お愉しみはココからだ!!

映画・音楽・アート・おいしい料理・そして...  
好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

ガトーよこはまのチーズケーキ

2006年10月22日 | スウィーツを愉しむ
横浜市場まつりで鮪や海苔佃煮も買ったが、チーズケーキもデザート用に買いました。

場内に2箇所出店があり、オーナーと思しき初老のシェフが大声で売り込みをしているのが印象的でした。15cmほどの大きさで、ピーチかオレンジピーるが載っているものが選べる、そんな小ぶりなチーズケーキです。


小さいながらもチーズケーキ特有の"まったり"としたチーズ味が濃厚に味わえる一品で、久しぶりに美味しいチーズケーキに出逢えたって感じ。選んだのがピーチでよかった。オレンジピールだと皮の苦味が強くてチーズの味が打ち消されてしまいかねない。通常は1500円だそうです。ただ、味はよろしいのだが、この大きさで1500円はないね。今日は1000円だったから値打ちがあったが。

ガトーよこはま
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜市場まつり

2006年10月22日 | My Diary
横浜市が運営する魚市場のイベントがありました。その名も「横浜市場まつり」。中田市長が開会宣言して始まったのですが、混んでる混んでる。マグロ解体実演を目当てに行ったのですが、混んでいて遠くからしか見えない。市場に行くのに朝食を摂ってからいくことないので、腹減らしていったのだが、食べ物を買うのにも行列。一番人気はまぐろ丼でした。

マグロ解体ショーの後のメインステージには横浜ベイスターズの選手が出演してファンサービス。とは言っても、ジャンケン大会だけとは芸が無さ過ぎますぜ。


まぐろ切り身販売はさながらバーゲン会場のよう。おばちゃんたちがルール無視で殺到し、サクの入ったトレイを鷲摑みする。全部買うのではなく、まずキープした上で選択に入るのです。安いのか高いのか不明なのですが、熱気に煽られて2サク買ってしまいました。トロっぽい箇所と赤身で計2800円。

お目当てのマグロ丼を食べてマグロを買うと心に余裕が出てきて、ゆったりと座ったりして市場の雰囲気を味わおうという気になり廻りを見渡すとこんな感じ。比較的大人しい箇所なのですが、人はすごい。


消防音楽隊の演奏、東海大学チアリーダーの実演、大学祭の模擬店のような食べ物売り場。焼きそばやおでん、焼き鳥のほかに、市場らしく寿司や各種丼、海鮮汁、ホタテ焼きなどもある。市場の裏側にはちびっ子のための遊びコーナーまで設置され、横浜市民に少しでも親しんでもらおうという涙ぐましい努力が見られました。

圧巻は、魚クイズ。整理券をもらった人のみが参加できるのですが、賞品は生タラバガニ。12kgのものがプレゼントされていました。○×形式のクイズ勝ち抜き戦が2回行われ、長女と挑戦した私は情け無いことに一回戦で脱落。イクラがロシア語だなんでしりませんでしたよ。長女の方は、解らない問題はより多数の人が回答している方を正しいだろうという知恵の働きを見せて勝ち進むが、「日本人が最も魚を食べているかどうか」という最終問題に○と答えて、残念ながら脱落しました。これは私には×だと分かっていましたよ。最終回答に勝ち残った約十数人はここからじゃんけん大会に突入して、勝ち残った6人にはタラバカニがプレゼントされました。この時はチキショーと思ったね。

まつりの最後はお決まりの神輿。大規模バザーと言うか大学祭のような市場まつりには神輿は相応しく無いように思えたのですがね、はい...





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バートン・フィンク

2006年10月14日 | Cinemaを愉しむ
カンヌ映画祭で3部門を掻っ攫ったというコーエン兄弟の作品なのでDVDを借りてきたのだが、理解を超えている映画だった。

NYで売れっ子になった劇作家がハリウッドに招かれてB級レスラー映画のシナリオを書くことになったが、筆が進まない。ひょんなことから仲良くなった安ホテルの隣部屋の太っちょ男とは心の通う話し合いができるが、他に知る人もいない見知らぬ土地で、事件に巻き込まれる。筆が進まないので助けてもらおうとして呼んだ敬愛する作家の秘書と出来てしまった直後に、なぜが彼女が彼のベッドで死んでいる。隣部屋の太っちょ男は殺人鬼だと訪ねてきた刑事が言う。太っちょ男が戻ってくると刑事2人をショットガンで撃ち殺す。

ホテルの暑さの描き方は濃厚で、太っちょ男のワイシャツはサスペンダーで肌と接しているところが汗で濡れ、暑さのあまり壁紙をベロリと音を立てて剥げ落ちる。しかも何度も。観ている方がうんざりしてくるような湿った暑苦しい空気が感じられる。殺人鬼の太っちょ男が2人の刑事を殺すシーンは、ホテルの部屋や壁が炎で包まれ、殺人鬼が心中するためにホテルに火を放ったのかと思ったが、太っちょ男は何もなかったように部屋の鍵を開けて入り、バートン・フィンクは荷物を持ってチェックアウトしていく。ここにいたって、やっと行き詰った作家の精神が病んできている、現実と夢想世界がゴッチャになっていることが分かる。でも、どこまでで現実でどこからが夢想の世界なんだ?

映画のラストシーンは、浜辺でバートンと挨拶を交わした金髪の綺麗な女が、ビーチに座り込んで太陽のまぶしさを手でさえぎるシーン。これは、バートンが借りていた部屋に飾ってあった写真と同じもの。これで映画が終わるのだが、ここでまたどこまでが夢想なのか、この映画は何を言いたいのかがこんがらかって分からなくなりました。

ラストといい、ホテルが炎に包まれるところといい、いくつかとっても印象的ではっとするシーンがあるんだけれども、観終わった後にとってもフラストレーションが溜まる映画でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本民家園

2006年10月09日 | My Diary
川崎の生田緑地の中に、日本民家の展示場があります。南は鹿児島、北は岩手から集めた日本民家は計23棟。その名も「川崎市立日本民家園」。古いもので17世紀、ほとんどは18世紀か19世紀に建てられた各地各様の民家が集まっていまる展示場ですが、こんなものが首都圏にあるとは知らなかった。こんな感じです。


屋根は茅葺のものがほとんどでしたが、中には板を張って上から大石で重しをしたものもある。雨が多い時には雨漏りがしたらしい。壁は藁を土に混ぜた塗り壁。必ずあるのが土間。土を石灰と混ぜて叩き固めてあるので道端の感覚とは全く異なる踏み応え。ここに竈や洗い場、時には馬小屋まで揃っている。土間からは家族が食事をする場所、今の呼び方で言うとリビングとでもいう空間。ここには囲炉裏が設けられており、鉄瓶が掛けられるように天井から縄が下ろしてある。調理場でもある土間の隣であることと火があることが一家団欒の場所たらしめるのだろう。奥には畳かござを敷き詰めた「奥」。各地から集められた民家だけに広くて立派。柱には今では使うことができないような太い木材がふんだんに使われていて力強い。その太い柱は土中に埋め込まれることはなく、土中に半分埋められた大きな石の上にこんな感じで載せられている。地震でずれたりしないのだろうか?


難点は、窓が少ないために室内が暗いことと、あちこちに隙間だらけで密封性が乏しく、夏は蚊などの虫が入ることと冬は寒いだろうこと。素材だけを再利用して現代風に設計しなおせば、さぞかし素敵な棲家になるだろう。

私ならば、囲炉裏のある板敷きはフローリングに変身させてリビングへ。使い方は昔と同じだが、仕様は今様にする。天井が高いから照明器具も立派なものを入れられるし、広さも十分。窓は大きめの羽目ガラスを入れて眺望を確保し、床はそのままの木材に磨きを掛ければさぞかし見栄えがする部屋になること間違いない。土間の半分はそのまま土間として残して家庭菜園のための準備小屋として使って、残り半分はキッチンに改装。十分なスペースがあるので、調理台を部屋の中央に置くレストランっぽい配置にして料理が愉しめるキッチン兼簡単な食堂に使うな。奥の部屋は窓を大きめにとって書斎や各人の部屋にする。天井は屋根裏が見渡せるままにして吹き抜けでもよし、屋根裏に2階を作ってもよし。屋根裏部屋は充分な高さが確保できなさそうだから、物置兼作業部屋かな。絵を描いたり、ホームシアターなんてのも良さそうだ。屋根には太陽発電の電池を付けてエコロジーに貢献しよう。

こんな民家が海際にあって、庭先の崖を下りると遠浅のサンゴ礁が広がる青い海原が広がっているというのが、私の理想の棲家です。ライフスタイルはヘミングウェイが遺作として残した『海流の中の島々』の主人公ハドソンのようなゆったりとした気ままな生活。そんな勝手な夢を描きながら、重要文化財にもなっている古い民家を見回っていたのはきっと私だけだっただろう。

川崎市立日本民家園はこちらを参照。
http://www.city.kawasaki.jp/88/88minka/home/minka.htm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「君はキャベツだ!カブだ!ペポカボチャのカタツムリ野郎だ!」

2006年10月09日 | パルプ小説を愉しむ
お国柄なのか英国の小説はテンポが遅い。一方、米国の小説は、すべてがすべて映画のシナリオ化を想定している訳でもなかろうが、話の運びがスピーディー。各章の終わりには何か仕掛けがあって、次の章を待てなくなります。

とは言っても、英国のスクリューボール・コメディ『プリーストリー氏の問題』(A・B・コックス)はスロースタートかつ淡々としたストーリー展開ながら、何か興味心に訴えるものがあって読み続けてしまった。

平穏な生活に満足していたプリーストリー氏は、友人たちのいたずらから、殺人犯として美女と一緒に逃げ回ることとなる。一緒の美女は、氏をいたずらでだましている友人たちの仲間。殺人事件も実は赤インキを使った偽装で、何も知らないプリーストリー氏は逃げ回る。いたずらを仕掛けた友人たちは、警察が事件究明に乗り出したことで、さらに悪ふざけを加速する。近所に住む男が、いけ好かないからという理由だけで犯人になるように工作までされてしまう。事件は、どこかの国の皇太子が殺されたことになり新聞沙汰に。それを読んだプリーストリー氏は自分のフラットにたどり着き、そこに美女を匿うことにした。

友人たちのうちの一人が良心の呵責に耐えかねて、事件の顛末をプリーストリー氏と警察に打ち明け、後はそれを知らない友人たちが踊らされ、結局は逆にいたずらを仕掛けられて、身から出た錆となるというお話。

盛り上がりが欠けるとともに何とも悠長な語り口で話が進むのだが、それでも読ませる何かがある。スルメのような味とでも言うのだろうか。そこはかとない味がだんだんしてくるのだ。それを味わうために、せっせと噛み続ける、そんな読書でした。

英国の小説らしくシニカルで乾いた皮肉が散りばめられたユーモア小説と紹介されている。当事者の視点にどっぷりつかっているのではなく、ちょっと離れたところから自分を見たユーモア感覚なんだな。表題の悪口からお話が始まるのだが、悪口をキャベツからカタツムリ野郎に変えた直後に、「植物から軟体動物へ乗り換えた」などという要らない説明まで付け加える。ヘミングウェイやチャンドラーなら決して入れない表現ですよ。この要らない一言が、底意地が悪かったり暖かかったりもする。

「レジナルド・フォスターは庭を眺めていた。彼と庭はどちらも満ち足りた気分になった」 などと言って置きながら「庭の方は、フォスター氏の慈悲深い視線の影響を受けた訳でも、それに気をよくした訳でもなかった」 などという文句が続く。何だ、このいやらしいユーモアセンスは?!。モッタイぶらないで簡潔に書け!、と言いたくなるのだが、このヘンテコなユーモアが無かったら、この話を読み続けることは決してなかっただろう。スルメ味のエッセンは、いけすかない英国流のユーモアだったという訳だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「男は嫌いだ。だから俺は女と付き合うんだ」

2006年10月08日 | Cinemaを愉しむ
『心みだれて』はメリル・ストリープとジャック・ニコルソンの大女優・俳優が出演している、決して派手ではない映画です。『卒業』の監督であるマイク・ニコルズであることを見て、三連休のこの週末はこれを観よう、とレンタルすることにしました。

夫(ジャック・ニコルソン)の浮気を見つけ、怒って実家に帰った妻(メリル・ストリープ)が父親に泣きついた時の父親の台詞が冒頭のものです。この父親すでに妻を亡くしており、他の女と遊んでいるという。言う台詞が憎い。

「私は今買い手市場にいるんでね」

それを聞いた娘はシラッとした気持ちになってしまうのです。

この映画は一体何をテーマとしているんだろうと考えてしまう映画でしたね。離婚歴ある女がコラムニストと出会って結婚、かわいい子供ができたが夫の浮気が発覚して別居、夫は謝罪して復縁。二番目の子供が生まれた直後、再度夫の浮気が発覚(しかも一回目と同じ相手の女)。気の置けない友人たちとの夕食会の席上で、妻は手作りのパイを夫の顔にぶちまけて去っていく。エンディングは二人の子供をつれて飛行機に乗り込むという場面で終わります。

最近離婚した共通の友人が実はレズビアンだったことが理由だった、結局は人は一緒に暮らしていても本当は理解しあっていないのよね、との他愛ないゴシップから、突然メリルの深刻な独白に移ります。

相手を愛しすぎていることから自分も愛されていると思い、日々の生活の変化の積み重なりが突然破局になる、夢に生きていたことに気付き、後は夢の残骸にしがみ付くか別の夢が探すしかないのよ、

といった非常に重苦しい独白が始まるのだが、この時のニコルソンの表情がとってもニコルソンらしい演技です。何かまずいことが起こっているぞ、という気配を顔中に表わすのだ。当惑して顔をしかめつつも回りの反応をそっと伺う、そんな疚しい男の顔が、たった数秒しかないシーンなのだがしっかりと演出されています。キアヌやデカプリオのような若い俳優だったら、ぶすっとした表情か呆れ顔になるかしかできないようなシーンでも、しっかりと顔の表情だけで演技できるところがニコルソンの真骨頂ですね。お話はメリルを中心に展開し、タイトルにはメリルの名前が上に載ってはいるものの、メリル以上の存在感がニコルソンにはありました。

音楽はカーリー・サイモンの歌。赤ちゃんがクシャミしてママの顔がほころぶ、という日常の1コマを扱った歌詞なのですが、この映画には合っています。ホッと気を楽にさせてくれる音楽に併せてカーリー・サイモンならではの優しい声色で、お話がシリアスになり過ぎないようなブレーキ役になっています。カーリー・サイモンと言うと、「007私を愛したスパイ」を思い出したのですが、この映画の主題歌の方が彼女の持ち味を十分に出していて好きですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「富の再分配をするのが仕事でね」

2006年10月01日 | Cinemaを愉しむ
泥棒が自分の仕事の説明として使った表現です。モノは言い様という代表例みたいな台詞ですが、こんな言い換えができることはスマートだと思う。

『イギリスから来た男』は、これといった盛り上がりが無い映画です。刑務所から出所するとロサンジェルスに行っていた実の娘が事故で死んでいた。事故とは信じない男は単身LAに乗り込み、娘が死ぬときに同棲していた元音楽プロデューサー(実は麻薬取引に関わっている)の身辺を探る。刑務所に入るくらいだから法に反することなど平気。それに度胸も据わっている。こんな男に身の周りをウロウロされるピーター・フォンダ扮する元音楽プロデューサーも災難。話はいい方にころがり、ちょっと都合が良すぎるんじゃないの?と言いたくなるストーリー展開。最後は、麻薬取引現場を見られ娘が殺され、事故死に見せかけられたことが判明する。

途中途中に昔のシーンが挟み込まれ、男がLAにやって来るシーンや、ちょっと前のシーンが効果的に挟み込まれているところが、視覚的に新鮮。シュワちゃんが出るような派手さは全くなく、全体的に平坦なストーリー展開だが、商業映画には無い、そこはかとない男の純粋さと虚無感、大向こうを狙おうとしない手堅さと視覚的な新鮮さが売りの中級クラスの佳作といったところでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする