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コージーミステリを読み耽る愉しみ その5 英国王妃の事件ファイルシリーズ(リース・ボ-エン著)

2023年10月28日 | パルプ小説を愉しむ
今年(2023年)の1月に出された第15話『貧乏お嬢さまの困った招待状』は、新刊であったために予約者が20名以上もいて数か月待たされた。そして、待たされるだけの価値のあるシリーズであることを再発見した。
愛しのダーシーと結婚して数か月が経った11月のある日。屋敷の女主となったジョージアナは自分が今年のクリスマスをどう過ごすのかを決めて手配しなければならないことに気付く。そこで、親しい友人たちを招待してハウスパーティを開こうと考えて招待状を出したところ、王妃陛下の昔の女官を勤めていたというダーシーの叔母から館に来るように招待を受ける。この時期には、その隣の地所で家族の集まりを持つ王族たちがいる。招待の裏にある王妃からの無言の圧力を感じた二人は、自分たちの計画を諦めて、叔母が王妃から借りているレディ・アイガースの館へと向かう。二人の他に、レディ・アイガースのコンパニオンであるミス・ショート、アメリカ人の退役軍人夫婦、元近衛師団の少佐だった男と妻、ジョージーの母と兄の家族4人(子供が二人含めて)、そこにデイビッド王子とシンプソン夫人までも加わることになった。お隣の王家では、国王主催のささやかな狩猟が行われ、そこでデイビッド王子の肩先を散弾銃弾がかすめるという事故が起きる。単なる事故なのか暗殺計画なのか不明なまま、クリスマスシーズンが進む。ボックスデイの朝、王子とその友人にして護衛、ジョージーの三人で乗馬に出かけようとした矢先、シンプソン夫人が怪我をしてロンドンへ帰ったと聞いた王子を乗馬をキャンセルして夫人の後を追う。友人にして護衛のディッキーと2人で霧の中を乗馬に出かけたジョージーは、先を走っていたはずのディッキーが落馬して重症を負っているのを発見。死に際の言葉は、妻に対する謝罪の言葉とタペストリーと聞こえたような単語のみ。馬の扱いに慣れていたディッキーが落馬するには訳があるはずと疑いを持つジョージーとダーシー。王妃も同じように疑いを持っていた。なぜなら、昨年も同じように王子の護衛役が落馬して死んでいた。それにシンプソン夫人の事故も誰かが引き起こした可能性がある。疑惑が次第に大きくなる中、館に滞在していた少佐が狩猟会の最中に撃たれた姿で発見された。人々の後ろに立って狩猟会の面倒を見ていた少佐を撃つには背後から忍び寄る必要がある。無政府主義者かアイルランド過激派か、それとも何らかの遺恨を持つ人間の仕業か。ディッキーの死因が気になるダーシーとショージーは事故現場に何度か足を運ぶがこれといった発見はない。折れた枝がころがり、少し離れた庭番の家のゴミ捨て場に使い古されたロープ。この2つが怪しいとみたが、どう使ったのかが分からない。そんな中、王妃から呼び出しを受けたジョージーが王家の屋敷で待つ間、部屋に飾られたタペストリーに目をやると、ロープで吊るされた攻城兵器を使っている折柄を偶然見つける。ロープと木の枝の使い方に気付いたジョージーがやることは誰がやったのか。ダーシーの叔母、レディ・アイガースが昔描いていた絵に意味が込められていることを発見したジョージーは、レディ・アイガースが妻を裏切っている夫に対する復讐をしていることに気付く。そこで、ダーシーが不貞を働いているかのように見せかけたところ、レディ・アイガースは見事に引っ掛かりダーシーを殺そうと氷の張った池へと警察を装って呼び出す。心配になったジョージーが車に隠れて同行。氷が割れて池に落ちてしまったダーシーを間一髪救い出すとともに、レディ・アイガースをダイスタックルで捕まえることができたのでした。

怪しい事件は起こるものの、直接的な殺人と思える事故が起きたのは245ページまで進んだところ。全体で410ページの物語だから、半分以上経過してからがミステリ本来の始まりとなる。「お茶と探偵シリーズ」のように第1章で事件が起こるのとは大違いなのだが、スロースタートであることがまったく気にならないのがこのシリーズの持ち味。ジョージーの人となりが醸し出すほんわかとした優しさとお転婆さが入り混じった気持ちのよい雰囲気の中で進む物語に身を任せて読み進むのが悦楽。

この女性 - これほど小柄で、これほど美しくて、これほど自己中心的で、そのうえ男性に対して圧倒的な影響力を持つ - からよくもわたしが生まれたものだと何度目かに考えていた。
もちろん、女優の元公爵夫人にしてジョージアナの母親についての描写。「男性に対して圧倒的な影響力を持つ」ような女性は日本では、少なくとも私の身の周りでは見たことがない。欧米にはいるのだろう。

これまで何人もの殺人者と出会ってきた。その中には人の命をなんとも思わない、疑いようもなく邪悪な人間もいた。けれどそれ以外な、我慢の限界を超えて、殺人だけが唯一の逃げ道となってしまった、悪というよりは痛ましい人たちだった。
こんな見方が殺人者に対してできるジョージアナの優しさがシリーズ全般の下地となっているために、ほんわかとした読了感が得られる。

「頼むから、あの子たちには子供時代をうんと楽しませてやってくれ。それでなくても、あっという間に過ぎ去ってしまうんだ」
珍しくもジョージーの兄、ラクノ公爵が妻フィグに対して言った言葉。これまでも、常にフィグの言いなりになっていた印象が強いビンキーだが、子供を前にして言うべきことは言えるようになったようだ。

「ここがあなたの国でないことは承知していますが、わたしたちは伝統を重んじていますし、それを壊そうとする人達には心を痛めています」
滞在しているアメリカ退役軍人夫婦が英国人の風習に対して批判的であることに対して、女主のレディー・アイガースが放った言葉。露骨に対立するような言い方でないことが教養ある人間であることの証なのだろう。

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14話の『貧乏お嬢さま、追憶の館へ』では、祖母の遺産を相続した親友のベリンダに誘われてコーンウォールにあるという家を訪れる。家は崖沿いに立つあばら家同然の家でまともな台所も風呂場もない。他に行くあてのない二人はそこで一夜を過ごすが、夜に男がやって来て一緒のベッドで寝ていたことが朝になって分かる。その男はベリンダの幼馴染の男で、ベリンダは密輸か何かの怪しげな仕事をしているに違いない男という。こんなところには泊まっていられない。街に戻って宿場できるホテルを探すが、シーズン外れのこの時期に部屋を貸すところはないっと言われる。困っている二人の前に、幼馴染のローズが現れて二人を家に招待する。ベリンダの家の料理人の娘であったローズは、地元の名家に入った男と結婚して女主人となっている。元々の所有者は事故で死んでいる。夫のトニーは崖から落ちて死んだ元の所有者の娘、ジョルキンの夫でローズは後妻。寂れた田舎で奉公人からも疎んじられて暮らしているローズにとって、幼馴染ベリンダの登場は懐かしくも心強かった。何事においても完璧な家政婦の目を気にしながら毎日を過ごすローズは、夫に殺されるかもしれないと二人に漏らすが、そんな中夫のトニーがベリンダのベッドで短剣に刺されて殺されるという事件が起きる。親友ベリンダが逮捕されてジョージーが真相究明に乗り出す。真相究明と書いたが、このシリーズのジョージーは行き当たりばったりの行動の連続で、彼女の持つ何らかの幸運を引き寄せる力でヒントが積み重なる。ベリンダやジョルキンが子供だった頃、コリンという名の男の子が川で溺死する事件があった。潮の干満ゆえに河口の水量が増えている時に泳げないコリンはジョルキンやトニーたちから見放されて溺れたのだとか。しかもジョルキンはコリンが泳げないことを知っていて危険な場所に連れ出して遊んでいた可能性がある。関係者を調べているうちに、潜入捜査を近隣でしていた夫のダーシーとばったり出会って家政婦の身元調査を頼んだところビンゴ!溺れ死んだコリンの生みの親だったのが家政婦のミセス・マナリング。元々はこの屋敷の女中であったマナリングは、当主から言い寄られて子供を身籠ったが捨てられ、未婚のまま出産したコリンを養子に出して古巣の屋敷で娘ノジョルキンに仕える女中となった。ジョルキンとトニーがコリン溺死に関係あると知って二人を次々と殺害し、ベリンダに罪を擦り付けようとしていた。すべてが露見してしまったミセス・マナリングは屋敷に火を放って自分も死んでしまうという結末。一応筋は通っているミステリーだが、ドタバタ感が最後まで続いている。イギリス王位継承権を持つビクトリア女王のひ孫のジョージーは、人の好い人物だがドジなことこの上ない。そんなジョージーの物語だからドタバタは許される。

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結婚式の次は当然のことながら新婚旅行ということで、第13話は『貧乏お嬢さまの危ない新婚旅行』。結婚式場からジョージーとダーシーが直行したのはテムズ川に浮かぶハウスボート。人気のない岸辺だし、手配してくれた友人は食べ物(キャビアも)と飲み物(シャンパンも)を存分に積み込んでおいてくれたので、2人は誰に邪魔されることなく、そして事件に邪魔されることなく甘い甘い数日を貪っていたものの、食べ物が少なくなり氷も溶けてしまって飲み物も冷やせない。そしてジョージーはキュウリのサンドイッチが食べたい。そこで2人はロンドンのラクノハウスに向かう。義姉ノフィグに嫌みを言われつつも、結婚プレゼントを整理しているところに王妃さまからガーデンパーティに招かれる。栄えあるガーデンパーティの席上で、ダーシーが新婚旅行にケニアを予定していると発表したところ、王妃さまから内々の頼み事をジョージーはされる。かの地に行っている王子を見張って欲しいと。世紀の恋と呼ばれるシンプソン夫人との仲が進展しないように見張って欲しいということだった。

鉄道と飛行機を乗り継いで到着したケニアのハッピー・ヴァレーはとんでもないところだった。その地に根を下ろしている成功者たちは、自分たちならではルールで暮らしており、夜は夜で酒池肉林の乱痴気騒ぎ。そんな中、一番最初にこの地を切り開いた成功者のブワナ・ハートレーが殺される。乱痴気パーティから抜け出した帰り道の途中で、車のエンジンをかけっぱなしで、側の茂みの中で倒れていた。アフリカだから当然のように死体はハゲワシがついばみ始めている。先住民たちの犯罪と頭から決めつけるかの地の上流階級の人々の考えに納得いかないジョージーはダーシーの友人の政府職人に手を貸すことで事件に首を突っ込むことになる、毎度のように。

すべての人間(白人)が怪しい中でなんの証拠もでない。結局、犯人はブワナの家で働くマサイ族の使用人ジョセフだった。彼は、単に使用人なのではなく、ブワナがマサイ族の女との間に作った息子で、イギリスで教育を受けさせてハッピー・バレーの家で使用人として使っていた。当初は息子としてちゃんと扱うという約束だったが、その後何人もの女と結婚離婚を繰り返し、最後は農園を維持するために結婚した金持ちのアメリカ女性との手前、母親であるマサイ族の女性を追い出し、ジョセフを息子として扱うよりも使用としての扱いが多くなってきていた。そんな中、ブワナが貴族の称号を受け継ぐこととなり、子供たちを呼び寄せて遺言を作った。遺言の中に自分のことが全く書かれていないことを知ったジョセフは、自分と母親への裏切りと見なして殺したのだった。

ジョセフを犯人だと見破ったのはジョージーのみ。しかも、ブワナの葬儀の折に、一人の黒人女性と目を交わし合うジョセフの様子を見てピンときたジョージーだった。謎解きになんの脈絡もないのだが、それでも不自然ではないところがさすがにコージーミステリー。ダーシーとのケニアでの新婚旅行、ハッピー・ヴァレーの乱痴気度合い、事件を捜査する現地の警察官とのやり取り等々、事件の回りの状況進展で読み進んでいくうちに、なぜかジョージーがいつものように犯人に行きついてしまう。このジョージーの活動は、ジャネット・イヴァノビッチが書いたステファニー・プラムのシリーズと相通じるところがあるように思う。ステファニー・プラムほど、ハチャメチャで行き当たりばったりのスラップスティックもどきの活動ではないにしても、ドジなジョージーや何をやらせてもへまばっかりの召使、そして上流階級の人間たちの身勝手な行動等々、一般ピープルから見た上流人たちの可笑しくも愚かしい姿を垣間見て笑いにしている、そんなのぞき見的な趣味も見え隠れするように思うのは考えすぎだろうか。

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彼らの論法には正義は含まれていないようだ。
現地の人間たちは、揃って犯人を先住民と決めつけてかかっているのをみてジョージーが漏らした感想。「自分に都合の良い解釈」だったり、「先入観の塊から生まれる間違った判断」というよりも短い語数で、彼らの考えの誤りを指摘している。「正義は含まれない」というのは、単に正しくないという以上にそう考えている人たちの頭の構造に対する大いなる異議申し立てでもある。とは言っても、結局犯人は現地の人間だったわけだが。

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いよいよ貧乏お嬢さまのジョージーがダーシーと結婚式を挙げることとあいなった。アガサ・レーズンの結婚式騒動に引き続いて、結婚がテーマとなったシリーズ第12作の『貧乏お嬢さまの結婚前夜』を愉しんだ。

とは言っても、すんなりとは行かないのがミステリー小説の常。お金がないジョージーとダーシーは結婚後に住む部屋を探すが、家賃高騰しているロンドンには満足できる物件がない。落ち込んでいるジョージーに突然朗報が舞い込む。ジョージーの父親と離婚した後に、母親クレアが結婚(そして離婚)していたサー・ヒューバート・アンストルーサーから知らせが届いた。ジョージーに屋敷を自由に使って欲しいという。ジョージーを気に入っていたヒューバートは、自分の子供がいないためにジョージーを相続人にしている。結婚の知らせを新聞で読んだヒューバートからジョージーへのプレゼントだ。でも、知らせには気になる一文があった。それは屋敷の様子がおかしいので探ってくれというもの。

その一文が気にはなったものの、豪邸が自由に使えて維持費も出してもらえるとあってジョージーは上機嫌。着いてみると、召使たちの様子がおかしい。命令に反抗的でマナーもなっていない執事(ジョージーによると執事とは主人の10倍もマナーが優れている生き物なのだそうだ)に料理下手の料理人、ふてくされるメイド、ろくに働かずに庭園でできた果実を地元商店に勝手に売って金に換えている庭師。そして、屋敷の西別館には幽霊らしきものが。この屋敷で何が起きているのか、それをめぐってジョージーが立ち回る姿がずっと描かれる。読んでいるこちらも、何が起きているのか興味が引き立てられて、ちっとも飽きずに読み進められる。

母親のクレアもドイツ人実業家マックスとの結婚が暗礁に乗り上げてしまって、ジョージーと一緒にヒューバートの屋敷にやってくる。心強くはなったが、母親が気になるのは自分のことだけ。ジョージーは女主人としての威厳を示そうと、そしていつもの探求心を発揮して、屋敷で起きていることを探ろうとする。

西別館に住んでいたのは幽霊ではなく、ヒューバートの年老いて耄碌した母親だと説明される。でも、何か変。昔の召使たちを訪ねて情報を取っていくうちに、今いる執事は本来の人物ではないこと、ヒューバートの母親は口うるさい婆だが決して耄碌してはいなかったことを探り出す。今いる召使たちは何者か?ロンドンに住む祖父(こちらもお隣さんとの結婚が予定されていたが、相手が死んでしまった)に相談したところ、ロンドン警視庁の元部下に引き合わされる。元部下、今は警部が言うには、屋敷にいる召使たちはバードマンと呼ばれた窃盗団の一味に違いないという。一味が逃亡を企てていることをしったジョージーは、警察と連絡を取り合いながら彼らを一網打尽にすることに成功する。またもやお手柄。

かくして、屋敷も無事に昔通りに運営されるようになり、ダーシーとジョージーは無事に結婚式を挙げることができたのだった。


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婚約者ダーシーの父親の無実を証明し、ジョージーはキレニー城(ダーシーの一族が所有する城と領地)で幸せいっぱいに暮らしていたのもつかの間、ダーシーが旅立ってしまうというオープニングで始まるのが、シリーズ第11作目の『貧乏お嬢さま、イタリアへ』。秘密の任務をおおせつかったようだ。ゾゾ(ポーランドから亡命してきた王女)も飛行機による世界一周レースにでるために居なくなって、ただでさえ侘しいアイルランドの片田舎のキレニー城に残されたジョージーは寂しい思いをしているところに手紙が到着。出産のためにスイスとの国境沿いのイタリアの町にいる親友のベリンダが心細さのためにジョージーに来て欲しいと催促と、皇位継承権放棄についてジョージーに直接確認したいという王妃陛下からの手紙だった。キレニー卿には悪いと思いつつも、喜んでロンドンへ戻るジョージー。ダーシーとの結婚のためなら王位継承権は要らないときっぱりと言い切ったジョージーに王妃は、そこまで決心が固いならば応援すると約束してくれたので、これでジョージーもひと安心。これから親友を訪ねてイタリアのマッジョーレ湖に行くと聞いて王妃はジョージーに頼みごとをする。息子のデイヴィッド王子が愛人のシンプソン夫人とその地域のイタリア貴族の家のハウスパーティに出席することになっており、ひょっとすると二人はその地で結婚してしまうのでは、と危惧した王妃がジョージーを丁度よい見張り役として送り出すことにしたのだ。大した用でもないと考えたのが甘かった。

ハウスパーティのホステスはイタリア貴族に嫁いだイギリス貴族の娘で、昔ジョージーとベリンダが学んだスイスのお嬢さま学校に一緒に行っていた頃の敵役だったカミラだという。昔を思い出して一瞬たじろぐが、王妃からの頼みは断れない。王妃からの口添えの手紙もあり、ジョージーは無事にハウスパーティに潜り込むが、そこに居たのは不可思議な取り合わせの人々。ホスト役のパウロ(カミラの夫)の叔父はムッソリーニの顧問をしているというイタリア政界の重鎮。そこに、ドイツの将軍とその副官、ジョージーの母親のクレアと恋人のマックス、デイヴィッド王子とシンプソン夫人、それにドイツ貴族というハンサムは青年のルドルフ・フォン・ロスコフ伯爵。このルドルフはイタリアへ向かう列車の中でジョージーを口説こうとし、あわやレイプ寸前にまで行きかけた品行の良くない男。不思議な組み合わせの人々が集まる中、ルドルフが殺されるという事件が発生。最初は自殺かと思われたが、左利きのルドルフが右手にピストルを持って自殺するのはおかしいとジョージーの鋭い観察眼が見抜く。余計なことをすると一行から大顰蹙をかったものの、事件は事件として自意識だけで膨れ上がっている現地の無能な刑事がしゃしゃりでてくる。

調べていくと、ルドルフは招待されておらず、ドイツの将軍一行も彼を招いていないことが判明。それだけではなく、ジョージーの母親がルドルフに脅迫されていることも判明し、その上ホステス役のカミラとの間にも不審な様子が見て取れる。使われたピストルは、クレアの所有物だったために、母親が有力な容疑者になる中、脅迫のネタを捜してくれという母親のたっての願いを断れない。脅迫のネタは二人の情事を隠し撮りした写真で、それが明かされるとクレアはマックスに捨てられてしまうだけなく、殺人犯確定になってしまうのだ。またもやジョージーは泥沼に嵌まり込んで行く。

写真の隠し場所かと思った離れの小屋を探っていると、そこに突然ドイツの将軍とムッソリーニ顧問でもあるパウロの叔父、そしてデイヴィッド王子たちが秘密の話し合いをするために小屋に入ってくる。長いテーブルクロスが掛かっていたことを幸いにジョージーはテーブルの下に隠れるが、そこで交わされた会話を耳にしてしまう。ドイツとイタリアが英国を自分たち側に引き込もうとして、デイヴィッド王子を利用しようとしている。

今までに色々な事件に巻き込まれ、危ない思いもしたジョージーだが、このテーブルクロスの下に隠れて秘密の会話を聞いてしまうシーンは、いままでのシリーズの中で一番スリリングであることは間違いない。特に、テーブルの下に落ちたライターをルドルフが拾おうとする場面は、思わずヒヤリとさせられる。ヒッチコックばりに緊張感が高まったシーン。

見つからずに無事に小屋から脱出できたジョージーの前に庭師に扮して紛れ込んでいたダーシーが現われてびっくり仰天。デイヴィッド王子がこんなところに来ることの不自然さに疑問を感じていた当局がから派遣されていたダーシーだったので顛末を報告。ダーシーの秘密指令は無事に終了。

だが、そこでルドルフが実は英国のために働く二重スパイであることを明かされ、事件は一層複雑になっていく。一つ無くなっていた枕を探そうとだだっ広いクロゼットの中に入ったジョージーは偶然にも隣部屋との境が取り外せることに気付く。そして、事件は隣の部屋で起きたにも拘わらず、銃声を聞くこともなく眠りに落ちていたのは、そのメイドが淹れたハーブティーに薬が混ぜられていたのではないか。誰も彼もが怪しく思えてしまう中、突如バラバラだったパズルが一つにまとまり、あまりに有能であるが故に怖いくらいの存在であったメイドが犯人と気付く。

メイドはナチスの秘密組織のスパイで殺し屋だった。メイドの手を逃れてダーシーを探しに夜の庭園に出たジョージーに、メイドが気付いて追ってくる。残念ながらこのシーンの怖さはいま一つでした。なぜなら、メイドの他にダーシーと目される第三の影が現われしまうから。ダーシーと二人でメイドを捕らえて警察に引き渡して一件無事に落着。邸宅内の礼拝堂に隠されていた母親の脅迫ネタも焼却して一安心。

今回のエンディングは、スイス側の療養所から抜け出していたベリンダが、借りているヴィラで突然産気付き、たまたま訪れていたジョージーとダーシーが生まれてきた男の子を取り上げる羽目になってしまう。生まれたきた男子は、ジョージーの思いつきで子供が生まれなかったカミラとパウロ夫婦に養子として引き取ってもらうことにして、こちらも無事に落着。

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世紀の恋として名を馳せたシンプソン夫人だが、この物語では、常にその場を取り仕切っていないと気がすまない高慢で自己中心的な存在として描かれている。次期国王のデイヴィッド王子を皆の前で呼び捨てにしたり、飲み物を取ってくるように命令したり、およそマナーの欠片もない人間として描かれている。人が殺された次の日、予定していたミラノにショッピングに行けなくなったことに機嫌を悪くして、こう言い放つ。
「わたしたちが滞在している家で自殺するなんて、なんて軽率なことをするのかしら」

自分を中心にして世界が廻っている、と考えている人間ならでは発言だよね。一方、心のやさしいジョージーは、母親を脅迫していた男と言えども殺されてしまった翌日の雰囲気をこう言っているのと対照的だ。
背の高い窓の外に見える湖も、わたしたちの気分を反映していた-どんよりとした灰色で、向こう側に見えるはずの湖は霧のベールに隠れていた。

今回も、さりげない風景描写があちらこちらに見られて、物語の雰囲気を醸し出す役割を果たしてくれている。ダーシーとゾゾが居なくなったキレニー城にいる気持ちがこう書かれている。
春の香りがする空気のなか、生垣に春の花が咲く道路を歩くのは気持ちのいいものだ。それでもわたしはここをでていきたかった。

ハウスパーティが開かれるヴィラの光景はこう描かれている。
風にたなびいた髪を調えながら、私は眼前の景色を眺めた。ゲートの向こうはきれいに手入れされた芝生と花壇が広がり、斜面をあがった先には木立や緑地庭園が見える。黄色い砂利の私道は両脇にヤシの木が植えられていて、突き当りは噴水のある前庭になっていた。ヴィラは、イタリアの大邸宅というイメージそのものだ。

そして、室内の描写はこうだ。
青と金色に塗られた高い天井、金メッキが施された、水色のシルクの錦織の椅子、同じよながらのシルクの壁紙が貼られた壁いは、イタリアの画家ティントレットによるベニスの風景や、わたしが知らない画家の手による宗教画などがずらりと飾られていた。白い大理石の床にはペルシャ絨毯が敷かれ、低いテーブルには大掛かりな花の飾りが置かれている。(中略)思わず息を呑んだと思う。そこはヴェルサイユ宮殿のミニチュア版のようだった。

戦争前の貴族たちの裕福な暮らしというのは、想像もつかないほど豪華だったのだろう。その一片を見せてくれるのが、それぞれのシリーズの中にある著者の描写なのだが、それに比べて貧乏お嬢さまであるジョージーの貧しい暮らしと両極端だ。それでも、ダーシーとの愛やベリンダとの友情、国王と王妃の信頼とスリリングな出来事に次々に巻き込まれる決して飽きることのない冒険、そして何よりも常に前を向いて明るく生きているジョージーの暮らしが悲惨だとは思えず、これはこれで幸せな生活なんだなと思えてくる。

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第9話は、ジョージーを乗せた車を運転するダーシーがグレトナグリーンへ向かうという唐突な終わり方でした。グレトナグリーンとは、アメリカのラス・ヴェガスのようま町で駆け落ちの名所とのこと。よって、第10話のタイトルは『貧乏お嬢さま、駆け落ちする』とあいなり、グレトナグリーンへ向かう車中のジョージーの独白から始まる。第10話にしてやっと二人の仲が進展するのかと思いきや、大雪に阻まれた二人はグレトナグリーンに辿り着けず、それどころかダーシーの父親が殺人容疑者になってしまったことを新聞のニュースで知るという、今までに無い事件性を帯びた急展開なオープニングです。

急いで地元、アイルランドのキレニー城へ帰ったダーシーから、ロンドンに戻ったはジョージーへ電話が入る。父親の有罪はほぼ確実そうだから、二人の婚約は解約して、もう会わないことにしよう、と。泣きくれるジョージーだったが、こんな時こそ愛しいダーシーの元にいる事にしようと単身アイルランドへ向かう決心をする。世間知らずなお嬢さまだったジョージーが、逞しさとしぶとさを兼ね備えた女性に成長したものだと思わずにはいられない。決心したのはいいが、計画性がないジョージーだけに到着するまでが一苦労。やっとの思いで到着してダーシーに会い、事件解決に向けて協力しだす頃には物語の約四分の一が経過しており、ジョージーの謎解きを期待する読者は急展開なオープニングの後でしばし待たされる。

ダーシーの父親は、金に困って所有していた城と地所を金持ちアメリカ人に売っており、このアメリカ人を殺した嫌疑をかけられている。人嫌いで世を拗ねている父親は事件当夜の記憶が定かではなく、事件の前に言い争いをしている姿を見られていることと死体の脇に残されていた指紋のついた棍棒という決定的な証拠もあり、自暴自棄になって無実を抗弁しようという気すらない。息子のダーシーとジョージーが助けよう差し出した手を拒絶するばかり。こんな父親を見て、さすがのダーシーも元気を失い、諦めの気分に陥っている。そんなことにめげることなく、ジョージーとアレクザンドラ(亡命している元ポーランド王女)は些細な手掛かりから事件の真相に迫っていく。

ダーシーの父親から城と地所を買い取った金持ちアメリカ人とはシカゴのギャングのボスで、アルカトラズ刑務所から奇跡の脱走を果たした後に遠くアメリカから離れた辺鄙なアイルランドの城に隠れたように暮らしていた、というのが真相。昔の仲間が見つけて昔の分け前を要求したところ、もみ合いとなって殺してしまったために、ダーシーの父親に罪を擦りつけようとしたことが発覚して、めでたく父親の無罪が証明される。

ジョージーはゾゾのことを、
年齢はわからないー40歳か、もう少し上だろうか。黒いシルクのパジャマを着て、これまで見たこともないほど長い黒檀のシガレットホルダーを手にしている。その先では、ロシアのタバコが煙をあげていた。豊かな黒髪が肩の上で緩やかに波打ち、ふっくらした唇は赤く彩られ、その化粧は完璧だった。彼女が、ありえないほど長く黒いまつげを上下させてわたしを見つめ、長くほっそりした手を差し出すと、”官能的”という言葉が脳裏に浮かんだ。

だったり、
田舎の弁護士事務所にゾゾを連れて行くのは、鶏小屋に孔雀を放つようなものだ。

と表現して、社交界のトップに君臨していそうな貫禄と魅了たっぷりな女性として描いている。容姿の見事さだけではなく、パーティで同席したシンプソン夫人が、自分と似た黒いビーズのイブニングドレスを着ているゾゾにドレスの褒めたと際に、

「あら、こんな古いものが?わたしはすっかり忘れていたんだけれど、衣装ダンスの奥に埋もれていたのをメイドが引っ張り出してくれたのよ。もう何年も着ていなかったわ」
と自分のドレスをけなすことで、似たドレスを着ている夫人を貶めるという高度な社交術も披露してくれる。また、

「きみか。なんの用だ」とキレニー卿(ダーシーの父親)に言われて
「ご挨拶だこと。それって本当は、”息子とその友人たちに会えてうれしいよ”っていう意味なのよね」
と切り返す頭のよさと前向きに物事を捉えようとするポジティブな性格でもあり、初対面のキレニー卿のことを

「あら、あのぶっきらぼうな外見のしたには、きっと寛容で暖かい心が隠れているのよ」
と見抜く眼力の持ち主でもあり、また

「あらまあーずいぶん恐ろしいところね。あなたは、恐怖の館に滞在することになるのね、ジョージー。まさかウーナ大おばさまは魔女だったりしないわよね。」
と言ってお茶目さを披露してくれる女性でもある。

事件が解決した後の最後の最後で、ダーシーの父親がこのゾゾに求婚するところで物語が終わる。こんな魅力的な新しい登場人物に加えて、いつもならがのジョージーの活躍に、読了後になぜか誇らしい気持ちになれたのはシリーズ初の体験だった。

二人の女性が活躍する合間に、
射しこむ太陽の光に目を覚ますと、真っ青な空にふわふわした雲が浮かんでいた。窓の下では、ウーナが鶏に餌をやっている。どこから見てものどかな田舎の風景で、ひとりの人間の命が危険にさらされていることを忘れてしまいそうだ。

というさりげない情景描写もあり、謎解きと事件に関わる人間関係だけではなく、ホッと一息つけるような身の回りの風景描写もあることで、緩急自在な展開を魅せてくれる作者の手管にはほとほと感心してしまう。

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シリーズ第9話、『貧乏お嬢さまと時計塔の幽霊』では、ケンジントン宮殿に住んでくれという依頼が英国王妃からジョージーになされる。条件は、国王・王妃の三男であるジョージと近々に結婚することになって英国にやってくるギリシャのマリナ王女の付き添いになって、英国暮らしになれてもらうお手伝いをすること。貧乏の代名詞のようなレディー・ジョージアナにとっては天の恵み。それまで使っていた家は、持ち主のベリンダがアメリカから帰ってきたので出て行かなくてはならない。実家に戻って義理姉の世話になるつもりはない。そんな中で降って湧いたような美味しい話だった。

ところで、ケンジントン宮殿ってどんなところか気になったので調べてみると、ロンドンはウェストミンスターの西方、ケンジントン・ガーデンズ内にある宮殿らしい。今は、ウィリアム王子と夫人のキャサリン妃が住んでいるらしいが、その前は離婚したダイアナの居住地になっていたそうだ。

お話の中では、一部にジョージーの親戚である王族の老女たちが住んでいるのみで、それ以外の居室には飾ってある美術工芸品も少なく(すぐに物を壊すジョージーには好都合)火の気がないために寒々としている棲家のところに、ジョージーは疫病神のようなメイドと一緒に乗り込んでいく。住み出せばメイドたちがしっかりとお世話をしてくれるし(ジョージーのレベルで言うと、という基準値の低さはあるが)、親戚の老女たちもお茶に招いて親切にしてくれる良いところ。何よりも、秘書役の近衛兵少佐に言えば、買い物だって高級レストランでのランチだって、それに高級カジノにだってお金の心配なしに行くことができる。「王族のため」という錦の御旗のもとに何の心配もなし、のはずだったのだが、ここでもジョージーは死体に遭遇してしまう。それも、ケンジントン宮殿の中でだ。そして、死体の主は、なんとロンドン社交界の花形であったボボ・カリントンという若い女性。ボボは、花婿のジョージ王子の数多い愛人の一人で、しかも子供を生んだばかりということも分かってくる。結婚式を控えた王子が犯人なのかという疑惑が出てくる中、ロンドン警察と王室警護のための秘密警察の共同捜査が始まる。

第一発見者であるのみならず、王族の一部であるために関係者に気儘に質問して回れるという点が買われて、ジョージーも捜査協力することになるが、好奇心が人一倍旺盛で活動的なジョージーが「協力」といった生易しいレベルで終わるわけなく、独自のやり方で調べていくうちにガッツリと事件に嵌まり込んで行く。

社交界で浮名を流していたボボは、上流階級の人々が持つ隠したいことをネタに恐喝をすることで何不自由ない暮らしをしていたことが判明し、そこから捜査は一気に犯人探しへと進んでいく。結局のところ、ゲイであることをネタに強請られていた秘書役の近衛兵少佐が犯人であることに突如気付いたジョージーだが、相手も気付かれたことに気付いて宮殿内で待ち伏せされてしまう。深夜の誰もいない宮殿の中での対決はジョージーに絶対に不利。そんな中でジョージーを救ってくれたのは恋人のダーシーなどではなく、なんと宮殿に住まう幽霊たち。生んだ子供を取上げられて、今でも宮殿内を白いドレスで彷徨う昔の王女と、ジョージ一世がドイツから連れてきた野生児ピーターの二人の幽霊が突然現れ、驚いた犯人が足を滑らせて階下に転落死してしまうことでジョージーは危機を逃れることができて目出度し目出度し.... って、ちょっと都合が良すぎないか。と言うよりも、幽霊に助けられたことにするなんて作者の怠慢??? そんな気がする結末でした。

アメリカから帰ってきたベリンダがハリウッドのことをこう言う。
あのライフスタイルは私には合わない。無作法だし、人工的すぎるのよ。だれも本当のことなんて言わないの。大きなことを言って、できもしない約束をして、なにもかも嘘なのよ。
ある意味、そのとおりだね。

サー・ジェレミーがちらりと少佐に向けたまなざしは、警部はわたしたちと同じ身分ではなく、わたしたちの同類とは言えないが、今は我慢しなくてはならないと語っていた。
この台詞は極めてイギリス的だね。ガチガチの階級社会で生まれて暮らしていくと、こういう考え方になるのだね! シリーズ最初の頃は、階級差が面白さの一つだったが、次第にこの手の台詞が出てくることで、イギリスの嫌らしさであり病巣が浮き出てきている。

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第8話は『貧乏お嬢さま、ハリウッドへ』。ジョージーが母親と一緒に大西洋を渡ってアメリカへ行く。アメリカに行くことになったのは、母親が恋人のドイツ人富豪と結婚できるように、以前の夫(テキサスの富豪)との離婚手続きをリノで進めるためで、しかもジョージーを連れて行こうと思ったのは、一人旅が心配だったから。この世界的に有名な舞台女優である母親は、自分の人生を享受することにのみ熱心で(ジョージーの言葉を借りると、「南極以外のあらゆる大陸の男性と次々と浮名を流している」のだそうだ)母親らしいところがない。なにせ、幼い子供たちを置き去りにして貧乏貴族のお城を飛び出したのみならず、いまだに娘のジョージーに向かって自分に似ていればもっと綺麗になれたのに...などと平気でのたまう母親なのだ。対してジョージーも、ロンドン下町生まれの警察官の娘と決して上流の生まれではないことを指摘して思い出させてやる。口には出さずに心の中で。こんな普通に思い描く親子の関係ではないのだが、決して憎みあっているわけではなくそれなりの愛情を相互に抱いてはいる、それなりのだが。

この第8話は、読み進んでいるうちに興が乗ってこないことに気付いた。今までのシリーズに比べると描写がワクワクさせてくれないのだ。理由は、舞台がアメリカという私が知っている場所柄だからなのか、アメリカには大自然以外にワクワクさせるものが不足しているのか、それとも作者自体がアメリカを気にいっていないのか?作者は今現在カルフォルニア在住と解説しているので、三番目はないだろう。横断鉄道の窓からアメリカの大自然を眺めながらジョージーが感激している。

イギリスにあんな夕焼けはない。まるでイギリスの倍くらいもある空に、巨大な刷毛で原色を塗りつけたような夕焼けだった。魔法のようだった。

たしかに大都市ではない町に行くと空が広いと感じることがある。私自身も、グランドティートンに遊びに行った際に、空の広さに驚いたくらいだったから。

豪華客船の中で大物映画プロデューザーに出会い、母親が映画に出ることになり親子でハリウッドへ行く。この大物プロデューサーの家たるや、ヨーロッパの各地から金に物言わせて価値ある品々、有名絵画や宝飾類のみならず、お城そのものまで持ってきて広大な敷地内に自分の王国を作ってしまう。敷地内に庭にはシマウマやキリンなどの野生動物まで放し飼いにしてあり、点在する来客用コッテジはイギリスやドイツ風を模した造りになっている。これが悪趣味なものであることは文章に滲み出ており、そんな文章が醸し出す雰囲気も私の興を殺いだ一因なのだろう。

文庫本で420ページある物語の250ページ目でやっと事件が起きる。招待してくれた大物映画プロデューサーが殺されてしまう。事件を担当する保安官たちには荷が重そうだ。図体だけはでかくいが脳みそまでは発達する時間がなかったかのような人たちとして描かれている。いつもの通りに、ジョージーがほんの小さな手がかりから犯人を見つけて事件を解いてしまう。そのプロセスが、手抜きとまでは言わないが練られていないのだ。この手のコージーミステリは、ミステリ自体というよりは、物語り自体で主人公や登場人物の行動や心理、振る舞いなどに愉しさや面白さがあるはずなのに、今回は寄り道せずに坦々と平地を歩くがごとくにお話が進んでいくだけなのだ。それならばミステリ部分にもっと面白さを入れ込んでもらわないと割に合わない。雄大な大自然しか描くものがなかったからなのだろう。ヨーロッパを舞台にすると、伝統に裏打ちされた雰囲気なり造形物なりがあり、上辺は取り付くってはいるものの嫌味たらしい上流階級の面々の下種な言動というスパイスが効いてくる。次作はヨーロッパが舞台というから、それに期待しよう。

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第7話は『貧乏お嬢さま、恐怖の館へ』。今回のジョージー、元いレディ・ジョージアナ・ラクノは、兄の領地のスコットランドに戻るのが嫌だが住むところがない中、親戚の王妃に相談したところ、王妃の友人である公爵夫人の家に招待されることになった。単なる社交の招待ではなく、公爵家の新しい跡取りになるオーストラリア育ちの若者、ジャックのしつけ役として。この20歳になるジャックは、自分が英国貴族の血を引いていることなど最近まで知らずに、オーストラリアの羊牧場で伸び伸びと育っていたので、独特のしきたりやがんじがらめのマナーで縛られている貴族の生活などまっぴらだと思っている。もちろん、一族の人間からは白い目と悪意のこもった眼差しで見られ、当てこすりや意地の悪い悪口が陰で叩かれている。そんな中、現公爵が殺されるという事件が領地内で発生し、背中にはジャックの持ち物であるナイフが突き刺さっていた。粗野ではあるが人柄は悪くないジャックに好感を持っていたジョージーは、またもや鼻を突っ込んでいく。

このシリーズを読んでいて愉しめるのは、貴族(王位継承権も持っている)でありながらも主人公には特権階級意識がほとんどなく庶民的感覚すら持っていて好感を抱けることと、物語の進め方の上手さなのだと思う。例えば、この第7話の冒頭の2段落で、ジョージーの母親の性格が手に取るように分かるとともにジョージアナの近況が把握できる見事な出だしなのだ。

母は彼(かつての恋人)が自分よりも『山を優先することが我慢できなかったらしい。女優である母にとって主役以外の役は存在しない。

ハロッズの従業員すべてが自分のためだけに存在してるかのような態度がとれ、アメリカ並びにヨーロッパ大陸を股にかけて恋愛と情事を繰り重ねている母(真の意味で「股」にかけているよね)を羨ましくも思いつつも、自分の身の丈にあった行き方を選ぶほどジョージーはしっかりとしている23歳の魅力的な女性である。

特権階級意識がないという点では、昔警察官をしていた平民の母方の祖父が大好きで、祖父についてこんな思いを持っている。

祖父の家から帰る時は、いつも心が痛む。祖父がわたしの人生でもっと大きな役割を担うことができればいいのだけれど、わたしたちのあいだには大きな社会的な溝がある。ロンドンに戻る地下鉄のなかで、わたしは社会のルールの愚かしさを考えていた。

21世紀の平等世界において、当たり前の考えを20世紀前半の貴族の一員が持っているということがジョージーを好きになる一因でもある。加えて、この手のコージーミステリーに色をそれているのが皮肉と大げさな言い回しだろう。

訪れた公爵夫人の広大な領地に立つ見事な館の広間にある暖炉を見て
長い壁の中央には、牛をローストできそうなほど大きな天井まで届く大理石の暖炉

と言うし、又

蜘蛛が出たらどうしようと考えずにはいられない。普段の私は勇敢なほうだ-蜘蛛がいないところでは

という自虐的な性格描写もある。こんな貧乏お嬢さま、ジョージーを好きにならずにいられようか?!

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『貧乏お嬢様のクリスマス』はシリーズ第6話。実家ではあるものの、義理の姉とその家族の前にラクノ城に居づらくなったジョージアナは、たまたま見かけた新聞広告にあった田舎村でのクリスマスパーティのホステス役求人募集に応募して雇われる。寂れてはいても居心地よい田舎でのクリスマスを愉しんでいたところ、平和なはずの田舎で人が次々に死んでいく。警察は事故と見るが、ジョージアナの独自の嗅覚は殺人の匂いを嗅ぎ付ける。たまたま同じ村で過ごしていた祖父と恋人候補のダーシーの協力を得ながら、古いクリスマスソングになぞらえて起きている連続殺人を解き明かす大活躍となる。

「良家の子女募集」という条件なら、貧乏であったとしても王位継承権のある貴族の末裔にはぴったりのお仕事。よくもこんな設定を思いつけるものだと思いながらも、階級社会のイギリスだからこそ成り立つ発想なんだろうと思うのです。シリーズの別の話でも、「我々と同じ側になれない」と成り上がりの家族のことを平気で酷評するような台詞が出てくるところに階級制度の奥深さが見て取れます。

   ☆★☆★☆★☆★☆★

額に"刑事"と刺青があったとしても、これほど刑事らしくは見えないだろう。

あなたは私に幸せをもたらすために天国から遣わされた人間の姿をした天使だね。

この手の台詞は大好きだ。男と女の他愛も無い言葉のゲームとして殺人事件の合間合間を愉しませてくれるから。

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このシリーズは設定が絶妙である。2つの大戦の間のつかの間の平和の時代、ヴィクトリア女王の孫にして今(物語上)の国王の親戚であり、王位継承権34番(後に、兄に第二子が生まれたので35番目になる)となるヴィクトリア・ジョージアナ・シャーロット・ユージーニーが主人公。レディーの称号を持っている正真正銘の貴族だが、哀しいことに貧乏貴族の一員として、ロンドンにある結構なお屋敷に召使も執事もなく、文無しで暮らしている。生活費は、自分の名前を使って掃除請負業を営み(派遣される清掃員は自分という情けなさ)、時折友人関係者のパーティに行って飲み食いをすることで何とか生きながらえているという、生活力旺盛な22歳女性。時折、王妃に呼び出されて、やっかいなお仕事を仰せつかるのだが、ジョージーの得意技は好奇心と責任感からくる独自の捜査能力と行動力。貴族であって貴族で無いようなうら若き美女が、巻き込まれた殺人事件に勇敢にも立ち向かい解決している過程で、英国貴族の内輪もちらっと覗かせてくれている。気楽なミステリーに覗き見的な要素を入れ込んだこのシリーズが面白くないわけない。

王位継承権34番とはいえ、貴族の血は父方。母親は有名な映画女優で、今もお仕事ならびに恋愛は現役真っ最中。こんな盛んな母親プラス性的に自由奔放なお友達たちに囲まれつつ、本人は晩熟で恋愛に中々踏み込むことができない。気になる男はいるものの、告白もできず悶々としている。そんな中で、このシリーズ2作目の『貧乏お嬢さま、古書店へ行く』でも殺人が起きる、しかも3件も。

   ☆★☆★☆★☆★☆★

貴族の友人は自分たちが特別であることを意識しながら、堂々とのたまう:
そんなところにわたしやあなたのような人間があらわれたら騒ぎになるでしょう。ニワトリ小屋の中にクジャクが交ざったみたいな。
なにを言うか!! アホウドリの間違いじゃないか?

心の底から嫌いですが、公正な意見を述べようとしているだけです。
当時の英国社会を賑わせていた一大イベントのシンプソン夫人についての意見が求められた時のジョージーの反論がこれ。芯のある公正なレディーらしさがこの言葉からうかがえる。シンプソン夫人はこのシリーズでは、まことに尊大でいけ好かない女として描かれている。当時の英国上流階級の立場をとるのであれば、こうなるんだろうな。でも、もし、シンプソン夫人がこのとおりの人物であったら、そらぁ好きになれないわ。その意味では、著者の人物の描き方は素晴らしいと褒めるべきなのだろう。

人物だけでなく、風景の描写もなかなかもものがあります。だからこそ、このシリーズが愉しめるものになっている。
目も前にイーストアングリアの平原が開けた。景色のほぼすべてが空のように見える。真綿のような白い雲が浮かび、野原にいくつもの影を落としている。遠くに教会の尖塔が見えて、木々の下に村があるのがわかる。

コージー・ミステリには期待していなかった街や村々の描写に観光気分となりながらも、ジョージアナの活躍話にページを途中で閉じることができない。
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『十二夜』 (シェイクスピア著)

2023年10月26日 | 読書雑感
ヴァイオラ:おなたのお人柄は分かりました、気位が高すぎます。
  だがたとえあなたが悪魔だとしても、実にお美しい。
  私の主人はあなたを愛しております。あのような愛には
  報いてあげなければなりません、たとえあなたが
  並ぶものなき美人であっても。
オリヴィア: どのように愛してくださるの?
ヴァイオラ: 神をあがめるように恋焦がれ、涙は滝のごとく、
  切ないうめき声は嵐のごとく、ため息は火を吹かんばかり。

(第一幕第五場)


公爵: だからおまえも年下の女を恋人を持べきだ。
  さもないとおまえの愛は長続きしないぞ。
  女とはバラの花、その美しさははかないいのちだ、
  散っていくのも一瞬、咲かないかのうちだ。
ヴァイオラ:それが女です、悲しいことにそれが女です、
  花の盛りと見えるときが、散り行くときとおんなじです。

(第二幕第四場)


セバスチャン: ありがとう、アントーニオ、
  おれにはありがとうと言うほか何の俺もできない、
  ほんとうにありがとう。このようにせっかくの好意が
  ただの言葉でしか報いられない例はよくあること、
  だが、おれの財産がおれの真心のど豊かであれば
  ちゃんとお礼がしたい気持ちはわかってくれ。

(第三幕第三場)
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形容詞を使わない大人の文章表現力 (石黒圭著)

2023年10月10日 | 読書雑感
料理を作って親しい友人やお客様に出すとき、食べられればよいとばかりにそのままだすことはなく、器や盛り付けに気を配り、おいしそうに見えるようにする。文章も同じで読み手に伝わらない言葉、伝える力が弱い言葉を修正し、文章に一手間加えること、それがレトリックの本質。

基本的な考え方は「形容詞を避ける」こと。直感的に出てしまう形容詞に一手間を加え、どのように力のある表現に変えていくか。そのための9つの引き出し。

1. 大雑把な表現を排する(直感的表現から分析的な表現へ)
① あいまいさを避ける「限定表現」

 ・「すごい」は、意味が漠然としているため、他の言葉で言い換える。
   ポイントは、「何がすごいのか」「どうすごいのか」、漠然とした「すごさ」を言い換えで表現すること。
   人間の身体はすごい⇒人間の身体は精巧に作られている
   甲子園球場の声援はすごい⇒甲子園球場はスタンドの声援が熱狂的だ
   藤井聡太はすごい⇒藤井聡太は読みの力が群を抜いている
 ・「おもしろい」では伝わる内容が薄い。自分の興味を分析的に捉えて伝える
   日本のアニメは面白い⇒ストーリー性?映像の鮮明さ?主人公のキャラ?登場人物の設定?
 ・両義の形容詞に気をつける
     アルコールは大丈夫です、デパ地下がやばい
② 個別性を持たせる「オノマトペ」
   擬音語、擬態語で状況がイメージしやすくなり、より豊かな表現が可能となる
③ 詳しく述べる「具体描写」
 ・「かわいい」、「すばらしい」、「怖い」は、具体的に、意実に即した言葉に換える
  このネックセル、かわいい!⇒このネックレス、くりぬいたハートの中に輝く真珠がはいっていてエレガントなデザインだ
 ・形容詞を動詞で具体的に描写すると表現が力強くなる
  すばらしいお母さまですね⇒子供の言葉をきちんと受け止められる優しいお母さまですね

2. 自己中心的な発想を排する
④ 明確な基準を示す「数量化」

 ・「多い」「少ない」、「さまざま」、「いろいろ」等は発言者の主観的・相対的な基準に基づいているため、相手に正確に伝わりづらい。
  そのため、客観的な基準を伝え、具体的な表現にする
  この焼き鳥屋は休みが多い⇒この焼き鳥屋は土日にしか営業せず、店が開いている日よりもしまっている日の方が多い
  ホテルを選ぶポイントはさまざまある⇒ホテルを選ぶポイントは、部屋の広さや清潔度、朝食のメニュー、料金など、さまざまなポイントがある
⑤ 事情を加える「背景説明」
  断ったり言い訳をする際には、背景を説明して相手の気持ちへ配慮する
  いま忙しいんでダメです⇒締切間際の仕事を抱えているので、今は手が離せないのです
⑥ 出来事を用いる「感化」
  「幸せ」や「せつない」といった言葉では自分の気持ちが相手に伝わりづらいため、形容詞を動詞に換えて事実や出来事として描写したり、状況を詳しく説明する
  「せつない」事例:病室で、白い布をかぶせられてベッドに横たわる娘にすがりすいて号泣する母親

3. ストレートな発想を排する(直接的表現から間接的表現へ)
⑦ 表現を和らげる「緩和」

 ・否定表現はヒトひねりしたり別の見方を探す
  うわー、不味い!⇒ちょっと私の口に合わないかな / きっと好きな人にはたまらない味なのでしょうね
⑧ 裏から迫る「あまのじゃく」
 ・表現が直接的すぎる形容詞の代わりに、対極的・前向きな見方をしてみる
  つまらない会議だった⇒今日の会議は面白ことは少なかった / 今日の会議は報告事項が多くて新鮮味に欠けた
  厨房がうるさい⇒厨房の声が大きく、テーブルでの会話が不自由だったのは残念でした
          / 厨房をもう少し静かだと、落ち着いて食事ができたのにと感じました

 ・ネガティブな言葉を使って自分の感情をストレートに出さずに、ポジティブな表現な表現に換える
  悔しい⇒残念な気持ちになった / いい勉強になった
 ・肯定的かつ具体的に言い換える
  退屈な人生⇒面白ことは週1回ぐらいしかない / 毎日、同じことの繰り返しだな
⑨ イメージを膨らませる比喩
 「目を閉じていきを吸い込むと、それがやさしい雲のように僕の中にとどまる」(村上春樹独特のひと手間加えた表現)
 大きな土地⇒東京ドーム3つ分の広さ
 ・陳腐な比喩は別表現にする
  死ぬほど暑い⇒焦げ付くほど暑い / めまいがするほど暑い / 命が危険にさらされかねないほど暑い
   「暑い」のは日差しの強さ?気温の高さ?身体への影響?


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