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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

コージーミステリーを読み耽る愉しみ その9 海の上のカムデン騒動記(コリン・ホルト・ソーヤー著)

2021年01月23日 | パルプ小説を愉しむ
『年寄り工場の秘密』
第5作に引き続き、連続で第7作を読んだ。やはり、物語を面白くしてくれる毒のある主人公というスパイスに惹かれてちょっとした中毒になったかな。この第7作は、今までと2つ違うところがある。一つ目として、アンジェラが暮らす老人ホームの支配人が顔を出すこと。二つ目は、アンジェラよりもキャレドニアが活躍して犯人を見つけてしまうことだ。

「海の上のカムデン」の近くにライバルとなる老人ホーム「黄金の日々」ができ、カムデンにいた何人かがそちらに移ってしまう。支配人からしたら由々しき事態、であるから、お話の冒頭は支配人の登場で始まる。建物や設備に趣あるカムデンとは異なり「黄金の日々」は実用一点張りの施設で、しかも食事は美味しくない。それでも、2組の夫婦がカムデンから移り住んでしまう。その一人が、夜に幽霊を見たといって、アンジェラに正体究明を依頼してくる。こんな面白そうな依頼を断るアンジェラとキャレドニアではない。早速、お試しプランを使って「黄金の日々」に2泊してみるが、施設のサービスに不満を募らせはするが幽霊は一向に見つからない。そうしているうちに、「黄金の日々」で暮らしていた人たちが何人か「カムデン」の方が良さそうだと気付いて移ってくる。今まではペット禁止のカムデンだったが、入居者からの要望で猫だけは期間限定のトライアルのために許されることとなり、猫を飼っていた独身男性もカムデンに越してくる。ハンサムで女性入居者へのマナーも良いためにたちまち人気者になる。アンジェラものぼせ上ってしまうくらいに。

支配人にとっては天国のような状況となった中、新しく越してきた中の一人が殺されるという事件が起こる。警察からの自粛要請にも拘わらずに捜査に乗り出すアンジェラとキャレドニア。入居人にいろいろと話しを聞き、ゴミを集めてきだす。何かのヒントが隠されているのではと考えたのだ。嵐のような夜が来てアンジェラの部屋の窓枠が緩んでしまったために、修理することとなり何日か部屋を移ることとなったその夜、何者かがアンジェラの部屋に強力な殺虫剤を規定以上の量で噴霧するという事件が起こる。当初、メイドが気を利かせて殺虫剤を噴霧したのだろうと支配人に感謝したアンジェラだったが、量の多さに不信を持った警察はアンジェラ殺しを狙ったものだと睨む。

ここに至って親友のキャレドニアが頑張る。窓の外から噴霧型の殺虫剤を置くにはマジックハンドのようなものが必要と考えて、入居人に片っ端からマジックハンドを借りに行く。何人目かに借りに行ったのが、新しく入居したハンサムな独り者老人。この男、麻薬売買の仲介をしていた実は50歳台半ばの男だった。老人ホームに入っているような老人は、半ば呆けて毎日をグダグダ過ごすだけと思われ、麻薬売買と結びつけるような人間はいないと目をつけて、年を偽って老人ホームに入居していたのだ。最初はゴミをあさっていたアンジェラが何か気づいたかと思い、今度はキャレドニアが真相を知ったことに気付いて、部屋を訪れたキャレドニアを殺そうとした。危機一髪のところ、猫がキャレドニアの膝に突然飛び乗り、驚きのあまりキャルが騒ぎ出して相手の男に馬乗りになってしまうというアクシデントが。そこに、外で見張っていた警察が乗り込み、無事に解決。

今回は、途中で犯人が見えてしまった。アンジェラがあさったゴミの中に、デリバリーピザの箱がきれいなままで捨てられていた。ふつうは、チーズやトマトソースなどがついているはずなのに何もついてない真っ新なままゴミとして捨てられていたから、これにはピンと来るよね。何か良からぬものを入れて運んでいたのだと。コージーミステリーにしては珍しく伏線が張ってあった作品。


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"無計画"というのが、トッツイの生活様式を言い表すのにぴったりな言葉だ。もしくは”実用的ではなく空想的”、でなければいっそ”だらしなく、ぐちゃぐちゃ”という言葉がふさわしい。
分かりやすく説明するようでいて、段々と厳しい物言いになる、しかも一度で終わらずに二度も繰り返す。この底意地の悪い可愛らしい表現が、毒というスパイスが入った物語に相応しい。

キャレドニアがカロリーという燃料をボイラーにくべる必要があることを理解していた ー そして、それなりの量のカフェインで知性の炎を明るく燃え立たせなければならないことも。
夜型で朝に弱いくせに、食欲だけは旺盛はキャレドニアの朝の様子が垣間見られる。やっとこさ朝食に間に合うように登場したキャルの具合が目に浮かぶようだ。

「歳をとることは別にいやじゃないのよ。ただ、歳をとることで受ける仕打ちがいやなだけ。私は皺が嫌いだし、老眼鏡も、補聴器も「嫌いだし、いちいち書き留めておかなければ、すぐにものわすれするのも嫌いだし・・・・ 嫌いなのは、歳の数でじゃないわ。弱くなったり、痛んできたりするものの数なのよ。歳をとるって、そういうことね。」
そのとおりだ。加えるならば前立腺についても一言付け加えておいてほしかった。


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『殺しはノンカロリー』
第1作を読んだのが2019年9月だったから1年半ぶりのシリーズ。不思議なもので、主人公のキャラが立っているものは、時が経っていても物語の雰囲気は覚えているものだ。例えば、アガサ・レーズンものはその一つ。本シリーズも同様で、亭主に先立たれた齢80歳で身長150センチの元提督夫人のアンジェラ・ベンボウと親友で巨体を誇るキャレドニア・ウィンゲイト(アンジェラと同じ元提督夫人)が殺人事件を見事に解き明かす。

二人が入居している「海の上のカムデン」は、豪華ホテルを改築して作った高級老人ホーム。元提督夫人として人に命令することに慣れきっていたアンジェラは、この共同生活への順応に苦労したものの、次第に性格が丸くなったようだ。友人もできた。その中の一人が、カムデンから数マイル離れたところにスパを経営しているドロシーだった。

ドロシーが経営するスパで従業員が殺されるという事件が発生。ドロシーは事もあろうかアンジェラに相談。何せ、高級スパで殺人が起きたのでは、お客が離れて行ってしまう。警察はドロシーの目には頼りにならなさそうに映る。ダイエットとは無縁のキャレドニアを同行を嫌がるが、なんとか誘って、二人はスパに潜入捜査に入る。

殺されたのは、スパで働くスタッフの一人だが、二人の滞在中に料理アシスタントの女性も殺される。二件の殺人事件。しかも、一緒に行ったキャレドニアが冷蔵倉庫に閉じ込められる殺人未遂事件も起きる。スタッフか、一か月のダイエットプランでスパに来ている金持ちマダムの中の誰が犯人か?

アンジェラが立ち聞きしたことから、客の一人が犯人と判明。マダムと火遊びをした数少ないイケメン男性スタッフが、若いツバメになるチャンスとばかりに恋人と別れよう(スパで働いていた女性)と切り出したところ、逆ギレした女性スタッフがマダムを脅しに行って返り討ちにあってしまった、というのが真相。二人目の被害者は、その女性スタッフの友人で二人の中を知っている可能性があったので、用心のために殺されていた。冷蔵倉庫にキャルを閉じ込めたのは、キャルが何気なく漏らした言葉から自分の犯行がばれているのかもと心配したためにしたこと。

この手のお話の常として、犯罪解決のための伏線が前半に貼ってあるなんてことはなく、謎解きものとしては「ああ、そうだったのね」で終わるものでしかないが、解決に至るプロセスでの主人公の言動が愉しいかどうか。シリーズ第5作の本書でも、老人らしい偏屈さを持つ二人のキャラクターとそこから巻き起こる行動は相変わらずで、二人のドタバタが十分に愉しめる。


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歳をとると、意志の強さは驢馬のごとき頑迷さに、呑気はだらしなさに、几帳面さは粗探しに変わる。いつも自らの権利を主張してきた者は筋金入りのけちん坊になる。
そんな世の中の当たり前の中、なんとアンジェラは性格が「丸くなった」のだそうだ。

私が存じ上げているご婦人がたは、肌が隠れるローブを着ていますよ。人工的な蜘蛛の巣ではなくてね
捜査に来ていた警部補の言葉。

その様子を見たアンジェラは、ヘロデ王の前に進み出るサロメを演じたときのリタ・ヘイワースにそっくりだと思った。
古き良き時代のハリウッド映画が出てくるところは、80歳近いという設定のアンジェラに似つかわしい台詞。

そうだろうね。大勢の人がパラシュートなしで飛行機から飛び降りてるさ。おまけに何人かは生き残っているだろうさ。だけど、いくら不可能じゃないからたって、あたしはやりたくないよ!不可能じゃないと不愉快じゃないってのは、まったく別のことなんだからね!
アンジェラの大親友、巨体のキャレドニアの台詞。不可能と不愉快が別だってことを説明するのに、こんな大袈裟な台詞が出てくるところが人物描写としても面白いし、台詞じたいもとても面白い。


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『老人たちの生活と推理』 
年を取って偏屈になった老人たち、いや老女たちが活躍するユーモアミステリー。主人公のアンジェラ・ベンボウは、元提督の亭主を亡くして一人で生きている未亡人。時間と金はもちろん、誰よりも自分が優れているというプライド、周りの人々が年老いた自分に過大なサービスを提供することを当然のこととして要求するエゴ、時を経ても決して変わることの無い若くて賢くて美しい自己イメージを人一倍持っている。特に最後の自己イメージが問題。周りに対する不当とも言える要求の土台になるのだから。頭の中を占有しているという矛盾と不条理に気付かずに押し通せるのが老人の特権なのだ。

アンジェラが暇を持て余している時に知り合ったのが、キャレドニア・ウィンゲイト夫人。これまた金は充分にあって、しかも威風堂々。キングサイズのダブルベッドを優に二台はおおうエレガントな衣装と、普段着のように無造作につけている宝石の数々。サイズの描写から、マツコ・デラックスを想像してまう女性だね。キャレドニアが澄んでいるのが、海辺の高級老人ホームの名前がカムデン。ここで、お騒がせな老人たちが巻き起こす騒動と、殺人事件解決の顛末が描かれている愉しいお話し。

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ずんぐりひしゃげた茶色の建物は、フランク・ロイド・ライトのゴミ箱から拾ってきたかのようなデザインだ。

人は歳を重ねるにつれ、おのずと個性が際立ってくる。鷲鼻の青年は、本物の禿鷲に。りっぱに胸の張り出した娘は、やたらと胸のせりだした鳩になる。さらに内面や精神的は個性も際立ち、セメントで固めたように固定される。二十歳のすらりとしたブロンド美人のアンニュイな魅力は、単なる不精な五十女のだらしなさに。食べ物をおもちゃにする少年は、全部食べきらないうちに夕食がさめてしまう愚図に。好奇心の強い子度もはお節介な年寄りになり、ガキ大将は暴力夫になり、ませた少女は不倫妻になる。
こんなふうに、誇張してユーモアたっぷりに言い切る台詞がコージーミステリーの愉しみの一つ。実生活でも使ってみたいが、時と場合と、そして聞かせる相手を選ばないと、「偏屈で気難しい年寄り」と言われてしまいかねない。

全員が老人という環境にあっては、死は奇異なものでも以外なものでもなく、単に約束を何度も先延ばしにされ、ついにしびれを切らして現れた客のようなものだった。
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『賢者たちの街』 エイモア・トールズ著

2021年01月11日 | 読書雑感
『モスクワの伯爵』が気に入ったので、著者の第一作となる本書にトライしてみたところ、大正解だった。『モスクワの伯爵』に負けず劣らずに、ノスタルジックな雰囲気満載の中で物語が進展していく中、途中で読み止めるのが苦痛となるほどの小説でした。

1966年のニューヨーク・マンハッタン、近代美術館で開催された写真展のオープニング・セレモニーパーティに出席した主人公、ケイティは多々ある写真の中に昔馴染みの男が写っている写真を2枚見つける。一つは高級な服を身に着け羽振りよさげに振る舞う写真、もう一枚は粗末なコートと無精ひげのままでニューヨークの地下鉄の座席に座っている写真。パーティにいる人誰しも、その2枚が同一人物を写したものであることに気づかない。ケイティはその男の名前を思い出す、「ティンカー・グレイだわ」 そこから物語は1937年の大晦日へと巻き戻っていく。

ブルックリンの2部屋で家族全員が暮らす生活から抜け出てマンハッタンに来て働いていたロシア移民の子ケイティは、下宿のルームメイトであるイヴとジャズを聴かせる安クラブで大晦日の夜を過ごそうとしている。と、そこに身なりのより若いハンサムな男がブラリと一人で店に入ってくるなり、ケイティとイヴの隣のテーブルに座る。何気なく上等なカシミアのコートを二人のテーブルの椅子に掛けたことから仲良くなり、それ以来三人で遊び歩くようになる。その男こそティンカー・グレイ。

クラブには新年を祝うシャンパンを置いてないと聞くと、ティンカーは席を立つ。5分経ち10分経ち、次第に心配になる二人の前にティンカーはシャンパンのボトルを手に戻ってくる。静かな中に自信ある物腰、馴れ馴れしくない控え目な態度、周囲への公平は興味、上質な装い、そして気前の良い金払い。金と作法が同居する環境で育った上質な男、二人を上流社会へ導てくれる男。そんな理想の王子様にケイティとイヴは1937年の大晦日の夜に偶然出会ったのだ。

互いが馴染みの店に連れていく、今まで交わることのなかった中流と上流との間の行き来で三人は大いに愉しい時間を過ごした。イヴは中西部出身の目の覚めるような美人だったが、どちらかというとティンカーはケイティの方に興味があったようだ(とケイティは感じていた)。ある夜、ティンカーの水銀みたいなシルバーのメルセデス・クーペが下宿屋の前に止まっていた。二人が暮らしている下宿屋の女の子全員の一年分の給料を合わせても到底買えそうもない高級車。街へ繰り出した三人は、いつものようにお愉しみの時間を持つのだが、店を出てメルセデスを走らせていたところ、80キロで走る牛乳運搬のトラックに追突されてしまう。

一番重症を負ったのがイヴ。顔に傷を負い、片足が不自由になったイヴをティンカーは自宅に引き取って面倒を見る。塞ぎ勝ちとなるイブと責任を感じるティンカー。三人で揃ってマンハッタンの夜を愉しむ機会がなくなる。傷を負い捨て鉢となったイヴをティンカーはフロリダに療養のために連れていく。精神的に立ち直ったイヴとティンカーの仲は進展して同棲するようになる。

吸血鬼は鏡に映らないという。事故はイヴを反対の性質を持つさまよえる魂にしてしまったのかもしれない。今の彼女は鏡の表面でしか自分が見えないのだ。
事故のために性格が変わってしまったイヴをこのように描写している。

読書好きのケイティは、勤めていた法律事務所を辞めて出版社で働きだす。上司である編集者は業界では有名人だが、今の世に合わずに一人ひとり消え去る昔気質の編集者の一人。給料は半分に減って転職を後悔しだしたケイティだが、出版社には役得もあった。ケイティと同じく暮らすために働いている秘書の他に、上流階級の子女も腰掛として在籍している。後者の女性の一人であるスージーの手引きでケイティの前に再び上流社会の扉が現れた。

ケイティを一言で表すと、自立した女。それは暮らしだけではなく、考え方や世の中に対する見方や人との接し方も含めたすべてにおいて。媚びることなく、それでいて尊大にもならず、自分を常に持っている女。そんなケイティをティンカーはこう言った。
最初に会った時から、ぼくはきみが内に冷静さを秘めていることに気づいた。そして思ったんだよ、あれは後悔しないことによってのみ生じうるものだと ー 自制心と目的を持って選択をすることによって、得られる素質だと思った。

読書好きで文章に独特の嗜好と見る目をもっていることは出版業界で働くケイティに新しいチャンスをもたらした。ケイティの能力を買っている老編集者が若くて野心があってやり手の編集者を紹介する。メイソン・テイトはこれまでになかったNYを代表するような新しい雑誌創刊に向けてフル回転で、そんなメイソンの有能な片腕としてケイティは能力を発揮していく中、新しい恋人ができる。ウォレス・ウォルコット。アッパー・イーストサイドの高級住宅で生まれ、アディンロンダックの夏の別荘と狩猟用の植林のある環境で、父親と同じプレップスクールとカレッジに通い、父親が亡くなると稼業を継いでいた正真正銘の上流階級人。吃音の気味があるものの、思慮深くて礼儀正しく頼りになる男性。

信頼できて頼れるウォレスだったが、スペイン内戦に参加するために一人旅立つことを決心する。クリスマスに向けて親族たちのために夏の内にプレゼントを準備するウォレスに寄り添うようにケイティが手を貸す。ここの場面は心穏やかでありつつも、二人の間の深い絆が感じられるほほえましい場面だ。決して、燃え上がるような恋心ではなが、信頼・安心・相互の尊敬に裏打ちされた静かで安定した奥深い愛情が感じられる。そんな二人であったが、ウォレスは戦死してケイティは一人残される。

そんな頃に、ケイティはイブにプロポーズしたものの拒絶されて去れらたティンカーと再会する。今頃になってティンカーを愛していたことに気づいたケイティだったが、ある日ティンカーの本当の姿を知ってしまう。相手の名前はアン・グランディン。

年齢をろくに感じさせないタイプで、ブロンドのショートヘアーに、バレエをするには背が高くなりすぎたバレリーナのような無駄のない身体つきをしていた。着ているのはほっそりとした腕を引き立たせる袖なしの黒のドレスだった。真珠のチョーカーはつけてておらず、イアリングをしていた ー 大粒のゼリーほどもあるエメラルドだ。宝石は神々しきばかりに美しく、たまたま彼女の瞳の色ともマッチしていた。その身ごなしは泳いでいるよう、としか言いようがなかった。水からあがっても、宝石が耳についていようが、海の底に落ちていようが、一瞬たりとも気にせず、タオルをとって髪を拭くことだろう。

ティンカーの名付け親と名乗ったアンだったが、二人の仲は金持ち有閑マダムと若い燕。愕然としつつも、ティンカーとの別離を決心するケイティ。でも、心は...

このような大河の流れのようなすべての出来事は1938年の一年の中で起きたこと。ケイティにとっても、ティンカーにとっても激動で忘れられない年であることに違いない。結局、自分を恥じたティンカーはアンと別れて港湾労働者として日銭を稼ぐ日をお送り、その一日がある写真の目に止まって地下鉄の中の一労働者としてのポートレート作品となった。貧しくとも偽らない自分を生きている証として、目に輝きを持った労働者として。

そして時は1966年のオープニングパーティに戻る。ケイティは今の夫であるヴァルとの生活、自分の仕事、自分のNYを愛しんでいる。朝起きる時に、ティンカーの名前をつぶやきながら。

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「近頃ではアパートにいて何もすることがないと、一緒に過ごせそうなやつが誰か街にいなかったかと考える」
「めんどり小屋に住んでいると、その正反対の悩みがあるわ。一人になるには外に行くしかないから」

出会ったばかりの頃にティンカーとケイティがこんな会話を交わしている。彼らの置かれた立場と階級の違いをそれとなく仄めかす上品で機知に富んだ会話だ。

だから、ティンカーも私もシートに背を張り付け、目を見開いて静かにじっとしていた ー 神の力の前にひれ伏す人間みたいに。

ベルモント(競馬場)でひとつだけ確かなのは、水曜日の朝五時に一般人の居場所はない、ということだった。ここはダンテの「地獄篇」のサークルみたいなものだった - 様々は罪を犯した人間が生息しているが、亡者たちの狡猾さと情熱もあふれていた。なぜ誰も「天国篇」を読もうとしないのかを思い出せる生きた助言だった。
たしかに、「地獄篇」はあるが「天国篇」は書かれていない。こんな仄めかしも教養の現れなのかね。

彼は居間の反対側の廊下を行って、ビリヤード室を通過すると、大げさな身振りでドアをぱっと開け放った。中は道具部屋になっていて、釘にはレインコート、棚には帽子がずらりと並び、幅木に沿ってあらゆる形とサイズのブーツが勢ぞろいしていた。ティンカーの顔つきを見たら、四十人の盗賊の財宝を見せびらかしているアリババかと思ったことだろう。
千一夜物語まで顔を出す。レパートリーが広い。

セントラルパークウエストに沿ってのっぽのアパートメントビルが木々の上に突き出ていた。空はティエポロの青だった。木々の葉が高揚していてハーレムまでずっと明るいオレンジ色の天蓋が伸びていた。公園が宝石箱で、空がその蓋みたいだった。
「宝石箱や~」と彦摩呂が言うとコメディになってしまうが、使い方によってこんなに美しくて洒落た描写になるのだね。

「人生は人を惑わすシグナルで溢れていますから」
「でも三角形の内角の合計は常に180度だわ - でしょう」

三角関係を上手に使って、内角の和に話を持っていくのは意味不明だが、何となく納得させられてしまう。

「たいていの人が持っているのは欲しいものより必要なものなの。だから、彼らは変わりばえのしない人生を送っている。でも世界を動かしているのは、必要以上のものを欲しがる人達だわ」
「締めくくりの言葉がとてもお上手なのね、アン」
「ええ、私の特技のひとつ。」

ティンカーを囲うアン・グランディンとの対決の場面は、お互いに譲らない。静かな中で互いの気迫がぶつかり合う中、世慣れたアンならでは存在が強調される。やはり、年の功というものか。このような年の取り方をしたいものだ。

お言葉ですけど、王様のご機嫌とりをした画家たちが歴史に残る絵や肖像画を描いたのよ。静物画はもっと個人的な表現形式だったわ。
画家であるティンカーの兄、ハンクと酒場と出会う。世を拗ねるようなハンクにケイティがやり返す。教養、そして自分なり見方ができていることを証明するかのような台詞。これに似た会話は他にもいくつかあって、ケイティの地頭の良さと折れることのない強い意志があちらこちらに顔を出している。

生まれながらに、バッハやヘンデルのような静謐で様式的な音楽の真価がわかる人がいる。かれらは音楽の数学的関係性や、その対称性やモチーフの抽象的美しさを感じることができる。でもディッキーはそうではなかった。
三人によるジャズ演奏という安上がりの体験が、ディッキーにとっての天啓となった。その即興演奏の良さを彼は本能で理解した。


人生をいつでもコースを変えられる放浪の旅にたとえるのは、ちょっとありふれている ー ハンドルをわずかに切れば叡智が広がって、一連の出来事に影響が及び、新しい仲間や環境や発見と共に運命が変わっていくという考えだ。でもわたしたにの大半にとって、人生はそんなものではない。その代わり、一握りの別々の選択権を差し出される瞬間がいくつかある。この仕事か、それともあの仕事?シカゴかニューヨークか?

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古き良き時代を背景に、古き良き上質な人々が織りなす物語、それを非常に上手に描き出してみれるのがエイモア・トールズという作家なのだと思う。上質な人々がだいたいにおいて上流の人たちで、彼らの誇り高くて周りに優しい眼差し、そして煌びやかな生活に憧れを感じさせることも上手だ。
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