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『回想のブライズヘッド』

2018年07月08日 | 読書雑感
今回はお気軽なコージーミステリではなく、正統派の英国小説『回想のブライズヘッド』。著者のイーヴリン・ウォーという名前から最初に思ったのは女流作家かと思ったが、しっかりとした男性だった。

英国の貴族社会(上流社会ね)に属する一人の男の人生を、回想という形で小説にしている。そこには、古き良きベル・エポックの時代の後、第一次大戦から第二次大戦の間の欧州が最も欧州らしかったといわれる時代とともに、やがて訪れる大衆社会の前に、脆くも崩壊していく前夜の華麗で甘美な上流社会の姿が、美しく、かつ哀しく描かれている。何事につけて年月を重ねて完成にいたったものが崩壊する時が、完成度の高さに比例した大きな光を放ちながら、最も輝きつつ、悲しく、そして壮麗な美しさを振りまいているようだ。読みながら、この世界は知っていると思った。それは、ルキノ・ヴィスコンティが描く世界と同じだ、と。

でも、最後まで読んで思ったことは、これは宗教賛美の小説だということ。一生の間、信仰から離れ、信仰を馬鹿にしながら外国で愛人と放埓な生活をしていた老伯爵が、死に際に英国の地所(これがブライズヘッド)に戻ってくる。ご臨終の瞬間に、信仰とは無縁だったはずの寝たきりで意識も確かではない老公爵が、神父の前で十字を切る。それを見た長女のジューリア(主人公と結婚寸前までいっていたヒロイン)が、結婚を突然解消してしまう。ジューリアとて、父親同様に信仰とはまったく無縁の生活の自由気ままな生活を謳歌していたにも拘わらず、父親の信仰への回帰を見たとたんに、自分にも信仰が蘇り、主人公との別離を決断してしまうという、我々日本人からみるととんでもないドタキャンであり茶番劇のどんでん返しとなる。

「今まで悪い女だったんですもの。これからもまた悪いことをして、また罰を受けるのでしょう。でも、悪くなればなるほど、神が必要なのよ。(中略)ひとつだけ、もう少しでしかけていたことだけれども、それだけは悪い私にもできないことなのよ。神を相手に、神と対抗できるほどの幸せを選ぶと言うこと。(中略)私が欲しくてたまらないこの幸せさえあきらめれば、どんな悪い女でも、神が最後にはお見捨てにならないという、私と神だけの約束なのかもしれない。」

そして主人公に向かって、突然に別れの言葉を口にする。
「こうして物陰で、階段の隅で - わずかなあいだにさようならを言わなければならないのだわ」
「それだけのことを言うのに、ずいぶん時間がかかったね」
「わかっていらしたの?」
「今朝からね。いやもっと前から、今年の初めから分かっていた」


何を一体言うのか!? たかが死に際に老人が寝床で十字を切ったくらいで信仰のため愛を捨てるなんて!!” 茶番劇のどんでん返し”と先に言ったのはこのためで、”なんでこうなるのかね??”と疑問符がいくつついても我々のように宗教が日常に入り込んでいない日本人には理解不能ですね。まぁ、これがその当時の英国人の感覚でありシガラミと思うしかないですね。それとも、この悲劇の物語の結末のつけ方として、主人公を大恋愛の結末としての結婚させるわけにはいかなかった著者の苦心の逆転ホームランと見るべきか? それにしても、恋愛の真っ只中にいながら、「それだけのことを言うのに、ずいぶん時間がかかったね」などとクールな台詞が吐けるほどに相手の心の中を読み取れる冷静なジェントルマン、それが主人公その人なのです。「カサブランカ」のハンフりー・ボガードやレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーローに受け継がれていくんだよね、きっと。

物語の中に、第二次大戦中の主人公の部下であるフーパーという一般庶民が出てくる。この人物が、回想の物語の中でも出てくるのだが、それは決して良い意味で表されていない。彼のような、決して上流社会に属さない、というよりも軽蔑に値するような人間として表されている。それは、彼の罪でもなく、単に生まれだけも問題として。

「彼ら(上流社会の居住者たち)は、フーパーのような人間の世の中を作るために死ななくてはならなかったのだ。つまり彼らは原住民であり、法律に「よって、見つけ次第射殺してもかまわない害獣だったのであり」。

こんな描き方ってあるか! 何も悪いことをしたわけでもない、ただ上流社会に生まれなかったというだけで。「彼ら」こそ、多くの庶民を搾取しつつ、ムダに時間とカネとを浪費しているだけの社会の寄生虫であるにも拘わらずだ。それでも、「彼ら」がヒマでカネがあったからこそ、文化が花開き、その文化と価値観が時代とともに崩れ去っていく過程で放つ、異常なまでの美しさと悲壮感、それを分かっていながら諾として受け入れていく主人公に、男気とダンディズムを感じて酔いそれてしまう、そんな小説だった。

      ☆★☆★☆★☆★☆★☆★

こういう所には金の壷を埋めておきたくなる。僕は、自分が幸福な気持ちになった所にはみんな金の壷みたいなものを埋めておいて、いまに年取って醜い老人になったら、もどってきてそれを掘り出して、思い出にふけりたいと思うんだ。
これを言うのは大学一年の時のセバスチアン。何というノスタルジックで老成した台詞か!

これはほんものの、緑のシャルトルーズだ。舌を転がっていくとき、五回も違う味がする。まるで、虹を飲み込むようだよ。
こんな酒を味わってみたいよ。それにしても、五回も違う味が分かる舌でどんな舌だ。「虹を飲み込む」というのがこの小説らしい雰囲気を醸している。

ちょうど、強力な望遠鏡ではるか彼方からこっちえh向かってくる人を覗いていて、顔から服装から細かい点までわかるものだから、手をのばしさえすればさわれそうに思うのに、

医者の口調は冷静で残酷といってもよいほどだった。科学者によくある、自分の仕事をつきつめて不毛なまでにしてしまい、些細なことばかり問題するという、あの態度だ。
上流階級ならではの、斜に構えた台詞だよね。まじめに一生懸命働く一般人を、上から目線でシニカルにやっつけにくる。上流階級ならではの、斜に構えた気取った台詞だよね。

列車は闇のなかをひた走り、ナイフとフォークがチリチリと音を立てた。グラスの中のジンやベルモットの小さな円が伸びて楕円形になり、また縮み、列車がぐっと傾くと縁まできてまたもどり、それでもけっしてこぼれなかった。その日一日が、後ろに遠ざかっていった。
これは綺麗な描写だ。この時代独特だけが持つ優雅さとゆったりとした時間の進み方が、列車の中での一こまに表れている。著者の大した力量だと思う。

わたしはときどき、過去と未来に両側から挟まれて、現在がまったくなくなってしまったような気のすることがあるの。
今で言うアラサー女の口から出てくる、こんなコメティッシュな台詞から、この時代の女に何が求められていたモノが分かるとともに、時代感がそれとなく伝わって来る。これも、著者が計算した上での効果を狙った台詞だとしたら、凄いと思う。
コメント
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