お愉しみはココからだ!!

映画・音楽・アート・おいしい料理・そして...  
好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

「ダンナ様はFBI」 田中ミエ著

2013年07月24日 | My Diary
タイトルを見た時に、「『ダーリンは外国人』という本があったなぁ」と思い、きっと文化や風習の違い、そしてFBIというからには、お頭の中まで筋肉といったガタイのデカイ元捜査官の異文化生活におけるとんでも体験などなど、ドタバタ騒動劇を披露してくるお愉しみエッセイだと思った。あにはからんや、むしろ『ユダヤ人大富豪の教え』(タイトルはうろ覚え)や『金持ち父さんの投資ガイド』に近い。生活、いやむしろビジネスにおいて成功するために必要なルールのノウハウ本といったところか。

例えば、「FBI直伝・自分の魅力をアップさせる10の掟」の章はこんな具合だ。
1. 初対面の人には時間差で2度微笑みかけろ
人間誰でも初対面の相手には緊張する。それを一瞬にして和らげるには会った瞬間に最初の笑顔(相撲の張り手に喩えている)、そして着席して瞬間に時間差で微笑むと好意が定着するという。そして著者はダーリンから笑顔の練習までさせられた。
2. 出会って最初の1分間は相手に尊敬を伝える時間
あなたに会えてうれしい、あなたのこと一つでも知りたいということを態度と言葉で知らせる。そのためには世間話ではなくその人でなければ答えられない質問を投げかけるのだとう言う。例えば、
 「きれいに日焼けしていらっしゃいますね。スポーツがお好きですか?」
 「お手持ちの手帳は今評判のものですね。お忙しい時間管理がしやすいですか?」
3. 軽くスピーディなスキンシップはポイントが高い
ベタッとやるとセクハラだけど、瞬時に、すばやく、短く、さっと触る、軽く叩くというのがコツ。
4. 目が合った瞬間、0.5秒でハローを言え
たとえまだ少し距離があったとして、目が合った瞬間にハローを言って、距離は笑顔でつめていく。仕事での挨拶は早いほうが、出来る印象をもたれやすい。
5. 家族の話をアピールして相手の信頼を勝ち取れ
アメリカでは、犯罪者でも独身は家族持ちかで裁判の結果が違ってくるのだとか。相手にプライベートなことを聞くのはご法度だが、自分から話すことで親しさを増したり信頼を勝ち取ったりするのだとか。(そう言えば、アメリカ人のオフィスには必ず家族の写真がこれ見よがしに飾ってあるよね)
6. 相手への最初の質問で自分を効果的に印象づけろ
仕事の相手は、最初のいくつかの質問と印象にチューニングしてくる。(要は、幼稚なことを言っていると、相手に最初から舐められる、ということか)
7. 成長のための投資は自分に7割、子供に3割
8. 不得意なことを無理して引き受けるな
9. 贈り物に頼らなくても心は伝えられる
10.「生活最低年収」を決めて自分の力をテストせよ
本来の仕事で稼げる最低ラインを予め決めておき、これを下回ったら、自分の力が落ちてきたことを自覚する。

なんともシビアな掟だ。でも使える!!

これらの他にも、
●服装はメッセージを発する
●瞬間で人のタイプを見分けるトレーニングをしろ
●話しかける相手は心の中で抱きしめるようにすれば相手も心を開く
●一流ブランドショップでどう対応されるかで自分の値踏みをしろ
なんてのがあった。最後のブランドショップでの値踏みはすごいね。一流ショップだから店員も相手を値踏みするプロ。そんな店員がどのような態度をとるかは自分がどう見えるかの手っ取り早いリトマス試験紙だと。なるほどね、言われてみるとそうだ。でも、普通は店員がどのような目つきで見たとか、どんな態度をとったかまで気が廻らないよね。今度試してみよう。カジュアルではなく、それなりのスーツ姿でどう対応されるのだろうか?

などなどと、いろいろな役立つノウハウが詰められている一種のビジネス本だな。内容とタイトルがアンバランスだが、失敗と見るか、軽い気持ちで読み始めた後に「おっ!?」と思わせるかのどっちだろうか。私は後者だったが。

下手をすれば説教くさくなる内容だが、著者の一人漫才風なスタイルに救われている。ダーリンに笑顔の練習しろ言われたときに、

私、こう言っては何だけれど笑顔にはちょっと自信があるの、父親から器量が残念なところは笑顔で補えって言われて育ったから。

ツッコミとボケを一人でやっている漫才でんな。微笑ましい光景が目に浮かぶ。でも、「父親から云々」は10の掟のNo.5ではないか。恐るべしFBIの掟。

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ビル・カニンガム&ニューヨーク

2013年07月21日 | Cinemaを愉しむ
GREEDYという言葉がこれ上に似合う街が無いNYは野心と上昇志向と金の匂いがプンプンする街だが、そこにこんな爺さんがいるとは夢にも思わなかった。50年以上もNYの街中でファッションのトレンドを写真に収めている変人だが、この人なりのファッションセンスがある(らしい)。彼のお眼鏡に適ったファッション(人はどうでもよい)だけが被写体になるという栄誉を勝ち得るのだと。



"We all get dressed for Bill"と「ヴォーグ」アメリカ版編集長のアナ・ウィンターがコメントしているが、本心なのか腕利き編集長ならではの即興のcomplimentなのか分からない。でも、その言葉が本当なのだろうと思えてしまう。

かく言う私も若き頃にアメリカには計6年暮らし、NYタイムズも何回か目を通したはずなのに、この有名なファッションコラムは全く記憶がない。ファッションと言えば、パリでありNY5番街の洒落た店のものだと思っていたのだが、この変人爺さんはストリートの中にファッションを見出していく。

冒頭は、彼のファッションを見出す眼力の凄さを納得させる構成で、その後は彼自身と彼の哲学に入り込んでいく。私的には、彼の認めるファッション、彼が時代を見出したストリートファッションをこれでもか!という位に見たかったのだが、そこは映画としてこの爺さんを追っていくためには彼自身に踏みこまざるをえない。当たり前なのだが、ここが私の期待に反したところ。

住んでいる所はカーネギーホールの上というNYのど真ん中。そんな素晴らしいロケーションとビルなのに、部屋は写真のために人生を捧げた人のもの。トイレとシャワーは共同で、部屋は写真を保管するためのキャビネットが一杯。キッチンもなし。本人はパリのごみ収集人が着る青の上っ張りを着て、自転車でNYを廻りながら写真を撮り続ける。すべてをファッショントレンド撮影のために生きている。その成果はNYタイムズにコラムとして読者の眼にとまることとなる。

朝から晩まで、ストリートのみならずあちこちのパーティをはしごしてコラムを纏め上げる。相当な体力がないと勤まらんぞ。

「野暮ったい」とか「センスがない」といった否定的な眼で見ることは無く、その人なりのファッションの中に見るべきものを瞬時に嗅ぎ取ってフィルムに写し出す。誹謗や中傷、人を貶めることとは無縁の彼の生き様は、映画を見ている内に伝わってきて、彼なりの純粋な生き様に共感するようになる。上から目線のメディアばかりの中で、そのままに時代を伝えようという無私の心にいつのまにか感動してしまっていた。

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「食がわかれば世界経済がわかる」 榊原英資著

2013年07月13日 | My Diary
「ミスター円」と言われた元財務官の榊原英資さんは、外交交渉の合間に相当美味しいものを食べ歩いたに違いない。そして、その経験と食に対する思いがこの著書の根底にあることは想像に難くない。

食を「資源」として捉える国々と「文化」として捉える国々とがある、と著者は言う。前者はイギリスやアメリカなどのアングロサクソン系、後者はフランス、イタリアなどのラテン系や中国。日本はもちろん後者のグループに属する。

食を「文化」として捉える国であっても、フランスや中国とは異なり日本の食文化の特色は「季節感」と「非効率」と言う。「季節感」はよく指摘される。旬を大事にして、季節の折々に採れる食材の持ち味を活かして調理する。バターやクリームで濃厚に味付けすることによって、素材の味が分からなってしまうフランス料理とは明らかに異なる料理法を発展・進化させた国であることは我々は気づいている。そして、この独自の料理感はフランス料理にも取り入れられ「ヌーベル・キュイジーヌ」という潮流になっていく。別の人から聞いた話だが、フランスの高級料理店では日本人シェフがいないと困るらしい。日本人シェフの持つ料理センスと繊細な盛り付け技能がミシュランの星取りに不可欠だからだとのこと。そして、榊原氏は訪れた北京の高級ホテル、グランドハイアットのバー内に寿司バーが設置され、流行を追う地元の若者たちで混んでいたことを見て驚いている。「もし、無人島で暮らすことになったとしたら、何料理のコックを連れて行きたい?」という他愛もない質問が昔あり、多くの人が「中国料理」と答えていたのに対して納得していた記憶がある私として、あれだけの調理法とメニュー、レシピがある中国の最先端のバーでsushiが人気になっているとは想像だにしなかった。

生魚を切っただけ、と言われ勝ちな料理ではあるが、「活け締め」の技術がなければ新鮮な魚を愉しめる寿司や刺身が可能にならず、ほとんどの国々で採られた魚は市場に来るときにはすでに痛んでいると言う。だからこそ、香辛料が貿易で求められたのだろうし、新鮮でない食材を美味しく食べるための技術として濃厚ソースが生まれる必要があった。それはそれで美味しい料理に発展したのであろうが、素材自体が持つ絶妙な味わいを愉しむ食文化には進化することはなかった。

食材にこだわることと一汁十菜といわれるような多品種の食材を使用する日本食は、規格大量生産が出来ないために効率とは対極にある、とも指摘している。食を「資源」と捉えるアングロサクソン系では、物事をシステムとして捉えて効率化した結果、植民地時代のプランテーション経営により英国は世界を制覇でき、今ではアメリカが大量の資本投下とオートメーションによる経済効率の追求の結果として世界経済を支配できているのだと指摘している。マクドナルドの世界進出もこの論理の線上で語ることができるのでしょうね。

しかし、ファーストフードに代表される「食の工業化」によって、肥満や糖尿病の蔓延、狂牛病の発正(この本は2006年に出されている)という恐ろしい結果がもたらされている現状を見ると、効率化を追求する食文化から古来の日本が持っていた食のあり方に回帰すべきであると榊原氏は考えている。「リ・オリエント」と氏が呼ぶムーブメントは、効率化と安さから健康や環境という「自然への回帰」を根底に持っている。スローフードのムーブメントもその一環であろう。「豊かさ」が表わすものは、安価ですぐに入手できるということではなくなり、例えば時間をかけてお茶を淹れるという非効率ではあるがお茶がはいるまでの時間を愉しんだり大量生産された規格品では望めないお茶本来の味わいを愉しむといったことににシフトしてきている、またそう考えて生活を愉しむべきだ、というのが著者の意見である。(もちろん、そんなことが許されるのは効率化によって金銭的に豊かになった国ならではの特権ではあろうが。)

この考え方には同意できるね。単に夕食を作るという義務としての「作業」ではなく、美味しく食べてくれる子供たちの笑顔を思い浮かべながら、クッキング自体を愉しむのが最近の週末の営みになっている私には、「そうそう」と思い、いいねボタンを押したくなる、そんな本でした。

著書の中にあったことで知らなかったこととして、
● 縄文遺跡の発掘によって縄文人がどんぐりを発行させて造った縄文みそとでも呼べる調味料を食べていたこと(へぇ、大陸から伝わったものばかりではなかったんだ)
● 17世紀後半の江戸時代には料理屋が生まれて18世紀半には外食文化が浸透していたこと(パリでレストランが広まったのも18世紀半ばというから、ほぼ同時期だったんだ。へぇ×へぇ)
● 産業革命の前段には農業革命が必要で、江戸時代の各藩では干拓を努める他にも、砂糖や生糸などの商品作物生産を奨励したり、陶磁器や紙、蠟といった特産品の育成といった殖産興業を進めた結果、農村の生産性が高まり農業革命が起こっていたこと(へぇ×へぇへぇ)
は知識の小ネタになった反面、「ブランド化」という観点ではフランス料理やイタリア料理、中国料理に比べて今イチ劣っていると感じられるのはなぜなのだろうか??という疑問が残りました。

この疑問は日本食・料理に限ったことだけではなく、優れた技術や技能を持っている日本の生産品、下町の工場が持つ「ここでしか造れない」製品や、日本古来の職人が織り成す産物がなぜブランドと成りえていないのか、と同じ疑問です。一例では、オニヅカのスニーカーから生まれたNIKEが世界的なブランドになっているのに、元のオニヅカのブランド力は何なのか、その違いはどこから生まれているのか?といったら理解してもらえるのかと思います。決してCMのクリエイティブだけではないはずで、ブランドになれたものとなれなかったものの違いはどこにあるのか??という疑問を想起させてくれた本でした。
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驚異のパンフォーカス写真:アンドレアス・グルスキー

2013年07月07日 | My Diary
東京新美術館で開催されているアンドレアス・グルスキーに行ってきました。「世界最高額の写真作品」というコピーに魅せられたことと、宣伝に使われていた写真の通常ではあり得ないほどのパンフォーカス技術にびっくりしたからです。


隅から隅までピントがしっかりあっているこのような写真を撮るにはそれなりの技術が必要であることは知っているが、でも広角レンズでとったような画面のゆがみもないし、しかも人もちゃんと写っているではないか?!?!?!これには仰天。

本物は207×325cmと馬鹿でかい作品なのですが、じっくり見ていると心なしか気持ちが悪くなる。そこで、はたと気が付いた。これはデジタル技術で合成してるに違いない!

通常の写真なら、望遠で撮ろうと広角で撮ろうと、遠近法が作用しているので写真の中央に視点が定まるはず。でも、グルスキーのパンフォーカス写真にはそのような視点がない。複数枚の写真をデジタルで繋ぎ合わせたに違いない。

だからといって、彼の作品性が損なわれることなど何もなく、着眼点の凄さと技術の確かさはすばらしく、最高額で落札されたという事実に納得がいきます。

彼の作品には、画面上を横切る線がとても印象的で、きっと意図して撮っているんだろうな。あと、証券取引所(東京とシカゴの2作品があったが)に代表される群像写真が目に焼きつく。


そして何よりも興味を惹かれたのが「カミオカンデ」という作品。


どっかの仏教寺院の曼荼羅かと思ったら、日本は岐阜県にあるニュートリノ検出装置だとか。科学技術が行き着く先は宗教的になってしまうのかね。

あと、「大聖堂」という作品も素晴らしかった。ステンドグラスとそれを撮影しているカメラクルーとが一枚の写真の中に納まることで、ステンドグラスの巨大さと力強さに息を思わず飲見込んでしまいました。


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