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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

コージーミステリを読み耽る愉しみ その28 マーダー・ミステリ・ブッククラブ・シリーズ(C・A・ラーマー著)

2024年05月06日 | パルプ小説を愉しむ
第二作でブッククラブのメンバーたちはクルーズ旅へ出かける。19世紀にイギリス・オーストラリア間を旅した優雅な蒸気船オリエント号を忠実に再現した原題のオリエント号でのクルーズだ。乗船していた医者の不具合で急遽アンダースが代役として乗り込むことになったために、メンバーたちも5日間のクルーズを楽しもうと乗り込んだ。乗船早々出会った自由奔放そうなアマゾネス系の美女で船長夫人のコリーから、所有しているカフタンドレスが何枚か盗まれたので探して欲しいと依頼される。冗談だと思っていた一行だが、船内で心筋梗塞による死者が出る。事件かも疑うアリシア。色々と探っていくうちに船内では宝石の盗難事件が起こっていたことを知る。盗難を避けるために下船した乗客が多かったためにアリシア達が乗り込めるように手頃な価格帯で空きが出ていたのだった。年老いた老貴族夫人と不釣り合いに若いジゴロ風の美男夫。船旅のエキスパートと周りからも認められている裕福で船会社のオーナーの一員でもあるソラーノ姉妹3人組み。途中から旅に加わったと言うコリーの親友という影の薄い女性。そしてアンダースがなぜか忙しそうにしてアリシアと過ごす時間を中々割かない。しかも、事件かもと疑うアリシアに対してとてもそっけない素振り。メンバーの協力を得て船内の情報探索に乗り出す屋、船長夫人のコリーが船から落ちたという。その上、老貴族夫人が早朝のジムエリアで背中を刺されて殺される事件も起きる。コリーと老貴族夫人のジゴロ夫とが不倫関係にあるという噂もある中で、このコリーとジゴロ夫が共謀して宝石を盗んでいた疑いが出た。先に心臓発作で亡くなった老婦人も2人に殺され、罪の意識を持つようになったジゴロ夫がコリーも舟から突き落として殺し、その上真相に気付いた妻までも殺したのだと船内でバーテンダーの振りをしていた潜入捜査官はジゴロ夫を逮捕する。辻褄が合わないことと、都合よく証拠が揃いすぎていることに違和感を覚えたアリシアは、潜入捜査官からバカにされながら独自捜査を進めて真相を暴く。宝石泥棒は、体の不自由さを装うために車椅子に乗っていた老貴族夫人とジゴロ夫だったのだ。夫とコリーが不倫していることに気付いた老貴族夫人は、コリーのカフタンドレスを盗んでコリーらしい恰好で犯行に及び、酩酊させるために使っていた薬をわざと多めに使うことで人殺しをすることでジゴロ夫が逃れないようにしていた。不倫相手のコリーを殺したのは、船長を敬愛するとともに妻のコリーを毛嫌いしていた富裕なソラーノ姉妹3人組み。彼女たちがコリーを殺害したことを老貴族夫人に知られて恐喝されるようになったために、老貴族婦人は殺されたのだった。アリシア一行の天晴な捜査がオリエント号での殺人事件、宝石盗難事件を解決したのでした。もちろん、オリエント号というのはクリスティの名作『オリエント号殺人事件』に引っ掛けられて創作された物語。

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ミステリ大好き、特にアガサ・クリスティ大好きというアリシアとリネット姉妹が始めたミステリに特化した読書会。開始して第3回目の集まりでメンバーが行方不明になってしまうというミステリー事件がわが身に降りかかってくる。メンバー行方不明だけではなく、他メンバー一人が車にはねられそうになり、挙句に失踪じたメンバーの夫がゴルフコースで撲殺されるという殺人事件も勃発。自分の読書会への責任感からか、それともミステリー好きから来る好奇心からか、アリシアはメンバーの協力を得ながら事件の解明へと突き進む。アガサ・クリスティーも不倫していた夫への不満から失踪を自作自演したこともあったという。その本がヒントとなって失踪していたメンバーの発見に成功するアリシア。失踪していたバーバラは元女優で、読書会での振る舞いはすべて不幸せな妻を演じていただけだった。そして自分の失踪を演出するための舞台として読書会を利用していたのだった。図書館司書のミッシーのヒントと冷蔵庫に貼ってあった切り抜きから失踪先の高級リゾートを突き止めて、隠れていたバーバラを見つけ出して見破ったトリックを突き付けてやるところはポアロかミス・マープルかといったところ。コージーではあっても、クリスティへのオマージュといっても良いような軽快なテンポで読み進める上品なミステリーでした。

この人にはみずからわが身を救ってもらうしかない。
バーバラのダメ弟のことを思って心の中でアリシアが言った台詞。神は自ら助けるものを助く、という言葉の一辺であることは私にも分かる。
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『弁護士ダニエル・ローリンズ』(ヴィクター・メソス著)

2024年05月05日 | 読書雑感
「人生をどう生きるかは、たった二通りしかないのよ。ジム・モリソンかジョン・ロックフェラーか」
「どういうこと?」
「アートを生きるか、プロジェクトを生きるか。ロックフェラーは幼いころから、自分の目標を意識していた。その目標の周りに人生を築いていったの。自分の進む道はかくあるべしと決めて、自らレールを敷いてその上を走っていったのよ。(中略)そして、モリソンは正反対の人生を歩んだ。キャンバスに絵を描くように生きていったの。感情的で創造的で私的な美しい絵のようにね。喜びも悲しみもmあらゆる経験がタペストリーのように、その絵に織り込まれていった」

わたしは人生など偶然の連続にすぎないと思っている。宇宙の片隅にあるこの星にたまたま生命が誕生し、生き物たちはひたすら奮闘しただけなのだと。

裁判とは闘いであり、昔は貴族同士が武器を持って実際に決闘を行っていた。やがて殺しあいに嫌気がさし、代わりに闘ってくれるものを雇うようになった。原題の訴訟弁護士は、元をたどれば傭兵だったのだ。
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『京都の平熱 哲学者の都市案内』 鷲田清一著

2024年04月30日 | 読書雑感
京都人がこれまで「得意わざ」と密かに自負してきたもの:
 めきき:本物を見抜く批評眼
 たくみ:ものづくりの精緻な技巧
 きわめ:何事も極限まで研ぎ澄ますこと
 こころみ:冒険的な進取の精神
 もてなし:来訪者を温かく迎える心
 しまつ:節度と倹約を旨とするくらしの態度
対抗評価軸(オルタナティブブ)がいっぱいある街いいると、ああ都会にいるのだなあとおもう。アブナイ両極端、これ以上行ってはいけないリミット、それらがはっきり設定されている街ではmそうそうかんたんに残虐な事件は起こらないと思う。人生の避難所と実験場とがいたるところにある街では、ひとはかえって堅実になるように思う。型にうるさい街、型を外すとあぶないことをよくしっている街では、たんなる型破りはバカにされるだけだ。

ひとにも旬というものがあるのだろうか。あったのだろうか。青年、想念、熟年、老年・・・・。それぞれの季節(とき)にそれなりの旬があるはずなのに、旬は「盛り」に取って変わられた。元気の満ち溢れている季節、青年から壮年にかけてを人生のピークとし、そのあとは下り坂という、なんとも貧相な一直線のイメージで人生が描かれる。そしてそんな下り坂でも「元気」を(年齢不相応に)保っていることが、まるで理想のように語られる。「アンチ・エイジング」だとか「サクセスフル・エイジング」だとか。

じっさい、これほど気質もカルチャーも、さらには言葉も異なる百万都市が、それぞれ30分もあれば行き来できる距離にあるというのは、世界でも例がない。これに奈良を加えれば、世界でも屈指の地域である。関東のようにいろんな都市が東京を中心に同心円になるのではなくて、つまり地方に行けば東京度がしだいに薄まっていくというのではなくて、それぞれにじぶんところが最高と、プライドをもって思い込んでいる多中心的な地域は珍しい。文化が何重にもなっているのである。(京都・大阪・神戸の「三都物語」に関する筆者の考え)

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コージーミステリを読み耽る愉しみ その25 ルーシー・ストーン主婦探偵シリーズ(レスリー・メイヤー著)

2024年04月08日 | 読書雑感
またまた一話飛ばして第七話『感謝祭の勇敢な七面鳥』へ。地元のアメリカンインディアンの末裔たちの中に、メティニカット族としての誇りを持ち一人孤高を守るカート・ノーランが殺された。孤高の人。別の言い方をすると人付き合いが下手で小難しい奴。メティニカット族の末裔に人々からも浮き上がっていたカートだが、殺されるような人ではないと信じるルーシーが調査を始める。メティニカット族は部族としての認定を連邦政府に求めようとする動きがあり、その裏にカジノ建設の計画があるという噂がたつ。カジノなど必要ないと考える住民、異形な近代建築物を建てたくない住民がいるものの、賛成派もいる。部族としての認定がなされると、認定が優先されるためカジノ建設を阻むものはなくなる。そんな中でもカート殺害だった。カート自身は部族認定は望んでいたが、望んでいた部族の博物館建設が消えてしまったことに根に持ちカジノに反対だった。同族の誰かの仕業か?実は、カジノ建設を請け負っていた会社の経営者が、邪魔になったカートを殺したのだった。しかも部族の貴重な武器を使って。事件を嗅ぎまわっていたルーシーも邪魔に感じた建設会社経営者はルーシーの殺害も計画。間一髪のところで助かるきっかけを作ってくれたのは、イベントで優勝した堂々たる七面鳥だった。それが題名にもなっている。

相変わらず、事件捜査以上にルーシーを取り巻く家族の生活、村の生活がお話の半分以上を占める。例えば、大学に行ったトビーが感謝祭で友人3名と戻って来てリビングルームをひっちゃかめっちゃかにする模様、娘3名たちのいがみ合いや村に住む友人たちとの交流などなどの合間に事件解明の動きをする。これって決してミステリではなく、アメリカのとある田舎の村の生活の一端を殺人事件を絡めてお話にしたシリーズだ。

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第四話は図書館の蔵書にはなかったので飛ばして第五話『バレンタインは雪あそび』へと進む。アメリカ北東部、ニューイングランド地方のバレンタインの時期だから冬の真っただ中での事件。地元の図書館の理事を引き受けたルーシーが最初の理事会に参加するために図書館に行ったその時に、図書館で働く司書が殺される事件が発生。警察からは独自捜査などしないようにきつく申し渡され、その気であったルーシーだが、もう一人の理事のヘイデンまで亡くなってしまう。警察の見立ては、ヘイデンが図書館に収納されていた価値ある歴史もののピューター製のタンカード(蓋付きジョッキ)を盗み、それに気付いた司書を殺した上で罪の意識に耐えきれずに自殺したというもの。ヘイデンの人柄をよく知るルーシーには納得がいかず事件に首を突っ込むこととなった。調べていくと、地元の名士で立派な人物と思われていた残りの5人の理事たちもそれぞれに事情を抱えており、高潔な人物だとは言えないことを知るようになる。一人ひとりに探りを入れだすルーシー。レシピ盗用で訴えられていたケータリング業者、口が達者な弁護士、胡散くさいと人々から言われている建築請負業者、元大学総長はギャンブル依存症で借金まみれだった。そしてルーシーの身の周りに起こる不審な出来事。大雪の後で坂道で橇遊びをしていたルーシーの4人の子供たちが大型ピックアップトラックにあわや轢かれるかのニアミスに続き、ルーシーの愛用者スバルが炎上するという事件が起こる。横領で逮捕された元大学総長が図書館のお金に手を出していたかを夫のビルに調べてもらえないかと理事の一人の弁護士から依頼されたルーシーが書類を持って家に帰った翌日は記録的な大雪となる。そこへ理事の一人である建築請負業者のエドが、図書館の屋根から雪下ろしをしたいので手伝って欲しいとビルを連れ出す。胡散臭さを感じたルーシーが図書館の新棟増築書を見たところ必要な資材が納入されておらず、粗悪品が代わりに使われていることを見つける。夫のビルが危ないと図書館へ駆けつけたルーシーが見たものは、屋根の上でもみ合う二人の内の一人が屋根から落ち、勝ち誇ったようなもう一人はずさん建築の犠牲となって崩れる屋根とともに落下する姿だった。ビルは雪の吹き溜まりの上に落ちたので無事だったが、エドは助からず。こうして真犯人が見つかり司書とヘイデンの嫌疑をルーシーは無事に晴らすことができた。


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連続して第3話『ハロウィーンに完璧なカボチャ』へ突入。このシリーズの面白さを探すとすると、決してミステリーや犯罪解明ではなく主人公の主婦、ルーシーの日常生活を垣間見る合間に事件の進展を追うといったところか。今回は前作から1か月半後の出来事。地元の歴史的な建物が放火されて所有者の妻であり内装改築に熱心であった妻が焼死体で発見される。それ以前にも放火と見られる火事が何件か発生しており、田舎町のティンカーズコーヴに住むルーシーは好奇心と正義感を募らせて事件を嗅ぎまわる。その後も歴史ある建物が放火により全焼してしまい、ハロウィーンの夜にパーティが開かれていた旧家の屋敷が燃える。子供のオムツ鞄を置き忘れていたことに気付いたルーシーが取りに戻ったその時、ルーシーは殴られ部屋に閉じ込められて建物に火が回り出すという好タイミング。ハロウィーンのいたずらをしようと外出していた子供たちが気付いて911通報し、ルーシーは間一髪で救出される。被害者という立場になったルーシーは病院から抜け出す際に、火事の被害にあった地元の不動産業者の知人の車に乗せてもらったところ、この男が放火犯で、ルーシーを車に閉じ込めて焼き殺そうとしたその時、夫のビルが駆けつけて救われる。放火犯も逮捕されて一件落着。

素人の主婦探偵ルーシーの事件の見立てというのがこれまた偏見に凝り固まったとしか言いようがないもの。焼死体で発見された女性の夫が、エアロビクススクールを共同経営する女性と不倫しているという理由で犯人だと疑い、その後地元の古いガソリンスタンド所有者を犯人扱いする。自分の気に食わない人間を勝手に犯人扱いして周辺を嗅ぎまわるのだから探偵というよりも田舎町のお節介おばさんといった方が似合うキュラクター。真犯人が判明してからも、一方的に犯人扱いした人々に謝ることもなく、彼らの不法行為やモラルに反する行為が社会的成敗を受けるというルーシーにとって都合のよい物語進行。本当にこんなお節介おばさんが身の周りにいたら堪らないという気になってきたところだ。アメリカ人独自の偏見の持ち方という観点からこのシリーズを読むのもいいかもしれない。

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第二作は『トウシューズはピンクだけ』。第一作で主人公のルーシーが働いていたのは地元のカタログ通販会社の電話注文受付だったのに掛けて、題名が『メールオーダーはできません』となっているのは理解できる。この2作目では、妊娠中のルーシーが仕事を辞めて主婦業に専念しており、二番目と三番目の子供(長女と次女)が習っているバレーの発表会に控えているという設定になっている。そんな折、長女と次女のバレーの先生の先生で、引退してはいるが元は高名なバレー教師だったキャロ・ハットンが突然失踪する事件が起きるところから物語が始まる。事故か自殺か、それとも殺害事件か分からないままに、ティンカーズコーヴでの日々は色々なことが起きながらも過ぎ去っていく。ルーシーの友人の一人であるフラニーは、頑固さと意地悪さゆえに地元民のほとんどから嫌われているモリル・スラックが経営しているスラック金物店で働いている。一生懸命働いても最低賃金から給料が上がることはなく、挙句の果てに売上と在庫をごまかしているとモリルから一方的に決めつけられてしまう。売上と在庫が合わなくなったのは、モリルの孫のベンが手伝いに来るようになってから。ベンは見るからに柄の良くない仲間とつるんでいて、良からぬことをやっているよう。ベンの盗みの証拠を捉えようと、フラニーはルーシーから借りたビデオカメラを店内に見えない場所に設置したのだが、モリルに見つけられてしまう。店の売上をごまかした金で買ったビデオと決めつけた頑固者のモリルはビデオを取り上げて返さない。業を煮やしたルーシーが返却を求めて店に乗り込んだところ、当のモリルがな殺されている現場に出くわす。しかも凶器はふーしーのビデオカメラだった。容疑者として拘束されたのはフラニー。人を傷つけることしかしてこなかったモレルが死んだことで葬儀の日は半ばパーティのような雰囲気。キャロの失踪とモレル殺しは関連があるのか?キャロの自宅に入ったルーシーが目を付けたのは、キャロの古い写真アルバム。昔の写真を見ているうちに引っかかるものがあるのだがそれが何かは思い出せない。もやもやした気持ちを引きずりながら娘たちのバレイ発表会の準備を進める。前作ではクリスマス直前の準備の慌ただしさ、今回はバレイ発表会直前の準備の慌ただしさというルーシーの日常の暮らしが物語の背景となって物語は進行する。ある時、自分たち家族の古い写真を見ていたルーシーは、キャロのアルバムにあって別荘の背景の滝が、自分たちも言ったことのある滝であることを発見。キャロの弟子のバレイ教師、タティアーナと一緒に別荘を訪れたところ、キャロはフラニーの弁護士に殴られて重体。フラニーの弁護士は、キャロの友人の元夫にして、自己所有欲が強いだけではなく身勝手で変態。元妻に対するDVだけではなく、自分たちの幼い娘に対しても性的暴力を加えていたのだが、立証できなかったために娘の親権は夫に属し、元妻は自分の娘の誘拐容疑で刑務所に入れられていた。そんな状況を知っていたキャロ、元教え子の娘を連れて誰にも言わずに自分の別荘に匿っていたのだったが、ルーシーの家にあったアルバムを垣間見た元夫の弁護士がその場所に気付いて追ってきた結果キャロに対する暴行が起きた。暴行の現場には間に合わなかったが、キャロと幼い娘を保護することに間に合ったルーシーは、娘を自分の子供と偽って自宅へ連れて帰る。もちろん弁護士のDV男もそれに築いてルーシーの家へ行ってルーシーを殴る付けて娘の居所を吐かせようとする。その瞬間、モリルの息子の妻、アンマリーが拳銃を持って乗り込みルーシーを救う。弁護士を撃ってしまったアンマリーは、警察での事情聴取時に義理の父親殺しを自白する。これでフラニーの嫌疑も晴れ、弁護士のDV男は逮捕され、娘の誘拐で刑務所に入っていたキャロの教え子も出所できて娘と平和に暮らすことができるようになった。これらすべてルーシーの「大きなお世話」ゆえの結末。最後の最後のシーンは、ルーシーが四番目の女の子を出産する場面でめでたしめでたしとなる。

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「ルーシー・ストーン主婦探偵シリーズ」というタイトルは私が勝手につけたもの。コージーミステリを読み進めて、25番目のシリーズの第一話は『メールオーダーはできません』 原題は『MISTLETOE MURDER』といってクリスマス直前という季節感あふれるタイトルだが、日本語でミッソルトーといってもピンとこないので、カタログ販売会社の電話注文受付係として勤める主人公にあやかってのタイトル。

クリスマス直前のメイン州の田舎町、ティンカーズコーヴにあるカタログ通販会社のカントリーカズンズのコールセンターは大忙し。全国から電話注文が押し寄せ、ルーシーを始め従業員たちはせっせと入電をさばいている。仕事が一服して、眠気覚ましに雪が降りだした駐車場に出たルーシーは、アイドリングしたままの一台の車の排気口から出たパイプが車内に引き込まれているのを見つける。社内の駐車場での自殺事件と思われたが、社内にいたのはカントリーカズンズの社長。業績が悪いわけでもなく、何の不自由もない生活をしている(ように見える)地元のスーパーリッチ社長がクリスマス直前に自殺する訳がない。特に、新しい経営陣に代わった途端に人員整理が行われたとあっては、一従業員として納得がいかず、経営を巡ってのいざこざの線も疑ってしまう。事実、新社長となった弟は、長い間兄の影に隠れて日の目を見なかった存在だったし、自分の出世が頭打ちになっていると感じていたはずのルーシーたちの直属の上司である部長も打開策としてこの事件に手を貸した疑いがある。多分に妄想的ではあるが、好奇心が人一倍旺盛なのがコージーミステリの主人公の特徴。子供3人を抱えて毎日の生活に追われるルーシーは田舎町らしいゴシップあさりの噂話に余念がない。そうしているうちに、友人のバーニー・カルペッパー巡査が地元でも有名な曲がりくねったアイスバーンの道で自動車事故を起こしてICUに担ぎ込まれるという事態が起こる。危険は場所として知られた箇所だが、バーニーはそのことを熟知しているし運転技能には疑いがない人物だったために、単なる事故ではないと疑いが益々大きくなるルーシー。病院へお見舞いへ行った帰り道、近道をしようと地元教会の横手を通ったその瞬間、教会前に飾られているオブジェを見てピンとくる。芸術家である牧師の妻は、宗教活動には手を貸さずにアート作品を作っていた。その一作品が教会の庭に飾られているのだが、黒く塗られた像はが抱き合っている2人の男女にホースがぐるぐる巻きにされているというもの。ホースを触った途端、そのホースが深夜の駐車場で排気口から車窓の中に引き込まれていたホースと同じものと気づく。作者を探して教会内のアトリエにないったルーシーはそこで牧師の妻の自殺死体を発見。牧師妻が残した遺書には、夫の牧師と死んだ通販会社社長の妻との不倫関係が暴露されていた。バーニーの自動車事故も、ホースが同一であることに気付いたバーニーを消そうと、牧師が仕組んだものだった。

探偵事務所を構えるアガサ・レーズンや女王陛下から真相究明を依頼される貧乏お嬢さまとは異なり、この主人公のルーシーは事件究明に割く時間が圧倒的に少ない。妄想ともいえる興味本位の疑念を次々に思い浮かべながら毎日の生活に追われるように日常を過ごしている。「生活感あふれるミステリ」という言葉が本の裏表紙に書かれていたが、このシリーズの特徴を挙げるとしたら「生活感あふれる」という言葉だろう。事件の結末が唐突ではあるものの、ミステリとしてよりも生活感あふれる田舎町の日常風景を楽しめる作品でした。

使いすぎでクレジットカードの番号がすり減って消えてしまうのではないかと心配になるほど、すさまじい勢いで買い物を片付けていった。
子育て、主婦業、通販会社の深夜電話受付係として忙しい毎日を過ごす上に、夫を亡くして活きる気力も持てない母親をクリスマスに家に迎えて面倒を見るルーシーが、空いた時間を見つけて家族のためにプレゼントを買う場面が目に浮かぶようだ。

「こんなものを食べちゃいけないんだけど。吹き出物ができちゃうわ」
「人生、たまには危険なこともしなくっちゃ」

バーガーキングに寄ったルーシーと友人のスーの会話。脂ぎったハンバーガーが「人生の危険」という大袈裟な言い方も好きだ。
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その29 歴史と秘密のホテル・シリーズ(オードリー・キーオン著)

2024年03月26日 | 読書雑感
第2話『新米フロント係、支配人を憂う』では、アイヴィーが信頼と尊敬をささげている支配人のフィグが殺人犯として逮捕される。第1作ではアイヴィーが心を寄せているシェフのジョージが容疑者として拘留され、今回は支配人に容疑が掛かる。アイヴィーと関係が深い人物が容疑者になるというのがシリーズのお決まりらしい。ということは、第3話では父親かホテルのオーナーであるクラリスタが容疑者になるのかな。今回は墓石愛好会というサークルが年に一回の勉強会を開催するためのホテル1911に揃って宿泊することとなった。しかも、メンバーはホテル敷地内にある墓石も研究するらしい。施設内に墓石があるということは、祖先のお墓が施設内にあるということになることをアイヴィーは知って驚く。庭園に置いてある彫刻が実はアイヴィーの曽祖父と曾祖母の墓石なのだとホテルのことならなんでも知っている支配人が教えてくれた。それでは、身を持ち崩しこの豪邸を手放さなくてはならなくなった祖父と祖母のお墓も施設内になるのかと気になってくるアイヴィー。神経系の病気を抱えながらもこのホテルでアイヴィーが働く理由の一つは自分の祖先たちに関する情報を得るため。その手掛かりが身近にあったことを墓石愛好会が教えてくれた。良いことばかりではない。今回の事件は、墓石愛好会のメンバーの一人が殺されて起きる。事件発生時、メンバー全員は施設内の墓石巡りをしているところで、殺人事件があったスイートに上がることができたのはフロントに詰めていた支配人のフィグだけという状況証拠で警察に拘束されてしまう。有能この上ない支配人を失ってホテル運営は危機に。穴埋めのために予定外のシフトをこなしつつ、アイヴィーは敬愛する支配人のために真相究明に取り組む。

直前まで読んでいたのがアガサ・レーズンのシリーズだったため、スピード感溢れる特急列車から各駅停車に乗り換えたかのようなスローな物語進行に戸惑った。パニック障害を患う主人公のように、一歩一歩こわごわと着実に歩を進めるのがこのシリーズだ。それでいた妄想と紙一重の推理に基づいた行動が続くので、あっちこっちに振られる。それを地道に一歩一歩着実に踏み進めていくのだから、なかなか興が乗らない。半分を過ぎた頃からやっと面白さが出てくる。フィグが持っていた昔邸宅だったころの古い設計図があったことをアイヴィーが思い出し、設計図面から殺人が起こったスイートに行ける秘密の通路がないかと探ったところ、かつて使われていた料理用エレベーターがスイートルームのクロゼット奥にあることを発見。しかも、そこには急いでいた犯人が残したと考えられる衣服の切れ端が残っていた。それに、墓石愛好会のメンバにはそれぞれ何らかの不審ごとを抱えている。殺された女性の同伴男性は、愛好会メンバーである女性企業家出資者で、殺された女性はその会社の従業員だという。職場内での諍いかとも域や、企業家は被害者の姉だった。しかも、被害者が働きだす前にそのポストに就いていたのが同伴男性の前妻。どうも被害者が前妻の仕事を奪っただけではなく、愛人の地位も得たらしい。そんなこんなで関係者全員が犯人であってもおかしくない状況の中、事件にかかわりなさそうな老婦人2名のうちの1名が犯人であることが判明。はるか昔、大学時代に論文の課題テーマを盗まれた恨みを晴らすべく犯行に及んだのだった。被害者の同伴男性がその女性から研究テーマを盗み、それ以来学会で出世街道を幕臣。盗まれた女性はさえない高校教師として長年勤めていたのだが、夫に去られる事件からすべての不幸の始まりであった研究テーマ盗用を許せなくなり、今更ながらだが復讐の鉄槌を下した。殺された女性は、不法労働者が雇用することで会社の金を着服し、それを上司である経営者の夫に貢いでいたと言うドロドロの関係が明かされるのだった。

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20世紀初頭にアメリカ大富豪が建てた屋敷を改装して営業しているブティックホテルがテネシー州の東南部のチャタヌーガーにある。古き良き時代の南部を思わせる佇まいに魅せられたオーナーは、富豪一族が残した1911年撮影の写真の通りの装いとマナーとを従業員にさせることで時代趣味を徹底させている。フロントデスクの上には1911年の新聞が毎日印刷されて置かれている。そして、「ホテル1911」というのがこのホテルの名前。このホテルのフロント係として働いている28歳女性、アイヴィー・ニクルズがこのシリーズの主役。第1話は『新米フロント係、探偵になる』。アイヴィーはパニック障害を抱えているために大学を休学せざるをえなくなり、ホテルで働いている今でも、いつ発作が起きるかどうかを心配しながら綱渡りのような日々をおくっているという28歳だが、実はこのホテルを建てた富豪モロー家の末裔。自らのルーツであるこの屋敷を改装したホテルで働けることを誇りとしつつ、幼き頃に失踪した母の面影をホテルにだぶらせている。そんなアイヴィーが働いていた週末に、甲殻類アレルギーを持つ老婦人が食事中に死亡すると言う事故がおきる。警察が調査したところ、アナフィラキシーショックであることが分かり、有能シェフは拘留されてしまう。アイヴィーにとって幼馴染で、心理的に不安定なアイヴィーが心から信頼できる数少ない友人の一人を救うために、素人探偵として事件究明を心に誓うアイヴィー。当然のこととして、その日の宿泊者全員が容疑者候補。フロント係という立場を利用して部屋に出入りして、怪しい品々を探し出す。殺された老婦人は食品会社のオーナー社長で、いい年をしている一人息子を差し置いて今でも社業を取り仕切っている。夕食テーブルで被害者ときつい言葉のやり取りをしたもう一人の老婦人ローズも訳ありげで怪しい。一見非の打ちどころがなさそうな完璧マナーの一家4人家族、一人で滞在している実業家のヘマル、もちろん被害者の一人息子ジェフリーも遺産相続を考えると重要な容疑者だ。見つけた怪しい点を警察に届けるものの、警察はアレルギーが原因であることからシェフの有罪を信じてこれ以上の捜査をしてくれそうもない。捜査に一層の熱が入るアイヴィー。ジェフリーが郊外に土地を購入し、そこで違法なことをやっていることを見つけるアイヴィー。土地購入の取引を承認するかどうか決めるために被害者がわざわざシカゴから南部の街へ来ていた最中の事故である以上、土地購入を邪魔されたくない息子の容疑が濃くなる。そしてその近隣の土地を高級住宅地として開発して販売しようと計画しているヘマルにとって、ジェフリーの動物飼育施設は邪魔もの以外の何物でもない。ここに怪しい。その上、もう一人の老婦人ローズはジェフリーと恋仲のようだ。結婚に反対する母親に消えてもらうことができれば好都合。こんな風に、アイヴィーは次々と怪しい点を見つけていくのだが、これらは妄想と紙一重といってもいいくらい。ここにパニック障害という心の病を抱える主人というキャラクターがダブってくる。真犯人はホテルに出入りしている野菜製造所の従業員。ジェフリーの動物飼育施設によりオーガニック野菜栽培が不可能となる大打撃をこうむる農場経営者に恋している従業員が、海老のエキスを吸わせたじゃがいもをホテルに届けて調理させたというトリックだった。
妄想と紙一重の推理、そして大袈裟な譬えがこのシリーズの特徴と見える。例えば、
いっぽうジェフリー・スウェインは表面がでかってすり減ったタイヤのようだ。
ジョージはラクダ並みの辛抱強さと六人の子を持つシングルマザーの野心を兼ね備えている。
ボタンをとめ、一点の曇りもなく清潔で、おそらく手の込んだマスタードを食べている類の子供たちだ。
わたしは午前10時にツートンカラーのナメクジのようにベッドから這い出した。


分からなくはないが、イメージを思い浮かべるのに苦労する比喩であることが多い。その上、ユング心理学に多大な興味を有し大学で心理学を学んでいた人物として、ユング心理学をところどころにちりばめている。
ミズ・スウェインのふくれあがった自尊心と特別扱いへの期待について考えた。カール・ユングなら典型的なナルシシズムと言うだろう

ローズは殺された老婦人の息子と恋仲なのではなく、殺された老婦人と女学校時代からの友人であり恋仲だったと告白する。二人の恋は実らず、ローズは恋を心の奥底にひそめたまま独身を貫いたが、アメリアの方は結婚して子供を作った。2人の生き方をローズはこう言う。
「わたしは社会に背いた。アメリアは自分の心に背いた」

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コージーミステリを読み耽る愉しみ その4 英国小さな村の謎シリーズ(M・C・ビートン著)

2024年03月22日 | パルプ小説を愉しむ
シリーズ19話となる『アガサ・レーズンと毒入りジャム』。今回もまた、近隣の村の押しの強い牧師から村祭りのPRの手伝いを頼まれる。断ろうと村を訪れたところ、イケメン男が目に止まるやアガサの悪い癖が出て、断るはずだったPRのお仕事をあっさりと引き受けた。人気ポップシンガーを村祭りに招き、千客万来の集客に成功したものの、祭りの最中に人が死ぬという事件が起こってしまう。村祭り恒例のジャムコンテストの味見ジャムに麻薬、LSDが混入していたことが判明。PRを依頼した牧師がアガサに事件究明を依頼。ジャム味見のテントに詰めていた年配女性二人には怪しいところは何もなく、ジャムコンテスト応募した人たちそれぞれには怪しいところがある。村人からは災難を招いた張本人と白い目で見られる中、調べ始めると他の村人たちにも怪しいところがある。アガサらしい行き当たりばったりの捜査が今回も功を奏し、混入していたLSDから犯人を割り出すと、牧師の妻が犯人と分かった。

このシリーズの特徴はスピード感。映画で言うところのシーンが組み合わさって話が進んでいく。シーンは短いもので1ページ、長いものでも数ページの長さで、一つの章に幾つも入ることで、場面転換と異なるエピソードが複層的に展開することで物語の進展がスピーディに感じられる。もちろん、細かでねっちりとした描写よりも色々はネタを多く入れ込んでいることもスピード感を増している。著者であるM・C・ビートンの持ち味なのだろう。

心の中に居座っているお目付役が指摘した。アガサはインナーチャイルドの子供っぽさに悩まされることはなかったが、このお目付役ときたら口うるさいことこの上ない。
映画でも小説でも、フロイトやユング心理学を応用すると登場人物の奥行が出るようだ。また、2人の心理学を応用して登場人物の行動を解説する評論家もいるが、最近では作家じたいが登場人物に心理学の心得を持たせることを時々見られるようにもなってきている。

「あなたは改宗したカトリック教徒みたいなものなのよ。自分はもうお愉しみがないんだから、あんたもお同じであるべきよ、ってことでしょ。この地球温暖化の詐欺がいい例よ。地球を救うために重い税金をかけていると政府は言っている。たわごとよ!税金は全て国庫という名のブラックホールに吸い込まれて、永遠に消えてしまい、地球をすくためには何ひとつ行われていない」
著者の政治的な意見が反映されているのかどうかは不明だが、今の世の中で常識であり良識にもなっている温暖化という問題に対して、このような反対意見を吐かせることでアガサという人物のキャラクターが濃くなっている。しかも非常に歯切れの良い意見表明であることが、アガサらしい。

化学者が「自尊心」というラベルを貼った効き目のある薬を発明できたら、億万長者になれるだろう。

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シリーズ第18話『アガサ・レーズンの奇妙なクリスマス』。地元で開業した探偵事務所は迷子のペット探しや浮気調査などで大繁盛。もっとスリリングは依頼が欲しいと思っていたアガサの元に一通の手紙が。領主屋敷に住む夫人から調査の依頼だった。何事かと訪れてみると、そこで暮らしていたガサツな老女が自分は子供たちに殺されるとアガサに伝える。本気にしないアガサだったが、せっかくの依頼だったので週末に一泊して老女の誕生日パーティに参加したところ、パーティの真っただ中で彼女が毒ニンジンで殺されてしまう。4人の子供たちとその連れ添い、皆が怪しく見えてくる。丁度その折、手が照りなくなったのでトニという名の17歳の女性を試験雇用してみたところ、これが大当たり。アル中の母親、暴力を振るう兄という悲惨な家庭で育ったトニにアガサは同情して母親のように面倒を見る。兄に殴られたトニに住むところを借りてやり、仕事のためと言いながら車まで買ってやる。アガサの親切に感謝しつつも多少の重荷に感じながら、トニは仕事に励む。地頭がいいのか、飲み込みが速いのか、浮気調査、ペット探し等々で手柄を次々に立てていく。そして毒殺された老女の事件にまで駆り出される。老女は金持ちであるにも拘わらず、子供たちに十分な金を渡さず、しかも屋敷が牢獄に思えるほどに子供たちを束縛し精神的に苛んでいた。そんな毒親に対する子供たちの復讐のように思われていたところ、屋敷の庭師がキッチンから盗んだ老女手作りのワインを飲んで死ぬ。ワインに毒ニンジンが入れられていた。犯人は子供たちの誰か、それとも老女に反感を持つ村人の誰かか。老女の過去に疑惑を持ったアガサとトニは老女の生まれ育った村を訪問する。分かったことは、友人の婚約者が宝くじに当たった途端に速攻で結婚していたこと、離婚を望んでいた亭主が秘密で付き合っていた女性がある日突然失踪してしまっていたこと。鋭いトニの嗅覚は、歴史史跡となっていたヴィクトリア朝時代の屋外トイレの土地に埋められたいた人骨を発見する。老女がやったらしいと目星をつける。決して褒められるような経歴の持ち主でなかった依頼主。そんな老女を殺したくなるだろうと思いつつ、パーティ席上での出来事を思い起こしていたアガサは、倒れた老女を見舞おうとしたところ次女が邪魔したことを思い出す。これこそ犯人と目星をつけ、本人を呼びつけて問い詰める。しらばっくれていた次女は、話の途中にアガサの家のトイレを借りる。何かあると見越したアガサがこっそりつけていくと、次女はアガサの歯磨き粉チューブに毒ニンジンエキスを注入していた場面に遭遇。これで犯人確定。晴れてアガサは念願のクリスマスパーティを自宅で開催する。主賓と考えていたジェームズも晩餐が開始される時刻に到着。この上ない至福のパーティになるはずだったが、ジェームズにキスされてもアガサは何の興奮も感じない自分に気付く。その上、酔っぱらったロイが借りてきた人工スノーマシンの操作を失敗。せっかくのホワイトクリスマスでいい雰囲気だったパーティ会場が突如猛吹雪と化してしまうという修羅場に。でもよかったことは、トニとビル・ウォンが仲睦ましくなったこと。後日ビルの家に招待されたトニは、ビルの母親のひどいディナーも父親のそっけない態度もなんとも思わないどころか、不遇な家庭で育った経験から見ると十分に受け入れられたように思えた状況だったようだ。帰り際にハグされたビルの花親は「またおいで」という始末。やっとビルにも人生の春が訪れるのだろうか。

貧乏お嬢さまシリーズと一緒に読んでいて、このシリーズの描写がアガサの行動のようにあちらこちらに飛びつつ話が進行していることに気付いた。例えば、
トニはレッドライオンが気に入った。アガサは今度の週末について、ずっとチャールズとしゃべっていた。トニは不安な気持ちでアガサを観察していた。
こんな描写があちらこちらで見られる。前の文と無関係な文が3つも4つも続きながら話が進むのだ。しかも簡潔な(=そっけない)一文の連続で。味気ない文体かというと、そうではない。アガサの衝動的で負けず嫌いな性格や行動のあり方にあった文体として、故意に選んだものだと思う。

ビルのせいでいい雰囲気だったクリスマスパーティが台無しになってしまう場面はこうだ:
アガサは窓辺でそっと降ってくる雪を眺めていた。次の瞬間、彼女は雪だるまと化した。アガサはゆっくりと振り向いた。雪で覆われた顔の中で、、目だけがギラギラ光っている。

まるでドタバタ喜劇のような出来事が起きるのがこのシリーズの愉しみの一つ。小気味よく連続する短い文章が読み手の目の前に繰り広げるのは、まるで映像であるかのようだ。そう、シナリオのト書きのような短文の連続が平面的な読み物を映像化していたのだ。

アガサにとって、クリスマスは聖なる行事ではなく、ハリウッド映画みたいにきらびやかで華やかなものだった。
日本でもそうだね。最近ではハロウィンも盛り上がるためのイベントと化している。

「今や神を恐れる人はいないんじゃないかしら。あるいは、みんな怖がるのが大好きなのよ」
「皮肉な見方だけれど、当たっているわね。生態学が新しい宗教なのよ。惑星は死にかけていて、北極と南極は溶けかけている。それはすべての人類の罪、罪人たちがいけないのよ。」

教区の牧師夫人、ミセス・プロクスビーとアガサの神学論争。環境問題が過度に議論されるようになっている今を、生態学が新しい宗教だと言い切るミセス・プロクスビーなりの解釈が振り切っている。

若いトニにとっては、アガサとミセス・プロクスビーもすごく年を取っているように感じられていたが、ミセス・ウィルソンはエジプトのミイラぐらいの年寄りに思えた。

「それが何だっていうの?最近じゃセックス、セックス、セックスばかりじゃないの」
「愛はたいてい欲望の皮をかぶって現れる。あるいは、後から欲望を満足させられるという期待があるせいで、愛は成就するんだ」

アガサに負けずに口が悪いチャールズの割り切り。ある意味、男女の関係に達観している。

「私のクリスマスは絶対に忘れられないものになるはずよ」
「去年のは絶対に忘れませんよ。クリスマスプディングを灰にして眉毛がなくなったこと、覚えていますか?」
「失敗から学んだわ」

どんな不遇にもめげずに「失敗から学んだ」と割り切れるアガサの強さというよりも、議論に負けることを許さないアガサなりの言い返しだ。

毎日が憂鬱で暗く、何もかもが死ぬか枯れるか、冬眠の準備に入っているかだということを見せつけられるのは、田舎で暮らすことの欠点に思えた。都会なら照明が輝き、騒がしく、ほどんど季節の変化に気が付かなかった。

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第16話の最後の最後が、愛しのジェームズが村に戻って来てアガサの家へ突然に訪問する場面で終わっていたのを受けて、第17話は『アガサ・レーズンの復縁旅行』というタイトルになっている。結婚後間もなくアガサの元を去っていっていった後、何の音さたのないどころか修道院にまで入って追いかけるアガサを振り切るようにしていたジェームスだったが、突然の帰国で再度お隣さんとなった。心穏やかではないアガサは、これが2度目の正直とばかりに心を乱してお洒落に勤しむ。ジェームスの友人から招待を受けたガーデン・バーベキューパーティの場で、ジェームスの友人たちから無視されるもののジェームスはとりなそうともしてくれない。傷つき怒り心頭に達したアガサは一人で家に帰る。反省したジェームスは一緒に旅行しようと申し入れる。子供の頃に行った思い出の場所に二人で行こうという申し出。一度は落ち込んだアガサの心も再度舞い上がり、復縁旅行に旅立つが、その場所スノス=オン=シーという場所は今でも昔日の感もないほどにさびれた寒村に落ちぶれ果てていた。昔を偲ばせるものがなにもないうすっべらな安っぽいホテルに泊まっているのは、性格も言葉遣いも粗野な新婚夫婦とその子供たちと友人たち。夕食時にアガサに新婦が難癖をつけ、その不良息子がジェームスに絡みだす。しかも料理は最悪、食べられたものではない。二人はホテルを抜け出して地元の中華料理店で夕食をとるが、その夜にアガサに難癖をつけた新婦が殺される事件が起きる。凶器であるアガサのスカーフで首を絞められて。当然、アガサは地元の警察から調べを受ける。カースリーで探偵事務所を開いていると言っても馬鹿にされて終わり。自分のプライドのためにも真犯人を挙げて見せるとアガサは誓う。一方、期待と大違いのスノス=オン=シーに嫌気がさしたジェームスはアガサを置き去りにして南仏に旅立つ。後でアガサに来るように葉書を出して誘う。ジェームズは冷たい性格で独りよがりであるという事実にアガサはようやく気付く。そして、ジェームス離れが起きるのがこの回。殺された新譜は3度目の結婚で、前の夫は宝石強盗の罪で服役中。でも盗んだ宝石類は発見されていない。そのあたりに怪しさを感じたアガサと探偵事務所の面々は同時調査を開始。金目当てで結婚した新婦ではあったが、チェーン店を持つ夫は実は大して財産があるわけではなかった。では夫が逆に妻を殺したのか。遺産は誰に行くのかを調べたところ、友人の男に渡ることが判明。第一容疑者発見と身辺調査を始めるものの、真犯人は新夫で、妻が隠していた宝石を偶然見つけて分け前を寄こすように脅したところ拒否されて殺してしまったのだった。筋としてはありきたりではあるが、真相に辿り着くまでのアガサのドタバタがこのシリーズの楽しいところ。

それにしても、元PR会社の遣り手社長で性格も口も悪いというアガサの役回りがだいぶ変わってきている。実はナイーブで傷つきやすく、正義感も強い。スノス=オン=シーの町長や議員たちが町民たちのためにはないもせず、怪しい投資家集団からのカジノ構想をいとも簡単に受け入れるように町民たちを半ば恫喝するような説明会の場で、アガサらしさが爆発する場面が白眉。

「みんな、眠っているの?このいばった連中に立ち向かいなさいよ。防波堤は当然でしょ。なんおために議員たちに税金を払っているの?年金生活者は必死になって、いまいましい街の税金を払ったうえ、どうしてカジノなんて押し付けられなくちゃいけないの?」
そして、投資家集団のお金がマネーロンダリングかもしれないと匂わせた挙句に、
「では、挙手で決めましょう。カジノを望まず町は防波堤のお金を支払うべきだと考えるなら、手を挙げて」
とかってに議事を進行させてしまう。もちろん大多数の町民が手を挙げて賛成票を投じた。出所の金が怪しいとアガサに言われた投資家集団は、火事の投資話を無しにして去る。そして地元の本社が謎の出火で焼け落ちてしまう。この集団を追いかけることが出来なくなってしまう。マネロン疑惑は当たっていたのだった。

ああ、フラットシーズを吐いてきたようだね。愛が消えると、女性の新潮は7センチ低くなるんだ。
ジェームズのことが吹っ切れてヒールを履いて外見を取り繕うことをしなくなったアガサにもう一人の友人のチャールズが言う。このチャールズも自分勝手なことはジェームズ以上。支払いの際に財布を忘れたふりをすること度々、興味がなくなるとさっさといなくなる。面白そうなときだけアガサと一緒にいてくれるという身勝手は男だが、一緒にいて楽しい相手ではある。出てくる男も女も碌でもない連中が多いのがこのシリーズ。

アガサには恋に地執着する癖があった。頭の中に執着する対象がいないと、自分自身と向き合うことになる。それがつらいからだ。

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読み飛ばした(と思った)15話『アガサ・レーズンの探偵事務所』を読み始めたところ、これは読んだことあるかもという既視感がむくむくと起き上がった。読み進めると、やはり読んだことがある、でも犯人が誰なのかは記憶にないのでそのまま読み進める事ととした。色々な事件を解決してきた過去の経験と実績、ジェームズがいないことへの寂寥感を消し去るための繁忙感、これらが相混ざってアガサは自分の探偵事務所を開くこととした。最初に雇ったアシスタントは、お隣に引っ越してきた60代半ばの女性、エマ・コンフリー。とても有能はアシスタントで、本来は気が弱いにも拘わらず、傲慢なアガサに気圧されるまいと気丈に振る舞う。依頼者への料金提示はアガサの想定していた金額を上回る金額を提示し、行方不明のペットを探すのも上手い。事務仕事を任せるつもりだったが、あまりの有能さにより探偵として働くことに。その代わりに、紳士のお友達が途切れていミス・シムズを秘書として雇い、加えてビルのアドバイスにより元警官も雇い入れる。依頼の一人に、娘の婚約を破棄白という脅迫状が届いらという上流階級の夫人がいた。近々催される婚約披露パーティの席上で何も起きないようにアガサに守って欲しいという。エマと一緒にパーティに出かけたアガサは、窓から光るものを目ざとく見つけ、依頼者の身を守る行動に出る。プールに突き落としたのだ。生憎と部屋からは何も発見できなかったので、アガサの間抜けな勘違いとされてその場で馘。話を耳に入れたビルが部屋を捜索したところ、ガンオイルと空の薬きょうが発見され、アガサが見たものは勘違いではないことが証明される。晴れて捜査に戻るアガサ。

依頼人女性が娘とする豪邸は、本来はチャールズの友人でもあった真の貴族階級家族、フェリエット家のものだったが、金のために売り払ったもの。売却の際に、へリエット夫妻は購入者から小馬鹿にされるような侮辱を受けたようで、そのことをいまだに根に持っている。チャールズの手を借りて捜査を進めるが、チャールズにランチを2度ご馳走になったエマがチャールズから求愛されていると勘違いしだし、一種の精神錯乱状態になっていく。自分とチャールズの仲をアガサが邪魔していると思い込んだエマは、こともあろうかアガサを殺そうと試みる。家に忍び込んだエマは、インスタントコーヒーの瓶に殺鼠剤を入れる。部屋に現れたのはアガサを殺すように依頼を受けた元IRAの殺し屋。誰もいない家でアガサの帰りを待つ間、コーヒーを作って飲んだものだから殺し屋が殺されてしまう。エマは逃亡するものの逮捕されて精神病院送り。そんなことが起こっている間もアガサは捜査にかかりっきり。色々な手がかりを探し求め、それらから犯人を探し出そうとするもののうまくいかない。婚約相手の父親、ジェレミー・ラガット=ブラウンが金融詐欺で刑務所送りになっていたこともあり、有力容疑者と思うものの鉄壁のアリバイが存在。事件当日はパリにいたのだった。手がかりを求めてフェリエットの娘に会いにパリへ行くが、行き違いで会えない。でも、元アル中の古い友人に会ったアガサは天啓を得る。ジェレミーは自分に似た男をリクルートして入れ替わることでアリバイを作り出したのかもしれない。なんと、この思いつきとしかいえないアイデアが実際に起きたことで、アガサとジェームズがこれを証明していく。そしてジェレミーの相棒はフェリエット家の長女、フェリシティ。家を失ったことを許せず、何としても取り返すことを決心した彼女はジェレミーを操っていた。真相が明らかになってしまった以上、アガサを生かしておけない。自分の手で始末しようとアガサに家に入り込んだところ、精神病院を脱走したエマがこちらもアガサを殺そうとして家に侵入したところをフェリシティに殺されてしまい、フェリシティも逮捕に。なんと2度もアガサは自分を殺そうとして侵入した殺し屋が殺されることで助かってしまう。こう書いていると筋のドタバタ喜劇さがよくわかる。このドタバタさがこのシリーズの持ち味だ。アガサは、ティーレディであるセオドシアとは正反対の欠点だらけの女性で、捜査も行き当たりばったり。ドタバタの連続が面白くて読み進められる。一方、セオドシアは優等生。他人の悪口は言わないし、料理も自身の生活、交友関係も理想的なエレガントな女性だ。アガサは他人のことは悪く言うし、レンジで作る料理ばっかり食べている。油断していると顔には皺や口元にひげをうっすらと生えてきていることに気付いてエステへ直行するアガサ魅力的でもある。

大半の50代が60代をよぼよぼの老人だとみなしているが、アガサも例外ではなかった。自分は永遠にそんな年齢にならないと思っているのだ。
アガサを弁護するわけではないが、自分も経験があるので良くわかる。そんな年齢にならないと思っているのではない、そんな自分を想像できないのだ。さらに、自分がもつ自身のイメージは20代の頃の頃のものから変わることがないのだから人間とは浅はかなものだ。

「ずいぶんおしゃれしてますね。そのドレスの襟元が申し越し深かったら、公然猥褻で警察に逮捕されますよ」
50代半ばといえども男の目を意識するアガサは着る服に気を配る。理想的な女性であるセオドシアも着る服には気を遣うものの、アガサよりは淡白だ。アガサの貪欲なくらいの欲望日比べ。


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アガサ・レーズンと完璧すぎる主婦』はシリーズ第16作目。ブログの書き込みを読み直してみると、15作目をよみとばしてしまったようだ。道理で、突然アガサが探偵事務所を始めていたことに戸惑ったわけだ。でも、探偵事務所をいつ、なぜ開いたのかが分からないままに読み進める。ローラ・チャイルズのお茶と探偵シリーズに比べると、展開がジェットコースターのように進むことに驚いた。事件にのめり込むアガサは、見境なしに手がかりと思えるものに突き進んでいく。その姿はスラップスティックコメディを思わせるような目まぐるしさなのだ。読み手の読むスピードが上がるように仕向けているのだと思う。そのために、展開の速さがシリーズの特徴に思えるのだと考えるのだが。

探偵事務所を開いたアガサの元には、女子高校生の失踪事件、いなくなったペット探しなどしか持ち込まれない。アガサが離婚事件を断っているせいだ。このままでは事務所を維持できるか不安になったアガサは浮気調査を引き受ける。そんな折、失踪していた女子高校生の死体を見つけるという手柄を立てる。アガサが、というよりも事務所でつかっている年寄りの職員が。PRに長けたアガサは、死体発見で終わることなく、犯人を見つけ出す無料捜査を行うとマスメディアに売りこむ。宣伝材料となって依頼が舞い込むことを予想してだ。依頼された浮気調査はなんの進展もなし。相手が完璧すぎるぐらいの主婦だったから。誰に聞いても、主婦の鑑という答えが返ってくるような女性。依頼主の亭主の方は、エレクトロニクス会社を経営する威張り腐った嫌な奴。そんな亭主が殺されて、犯人捜査を調査対象だった奥方から依頼される。行く先行く先で手がかりになりそうな材料が次々と現れ、アガサと事務所職員が手を尽くして操作にあたる。このプロセスがスラップスティックコメディっぽくもあり、また、行き当たりばったりさがジェットコースター的な展開の速さを生み出しているのだろう。事件捜査の片手間にアガサの恋愛事情があり、老いに対する恐れと敢然たる挑戦とがあり、甘いものと腹回りへの配慮の葛藤があり、時折心が折れるアガサを慰める元部下のロイの登場、心の支えでありながら心をかき乱すサー・チャールズの存在と身勝手な行動などなど、これらが事件捜査に挟み込まれてくる。

女子高校生殺人と社長殺人は繋がっていると見破ったアガサだが、警察は取り合わない。それなら独自調査を進めるアガサ。犯人は、妻と殺された夫の愛人の共謀。この二人は、エレクロトにクス会社の営業担当者のイケメンと浮気していた。浮気に気付いた夫は金持ちの妻に対して金を要求した結果、逆に殺されてしまう。手を下したのは、夫の愛人だった秘書。二人は手を組み、社長を殺し、女子高校生と結婚すると言った浮気相手と女子高校生の二人も亡き者にした。薬物殺人に使った牛乳瓶が事務所の植木鉢の中にあることをアガサに見つけられてしまった二人はスペインへ逃亡。警察に相手にされないアガサたちは自費でスペインまで飛んで行って二人を確保するというお手柄を立てる。

彼は中背で、ふさふさした白髪交じりの髪をしていた。顔はしわくちゃというほど皺はなく、さっとアイロンをひとかけすれば若いころの顔に戻りそうだ。
アイロンをひとかけというのが誇張であることは分かるが、洒落ている。

最近は、そこらじゅうに嫌煙家がいるのでやっかいだ。連中の避難が空気そのものを汚染し、吸いたくもないときに煙草に火をつけさせられているような気がした。
個人的には煙草を吸うような人間は嫌いだが、でも行き過ぎた思想も嫌いだ。行き過ぎた思想そのものが空気のみならず地球を汚染しているということに激しく同意するね。

「愚かな若者は愚かな年寄理になる例をこれまでに見てきたもの」

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『アガサ・レーズンと七人の嫌な女』『アガサ・レーズンとイケメン牧師』『アガサ・レーズンの幽霊退治』と立て続けに読んだ。14作目の『アガサ・レーズンの幽霊退治』になっても、アガサは前夫のジェームズの影を引きずっている。そのジェームズの家だったお隣に、またもや素敵な紳士が越してきた。名前はポール・チャタートン。ポールもアガサに興味を感じ、一緒に探偵ごっこを始めたものの、喧嘩別れして途中からは別々に調査をしている。性格がねじけている身勝手女という設定で始まったものの、身勝手な鉄面皮の下に傷つきやすい繊細な感情を隠し持った女、という設定が板についてきた。

これまたご近所の村で幽霊が出るという噂がある家に押しかけたアガサとポールだったが、顔パックした女主の姿を幽霊と見間違えて家に逃げ前ってしまったアガサは、女主からさんざん罵倒されたうえに幽霊退治を断られてします。すると、不思議なことに彼女が階段から落ちて死亡してしまうという事件が発生。事故ではないと睨んだアガサとポールは独自調査を開始。彼女の幽霊屋敷は奥庭も広く、資産価値は高い。不仲の二人の子供の仕業か、その家を買い取りたいと望んだ企業家の仕業か。すったもんだ、いきつもどりつのいつものドタバタ捜査が始まる。捜査の過程で、必ずアガサの回りに男が登場するんだよね。今回はポールが当初の男だったが、途中からチャールズが再登場。フランス女と結婚したものの、逃げられて離婚。再び舞い戻ってきてアガサの回りに出没する。アガサには不思議な魅力があるようだ。それでないと、このシリーズの進行に差しさわりが出るからね。

結局、犯人は地元の歴史研究家であることが判明。これも偶々偶然に分かってしまったのも、いつも通りのこと。拳銃をかまえた殺人犯を目の前にしながらなす術のないアガサとチャールズの前に、タイミングよく警察が到着してめでたしめでたし。アガサの短気さ、捨て台詞、ドタバタ捜査の過程でみられるコメディまがいのやりとり等々、アガサのシリーズはいつ読んでも愉しめる。

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シリーズ十作『アガサ・レーズンと不運な原稿』の最終場面で、旅から戻ったジェームズがアガサに突然求婚する。一度は別れを決心していたアガサが求婚に応じて、二人は目出度く華燭の宴を挙げる。チャールズは、この結婚は上手くいかないといつものように遠慮なく口を挟むが、アガサは聞く耳を持たない。やはり、結婚早々二人の生活はボタンの掛け違いどころか、暗礁に乗り上げるところから第11話『アガサ・レーズンは奥さま落第』が始まる。

いつものように朝食の場で喧嘩した後、ジェームズが失踪してしまう。しかも彼の出血が家で発見されてアガサはまずい立場に追い込まれる。直前の二人の喧嘩が村人たちに知れ渡っていたからだ。夫を心配するとともに自分に関わりないことを証明するためにも、アガサはジェームズを探さねばならない。そんな中、ジェームズと付き合っていたらしい女性、メリッサが自宅で殺されているのが発見される。発見者は毎度のことながらアガサとチャールズ。なんとジェームズとメリッサは付き合っていた。これだけでもアガサにはショックだったが、アガサが調査に回る先では夫を殺した妻として人々から認知されていることに腹立たし気持ちが収まらない。

ジェームズが調べかけていた事実から、メリッサが精神に異常をきたしたサイコパスだと断定したアガサはチャールズの援助を得てまたまた独自調査を始める。メリッサは二度結婚し離婚を繰り返していた事実から、元夫のどちらかが犯人と目星をつける。このシリーズのお決まりとして、アガサが眼をつけた犯人は本当の犯人ではなく、その周辺にいるのが真の犯人。今回もその通りで、元夫の妻がメリッサと精神病院時代に一緒だったサイコパスで、彼女がジェームズとメリッサを襲っていた。メリッサは死んだが、ジェームズは頭部に傷を受けながらもフランス南部に逃げて、修道院にかくまわれて傷と自らの精神を癒す。彼は、脳に腫瘍ができていて長くは生きられない状態にあるのだった。

事件が解決して、傷と精神を癒したジェームズが戻ってくることになってところで話が終わるが、アガサは離婚する気満々。読者の想像を裏切ってくれる作者は、どのような物語を次の第十二話で展開してくれるのだろうか。

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『アガサ・レーズンと禁断の惚れ薬』はシリーズ第九話。前作の最後で殺人犯の美容師が脱毛剤を使ってアガサの髪を洗ったために、ところどころに禿ができてしまった無様な髪となったアガサは、逃げるように海辺のリゾート地に逃れていく。髪が生えるのを待つためだったのだが、リゾートのホテルに長期滞在する一行から魔女と呼ばれる地元女性の存在を聞かされて面白半分に訪問する。占いをしてもらった後に、よく効くと言われた毛生え薬と一緒に惚れ薬を買うことになる。髪が生えてきたように思うものの、毛生え薬のおかげか自然治癒力のせいか半信半疑。

アガサの訪問直後にその魔女が殺されてしまい、当然のことながら参考人としてホテルに足止めを食らうことに。長期滞在している奇妙な一行と時を過ごす羽目になったものの、地元警察の警部と仲良くなる。警部の飲み物に惚れ薬を入れたところ、効果抜群。警部がアガサに興味を持ち出してデートに誘うようになった挙句にプロポーズされる。警部を愛しているか自信のないアガサだが、誠実な彼の妻になるという状況に浮かれてOKし、しかもそのことを新聞の記事にさせてしまう。

魔女殺しの犯人が捕まらないまま、魔女の娘が戻って来て母親の仕事を引き継ぐ。魔女二世の誕生。長期滞在の一行は魔女二世に降臨祭をやらせたものの、母親魔女が二世に乗り移ったところで邪魔が入って中断、その夜、二世は海辺で溺れ死んでしまう。事故ではなく殺人だと感じるアガサ。

そんな折に記事を読んで訪ねてきたチャールズと一夜を一緒に過ごしてしまったアガサを、警部が見てしまって婚約は破談に。それでも、一人で嗅ぎまわるうちに、拾い猫(魔女の飼い猫だった)が長期滞在一行の中に一人デイジーに怯えたような態度をとったことで彼女が犯人と気づく。デイジーも部屋に一人でいるアガサに犯行を打ち明ける。次の犯行がアガサに向けられるかというその時、デイジーが喋ったことを聞いていたホテルのマネージャが警察に通報して犯人は無事に逮捕となる。

アガサが解決したのか、引っ掻き回したせいで犯人が浮かび上がったのか微妙なところはいつもの通り。そして、ジェームズとアガサとは、素直になれない男女間のすったもんだがいまだに続いて関係がこじれたまま。バブル期のTVトレンディドラマによくあった設定がそのまま繰り広げられ、続いている。

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シリーズ第八話の『アガサ・レーズンとカリスマ美容師』では、ジェームズではなくチャールズがアガサの相手役を務める。ジェームズは旅行に行ってしまって不在にしたままだからだ。牧師館のミセス・ブロクスビーに薦められて行った先の美容師に、とてもイケメンの美容師がいた。しかも腕もよい。アガサは気にって通うのだが、相手もアガサに興味があるよう。ディナーに誘われて有頂天になるアガサ。ディナーに行った先のレストランにいた村の女性は、アガサと一緒にいた美容師の顔を見るなり、サッと姿を消す始末。美容室の裏庭では、何やら男女が言い争っている。男が女を強請っているようだ。何となく胡散臭さを感じ始めたアガサだが、その勘はズバリあたった。カリスマ美容師は関係を持った女から金を巻き上げている常連の強請屋だった。アガサに興味があるように見せかけて、あわよくば関係を持ったうえで強請の相手にしようと狙っていたのだが、そうなる前にアガサの目の前で毒殺されてしまった。偶然に手に入れた美容師の家の鍵を使って、家に忍び込んだところ何者かが放火して間一髪逃れることができた。カリスマ美容師の素顔を分かったが誰が殺したのか。チャールズの助けを借りてアガサが謎解きを始める。

推理の当然の帰結として、強請られていた被害者の誰かが毒を持ったに違いない。でも、誰だ?美容師の客を一人ひとり訪ね歩くうちに彼には元妻がいることを発見。別の場所で一緒に美容室を営んでいたらしい。カリスマ美容師の代わりになる美容師を見つけて、洗髪してもらっている真っ最中に事件の調査結果を喋ってしまっているうちに、女性美容師が突然アガサを殺そうとしだした。運よくチャールズとビル・ウォンが駆けつけて犯人は逮捕。そしてアガサも命はとりとめたものの、美容師が脱毛剤をつかってシャンプーしていたために髪の毛は見るも無残な状態に。ウィッグを使えば問題ないと言うチャールズは、相変わらず相手の気持ちを気にするがない。アガサのことが好きなのか、それとも手ごろな女と思われているだけなのか。

最後の最後でジェームズが旅から帰って来て、アガサの家の方を見ると、そこには花束を持ったチャールズの姿。これでまたまた二人の関係はこじれることに。こじれるだけこじらせて物語を長引かせるのが作者の手だとは分かってはいるが、それでもこの二人の行方は気になる。


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『アガサ・レーズンと死を呼ぶ泉』がシリーズ第七話。キプロスでの出来事があったにもかかわらず、アガサはまだジェームズにご執心。ディナーに行かないかと電話で誘うが、ジェームズは「忙しい。ついでに言っておくと、ここ二・三週間はずっと忙しいと思う」とまったく気のない返事。都会のジャングルでPRという仕事をしていた時は鋼の心を持っていたはずのアガサでも、この返事には心が折れる。アガサの場合は胸ではなくて腹の真ん中が痛むのだそうだ。

カースリーの近くに、清らかな水が滾々と湧き出ている泉があるアンクーム村での出来事が今回のお話の中心。泉の水に目を付けて商品化しようと考えたミネラルウォーター会社が出てきた。村の住民は賛否両派に真っ二つに分かれる。投票直前のある日、その泉に浮いていたのは決定票を持っていた教区の議長。発見者はアガサ。平和のはずの村に、またもや殺人事件が勃発。第四話の貴族館のある村といい、今回のアンクーム村といい、アガサが静けさを求めて移り住んだイギリスの村には事件が絶えることがない。

アガサはミネラルウォーター会社の広報の仕事を引き受けた。ジェームズのつれない態度のせいで、一人で問題を解決しようと考えた結果の行動だった。会社は兄弟二人が経営していた。兄はふつうな兄とイケメンで魅力的な弟。その弟がアガサに興味を持ちデートすることに。これを見たジェームズは心穏やかではない。アガサの誘いに気のない返事をしておきながら、ジェームズも自分の心に正直になれず、それが二人の恋路をむつかしいものにしている。まるで、男女の想いのすれ違いが物語を紡いでいく80年代のトレンディードラマのようだ。

アガサが企画したPRのための地元での村祭りの最中に、泉の所有者も殺されてしまう第二の事件が起きる。ジェームズはジェームズで一人で調査を始める。そうすれば、そのうちアガサと一緒に調査できるであろうことを願って。それぞれが投票権を持っていた教区委員を調べたところ、どれもこれもいけ好かない連中ばかり。シリーズに登場する村の住民は性格が悪いと決まっているようだ。そんな人々がシリーズごとに次から次へと出てきては退場する。事件の裏にはいけ好かない住民あり、ということか。清く正しく美しい心真っ直ぐな住民は、アガサが住む村の牧師の妻であるミセス・ブロクスビーぐらい。

兄弟二人の秘書が怪しいと睨んだアガサだったのだが、この間違いが真犯人を暴き出すことに。殺人犯は経営者兄弟のイケメン弟のガイだった。ガイは、泉の水の商品化に反対する人間を排除することで計画を推し進めようとしていた。ガイはちょっと異常性格気味な傾向もある男だったのだ。彼とデートしていたアガサの目は眩んで本当の姿が見えなくなっていた。アガサが間違えて犯人と見込んだ人間の近くに真犯人がいるというのがこのシリーズのお約束ごと。ガイに連れ出されて始末される直前までいったのだが、一緒に連れていかれたミセス・ブロクスビーのおかげで助かったばかりか、事件の真相も暴くことができて大団円と相成った。


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結婚式がお流れとなった第五話の終わりで、時間をくれと言って旅立っていったジェームズを追いかけて、アガサはキプロス島にやったきた。引退後にイギリス人が好んで住む地域らしく旅行者も多い。クルージングで一緒だった3人組の2つのグループ、片方は上流意識丸出し、もう片方は金持ち成り上がり層、に反感を持ちながらも一緒に行動することになったアガサ。合間を見てはジェームズ探しを怠らない。

結婚がキャンセルされたことでアガサのジェームズに対する気持ちが冷めたかのような話の流れだったはずなのに、未練たらたらジェームズを追いかけるなんて、アガサはいったいどうなってしまったの? 押しが強くて、嫌味で、身勝手なアガサがいつの間にか恋に悩む乙女のような可愛らしいキャラクターに変わっている。とは言っても、ところどころに昔の片鱗は出てくるが。

嫌々ながらも一緒に行動していた2つのグループの中から、今回も殺人の被害者が出てくる。アガサが殺人を引き寄せるのか、よりによって観光先でも殺人事件に巻き込まれるなんてアガサもとんだ役回りだ。でも、それだから我々はこうしてコージーミステリーが愉しめる。

地元警察からは事件関係者として扱われつつも、アガサはジェームズは協力して事件捜査を開始する。離れたりくっ付いたり、この二人はいいコンビだ。キプロスからイギリス警察のビルイ・ウォンにファックスで、事件関係者の身元調査を依頼し、金が絡んでいることを見つける。一緒に行動する2つのグループともに、妻は金を持つが夫は事業に失敗して借金を抱える立場、そこにそれぞれの夫婦の友人という男が混じっている。誰が、犯人か? 

素人捜査と非難されながらも捜査を進めるうちに、アガサが崖から突き落とされそうになったり、アガサ目掛けて岩が投げつけられたりする事件が立て続く。シリーズものの主人公の特権として、アガサは常に間一髪のところで助かる。一緒に行動しているグループの誰かだと目星をつけるが確定ができない。そうしている内に第二の殺人事件が起こってしまう。

一つ目の殺人事件の凶器が先の尖った鋭利な金属であったことから、アガサは上流意識プンプンの女性旅行者を怪しいと睨む。毛糸編み針を使っていたことを思い出したからだ。ジェームズを待たずに一人で対決に赴くアガサ。睨んだとおりに、2つの殺人はその女の仕業。自分がやったと誇らしげに語った後に、嵐が荒れ狂う海へ飛び込んでいく。

この第六話は、ジェームズを追いかける片想いのアガサから始まるのだが、第四話で登場した准男爵がアガサをジェームズと奪い合う恋敵として登場する。男女の関係になってしまって、ジェームズに対して後ろめたく思うアガサと、単なる一晩きりのアバンチュールのような雰囲気を醸す准男爵のチャールズ。その後も、チャールズはアガサにいろいろと誘いを掛ける。2人の男の間で揺れ動く微妙な女心、というほどアガサは若くも弱くもない。やってしまったことはやってしまったこと、それに引き摺られない強さは持っている。でも、間の悪いことにチャールズと一緒になると、ジェームズと出くわしてしまって誤解を与えてしまう。第六話の終わりも、キプロスから戻った二人がディナーを愉しんだ後でアガサの家までチャールズが送っていったところ、折り悪く旅行から戻ってきたジェームズと鉢合わせ。ドタバタ喜劇の要素がシリーズに新たに付け加わることとなった。

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帰りは泳いでいこう、とアガサは決心した。
地中海から英国へ泳いで帰れる訳ないことは誰でも分かるが、こんな極端だが何気なさを装った一言が、乱気流があまりにひどかった様子を明瞭に伝えてくれている。

あなたは白馬にまたがった騎士が現れるのをずっとずっと待っていて、残されたのは馬糞の臭いってだけなのかな?
アガサの人となりがあるために、下品な物言いが許され、かつ愉しめるシリーズとして、このフレーズも世に言う「白馬の王子様」に乗っかった強烈な言い回しだ。白馬の騎士の代わりが馬糞の臭いとはね。これもどこかで使えそうだ。


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第四話からの流れの必然として、アガサとハンサムな隣人、ジェームズは目出度く華燭の典を挙げることと相成った。式のまさに真っ最中、こともあろうか死んだと思っていた夫のジミーが会場に現れて「中止しろ」と叫んだ結果、式はお流れとなり、ジェームズは激怒。その上、ジミーが翌朝死体となって発見されてしまって、当然のことながらアガサが容疑者として見られてしまう。

シリーズ第五話『アガサ・レーズンの結婚式』の冒頭は慌ただしい。あれよあれよという間に事件が起きてしまうのだから。それにしても、第一話で出会った時のアガサの一方通行的な想いが第四話では相思相愛に変わり、第五話で結婚に至るとはテンポが速すぎる。作者はこの先、どうやってシリーズを展開していくつもりなのだろうか?と心配になったものだが、そこはしたたかな計算があったようだ。なにせ、結婚式が台無しになってしまって、二人の仲は最初の状態に逆戻りしてしまったのだから。しかも、結婚式を台無しにしたジミーが殺人の被害者になることが、アガサとジェームズが協力して解決のために奮闘するための舞台もなっている。作者のしたたかな計算、という言葉がぴったりの第五話です。

アガサの夫だったジミーは、落ちぶれてホームレス状態だった。アガサもジェームズも自分たちの容疑を晴らすために、協力して事件に首を突っ込むこととなる。ジミーの生前の行動を洗い出すうちに、強請りを働いていた疑惑が出てくる。女性の相棒がいたようだ。相棒を探すうちに、強請りの会っていたと思われる人たちが殺されていく。ますます疑いを深めるアガサとジェームズ。

ジミーの相棒だったミセス・ゴア=アップルトンは身近にいた。アガサがジェームズと結婚することとなり、自分のコテージを売りに出したところ、買ってくれたミセス・ハーディと名乗る女性が当人だった。なんという偶然!アガサとジミーが夫婦であることなどしらず、田舎暮らしでもしようと購入したコテージがアガサのもので、しかもジミーがアガサの結婚式に異議申し立てにやって来た時に顔を合わせてしまった。早速、昔の相棒を強請ろうとしたジミーだが、逆に殺されてしまったというもの。

最後の最後まで、ミセス・ゴア=アップルトンの正体がわからないままの二人だったが、ほぼ時を同じくして見つけた昔の写真から、隣人がミセス・ゴア=アップルトンであることに気付く。ジェームズはロンドンで、アガサは元自分のコテージで。気付かれたミセス・ゴア=アップルトンが、火かき棒でアガサの頭を殴りつけ、」気絶したアガサを生き埋めにして殺そうとしたその瞬間、ジェームズからの連絡を受けた警察が飛び込んできて、無事に救出。そして犯人は逮捕という目出度い展開に。そして、ジェームズは考える時間をくれと言って旅に出てしまう。二人の仲が戻りそうな予感を残しながら、第五話の目出度く終わる。

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「自分が鯨の糞ほどの価値もない気がするわ」
「彼女のおケツから後光が射しているとでも思っているのでしょうね」

辛辣かつ下品な物言いはアガサならではだが、二つ目の台詞は物語の最後でジェームズも口にしてしまう。アガサと部長刑事のビル・ウォンとの仲を嫉妬した結果だ。上流階級の男であるジェームズがアガサの影響を受けていること、この下品は台詞をジェームズに口にさせることで、二人の心理的距離はいまだに近いことを伝えようとする作者の気配りだね。

「最近は心理学用語をやたらと使ったわけのわからない言葉が溢れ返っている。それが芝居がかった行動につながっているんだよ」
「心理学用語」という代わりに「横文字のビジネス用語」にすると、DXだ、サブスクだ、IOTだ、インダストリー4.0だ、と次々に表れては消える単語に踊らされているビジネス界の現状を表わした台詞に早変わりするのが不思議だ。

「彼はとても変わった人だから。彼はいわば自分の心を仕切って小さな部屋に分けているんだと思うわ。恋人としてのアガサを受け入れる部屋はぴたっとドアが閉ざされていて、友人としてのアガサを受け入れる部屋のドアが開いているのよ。何もないよりもましじゃない?」
ジェームズの心変わりを嘆くアガサを慰めるミセス・ブロクスビーの言葉。上流階級に属する上品な男ではあるが、ちょっと変わり者ともいえるジェームズの気質を見抜いている。ちょっと変人ぽいな、と思っていた私も、この言葉を読んで、なるほどなぁ、とジェームズという男が分かったような気がしたものだ。

「最初に会った時、彼はわたしが世界でたった一人の大切な女性だと思わせてくれたの。それにジミーは、自分がきれいだと感じさせてくれた人生でたった一人の人だったわ。賢いこともいわなかったし、冗談も気が抜けていたけれど、関係が悪くなるまでは、私をいい気分にしてくれたし、天にも昇る心地にしてくれた。世界には何一つ悩みなんでない、おもしろおかしい場所であるかのようにね」
こんな台詞を口にするアガサがなんて可愛らしいことか。第一話で登場した場面では、ビジネス世界でやり手の口うるさい性格最悪婆あとしか思えなかった女性が、こんな塩らしいことを言うなんて。プラスがプラス値を増大させるより、マイナスをプラスに変換させた方が変化度合いが大きく感じる、アガサが可愛く思えて仕方がなくなるように仕込んでいるとは分かりながら、作者の術策にしっかりとハマってしまっています。


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シリーズ四作目は『アガサ・レーズンと貴族館の死』。前作のお話の経緯により、期間限定で手伝うこととなったロンドンでの広報の仕事を無事に終えてアガサがカースルーに戻ってくるところから始まる。ロンドンで広報ウーマンとして働くアガサは、昔のタフさ、嫌み、人間としての毒がたっぷりと出ており、何よりもアガサ自身がそれを分かって嫌悪している。

今は愛おしくなった田舎での暮らしに戻った頃に、隣村に住む準男爵の敷地内で殺人が起こった。事件関係者の一人であるデボラがカースリーに住む親戚に助けを求め、アガサがまたまたお隣りに住むジェームス・レイシーと共に殺人事件に立ち向かうこととなる。準男爵のサー・チャールズ・フレイスが当然のことながら第一容疑者となるのだが、このチャールズがジェームスの知り合いの知り合いということで、近くの市内にあるチャールズの住まいを根城にしてアガサとジェームズが夫婦のふりをして捜査にあたることとなる。当初は、アガサの執拗なアプローチを恐れて夜には寝室のドアに開かないように細工さえする始末のジェームズだった。

殺されたのは地元の教師でハイキングクラブのメンバーの女性。彼女は周りのすべてをコントロールしたがる自己中心的で他人を支配することに喜びを感じるタイプ。貴族階級への反感もあり、古くから認められている「権利通路」を使って準男爵の領地を横断するついでに畑をめちゃくちゃにしてやろうと目論んでいた。準男爵の丁寧かつ紳士的な対応に他のハイキングクラブメンバーは同行しなかったために彼女は一人で敢行することとなり、結果は畑の中で死体として発見されることとなる。

アガサとジェームズの捜査がノロノロと進むうちに、第二の殺人も起きる。死体を見て気分を悪くするアガサをジェームズが優しく介抱する。当初、夫婦の振りをすることが嫌でしかなかったジェームズだが、アガサの快活さを知らず知らずに受け入れてるようになったばかりか、失くしたくないと思うようになっていた。そして、アガサ自身がジェームズに対する恋心を押さえつけることに成功するにつれ、逆にジェームズの気持ちが高まってくるという男女間の不思議な逆相関関係がここでも見られる。

色々と調べるうちに、準男爵が犯人に違いないと信じた二人が館に乗り込んだところ、真犯人であるデボラが準男爵を殺そうとしていた現場に出くわして、結果として目出度く捜査が成功裏に完結することとなる。そして、なんとアガサはジェームズからプロポーズされ、ふたりは結婚することとなるというお話で第四話が終わる。


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理性と感情がアガサの中でせめぎあっていたが、結局感情が勝ちをおさめた。
貴族である準男爵からランチのお誘いを受けることは、庶民にとって特別なことなんだね。ロンドンのスラム出身はアガサは「恐れおののいていた」という表現がされているくらい。階級社会の一端が窺い知れる。

この年になったら、早めにお墓に入ること以外に楽しみなんで何もないわ。
アガサの年はどのくらいだろうか?決して、60歳を超えてはいないはず。それでもこんな言葉を口にするとは! 彼女よりも年上である私にこそ、この言葉を口にする権利がある。そして、同時に思うのは、死ぬ前にもっと愉しみたい。愉しむのは今からだ、と。

最近は”スラム街”などという言葉は使われない。密集地区(インナーシティ)と呼ばれている。婉曲な表現によって、その薄汚さと暴力と絶望が取り除かれるわけもないのに。
ポリティカリー・コレクトだとか、差別性を失くすために新しい言葉が次々と出ている。もちろん、差別には反対だが、単に言葉を入れ替えただけで問題がないように振る舞うことは、差別用語を使うこととは別の次元での社会の闇だと思う。そんな私の思いを代弁してくれるような台詞だ。

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『アガサ・レーズンの完璧な裏庭』はシリーズ第三作目。第一作目を読んだのが2018年6月だから2年以上経過している。2年以上のブランクがありながら、主人公のアガサの性格の悪さの記憶は鮮明に残っており、偶には強烈な毒を持つアガサのシリーズでも読もうかと選んだのが三作目だった。

好戦的で意地悪で競争となったらズルをしてでも勝たないと気が済まないという性格は以前と変わらないが、アガサを迎い入れたカースリー村には変化がおきていた。アガサを受け入れるようになっていたのだ。痘痕も靨なのか、住めば都なのか、それとっもブスも見慣れりゃ慣れるなのか、アガサの正直なところが村民たちには人気が出てきたようだ。第三作では、ガーデニングが得意で料理も上手、しかも美人なっ未亡人であるメアリー・フォーチュンが村に越してくる。そして、アガサが憧れている隣人のジェームズとよろしくやっている仲にまで進展している中に、アガサが長期の海外旅行から帰ってくるところから始まる。帰国してすぐにジェームズと顔を合わせたところ、相手はさっさと家の中に引っ込むというよろしくない状態。一方、新参者のメアリーとジェームズの仲はすこぶるよろしい。嫉妬心がメラメラと燃え上がり、メアリーに対する闘争心が沸きあがるのはアガサの持って生まれた性分。

村ではガーデニング・コンテストを行うこととなり、アガサは入賞して村の皆もジェームズもあっと言わせ、メアリーに意趣返しとしてやろうとするが、初めての取り組みに上手くは行かない。そこで、得意のズルをすることにする。庭の周りを高い塀で囲んで見えないようにして、コンテスト前日の夜に買い入れた花々で庭をいっぱいにしようと画策する。

そんな最中、庭の手入れに余念のない住民の庭が次々に荒らされるという異変が起きる。そして、とうとうメアリーが殺されてしまうという事件まで起きて、アガサの活躍の場が生み出されることとなる。中国系の刑事、ビル・ウォンと協力しあいながら、時には出し抜きながらアガサは殺人犯人と庭を荒らした犯人の両方を暴き出していく。

この第三作には、これと言って目についたセリフはなかった。が、毒舌で性格悪いアガサが何を言うか、何をするかが愉しみで、272ページの物語が一日で読み終えてしまった。メアリーが庭荒らしの犯人で、それを見つけた被害者の一人がメアリーを殺すという仕返し型の殺人事件なのだが、その謎解きよりもコントを見るかのようなアガサの活動が愉しくて愉しくて、一気呵成という言葉がぴったりくるように途中で本を置くのももどかしく、最後まで一気に読み通してしまった。

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普通のコージーミステリだったら、一生懸命に努力しながら世間さまに迷惑かけずに真っ当に生きている一般ピープルが主人になるのだが、このシリーズの主人公であるアガサ・レーズンは全く違う。生き馬の目を抜くロンドンのPR業界で成功したキャリアウーマンが早めの引退をして、理想だと思ったコッツウォルズのカースリー村で田舎暮らしを始めたところ、平和のはずの田舎で人殺しが発生、好奇心旺盛なアガサが首をつっこんでいくことで物語が進展する。

なにせ、この主人公、多少の嘘や無作法などお手のもの。1作目を読み始めた時には、この大阪のおばちゃんを彷彿させる強引かつ俺様キャラに驚き唖然としたものだが、シリーズを2作も読むと、このいけ好かないおばさんキャラにも次第に心を許してしまい、痘痕もえくぼ状態になってしまう。ほんと、不思議だね。

2作目の『アガサ・レーズンと猫泥棒』では、愛猫が誘拐されて泣きの涙にくれるアガサらしからぬアガサが描かれ、1作目で描かれた悪役キャラが若干方向転換している。私からすると、いけ好かないキャラをずっと押し通して欲しかったけれどもね。


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ピューリタンが熊の罠に反対するのは、熊に苦痛を与えるせいではなく、世間に喜びを与えるからだ
ストイックな生活を要求するピューリタンに対する皮肉なんだろうね。

ディスコで新しいタイプの精神安定剤だという触れ込みで、薬を売りさばいていたそうだ。レミントンの若者は健康に自信を持って大丈夫だよ、今頃は寄生虫がきれいに駆除されているだろうから
馬用の薬を騙して売りつけられた馬鹿な若者たちに対する。シニカルなジョーク。これまた、英国らしい皮肉だね。

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コージーミステリを読み耽る愉しみ その26 死ぬまでにやりたいことリスト(エリザベス・ベローナ著)

2024年01月04日 | 読書雑感
『恋人たちの橋は炎上中!』というのが第2話の題名。死ぬまでにやりたいことリストの完成に向けて努力中の仲良し5人組みの今回のテーマは「セクシーは写真を撮る」というもの。大昔にフランシーンの曾祖母が馬車の御者と身分違いの恋に落ちたという物語をもった地元の古い屋根付き橋で撮影をしていたところ、突然銃声が聞こえる。男が一人現れたかと思ったら倒れて河の中へ落ちる。助け起こしてみるとフランシーンの遠い親戚の男だと分かる。一体何をしていたのか、そして銃を撃ったのは誰か?ジョイはTVレポーターとして活躍しているし、メアリー・ルースはケータリング事業が上手くいって地元の物産展に出品中。物産展を手伝いがてら古い橋でピンナップ写真を撮っていたのであった。橋のすぐ近くに広がる広大な土地は、昔薬草から作った薬で莫大な富を築いた男のもので、男が稼いだお宝が土地に埋められているという噂をまことしやかに囁かれている。いまでもその噂を信じて土地に入り込む輩がいるらしい。フランシーンの遠い親戚もその一人なのか。ならば銃撃したのは土地所有者なのか。親戚の男は狙撃されていたわけではなかったが修養されていた病院で死んでしまう。狙撃に続いて起こったことは、写真撮影に使った由緒ある古い屋根付き橋が放火されてしまう。これもジョイがレポーターとして全国に伝えた最中にフランシーンのセクシー写真が世に出てしまう。前回のプールに落ちたサンドレス姿のフランシーンの写真も再び人々の記憶に甦る。親戚の一人が死に大事な思い出の橋が燃やされてしまったフランシーンを助けようと親友のシャーロットが今回も探偵役を引き受ける。メアリー・ルースの手伝いもそこそこに二人は情報収集に勤しむ。偶然に謎の土地所有者と知り合い招待される5人。在来植物を育てる温室を見せられている間に男の家が燃え出して男は行方不明に。これも全国へ中継することに成功したジョイはTVレポーターとしてキャリアを積み上げていく。死んだ親戚の男がポケットに入れていた液体入りの瓶、そして似たような瓶を男の妻も持っており、しかも男の車のトランクにも大きな瓶が入っていたことを見つけたフランシーンとシャーロット。瓶に入っていた液こそがその昔、莫大な富を生み出した薬として売られていた液体だった。しかもその液体は土地の一部にしか湧き出さない命の水で、これを飲んでいた土地所有者と親戚の男が経営する老人ホームに入っていた老女は、その昔に身分違いの恋をしたフランシーンの曾祖母と御者であったというのだから驚き。秘密を知っていて水を飲み続けていた二人は100年を超える年月を生きていたことになるという摩訶不思議な落ちがある物語だった。

このシリーズの2作目の途中まで読み進めた時に突然にわかったことは、このシリーズは5人のキャラクターの描き分けにこそ愉しみがあるということ。ガサツで思い込みが深く身勝手なシャーロットと上品で良識と嗜みがあるフランシーンを両極端な人物として設定され、お人よしで料理上手なメアリー・ルース、TVレポーターとしての才能を開花させて輝きだすジョイ、第1作の事件の影をいまだに引きずっているアリスの3人はシャーロットとフランシーンの中間に置かれている。それぞれがやりたいことリストを持っている5人のキャラクターの違いは、「私」や「あたし」、語尾の違いや表現の丁寧さやガサツを通して描き分けられている。ここに気付くのが遅かったとはいえ、読み込む愉しみが発見できたことはいいことだった。

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ブリッジが縁持つ仲良し5人組み。いずれも70歳を超えるシルバー世代の元気なお婆ちゃまがただが、彼女たちが夜更けに集まってやっていたことは真っ裸で泳ぐこと。5人組みの一人、ジョイが”死ぬまでにやりたいことリスト”の10番目に挙げていたことがこれで、後の4人もそれに倣って夜更けのシルバー世代パーティに参加したのはいいが、誰もが自分の体形に自信が持てないためにプールに入れない。メンバーの一人でケータリング事業をやっているメアリー・ルースが異様な匂いに気付く。匂いの元は、プール小屋に隠されていた死体だった。はかならずも死体の第一発見者となってしまった5人は警察の事情聴取を受ける。全裸のままで泳ぐために集まっていたことが世間に広まり、全米ネットワークABCまでニュース番組に取り上げる始末。テレビに出ることをリストに挙げていたジョイは大喜び。早速メディアコンサルタントを雇うが、主人公のフランシーヌにとっては面倒極まりない。地元のレストランにランチに出かけたところ、あちこちのテーブルからスマホで撮影されるほどの注目を集める存在になっている。死体は地元のカーメカニックの男で、プールのある自宅を持つアリスの夫と訳ありな関係らしい。仕事の都合でラズベガスへ行っていたはずの夫が、実は予定を早めて帰っており、殺人当日のアリバイがない。親友の窮地にフランシーヌとシャーロットは事件究明に乗り出す。幸い、担当の警察官は幼い時から二人がよく知っていたものだから文句も言えない。年くっていることがプラスに働く。警察官が逆らえない素人探偵団なんて設定は今までのコージーミステリではなかった。ミステリー小説が愛読者だというレベルの二人がドタバタの捜査を始めるや、新たな証拠が次々に都合よく見つかる。メンバー5人はそれぞれの”やりたいことリスト”があるから行動はバラバラなのだが、それでも都合よくそれぞれが何らかの役割を果たせる。犯人はアリスの家に隣に住む迷惑女のダーラ・バッゲセン。クーガー女のダーラはカーメカニックの被害者と火遊びの関係だったが、娘のレースカーのメカニックとして体よく使えると考えたダーラが欲と得の二重取りから仕掛けた罠だった。それに気付いて関係を終わらせたかったメカニックを殺して、日ごろから癪な存在であったアリスのプール小屋に死体を隠して知らん顔を決め込んでいたのが事の真相。事件を解決することw”やりたいことリスト”に挙げていたシャーロットは目出度く望みを果たすことができ、親友のお役にたてたフランシーヌも嬉しいかぎり。

「あのケーキには中毒性がありますよね。秘密の材料は何ですか?まさかコカインとか?」
ケータリング業者のメアリー・ルースが造るチョコレートケーキがあまりに美味しいものだから、彼女のダイエット指導を行うことになったジムのインストラクターがポロっともらした台詞。

「あの子とは経済のクラスがいっしょなんです」
「うん、経済ね。需要と供給か。あの子が必要としているものをあんたはちゃんと供給できてるかい?」

年を取った特権の一つは、暴言が許されること、マイルドなものであれば。女の子に「供給できているかい?」と訊くなんて、若いものならできない。〇〇ハラと言われてしまうが、年寄りならば多少の暴言も許される。経済から需要と供給をひねり出し、それを男女関係に当てはめるなんて小憎らしい
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その27 お騒がせレポーター・シリーズ(スパークル・ヘイター著)

2024年01月04日 | 読書雑感
第2話は『ボンデージ!』と俄然刺激的なタイトルになる。しかも、表紙の絵は腰に銃を置いてシースルーな服を着た美女が赤毛をなびかせている。今回の取材対象がSMクラブというのだから、タイトルも表紙絵も理解できるというもの。そんなお騒がせレポーターのロビンの周りで働く男性社員が狙撃されるという事件が起きる。最初の被害者は、同じ建物内で開業する婦人科医師。ロビンが定期健診に訪れる予定であった時刻に殺されていた。ロビンには医師側からのキャンセル連絡が突然入っていた時刻だった。死体の傍にSMクラブのマッチが捨てられており、バツ2にイケメン医師の素行があぶりだされる。数々の女性と火遊びをしていた上にSMクラブの常連だったのか。状況証拠が示すとおりの姿を取材して扇動的なニュースにするように上司から指示されたものの、ロビンには違和感がある。それでも経営的問題から首切りが行われそうな社内の雰囲気を考慮したロビンは大嫌いな上司に逆らうことなく取材へと赴く。SMクラブ主宰の女王様の態度に嫌悪感を感じるとともに演技っぽさも感じるロビン。そうしているうちにロビンと仕事で関係する男性社員が何者かに狙撃される事件が相次ぐ。狙撃されたニュースキャスターたちは、放送内でロビンがとんでもない女で深い関係がないと身の潔白を訴えだす。ますます評判が地に落ちるロビンだった、住んでいるアパート近隣でロビンを訪ねてきた男が銃殺される事件が起きる。名前も顔も全くの記憶がない男なのに何の用でロビンに会いに来たのか?何らかの情報を渡しにきたのではないかとにらんだロビンは、医師殺害事件とこの男を結びつけて考える。銃撃の犯人はロビンが働く放送局の保安担当者で、精神病院に入っていた時期からTVに登場するロビンに一方的に入れあげていた男だった。そんな精神異常者がロビンの周りをうろつく男たちを排除しようとして事件に及んでいた。最後の最後でこの男に囚われたロビンはボンデージ姿で監禁されてしまう。しかも大嫌いなモーおばさんと一緒に。犯人の一瞬の油断をついた二人は逃げ出し、追いかけてきた男はNY市内の韓国人が経営する店で射殺されて一件落着という今回もハチャメチャもロビンの行動記録でした。小説として読んでいるのであれあ「面白いね」で済むが、もしこんな女と一緒に働くとなると気が変になりそうなくらいに自己中心的で思い込みが先行する女性レポーター。

まだほんの37歳だけど、業界では高齢。テレビの世界では、人は犬並みに年を食う
ドッグイヤーという単語がITの世界から飛び出して20年くらい経つだろうか。今ではITに限らない世界で使われるようになってしまった。

「”男に仮面をつければ、祖も男の本性が見える”と言ったのはオスカー・ワイルド。”女の手に鞭を持たせたら、その女の本性が見える”これはわたしのこと」
「愛とセックスと痛みと罰はすべて、堅く結びついているの」

どちらもSMクラブ主宰の女王様の御言葉。オスカー・ワイルドが本当にこんな台詞を吐いたかどうかは知らないが、著名作家の警句を引用しながら自分なりの変形を付け加えるというのも中々のレトリック技だと思う。

わたしたちが興味を引かれるのは、おふたりの関係の哲学的側面ですから
女王様から実演を見せようかと言われた時にロビンが断りとして口にした台詞。哲学的側面と言って婉曲に断るところに知性の断片が見えるのです。

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『トレンチコートに赤い髪』という題名から、ボガードを女にしたようなハードボイルドな探偵ものかと思ったところ、あにはからんや主人公のTVレポーターはステファニー・プラムばりのドタバタ喜劇的な行動がジェットコースターのように続くミステリだった。NYのニュース専門TVチャンネルANN(CNNのもじりだろう)で働く主人公のロビン・ハドソンは、折角掴んだ絶好のチャンスであるワシントンDCでの定例記者会見の場で、小さな音も拾う精巧なマイクの前で盛大なげっぷをするは、死んだ仲間の肉を食べることで極限状態をかろうじて生き延びた生還者に対して「どんな味がしましたか?」などと場と空気をわきまえない質問をしてしまうは、TVレポーターから降格されて社内のシベリア送りと言われる部署へと転属されている。夫だったイケメン男は、社内の若い美人と再婚すべくロビンの元を去っている。アパートの階下に住んでいる老女は、使用している補聴器の音量調節が下手なので、ロビンがいつも乱痴気パーティーを開いている淫売女と思い込み、会えば必ず携えているステッキでロビンに殴りかかる始末。そんな不幸の塊のような35歳女性のロビンが恐喝にあう。初体験の相手から過去にやった諸々の人には言えないことをネタに恐喝してくる男が出てくる。時は年末、社内の大晦日パーティの場で恐喝者からホテルの部屋に来るようにメモを渡され、行きたくはないが行かざるをえない状況の中で部屋を訪れたものの、ノックしても返事がない。これ幸いと家に帰ったところ、翌日その部屋で恐喝者であった私立探偵は惨殺死体となって発見された。当然警察から事情聴取されるための連行されるロビンが警察署から一足外に出ると、各社のTVレポーターがロビンに群がり遠慮もなしにカメラやマイクを突き出してくる。映像はTVニュースに流れるばかりではない。ぶらりと寄った新聞売りスタンドで新聞を買おうとしたところ売り子からは代金不要と言われる。各紙の一面にロビンの顔写真入り報道記事が出ていることに同情したのか恐れたのかは分からないが。こうして、追う側が追われる側に転落。ニュースをゴシップなみに扱っているアメリカ社会への風刺を織り込んでいきながら、名誉挽回のためにロビンは殺された私立探偵のことを調べだす。恐喝されていたのは自分でけではなかった。社内の複数の人間は恐喝の餌食となっており、ANNは社員に「芳しくない過去」を自主的に申し立てるようにメモを回す。有名レポーターは自分の過去が暴かれる前にカメラの前で次々にカミングアウトして、ニュース専門TVは世間のニュースを追わずに社内の芳しくない過去を他局のネタとして提供するという見苦しい日を送る。恐喝されていたのは元上司のグレッグと一緒に働いていた社員ばかりであることを突き止めたロビンは調査の網を狭めていくが、そんな中肝心のグレッグがあられもない姿で殺されているのが発見される。しかも死体の局部に固定されていたのはロビンのティーザー銃。結局のところ、一連の犯人は夫の婚約者の若い女性レポーターのエイミーだった。過去の元上司のグレッグとの情事のみならず中絶手術のことをネタに恐喝されていたエイミーが犯行に及び、恐喝者を雇っていたグレッグも殺した上に、これらをロビンの擦り付けようと画策していた。窮地を気まぐれな飼い猫に救われたロビンが隠しカメラで撮っていた映像が証拠となり犯人は逮捕。ロビンは事件解決に大いに協力できて万々歳。それにしても登場人物が多すぎて、誰が誰だか確認しながら読み進めるのは骨がおれた

優秀な学者は人を救い、しれができない」学者は人に教え、それもできない学者はテレビ界で働くってこと
放送枠を持っている心理学博士を評価してのロビンの辛辣コメント。他人をリスペクトせずに批判的な立場をとることでアイデンティティを確保しようとするアメリカ人ならでは態度が出ている

女はおっぱいを運ぶ乗り物でしかないって信じている男
巨乳好きのエロ上司のお頭の程度を言い表すロビン流の一口コメントだ。

「血の匂いを嗅ぎつけたら最後、ピラニアみたいに獲物に殺到して食い尽くすのよ。出版の自由万歳。そんなこと言ってられるのも、追われる立場になるまでだわ」
いつもは人の不幸を追いかけているレポーターが一転追われる立場になった、そんな瞬間を経験したからこそこんな台詞を口にできるのだろう。でも、翌日になれば綺麗さっぱりわすれて人の不幸を追いかけ続けるのだろうが。

フロイトはなんと言うだろうか?
女性蔑視的な発言をするレポータについて述べる時に、ポロリと落ちていた一言。学の深みを感じさせるネタとして使われるなんてフロイトは墓場でどう思っているのだろうか?

「どうして私と結婚したの?仲間を救うために手榴弾に身を投げ出す男の心境だったとか?(中略)断崖絶壁の縁に立って、深い谷底を見下ろしているうちに、ついに飛び降りたくなる男の心境?」
「堕ちるスリルだよ。どんどん君を愛し始めた時期は、ぼくの人生に最良のときだった。でも、堅い地面に激突するのは時間の問題だった」

自分の元を去っていった夫の会話。ロビンがハチャメチャな人生をおくっていることを再確認させるとともに、それを好きになった男の哀れさも醸し出しながら結局は二人ともいい人間にしてしまっている

愛ってあまり信用していないの。わたしの人生は、共犯者を求める終わりなき旅かも
社内のイケメン男、エリックに言い寄られて彼のアパートでワインを飲みながらロビンがこんな台詞を吐く。自身が自分のハチャメチャな人生や行動、性格をよく理解しているってことを読者に知らしめ、そんなダメな自分を愛するロビンを嫌いにさせないような作者なりの工夫かな。
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『語彙力を鍛える』 (石黒圭著)

2023年12月04日 | 読書雑感
人間の思考力を規定するのは言語力であり、言語力の基礎になるの部分は語彙力に支えられています。

語彙力=語彙の量(豊富な語彙知識)×語彙の質(精度の高い語彙運用)

語は内容語と機能後に分けて考えるのが一般的です。内容語は、名詞・動詞・形容詞など、実質的な意味を持つ語であり、日本語の場合漢字やカタカナで表されることが多い語です。一方、機能語は、助詞・助動詞・恩動詞・接続詞など、文法的な機能を持つ語であり、平仮名で表されることが多い語になります内容語を扱う能力は語彙力と呼ばれ、機能語を扱う能力は文法力と呼ばれます。語彙力と文法力は車の両輪であり、この二つがそろって初めて、スムーズな言語運用が可能になります。

よい言葉を見つけるのはなかなか難しい作業ですが、使っている言葉がしっくりしないと直感的に感じたら、それに優る言葉をあれこれ模索することが必要です。

和語のなかの漢字一字を意識して二字漢語を作ると、書き言葉にふさわしい語彙に変更できます。(例:人付き合い⇒人間関係、世の中⇒世間、木⇒樹木)

■語彙の「質」11の観点
誤用:今時銀行に虎の子を預けても、たいして金利(⇒利息)はつかない
重複:手元にあると管理が不安なので、銀行に預金を預けてある(⇒預金してある)
不足:一度申請しておくと、定期(⇒定期預金)を自動で積み立てることもできる
連語の相性:ながらく放置してある銀行口座をやめる(⇒解約する)方法を知りたい
語感のズレ:急激なインフレによる預金額の目減りが期待(⇒懸念)される
語の置き換え:サック実友人に頼んで、1万円札(⇒諭吉先生)を2枚借りた
語の社会性:一店舗あたりの銀行員と女子行員(⇒銀行員)の数が減りつつある
多義語のあいまいさ:インフルの治療費は医療保険(⇒民間の医療保険)の保障対象外だ
異なる立場;個人投資家の投資は、時として大胆(⇒無謀)だ
語の感性:いくら稼いでも、税金をがっぽり(⇒ごっそり)持っていかれる
相手の気持ち:(申し訳ありませんが)規定により、中途解約には応じかねます(⇒応じられません)
心に届く言葉:擦り切れることのない財布を作り、尽きることのないと見を点に積みなさい

単純な動詞を使うと、それだけでは力が弱く感じられることがあります。そうしたときは、その動詞の意味に含まれる名詞、特に身体名詞を使った組み合わせにすると、読み手にたいする印象が強まります(例:見る⇒目にする/目に触れる、聞く⇒耳にする/耳を傾ける、行く⇒足を運ぶ/足を動かす)

対立する言葉を並べ、打ち消しながら進む展開のなかで、言葉は力を帯びてきます(例:『「時間やねぎらいの言葉」はなく「やめないでという思い」、「寂しい」ではなく「悲しい」』)



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コージーミステリを読み耽る愉しみ その5 英国王妃の事件ファイルシリーズ(リース・ボ-エン著)

2023年10月28日 | パルプ小説を愉しむ
今年(2023年)の1月に出された第15話『貧乏お嬢さまの困った招待状』は、新刊であったために予約者が20名以上もいて数か月待たされた。そして、待たされるだけの価値のあるシリーズであることを再発見した。
愛しのダーシーと結婚して数か月が経った11月のある日。屋敷の女主となったジョージアナは自分が今年のクリスマスをどう過ごすのかを決めて手配しなければならないことに気付く。そこで、親しい友人たちを招待してハウスパーティを開こうと考えて招待状を出したところ、王妃陛下の昔の女官を勤めていたというダーシーの叔母から館に来るように招待を受ける。この時期には、その隣の地所で家族の集まりを持つ王族たちがいる。招待の裏にある王妃からの無言の圧力を感じた二人は、自分たちの計画を諦めて、叔母が王妃から借りているレディ・アイガースの館へと向かう。二人の他に、レディ・アイガースのコンパニオンであるミス・ショート、アメリカ人の退役軍人夫婦、元近衛師団の少佐だった男と妻、ジョージーの母と兄の家族4人(子供が二人含めて)、そこにデイビッド王子とシンプソン夫人までも加わることになった。お隣の王家では、国王主催のささやかな狩猟が行われ、そこでデイビッド王子の肩先を散弾銃弾がかすめるという事故が起きる。単なる事故なのか暗殺計画なのか不明なまま、クリスマスシーズンが進む。ボックスデイの朝、王子とその友人にして護衛、ジョージーの三人で乗馬に出かけようとした矢先、シンプソン夫人が怪我をしてロンドンへ帰ったと聞いた王子を乗馬をキャンセルして夫人の後を追う。友人にして護衛のディッキーと2人で霧の中を乗馬に出かけたジョージーは、先を走っていたはずのディッキーが落馬して重症を負っているのを発見。死に際の言葉は、妻に対する謝罪の言葉とタペストリーと聞こえたような単語のみ。馬の扱いに慣れていたディッキーが落馬するには訳があるはずと疑いを持つジョージーとダーシー。王妃も同じように疑いを持っていた。なぜなら、昨年も同じように王子の護衛役が落馬して死んでいた。それにシンプソン夫人の事故も誰かが引き起こした可能性がある。疑惑が次第に大きくなる中、館に滞在していた少佐が狩猟会の最中に撃たれた姿で発見された。人々の後ろに立って狩猟会の面倒を見ていた少佐を撃つには背後から忍び寄る必要がある。無政府主義者かアイルランド過激派か、それとも何らかの遺恨を持つ人間の仕業か。ディッキーの死因が気になるダーシーとショージーは事故現場に何度か足を運ぶがこれといった発見はない。折れた枝がころがり、少し離れた庭番の家のゴミ捨て場に使い古されたロープ。この2つが怪しいとみたが、どう使ったのかが分からない。そんな中、王妃から呼び出しを受けたジョージーが王家の屋敷で待つ間、部屋に飾られたタペストリーに目をやると、ロープで吊るされた攻城兵器を使っている折柄を偶然見つける。ロープと木の枝の使い方に気付いたジョージーがやることは誰がやったのか。ダーシーの叔母、レディ・アイガースが昔描いていた絵に意味が込められていることを発見したジョージーは、レディ・アイガースが妻を裏切っている夫に対する復讐をしていることに気付く。そこで、ダーシーが不貞を働いているかのように見せかけたところ、レディ・アイガースは見事に引っ掛かりダーシーを殺そうと氷の張った池へと警察を装って呼び出す。心配になったジョージーが車に隠れて同行。氷が割れて池に落ちてしまったダーシーを間一髪救い出すとともに、レディ・アイガースをダイスタックルで捕まえることができたのでした。

怪しい事件は起こるものの、直接的な殺人と思える事故が起きたのは245ページまで進んだところ。全体で410ページの物語だから、半分以上経過してからがミステリ本来の始まりとなる。「お茶と探偵シリーズ」のように第1章で事件が起こるのとは大違いなのだが、スロースタートであることがまったく気にならないのがこのシリーズの持ち味。ジョージーの人となりが醸し出すほんわかとした優しさとお転婆さが入り混じった気持ちのよい雰囲気の中で進む物語に身を任せて読み進むのが悦楽。

この女性 - これほど小柄で、これほど美しくて、これほど自己中心的で、そのうえ男性に対して圧倒的な影響力を持つ - からよくもわたしが生まれたものだと何度目かに考えていた。
もちろん、女優の元公爵夫人にしてジョージアナの母親についての描写。「男性に対して圧倒的な影響力を持つ」ような女性は日本では、少なくとも私の身の周りでは見たことがない。欧米にはいるのだろう。

これまで何人もの殺人者と出会ってきた。その中には人の命をなんとも思わない、疑いようもなく邪悪な人間もいた。けれどそれ以外な、我慢の限界を超えて、殺人だけが唯一の逃げ道となってしまった、悪というよりは痛ましい人たちだった。
こんな見方が殺人者に対してできるジョージアナの優しさがシリーズ全般の下地となっているために、ほんわかとした読了感が得られる。

「頼むから、あの子たちには子供時代をうんと楽しませてやってくれ。それでなくても、あっという間に過ぎ去ってしまうんだ」
珍しくもジョージーの兄、ラクノ公爵が妻フィグに対して言った言葉。これまでも、常にフィグの言いなりになっていた印象が強いビンキーだが、子供を前にして言うべきことは言えるようになったようだ。

「ここがあなたの国でないことは承知していますが、わたしたちは伝統を重んじていますし、それを壊そうとする人達には心を痛めています」
滞在しているアメリカ退役軍人夫婦が英国人の風習に対して批判的であることに対して、女主のレディー・アイガースが放った言葉。露骨に対立するような言い方でないことが教養ある人間であることの証なのだろう。

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14話の『貧乏お嬢さま、追憶の館へ』では、祖母の遺産を相続した親友のベリンダに誘われてコーンウォールにあるという家を訪れる。家は崖沿いに立つあばら家同然の家でまともな台所も風呂場もない。他に行くあてのない二人はそこで一夜を過ごすが、夜に男がやって来て一緒のベッドで寝ていたことが朝になって分かる。その男はベリンダの幼馴染の男で、ベリンダは密輸か何かの怪しげな仕事をしているに違いない男という。こんなところには泊まっていられない。街に戻って宿場できるホテルを探すが、シーズン外れのこの時期に部屋を貸すところはないっと言われる。困っている二人の前に、幼馴染のローズが現れて二人を家に招待する。ベリンダの家の料理人の娘であったローズは、地元の名家に入った男と結婚して女主人となっている。元々の所有者は事故で死んでいる。夫のトニーは崖から落ちて死んだ元の所有者の娘、ジョルキンの夫でローズは後妻。寂れた田舎で奉公人からも疎んじられて暮らしているローズにとって、幼馴染ベリンダの登場は懐かしくも心強かった。何事においても完璧な家政婦の目を気にしながら毎日を過ごすローズは、夫に殺されるかもしれないと二人に漏らすが、そんな中夫のトニーがベリンダのベッドで短剣に刺されて殺されるという事件が起きる。親友ベリンダが逮捕されてジョージーが真相究明に乗り出す。真相究明と書いたが、このシリーズのジョージーは行き当たりばったりの行動の連続で、彼女の持つ何らかの幸運を引き寄せる力でヒントが積み重なる。ベリンダやジョルキンが子供だった頃、コリンという名の男の子が川で溺死する事件があった。潮の干満ゆえに河口の水量が増えている時に泳げないコリンはジョルキンやトニーたちから見放されて溺れたのだとか。しかもジョルキンはコリンが泳げないことを知っていて危険な場所に連れ出して遊んでいた可能性がある。関係者を調べているうちに、潜入捜査を近隣でしていた夫のダーシーとばったり出会って家政婦の身元調査を頼んだところビンゴ!溺れ死んだコリンの生みの親だったのが家政婦のミセス・マナリング。元々はこの屋敷の女中であったマナリングは、当主から言い寄られて子供を身籠ったが捨てられ、未婚のまま出産したコリンを養子に出して古巣の屋敷で娘ノジョルキンに仕える女中となった。ジョルキンとトニーがコリン溺死に関係あると知って二人を次々と殺害し、ベリンダに罪を擦り付けようとしていた。すべてが露見してしまったミセス・マナリングは屋敷に火を放って自分も死んでしまうという結末。一応筋は通っているミステリーだが、ドタバタ感が最後まで続いている。イギリス王位継承権を持つビクトリア女王のひ孫のジョージーは、人の好い人物だがドジなことこの上ない。そんなジョージーの物語だからドタバタは許される。

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結婚式の次は当然のことながら新婚旅行ということで、第13話は『貧乏お嬢さまの危ない新婚旅行』。結婚式場からジョージーとダーシーが直行したのはテムズ川に浮かぶハウスボート。人気のない岸辺だし、手配してくれた友人は食べ物(キャビアも)と飲み物(シャンパンも)を存分に積み込んでおいてくれたので、2人は誰に邪魔されることなく、そして事件に邪魔されることなく甘い甘い数日を貪っていたものの、食べ物が少なくなり氷も溶けてしまって飲み物も冷やせない。そしてジョージーはキュウリのサンドイッチが食べたい。そこで2人はロンドンのラクノハウスに向かう。義姉ノフィグに嫌みを言われつつも、結婚プレゼントを整理しているところに王妃さまからガーデンパーティに招かれる。栄えあるガーデンパーティの席上で、ダーシーが新婚旅行にケニアを予定していると発表したところ、王妃さまから内々の頼み事をジョージーはされる。かの地に行っている王子を見張って欲しいと。世紀の恋と呼ばれるシンプソン夫人との仲が進展しないように見張って欲しいということだった。

鉄道と飛行機を乗り継いで到着したケニアのハッピー・ヴァレーはとんでもないところだった。その地に根を下ろしている成功者たちは、自分たちならではルールで暮らしており、夜は夜で酒池肉林の乱痴気騒ぎ。そんな中、一番最初にこの地を切り開いた成功者のブワナ・ハートレーが殺される。乱痴気パーティから抜け出した帰り道の途中で、車のエンジンをかけっぱなしで、側の茂みの中で倒れていた。アフリカだから当然のように死体はハゲワシがついばみ始めている。先住民たちの犯罪と頭から決めつけるかの地の上流階級の人々の考えに納得いかないジョージーはダーシーの友人の政府職人に手を貸すことで事件に首を突っ込むことになる、毎度のように。

すべての人間(白人)が怪しい中でなんの証拠もでない。結局、犯人はブワナの家で働くマサイ族の使用人ジョセフだった。彼は、単に使用人なのではなく、ブワナがマサイ族の女との間に作った息子で、イギリスで教育を受けさせてハッピー・バレーの家で使用人として使っていた。当初は息子としてちゃんと扱うという約束だったが、その後何人もの女と結婚離婚を繰り返し、最後は農園を維持するために結婚した金持ちのアメリカ女性との手前、母親であるマサイ族の女性を追い出し、ジョセフを息子として扱うよりも使用としての扱いが多くなってきていた。そんな中、ブワナが貴族の称号を受け継ぐこととなり、子供たちを呼び寄せて遺言を作った。遺言の中に自分のことが全く書かれていないことを知ったジョセフは、自分と母親への裏切りと見なして殺したのだった。

ジョセフを犯人だと見破ったのはジョージーのみ。しかも、ブワナの葬儀の折に、一人の黒人女性と目を交わし合うジョセフの様子を見てピンときたジョージーだった。謎解きになんの脈絡もないのだが、それでも不自然ではないところがさすがにコージーミステリー。ダーシーとのケニアでの新婚旅行、ハッピー・ヴァレーの乱痴気度合い、事件を捜査する現地の警察官とのやり取り等々、事件の回りの状況進展で読み進んでいくうちに、なぜかジョージーがいつものように犯人に行きついてしまう。このジョージーの活動は、ジャネット・イヴァノビッチが書いたステファニー・プラムのシリーズと相通じるところがあるように思う。ステファニー・プラムほど、ハチャメチャで行き当たりばったりのスラップスティックもどきの活動ではないにしても、ドジなジョージーや何をやらせてもへまばっかりの召使、そして上流階級の人間たちの身勝手な行動等々、一般ピープルから見た上流人たちの可笑しくも愚かしい姿を垣間見て笑いにしている、そんなのぞき見的な趣味も見え隠れするように思うのは考えすぎだろうか。

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彼らの論法には正義は含まれていないようだ。
現地の人間たちは、揃って犯人を先住民と決めつけてかかっているのをみてジョージーが漏らした感想。「自分に都合の良い解釈」だったり、「先入観の塊から生まれる間違った判断」というよりも短い語数で、彼らの考えの誤りを指摘している。「正義は含まれない」というのは、単に正しくないという以上にそう考えている人たちの頭の構造に対する大いなる異議申し立てでもある。とは言っても、結局犯人は現地の人間だったわけだが。

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いよいよ貧乏お嬢さまのジョージーがダーシーと結婚式を挙げることとあいなった。アガサ・レーズンの結婚式騒動に引き続いて、結婚がテーマとなったシリーズ第12作の『貧乏お嬢さまの結婚前夜』を愉しんだ。

とは言っても、すんなりとは行かないのがミステリー小説の常。お金がないジョージーとダーシーは結婚後に住む部屋を探すが、家賃高騰しているロンドンには満足できる物件がない。落ち込んでいるジョージーに突然朗報が舞い込む。ジョージーの父親と離婚した後に、母親クレアが結婚(そして離婚)していたサー・ヒューバート・アンストルーサーから知らせが届いた。ジョージーに屋敷を自由に使って欲しいという。ジョージーを気に入っていたヒューバートは、自分の子供がいないためにジョージーを相続人にしている。結婚の知らせを新聞で読んだヒューバートからジョージーへのプレゼントだ。でも、知らせには気になる一文があった。それは屋敷の様子がおかしいので探ってくれというもの。

その一文が気にはなったものの、豪邸が自由に使えて維持費も出してもらえるとあってジョージーは上機嫌。着いてみると、召使たちの様子がおかしい。命令に反抗的でマナーもなっていない執事(ジョージーによると執事とは主人の10倍もマナーが優れている生き物なのだそうだ)に料理下手の料理人、ふてくされるメイド、ろくに働かずに庭園でできた果実を地元商店に勝手に売って金に換えている庭師。そして、屋敷の西別館には幽霊らしきものが。この屋敷で何が起きているのか、それをめぐってジョージーが立ち回る姿がずっと描かれる。読んでいるこちらも、何が起きているのか興味が引き立てられて、ちっとも飽きずに読み進められる。

母親のクレアもドイツ人実業家マックスとの結婚が暗礁に乗り上げてしまって、ジョージーと一緒にヒューバートの屋敷にやってくる。心強くはなったが、母親が気になるのは自分のことだけ。ジョージーは女主人としての威厳を示そうと、そしていつもの探求心を発揮して、屋敷で起きていることを探ろうとする。

西別館に住んでいたのは幽霊ではなく、ヒューバートの年老いて耄碌した母親だと説明される。でも、何か変。昔の召使たちを訪ねて情報を取っていくうちに、今いる執事は本来の人物ではないこと、ヒューバートの母親は口うるさい婆だが決して耄碌してはいなかったことを探り出す。今いる召使たちは何者か?ロンドンに住む祖父(こちらもお隣さんとの結婚が予定されていたが、相手が死んでしまった)に相談したところ、ロンドン警視庁の元部下に引き合わされる。元部下、今は警部が言うには、屋敷にいる召使たちはバードマンと呼ばれた窃盗団の一味に違いないという。一味が逃亡を企てていることをしったジョージーは、警察と連絡を取り合いながら彼らを一網打尽にすることに成功する。またもやお手柄。

かくして、屋敷も無事に昔通りに運営されるようになり、ダーシーとジョージーは無事に結婚式を挙げることができたのだった。


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婚約者ダーシーの父親の無実を証明し、ジョージーはキレニー城(ダーシーの一族が所有する城と領地)で幸せいっぱいに暮らしていたのもつかの間、ダーシーが旅立ってしまうというオープニングで始まるのが、シリーズ第11作目の『貧乏お嬢さま、イタリアへ』。秘密の任務をおおせつかったようだ。ゾゾ(ポーランドから亡命してきた王女)も飛行機による世界一周レースにでるために居なくなって、ただでさえ侘しいアイルランドの片田舎のキレニー城に残されたジョージーは寂しい思いをしているところに手紙が到着。出産のためにスイスとの国境沿いのイタリアの町にいる親友のベリンダが心細さのためにジョージーに来て欲しいと催促と、皇位継承権放棄についてジョージーに直接確認したいという王妃陛下からの手紙だった。キレニー卿には悪いと思いつつも、喜んでロンドンへ戻るジョージー。ダーシーとの結婚のためなら王位継承権は要らないときっぱりと言い切ったジョージーに王妃は、そこまで決心が固いならば応援すると約束してくれたので、これでジョージーもひと安心。これから親友を訪ねてイタリアのマッジョーレ湖に行くと聞いて王妃はジョージーに頼みごとをする。息子のデイヴィッド王子が愛人のシンプソン夫人とその地域のイタリア貴族の家のハウスパーティに出席することになっており、ひょっとすると二人はその地で結婚してしまうのでは、と危惧した王妃がジョージーを丁度よい見張り役として送り出すことにしたのだ。大した用でもないと考えたのが甘かった。

ハウスパーティのホステスはイタリア貴族に嫁いだイギリス貴族の娘で、昔ジョージーとベリンダが学んだスイスのお嬢さま学校に一緒に行っていた頃の敵役だったカミラだという。昔を思い出して一瞬たじろぐが、王妃からの頼みは断れない。王妃からの口添えの手紙もあり、ジョージーは無事にハウスパーティに潜り込むが、そこに居たのは不可思議な取り合わせの人々。ホスト役のパウロ(カミラの夫)の叔父はムッソリーニの顧問をしているというイタリア政界の重鎮。そこに、ドイツの将軍とその副官、ジョージーの母親のクレアと恋人のマックス、デイヴィッド王子とシンプソン夫人、それにドイツ貴族というハンサムは青年のルドルフ・フォン・ロスコフ伯爵。このルドルフはイタリアへ向かう列車の中でジョージーを口説こうとし、あわやレイプ寸前にまで行きかけた品行の良くない男。不思議な組み合わせの人々が集まる中、ルドルフが殺されるという事件が発生。最初は自殺かと思われたが、左利きのルドルフが右手にピストルを持って自殺するのはおかしいとジョージーの鋭い観察眼が見抜く。余計なことをすると一行から大顰蹙をかったものの、事件は事件として自意識だけで膨れ上がっている現地の無能な刑事がしゃしゃりでてくる。

調べていくと、ルドルフは招待されておらず、ドイツの将軍一行も彼を招いていないことが判明。それだけではなく、ジョージーの母親がルドルフに脅迫されていることも判明し、その上ホステス役のカミラとの間にも不審な様子が見て取れる。使われたピストルは、クレアの所有物だったために、母親が有力な容疑者になる中、脅迫のネタを捜してくれという母親のたっての願いを断れない。脅迫のネタは二人の情事を隠し撮りした写真で、それが明かされるとクレアはマックスに捨てられてしまうだけなく、殺人犯確定になってしまうのだ。またもやジョージーは泥沼に嵌まり込んで行く。

写真の隠し場所かと思った離れの小屋を探っていると、そこに突然ドイツの将軍とムッソリーニ顧問でもあるパウロの叔父、そしてデイヴィッド王子たちが秘密の話し合いをするために小屋に入ってくる。長いテーブルクロスが掛かっていたことを幸いにジョージーはテーブルの下に隠れるが、そこで交わされた会話を耳にしてしまう。ドイツとイタリアが英国を自分たち側に引き込もうとして、デイヴィッド王子を利用しようとしている。

今までに色々な事件に巻き込まれ、危ない思いもしたジョージーだが、このテーブルクロスの下に隠れて秘密の会話を聞いてしまうシーンは、いままでのシリーズの中で一番スリリングであることは間違いない。特に、テーブルの下に落ちたライターをルドルフが拾おうとする場面は、思わずヒヤリとさせられる。ヒッチコックばりに緊張感が高まったシーン。

見つからずに無事に小屋から脱出できたジョージーの前に庭師に扮して紛れ込んでいたダーシーが現われてびっくり仰天。デイヴィッド王子がこんなところに来ることの不自然さに疑問を感じていた当局がから派遣されていたダーシーだったので顛末を報告。ダーシーの秘密指令は無事に終了。

だが、そこでルドルフが実は英国のために働く二重スパイであることを明かされ、事件は一層複雑になっていく。一つ無くなっていた枕を探そうとだだっ広いクロゼットの中に入ったジョージーは偶然にも隣部屋との境が取り外せることに気付く。そして、事件は隣の部屋で起きたにも拘わらず、銃声を聞くこともなく眠りに落ちていたのは、そのメイドが淹れたハーブティーに薬が混ぜられていたのではないか。誰も彼もが怪しく思えてしまう中、突如バラバラだったパズルが一つにまとまり、あまりに有能であるが故に怖いくらいの存在であったメイドが犯人と気付く。

メイドはナチスの秘密組織のスパイで殺し屋だった。メイドの手を逃れてダーシーを探しに夜の庭園に出たジョージーに、メイドが気付いて追ってくる。残念ながらこのシーンの怖さはいま一つでした。なぜなら、メイドの他にダーシーと目される第三の影が現われしまうから。ダーシーと二人でメイドを捕らえて警察に引き渡して一件無事に落着。邸宅内の礼拝堂に隠されていた母親の脅迫ネタも焼却して一安心。

今回のエンディングは、スイス側の療養所から抜け出していたベリンダが、借りているヴィラで突然産気付き、たまたま訪れていたジョージーとダーシーが生まれてきた男の子を取り上げる羽目になってしまう。生まれたきた男子は、ジョージーの思いつきで子供が生まれなかったカミラとパウロ夫婦に養子として引き取ってもらうことにして、こちらも無事に落着。

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世紀の恋として名を馳せたシンプソン夫人だが、この物語では、常にその場を取り仕切っていないと気がすまない高慢で自己中心的な存在として描かれている。次期国王のデイヴィッド王子を皆の前で呼び捨てにしたり、飲み物を取ってくるように命令したり、およそマナーの欠片もない人間として描かれている。人が殺された次の日、予定していたミラノにショッピングに行けなくなったことに機嫌を悪くして、こう言い放つ。
「わたしたちが滞在している家で自殺するなんて、なんて軽率なことをするのかしら」

自分を中心にして世界が廻っている、と考えている人間ならでは発言だよね。一方、心のやさしいジョージーは、母親を脅迫していた男と言えども殺されてしまった翌日の雰囲気をこう言っているのと対照的だ。
背の高い窓の外に見える湖も、わたしたちの気分を反映していた-どんよりとした灰色で、向こう側に見えるはずの湖は霧のベールに隠れていた。

今回も、さりげない風景描写があちらこちらに見られて、物語の雰囲気を醸し出す役割を果たしてくれている。ダーシーとゾゾが居なくなったキレニー城にいる気持ちがこう書かれている。
春の香りがする空気のなか、生垣に春の花が咲く道路を歩くのは気持ちのいいものだ。それでもわたしはここをでていきたかった。

ハウスパーティが開かれるヴィラの光景はこう描かれている。
風にたなびいた髪を調えながら、私は眼前の景色を眺めた。ゲートの向こうはきれいに手入れされた芝生と花壇が広がり、斜面をあがった先には木立や緑地庭園が見える。黄色い砂利の私道は両脇にヤシの木が植えられていて、突き当りは噴水のある前庭になっていた。ヴィラは、イタリアの大邸宅というイメージそのものだ。

そして、室内の描写はこうだ。
青と金色に塗られた高い天井、金メッキが施された、水色のシルクの錦織の椅子、同じよながらのシルクの壁紙が貼られた壁いは、イタリアの画家ティントレットによるベニスの風景や、わたしが知らない画家の手による宗教画などがずらりと飾られていた。白い大理石の床にはペルシャ絨毯が敷かれ、低いテーブルには大掛かりな花の飾りが置かれている。(中略)思わず息を呑んだと思う。そこはヴェルサイユ宮殿のミニチュア版のようだった。

戦争前の貴族たちの裕福な暮らしというのは、想像もつかないほど豪華だったのだろう。その一片を見せてくれるのが、それぞれのシリーズの中にある著者の描写なのだが、それに比べて貧乏お嬢さまであるジョージーの貧しい暮らしと両極端だ。それでも、ダーシーとの愛やベリンダとの友情、国王と王妃の信頼とスリリングな出来事に次々に巻き込まれる決して飽きることのない冒険、そして何よりも常に前を向いて明るく生きているジョージーの暮らしが悲惨だとは思えず、これはこれで幸せな生活なんだなと思えてくる。

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第9話は、ジョージーを乗せた車を運転するダーシーがグレトナグリーンへ向かうという唐突な終わり方でした。グレトナグリーンとは、アメリカのラス・ヴェガスのようま町で駆け落ちの名所とのこと。よって、第10話のタイトルは『貧乏お嬢さま、駆け落ちする』とあいなり、グレトナグリーンへ向かう車中のジョージーの独白から始まる。第10話にしてやっと二人の仲が進展するのかと思いきや、大雪に阻まれた二人はグレトナグリーンに辿り着けず、それどころかダーシーの父親が殺人容疑者になってしまったことを新聞のニュースで知るという、今までに無い事件性を帯びた急展開なオープニングです。

急いで地元、アイルランドのキレニー城へ帰ったダーシーから、ロンドンに戻ったはジョージーへ電話が入る。父親の有罪はほぼ確実そうだから、二人の婚約は解約して、もう会わないことにしよう、と。泣きくれるジョージーだったが、こんな時こそ愛しいダーシーの元にいる事にしようと単身アイルランドへ向かう決心をする。世間知らずなお嬢さまだったジョージーが、逞しさとしぶとさを兼ね備えた女性に成長したものだと思わずにはいられない。決心したのはいいが、計画性がないジョージーだけに到着するまでが一苦労。やっとの思いで到着してダーシーに会い、事件解決に向けて協力しだす頃には物語の約四分の一が経過しており、ジョージーの謎解きを期待する読者は急展開なオープニングの後でしばし待たされる。

ダーシーの父親は、金に困って所有していた城と地所を金持ちアメリカ人に売っており、このアメリカ人を殺した嫌疑をかけられている。人嫌いで世を拗ねている父親は事件当夜の記憶が定かではなく、事件の前に言い争いをしている姿を見られていることと死体の脇に残されていた指紋のついた棍棒という決定的な証拠もあり、自暴自棄になって無実を抗弁しようという気すらない。息子のダーシーとジョージーが助けよう差し出した手を拒絶するばかり。こんな父親を見て、さすがのダーシーも元気を失い、諦めの気分に陥っている。そんなことにめげることなく、ジョージーとアレクザンドラ(亡命している元ポーランド王女)は些細な手掛かりから事件の真相に迫っていく。

ダーシーの父親から城と地所を買い取った金持ちアメリカ人とはシカゴのギャングのボスで、アルカトラズ刑務所から奇跡の脱走を果たした後に遠くアメリカから離れた辺鄙なアイルランドの城に隠れたように暮らしていた、というのが真相。昔の仲間が見つけて昔の分け前を要求したところ、もみ合いとなって殺してしまったために、ダーシーの父親に罪を擦りつけようとしたことが発覚して、めでたく父親の無罪が証明される。

ジョージーはゾゾのことを、
年齢はわからないー40歳か、もう少し上だろうか。黒いシルクのパジャマを着て、これまで見たこともないほど長い黒檀のシガレットホルダーを手にしている。その先では、ロシアのタバコが煙をあげていた。豊かな黒髪が肩の上で緩やかに波打ち、ふっくらした唇は赤く彩られ、その化粧は完璧だった。彼女が、ありえないほど長く黒いまつげを上下させてわたしを見つめ、長くほっそりした手を差し出すと、”官能的”という言葉が脳裏に浮かんだ。

だったり、
田舎の弁護士事務所にゾゾを連れて行くのは、鶏小屋に孔雀を放つようなものだ。

と表現して、社交界のトップに君臨していそうな貫禄と魅了たっぷりな女性として描いている。容姿の見事さだけではなく、パーティで同席したシンプソン夫人が、自分と似た黒いビーズのイブニングドレスを着ているゾゾにドレスの褒めたと際に、

「あら、こんな古いものが?わたしはすっかり忘れていたんだけれど、衣装ダンスの奥に埋もれていたのをメイドが引っ張り出してくれたのよ。もう何年も着ていなかったわ」
と自分のドレスをけなすことで、似たドレスを着ている夫人を貶めるという高度な社交術も披露してくれる。また、

「きみか。なんの用だ」とキレニー卿(ダーシーの父親)に言われて
「ご挨拶だこと。それって本当は、”息子とその友人たちに会えてうれしいよ”っていう意味なのよね」
と切り返す頭のよさと前向きに物事を捉えようとするポジティブな性格でもあり、初対面のキレニー卿のことを

「あら、あのぶっきらぼうな外見のしたには、きっと寛容で暖かい心が隠れているのよ」
と見抜く眼力の持ち主でもあり、また

「あらまあーずいぶん恐ろしいところね。あなたは、恐怖の館に滞在することになるのね、ジョージー。まさかウーナ大おばさまは魔女だったりしないわよね。」
と言ってお茶目さを披露してくれる女性でもある。

事件が解決した後の最後の最後で、ダーシーの父親がこのゾゾに求婚するところで物語が終わる。こんな魅力的な新しい登場人物に加えて、いつもならがのジョージーの活躍に、読了後になぜか誇らしい気持ちになれたのはシリーズ初の体験だった。

二人の女性が活躍する合間に、
射しこむ太陽の光に目を覚ますと、真っ青な空にふわふわした雲が浮かんでいた。窓の下では、ウーナが鶏に餌をやっている。どこから見てものどかな田舎の風景で、ひとりの人間の命が危険にさらされていることを忘れてしまいそうだ。

というさりげない情景描写もあり、謎解きと事件に関わる人間関係だけではなく、ホッと一息つけるような身の回りの風景描写もあることで、緩急自在な展開を魅せてくれる作者の手管にはほとほと感心してしまう。

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シリーズ第9話、『貧乏お嬢さまと時計塔の幽霊』では、ケンジントン宮殿に住んでくれという依頼が英国王妃からジョージーになされる。条件は、国王・王妃の三男であるジョージと近々に結婚することになって英国にやってくるギリシャのマリナ王女の付き添いになって、英国暮らしになれてもらうお手伝いをすること。貧乏の代名詞のようなレディー・ジョージアナにとっては天の恵み。それまで使っていた家は、持ち主のベリンダがアメリカから帰ってきたので出て行かなくてはならない。実家に戻って義理姉の世話になるつもりはない。そんな中で降って湧いたような美味しい話だった。

ところで、ケンジントン宮殿ってどんなところか気になったので調べてみると、ロンドンはウェストミンスターの西方、ケンジントン・ガーデンズ内にある宮殿らしい。今は、ウィリアム王子と夫人のキャサリン妃が住んでいるらしいが、その前は離婚したダイアナの居住地になっていたそうだ。

お話の中では、一部にジョージーの親戚である王族の老女たちが住んでいるのみで、それ以外の居室には飾ってある美術工芸品も少なく(すぐに物を壊すジョージーには好都合)火の気がないために寒々としている棲家のところに、ジョージーは疫病神のようなメイドと一緒に乗り込んでいく。住み出せばメイドたちがしっかりとお世話をしてくれるし(ジョージーのレベルで言うと、という基準値の低さはあるが)、親戚の老女たちもお茶に招いて親切にしてくれる良いところ。何よりも、秘書役の近衛兵少佐に言えば、買い物だって高級レストランでのランチだって、それに高級カジノにだってお金の心配なしに行くことができる。「王族のため」という錦の御旗のもとに何の心配もなし、のはずだったのだが、ここでもジョージーは死体に遭遇してしまう。それも、ケンジントン宮殿の中でだ。そして、死体の主は、なんとロンドン社交界の花形であったボボ・カリントンという若い女性。ボボは、花婿のジョージ王子の数多い愛人の一人で、しかも子供を生んだばかりということも分かってくる。結婚式を控えた王子が犯人なのかという疑惑が出てくる中、ロンドン警察と王室警護のための秘密警察の共同捜査が始まる。

第一発見者であるのみならず、王族の一部であるために関係者に気儘に質問して回れるという点が買われて、ジョージーも捜査協力することになるが、好奇心が人一倍旺盛で活動的なジョージーが「協力」といった生易しいレベルで終わるわけなく、独自のやり方で調べていくうちにガッツリと事件に嵌まり込んで行く。

社交界で浮名を流していたボボは、上流階級の人々が持つ隠したいことをネタに恐喝をすることで何不自由ない暮らしをしていたことが判明し、そこから捜査は一気に犯人探しへと進んでいく。結局のところ、ゲイであることをネタに強請られていた秘書役の近衛兵少佐が犯人であることに突如気付いたジョージーだが、相手も気付かれたことに気付いて宮殿内で待ち伏せされてしまう。深夜の誰もいない宮殿の中での対決はジョージーに絶対に不利。そんな中でジョージーを救ってくれたのは恋人のダーシーなどではなく、なんと宮殿に住まう幽霊たち。生んだ子供を取上げられて、今でも宮殿内を白いドレスで彷徨う昔の王女と、ジョージ一世がドイツから連れてきた野生児ピーターの二人の幽霊が突然現れ、驚いた犯人が足を滑らせて階下に転落死してしまうことでジョージーは危機を逃れることができて目出度し目出度し.... って、ちょっと都合が良すぎないか。と言うよりも、幽霊に助けられたことにするなんて作者の怠慢??? そんな気がする結末でした。

アメリカから帰ってきたベリンダがハリウッドのことをこう言う。
あのライフスタイルは私には合わない。無作法だし、人工的すぎるのよ。だれも本当のことなんて言わないの。大きなことを言って、できもしない約束をして、なにもかも嘘なのよ。
ある意味、そのとおりだね。

サー・ジェレミーがちらりと少佐に向けたまなざしは、警部はわたしたちと同じ身分ではなく、わたしたちの同類とは言えないが、今は我慢しなくてはならないと語っていた。
この台詞は極めてイギリス的だね。ガチガチの階級社会で生まれて暮らしていくと、こういう考え方になるのだね! シリーズ最初の頃は、階級差が面白さの一つだったが、次第にこの手の台詞が出てくることで、イギリスの嫌らしさであり病巣が浮き出てきている。

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第8話は『貧乏お嬢さま、ハリウッドへ』。ジョージーが母親と一緒に大西洋を渡ってアメリカへ行く。アメリカに行くことになったのは、母親が恋人のドイツ人富豪と結婚できるように、以前の夫(テキサスの富豪)との離婚手続きをリノで進めるためで、しかもジョージーを連れて行こうと思ったのは、一人旅が心配だったから。この世界的に有名な舞台女優である母親は、自分の人生を享受することにのみ熱心で(ジョージーの言葉を借りると、「南極以外のあらゆる大陸の男性と次々と浮名を流している」のだそうだ)母親らしいところがない。なにせ、幼い子供たちを置き去りにして貧乏貴族のお城を飛び出したのみならず、いまだに娘のジョージーに向かって自分に似ていればもっと綺麗になれたのに...などと平気でのたまう母親なのだ。対してジョージーも、ロンドン下町生まれの警察官の娘と決して上流の生まれではないことを指摘して思い出させてやる。口には出さずに心の中で。こんな普通に思い描く親子の関係ではないのだが、決して憎みあっているわけではなくそれなりの愛情を相互に抱いてはいる、それなりのだが。

この第8話は、読み進んでいるうちに興が乗ってこないことに気付いた。今までのシリーズに比べると描写がワクワクさせてくれないのだ。理由は、舞台がアメリカという私が知っている場所柄だからなのか、アメリカには大自然以外にワクワクさせるものが不足しているのか、それとも作者自体がアメリカを気にいっていないのか?作者は今現在カルフォルニア在住と解説しているので、三番目はないだろう。横断鉄道の窓からアメリカの大自然を眺めながらジョージーが感激している。

イギリスにあんな夕焼けはない。まるでイギリスの倍くらいもある空に、巨大な刷毛で原色を塗りつけたような夕焼けだった。魔法のようだった。

たしかに大都市ではない町に行くと空が広いと感じることがある。私自身も、グランドティートンに遊びに行った際に、空の広さに驚いたくらいだったから。

豪華客船の中で大物映画プロデューザーに出会い、母親が映画に出ることになり親子でハリウッドへ行く。この大物プロデューサーの家たるや、ヨーロッパの各地から金に物言わせて価値ある品々、有名絵画や宝飾類のみならず、お城そのものまで持ってきて広大な敷地内に自分の王国を作ってしまう。敷地内に庭にはシマウマやキリンなどの野生動物まで放し飼いにしてあり、点在する来客用コッテジはイギリスやドイツ風を模した造りになっている。これが悪趣味なものであることは文章に滲み出ており、そんな文章が醸し出す雰囲気も私の興を殺いだ一因なのだろう。

文庫本で420ページある物語の250ページ目でやっと事件が起きる。招待してくれた大物映画プロデューサーが殺されてしまう。事件を担当する保安官たちには荷が重そうだ。図体だけはでかくいが脳みそまでは発達する時間がなかったかのような人たちとして描かれている。いつもの通りに、ジョージーがほんの小さな手がかりから犯人を見つけて事件を解いてしまう。そのプロセスが、手抜きとまでは言わないが練られていないのだ。この手のコージーミステリは、ミステリ自体というよりは、物語り自体で主人公や登場人物の行動や心理、振る舞いなどに愉しさや面白さがあるはずなのに、今回は寄り道せずに坦々と平地を歩くがごとくにお話が進んでいくだけなのだ。それならばミステリ部分にもっと面白さを入れ込んでもらわないと割に合わない。雄大な大自然しか描くものがなかったからなのだろう。ヨーロッパを舞台にすると、伝統に裏打ちされた雰囲気なり造形物なりがあり、上辺は取り付くってはいるものの嫌味たらしい上流階級の面々の下種な言動というスパイスが効いてくる。次作はヨーロッパが舞台というから、それに期待しよう。

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第7話は『貧乏お嬢さま、恐怖の館へ』。今回のジョージー、元いレディ・ジョージアナ・ラクノは、兄の領地のスコットランドに戻るのが嫌だが住むところがない中、親戚の王妃に相談したところ、王妃の友人である公爵夫人の家に招待されることになった。単なる社交の招待ではなく、公爵家の新しい跡取りになるオーストラリア育ちの若者、ジャックのしつけ役として。この20歳になるジャックは、自分が英国貴族の血を引いていることなど最近まで知らずに、オーストラリアの羊牧場で伸び伸びと育っていたので、独特のしきたりやがんじがらめのマナーで縛られている貴族の生活などまっぴらだと思っている。もちろん、一族の人間からは白い目と悪意のこもった眼差しで見られ、当てこすりや意地の悪い悪口が陰で叩かれている。そんな中、現公爵が殺されるという事件が領地内で発生し、背中にはジャックの持ち物であるナイフが突き刺さっていた。粗野ではあるが人柄は悪くないジャックに好感を持っていたジョージーは、またもや鼻を突っ込んでいく。

このシリーズを読んでいて愉しめるのは、貴族(王位継承権も持っている)でありながらも主人公には特権階級意識がほとんどなく庶民的感覚すら持っていて好感を抱けることと、物語の進め方の上手さなのだと思う。例えば、この第7話の冒頭の2段落で、ジョージーの母親の性格が手に取るように分かるとともにジョージアナの近況が把握できる見事な出だしなのだ。

母は彼(かつての恋人)が自分よりも『山を優先することが我慢できなかったらしい。女優である母にとって主役以外の役は存在しない。

ハロッズの従業員すべてが自分のためだけに存在してるかのような態度がとれ、アメリカ並びにヨーロッパ大陸を股にかけて恋愛と情事を繰り重ねている母(真の意味で「股」にかけているよね)を羨ましくも思いつつも、自分の身の丈にあった行き方を選ぶほどジョージーはしっかりとしている23歳の魅力的な女性である。

特権階級意識がないという点では、昔警察官をしていた平民の母方の祖父が大好きで、祖父についてこんな思いを持っている。

祖父の家から帰る時は、いつも心が痛む。祖父がわたしの人生でもっと大きな役割を担うことができればいいのだけれど、わたしたちのあいだには大きな社会的な溝がある。ロンドンに戻る地下鉄のなかで、わたしは社会のルールの愚かしさを考えていた。

21世紀の平等世界において、当たり前の考えを20世紀前半の貴族の一員が持っているということがジョージーを好きになる一因でもある。加えて、この手のコージーミステリーに色をそれているのが皮肉と大げさな言い回しだろう。

訪れた公爵夫人の広大な領地に立つ見事な館の広間にある暖炉を見て
長い壁の中央には、牛をローストできそうなほど大きな天井まで届く大理石の暖炉

と言うし、又

蜘蛛が出たらどうしようと考えずにはいられない。普段の私は勇敢なほうだ-蜘蛛がいないところでは

という自虐的な性格描写もある。こんな貧乏お嬢さま、ジョージーを好きにならずにいられようか?!

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『貧乏お嬢様のクリスマス』はシリーズ第6話。実家ではあるものの、義理の姉とその家族の前にラクノ城に居づらくなったジョージアナは、たまたま見かけた新聞広告にあった田舎村でのクリスマスパーティのホステス役求人募集に応募して雇われる。寂れてはいても居心地よい田舎でのクリスマスを愉しんでいたところ、平和なはずの田舎で人が次々に死んでいく。警察は事故と見るが、ジョージアナの独自の嗅覚は殺人の匂いを嗅ぎ付ける。たまたま同じ村で過ごしていた祖父と恋人候補のダーシーの協力を得ながら、古いクリスマスソングになぞらえて起きている連続殺人を解き明かす大活躍となる。

「良家の子女募集」という条件なら、貧乏であったとしても王位継承権のある貴族の末裔にはぴったりのお仕事。よくもこんな設定を思いつけるものだと思いながらも、階級社会のイギリスだからこそ成り立つ発想なんだろうと思うのです。シリーズの別の話でも、「我々と同じ側になれない」と成り上がりの家族のことを平気で酷評するような台詞が出てくるところに階級制度の奥深さが見て取れます。

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額に"刑事"と刺青があったとしても、これほど刑事らしくは見えないだろう。

あなたは私に幸せをもたらすために天国から遣わされた人間の姿をした天使だね。

この手の台詞は大好きだ。男と女の他愛も無い言葉のゲームとして殺人事件の合間合間を愉しませてくれるから。

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このシリーズは設定が絶妙である。2つの大戦の間のつかの間の平和の時代、ヴィクトリア女王の孫にして今(物語上)の国王の親戚であり、王位継承権34番(後に、兄に第二子が生まれたので35番目になる)となるヴィクトリア・ジョージアナ・シャーロット・ユージーニーが主人公。レディーの称号を持っている正真正銘の貴族だが、哀しいことに貧乏貴族の一員として、ロンドンにある結構なお屋敷に召使も執事もなく、文無しで暮らしている。生活費は、自分の名前を使って掃除請負業を営み(派遣される清掃員は自分という情けなさ)、時折友人関係者のパーティに行って飲み食いをすることで何とか生きながらえているという、生活力旺盛な22歳女性。時折、王妃に呼び出されて、やっかいなお仕事を仰せつかるのだが、ジョージーの得意技は好奇心と責任感からくる独自の捜査能力と行動力。貴族であって貴族で無いようなうら若き美女が、巻き込まれた殺人事件に勇敢にも立ち向かい解決している過程で、英国貴族の内輪もちらっと覗かせてくれている。気楽なミステリーに覗き見的な要素を入れ込んだこのシリーズが面白くないわけない。

王位継承権34番とはいえ、貴族の血は父方。母親は有名な映画女優で、今もお仕事ならびに恋愛は現役真っ最中。こんな盛んな母親プラス性的に自由奔放なお友達たちに囲まれつつ、本人は晩熟で恋愛に中々踏み込むことができない。気になる男はいるものの、告白もできず悶々としている。そんな中で、このシリーズ2作目の『貧乏お嬢さま、古書店へ行く』でも殺人が起きる、しかも3件も。

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貴族の友人は自分たちが特別であることを意識しながら、堂々とのたまう:
そんなところにわたしやあなたのような人間があらわれたら騒ぎになるでしょう。ニワトリ小屋の中にクジャクが交ざったみたいな。
なにを言うか!! アホウドリの間違いじゃないか?

心の底から嫌いですが、公正な意見を述べようとしているだけです。
当時の英国社会を賑わせていた一大イベントのシンプソン夫人についての意見が求められた時のジョージーの反論がこれ。芯のある公正なレディーらしさがこの言葉からうかがえる。シンプソン夫人はこのシリーズでは、まことに尊大でいけ好かない女として描かれている。当時の英国上流階級の立場をとるのであれば、こうなるんだろうな。でも、もし、シンプソン夫人がこのとおりの人物であったら、そらぁ好きになれないわ。その意味では、著者の人物の描き方は素晴らしいと褒めるべきなのだろう。

人物だけでなく、風景の描写もなかなかもものがあります。だからこそ、このシリーズが愉しめるものになっている。
目も前にイーストアングリアの平原が開けた。景色のほぼすべてが空のように見える。真綿のような白い雲が浮かび、野原にいくつもの影を落としている。遠くに教会の尖塔が見えて、木々の下に村があるのがわかる。

コージー・ミステリには期待していなかった街や村々の描写に観光気分となりながらも、ジョージアナの活躍話にページを途中で閉じることができない。
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