加することとなる。とは言っても、金にあかせた贅沢三昧の着物など作るつもりもない。目を付けたのは、吉原の女郎あがりの女芸者。それまでは男だけの職業だったところに、踊りや三味線、芸事が得意な年季明け女郎が、芸で身を立てないと志すが、女郎時代の着物しか持っておらずに苦戦。それを見た幸たちは、買って幸せ、売って幸せ、着て幸せを実践できるモデルを見つけたこととなったところで十二話が終わって次回へ続く。
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大河ドラマにでもなりそうな長さと内容なのだが、物語がフィクションなので大河ドラマにはならないだろう、残念ながら。
こんかいのお話は江戸の大火事が出てくる。「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたことは聞いているので、火事が多かったという事実を踏まえて、幸たち語鈴屋の商売が広がっていく。綿の着物の新しい用途として浴衣を開発し広げている過程で身に着けた新しい染め方を同業者たちに公開することとした。染めるのは「火の用心」。火事が起きないようにするゲン担ぎと心の用心とを呼びかけるための柄物だが、これを組合仲間に公開して習得してもらい、一斉に売り出すこととした。折しも、綿花の不作の中音羽屋の綿買い占めにあった組合仲間は、綿生地の入手に苦労するが、「火の用心」と染め上げられた浴衣は大好評を博す。組合仲間は幸に大いに感謝。
火事で苦しむ江戸の人々の気概を高めようと勧進相撲が催される。ある年、いつも決まって年末に五鈴屋を訪れる老夫婦が来ない。心配していた幸を始め店の人々だったが、年明けに主人のみが供を引き連れて訪れる。買い物ではなく商売の相談をしに。その人は勧進相撲の興行主で(なんと話が上手い方に転がることか)、力士たちが纏う浴衣を誂えたい、ついては五鈴屋に柄を考えてもらいたいとのこと。頭をさんざんに捻った賢輔は、幕内力士には各自の四股名を、幕下力士には揃いの手形模様を考え出す。四股名の染めは夫々に工夫を凝らして異なるものとする。金に糸目は付けぬといった興行主に対して、幸は通常の価格でよいという。代わりに、生地を店売りさせてほしい。なぜなれば、贔屓にする相撲取りと同じ浴衣を纏うことで、贔屓の力士を応援したいと思う気持ちを江戸の人々は思うはず、その思いを叶えてあげたいからと。売って幸い、買って幸せの商売哲学が発揮できると。もちろん、諸手を挙げて賛同される。幸の深慮はこれで終わらずに、組合仲間に声をかけて一緒に売り出すことを申し入れる。願ってもない商売話に組合仲間は喜び協力。そして、勧進相撲の幕開けとともにその浴衣生地はバカ売れしていく。
物語の最後部分で、組合に新たに加わりたいというお店が登場。今は呉服店だが、呉服組合の高く値をつけて大いに儲けようという姿勢を疑問に感じていた丸屋だった。丸屋の商売の仕方に好意を持っていた組合仲間は参加を受け入れる方向で考えることになったその時、一人が驚くべき提案をする。丸屋は、呉服を扱ったまま太物の組合に入ってもらいたい。なぜ?と思う面々を制して、その老人は言う。呉服に加えて太物を扱うようになる丸屋に入ってもらうことで、自分たちの組合は太物の組合から呉服太物の組合に発展するべきだ。自分たちの商売もそうだが、何よりも幸たち五鈴屋が呉服商売に戻れる道を作ってあげたい。それが、2度に渡って幸たちが組合仲間に提供した商売機会に対する真っ当な恩返しになる。思わず、頭を下げる幸。そして次回へと続いていく。
美談で塗り固められた物語で心がホッコリするものの、経済学的には変だと思ってしまう。価格は需要と供給とで決まるというのが経済学の鉄則。綿生地を不足し、しかも需要が増大しているときに綿の価格を上げることになんの問題があろうか。それが火事後で困っている人が相手ということで後ろめたさがあるためだろうが、日本以外の世界規模の商売を考えると、高く売る機会を逃すようなことは考えられない。正価がなく売主と買主との駆け引きで価格が決まる中東のバザールを始め、株売買、土地売買などもそうだ。自分利益を犠牲にしてまで相手のことを考えてする商売のあり方は、世界基準では「お人よしのバカ」と見なされる。聞き心地の良い言葉でいうとナイーブ。この小説を読みながら、こんな商売を理想として考えるビジネスマンが生まれてしまったら、日本経済はたちまち食い物にされてしまうであろうという心配が心の中に広がっていくのを感じながらの読書だった。
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絹が取り扱えずに綿のみで勝負するようになった幸たちが智慧を絞って浴衣を一大ブームにしていく藩士が第十編『合流篇』。「合流」にどういう意味を入れ込んだのかまでは分からなかったが、それでも従来は湯文字としてほとんど下着としてしか扱われなかったものを、染め方と形を工夫して江戸庶民に爆発的な人気とともに受け入れられていく。夏に絹織物では暑すぎる、江戸庶民が大好きな湯でさっぱりした折角の帰り道にも汗が滴る。そんなニーズを汲み取って、涼し気で粋な柄が入った浴衣というファッションを作りだすことで幸たち五鈴屋は商売を盛り返していく。
このシリーズは、常に創意工夫を怠らず困難に立ち向かっていく幸たち主従の不屈のチャレンジ精神に加えて、自分たちの才覚に溺れることなく周りの人々を信じ、助け合う気高い精神も読みどころの一つになっている。自分が困難な時期に手を差し伸べくれた人の恩を忘れずに、相手が困ったときには損得勘定を抜きにして援助する。そうして人と人の和が繋がって、商売のみならず人としての生きざまも豊かになっていく、そんな精神がシリーズの根底にあることが今の世知辛い世で暮らしている今の人々にとってのひと時の憩いを提供している。単にストーリーを追いかける物語で終わらないところに惹かれている自分に遅まきながら気付いた。
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第八編『瀑布篇』では、幸が考案した小紋染めが江戸町人に大いにうけて人気商品となり、五鈴屋は益々の発展を遂げる。ところが、あまりの人気に目を付けられた結果、幕府から1500両もの御用金を命じられてしまう。運あれば不運あり。一方的な申し入れだが、幕府からの命令である以上拒むことはできない。御用金支払いのために高利で両替商から借り入れして金利を支払うのも馬鹿らしく、金利の支払いが後々の五鈴屋の首を絞めかねないことを恐れた幸は、1500両の3年分割払いを申し出る。前例のない申し出ではあったが、借り入れして発生する金利の半分に相当する金額を上乗せすることを交換条件として出したことで、幕府側にも利があることとなって受け入れられる。
以前から付き合いのある両替商に挨拶にいった際に、挨拶がしたいと望む同業の両替商に引き合わされる。実は、その両替商は5代目店主の惣次だった。大阪で行方を絶った後に江戸で出てきて、両替商に婿入りして店を繁盛させている遣り手とのこと。その場で惣次は、御用金の下命には裏で糸を引く悪い奴がいると仄めかす。以前、大手の両替商である音羽屋の主人が結を見染め、是非後沿いにとの申し入れがあったのだが、音羽屋の主人は父親ほど年が離れているだけではなく、結をねっとりと眺める目つきが気に入らずに幸は断っていた。その音羽屋が黒幕かもと疑う幸。疑念は残る中、音羽屋に遊びに行った結は主人からちゃんとしたもてなしを受けてまんざらでもない。でも、結は手代の賢輔と添いたいと願っている。姉の幸もそれを望みつつも、賢輔の才覚を見込んでいる幸は、賢輔を次の五鈴屋の主人にしようと考えており、まだ嫁とりの時期ではないと判断する。その判断に不服な結は、ある日家を出てしまう。五十鈴屋にとって大切な新しい小紋柄の型紙も一緒に消えてしまっていたことが判明したところで第八編『瀑布篇』が終わり、第九編の『淵泉篇』へと続く。
これまでになかった十二支を象った小紋柄の型紙は、五鈴屋にとってこの上ない大切な財産。結は勝手に持ち出して、事もあろうか音羽屋に身を寄せていた。好いた賢輔と一緒になれず、姉ほどの能力もないことが引け目になっていた結は、音羽屋の力と型紙を使って自分なりに勝負しようと考えた結果だった。音羽屋が借金のカタにとった呉服屋の女主として、結は日本橋で呉服商売を始める。五鈴屋で培った才覚と新しい小紋柄を大いに受けて、店は好調。十二支を象った小紋柄の型紙には細工が施されており、「五」「金」「令」が十二支の文字の中に隠されていた。これを知った結は、両替商の寄合の席で音羽屋主人が新しい柄物の反物を仲間内に配った際に種明かしをする。五と金と令で「五鈴」。自分は五鈴屋主の妹であると名乗り、反物の柄である十二支を染めた型紙は姉が「婚資」として持たせてくれたものと言う。これは、音羽屋の中での自分の地位を固めるために結なりに考えたことであった。
「嫁資として持たせた」美談が、江戸っ子にうけて、五鈴屋で売り出した同じ十二支の小紋反物も売れ行き好調。両店ともウィン-ウィンになったわけだが、五鈴屋が寄合から除名されるという事件が起きてしまう。ある大名家から受けた100反の購入依頼が、同業者の顧客を奪ったと言われ、寄合のルールに基づき除名されてしまう。除名されてしまったからには商売を続けるわけにはいかない。福久の法要の折に出会わせた惣次は、自分たちで寄合を作ればよいとアドバイスされ助かる道が見つかる。仲間が見つかるまでに間は、呉服の商いを中止して太物(綿)だけの商いとすることにする。絹と綿では単価が違い過ぎるために、売上は大幅減少するものの、幸を中心に五鈴屋の手代たちは結束して困難に立ち向かう。そんな中でも工夫を忘れない幸。綿の良さを活かせる道があるはずと必死に考える。そして、辿り着いたのが浴衣。寝巻であって人前に出られるような着物ではない浴衣だったが、工夫をすれば可能性が開けるのではと必死で考え、工夫に工夫を重ねるところで第九編『淵泉篇』が終わって、次へと続く。
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第七編は『碧流篇』 江戸の田原町店が本格的に商いを始める。目の前の時代の流れを追いつつも時代の流れに流されない大局観をもって、「蟻の目と鶚の目」の両方を持てと言った元番頭の戒めを忘れずに。「蟻の目」でやったことは、帯の愉しみ方を教える催しを毎月14日に開催し、次第次第に客を増やしていったこと。「鶚の目」としてやったことは、武士のものであった小紋を町人用の反物に取り入れること。しかも、五鈴屋のトレードマークともいれる鈴を小紋にすることにした。
アイデアは、それを実現しなければ意味はない。小紋を染め上げるためには、型紙と腕の良い染め師が必要。型紙は以前から取引があった伊勢が名産だったので、手代を送り込むことで入手できた。そして、開店の際に反物展示用の撞木を作ってくれた指物師の義兄が腕の良い染め師であることが分かる。しかも、その妻は毎月の帯の催し物に常連客という好都合だったので、さっそく依頼に行くとあっさりと断られる。指物師の力蔵は、同じ染め師であった父親を染め物の事件ゆえに失っており、それが理由で型染を頑なに拒んでいる。それでも、何とか依頼したい幸は手を尽くす。ある日、見てもらおうとした小鈴模様の型紙を力蔵が邪険に振り払う。持ってきた型紙と入れ物の箱が土間に落ちる。ころもあろうか、箱のふたに張り付いた型紙が、綺麗な小鈴の文様を映し出す。思わず見惚れる力蔵。亡き父親のために武士用の型染から一切手を引いた力蔵だったが、新しい小紋染めは町人のためと聞いて、ついに協力を約束する。ここの場面は、第七編の中での愁眉ですね。ゾクゾクしているシーンです。
出来上がった染め物は、当時の歌舞伎の第一人者の中村富五郎が是非使いたいという。江戸紫に小鈴の小紋を散らした反物で誂えた衣装で、一世一代の出し物となる「娘道成寺」興行前のお練りをするのだという。願ってもない幸運。その時、富五郎が一つ注文を出す。仕立てを幸とお竹に任せたいと。去り際に富五郎が言う。昔売れる前の時代、芸で色々と悩んでいた頃に二人の友がいたという。一人は人形浄瑠璃師、もう一人は貸本屋に居候しながら戯作を書こうと散々苦労していたものの芽が出ることはなく自分の夢を捨て去ったのだという。それを聞いて茫然とする幸とお竹。運命の歯車が音を立てて嵌った瞬間だ。お練りの日、出来上がった着物を着た富五郎がそっと呟く。
「一緒やで、智やん」
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第五話『転流篇』では、無事に桔梗屋の買取が進む。小が大を飲みこむことで五鈴屋は繁盛する切っ掛けを掴む。更なる成長をもたらしたものは、帯への着目だった。それまでは、絹織物の反物は薦めるが、帯については品揃えも知識も少なかった呉服屋から脱して、手持ちの着物を違った愉しみ方で着こなしてもらえるよう帯の商いに入り込んでいく。「着物一枚に帯三本」と言っていた先代のお家さんの言葉をヒントに、新しい商売を切り開いていく。どんな着物にどんな帯を合うか、年にあった帯の結び方は何か、帯に関する様々な知識を店で働く全員が学んでいく。ここになって、女衆の最年長のお竹どんの知識が活きてくる。母親が死んで引き取った妹の結とお竹どんが手代と一緒に客訪問し、モデルとなって帯の営業を進めていく。更には、2枚の帯を重ね、しかも片方の端には五鈴屋の印である鈴をあしらうことで、女性受けする可愛らしさと他店に真似されない工夫もほどこす。この帯を「五鈴帯」と名づけ、流行りつつあった歌舞伎の忠臣蔵を宣伝のために使うことまでする。お軽役の役者に衣装を無償提供する代わりに、「五鈴帯」を舞台上で言ってもらう。初日の小屋の外の道頓堀に掛かる橋の上に、「五鈴帯」と記した提灯を掲げた手代たち。それを見た観劇帰りの人々が何事かと思っているところに、「五鈴帯」をつけた10人の若い娘たちが両脇に提灯が並ぶ橋を渡る。帯には、歌舞伎の中でお軽が付けていたのと同じ「五鈴帯」。まるで、ランウェイを歩くファッションモデルのよう。この場面は、鳥肌が立つほどに臨場感豊かで劇的。これで一挙に「五鈴帯」の人気に火がつく。そしていよいよ江戸への出店を考えようかというところに、六代目店主の急逝という大事件が起こる。
第六話『本流篇』では、いよいよ江戸に出店する。俵町に小ぶりの店を居抜きが買い取り、じっくりと時間をかけて開店の準備を進める。ここで採用した宣伝手法が手ぬぐい。店の暖簾に合わせた色にトレードマークの鈴と店名を染めた手ぬぐいを、あちらこちらの神社仏閣の手水舎に置くことで、人々の目に止まるようにしただけではなく興味関心までもかき立てようという作戦。この作戦は当たり、人々が田原町五鈴屋を噂しだした年末の12月14日、赤穂浪士討ち入りの日に万難を排して開店。道行く人々が惹きつけられるように店内へと誘われる。大阪とは違って、店前現金売りのために反物が見やすいようにディスプレイされ、手頃なお値段と丁寧は接客で人々の話題と関心を惹きつける。
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第三話『奔流篇』では、商いが大好きな次男の惣次と一緒になった幸が、夫婦力を合わせて店を立て直す。貸本の空きスペースに店名を刷り込んだり、上等な傘に店名と屋号の鈴をあしらって人気を博す。今でいう広告を江戸時代にやってしまった幸の頭のよさ。そこに惣次の商才と努力で益々上向きになったのもつかの間、利だけを追求して情を忘れてしまった惣次が、五鈴屋発展の起爆剤と見込んだ上質な糸を作り出す村から商売を断れてしまう。
五鈴屋の店主がこの男で居る限りは、お断りや。私ら江州者は、不実な輩とはよう付き合わん
と宣言されてしまう。そして幸が五鈴屋の主なら取引するという。
そして第四話『貫流篇』では、店主の惣次が店をでたまま行方不明になり、やがては隠居し妻の幸を離縁するという知らせが届く。自らの不始末を自らの手で解決しようとした惣次の考えた末の結論であり、店には決して近づくこともない。主のいない店のままではやっていかれず、やむを得ず戯作者になろうと貸本屋に居候していた三男を後継ぎに据える。9年間努力して人気戯作を書くことが出来なかった智蔵も、自分の才能に見切りをつけ店に戻ってくる。だが、商才がないことを誰よりも知っている本人は、幸の操り人形になると宣言する。自分はあくまでも人形、実際に商いを差配するのは女房の幸。三兄弟に続けて嫁ぐこととなった幸は、覚悟を決めて今まで以上に商売に取り組む。そんな最中、五鈴屋に同情的で陰ながら助けてくれていた桔梗屋に買い取りの話がでる。高齢で後継ぎもいない桔梗屋の主は真澄屋の話に乗るものの、手付が払われた直後に約定が覆されることに。憤る桔梗屋だが、真澄屋は引かない。嫌だったら手付金を返せと迫る。手付金を使ってしまった桔梗屋は何ともできずに困っている寄合の席で、幸は真澄屋に対抗して桔梗屋買い上げに名乗りを上げる。物語を盛り上げに盛り上げたところで、第五話へ。
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第二話『早瀬篇』ではお話しがさらに進展する。四代目主人の徳兵衛に愛想を尽かして実家に戻った菊栄の持参金35両を返すために、同業者の仲間から金を借りた五鈴屋は、近々のうちに主人に後妻を見つけて身を固め、商売に身を入れられるようにすることを条件とさせられる。相も変わらず悪所通いが収まらずに悪評が立っている四代目の元に来てくれる良縁など見込めるわけもない。番頭の治兵衛が考えた最後の一手が、女衆の幸を嫁に迎えるというもの。消去法の選択でもありながら、幸の頭の良さと根気、人柄を見込んだが故の大決断をすることとなった。
当初はその気もなかった幸だが、卒中風で半身不随の寝たきりになってしまった番頭から、
今は商い戦国時代。お前はんは、その戦国時代で戦国武将になれる器、
と諭されて幸は心を決める。名のある店の娘ではなく、女中である女衆を嫁に迎える以上、同業の仲間たちの承認がいる。寄合に出かけていく幸の姿、心持ち、そして寄合での立ち振る舞い、ここが第二話の山場と言える。反物の商品知識について質問されても、知らないで押し通し、最後には商売をする上で知識よりも大切なものは心得であると、奉公に上がった当初に番頭から叩き込まれた「商売往来」を一つの間違いもなく諳んじることで同業者たちの度肝を抜き、嫁として認めさせる場面は心が沸き踊る。1時間ドラマであれば、45分くらい経過したところで登場する大いなる見せ場といったところ。
無事に五鈴屋の嫁となった幸は、商いについて学んでいく。商品の素材、色、織り方、そして売り方そのものまで。新しい目で見るがゆえに、今までの当たり前が当たり前でなくなってくる。学び続ける幸だったが、主の徳兵衛が堀に落ちて死んでしまう。ただでさえ先行きが暗い店がどうなるか。他の大店の婿に行く予定だった次男が店を継ぐことになるが、その次男が出した条件は幸を嫁とすること。この次男は見た目も悪く堅物だが、真面目一本で商才ある。この次男が店立て直しのパートナーとして幸を見込んだところで第二話が終わり、次へと続く。盛り上げに盛り上げてから、この続きは第三話でとなるお話しの繋げ方も上手です。
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寝たきりになった番頭から幸が教わるシーン。
「知恵は何もないところからは生まれはしまへん。知識、いう蓄えがあってこそ、しぼりだせるんが知恵だすのや。商いの知恵だけやない、生き抜くためのどんな知恵も、そないして生まれる、と私は思うてます」
なるほどな、と思わせてくれる台詞があることも商売をネタにした物語としての厚みを増してくれる。そして、嫁に迎えられることになった幸は、御寮さんに相応しい身なりもするようになる。ある時は
扇面松を散らした金茶色の綸子の着物、
ある時は
瑠璃紺に光琳波の晴れ着と白藍の帯、
ある時は
白地に青竹色の細縞を織り込んだ明石縮の単衣に萱草色の帯、そして紅鬱金色の紙入れ、
こんな具合に折に触れて上物の着物の描写が出てくる。読んでいてもピンとは来ない着物の世界だが、どんな模様や柄なのか、どんな織りなのかを想像する愉しみも出てきた。決して若い頃だったら愉しめなかったであろう読書の愉しみになっている。
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高田郁というと『みをつくし料理帳』がまず思い浮かぶが、その高田郁が著した長編小説が『あきない世傳 金と銀』
享保の改革が行われていた頃、摂津の国で生まれ育った幸という一人の女の子が、幼くして生家から離れて大阪の呉服屋「五鈴屋」で住み込み女衆として働きだす中、持って生まれた賢さが周りから認められて、女ながら商売の道を歩むことができるのか。第一作目のタイトルが『源流編』 源ということで、幸の生い立ちから奉公が始まり、商いの世界でどう生きていけるようになるか、その裏にある父からの「商は詐」という考え方から脱することができるのか、さらりとしたお話しのスタートでありながらも、幸を巡るテーマが色々と出されている。
このお話しの見どころは、女に教養など不要と言われた江戸時代中期に、学者の娘として生を受けて学問したいという希望があったにも拘わらず、家庭の事情で女衆として奉公に出される不遇をどのような努力で克服するのか、また周りの人たちの温かい支援と酷い仕打ちとが両存する中での人情の機微、そして資本主義として金儲けが当たり前の時代から見ると荒唐無稽とも思われるこの時代にあった「商は詐」という考え方を幸がどのように折り合いをつけるのか、そして金儲けにどのような手法と哲学と見出すのか、というところにありそうだ。
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慣れない奉公先で緊張するとともに気持ちが萎えてしまっている幸に、店の番頭がこう声をかける。
ひとというのは難儀なもんでものごとを悪い方へ悪い方へと、つい考えてしまう。それが癖になると、自分から悪い結果を引き寄せてしまうもんだすのや。断ち切るためにも、笑うた方が宜しいで。
そのとおりですね。ついつい悲観的になったり、自分で自分を憐れんだりしている内に状況はますます悪化するなんてよくあることですからね。自分の未来は自分で切り拓く、と考えると過去に捉われているのは無駄。前を向いて進むためには、笑うことが必要。そんな人生観ですかね。