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コージーミステリーを読み耽る愉しみ その11 アート・ラヴァーズ・ミステリ(ヘイリー・リンド著)

2019年11月30日 | パルプ小説を愉しむ
第二作が面白かったので第一作目『贋作と共に去りぬ』にも挑戦。世界的な贋作師である主人公のおじいちゃんが贋作師としてのこれまでやってきたことと自らの哲学をぶちまける自叙伝の出版を計画しているとあって、今ではしっかりと堅気の画家兼擬似塗装師の生活をサンフランシスコで営んでいる主人公のアニーは困っている。でもおじいちゃんはヨーロッパのどこかにいてつかまらない。そんな中、アニーの贋作を見る目の確かさを知っている元恋人であり地元有名美術館のキュレーターから、曰くつきのカラバッジョの絵の鑑定を真夜中に頼まれる。贋作と見破ったものの、その直後にその美術館で殺人事件が起こり、依頼したキュレーターは行方不明になってしまう中、好むと好まざるとに関わらず、アニーは事件の真っ只中に入り込んでいく。

相も変わらず、真っ当な生活を送ろうとするアニーの空回り気味の生活、贋作を見抜く目はずば抜けて確かなのに生活には役立たず、日常生活では何か抜けているダメダメぶり。完全無欠ではない、ちょっと抜けているくらいの女性だからこそ、コージーミステリーの主人公として活躍ができる。これって、ダイバーシティが叫ばれている時代にしては問題じゃないかな??

アニーの絵を見る目が確か(らしい)と思わせる台詞が前半部分に幾つか出てくる。例えば、

ピカソはティーンエージャーの頃からレンブラントを彷彿させる素晴らしい才能を発揮していた画家だったのだ。それなのに結局その名を知らしめたのが、やたらとのたくった線とど派手な色彩の作品だっとは。あれが芸術と言える?

ここは(サンフランシスコ)はニューヨークやパリと違って、街区を挙げて芸術に寄与しているわけではなく、真に芸術を愛する街とは言いかねた。この街の人たちは、真の芸術よりも、芸術的な生活を求めていたからだ。

カラバッジョ独自の、ドラマチックな光と影の対比や、まばゆいばかりの豊かな色合い、それらを的確に捉えた贋作士の素晴らしい腕前。


こんな感じ。そして、彼女の性格を形作る手伝いをしているのが、一人称で語られる物語の中の出来事。アシスタントとして雇っている20代が新しい大家のことを
「ヤなやつっぽい」

と言うと、そのコメントを狂信者と正真正銘の若者に特有の断言口調と切って捨てる。この言い切り方こを、アニーの直情的な性格を読者の無意識の中に形作っていく手法だ。

そして、おじいちゃんが出版を計画しているという自叙伝の中で使われる予定であるらしい未推敲原稿の一部が各章の冒頭に出されることで、贋作の世界の奥深さや贋作師として一流のおじいちゃん独自の哲学が見事に語られる。盗人にも三分の理というが、なかなか素晴らしいレトリックがゆえに、思わず贋作というのは実は芸術の一形態なのではないかと洗脳されてしまいそうな言葉が披露されている。

辛辣な批評を吐く専門家とは何者か。人々の涙を誘う素晴らしい作品を生み出すために、骨身を削ってきたのは彼らなのか。キャンバスに絵の具を重ねることで、無神論者に神を信じさせ、冷え切った心に熱い思いが取り戻させ、希望を打ちなった人に夢を見させてきたのは彼らなのか。神のごとく振舞う者たちよ、無から美を創造できないのなら、その口を塞いておくがいい。

芸術は嘘をつかない。画商、収集家、芸術家、そして研究者は嘘をつく。

画家のサインは文字の連なりとしてではなく、キャンバスに描かれた一続きの抽象的な線や形としてとあえるべきである。なぜならこの線こそが競売人に入札開始額を教え、芸術愛好家にその作品を評価すべきか否かを教示し、美術専門家にその作品を賞賛に値するものとして求めるか否か告げるものだからだ。



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世界的な贋作師の孫娘にして、真っ当に生きようと四苦八苦しているアニー・キンケエイドには、厄介ごとが向こうから訪れてくる。祖父から贋作の手ほどきを受けているから、有名絵画の真作と贋作は簡単に見分けられるし、何よりも祖父の友人たち、つまりは絵画泥棒や贋作者たちが身の回りにうようよしている。それでも、運命に負けないようにアニーはフォーフィニッシャーとして塗装師としての仕事を全うしようとするのだが、それでは物語にならない。魅力的な泥棒や贋作を使って犯罪行為を企む悪人たちとの腐れ縁が切っても切れないからこそ、面白い物語が始まる。

『贋作に明日はない』はシリーズの二作目。画廊のパーティで、主賓となっているべきはずの彫刻家の死体を見つけてしまったことから、麻薬取引、殺人、贋作作りが絡んだ事件に巻き込まれていく。推理も何もなし、やたら猪突猛進型で厄介ごとに頭から突っ込んでいくアニーと周りの面々たちの活躍に腹を抱えて笑いながらあっという間に読み終えてしまった。ちょっとイヴァノビッチ描くステファニー・プラムっぽいところのあるお元気姐さんのスラップスティックなミステリ。 

贋作師のワシは、腕のいい芸術家であるばかりでなく、芸術という世に広く普及した概念に闘いを挑む哲学者でもある。
このような台詞は好きです。と言うよりも、口にしてみたい。世の中がどう思おうとも自分の生き様を正当化できる屁理屈を。

最初は気付かなかったんですが、今わかりました。目が似てらっしゃる。笑顔もだ。お嬢さんの笑顔は最高に素敵ですね、キンケイド夫人。
このような歯の浮くような台詞も言ってみたい。でも、30歳を過ぎた娘を持つ魅力的な母親って日本では見たことないぞ。

はっきり言ってわたしは魅力的だと思う。少し努力すれば、かなり素敵に見れるのも知っていた。でも、わたしをめぐって戦いが起こったり、わたしのために国王が王冠をすてたりしないのも知っていた。

 登場人物の魅力度 ★★★
 ストーリー度   ★★★
 設定の魅力度   ★★★
 台詞の魅力度   ★★★

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