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そうだ、鎌倉に行こう ~その1~

2020年03月22日 | 小旅行を愉しむ
■円覚寺
JR北鎌倉駅東口を降りてすぐにある臨済宗の禅寺で、鎌倉五山の第二位のお寺。中国の宋から来た禅僧の無学祖元が開堂した折に白鹿が出現して説法を聞いたという謂れから、山号は瑞鹿山と名づけられた。寺内は広い。線路も県道も円覚寺の敷地内を貫いているのだとか。

総門と三門。




仏殿には、宝冠釈迦如来がおわします。


大方丈の奥にある庭園を方丈から見た様子と外側から見た様子がこんな感じです。




更に奥へ進む坂道の様子。桜がしっかりと咲き始めています。


入ることができませんでしたが書院の入り口には扇子が置いてあり、寺らしくない雅さがあります。



■東慶寺
別名、縁切寺。山号は松岡山で円覚寺派のお寺。開山は北条時宗婦人だった覚山志道尼。かつては、後醍醐天皇皇女や豊臣秀頼の娘が住職を勤めている。入るときに渡されるパンフの片面は、季節ごとに寺内で咲く花が写真入りで紹介されています。さすがに尼寺です。

入り口。


三門。


本尊である釈迦如来坐像が祀られている本堂前の桜は、三分咲き程度でした。



■浄智寺
五山第四位のお寺で山号は金宝山。臨済宗円覚寺派のお寺。
三門に掲げられている『寶所在近(ほうしょざいきん)』の文字は、開山の無学祖元の筆なのだとか。


珍しい唐様の鐘楼門は鐘つき堂を兼ねた山門で。2階の窓は花頭窓という花形の形で、中に梵鐘が下げられています。


本堂には、室町期作の木像三世仏坐像、阿弥陀・釈迦・弥勒の各如来が安置されており、その三つは『過去・現在・ 未来』の時を象徴しているのだとか。鎌倉地方に多く見られる、衣の裾を台座に長くたらした様式の如来です。

院内の奥のほうに布袋様の石像が祭ってあり、お腹をなでられるようになっています。



■明月院
紫陽花寺という別称の方が有名な臨済宗建長寺派のお寺。元々は平治の乱で死んだ山内首藤俊通の菩提供養のために創建された最明寺を前身とし、後に蘭渓道隆禅師が開山した禅興寺の塔頭となった。総門、三門ともに、塔頭という地位のせいか控え目です。


方丈の前には枯山水が配され、奥には庭園が配されています。


本堂越しに見える庭園と本堂に入って見える庭園です。聞こえるのがカエルの鳴き声だけという静謐な空間と時間を愉しんだ10分間でした。




6月の紫陽花の季節には、きっと綺麗なんだろうと想像するだけで愉しめるお寺でした。


■建長寺
正式には巨福山建長興国禅寺という名前で鎌倉五山の第一位の臨済宗建長寺派の台本山。


総門。


三門の楼上には五百羅漢などが安置されており、その下をくぐると心が清浄になることを祈念している。


仏殿には本尊の地蔵菩薩坐像が安置されている。


仏殿とその奥にある法堂。どちらも重要文化財。法堂には千手観音菩薩が祀られている。


龍王殿とも呼ばれる方丈には宝冠釈迦如来が祀られ、背後には大覚禅師が作庭した庭園があります。




方丈の正面にある唐門。元々は、崇源院御霊屋(今の仏殿)の唐門で、17世紀に移築されている。



■浄光明寺
真言宗のお寺で山号は泉谷山。皇室の菩提寺である京都東山の泉湧寺の末寺として建長三年(1251年)に創建。開祖は北条時頼(5代執権)と北条長時(6代執権)で、北条長時から始まる赤橋流北条家の菩提寺として位置づけられているお寺。北条氏滅亡後、足利尊氏が後醍醐天皇から謀反の疑いをかけられたことに苦悩し、戦いを決断するまでの一時期この寺に蟄居していたために、室町時代にはいって足利氏によって庇護された。

三門。


客殿には、本尊である阿弥陀如来像、観世音菩薩と勢至菩薩がその両脇に安置されている。2つの菩薩は首を傾げており、客殿入り口で屈んでみると、如来、菩薩の3体の視線が集まっているように工夫されている。

狭い石段を登っていくと、岩壁に大きなやぐらが掘られており、鎌倉二十四地蔵の一つに数えられている「網引地蔵」と呼ばれる石造地蔵菩薩坐像が祀られている。この地蔵は、由比ヶ浜の漁師の網にかかって引き揚げられたことから「網引地蔵」と名付けられ、背中には1313年の銘が刻まれている。





■寿福寺
正式名称は亀谷山(きこくさん)寿福金剛禅寺。臨済宗建長寺派。開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西で、本尊は釈迦如来を祀っている。鎌倉五山の第三位で、このあたりは源頼朝の父である義朝の屋敷があった場所とのこと。

総門からは次の門である中門までの参道は、桂敷きという技法の石畳で、その両側には木々が背高く植えられており、いかにも由緒正しいお寺っぽさが漂っております。そして、中門。


見ることができるのは中門までで、この先は非公開。調べてみると、特別公開されるのはお正月とゴールデンウィーのみ。残念でしたが、せめてもと思って中門から寺内を覗いてみました。


寺奥にある北条政子と源実朝の墓がありました。
コメント
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