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『十皿の料理』(斉須政雄著)はビジネス書だ

2014年06月01日 | My Diary
著者の斉須政雄氏は、フランスで修行した後に東京のコート・ドールのオーナーシェフとして活躍されているフランス料理人。そんな人が著した本だから、さぞかし読んでいるだけで涎が止まらず腹がキュウキュウ鳴ってくるような料理が10種類、これでもかこれでもかと迫ってくることを期待して読み始めると....

期待は裏切られなかった。季節野菜のエチュベの紹介など、野菜ではありながらメインにしてもよいかなぁと思ってしまうほどの妄想が頭の中で膨らみ、「トリュフのかき卵」は今までトリュフになど興味をそそられることが全くなかったにも拘わらず「嗚呼、食べてみたい!」と思わせてくれ、魚料理だったら和食だよねとフレンチレストランの魚料理は常にパスしてきた私に「フレンチの魚料理も悪くなさそう」と思わせた「おこぜのポワレ」等々、料理の腕も確か(だろう)な上に文才にも恵まれている稀有な料理人とお見受けした。いやぁ、参りました、本当に。

でも、本当に参ったのは10種類の料理ではなく、それぞれの料理の紹介の前にある文章なのです。料理の関する思い出だったり、素材の持つ力の日仏の差の比較であったり、そして何よりも料理というお仕事に対する一種の「技術者」としての心構えが、この本を単なる料理本ではなくビジネス書の域にまで達しめている。

ロスチャイルド家やパーレビ国王の料理長をしていた見掛けはただの爺さんの作る何の変哲もない普通の料理の旨さに驚きつつ、淡々と事を進める裏にひそむエネルギーと強靭な精神力に裏打ちされたしなやかさを持ってきちんと手順を誤またなければ、品格と伴った料理に仕上がることを看過する。

良い料理人を「いい技術者」と著者は呼んでいる。「いい技術者」である腕の立つ料理人なら、ものの格や値打ちを理解した起居振舞を見せる。そんな料理人しかトリュフという高貴さと下品さの両方を持つ素材を使いこなせない。いい加減な気持ちで相対すると負けてしまう。一刀両断する覚悟と力を持っていないと、却ってせせら笑われてしまうだけという。これって、人と人との関係にも言えますよね。「マウンティング」などという言葉が巷に出回っていますが、そんな上っ面なテクニックではなく真剣を手にした立会いのように、こちらが腹を据えてないと勝負には勝てない。料理本で記されるような話ではないですよね。だからこそ、これはビジネス書なんだと思うのです。

今は世の中がだいぶ学芸会化して、摂理が摂理、道理が道理として通っていないから、ものの格も値打ちも曖昧模糊でなにもかもがぐちゃぐちゃ。

知識だけではなにもできない。バックボーン抜きでものごとはなしえない。

技術とかテクニックとか切ったり煮詰めたりは枝葉末節で、料理をやっているんですからそんなことは当たり前なんで、もっとその裾野にあるものの処理がクリアーであるかどうか。そ言うことがきちんと出来ているから仕事の内容もきちんとできてくるんじゃないか。


これって料理人の言葉でしょうか?普通の料理本にはこんな人生を生きるための哲学は期待していませんよね。なのに、こんな奥儀ともいえる台詞があちらこちらに散りばめられていて、それはそれはとっても疎かには読めませんでした。

これでコート・ドールの料理が美味くなかったら許さないからな、斉須シェフ。
コメント
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