フランス人て、なんで楽しいはずの映画をつまらなくしてしてしまうのだろう。お金と時間を使って愉しもうとしているのに、その気分をぶっ壊してしまう才能は世界イチだね。それが「芸術」とありがたがっているのだろうが、そんなものは芸術だとは思えないよ。「老い」や「介護」、「痴呆」なんてそもそも醜いものなんだから、それをツマラナーク撮って「芸術的に見せる」ことに価値があるなんて思えない。
撮りようによっては、介護に疲れた老いた夫が今まで愛を持って献身的に介護してきた妻を殺すシーンから始めて、愛しているにも拘わらずそうせざるを得なくなった心理状況の変化を、時間を逆回しにして描くことだってできたはず。少なくとも、その方がドラマ性があり、観る方も納得がいく。元々醜いものをそのまま見せること自体に芸がないよね、と思っちゃう。殺すしかないほどの深い愛を描きたかったのなら、もっと工夫してほしいもんだ、ミヒャエル・ハイネ監督よ。
でも、このフランス映画
『愛、アムール』は、突然妻を襲った痴呆から、右半身不随、そしてほとんど寝たきり状態になっていくさまを、淡々と順番に、何の起伏もなく描いていくだけ。宣伝コピーは、「静謐なまでの映像の美しさ」なんて嘘ばっか。確かにバックに流れる音楽は全くないが、それが「静謐」なの?何も言うべきことがないから「映像の美しさ」なんて言葉の誤魔化しに走ったとしか思えないよね、この映画は。
一番醜いなぁと思ったのは、あのジャン=ルイ・トランティニアンが、『男と女』や『暗殺者の森』でクールな大人の魅力イッパイだったトランティニアンが、かくも老醜をさらしていること、これが映画の中身以上に、老いというテーマを見事に表していたのはキャスティングの妙か。