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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

『人と組織を巧みにお炉ガスウかくてさりげない「21の技術」Deep SKill 』石川明著

2025年02月01日 | 読書雑感
仕事ができるとはどういうことか?「知識」や「ノウハウ」は仕事をするうえでの必要条件ではあっても十分条件ではない。では何が重要なのか?(中略)「人間真理」と「組織力学」に対する深い洞察力、そしてその洞察に基づいた的確な行動力。
■したたかに動く
1. 信頼資産:「ずるさ」ではなく「したたかさ」を磨く 信頼資産をためた上でしたたかな戦略を持つ
2. 裏切り:上司とははしごを外す存在である 道徳観に期待せず身も蓋もない現実を洞察する

自らがスポットライトを浴びる主役になってはいけない。自らは舞台に上がらずに筋書きをコントロールする「脚本家」のポジションを取らなければならない。
3. 意思決定:優柔不断な上司に決断を迫る そもそも上司とは意思決定したくない存在である
正論は自分を律するたえに用いるべきものであって、これを他者に押し付けようとしても反発されるだけ。上司に喜んで意思決定させるためには、①上司の「不」を軽減する材料を揃える ②意思決定しないことのリスクを理解させる ③将来像を描くことで背中を強く押す
4. 覚悟:勝負どころではあえて波風を立てる 角を立てた主張で社内の議論を深める
5. 達観:会社で深刻になるほどのことはない 困難な仕事を成し遂げるRPG思考
■人間関係を武器にする
6. 抜擢:弱者でも抜擢される戦略思考 才能・スキル・能力よりも大事なのは戦い方

大切なのはほかの人と同じことをせずに、複数のスキルを掛け合わせる
7. 専門性:専門性の罠におちいってはならない 普通の人の普通の気持ちを持ち続ける
ビジネスモデルとは事業として成立させるための手段であって目的ではない。ビジネスの目的な「世の中の不」の解消
8. 思考法:他者の脳を借りて考える プライドを捨てて人に頼ることで強い力が手に入る
「壁打ち」をすることで他者の視点や知見を取り入れた上で相手を巻き込む強力な根回しとなる
9. 話し方:敏腕ビジネスマンのように話さない 話が上手い人ではなく話ができる人を目指せ
自分が話したいことを放すのではなく、あいてが話したいことを引き出すような話し方を磨く
10. 協力関係:協力関係の網の目を張りめぐらせる 相手の「不」を解消することで大きなパワーを手に入れる
11. 他者貢献:親切なのに嫌われる人の特徴 さりげなく味方を増やす他者貢献の賢い技術

親切の押し売りは嫌われる。相手が思考を深めて答えを見つけ出す手伝いをする
12. 求心力:まず自分の起源をマネジメントする 求心力のあるマネジャーは上手に仕事を手放す
■権力と組織を動かす
13. 企画力:組織を動かすプロセスを企画する 社内で吹いている風を読み取り賢く利用する

企画とは、自分の目的を達成するまでの実行プロセスの設計図を描き出すこと
14.言語化力:上司の頭の中を言語化する 上司のフェアウェイとOBゾーンを明確にする
相手が頭の中で考えていることを言葉にして、相手が理解しやすいように整理して伝える能力を磨く
15.権力:権力を味方につける人の思考法 人間心理の機微を深く理解し権力との距離を測る
16.合理性:合理性の罠に陥らない方法 合理的に考えても結論が出ないときの思考法

何がしたいか、どうあるべきなのかの原点に立ちもどるためには意志を確認する
17. 効率性:効率化で墓穴を掘らない思考法 自分の仕事の本来の目的を徹底的に考え抜く
18. 対立:調整とは妥協点を探すことではない 対立関係を協力関係に帰るたったひとつの方法
■人間力を磨く
19. 嫌悪感:人間の哀しさを理解する 好き嫌いに左右されず自分の感情をコントロールする方法
20. 失敗:やり切った上での失敗には価値がある 一流の経営者が評価する表面的な成功よりも大切なこと
21. 使命感:使命感が最強の武器である 怒りを使命感に昇華すればどんな困難も乗り越えられる

『ゴールド・コースト』 ネルソン・デミル著

2025年01月19日 | 読書雑感
共産主義は死に、アメリカの資本主義は悪い咳をしている。となると、いったい何が、だれが、地を引き継ぐのか?かの聖なるハニングズ師が説くような”柔和なるもの”ではない。宿主が生きているあいだしか生存できないめるざーのような寄生虫でもない。(中略)スタンホープ一族のような人たちは生き残るかもしれない。長期間くいつなげるだめのどんぐりをご先祖さまが蓄えておいてくれたからだ。ベラローサのような人間は、もし森の中の新しい狼どもと話をつけることができれば、生き延びる可能性もある。レヴォリューション(革命)ではなく、エヴォリューション(進化)。アメリカとはもともとそういう国なのだ。

月曜の午後遅く、われわれは日に焼け、疲れ切って、スワナカ・コリント・ヨットクラブへ帰りついた。船は人間関係に対する一種のリトマス試験紙である。外界から遮断され、せまい船内で起居をともにすると、必然的にあ、温かいきずなが生まれるか、でなければ反乱や殺人に追い込まれる。ポモナック号をもとのねぐらに係留したとき、わがサッター家の家族はみなたがいにほほえみ合っていた。海が奇跡を行ったのだ。だが人間は永久に会場にとどまっていはいられない。それに、大多数の無人島は盲腸の緊急手術の設備に×。だから我々は舟を繋ぎ、自分自身をエレクトロニクスの命綱に繋いで、喧噪と絶望の人生を送るのである。


主人公のジョン・サッターの一人称で描かれるこの小説『ゴールド・コースト』 、上下巻併せて900ページ以上となる長編小説だが、こんな調子でジョンならではシニカルで冷めた目で世の中と人々を眺めたコメントが車道の砂利石のようにちりばめられながら話が進んでいく。アメリカ建国時代から続く名家の出身でイェール大学とハーバード・ロースクールを出た税務を専門とするNYの弁護士。妻は、サッター家よりも遅くアメリカへやって来たものの巨万の富を稼いだ富豪の娘にして美人。ロングアイランド島に建つ妻の両親が所有するスタンホープ屋敷お屋敷は、新宿御苑よりも広い200エーカーという広さ。もとより、ロングアイランドという土地自体が由緒正しい家系であるとともに唸るほどの金を持っていないと住めない土地。そんな金の匂いがプンプンする設定の中、スタンホープ屋敷のお隣の豪邸にアメリカ最大のマフィア組織のドンが引っ越してくる。この男がいまにもワルといった佇まいと口調と話法でジョンとスーザンの夫婦を魅了していく。二人が別々な方法で、このドン、ベラローサに惹きつけられてやがて破滅の道を徐々に進んでいく、というのが物語の大筋。最後は、ベラローサの愛人となっていたスーザンがベラローサを射殺して終わる。ベラローサに命の貸しがあるジョンがベラローサに言わせた台詞がスーザンを殺人に追い込んでいったことが分かる。そう、ベラローサは大物ドンになりあがった人物にふさわしく、言動によって人を操ることに長けている。一方、ジョンはそんな手練手管の裏を見透かすほど頭が切れるが、ベラローサの魅力に抗しがたくどんどんと深みにはまって最後は破滅へと突き進んでいく。ジョンの場合は、ベラローサの魅力が半分で、残りの半分は自分が育ち属する社会階層に対する心の奥底にある反発心とがあるようだ。そして最後は、逆にジョンがベラローサに対する「貸し」をネタに、ベラローサにスーザンへの台詞を言わせるという立場の逆転がなされる。命の「借り」があるベラローサはその台詞がもたらし結末を予期していたのだろうと思う。どちらも頭が切れる人物なのだから。二人の男たちの互いに裏を見透かした上での生き様を追い求める”大人の男”であることがこの物語を更に魅力的なものにしている。

『神道はなぜ教えがないのか』 島田裕巳著

2024年12月16日 | 読書雑感
開祖も、宗祖も、教義も、救済もない宗教が神道である。

宗教の役割ということを考えた時、真っ先にあがるのは「救済」ということであろう。(中略)神道においては、翠杭、救済ということは前面に出てこない。(中略)日本人は、神道に対して、現状がそのまま無事に続いてくれることや、少し状態が改善されることを望みはするものの、今抱えている悩みや苦しみから根本的に救ってもらうことを望んだりはしない。

日本の神話全体を考えた時重要な事柄は、最初に天地を創造した主体が不在だという点である。(中略)「国生み」という日本の国土を創世する過程は記されているものの、天地がいかに創造されたか、それについては語られていない。

神道と仏教は、片方が生の領域に深くかかわり、もう片方が死の領域に深くかかわることで役割分担をおこなうことが可能になった。

世界の宗教の中で、出家が制度化されているのはキリスト教と仏教だけである。それもこの二つの宗教では、現実の俗なる世界とは根本的にことなる聖なる世界の存在が前提となっているからである。

日本の神の自由な動きは、遷宮ということに留まらない。頻繁に見られるのが、「勧請」、あるいは「分霊」という行為である。

神社が「神のための場所」であるのに対して、寺院は「人のための場所」である。



『観察力を磨く名画読解』 エイミー・E・ハーマン著

2024年12月11日 | 読書雑感
大事なのは-
●全体を捉えつつも細部をおろそかにしないこと
●複雑さをおそれないこと。結論を急がないこと
 一層ずつ順を追って分析する。得られた情報には重要度によって優先順位をつける。
●疑問を持つ心を忘れないこと
 発見は漏れなく言葉にすること。他の人にはまったく見えていないかもしれないのだから。
 もっと明確にできないか、重要な情報を引き出す質問は何だろう、と自分に問いかけよう。
●客観的事実だけを扱うこと
 感情や憶測で事実を濁らせてはいけない。事実を正確に伝えたいのなら、意識して客観的な表現、数字、色、大きさ、音、位置関係、材質、場所、時間など。事実に裏打ちされていないものをすべて主観的な表現だ。また、否定的な表現を肯定的な表現に変えるのも、客観的に話すコツだ。”うまくいくとは思えない”よりも”こっちの方法を試してみたらどうだろう”の方が耳を傾けやすい。

練習方法
●腕時計やハンドバッグ、水筒など普段の生活で使うものを選び、1分間集中して観察する。観察が終わったら、それを見えないところにしまって、特徴を全部書き出す。色、形、素材、ロゴ、寸法など、できるだけ詳しく書き出す。そしてモデルにしたものを取り出してさっきより長い時間、観察する。先程気付けなかったことにきづけるかどうか?
●二度見る。私たちの目は、新しくて革新的でわくわくするものに引っ張られる。だからなんでもない場面に隠れている平凡なものをきちんと見るには、意識して注目しなければならない。まずは、全体を見渡してから、改めて一つを見直す。できるならば角度を変えるといい。近くで見て、遠くから見る。周囲を歩いて視点を変える。ふつうでは見ないような角地から見れば、なんということのない眺めに、変わったものが含まれていることに気付けるかもしれない。
仕事をしていて壁にぶちあたったときには、席を立ち、外に出て、今起きていることを観察しよう。それが脳を活性化させ、五感を冴えわたらせ、壁を超える方法を教えてくれる。
●観察のポイントは、”誰が”、”何を”、”いつ”、”どこで”。 ”なぜ”は最後にする。”なぜ”は疑問の中で最後まで明らかにならないことが多く、手に入らない答えを探して右往左往する前にいまある情報(誰、何、どこ、いつ)に集中すること。

アートとコミュニケーションのあるべき姿は似ている。アートとは招待することー自分の思考に他者を招待して、自分が見たもの、どう見たかを他者に知らせることなのである。コミュニケーションも全く同じなのではないだろうか。

コージーミステリを読み耽る愉しみ その4 英国小さな村の謎シリーズ(M・C・ビートン著)

2024年12月10日 | パルプ小説を愉しむ
20話『アガサ・レーズンとけむたい花嫁』は2024年1月の新刊で、やはりだいぶ予約者がたまっていたので待たされた。「お茶と探偵」シリーズの直後に読み始めて感じたことは、こちらは話が断片的に進んでいくなぁ、という感覚。「お茶と探偵」シリーズはスムーズではあるが、ゆっくりゆっくりと南部らしい速度感であちらこちらへ大きな曲線を描くようにして進んでいく。一方アガサ・レーズンのシリーズは、負けず嫌いでせっかちなアガサの性格が乗り移ったかのように、話が折れ線が続くようにしながら進展していく感覚が「断片的に進んでいく」と思えるような感じ。婚約を一方的に破棄されても思いを吹っ切れないお隣さん、ジェームズ・レイシーが結婚することとなった。相手はジェームズの半分くらいしかない歳の美女。結婚式前夜、新婦に対する疑惑を感じていたジェームズがアガサにそのことを言ったところ、アガサは「撃ち殺してしまえば?」と答える。翌日の式当日、花嫁が銃で撃たれて死んでいるのが発見されて大パニック。その上、前夜の「撃ち殺してしまえば?」という台詞が警察に知られてしまったアガサは厳しい取り調べを受ける。幸いなことに殺人事件の時間には、街中で帽子を買っていたことが証明されて無罪になったアガサは花嫁の花親から捜査を依頼される。優秀な部下だったトニが独立して活躍するようになったことに嫉妬していたアガサは自分が主役に返り咲ける絶好の機会と引き受ける。花婿のジェームズはさっさと自分の家に戻ってしまい、不義理なことこの上ない。そんなジェームズをアガサは「あんたは弱虫よ」と罵る。花嫁の父親は捜査にアガサに対して攻撃的、手助けしようとするビル・ウォンは担当区域が違うと地元警察から相手にされない、チャールズは相も変わらずマイペースで自分独自の方法でアガサを助ける。アガサが惹かれているフランス人のシルヴァン・デュボアだけが大いなる助けなのだが、その後に起きる領地内での犬管理人殺しや、その代わりの管理人殺害現場にまで居合わせるという偶然が続く。チャールズに言わせると、こんなに続けて現場に居合わせるのは犯人に違いない。シルヴァンに惹かれているアガサはそう思いたくない。捜査状況を説明してアドバイスをもらおうとまでする。やはり、そのシルヴァンと花嫁の父親がグルで、中国人の密航者を自分のクルーザーで運んで大金を稼いでいた。しかもジェームズが婚約した相手は、実の娘でなかった。義理の父親が義理娘と不健全な関係にあり、その継続を望んだものの、娘から拒絶され、その腹いせに銃で撃ち殺したというのが真相。殺人事件究明が密入国斡旋ビジネスまで暴くことになって、大手柄のアガサなのでした。

「彼女にはテレパシー能力はないんだ、わかるだろ。話し合わなくちゃならない」
一度は独立したが出戻って来た優秀な部下のトニが大した仕事を任されないと同僚に愚痴をこぼした時に言われた言葉。コンサルティングの世界ではアドバイスをあたえるのではなく共感することで相手に気付かせろということが言われるのだが、肝心なところではアドバイスしないといけないよね。テレパシー能力まで持ち出されてしまうと、自分の世界の中でうじうじしていても埒が明かないに嫌でも気づかされる。「共感」することをやたらと強調するキャリア・コンサルティングに胡散臭さを感じていた私にはとっても痛快な台詞でした。

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シリーズ19話となる『アガサ・レーズンと毒入りジャム』。今回もまた、近隣の村の押しの強い牧師から村祭りのPRの手伝いを頼まれる。断ろうと村を訪れたところ、イケメン男が目に止まるやアガサの悪い癖が出て、断るはずだったPRのお仕事をあっさりと引き受けた。人気ポップシンガーを村祭りに招き、千客万来の集客に成功したものの、祭りの最中に人が死ぬという事件が起こってしまう。村祭り恒例のジャムコンテストの味見ジャムに麻薬、LSDが混入していたことが判明。PRを依頼した牧師がアガサに事件究明を依頼。ジャム味見のテントに詰めていた年配女性二人には怪しいところは何もなく、ジャムコンテスト応募した人たちそれぞれには怪しいところがある。村人からは災難を招いた張本人と白い目で見られる中、調べ始めると他の村人たちにも怪しいところがある。アガサらしい行き当たりばったりの捜査が今回も功を奏し、混入していたLSDから犯人を割り出すと、牧師の妻が犯人と分かった。

このシリーズの特徴はスピード感。映画で言うところのシーンが組み合わさって話が進んでいく。シーンは短いもので1ページ、長いものでも数ページの長さで、一つの章に幾つも入ることで、場面転換と異なるエピソードが複層的に展開することで物語の進展がスピーディに感じられる。もちろん、細かでねっちりとした描写よりも色々はネタを多く入れ込んでいることもスピード感を増している。著者であるM・C・ビートンの持ち味なのだろう。

心の中に居座っているお目付役が指摘した。アガサはインナーチャイルドの子供っぽさに悩まされることはなかったが、このお目付役ときたら口うるさいことこの上ない。
映画でも小説でも、フロイトやユング心理学を応用すると登場人物の奥行が出るようだ。また、2人の心理学を応用して登場人物の行動を解説する評論家もいるが、最近では作家じたいが登場人物に心理学の心得を持たせることを時々見られるようにもなってきている。

「あなたは改宗したカトリック教徒みたいなものなのよ。自分はもうお愉しみがないんだから、あんたもお同じであるべきよ、ってことでしょ。この地球温暖化の詐欺がいい例よ。地球を救うために重い税金をかけていると政府は言っている。たわごとよ!税金は全て国庫という名のブラックホールに吸い込まれて、永遠に消えてしまい、地球をすくためには何ひとつ行われていない」
著者の政治的な意見が反映されているのかどうかは不明だが、今の世の中で常識であり良識にもなっている温暖化という問題に対して、このような反対意見を吐かせることでアガサという人物のキャラクターが濃くなっている。しかも非常に歯切れの良い意見表明であることが、アガサらしい。

化学者が「自尊心」というラベルを貼った効き目のある薬を発明できたら、億万長者になれるだろう。

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シリーズ第18話『アガサ・レーズンの奇妙なクリスマス』。地元で開業した探偵事務所は迷子のペット探しや浮気調査などで大繁盛。もっとスリリングは依頼が欲しいと思っていたアガサの元に一通の手紙が。領主屋敷に住む夫人から調査の依頼だった。何事かと訪れてみると、そこで暮らしていたガサツな老女が自分は子供たちに殺されるとアガサに伝える。本気にしないアガサだったが、せっかくの依頼だったので週末に一泊して老女の誕生日パーティに参加したところ、パーティの真っただ中で彼女が毒ニンジンで殺されてしまう。4人の子供たちとその連れ添い、皆が怪しく見えてくる。丁度その折、手が照りなくなったのでトニという名の17歳の女性を試験雇用してみたところ、これが大当たり。アル中の母親、暴力を振るう兄という悲惨な家庭で育ったトニにアガサは同情して母親のように面倒を見る。兄に殴られたトニに住むところを借りてやり、仕事のためと言いながら車まで買ってやる。アガサの親切に感謝しつつも多少の重荷に感じながら、トニは仕事に励む。地頭がいいのか、飲み込みが速いのか、浮気調査、ペット探し等々で手柄を次々に立てていく。そして毒殺された老女の事件にまで駆り出される。老女は金持ちであるにも拘わらず、子供たちに十分な金を渡さず、しかも屋敷が牢獄に思えるほどに子供たちを束縛し精神的に苛んでいた。そんな毒親に対する子供たちの復讐のように思われていたところ、屋敷の庭師がキッチンから盗んだ老女手作りのワインを飲んで死ぬ。ワインに毒ニンジンが入れられていた。犯人は子供たちの誰か、それとも老女に反感を持つ村人の誰かか。老女の過去に疑惑を持ったアガサとトニは老女の生まれ育った村を訪問する。分かったことは、友人の婚約者が宝くじに当たった途端に速攻で結婚していたこと、離婚を望んでいた亭主が秘密で付き合っていた女性がある日突然失踪してしまっていたこと。鋭いトニの嗅覚は、歴史史跡となっていたヴィクトリア朝時代の屋外トイレの土地に埋められたいた人骨を発見する。老女がやったらしいと目星をつける。決して褒められるような経歴の持ち主でなかった依頼主。そんな老女を殺したくなるだろうと思いつつ、パーティ席上での出来事を思い起こしていたアガサは、倒れた老女を見舞おうとしたところ次女が邪魔したことを思い出す。これこそ犯人と目星をつけ、本人を呼びつけて問い詰める。しらばっくれていた次女は、話の途中にアガサの家のトイレを借りる。何かあると見越したアガサがこっそりつけていくと、次女はアガサの歯磨き粉チューブに毒ニンジンエキスを注入していた場面に遭遇。これで犯人確定。晴れてアガサは念願のクリスマスパーティを自宅で開催する。主賓と考えていたジェームズも晩餐が開始される時刻に到着。この上ない至福のパーティになるはずだったが、ジェームズにキスされてもアガサは何の興奮も感じない自分に気付く。その上、酔っぱらったロイが借りてきた人工スノーマシンの操作を失敗。せっかくのホワイトクリスマスでいい雰囲気だったパーティ会場が突如猛吹雪と化してしまうという修羅場に。でもよかったことは、トニとビル・ウォンが仲睦ましくなったこと。後日ビルの家に招待されたトニは、ビルの母親のひどいディナーも父親のそっけない態度もなんとも思わないどころか、不遇な家庭で育った経験から見ると十分に受け入れられたように思えた状況だったようだ。帰り際にハグされたビルの花親は「またおいで」という始末。やっとビルにも人生の春が訪れるのだろうか。

貧乏お嬢さまシリーズと一緒に読んでいて、このシリーズの描写がアガサの行動のようにあちらこちらに飛びつつ話が進行していることに気付いた。例えば、
トニはレッドライオンが気に入った。アガサは今度の週末について、ずっとチャールズとしゃべっていた。トニは不安な気持ちでアガサを観察していた。
こんな描写があちらこちらで見られる。前の文と無関係な文が3つも4つも続きながら話が進むのだ。しかも簡潔な(=そっけない)一文の連続で。味気ない文体かというと、そうではない。アガサの衝動的で負けず嫌いな性格や行動のあり方にあった文体として、故意に選んだものだと思う。

ビルのせいでいい雰囲気だったクリスマスパーティが台無しになってしまう場面はこうだ:
アガサは窓辺でそっと降ってくる雪を眺めていた。次の瞬間、彼女は雪だるまと化した。アガサはゆっくりと振り向いた。雪で覆われた顔の中で、、目だけがギラギラ光っている。

まるでドタバタ喜劇のような出来事が起きるのがこのシリーズの愉しみの一つ。小気味よく連続する短い文章が読み手の目の前に繰り広げるのは、まるで映像であるかのようだ。そう、シナリオのト書きのような短文の連続が平面的な読み物を映像化していたのだ。

アガサにとって、クリスマスは聖なる行事ではなく、ハリウッド映画みたいにきらびやかで華やかなものだった。
日本でもそうだね。最近ではハロウィンも盛り上がるためのイベントと化している。

「今や神を恐れる人はいないんじゃないかしら。あるいは、みんな怖がるのが大好きなのよ」
「皮肉な見方だけれど、当たっているわね。生態学が新しい宗教なのよ。惑星は死にかけていて、北極と南極は溶けかけている。それはすべての人類の罪、罪人たちがいけないのよ。」

教区の牧師夫人、ミセス・プロクスビーとアガサの神学論争。環境問題が過度に議論されるようになっている今を、生態学が新しい宗教だと言い切るミセス・プロクスビーなりの解釈が振り切っている。

若いトニにとっては、アガサとミセス・プロクスビーもすごく年を取っているように感じられていたが、ミセス・ウィルソンはエジプトのミイラぐらいの年寄りに思えた。

「それが何だっていうの?最近じゃセックス、セックス、セックスばかりじゃないの」
「愛はたいてい欲望の皮をかぶって現れる。あるいは、後から欲望を満足させられるという期待があるせいで、愛は成就するんだ」

アガサに負けずに口が悪いチャールズの割り切り。ある意味、男女の関係に達観している。

「私のクリスマスは絶対に忘れられないものになるはずよ」
「去年のは絶対に忘れませんよ。クリスマスプディングを灰にして眉毛がなくなったこと、覚えていますか?」
「失敗から学んだわ」

どんな不遇にもめげずに「失敗から学んだ」と割り切れるアガサの強さというよりも、議論に負けることを許さないアガサなりの言い返しだ。

毎日が憂鬱で暗く、何もかもが死ぬか枯れるか、冬眠の準備に入っているかだということを見せつけられるのは、田舎で暮らすことの欠点に思えた。都会なら照明が輝き、騒がしく、ほどんど季節の変化に気が付かなかった。

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第16話の最後の最後が、愛しのジェームズが村に戻って来てアガサの家へ突然に訪問する場面で終わっていたのを受けて、第17話は『アガサ・レーズンの復縁旅行』というタイトルになっている。結婚後間もなくアガサの元を去っていっていった後、何の音さたのないどころか修道院にまで入って追いかけるアガサを振り切るようにしていたジェームスだったが、突然の帰国で再度お隣さんとなった。心穏やかではないアガサは、これが2度目の正直とばかりに心を乱してお洒落に勤しむ。ジェームスの友人から招待を受けたガーデン・バーベキューパーティの場で、ジェームスの友人たちから無視されるもののジェームスはとりなそうともしてくれない。傷つき怒り心頭に達したアガサは一人で家に帰る。反省したジェームスは一緒に旅行しようと申し入れる。子供の頃に行った思い出の場所に二人で行こうという申し出。一度は落ち込んだアガサの心も再度舞い上がり、復縁旅行に旅立つが、その場所スノス=オン=シーという場所は今でも昔日の感もないほどにさびれた寒村に落ちぶれ果てていた。昔を偲ばせるものがなにもないうすっべらな安っぽいホテルに泊まっているのは、性格も言葉遣いも粗野な新婚夫婦とその子供たちと友人たち。夕食時にアガサに新婦が難癖をつけ、その不良息子がジェームスに絡みだす。しかも料理は最悪、食べられたものではない。二人はホテルを抜け出して地元の中華料理店で夕食をとるが、その夜にアガサに難癖をつけた新婦が殺される事件が起きる。凶器であるアガサのスカーフで首を絞められて。当然、アガサは地元の警察から調べを受ける。カースリーで探偵事務所を開いていると言っても馬鹿にされて終わり。自分のプライドのためにも真犯人を挙げて見せるとアガサは誓う。一方、期待と大違いのスノス=オン=シーに嫌気がさしたジェームスはアガサを置き去りにして南仏に旅立つ。後でアガサに来るように葉書を出して誘う。ジェームズは冷たい性格で独りよがりであるという事実にアガサはようやく気付く。そして、ジェームス離れが起きるのがこの回。殺された新譜は3度目の結婚で、前の夫は宝石強盗の罪で服役中。でも盗んだ宝石類は発見されていない。そのあたりに怪しさを感じたアガサと探偵事務所の面々は同時調査を開始。金目当てで結婚した新婦ではあったが、チェーン店を持つ夫は実は大して財産があるわけではなかった。では夫が逆に妻を殺したのか。遺産は誰に行くのかを調べたところ、友人の男に渡ることが判明。第一容疑者発見と身辺調査を始めるものの、真犯人は新夫で、妻が隠していた宝石を偶然見つけて分け前を寄こすように脅したところ拒否されて殺してしまったのだった。筋としてはありきたりではあるが、真相に辿り着くまでのアガサのドタバタがこのシリーズの楽しいところ。

それにしても、元PR会社の遣り手社長で性格も口も悪いというアガサの役回りがだいぶ変わってきている。実はナイーブで傷つきやすく、正義感も強い。スノス=オン=シーの町長や議員たちが町民たちのためにはないもせず、怪しい投資家集団からのカジノ構想をいとも簡単に受け入れるように町民たちを半ば恫喝するような説明会の場で、アガサらしさが爆発する場面が白眉。

「みんな、眠っているの?このいばった連中に立ち向かいなさいよ。防波堤は当然でしょ。なんおために議員たちに税金を払っているの?年金生活者は必死になって、いまいましい街の税金を払ったうえ、どうしてカジノなんて押し付けられなくちゃいけないの?」
そして、投資家集団のお金がマネーロンダリングかもしれないと匂わせた挙句に、
「では、挙手で決めましょう。カジノを望まず町は防波堤のお金を支払うべきだと考えるなら、手を挙げて」
とかってに議事を進行させてしまう。もちろん大多数の町民が手を挙げて賛成票を投じた。出所の金が怪しいとアガサに言われた投資家集団は、火事の投資話を無しにして去る。そして地元の本社が謎の出火で焼け落ちてしまう。この集団を追いかけることが出来なくなってしまう。マネロン疑惑は当たっていたのだった。

ああ、フラットシーズを吐いてきたようだね。愛が消えると、女性の新潮は7センチ低くなるんだ。
ジェームズのことが吹っ切れてヒールを履いて外見を取り繕うことをしなくなったアガサにもう一人の友人のチャールズが言う。このチャールズも自分勝手なことはジェームズ以上。支払いの際に財布を忘れたふりをすること度々、興味がなくなるとさっさといなくなる。面白そうなときだけアガサと一緒にいてくれるという身勝手は男だが、一緒にいて楽しい相手ではある。出てくる男も女も碌でもない連中が多いのがこのシリーズ。

アガサには恋に地執着する癖があった。頭の中に執着する対象がいないと、自分自身と向き合うことになる。それがつらいからだ。

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読み飛ばした(と思った)15話『アガサ・レーズンの探偵事務所』を読み始めたところ、これは読んだことあるかもという既視感がむくむくと起き上がった。読み進めると、やはり読んだことがある、でも犯人が誰なのかは記憶にないのでそのまま読み進める事ととした。色々な事件を解決してきた過去の経験と実績、ジェームズがいないことへの寂寥感を消し去るための繁忙感、これらが相混ざってアガサは自分の探偵事務所を開くこととした。最初に雇ったアシスタントは、お隣に引っ越してきた60代半ばの女性、エマ・コンフリー。とても有能はアシスタントで、本来は気が弱いにも拘わらず、傲慢なアガサに気圧されるまいと気丈に振る舞う。依頼者への料金提示はアガサの想定していた金額を上回る金額を提示し、行方不明のペットを探すのも上手い。事務仕事を任せるつもりだったが、あまりの有能さにより探偵として働くことに。その代わりに、紳士のお友達が途切れていミス・シムズを秘書として雇い、加えてビルのアドバイスにより元警官も雇い入れる。依頼の一人に、娘の婚約を破棄白という脅迫状が届いらという上流階級の夫人がいた。近々催される婚約披露パーティの席上で何も起きないようにアガサに守って欲しいという。エマと一緒にパーティに出かけたアガサは、窓から光るものを目ざとく見つけ、依頼者の身を守る行動に出る。プールに突き落としたのだ。生憎と部屋からは何も発見できなかったので、アガサの間抜けな勘違いとされてその場で馘。話を耳に入れたビルが部屋を捜索したところ、ガンオイルと空の薬きょうが発見され、アガサが見たものは勘違いではないことが証明される。晴れて捜査に戻るアガサ。

依頼人女性が娘とする豪邸は、本来はチャールズの友人でもあった真の貴族階級家族、フェリエット家のものだったが、金のために売り払ったもの。売却の際に、へリエット夫妻は購入者から小馬鹿にされるような侮辱を受けたようで、そのことをいまだに根に持っている。チャールズの手を借りて捜査を進めるが、チャールズにランチを2度ご馳走になったエマがチャールズから求愛されていると勘違いしだし、一種の精神錯乱状態になっていく。自分とチャールズの仲をアガサが邪魔していると思い込んだエマは、こともあろうかアガサを殺そうと試みる。家に忍び込んだエマは、インスタントコーヒーの瓶に殺鼠剤を入れる。部屋に現れたのはアガサを殺すように依頼を受けた元IRAの殺し屋。誰もいない家でアガサの帰りを待つ間、コーヒーを作って飲んだものだから殺し屋が殺されてしまう。エマは逃亡するものの逮捕されて精神病院送り。そんなことが起こっている間もアガサは捜査にかかりっきり。色々な手がかりを探し求め、それらから犯人を探し出そうとするもののうまくいかない。婚約相手の父親、ジェレミー・ラガット=ブラウンが金融詐欺で刑務所送りになっていたこともあり、有力容疑者と思うものの鉄壁のアリバイが存在。事件当日はパリにいたのだった。手がかりを求めてフェリエットの娘に会いにパリへ行くが、行き違いで会えない。でも、元アル中の古い友人に会ったアガサは天啓を得る。ジェレミーは自分に似た男をリクルートして入れ替わることでアリバイを作り出したのかもしれない。なんと、この思いつきとしかいえないアイデアが実際に起きたことで、アガサとジェームズがこれを証明していく。そしてジェレミーの相棒はフェリエット家の長女、フェリシティ。家を失ったことを許せず、何としても取り返すことを決心した彼女はジェレミーを操っていた。真相が明らかになってしまった以上、アガサを生かしておけない。自分の手で始末しようとアガサに家に入り込んだところ、精神病院を脱走したエマがこちらもアガサを殺そうとして家に侵入したところをフェリシティに殺されてしまい、フェリシティも逮捕に。なんと2度もアガサは自分を殺そうとして侵入した殺し屋が殺されることで助かってしまう。こう書いていると筋のドタバタ喜劇さがよくわかる。このドタバタさがこのシリーズの持ち味だ。アガサは、ティーレディであるセオドシアとは正反対の欠点だらけの女性で、捜査も行き当たりばったり。ドタバタの連続が面白くて読み進められる。一方、セオドシアは優等生。他人の悪口は言わないし、料理も自身の生活、交友関係も理想的なエレガントな女性だ。アガサは他人のことは悪く言うし、レンジで作る料理ばっかり食べている。油断していると顔には皺や口元にひげをうっすらと生えてきていることに気付いてエステへ直行するアガサ魅力的でもある。

大半の50代が60代をよぼよぼの老人だとみなしているが、アガサも例外ではなかった。自分は永遠にそんな年齢にならないと思っているのだ。
アガサを弁護するわけではないが、自分も経験があるので良くわかる。そんな年齢にならないと思っているのではない、そんな自分を想像できないのだ。さらに、自分がもつ自身のイメージは20代の頃の頃のものから変わることがないのだから人間とは浅はかなものだ。

「ずいぶんおしゃれしてますね。そのドレスの襟元が申し越し深かったら、公然猥褻で警察に逮捕されますよ」
50代半ばといえども男の目を意識するアガサは着る服に気を配る。理想的な女性であるセオドシアも着る服には気を遣うものの、アガサよりは淡白だ。アガサの貪欲なくらいの欲望日比べ。


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アガサ・レーズンと完璧すぎる主婦』はシリーズ第16作目。ブログの書き込みを読み直してみると、15作目をよみとばしてしまったようだ。道理で、突然アガサが探偵事務所を始めていたことに戸惑ったわけだ。でも、探偵事務所をいつ、なぜ開いたのかが分からないままに読み進める。ローラ・チャイルズのお茶と探偵シリーズに比べると、展開がジェットコースターのように進むことに驚いた。事件にのめり込むアガサは、見境なしに手がかりと思えるものに突き進んでいく。その姿はスラップスティックコメディを思わせるような目まぐるしさなのだ。読み手の読むスピードが上がるように仕向けているのだと思う。そのために、展開の速さがシリーズの特徴に思えるのだと考えるのだが。

探偵事務所を開いたアガサの元には、女子高校生の失踪事件、いなくなったペット探しなどしか持ち込まれない。アガサが離婚事件を断っているせいだ。このままでは事務所を維持できるか不安になったアガサは浮気調査を引き受ける。そんな折、失踪していた女子高校生の死体を見つけるという手柄を立てる。アガサが、というよりも事務所でつかっている年寄りの職員が。PRに長けたアガサは、死体発見で終わることなく、犯人を見つけ出す無料捜査を行うとマスメディアに売りこむ。宣伝材料となって依頼が舞い込むことを予想してだ。依頼された浮気調査はなんの進展もなし。相手が完璧すぎるぐらいの主婦だったから。誰に聞いても、主婦の鑑という答えが返ってくるような女性。依頼主の亭主の方は、エレクトロニクス会社を経営する威張り腐った嫌な奴。そんな亭主が殺されて、犯人捜査を調査対象だった奥方から依頼される。行く先行く先で手がかりになりそうな材料が次々と現れ、アガサと事務所職員が手を尽くして操作にあたる。このプロセスがスラップスティックコメディっぽくもあり、また、行き当たりばったりさがジェットコースター的な展開の速さを生み出しているのだろう。事件捜査の片手間にアガサの恋愛事情があり、老いに対する恐れと敢然たる挑戦とがあり、甘いものと腹回りへの配慮の葛藤があり、時折心が折れるアガサを慰める元部下のロイの登場、心の支えでありながら心をかき乱すサー・チャールズの存在と身勝手な行動などなど、これらが事件捜査に挟み込まれてくる。

女子高校生殺人と社長殺人は繋がっていると見破ったアガサだが、警察は取り合わない。それなら独自調査を進めるアガサ。犯人は、妻と殺された夫の愛人の共謀。この二人は、エレクロトにクス会社の営業担当者のイケメンと浮気していた。浮気に気付いた夫は金持ちの妻に対して金を要求した結果、逆に殺されてしまう。手を下したのは、夫の愛人だった秘書。二人は手を組み、社長を殺し、女子高校生と結婚すると言った浮気相手と女子高校生の二人も亡き者にした。薬物殺人に使った牛乳瓶が事務所の植木鉢の中にあることをアガサに見つけられてしまった二人はスペインへ逃亡。警察に相手にされないアガサたちは自費でスペインまで飛んで行って二人を確保するというお手柄を立てる。

彼は中背で、ふさふさした白髪交じりの髪をしていた。顔はしわくちゃというほど皺はなく、さっとアイロンをひとかけすれば若いころの顔に戻りそうだ。
アイロンをひとかけというのが誇張であることは分かるが、洒落ている。

最近は、そこらじゅうに嫌煙家がいるのでやっかいだ。連中の避難が空気そのものを汚染し、吸いたくもないときに煙草に火をつけさせられているような気がした。
個人的には煙草を吸うような人間は嫌いだが、でも行き過ぎた思想も嫌いだ。行き過ぎた思想そのものが空気のみならず地球を汚染しているということに激しく同意するね。

「愚かな若者は愚かな年寄理になる例をこれまでに見てきたもの」

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『アガサ・レーズンと七人の嫌な女』『アガサ・レーズンとイケメン牧師』『アガサ・レーズンの幽霊退治』と立て続けに読んだ。14作目の『アガサ・レーズンの幽霊退治』になっても、アガサは前夫のジェームズの影を引きずっている。そのジェームズの家だったお隣に、またもや素敵な紳士が越してきた。名前はポール・チャタートン。ポールもアガサに興味を感じ、一緒に探偵ごっこを始めたものの、喧嘩別れして途中からは別々に調査をしている。性格がねじけている身勝手女という設定で始まったものの、身勝手な鉄面皮の下に傷つきやすい繊細な感情を隠し持った女、という設定が板についてきた。

これまたご近所の村で幽霊が出るという噂がある家に押しかけたアガサとポールだったが、顔パックした女主の姿を幽霊と見間違えて家に逃げ前ってしまったアガサは、女主からさんざん罵倒されたうえに幽霊退治を断られてします。すると、不思議なことに彼女が階段から落ちて死亡してしまうという事件が発生。事故ではないと睨んだアガサとポールは独自調査を開始。彼女の幽霊屋敷は奥庭も広く、資産価値は高い。不仲の二人の子供の仕業か、その家を買い取りたいと望んだ企業家の仕業か。すったもんだ、いきつもどりつのいつものドタバタ捜査が始まる。捜査の過程で、必ずアガサの回りに男が登場するんだよね。今回はポールが当初の男だったが、途中からチャールズが再登場。フランス女と結婚したものの、逃げられて離婚。再び舞い戻ってきてアガサの回りに出没する。アガサには不思議な魅力があるようだ。それでないと、このシリーズの進行に差しさわりが出るからね。

結局、犯人は地元の歴史研究家であることが判明。これも偶々偶然に分かってしまったのも、いつも通りのこと。拳銃をかまえた殺人犯を目の前にしながらなす術のないアガサとチャールズの前に、タイミングよく警察が到着してめでたしめでたし。アガサの短気さ、捨て台詞、ドタバタ捜査の過程でみられるコメディまがいのやりとり等々、アガサのシリーズはいつ読んでも愉しめる。

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シリーズ十作『アガサ・レーズンと不運な原稿』の最終場面で、旅から戻ったジェームズがアガサに突然求婚する。一度は別れを決心していたアガサが求婚に応じて、二人は目出度く華燭の宴を挙げる。チャールズは、この結婚は上手くいかないといつものように遠慮なく口を挟むが、アガサは聞く耳を持たない。やはり、結婚早々二人の生活はボタンの掛け違いどころか、暗礁に乗り上げるところから第11話『アガサ・レーズンは奥さま落第』が始まる。

いつものように朝食の場で喧嘩した後、ジェームズが失踪してしまう。しかも彼の出血が家で発見されてアガサはまずい立場に追い込まれる。直前の二人の喧嘩が村人たちに知れ渡っていたからだ。夫を心配するとともに自分に関わりないことを証明するためにも、アガサはジェームズを探さねばならない。そんな中、ジェームズと付き合っていたらしい女性、メリッサが自宅で殺されているのが発見される。発見者は毎度のことながらアガサとチャールズ。なんとジェームズとメリッサは付き合っていた。これだけでもアガサにはショックだったが、アガサが調査に回る先では夫を殺した妻として人々から認知されていることに腹立たし気持ちが収まらない。

ジェームズが調べかけていた事実から、メリッサが精神に異常をきたしたサイコパスだと断定したアガサはチャールズの援助を得てまたまた独自調査を始める。メリッサは二度結婚し離婚を繰り返していた事実から、元夫のどちらかが犯人と目星をつける。このシリーズのお決まりとして、アガサが眼をつけた犯人は本当の犯人ではなく、その周辺にいるのが真の犯人。今回もその通りで、元夫の妻がメリッサと精神病院時代に一緒だったサイコパスで、彼女がジェームズとメリッサを襲っていた。メリッサは死んだが、ジェームズは頭部に傷を受けながらもフランス南部に逃げて、修道院にかくまわれて傷と自らの精神を癒す。彼は、脳に腫瘍ができていて長くは生きられない状態にあるのだった。

事件が解決して、傷と精神を癒したジェームズが戻ってくることになってところで話が終わるが、アガサは離婚する気満々。読者の想像を裏切ってくれる作者は、どのような物語を次の第十二話で展開してくれるのだろうか。

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『アガサ・レーズンと禁断の惚れ薬』はシリーズ第九話。前作の最後で殺人犯の美容師が脱毛剤を使ってアガサの髪を洗ったために、ところどころに禿ができてしまった無様な髪となったアガサは、逃げるように海辺のリゾート地に逃れていく。髪が生えるのを待つためだったのだが、リゾートのホテルに長期滞在する一行から魔女と呼ばれる地元女性の存在を聞かされて面白半分に訪問する。占いをしてもらった後に、よく効くと言われた毛生え薬と一緒に惚れ薬を買うことになる。髪が生えてきたように思うものの、毛生え薬のおかげか自然治癒力のせいか半信半疑。

アガサの訪問直後にその魔女が殺されてしまい、当然のことながら参考人としてホテルに足止めを食らうことに。長期滞在している奇妙な一行と時を過ごす羽目になったものの、地元警察の警部と仲良くなる。警部の飲み物に惚れ薬を入れたところ、効果抜群。警部がアガサに興味を持ち出してデートに誘うようになった挙句にプロポーズされる。警部を愛しているか自信のないアガサだが、誠実な彼の妻になるという状況に浮かれてOKし、しかもそのことを新聞の記事にさせてしまう。

魔女殺しの犯人が捕まらないまま、魔女の娘が戻って来て母親の仕事を引き継ぐ。魔女二世の誕生。長期滞在の一行は魔女二世に降臨祭をやらせたものの、母親魔女が二世に乗り移ったところで邪魔が入って中断、その夜、二世は海辺で溺れ死んでしまう。事故ではなく殺人だと感じるアガサ。

そんな折に記事を読んで訪ねてきたチャールズと一夜を一緒に過ごしてしまったアガサを、警部が見てしまって婚約は破談に。それでも、一人で嗅ぎまわるうちに、拾い猫(魔女の飼い猫だった)が長期滞在一行の中に一人デイジーに怯えたような態度をとったことで彼女が犯人と気づく。デイジーも部屋に一人でいるアガサに犯行を打ち明ける。次の犯行がアガサに向けられるかというその時、デイジーが喋ったことを聞いていたホテルのマネージャが警察に通報して犯人は無事に逮捕となる。

アガサが解決したのか、引っ掻き回したせいで犯人が浮かび上がったのか微妙なところはいつもの通り。そして、ジェームズとアガサとは、素直になれない男女間のすったもんだがいまだに続いて関係がこじれたまま。バブル期のTVトレンディドラマによくあった設定がそのまま繰り広げられ、続いている。

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シリーズ第八話の『アガサ・レーズンとカリスマ美容師』では、ジェームズではなくチャールズがアガサの相手役を務める。ジェームズは旅行に行ってしまって不在にしたままだからだ。牧師館のミセス・ブロクスビーに薦められて行った先の美容師に、とてもイケメンの美容師がいた。しかも腕もよい。アガサは気にって通うのだが、相手もアガサに興味があるよう。ディナーに誘われて有頂天になるアガサ。ディナーに行った先のレストランにいた村の女性は、アガサと一緒にいた美容師の顔を見るなり、サッと姿を消す始末。美容室の裏庭では、何やら男女が言い争っている。男が女を強請っているようだ。何となく胡散臭さを感じ始めたアガサだが、その勘はズバリあたった。カリスマ美容師は関係を持った女から金を巻き上げている常連の強請屋だった。アガサに興味があるように見せかけて、あわよくば関係を持ったうえで強請の相手にしようと狙っていたのだが、そうなる前にアガサの目の前で毒殺されてしまった。偶然に手に入れた美容師の家の鍵を使って、家に忍び込んだところ何者かが放火して間一髪逃れることができた。カリスマ美容師の素顔を分かったが誰が殺したのか。チャールズの助けを借りてアガサが謎解きを始める。

推理の当然の帰結として、強請られていた被害者の誰かが毒を持ったに違いない。でも、誰だ?美容師の客を一人ひとり訪ね歩くうちに彼には元妻がいることを発見。別の場所で一緒に美容室を営んでいたらしい。カリスマ美容師の代わりになる美容師を見つけて、洗髪してもらっている真っ最中に事件の調査結果を喋ってしまっているうちに、女性美容師が突然アガサを殺そうとしだした。運よくチャールズとビル・ウォンが駆けつけて犯人は逮捕。そしてアガサも命はとりとめたものの、美容師が脱毛剤をつかってシャンプーしていたために髪の毛は見るも無残な状態に。ウィッグを使えば問題ないと言うチャールズは、相変わらず相手の気持ちを気にするがない。アガサのことが好きなのか、それとも手ごろな女と思われているだけなのか。

最後の最後でジェームズが旅から帰って来て、アガサの家の方を見ると、そこには花束を持ったチャールズの姿。これでまたまた二人の関係はこじれることに。こじれるだけこじらせて物語を長引かせるのが作者の手だとは分かってはいるが、それでもこの二人の行方は気になる。


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『アガサ・レーズンと死を呼ぶ泉』がシリーズ第七話。キプロスでの出来事があったにもかかわらず、アガサはまだジェームズにご執心。ディナーに行かないかと電話で誘うが、ジェームズは「忙しい。ついでに言っておくと、ここ二・三週間はずっと忙しいと思う」とまったく気のない返事。都会のジャングルでPRという仕事をしていた時は鋼の心を持っていたはずのアガサでも、この返事には心が折れる。アガサの場合は胸ではなくて腹の真ん中が痛むのだそうだ。

カースリーの近くに、清らかな水が滾々と湧き出ている泉があるアンクーム村での出来事が今回のお話の中心。泉の水に目を付けて商品化しようと考えたミネラルウォーター会社が出てきた。村の住民は賛否両派に真っ二つに分かれる。投票直前のある日、その泉に浮いていたのは決定票を持っていた教区の議長。発見者はアガサ。平和のはずの村に、またもや殺人事件が勃発。第四話の貴族館のある村といい、今回のアンクーム村といい、アガサが静けさを求めて移り住んだイギリスの村には事件が絶えることがない。

アガサはミネラルウォーター会社の広報の仕事を引き受けた。ジェームズのつれない態度のせいで、一人で問題を解決しようと考えた結果の行動だった。会社は兄弟二人が経営していた。兄はふつうな兄とイケメンで魅力的な弟。その弟がアガサに興味を持ちデートすることに。これを見たジェームズは心穏やかではない。アガサの誘いに気のない返事をしておきながら、ジェームズも自分の心に正直になれず、それが二人の恋路をむつかしいものにしている。まるで、男女の想いのすれ違いが物語を紡いでいく80年代のトレンディードラマのようだ。

アガサが企画したPRのための地元での村祭りの最中に、泉の所有者も殺されてしまう第二の事件が起きる。ジェームズはジェームズで一人で調査を始める。そうすれば、そのうちアガサと一緒に調査できるであろうことを願って。それぞれが投票権を持っていた教区委員を調べたところ、どれもこれもいけ好かない連中ばかり。シリーズに登場する村の住民は性格が悪いと決まっているようだ。そんな人々がシリーズごとに次から次へと出てきては退場する。事件の裏にはいけ好かない住民あり、ということか。清く正しく美しい心真っ直ぐな住民は、アガサが住む村の牧師の妻であるミセス・ブロクスビーぐらい。

兄弟二人の秘書が怪しいと睨んだアガサだったのだが、この間違いが真犯人を暴き出すことに。殺人犯は経営者兄弟のイケメン弟のガイだった。ガイは、泉の水の商品化に反対する人間を排除することで計画を推し進めようとしていた。ガイはちょっと異常性格気味な傾向もある男だったのだ。彼とデートしていたアガサの目は眩んで本当の姿が見えなくなっていた。アガサが間違えて犯人と見込んだ人間の近くに真犯人がいるというのがこのシリーズのお約束ごと。ガイに連れ出されて始末される直前までいったのだが、一緒に連れていかれたミセス・ブロクスビーのおかげで助かったばかりか、事件の真相も暴くことができて大団円と相成った。


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結婚式がお流れとなった第五話の終わりで、時間をくれと言って旅立っていったジェームズを追いかけて、アガサはキプロス島にやったきた。引退後にイギリス人が好んで住む地域らしく旅行者も多い。クルージングで一緒だった3人組の2つのグループ、片方は上流意識丸出し、もう片方は金持ち成り上がり層、に反感を持ちながらも一緒に行動することになったアガサ。合間を見てはジェームズ探しを怠らない。

結婚がキャンセルされたことでアガサのジェームズに対する気持ちが冷めたかのような話の流れだったはずなのに、未練たらたらジェームズを追いかけるなんて、アガサはいったいどうなってしまったの? 押しが強くて、嫌味で、身勝手なアガサがいつの間にか恋に悩む乙女のような可愛らしいキャラクターに変わっている。とは言っても、ところどころに昔の片鱗は出てくるが。

嫌々ながらも一緒に行動していた2つのグループの中から、今回も殺人の被害者が出てくる。アガサが殺人を引き寄せるのか、よりによって観光先でも殺人事件に巻き込まれるなんてアガサもとんだ役回りだ。でも、それだから我々はこうしてコージーミステリーが愉しめる。

地元警察からは事件関係者として扱われつつも、アガサはジェームズは協力して事件捜査を開始する。離れたりくっ付いたり、この二人はいいコンビだ。キプロスからイギリス警察のビルイ・ウォンにファックスで、事件関係者の身元調査を依頼し、金が絡んでいることを見つける。一緒に行動する2つのグループともに、妻は金を持つが夫は事業に失敗して借金を抱える立場、そこにそれぞれの夫婦の友人という男が混じっている。誰が、犯人か? 

素人捜査と非難されながらも捜査を進めるうちに、アガサが崖から突き落とされそうになったり、アガサ目掛けて岩が投げつけられたりする事件が立て続く。シリーズものの主人公の特権として、アガサは常に間一髪のところで助かる。一緒に行動しているグループの誰かだと目星をつけるが確定ができない。そうしている内に第二の殺人事件が起こってしまう。

一つ目の殺人事件の凶器が先の尖った鋭利な金属であったことから、アガサは上流意識プンプンの女性旅行者を怪しいと睨む。毛糸編み針を使っていたことを思い出したからだ。ジェームズを待たずに一人で対決に赴くアガサ。睨んだとおりに、2つの殺人はその女の仕業。自分がやったと誇らしげに語った後に、嵐が荒れ狂う海へ飛び込んでいく。

この第六話は、ジェームズを追いかける片想いのアガサから始まるのだが、第四話で登場した准男爵がアガサをジェームズと奪い合う恋敵として登場する。男女の関係になってしまって、ジェームズに対して後ろめたく思うアガサと、単なる一晩きりのアバンチュールのような雰囲気を醸す准男爵のチャールズ。その後も、チャールズはアガサにいろいろと誘いを掛ける。2人の男の間で揺れ動く微妙な女心、というほどアガサは若くも弱くもない。やってしまったことはやってしまったこと、それに引き摺られない強さは持っている。でも、間の悪いことにチャールズと一緒になると、ジェームズと出くわしてしまって誤解を与えてしまう。第六話の終わりも、キプロスから戻った二人がディナーを愉しんだ後でアガサの家までチャールズが送っていったところ、折り悪く旅行から戻ってきたジェームズと鉢合わせ。ドタバタ喜劇の要素がシリーズに新たに付け加わることとなった。

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帰りは泳いでいこう、とアガサは決心した。
地中海から英国へ泳いで帰れる訳ないことは誰でも分かるが、こんな極端だが何気なさを装った一言が、乱気流があまりにひどかった様子を明瞭に伝えてくれている。

あなたは白馬にまたがった騎士が現れるのをずっとずっと待っていて、残されたのは馬糞の臭いってだけなのかな?
アガサの人となりがあるために、下品な物言いが許され、かつ愉しめるシリーズとして、このフレーズも世に言う「白馬の王子様」に乗っかった強烈な言い回しだ。白馬の騎士の代わりが馬糞の臭いとはね。これもどこかで使えそうだ。


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第四話からの流れの必然として、アガサとハンサムな隣人、ジェームズは目出度く華燭の典を挙げることと相成った。式のまさに真っ最中、こともあろうか死んだと思っていた夫のジミーが会場に現れて「中止しろ」と叫んだ結果、式はお流れとなり、ジェームズは激怒。その上、ジミーが翌朝死体となって発見されてしまって、当然のことながらアガサが容疑者として見られてしまう。

シリーズ第五話『アガサ・レーズンの結婚式』の冒頭は慌ただしい。あれよあれよという間に事件が起きてしまうのだから。それにしても、第一話で出会った時のアガサの一方通行的な想いが第四話では相思相愛に変わり、第五話で結婚に至るとはテンポが速すぎる。作者はこの先、どうやってシリーズを展開していくつもりなのだろうか?と心配になったものだが、そこはしたたかな計算があったようだ。なにせ、結婚式が台無しになってしまって、二人の仲は最初の状態に逆戻りしてしまったのだから。しかも、結婚式を台無しにしたジミーが殺人の被害者になることが、アガサとジェームズが協力して解決のために奮闘するための舞台もなっている。作者のしたたかな計算、という言葉がぴったりの第五話です。

アガサの夫だったジミーは、落ちぶれてホームレス状態だった。アガサもジェームズも自分たちの容疑を晴らすために、協力して事件に首を突っ込むこととなる。ジミーの生前の行動を洗い出すうちに、強請りを働いていた疑惑が出てくる。女性の相棒がいたようだ。相棒を探すうちに、強請りの会っていたと思われる人たちが殺されていく。ますます疑いを深めるアガサとジェームズ。

ジミーの相棒だったミセス・ゴア=アップルトンは身近にいた。アガサがジェームズと結婚することとなり、自分のコテージを売りに出したところ、買ってくれたミセス・ハーディと名乗る女性が当人だった。なんという偶然!アガサとジミーが夫婦であることなどしらず、田舎暮らしでもしようと購入したコテージがアガサのもので、しかもジミーがアガサの結婚式に異議申し立てにやって来た時に顔を合わせてしまった。早速、昔の相棒を強請ろうとしたジミーだが、逆に殺されてしまったというもの。

最後の最後まで、ミセス・ゴア=アップルトンの正体がわからないままの二人だったが、ほぼ時を同じくして見つけた昔の写真から、隣人がミセス・ゴア=アップルトンであることに気付く。ジェームズはロンドンで、アガサは元自分のコテージで。気付かれたミセス・ゴア=アップルトンが、火かき棒でアガサの頭を殴りつけ、」気絶したアガサを生き埋めにして殺そうとしたその瞬間、ジェームズからの連絡を受けた警察が飛び込んできて、無事に救出。そして犯人は逮捕という目出度い展開に。そして、ジェームズは考える時間をくれと言って旅に出てしまう。二人の仲が戻りそうな予感を残しながら、第五話の目出度く終わる。

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「自分が鯨の糞ほどの価値もない気がするわ」
「彼女のおケツから後光が射しているとでも思っているのでしょうね」

辛辣かつ下品な物言いはアガサならではだが、二つ目の台詞は物語の最後でジェームズも口にしてしまう。アガサと部長刑事のビル・ウォンとの仲を嫉妬した結果だ。上流階級の男であるジェームズがアガサの影響を受けていること、この下品は台詞をジェームズに口にさせることで、二人の心理的距離はいまだに近いことを伝えようとする作者の気配りだね。

「最近は心理学用語をやたらと使ったわけのわからない言葉が溢れ返っている。それが芝居がかった行動につながっているんだよ」
「心理学用語」という代わりに「横文字のビジネス用語」にすると、DXだ、サブスクだ、IOTだ、インダストリー4.0だ、と次々に表れては消える単語に踊らされているビジネス界の現状を表わした台詞に早変わりするのが不思議だ。

「彼はとても変わった人だから。彼はいわば自分の心を仕切って小さな部屋に分けているんだと思うわ。恋人としてのアガサを受け入れる部屋はぴたっとドアが閉ざされていて、友人としてのアガサを受け入れる部屋のドアが開いているのよ。何もないよりもましじゃない?」
ジェームズの心変わりを嘆くアガサを慰めるミセス・ブロクスビーの言葉。上流階級に属する上品な男ではあるが、ちょっと変わり者ともいえるジェームズの気質を見抜いている。ちょっと変人ぽいな、と思っていた私も、この言葉を読んで、なるほどなぁ、とジェームズという男が分かったような気がしたものだ。

「最初に会った時、彼はわたしが世界でたった一人の大切な女性だと思わせてくれたの。それにジミーは、自分がきれいだと感じさせてくれた人生でたった一人の人だったわ。賢いこともいわなかったし、冗談も気が抜けていたけれど、関係が悪くなるまでは、私をいい気分にしてくれたし、天にも昇る心地にしてくれた。世界には何一つ悩みなんでない、おもしろおかしい場所であるかのようにね」
こんな台詞を口にするアガサがなんて可愛らしいことか。第一話で登場した場面では、ビジネス世界でやり手の口うるさい性格最悪婆あとしか思えなかった女性が、こんな塩らしいことを言うなんて。プラスがプラス値を増大させるより、マイナスをプラスに変換させた方が変化度合いが大きく感じる、アガサが可愛く思えて仕方がなくなるように仕込んでいるとは分かりながら、作者の術策にしっかりとハマってしまっています。


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シリーズ四作目は『アガサ・レーズンと貴族館の死』。前作のお話の経緯により、期間限定で手伝うこととなったロンドンでの広報の仕事を無事に終えてアガサがカースルーに戻ってくるところから始まる。ロンドンで広報ウーマンとして働くアガサは、昔のタフさ、嫌み、人間としての毒がたっぷりと出ており、何よりもアガサ自身がそれを分かって嫌悪している。

今は愛おしくなった田舎での暮らしに戻った頃に、隣村に住む準男爵の敷地内で殺人が起こった。事件関係者の一人であるデボラがカースリーに住む親戚に助けを求め、アガサがまたまたお隣りに住むジェームス・レイシーと共に殺人事件に立ち向かうこととなる。準男爵のサー・チャールズ・フレイスが当然のことながら第一容疑者となるのだが、このチャールズがジェームスの知り合いの知り合いということで、近くの市内にあるチャールズの住まいを根城にしてアガサとジェームズが夫婦のふりをして捜査にあたることとなる。当初は、アガサの執拗なアプローチを恐れて夜には寝室のドアに開かないように細工さえする始末のジェームズだった。

殺されたのは地元の教師でハイキングクラブのメンバーの女性。彼女は周りのすべてをコントロールしたがる自己中心的で他人を支配することに喜びを感じるタイプ。貴族階級への反感もあり、古くから認められている「権利通路」を使って準男爵の領地を横断するついでに畑をめちゃくちゃにしてやろうと目論んでいた。準男爵の丁寧かつ紳士的な対応に他のハイキングクラブメンバーは同行しなかったために彼女は一人で敢行することとなり、結果は畑の中で死体として発見されることとなる。

アガサとジェームズの捜査がノロノロと進むうちに、第二の殺人も起きる。死体を見て気分を悪くするアガサをジェームズが優しく介抱する。当初、夫婦の振りをすることが嫌でしかなかったジェームズだが、アガサの快活さを知らず知らずに受け入れてるようになったばかりか、失くしたくないと思うようになっていた。そして、アガサ自身がジェームズに対する恋心を押さえつけることに成功するにつれ、逆にジェームズの気持ちが高まってくるという男女間の不思議な逆相関関係がここでも見られる。

色々と調べるうちに、準男爵が犯人に違いないと信じた二人が館に乗り込んだところ、真犯人であるデボラが準男爵を殺そうとしていた現場に出くわして、結果として目出度く捜査が成功裏に完結することとなる。そして、なんとアガサはジェームズからプロポーズされ、ふたりは結婚することとなるというお話で第四話が終わる。


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理性と感情がアガサの中でせめぎあっていたが、結局感情が勝ちをおさめた。
貴族である準男爵からランチのお誘いを受けることは、庶民にとって特別なことなんだね。ロンドンのスラム出身はアガサは「恐れおののいていた」という表現がされているくらい。階級社会の一端が窺い知れる。

この年になったら、早めにお墓に入ること以外に楽しみなんで何もないわ。
アガサの年はどのくらいだろうか?決して、60歳を超えてはいないはず。それでもこんな言葉を口にするとは! 彼女よりも年上である私にこそ、この言葉を口にする権利がある。そして、同時に思うのは、死ぬ前にもっと愉しみたい。愉しむのは今からだ、と。

最近は”スラム街”などという言葉は使われない。密集地区(インナーシティ)と呼ばれている。婉曲な表現によって、その薄汚さと暴力と絶望が取り除かれるわけもないのに。
ポリティカリー・コレクトだとか、差別性を失くすために新しい言葉が次々と出ている。もちろん、差別には反対だが、単に言葉を入れ替えただけで問題がないように振る舞うことは、差別用語を使うこととは別の次元での社会の闇だと思う。そんな私の思いを代弁してくれるような台詞だ。

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『アガサ・レーズンの完璧な裏庭』はシリーズ第三作目。第一作目を読んだのが2018年6月だから2年以上経過している。2年以上のブランクがありながら、主人公のアガサの性格の悪さの記憶は鮮明に残っており、偶には強烈な毒を持つアガサのシリーズでも読もうかと選んだのが三作目だった。

好戦的で意地悪で競争となったらズルをしてでも勝たないと気が済まないという性格は以前と変わらないが、アガサを迎い入れたカースリー村には変化がおきていた。アガサを受け入れるようになっていたのだ。痘痕も靨なのか、住めば都なのか、それとっもブスも見慣れりゃ慣れるなのか、アガサの正直なところが村民たちには人気が出てきたようだ。第三作では、ガーデニングが得意で料理も上手、しかも美人なっ未亡人であるメアリー・フォーチュンが村に越してくる。そして、アガサが憧れている隣人のジェームズとよろしくやっている仲にまで進展している中に、アガサが長期の海外旅行から帰ってくるところから始まる。帰国してすぐにジェームズと顔を合わせたところ、相手はさっさと家の中に引っ込むというよろしくない状態。一方、新参者のメアリーとジェームズの仲はすこぶるよろしい。嫉妬心がメラメラと燃え上がり、メアリーに対する闘争心が沸きあがるのはアガサの持って生まれた性分。

村ではガーデニング・コンテストを行うこととなり、アガサは入賞して村の皆もジェームズもあっと言わせ、メアリーに意趣返しとしてやろうとするが、初めての取り組みに上手くは行かない。そこで、得意のズルをすることにする。庭の周りを高い塀で囲んで見えないようにして、コンテスト前日の夜に買い入れた花々で庭をいっぱいにしようと画策する。

そんな最中、庭の手入れに余念のない住民の庭が次々に荒らされるという異変が起きる。そして、とうとうメアリーが殺されてしまうという事件まで起きて、アガサの活躍の場が生み出されることとなる。中国系の刑事、ビル・ウォンと協力しあいながら、時には出し抜きながらアガサは殺人犯人と庭を荒らした犯人の両方を暴き出していく。

この第三作には、これと言って目についたセリフはなかった。が、毒舌で性格悪いアガサが何を言うか、何をするかが愉しみで、272ページの物語が一日で読み終えてしまった。メアリーが庭荒らしの犯人で、それを見つけた被害者の一人がメアリーを殺すという仕返し型の殺人事件なのだが、その謎解きよりもコントを見るかのようなアガサの活動が愉しくて愉しくて、一気呵成という言葉がぴったりくるように途中で本を置くのももどかしく、最後まで一気に読み通してしまった。

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普通のコージーミステリだったら、一生懸命に努力しながら世間さまに迷惑かけずに真っ当に生きている一般ピープルが主人になるのだが、このシリーズの主人公であるアガサ・レーズンは全く違う。生き馬の目を抜くロンドンのPR業界で成功したキャリアウーマンが早めの引退をして、理想だと思ったコッツウォルズのカースリー村で田舎暮らしを始めたところ、平和のはずの田舎で人殺しが発生、好奇心旺盛なアガサが首をつっこんでいくことで物語が進展する。

なにせ、この主人公、多少の嘘や無作法などお手のもの。1作目を読み始めた時には、この大阪のおばちゃんを彷彿させる強引かつ俺様キャラに驚き唖然としたものだが、シリーズを2作も読むと、このいけ好かないおばさんキャラにも次第に心を許してしまい、痘痕もえくぼ状態になってしまう。ほんと、不思議だね。

2作目の『アガサ・レーズンと猫泥棒』では、愛猫が誘拐されて泣きの涙にくれるアガサらしからぬアガサが描かれ、1作目で描かれた悪役キャラが若干方向転換している。私からすると、いけ好かないキャラをずっと押し通して欲しかったけれどもね。


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ピューリタンが熊の罠に反対するのは、熊に苦痛を与えるせいではなく、世間に喜びを与えるからだ
ストイックな生活を要求するピューリタンに対する皮肉なんだろうね。

ディスコで新しいタイプの精神安定剤だという触れ込みで、薬を売りさばいていたそうだ。レミントンの若者は健康に自信を持って大丈夫だよ、今頃は寄生虫がきれいに駆除されているだろうから
馬用の薬を騙して売りつけられた馬鹿な若者たちに対する。シニカルなジョーク。これまた、英国らしい皮肉だね。


コージーミステリを読み耽る愉しみ その20 お茶と探偵シリーズ(ローラ・チャイルズ著)

2024年12月10日 | パルプ小説を愉しむ
24話『ティー・ラテと夜霧の目撃者』も今年2024年3月に出版されたばかりの新刊。2桁の数の予約を待ってやっと順番が回って来た。読み始めるといつも通りに第1章で事件が発生。いきなり事件に突入する早急というか回りくどくないというか、はたまたいきなりの先制ホームランのようなストーリー展開はいつもながら。今回の被害者は、セオドシアの知り合い、ご近所で古書店を営むロイス・チェンバレンの娘・カーらだった。土砂降りのチャールストンの夜に、急いで家に帰る途中のセオドシアが彼女の殺害現場に偶然通りかかってしまう。折しも、数年前に発生した後にぱったりと止んでしまった連続女性絞殺事件と同じ手口であったことから、当時の呼び名、フォグヒール・ジャックとマスコミが騒ぎ立てる。ロイスから真相究明を頼まれて、セオはしぶしぶと受ける。そんな中、カーラが働いていたTV放送局のニュースキャスターも似た手口で殺されているのが発見される。カーラが昔のフォグヒール・ジャック事件を追っていたことを知り、何らかの手掛かりをつかんだところ返り討ちに会ったのではないか、とセオドシアたちは考える。街の嫌われ者であるゴシップ誌オーナー兼突撃取材者のビル・グラス以上の嫌われ者として胡散臭いゴシップライターが風来坊のように現れて色々とかき回す。ひょっとして、取材するふりをしながら殺人を行っているのでは?また、セオドシアのお隣の豪邸を借りている自称作家は、猟奇殺人をネタとしていることも分かり、不審人物の仲間入り。ロイスが長期契約している古書店を取り壊して高級マンションを建築して一山当てようと考えているあくどい不動産業者とそのボディーガードも怪しい。容疑者リストに入れられる人間がどんどん増えていくものの、怪しい登場人物に限って実際の犯人ではないことはこのシリーズのお決まり事。怪しいどころか協力者に一見思える人物、たぶんそれが実際の犯人であろうと思って対象者が考えながら読み進めていくうちに終盤へと入ってしまう。終盤で警察のPR担当者がイベント終了後のティーショップに裏から入り込んできたので、こいつが犯人かと思うと、ずばりその通り。仕事合間に喉をうるおそうと考えていたという口実のもと、クロロホルムを嗅がせたセオドシアを火事で全焼したロイスの古書店跡に連れ込んで、あれこれ嗅ぎまわる邪魔者のセオドシアを始末しようとする。ロープがセオドシアの喉に絡みつく中、ポケットに入れてあった唐辛子スプレーをお見舞いして危機を脱して逃げようとしたところに、入れたてのお茶が入ったティーポットを手にしたドレイトンが駆けつけて犯人をティーポットで殴りつけてセオドシアを危機一髪助け出す。犯人が逮捕されめでたし、めでたし。

「正義という車輪はゆっくりとしかまわらない。」
とセオドシアがぼやくとドレイトンはこう切り返す
「わたしはゆっくりなのはいいことであると、称賛すべきものとらえているがね。」

そう言ったセオドシアであっても、嫌われ者のゴシップライターから南部気質に対する嫌みを言われるとこう反論するのだった。
「誰もかれもが糖蜜のようにゆったりと動き、なにをするにも三倍の時間がかかる南部にいるのを、つい忘れちまってね。」
「私たちは、この文化を優雅で上品なものと考えているのよ。」


ドレイトンはドレイトンでちょっと離れたところに身を置きながらセオドシアをやさしく見守る。事件の手掛かりをまくしたてるセオドシアに対して、
「さすがに脳みそが油で揚げられてみたいな状態になってきたよ。すくなくとも軽くソテーされた気分だ。」
といったり、店内から突如姿を消したセオドシアを探しにやってきて犯人をティーポットで殴り倒した際に、機転の素晴らしさを指摘されると
「うまれついての悲観論者だからな。」
などと謙遜したりもする。料理が上手なヘイリー、経理担当兼多忙じの臨時のウエイトレス、ミス・ディンプル、この4人は最高のもてなし上手であり、気の置けない仲間たちだ。

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23作目は『クリスマス・ティーと最後の貴婦人』。出版がほんの4か月前の2022年11月のせいだろう、借りてきた本が新品のようにピカピカの白いままだ。今回の被害者は地元の大金持ち夫人。自宅で開いていたクリスマス・パーティの席上で殺され、宝石が飾られた指輪とルノワールの絵が盗まれていた。もちろんパーティでお茶のケイタリングサービスをしていたのはセオドシアを始めとするインディゴ・ティーショップのメンバーたち。殺されたミス・ドルシラは、”ヨーロッパの小国のGDP以上の金額が入っている銀行口座の名義人”として簡単ながら十分な説明が最初の段落でなされている。こんなに金持ちガホイホイ殺人事件の被害者となるチャールストンでは、さぞかし相続関係の弁護士がひしめき合っているのだろう。

今回も怪しげな登場人物が目くらまし的に登場する。被害者のお金持ちの個人秘書、ルノワールの絵の売買を仲介した胡散臭い美術商、傲慢で思い遣りの心が欠如しているご近所さん、そしてそのご近所さんに間借りして近隣の手間仕事を請け負っている男、唯一の親類縁者である甥っ子、被害者の財務担当者、そして金に群がる慈善事業者たち。いくら胡散臭く怪しくても、これらの登場人物は犯人ではないことはこのシリーズの定石。誰なのかと思って読み進んでいったところ、終盤間際でビクトリア調のお茶会が開催されるところに行き当たった。会場は、これまた歴史エリアの豪邸を借りて行う。お手伝いとしてあてにしていたミス・ディンプルが体調不良で来られなくあって困っていたセオドシアの前に、ミス・ドルシアの個人秘書が手伝いを申し出る。怪しい。しかも、ランチの時間で有能であることを証明したために、夕方のビクトリア調お茶会の助っ人も依頼される。その時、この個人秘書は自分の恋人も手助けできると言い出す。これは怪しい。この二人がグルで、何年前に起きたルノアール絵画窃盗団のまだ捕まらないメンバなのではないか。そうであればつじつまがあう。読みながらそう思ったものの、犯人は恋人の方。地元の土産物店で働く善良な人物であり、怪しい個人秘書の恋人という軽い立場でしかなかった男が、最終場面で突然スポットライトを真犯人として浴びる。私の予想は半分だけだけれども、当たっていた。

不運や災難に対して人間は無力だと知ったところで、事態がよくなるわけではない。
何事につけポジティブ思考のセオドシアらしい言葉。無常観あふれる仏教思想とは正反対。

「この魔法のように穏やかな雰囲気を瓶に詰めて、明日まで持っていければどんなにいいか」
こちらはドレイトンの言葉。60歳を過ぎて尚メルヘンチックな心を残している彼らしいコメント。「〇〇な雰囲気を瓶に詰めて、□□まで持っていきたい」これは使えそうだ。

”おもしろい”というのは、率直な意見を言う気になれないときに使う言葉よ
セオドシアの部屋を評して”おもしろい”と言ったティドウェル刑事にセオドシアが言う。ある意味当たっている。おもしろいや可愛いは無難な形容詞だからね。

今回読みながら検索して身に着けた言葉は以下。
ガーランド
オービュッソン絨毯
ふわふわ素材のボレロ
スーザン・ウィティグ・アルバートのミステリ小説


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毎回毎回事件が発生する場所やイベントに種々様々な工夫がなされているこのシリーズだが、第22話『ハイビスカス・ティーと幽霊屋敷』では由緒あるが誰も住まずに廃墟と化したお屋敷が幽霊屋敷となるイベントが開催されるという設定になっており、著者の苦労がしのばれる。まじかに結婚を控えた金持ちの令嬢である小説家のウィロー・フレンチが、新作発表兼サイン会の場とした幽霊屋敷イベントで殺される。塔の上から首つり状態でぶら下げられるという悲惨な姿で。しかもその女性はヘイリーの友達で、かつティモシーの甥の娘。知らせを聞いたヘイリーは大きなショックを受ける。事件現場に今回も居合わせたドレイトンとセオドシアは、ヘイリーとティモシーのための事件の解明に首を突っ込む。調べていくうちに、殺された女性の婚約者はやり手金融マンという華々しい職業ではなく単なるアシスタント、しかも第二アシスタントという仕事しかしておらず、自分の地位と仕事を偽っていたことが判明した上、ウィローが婚約を破棄していたという情報を得る。加えて、屋敷の元持ち主であるエリス・プシャールは破産寸前で、ヘリテージ協会に寄贈された屋敷を取り戻したがっている。ウィローの著作を出版している会社の代表、バーナビーは、以前で稀覯本の売買をしており、同時期に盗難にあったヘリテージ協会のエドガー・アラン・ポーの古書の犯人かもしれない。ウィローにラブレターを渡していたヘリテージ協会のインターン、ヘンリーは行方知らずでこれも怪しい。と、こんな具合で容疑者と思しき人物がボロボロ出てくる。でも、このシリーズのお約束として容疑者の嫌疑がかかった人間はどれも犯人ではない。今回は、協会の別のインターンのシェリーが犯人だった。このシェリーなる人物の登場回数は少なく、とても事件の犯人としての扱いを受けない端役中の端役、それが真犯人だった。お金に困っている中、近くにお金持ちのお嬢さまがいることに嫉妬して犯行に及んだ。警察もシェリーがリストに無かったというくらいに意外中の意外な展開で、さすがにこれば...と思ってしまった。

脳が時間外労働を開始した。
今回ゲットした目ぼしい表現はこれ。使う場面と設定を選びそうだが、嫌々や想定外の場面で頭を使うことになった時に使えそう。

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第21話『ラベンダー・ティーには不利な証拠』では、ドレイトンと一緒に狩猟パーティに招かれたセオドシアがホスト役の主が銃で撃たれて死んでしまう場面に偶然立ち会ってしまう。気球に乗ってみたり、大型帆船を見るパーティがあったり、水族館のオープニングパーティなどなど、毎回色々な趣向を凝らした場面でセオドシアが事件に遭遇する。毎回事件現場をどのような場面にしようか考える著者も大変だろうなと同情してしまう。それにも増して、お話にはそれなりに関与している人を犯人には全く見えないように工夫しながらストーリーを構築していく工夫はもっと大変あろう。いかに犯人には見えないようにお話に登場させ、良い人であるかのように振る舞わさせるのだから。

今回の犯人は殺された狩猟パーティのホスト役の共同経営者とホスト役の息子の嫁がグルだった。裕福な金持ちですべてを持っている相手を嫉妬した共同経営者が殺人に及び、たままたそれを目撃した嫁が自分が描いた筋書き通りに行くように疑似誘拐事件を手伝わせて事件を複雑にしていくはずだった。でも、殺人と誘拐が一緒に起きると何らかの関連性があると思うのが当然で、著者もセオドシアにそう思わせて行動させている。行動させた、と書いたが実はたまたまお隣さんの家を覗いたら誘拐されたはずの嫁が居たことで犯人が分かり、嫌がるドレイトンをジープに乗せて追跡劇を敢行したのだった。殺人が起きた区域を管轄する保安官や誘拐事件が起きた区域を管轄する警察以上に、セオドシアはいつも以上に活躍したのでした。

21話も読み進めて思うのだが、最近はチャールストンの素晴らしく美しい街並みの形容が少なくなっている。以前は、いかに立ち並ぶ由緒正しきお屋敷を細かに描写してくれたり、朝や夕方・夜のチャールストンのほれぼれするような街並みや自然の移ろいを描いて私の心を鷲掴みしたものだったが、それが最近減っていることが不満として溜まりつつある。

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とうとう第20話。続けてきた投稿が積み重なって3000字を超過したため、別のスレッドを建てることとなった。
『アッサム・ティーと熱気球の悪夢』では、人生初の熱気球に乗せてもらえる体験をしり込みするドレイトンと一緒に楽しんでいたところ、突如現れたドローンが一緒に飛んでいた別の熱気球に飛び込み、爆破させて墜落させた。被害者は3名。セオドシアは今回も事件の現場に居合わせて事件をしっかりと目撃する。ドローンの所有者を調査した警察は、セオドシアの親友のアンジー・コングドンの恋人に疑いの目を向ける。被害者の1人がIT起業家で、その会社の方針に声高に異議を唱えていたという事実も発覚。腹立ちまぎれの犯行の線を追う警察に対して、不信感を募らせるアンジーの絶っての願いを受けてセオドシアがまたもや立ち上がる。事故と相前後して、IT起業家のドン・キングズリーが所有していたはアメリカ史上初の国旗が紛失。骨董品的価値のある旗を狙う学者、コレクター、骨董商なども怪しい。そして、何といって蒐集品の保管・陳列など一手に引き受けていたドンの個人秘書も行状がよろしくない。

怪しい人物が数人出てくるものの、彼ら彼女らは犯人ではないというこのシリーズのお約束どおり、真犯人は大学教授を名乗っていた女性だった。手渡された名刺から所属する組織と所在地を調べたところ、すべて嘘。実はFBIも指名手配していた窃盗犯であることがわかり、事件は一転して解決へ向かうところ、夜の散歩途上セオドシアがドローンで襲われる事件が。たまたま、庭整備のための置きっぱなしにしてあった梯子と熊手でドローン攻撃を撃退して犯人を無事にとらえられてハッピーエンド。

下級の爵位と崩れかかったマナーハウスを相続したイギリス人のような風貌だとセオドシアは思った。
うーん、こう言われても全くイメージが思い浮かばない。欧米系の人間ならば判別できるのだろう?

デレインはいつもこんなふうにしゃべる。大げさな言い回しと感嘆符を駆使した話し方なのだ。
確かに、デレインは大袈裟だ。それを「感嘆符を駆使した」と目に見えるように表現することが新鮮。

「変化を悪く言わないで」
「伝統を悪く言わないでくれたまえ」

古いもの好きのドレイトンとセオドシアの軽い言い合い。変化と伝統、お互いにいい言葉を勝手に選んで使っている。自分に有利になるように言葉をえらぶレトリックの手法が会話をリードする力になることとともに、知的な会話のための条件でもある。

頭上からはさながら地獄のボーリング場のように雷鳴がとどろき、おどろおどろしい雰囲気に包まれている。
表現の大袈裟なさまは、まるでデレインのしゃべる言葉のようでもある。

「天使がわれらを守り、天がわれらをうけいれてくれますように」
ティーショップが主催するお茶会が成功裏に終わって、全員で乾杯する時のドレイトンの言葉。彼らしい敬虔さとちょっとした時代錯誤的な大袈裟さを併せ持った言葉かな。

『優雅なハリネズミ』 ミュリエル・バリベル著

2024年08月19日 | 読書雑感
文明とは、抑制のきいた暴力にすぎず、人類はサルの攻撃的性格を永遠に克服できません。なぜなら我々はサルであり、苔寺の椿の花を楽しむことを知っても猿でありつづけるからです。教育の役割はまさにそこにあります。教育とは何か?人類の欲動を紛らわすものとして苔寺の椿の花をたゆまず与えていくことです。人類の欲動は決して止まらず、生き続ける命の脆い均衡を脅かしつづけるからです。

言葉は人間の財産であり、言葉を使うという社会共同体の発展は貴重な産物です。(中略)社会において選ばれた者たちは、貧しい者の宿命である隷属状態とは別の運命にあり、ゆえに言葉の素晴らしさを大切にし、守っていくという二つの使命があるのです。

最も高貴な概念は、最も野蛮で下衆なものから生まれるということなのでしょう。”美とは相応しくあることだ”という崇高な考えが心に浮かんだのです。美学とは、すこし親権に考えれば、相応の道、つまり確かな形の直感に対応した武士道のようなものへの通過儀礼以外の何ものでもないと分かります。(中略)私のように取るに足りないものの偉大さに昆布された者は、本質的でないものの核心までそれを突き詰めます。するとそこに、平凡な衣に飾られたそれが、ありふれた現実と”これがあるべき姿である”という確実性、、”まさにこの通りである”という確信の構造が浮き上がるのです。

『ターシャ・テューダー 人生の楽しみ方』 食野雅子著

2024年06月24日 | 読書雑感
私は、社会通念より自分の価値観に従って生きてきました。夢にすこしでも近づくような努力を重ねていたら、いつしか夢が実現したのです
ほかの人がすることに惑わされず、自分がしたいことを、自分がいいと思うようにすればいいのよ。
世の中の憂鬱は影にすぎない。そのうしろ、手の届くところに喜びがある。人生は一度きり。楽しまなくてはもったいないと考えたターシャはそのためのヒントをたくさん提供してくれています。
幸福になりたいというのは、心が充たされたい、ということでしょう?不幸だと思えばそれまで。それより、今、自分がいる状況が一番だと思ってみると、違う風景が見えてくるかもしてません。
ちょっと周りを見回してごらんなさい。やろうと思えばできる楽しいことが、たくさんありますよ。
近道を探そうとしないこと。価値のあることはみな、時間も手間もかかるものです。大量の食器洗いや片付けも含めてターシャはこうしたイベントを心から楽しんだのです。
やりたいことがあったら、すわっていないで、始めてみたら?何もしなければ、何も生まれないわ。
なんでも、やればやるほど上達します。
急ぐことがよいとは思いません。私は何でもマイペース。仕事も、納得するまで時間をかけます。
完璧じゃなくていいのよ。「私は何か一つを完璧に、というより、興味のあることをいろいろやりたいわ」
これまでの人生は無駄だったと思うより、残りの人生を、これまでのぶんまで楽しんで。
つらい時こそ想像力を働かせて。想像力を働かせて楽しいことを考えていると体が軽くなり、それまで見えなかったものが見えてくる気がします。
やりたくない仕事や、付き合いにくい人と会うような時は、楽しいことを考えながらするの。
何かに夢中になるのは大事なことです。なんでもいいの。それが人を前に進ませます。
あきらめてしまったらおしまいよ。世の中は動いているの。一緒に歩み続けていたら、何か見つかるわ。
見慣れた空の星だって、年に一度しか見られないと思えば感動するでしょう?
一夜にしてできる庭なんてないのよ。見ごたえのある庭にするには、最低でも12年はかかります。
予定が狂うなんてこと、いくらでもあるわ。よい方に狂うことだってあるでしょう?
状況のせいにしない。楽しいことなら素直に愉しみ、困ったことなら「そんなもの」と達観して前に進めばいいのです。
年齢と共に体が変化するのは当たり前。変化した自分を受け入れてしまえばいいのでは?
年をとっても、できることをたくさんあります。
年を取ればとるほど、人生は楽しくなる気がします。
何事にもそれに適した季節があります。若者には若者の季節が、高齢者には高齢者の季節が。
心は一人ひとり違います。その意味では、人はいつも一人なのよ。
これまでどんなに楽しい時期があっても、そこへ戻りたいとは思わないわ。年を重ねることはもっと楽しいことだから。
いつまで生きるかは運命で決まっているのよ。あがいてもだめ。賢く生きるしかないわ。
楽しみを見つけようとすることはいつだって必要です。
どの季節にも、それぞれの良さがあるわ。
仕事の手を休めて、植物の葉が揺れるのを眺め、小鳥の声に耳を傾ければ...。
夢をもちましょう。そしてその夢を、良識的に、現実的に追いかけましょう。
ユーモアは、人を笑顔にさせ、幸せにし、人の営みを豊かにします。
親が子供にしてやれる大切なことは、子供時代に楽しい思い出をたくさんつくってやることです。
本は、さまざまな異国へ連れて行ってくれるすばらしい乗り物です。
やりたい仕事は、労働ではなく、楽しみになるのよ。
何か能力を身に着けたいと思ったら、心から願い、チャンスを見つけて努力し続けること。
うまくいかなかったら、手を休めてほかのことをする。あせらず、努力することよ。
最初から恵まれすぎているより、足りないくらいの方がいいこともあるわね。
感謝や喜びを感じたら、相手はわかっているだろうと思わず、伝えてあげて。
まわりに美しいものがあると、気分が変わります。
私は人生をバケーションのように過ごしてきたの。一刻一刻を楽しんでね。















コージーミステリを読み耽る愉しみ その28 マーダー・ミステリ・ブッククラブ・シリーズ(C・A・ラーマー著)

2024年05月06日 | パルプ小説を愉しむ
第二作でブッククラブのメンバーたちはクルーズ旅へ出かける。19世紀にイギリス・オーストラリア間を旅した優雅な蒸気船オリエント号を忠実に再現した原題のオリエント号でのクルーズだ。乗船していた医者の不具合で急遽アンダースが代役として乗り込むことになったために、メンバーたちも5日間のクルーズを楽しもうと乗り込んだ。乗船早々出会った自由奔放そうなアマゾネス系の美女で船長夫人のコリーから、所有しているカフタンドレスが何枚か盗まれたので探して欲しいと依頼される。冗談だと思っていた一行だが、船内で心筋梗塞による死者が出る。事件かも疑うアリシア。色々と探っていくうちに船内では宝石の盗難事件が起こっていたことを知る。盗難を避けるために下船した乗客が多かったためにアリシア達が乗り込めるように手頃な価格帯で空きが出ていたのだった。年老いた老貴族夫人と不釣り合いに若いジゴロ風の美男夫。船旅のエキスパートと周りからも認められている裕福で船会社のオーナーの一員でもあるソラーノ姉妹3人組み。途中から旅に加わったと言うコリーの親友という影の薄い女性。そしてアンダースがなぜか忙しそうにしてアリシアと過ごす時間を中々割かない。しかも、事件かもと疑うアリシアに対してとてもそっけない素振り。メンバーの協力を得て船内の情報探索に乗り出す屋、船長夫人のコリーが船から落ちたという。その上、老貴族夫人が早朝のジムエリアで背中を刺されて殺される事件も起きる。コリーと老貴族夫人のジゴロ夫とが不倫関係にあるという噂もある中で、このコリーとジゴロ夫が共謀して宝石を盗んでいた疑いが出た。先に心臓発作で亡くなった老婦人も2人に殺され、罪の意識を持つようになったジゴロ夫がコリーも舟から突き落として殺し、その上真相に気付いた妻までも殺したのだと船内でバーテンダーの振りをしていた潜入捜査官はジゴロ夫を逮捕する。辻褄が合わないことと、都合よく証拠が揃いすぎていることに違和感を覚えたアリシアは、潜入捜査官からバカにされながら独自捜査を進めて真相を暴く。宝石泥棒は、体の不自由さを装うために車椅子に乗っていた老貴族夫人とジゴロ夫だったのだ。夫とコリーが不倫していることに気付いた老貴族夫人は、コリーのカフタンドレスを盗んでコリーらしい恰好で犯行に及び、酩酊させるために使っていた薬をわざと多めに使うことで人殺しをすることでジゴロ夫が逃れないようにしていた。不倫相手のコリーを殺したのは、船長を敬愛するとともに妻のコリーを毛嫌いしていた富裕なソラーノ姉妹3人組み。彼女たちがコリーを殺害したことを老貴族夫人に知られて恐喝されるようになったために、老貴族婦人は殺されたのだった。アリシア一行の天晴な捜査がオリエント号での殺人事件、宝石盗難事件を解決したのでした。もちろん、オリエント号というのはクリスティの名作『オリエント号殺人事件』に引っ掛けられて創作された物語。

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ミステリ大好き、特にアガサ・クリスティ大好きというアリシアとリネット姉妹が始めたミステリに特化した読書会。開始して第3回目の集まりでメンバーが行方不明になってしまうというミステリー事件がわが身に降りかかってくる。メンバー行方不明だけではなく、他メンバー一人が車にはねられそうになり、挙句に失踪じたメンバーの夫がゴルフコースで撲殺されるという殺人事件も勃発。自分の読書会への責任感からか、それともミステリー好きから来る好奇心からか、アリシアはメンバーの協力を得ながら事件の解明へと突き進む。アガサ・クリスティーも不倫していた夫への不満から失踪を自作自演したこともあったという。その本がヒントとなって失踪していたメンバーの発見に成功するアリシア。失踪していたバーバラは元女優で、読書会での振る舞いはすべて不幸せな妻を演じていただけだった。そして自分の失踪を演出するための舞台として読書会を利用していたのだった。図書館司書のミッシーのヒントと冷蔵庫に貼ってあった切り抜きから失踪先の高級リゾートを突き止めて、隠れていたバーバラを見つけ出して見破ったトリックを突き付けてやるところはポアロかミス・マープルかといったところ。コージーではあっても、クリスティへのオマージュといっても良いような軽快なテンポで読み進める上品なミステリーでした。

この人にはみずからわが身を救ってもらうしかない。
バーバラのダメ弟のことを思って心の中でアリシアが言った台詞。神は自ら助けるものを助く、という言葉の一辺であることは私にも分かる。

『弁護士ダニエル・ローリンズ』(ヴィクター・メソス著)

2024年05月05日 | 読書雑感
「人生をどう生きるかは、たった二通りしかないのよ。ジム・モリソンかジョン・ロックフェラーか」
「どういうこと?」
「アートを生きるか、プロジェクトを生きるか。ロックフェラーは幼いころから、自分の目標を意識していた。その目標の周りに人生を築いていったの。自分の進む道はかくあるべしと決めて、自らレールを敷いてその上を走っていったのよ。(中略)そして、モリソンは正反対の人生を歩んだ。キャンバスに絵を描くように生きていったの。感情的で創造的で私的な美しい絵のようにね。喜びも悲しみもmあらゆる経験がタペストリーのように、その絵に織り込まれていった」

わたしは人生など偶然の連続にすぎないと思っている。宇宙の片隅にあるこの星にたまたま生命が誕生し、生き物たちはひたすら奮闘しただけなのだと。

裁判とは闘いであり、昔は貴族同士が武器を持って実際に決闘を行っていた。やがて殺しあいに嫌気がさし、代わりに闘ってくれるものを雇うようになった。原題の訴訟弁護士は、元をたどれば傭兵だったのだ。