お愉しみはココからだ!!

映画・音楽・アート・おいしい料理・そして...  
好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

『ターシャ・テューダー 人生の楽しみ方』 食野雅子著

2024年06月24日 | 読書雑感
私は、社会通念より自分の価値観に従って生きてきました。夢にすこしでも近づくような努力を重ねていたら、いつしか夢が実現したのです
ほかの人がすることに惑わされず、自分がしたいことを、自分がいいと思うようにすればいいのよ。
世の中の憂鬱は影にすぎない。そのうしろ、手の届くところに喜びがある。人生は一度きり。楽しまなくてはもったいないと考えたターシャはそのためのヒントをたくさん提供してくれています。
幸福になりたいというのは、心が充たされたい、ということでしょう?不幸だと思えばそれまで。それより、今、自分がいる状況が一番だと思ってみると、違う風景が見えてくるかもしてません。
ちょっと周りを見回してごらんなさい。やろうと思えばできる楽しいことが、たくさんありますよ。
近道を探そうとしないこと。価値のあることはみな、時間も手間もかかるものです。大量の食器洗いや片付けも含めてターシャはこうしたイベントを心から楽しんだのです。
やりたいことがあったら、すわっていないで、始めてみたら?何もしなければ、何も生まれないわ。
なんでも、やればやるほど上達します。
急ぐことがよいとは思いません。私は何でもマイペース。仕事も、納得するまで時間をかけます。
完璧じゃなくていいのよ。「私は何か一つを完璧に、というより、興味のあることをいろいろやりたいわ」
これまでの人生は無駄だったと思うより、残りの人生を、これまでのぶんまで楽しんで。
つらい時こそ想像力を働かせて。想像力を働かせて楽しいことを考えていると体が軽くなり、それまで見えなかったものが見えてくる気がします。
やりたくない仕事や、付き合いにくい人と会うような時は、楽しいことを考えながらするの。
何かに夢中になるのは大事なことです。なんでもいいの。それが人を前に進ませます。
あきらめてしまったらおしまいよ。世の中は動いているの。一緒に歩み続けていたら、何か見つかるわ。
見慣れた空の星だって、年に一度しか見られないと思えば感動するでしょう?
一夜にしてできる庭なんてないのよ。見ごたえのある庭にするには、最低でも12年はかかります。
予定が狂うなんてこと、いくらでもあるわ。よい方に狂うことだってあるでしょう?
状況のせいにしない。楽しいことなら素直に愉しみ、困ったことなら「そんなもの」と達観して前に進めばいいのです。
年齢と共に体が変化するのは当たり前。変化した自分を受け入れてしまえばいいのでは?
年をとっても、できることをたくさんあります。
年を取ればとるほど、人生は楽しくなる気がします。
何事にもそれに適した季節があります。若者には若者の季節が、高齢者には高齢者の季節が。
心は一人ひとり違います。その意味では、人はいつも一人なのよ。
これまでどんなに楽しい時期があっても、そこへ戻りたいとは思わないわ。年を重ねることはもっと楽しいことだから。
いつまで生きるかは運命で決まっているのよ。あがいてもだめ。賢く生きるしかないわ。
楽しみを見つけようとすることはいつだって必要です。
どの季節にも、それぞれの良さがあるわ。
仕事の手を休めて、植物の葉が揺れるのを眺め、小鳥の声に耳を傾ければ...。
夢をもちましょう。そしてその夢を、良識的に、現実的に追いかけましょう。
ユーモアは、人を笑顔にさせ、幸せにし、人の営みを豊かにします。
親が子供にしてやれる大切なことは、子供時代に楽しい思い出をたくさんつくってやることです。
本は、さまざまな異国へ連れて行ってくれるすばらしい乗り物です。
やりたい仕事は、労働ではなく、楽しみになるのよ。
何か能力を身に着けたいと思ったら、心から願い、チャンスを見つけて努力し続けること。
うまくいかなかったら、手を休めてほかのことをする。あせらず、努力することよ。
最初から恵まれすぎているより、足りないくらいの方がいいこともあるわね。
感謝や喜びを感じたら、相手はわかっているだろうと思わず、伝えてあげて。
まわりに美しいものがあると、気分が変わります。
私は人生をバケーションのように過ごしてきたの。一刻一刻を楽しんでね。














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『弁護士ダニエル・ローリンズ』(ヴィクター・メソス著)

2024年05月05日 | 読書雑感
「人生をどう生きるかは、たった二通りしかないのよ。ジム・モリソンかジョン・ロックフェラーか」
「どういうこと?」
「アートを生きるか、プロジェクトを生きるか。ロックフェラーは幼いころから、自分の目標を意識していた。その目標の周りに人生を築いていったの。自分の進む道はかくあるべしと決めて、自らレールを敷いてその上を走っていったのよ。(中略)そして、モリソンは正反対の人生を歩んだ。キャンバスに絵を描くように生きていったの。感情的で創造的で私的な美しい絵のようにね。喜びも悲しみもmあらゆる経験がタペストリーのように、その絵に織り込まれていった」

わたしは人生など偶然の連続にすぎないと思っている。宇宙の片隅にあるこの星にたまたま生命が誕生し、生き物たちはひたすら奮闘しただけなのだと。

裁判とは闘いであり、昔は貴族同士が武器を持って実際に決闘を行っていた。やがて殺しあいに嫌気がさし、代わりに闘ってくれるものを雇うようになった。原題の訴訟弁護士は、元をたどれば傭兵だったのだ。
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『京都の平熱 哲学者の都市案内』 鷲田清一著

2024年04月30日 | 読書雑感
京都人がこれまで「得意わざ」と密かに自負してきたもの:
 めきき:本物を見抜く批評眼
 たくみ:ものづくりの精緻な技巧
 きわめ:何事も極限まで研ぎ澄ますこと
 こころみ:冒険的な進取の精神
 もてなし:来訪者を温かく迎える心
 しまつ:節度と倹約を旨とするくらしの態度
対抗評価軸(オルタナティブブ)がいっぱいある街いいると、ああ都会にいるのだなあとおもう。アブナイ両極端、これ以上行ってはいけないリミット、それらがはっきり設定されている街ではmそうそうかんたんに残虐な事件は起こらないと思う。人生の避難所と実験場とがいたるところにある街では、ひとはかえって堅実になるように思う。型にうるさい街、型を外すとあぶないことをよくしっている街では、たんなる型破りはバカにされるだけだ。

ひとにも旬というものがあるのだろうか。あったのだろうか。青年、想念、熟年、老年・・・・。それぞれの季節(とき)にそれなりの旬があるはずなのに、旬は「盛り」に取って変わられた。元気の満ち溢れている季節、青年から壮年にかけてを人生のピークとし、そのあとは下り坂という、なんとも貧相な一直線のイメージで人生が描かれる。そしてそんな下り坂でも「元気」を(年齢不相応に)保っていることが、まるで理想のように語られる。「アンチ・エイジング」だとか「サクセスフル・エイジング」だとか。

じっさい、これほど気質もカルチャーも、さらには言葉も異なる百万都市が、それぞれ30分もあれば行き来できる距離にあるというのは、世界でも例がない。これに奈良を加えれば、世界でも屈指の地域である。関東のようにいろんな都市が東京を中心に同心円になるのではなくて、つまり地方に行けば東京度がしだいに薄まっていくというのではなくて、それぞれにじぶんところが最高と、プライドをもって思い込んでいる多中心的な地域は珍しい。文化が何重にもなっているのである。(京都・大阪・神戸の「三都物語」に関する筆者の考え)

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コージーミステリを読み耽る愉しみ その25 ルーシー・ストーン主婦探偵シリーズ(レスリー・メイヤー著)

2024年04月08日 | 読書雑感
またまた一話飛ばして第七話『感謝祭の勇敢な七面鳥』へ。地元のアメリカンインディアンの末裔たちの中に、メティニカット族としての誇りを持ち一人孤高を守るカート・ノーランが殺された。孤高の人。別の言い方をすると人付き合いが下手で小難しい奴。メティニカット族の末裔に人々からも浮き上がっていたカートだが、殺されるような人ではないと信じるルーシーが調査を始める。メティニカット族は部族としての認定を連邦政府に求めようとする動きがあり、その裏にカジノ建設の計画があるという噂がたつ。カジノなど必要ないと考える住民、異形な近代建築物を建てたくない住民がいるものの、賛成派もいる。部族としての認定がなされると、認定が優先されるためカジノ建設を阻むものはなくなる。そんな中でもカート殺害だった。カート自身は部族認定は望んでいたが、望んでいた部族の博物館建設が消えてしまったことに根に持ちカジノに反対だった。同族の誰かの仕業か?実は、カジノ建設を請け負っていた会社の経営者が、邪魔になったカートを殺したのだった。しかも部族の貴重な武器を使って。事件を嗅ぎまわっていたルーシーも邪魔に感じた建設会社経営者はルーシーの殺害も計画。間一髪のところで助かるきっかけを作ってくれたのは、イベントで優勝した堂々たる七面鳥だった。それが題名にもなっている。

相変わらず、事件捜査以上にルーシーを取り巻く家族の生活、村の生活がお話の半分以上を占める。例えば、大学に行ったトビーが感謝祭で友人3名と戻って来てリビングルームをひっちゃかめっちゃかにする模様、娘3名たちのいがみ合いや村に住む友人たちとの交流などなどの合間に事件解明の動きをする。これって決してミステリではなく、アメリカのとある田舎の村の生活の一端を殺人事件を絡めてお話にしたシリーズだ。

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第四話は図書館の蔵書にはなかったので飛ばして第五話『バレンタインは雪あそび』へと進む。アメリカ北東部、ニューイングランド地方のバレンタインの時期だから冬の真っただ中での事件。地元の図書館の理事を引き受けたルーシーが最初の理事会に参加するために図書館に行ったその時に、図書館で働く司書が殺される事件が発生。警察からは独自捜査などしないようにきつく申し渡され、その気であったルーシーだが、もう一人の理事のヘイデンまで亡くなってしまう。警察の見立ては、ヘイデンが図書館に収納されていた価値ある歴史もののピューター製のタンカード(蓋付きジョッキ)を盗み、それに気付いた司書を殺した上で罪の意識に耐えきれずに自殺したというもの。ヘイデンの人柄をよく知るルーシーには納得がいかず事件に首を突っ込むこととなった。調べていくと、地元の名士で立派な人物と思われていた残りの5人の理事たちもそれぞれに事情を抱えており、高潔な人物だとは言えないことを知るようになる。一人ひとりに探りを入れだすルーシー。レシピ盗用で訴えられていたケータリング業者、口が達者な弁護士、胡散くさいと人々から言われている建築請負業者、元大学総長はギャンブル依存症で借金まみれだった。そしてルーシーの身の周りに起こる不審な出来事。大雪の後で坂道で橇遊びをしていたルーシーの4人の子供たちが大型ピックアップトラックにあわや轢かれるかのニアミスに続き、ルーシーの愛用者スバルが炎上するという事件が起こる。横領で逮捕された元大学総長が図書館のお金に手を出していたかを夫のビルに調べてもらえないかと理事の一人の弁護士から依頼されたルーシーが書類を持って家に帰った翌日は記録的な大雪となる。そこへ理事の一人である建築請負業者のエドが、図書館の屋根から雪下ろしをしたいので手伝って欲しいとビルを連れ出す。胡散臭さを感じたルーシーが図書館の新棟増築書を見たところ必要な資材が納入されておらず、粗悪品が代わりに使われていることを見つける。夫のビルが危ないと図書館へ駆けつけたルーシーが見たものは、屋根の上でもみ合う二人の内の一人が屋根から落ち、勝ち誇ったようなもう一人はずさん建築の犠牲となって崩れる屋根とともに落下する姿だった。ビルは雪の吹き溜まりの上に落ちたので無事だったが、エドは助からず。こうして真犯人が見つかり司書とヘイデンの嫌疑をルーシーは無事に晴らすことができた。


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連続して第3話『ハロウィーンに完璧なカボチャ』へ突入。このシリーズの面白さを探すとすると、決してミステリーや犯罪解明ではなく主人公の主婦、ルーシーの日常生活を垣間見る合間に事件の進展を追うといったところか。今回は前作から1か月半後の出来事。地元の歴史的な建物が放火されて所有者の妻であり内装改築に熱心であった妻が焼死体で発見される。それ以前にも放火と見られる火事が何件か発生しており、田舎町のティンカーズコーヴに住むルーシーは好奇心と正義感を募らせて事件を嗅ぎまわる。その後も歴史ある建物が放火により全焼してしまい、ハロウィーンの夜にパーティが開かれていた旧家の屋敷が燃える。子供のオムツ鞄を置き忘れていたことに気付いたルーシーが取りに戻ったその時、ルーシーは殴られ部屋に閉じ込められて建物に火が回り出すという好タイミング。ハロウィーンのいたずらをしようと外出していた子供たちが気付いて911通報し、ルーシーは間一髪で救出される。被害者という立場になったルーシーは病院から抜け出す際に、火事の被害にあった地元の不動産業者の知人の車に乗せてもらったところ、この男が放火犯で、ルーシーを車に閉じ込めて焼き殺そうとしたその時、夫のビルが駆けつけて救われる。放火犯も逮捕されて一件落着。

素人の主婦探偵ルーシーの事件の見立てというのがこれまた偏見に凝り固まったとしか言いようがないもの。焼死体で発見された女性の夫が、エアロビクススクールを共同経営する女性と不倫しているという理由で犯人だと疑い、その後地元の古いガソリンスタンド所有者を犯人扱いする。自分の気に食わない人間を勝手に犯人扱いして周辺を嗅ぎまわるのだから探偵というよりも田舎町のお節介おばさんといった方が似合うキュラクター。真犯人が判明してからも、一方的に犯人扱いした人々に謝ることもなく、彼らの不法行為やモラルに反する行為が社会的成敗を受けるというルーシーにとって都合のよい物語進行。本当にこんなお節介おばさんが身の周りにいたら堪らないという気になってきたところだ。アメリカ人独自の偏見の持ち方という観点からこのシリーズを読むのもいいかもしれない。

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第二作は『トウシューズはピンクだけ』。第一作で主人公のルーシーが働いていたのは地元のカタログ通販会社の電話注文受付だったのに掛けて、題名が『メールオーダーはできません』となっているのは理解できる。この2作目では、妊娠中のルーシーが仕事を辞めて主婦業に専念しており、二番目と三番目の子供(長女と次女)が習っているバレーの発表会に控えているという設定になっている。そんな折、長女と次女のバレーの先生の先生で、引退してはいるが元は高名なバレー教師だったキャロ・ハットンが突然失踪する事件が起きるところから物語が始まる。事故か自殺か、それとも殺害事件か分からないままに、ティンカーズコーヴでの日々は色々なことが起きながらも過ぎ去っていく。ルーシーの友人の一人であるフラニーは、頑固さと意地悪さゆえに地元民のほとんどから嫌われているモリル・スラックが経営しているスラック金物店で働いている。一生懸命働いても最低賃金から給料が上がることはなく、挙句の果てに売上と在庫をごまかしているとモリルから一方的に決めつけられてしまう。売上と在庫が合わなくなったのは、モリルの孫のベンが手伝いに来るようになってから。ベンは見るからに柄の良くない仲間とつるんでいて、良からぬことをやっているよう。ベンの盗みの証拠を捉えようと、フラニーはルーシーから借りたビデオカメラを店内に見えない場所に設置したのだが、モリルに見つけられてしまう。店の売上をごまかした金で買ったビデオと決めつけた頑固者のモリルはビデオを取り上げて返さない。業を煮やしたルーシーが返却を求めて店に乗り込んだところ、当のモリルがな殺されている現場に出くわす。しかも凶器はふーしーのビデオカメラだった。容疑者として拘束されたのはフラニー。人を傷つけることしかしてこなかったモレルが死んだことで葬儀の日は半ばパーティのような雰囲気。キャロの失踪とモレル殺しは関連があるのか?キャロの自宅に入ったルーシーが目を付けたのは、キャロの古い写真アルバム。昔の写真を見ているうちに引っかかるものがあるのだがそれが何かは思い出せない。もやもやした気持ちを引きずりながら娘たちのバレイ発表会の準備を進める。前作ではクリスマス直前の準備の慌ただしさ、今回はバレイ発表会直前の準備の慌ただしさというルーシーの日常の暮らしが物語の背景となって物語は進行する。ある時、自分たち家族の古い写真を見ていたルーシーは、キャロのアルバムにあって別荘の背景の滝が、自分たちも言ったことのある滝であることを発見。キャロの弟子のバレイ教師、タティアーナと一緒に別荘を訪れたところ、キャロはフラニーの弁護士に殴られて重体。フラニーの弁護士は、キャロの友人の元夫にして、自己所有欲が強いだけではなく身勝手で変態。元妻に対するDVだけではなく、自分たちの幼い娘に対しても性的暴力を加えていたのだが、立証できなかったために娘の親権は夫に属し、元妻は自分の娘の誘拐容疑で刑務所に入れられていた。そんな状況を知っていたキャロ、元教え子の娘を連れて誰にも言わずに自分の別荘に匿っていたのだったが、ルーシーの家にあったアルバムを垣間見た元夫の弁護士がその場所に気付いて追ってきた結果キャロに対する暴行が起きた。暴行の現場には間に合わなかったが、キャロと幼い娘を保護することに間に合ったルーシーは、娘を自分の子供と偽って自宅へ連れて帰る。もちろん弁護士のDV男もそれに築いてルーシーの家へ行ってルーシーを殴る付けて娘の居所を吐かせようとする。その瞬間、モリルの息子の妻、アンマリーが拳銃を持って乗り込みルーシーを救う。弁護士を撃ってしまったアンマリーは、警察での事情聴取時に義理の父親殺しを自白する。これでフラニーの嫌疑も晴れ、弁護士のDV男は逮捕され、娘の誘拐で刑務所に入っていたキャロの教え子も出所できて娘と平和に暮らすことができるようになった。これらすべてルーシーの「大きなお世話」ゆえの結末。最後の最後のシーンは、ルーシーが四番目の女の子を出産する場面でめでたしめでたしとなる。

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「ルーシー・ストーン主婦探偵シリーズ」というタイトルは私が勝手につけたもの。コージーミステリを読み進めて、25番目のシリーズの第一話は『メールオーダーはできません』 原題は『MISTLETOE MURDER』といってクリスマス直前という季節感あふれるタイトルだが、日本語でミッソルトーといってもピンとこないので、カタログ販売会社の電話注文受付係として勤める主人公にあやかってのタイトル。

クリスマス直前のメイン州の田舎町、ティンカーズコーヴにあるカタログ通販会社のカントリーカズンズのコールセンターは大忙し。全国から電話注文が押し寄せ、ルーシーを始め従業員たちはせっせと入電をさばいている。仕事が一服して、眠気覚ましに雪が降りだした駐車場に出たルーシーは、アイドリングしたままの一台の車の排気口から出たパイプが車内に引き込まれているのを見つける。社内の駐車場での自殺事件と思われたが、社内にいたのはカントリーカズンズの社長。業績が悪いわけでもなく、何の不自由もない生活をしている(ように見える)地元のスーパーリッチ社長がクリスマス直前に自殺する訳がない。特に、新しい経営陣に代わった途端に人員整理が行われたとあっては、一従業員として納得がいかず、経営を巡ってのいざこざの線も疑ってしまう。事実、新社長となった弟は、長い間兄の影に隠れて日の目を見なかった存在だったし、自分の出世が頭打ちになっていると感じていたはずのルーシーたちの直属の上司である部長も打開策としてこの事件に手を貸した疑いがある。多分に妄想的ではあるが、好奇心が人一倍旺盛なのがコージーミステリの主人公の特徴。子供3人を抱えて毎日の生活に追われるルーシーは田舎町らしいゴシップあさりの噂話に余念がない。そうしているうちに、友人のバーニー・カルペッパー巡査が地元でも有名な曲がりくねったアイスバーンの道で自動車事故を起こしてICUに担ぎ込まれるという事態が起こる。危険は場所として知られた箇所だが、バーニーはそのことを熟知しているし運転技能には疑いがない人物だったために、単なる事故ではないと疑いが益々大きくなるルーシー。病院へお見舞いへ行った帰り道、近道をしようと地元教会の横手を通ったその瞬間、教会前に飾られているオブジェを見てピンとくる。芸術家である牧師の妻は、宗教活動には手を貸さずにアート作品を作っていた。その一作品が教会の庭に飾られているのだが、黒く塗られた像はが抱き合っている2人の男女にホースがぐるぐる巻きにされているというもの。ホースを触った途端、そのホースが深夜の駐車場で排気口から車窓の中に引き込まれていたホースと同じものと気づく。作者を探して教会内のアトリエにないったルーシーはそこで牧師の妻の自殺死体を発見。牧師妻が残した遺書には、夫の牧師と死んだ通販会社社長の妻との不倫関係が暴露されていた。バーニーの自動車事故も、ホースが同一であることに気付いたバーニーを消そうと、牧師が仕組んだものだった。

探偵事務所を構えるアガサ・レーズンや女王陛下から真相究明を依頼される貧乏お嬢さまとは異なり、この主人公のルーシーは事件究明に割く時間が圧倒的に少ない。妄想ともいえる興味本位の疑念を次々に思い浮かべながら毎日の生活に追われるように日常を過ごしている。「生活感あふれるミステリ」という言葉が本の裏表紙に書かれていたが、このシリーズの特徴を挙げるとしたら「生活感あふれる」という言葉だろう。事件の結末が唐突ではあるものの、ミステリとしてよりも生活感あふれる田舎町の日常風景を楽しめる作品でした。

使いすぎでクレジットカードの番号がすり減って消えてしまうのではないかと心配になるほど、すさまじい勢いで買い物を片付けていった。
子育て、主婦業、通販会社の深夜電話受付係として忙しい毎日を過ごす上に、夫を亡くして活きる気力も持てない母親をクリスマスに家に迎えて面倒を見るルーシーが、空いた時間を見つけて家族のためにプレゼントを買う場面が目に浮かぶようだ。

「こんなものを食べちゃいけないんだけど。吹き出物ができちゃうわ」
「人生、たまには危険なこともしなくっちゃ」

バーガーキングに寄ったルーシーと友人のスーの会話。脂ぎったハンバーガーが「人生の危険」という大袈裟な言い方も好きだ。
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その29 歴史と秘密のホテル・シリーズ(オードリー・キーオン著)

2024年03月26日 | 読書雑感
第2話『新米フロント係、支配人を憂う』では、アイヴィーが信頼と尊敬をささげている支配人のフィグが殺人犯として逮捕される。第1作ではアイヴィーが心を寄せているシェフのジョージが容疑者として拘留され、今回は支配人に容疑が掛かる。アイヴィーと関係が深い人物が容疑者になるというのがシリーズのお決まりらしい。ということは、第3話では父親かホテルのオーナーであるクラリスタが容疑者になるのかな。今回は墓石愛好会というサークルが年に一回の勉強会を開催するためのホテル1911に揃って宿泊することとなった。しかも、メンバーはホテル敷地内にある墓石も研究するらしい。施設内に墓石があるということは、祖先のお墓が施設内にあるということになることをアイヴィーは知って驚く。庭園に置いてある彫刻が実はアイヴィーの曽祖父と曾祖母の墓石なのだとホテルのことならなんでも知っている支配人が教えてくれた。それでは、身を持ち崩しこの豪邸を手放さなくてはならなくなった祖父と祖母のお墓も施設内になるのかと気になってくるアイヴィー。神経系の病気を抱えながらもこのホテルでアイヴィーが働く理由の一つは自分の祖先たちに関する情報を得るため。その手掛かりが身近にあったことを墓石愛好会が教えてくれた。良いことばかりではない。今回の事件は、墓石愛好会のメンバーの一人が殺されて起きる。事件発生時、メンバー全員は施設内の墓石巡りをしているところで、殺人事件があったスイートに上がることができたのはフロントに詰めていた支配人のフィグだけという状況証拠で警察に拘束されてしまう。有能この上ない支配人を失ってホテル運営は危機に。穴埋めのために予定外のシフトをこなしつつ、アイヴィーは敬愛する支配人のために真相究明に取り組む。

直前まで読んでいたのがアガサ・レーズンのシリーズだったため、スピード感溢れる特急列車から各駅停車に乗り換えたかのようなスローな物語進行に戸惑った。パニック障害を患う主人公のように、一歩一歩こわごわと着実に歩を進めるのがこのシリーズだ。それでいた妄想と紙一重の推理に基づいた行動が続くので、あっちこっちに振られる。それを地道に一歩一歩着実に踏み進めていくのだから、なかなか興が乗らない。半分を過ぎた頃からやっと面白さが出てくる。フィグが持っていた昔邸宅だったころの古い設計図があったことをアイヴィーが思い出し、設計図面から殺人が起こったスイートに行ける秘密の通路がないかと探ったところ、かつて使われていた料理用エレベーターがスイートルームのクロゼット奥にあることを発見。しかも、そこには急いでいた犯人が残したと考えられる衣服の切れ端が残っていた。それに、墓石愛好会のメンバにはそれぞれ何らかの不審ごとを抱えている。殺された女性の同伴男性は、愛好会メンバーである女性企業家出資者で、殺された女性はその会社の従業員だという。職場内での諍いかとも域や、企業家は被害者の姉だった。しかも、被害者が働きだす前にそのポストに就いていたのが同伴男性の前妻。どうも被害者が前妻の仕事を奪っただけではなく、愛人の地位も得たらしい。そんなこんなで関係者全員が犯人であってもおかしくない状況の中、事件にかかわりなさそうな老婦人2名のうちの1名が犯人であることが判明。はるか昔、大学時代に論文の課題テーマを盗まれた恨みを晴らすべく犯行に及んだのだった。被害者の同伴男性がその女性から研究テーマを盗み、それ以来学会で出世街道を幕臣。盗まれた女性はさえない高校教師として長年勤めていたのだが、夫に去られる事件からすべての不幸の始まりであった研究テーマ盗用を許せなくなり、今更ながらだが復讐の鉄槌を下した。殺された女性は、不法労働者が雇用することで会社の金を着服し、それを上司である経営者の夫に貢いでいたと言うドロドロの関係が明かされるのだった。

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20世紀初頭にアメリカ大富豪が建てた屋敷を改装して営業しているブティックホテルがテネシー州の東南部のチャタヌーガーにある。古き良き時代の南部を思わせる佇まいに魅せられたオーナーは、富豪一族が残した1911年撮影の写真の通りの装いとマナーとを従業員にさせることで時代趣味を徹底させている。フロントデスクの上には1911年の新聞が毎日印刷されて置かれている。そして、「ホテル1911」というのがこのホテルの名前。このホテルのフロント係として働いている28歳女性、アイヴィー・ニクルズがこのシリーズの主役。第1話は『新米フロント係、探偵になる』。アイヴィーはパニック障害を抱えているために大学を休学せざるをえなくなり、ホテルで働いている今でも、いつ発作が起きるかどうかを心配しながら綱渡りのような日々をおくっているという28歳だが、実はこのホテルを建てた富豪モロー家の末裔。自らのルーツであるこの屋敷を改装したホテルで働けることを誇りとしつつ、幼き頃に失踪した母の面影をホテルにだぶらせている。そんなアイヴィーが働いていた週末に、甲殻類アレルギーを持つ老婦人が食事中に死亡すると言う事故がおきる。警察が調査したところ、アナフィラキシーショックであることが分かり、有能シェフは拘留されてしまう。アイヴィーにとって幼馴染で、心理的に不安定なアイヴィーが心から信頼できる数少ない友人の一人を救うために、素人探偵として事件究明を心に誓うアイヴィー。当然のこととして、その日の宿泊者全員が容疑者候補。フロント係という立場を利用して部屋に出入りして、怪しい品々を探し出す。殺された老婦人は食品会社のオーナー社長で、いい年をしている一人息子を差し置いて今でも社業を取り仕切っている。夕食テーブルで被害者ときつい言葉のやり取りをしたもう一人の老婦人ローズも訳ありげで怪しい。一見非の打ちどころがなさそうな完璧マナーの一家4人家族、一人で滞在している実業家のヘマル、もちろん被害者の一人息子ジェフリーも遺産相続を考えると重要な容疑者だ。見つけた怪しい点を警察に届けるものの、警察はアレルギーが原因であることからシェフの有罪を信じてこれ以上の捜査をしてくれそうもない。捜査に一層の熱が入るアイヴィー。ジェフリーが郊外に土地を購入し、そこで違法なことをやっていることを見つけるアイヴィー。土地購入の取引を承認するかどうか決めるために被害者がわざわざシカゴから南部の街へ来ていた最中の事故である以上、土地購入を邪魔されたくない息子の容疑が濃くなる。そしてその近隣の土地を高級住宅地として開発して販売しようと計画しているヘマルにとって、ジェフリーの動物飼育施設は邪魔もの以外の何物でもない。ここに怪しい。その上、もう一人の老婦人ローズはジェフリーと恋仲のようだ。結婚に反対する母親に消えてもらうことができれば好都合。こんな風に、アイヴィーは次々と怪しい点を見つけていくのだが、これらは妄想と紙一重といってもいいくらい。ここにパニック障害という心の病を抱える主人というキャラクターがダブってくる。真犯人はホテルに出入りしている野菜製造所の従業員。ジェフリーの動物飼育施設によりオーガニック野菜栽培が不可能となる大打撃をこうむる農場経営者に恋している従業員が、海老のエキスを吸わせたじゃがいもをホテルに届けて調理させたというトリックだった。
妄想と紙一重の推理、そして大袈裟な譬えがこのシリーズの特徴と見える。例えば、
いっぽうジェフリー・スウェインは表面がでかってすり減ったタイヤのようだ。
ジョージはラクダ並みの辛抱強さと六人の子を持つシングルマザーの野心を兼ね備えている。
ボタンをとめ、一点の曇りもなく清潔で、おそらく手の込んだマスタードを食べている類の子供たちだ。
わたしは午前10時にツートンカラーのナメクジのようにベッドから這い出した。


分からなくはないが、イメージを思い浮かべるのに苦労する比喩であることが多い。その上、ユング心理学に多大な興味を有し大学で心理学を学んでいた人物として、ユング心理学をところどころにちりばめている。
ミズ・スウェインのふくれあがった自尊心と特別扱いへの期待について考えた。カール・ユングなら典型的なナルシシズムと言うだろう

ローズは殺された老婦人の息子と恋仲なのではなく、殺された老婦人と女学校時代からの友人であり恋仲だったと告白する。二人の恋は実らず、ローズは恋を心の奥底にひそめたまま独身を貫いたが、アメリアの方は結婚して子供を作った。2人の生き方をローズはこう言う。
「わたしは社会に背いた。アメリアは自分の心に背いた」

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コージーミステリを読み耽る愉しみ その26 死ぬまでにやりたいことリスト(エリザベス・ベローナ著)

2024年01月04日 | 読書雑感
『恋人たちの橋は炎上中!』というのが第2話の題名。死ぬまでにやりたいことリストの完成に向けて努力中の仲良し5人組みの今回のテーマは「セクシーは写真を撮る」というもの。大昔にフランシーンの曾祖母が馬車の御者と身分違いの恋に落ちたという物語をもった地元の古い屋根付き橋で撮影をしていたところ、突然銃声が聞こえる。男が一人現れたかと思ったら倒れて河の中へ落ちる。助け起こしてみるとフランシーンの遠い親戚の男だと分かる。一体何をしていたのか、そして銃を撃ったのは誰か?ジョイはTVレポーターとして活躍しているし、メアリー・ルースはケータリング事業が上手くいって地元の物産展に出品中。物産展を手伝いがてら古い橋でピンナップ写真を撮っていたのであった。橋のすぐ近くに広がる広大な土地は、昔薬草から作った薬で莫大な富を築いた男のもので、男が稼いだお宝が土地に埋められているという噂をまことしやかに囁かれている。いまでもその噂を信じて土地に入り込む輩がいるらしい。フランシーンの遠い親戚もその一人なのか。ならば銃撃したのは土地所有者なのか。親戚の男は狙撃されていたわけではなかったが修養されていた病院で死んでしまう。狙撃に続いて起こったことは、写真撮影に使った由緒ある古い屋根付き橋が放火されてしまう。これもジョイがレポーターとして全国に伝えた最中にフランシーンのセクシー写真が世に出てしまう。前回のプールに落ちたサンドレス姿のフランシーンの写真も再び人々の記憶に甦る。親戚の一人が死に大事な思い出の橋が燃やされてしまったフランシーンを助けようと親友のシャーロットが今回も探偵役を引き受ける。メアリー・ルースの手伝いもそこそこに二人は情報収集に勤しむ。偶然に謎の土地所有者と知り合い招待される5人。在来植物を育てる温室を見せられている間に男の家が燃え出して男は行方不明に。これも全国へ中継することに成功したジョイはTVレポーターとしてキャリアを積み上げていく。死んだ親戚の男がポケットに入れていた液体入りの瓶、そして似たような瓶を男の妻も持っており、しかも男の車のトランクにも大きな瓶が入っていたことを見つけたフランシーンとシャーロット。瓶に入っていた液こそがその昔、莫大な富を生み出した薬として売られていた液体だった。しかもその液体は土地の一部にしか湧き出さない命の水で、これを飲んでいた土地所有者と親戚の男が経営する老人ホームに入っていた老女は、その昔に身分違いの恋をしたフランシーンの曾祖母と御者であったというのだから驚き。秘密を知っていて水を飲み続けていた二人は100年を超える年月を生きていたことになるという摩訶不思議な落ちがある物語だった。

このシリーズの2作目の途中まで読み進めた時に突然にわかったことは、このシリーズは5人のキャラクターの描き分けにこそ愉しみがあるということ。ガサツで思い込みが深く身勝手なシャーロットと上品で良識と嗜みがあるフランシーンを両極端な人物として設定され、お人よしで料理上手なメアリー・ルース、TVレポーターとしての才能を開花させて輝きだすジョイ、第1作の事件の影をいまだに引きずっているアリスの3人はシャーロットとフランシーンの中間に置かれている。それぞれがやりたいことリストを持っている5人のキャラクターの違いは、「私」や「あたし」、語尾の違いや表現の丁寧さやガサツを通して描き分けられている。ここに気付くのが遅かったとはいえ、読み込む愉しみが発見できたことはいいことだった。

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ブリッジが縁持つ仲良し5人組み。いずれも70歳を超えるシルバー世代の元気なお婆ちゃまがただが、彼女たちが夜更けに集まってやっていたことは真っ裸で泳ぐこと。5人組みの一人、ジョイが”死ぬまでにやりたいことリスト”の10番目に挙げていたことがこれで、後の4人もそれに倣って夜更けのシルバー世代パーティに参加したのはいいが、誰もが自分の体形に自信が持てないためにプールに入れない。メンバーの一人でケータリング事業をやっているメアリー・ルースが異様な匂いに気付く。匂いの元は、プール小屋に隠されていた死体だった。はかならずも死体の第一発見者となってしまった5人は警察の事情聴取を受ける。全裸のままで泳ぐために集まっていたことが世間に広まり、全米ネットワークABCまでニュース番組に取り上げる始末。テレビに出ることをリストに挙げていたジョイは大喜び。早速メディアコンサルタントを雇うが、主人公のフランシーヌにとっては面倒極まりない。地元のレストランにランチに出かけたところ、あちこちのテーブルからスマホで撮影されるほどの注目を集める存在になっている。死体は地元のカーメカニックの男で、プールのある自宅を持つアリスの夫と訳ありな関係らしい。仕事の都合でラズベガスへ行っていたはずの夫が、実は予定を早めて帰っており、殺人当日のアリバイがない。親友の窮地にフランシーヌとシャーロットは事件究明に乗り出す。幸い、担当の警察官は幼い時から二人がよく知っていたものだから文句も言えない。年くっていることがプラスに働く。警察官が逆らえない素人探偵団なんて設定は今までのコージーミステリではなかった。ミステリー小説が愛読者だというレベルの二人がドタバタの捜査を始めるや、新たな証拠が次々に都合よく見つかる。メンバー5人はそれぞれの”やりたいことリスト”があるから行動はバラバラなのだが、それでも都合よくそれぞれが何らかの役割を果たせる。犯人はアリスの家に隣に住む迷惑女のダーラ・バッゲセン。クーガー女のダーラはカーメカニックの被害者と火遊びの関係だったが、娘のレースカーのメカニックとして体よく使えると考えたダーラが欲と得の二重取りから仕掛けた罠だった。それに気付いて関係を終わらせたかったメカニックを殺して、日ごろから癪な存在であったアリスのプール小屋に死体を隠して知らん顔を決め込んでいたのが事の真相。事件を解決することw”やりたいことリスト”に挙げていたシャーロットは目出度く望みを果たすことができ、親友のお役にたてたフランシーヌも嬉しいかぎり。

「あのケーキには中毒性がありますよね。秘密の材料は何ですか?まさかコカインとか?」
ケータリング業者のメアリー・ルースが造るチョコレートケーキがあまりに美味しいものだから、彼女のダイエット指導を行うことになったジムのインストラクターがポロっともらした台詞。

「あの子とは経済のクラスがいっしょなんです」
「うん、経済ね。需要と供給か。あの子が必要としているものをあんたはちゃんと供給できてるかい?」

年を取った特権の一つは、暴言が許されること、マイルドなものであれば。女の子に「供給できているかい?」と訊くなんて、若いものならできない。〇〇ハラと言われてしまうが、年寄りならば多少の暴言も許される。経済から需要と供給をひねり出し、それを男女関係に当てはめるなんて小憎らしい
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その27 お騒がせレポーター・シリーズ(スパークル・ヘイター著)

2024年01月04日 | 読書雑感
第2話は『ボンデージ!』と俄然刺激的なタイトルになる。しかも、表紙の絵は腰に銃を置いてシースルーな服を着た美女が赤毛をなびかせている。今回の取材対象がSMクラブというのだから、タイトルも表紙絵も理解できるというもの。そんなお騒がせレポーターのロビンの周りで働く男性社員が狙撃されるという事件が起きる。最初の被害者は、同じ建物内で開業する婦人科医師。ロビンが定期健診に訪れる予定であった時刻に殺されていた。ロビンには医師側からのキャンセル連絡が突然入っていた時刻だった。死体の傍にSMクラブのマッチが捨てられており、バツ2にイケメン医師の素行があぶりだされる。数々の女性と火遊びをしていた上にSMクラブの常連だったのか。状況証拠が示すとおりの姿を取材して扇動的なニュースにするように上司から指示されたものの、ロビンには違和感がある。それでも経営的問題から首切りが行われそうな社内の雰囲気を考慮したロビンは大嫌いな上司に逆らうことなく取材へと赴く。SMクラブ主宰の女王様の態度に嫌悪感を感じるとともに演技っぽさも感じるロビン。そうしているうちにロビンと仕事で関係する男性社員が何者かに狙撃される事件が相次ぐ。狙撃されたニュースキャスターたちは、放送内でロビンがとんでもない女で深い関係がないと身の潔白を訴えだす。ますます評判が地に落ちるロビンだった、住んでいるアパート近隣でロビンを訪ねてきた男が銃殺される事件が起きる。名前も顔も全くの記憶がない男なのに何の用でロビンに会いに来たのか?何らかの情報を渡しにきたのではないかとにらんだロビンは、医師殺害事件とこの男を結びつけて考える。銃撃の犯人はロビンが働く放送局の保安担当者で、精神病院に入っていた時期からTVに登場するロビンに一方的に入れあげていた男だった。そんな精神異常者がロビンの周りをうろつく男たちを排除しようとして事件に及んでいた。最後の最後でこの男に囚われたロビンはボンデージ姿で監禁されてしまう。しかも大嫌いなモーおばさんと一緒に。犯人の一瞬の油断をついた二人は逃げ出し、追いかけてきた男はNY市内の韓国人が経営する店で射殺されて一件落着という今回もハチャメチャもロビンの行動記録でした。小説として読んでいるのであれあ「面白いね」で済むが、もしこんな女と一緒に働くとなると気が変になりそうなくらいに自己中心的で思い込みが先行する女性レポーター。

まだほんの37歳だけど、業界では高齢。テレビの世界では、人は犬並みに年を食う
ドッグイヤーという単語がITの世界から飛び出して20年くらい経つだろうか。今ではITに限らない世界で使われるようになってしまった。

「”男に仮面をつければ、祖も男の本性が見える”と言ったのはオスカー・ワイルド。”女の手に鞭を持たせたら、その女の本性が見える”これはわたしのこと」
「愛とセックスと痛みと罰はすべて、堅く結びついているの」

どちらもSMクラブ主宰の女王様の御言葉。オスカー・ワイルドが本当にこんな台詞を吐いたかどうかは知らないが、著名作家の警句を引用しながら自分なりの変形を付け加えるというのも中々のレトリック技だと思う。

わたしたちが興味を引かれるのは、おふたりの関係の哲学的側面ですから
女王様から実演を見せようかと言われた時にロビンが断りとして口にした台詞。哲学的側面と言って婉曲に断るところに知性の断片が見えるのです。

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『トレンチコートに赤い髪』という題名から、ボガードを女にしたようなハードボイルドな探偵ものかと思ったところ、あにはからんや主人公のTVレポーターはステファニー・プラムばりのドタバタ喜劇的な行動がジェットコースターのように続くミステリだった。NYのニュース専門TVチャンネルANN(CNNのもじりだろう)で働く主人公のロビン・ハドソンは、折角掴んだ絶好のチャンスであるワシントンDCでの定例記者会見の場で、小さな音も拾う精巧なマイクの前で盛大なげっぷをするは、死んだ仲間の肉を食べることで極限状態をかろうじて生き延びた生還者に対して「どんな味がしましたか?」などと場と空気をわきまえない質問をしてしまうは、TVレポーターから降格されて社内のシベリア送りと言われる部署へと転属されている。夫だったイケメン男は、社内の若い美人と再婚すべくロビンの元を去っている。アパートの階下に住んでいる老女は、使用している補聴器の音量調節が下手なので、ロビンがいつも乱痴気パーティーを開いている淫売女と思い込み、会えば必ず携えているステッキでロビンに殴りかかる始末。そんな不幸の塊のような35歳女性のロビンが恐喝にあう。初体験の相手から過去にやった諸々の人には言えないことをネタに恐喝してくる男が出てくる。時は年末、社内の大晦日パーティの場で恐喝者からホテルの部屋に来るようにメモを渡され、行きたくはないが行かざるをえない状況の中で部屋を訪れたものの、ノックしても返事がない。これ幸いと家に帰ったところ、翌日その部屋で恐喝者であった私立探偵は惨殺死体となって発見された。当然警察から事情聴取されるための連行されるロビンが警察署から一足外に出ると、各社のTVレポーターがロビンに群がり遠慮もなしにカメラやマイクを突き出してくる。映像はTVニュースに流れるばかりではない。ぶらりと寄った新聞売りスタンドで新聞を買おうとしたところ売り子からは代金不要と言われる。各紙の一面にロビンの顔写真入り報道記事が出ていることに同情したのか恐れたのかは分からないが。こうして、追う側が追われる側に転落。ニュースをゴシップなみに扱っているアメリカ社会への風刺を織り込んでいきながら、名誉挽回のためにロビンは殺された私立探偵のことを調べだす。恐喝されていたのは自分でけではなかった。社内の複数の人間は恐喝の餌食となっており、ANNは社員に「芳しくない過去」を自主的に申し立てるようにメモを回す。有名レポーターは自分の過去が暴かれる前にカメラの前で次々にカミングアウトして、ニュース専門TVは世間のニュースを追わずに社内の芳しくない過去を他局のネタとして提供するという見苦しい日を送る。恐喝されていたのは元上司のグレッグと一緒に働いていた社員ばかりであることを突き止めたロビンは調査の網を狭めていくが、そんな中肝心のグレッグがあられもない姿で殺されているのが発見される。しかも死体の局部に固定されていたのはロビンのティーザー銃。結局のところ、一連の犯人は夫の婚約者の若い女性レポーターのエイミーだった。過去の元上司のグレッグとの情事のみならず中絶手術のことをネタに恐喝されていたエイミーが犯行に及び、恐喝者を雇っていたグレッグも殺した上に、これらをロビンの擦り付けようと画策していた。窮地を気まぐれな飼い猫に救われたロビンが隠しカメラで撮っていた映像が証拠となり犯人は逮捕。ロビンは事件解決に大いに協力できて万々歳。それにしても登場人物が多すぎて、誰が誰だか確認しながら読み進めるのは骨がおれた

優秀な学者は人を救い、しれができない」学者は人に教え、それもできない学者はテレビ界で働くってこと
放送枠を持っている心理学博士を評価してのロビンの辛辣コメント。他人をリスペクトせずに批判的な立場をとることでアイデンティティを確保しようとするアメリカ人ならでは態度が出ている

女はおっぱいを運ぶ乗り物でしかないって信じている男
巨乳好きのエロ上司のお頭の程度を言い表すロビン流の一口コメントだ。

「血の匂いを嗅ぎつけたら最後、ピラニアみたいに獲物に殺到して食い尽くすのよ。出版の自由万歳。そんなこと言ってられるのも、追われる立場になるまでだわ」
いつもは人の不幸を追いかけているレポーターが一転追われる立場になった、そんな瞬間を経験したからこそこんな台詞を口にできるのだろう。でも、翌日になれば綺麗さっぱりわすれて人の不幸を追いかけ続けるのだろうが。

フロイトはなんと言うだろうか?
女性蔑視的な発言をするレポータについて述べる時に、ポロリと落ちていた一言。学の深みを感じさせるネタとして使われるなんてフロイトは墓場でどう思っているのだろうか?

「どうして私と結婚したの?仲間を救うために手榴弾に身を投げ出す男の心境だったとか?(中略)断崖絶壁の縁に立って、深い谷底を見下ろしているうちに、ついに飛び降りたくなる男の心境?」
「堕ちるスリルだよ。どんどん君を愛し始めた時期は、ぼくの人生に最良のときだった。でも、堅い地面に激突するのは時間の問題だった」

自分の元を去っていった夫の会話。ロビンがハチャメチャな人生をおくっていることを再確認させるとともに、それを好きになった男の哀れさも醸し出しながら結局は二人ともいい人間にしてしまっている

愛ってあまり信用していないの。わたしの人生は、共犯者を求める終わりなき旅かも
社内のイケメン男、エリックに言い寄られて彼のアパートでワインを飲みながらロビンがこんな台詞を吐く。自身が自分のハチャメチャな人生や行動、性格をよく理解しているってことを読者に知らしめ、そんなダメな自分を愛するロビンを嫌いにさせないような作者なりの工夫かな。
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『語彙力を鍛える』 (石黒圭著)

2023年12月04日 | 読書雑感
人間の思考力を規定するのは言語力であり、言語力の基礎になるの部分は語彙力に支えられています。

語彙力=語彙の量(豊富な語彙知識)×語彙の質(精度の高い語彙運用)

語は内容語と機能後に分けて考えるのが一般的です。内容語は、名詞・動詞・形容詞など、実質的な意味を持つ語であり、日本語の場合漢字やカタカナで表されることが多い語です。一方、機能語は、助詞・助動詞・恩動詞・接続詞など、文法的な機能を持つ語であり、平仮名で表されることが多い語になります内容語を扱う能力は語彙力と呼ばれ、機能語を扱う能力は文法力と呼ばれます。語彙力と文法力は車の両輪であり、この二つがそろって初めて、スムーズな言語運用が可能になります。

よい言葉を見つけるのはなかなか難しい作業ですが、使っている言葉がしっくりしないと直感的に感じたら、それに優る言葉をあれこれ模索することが必要です。

和語のなかの漢字一字を意識して二字漢語を作ると、書き言葉にふさわしい語彙に変更できます。(例:人付き合い⇒人間関係、世の中⇒世間、木⇒樹木)

■語彙の「質」11の観点
誤用:今時銀行に虎の子を預けても、たいして金利(⇒利息)はつかない
重複:手元にあると管理が不安なので、銀行に預金を預けてある(⇒預金してある)
不足:一度申請しておくと、定期(⇒定期預金)を自動で積み立てることもできる
連語の相性:ながらく放置してある銀行口座をやめる(⇒解約する)方法を知りたい
語感のズレ:急激なインフレによる預金額の目減りが期待(⇒懸念)される
語の置き換え:サック実友人に頼んで、1万円札(⇒諭吉先生)を2枚借りた
語の社会性:一店舗あたりの銀行員と女子行員(⇒銀行員)の数が減りつつある
多義語のあいまいさ:インフルの治療費は医療保険(⇒民間の医療保険)の保障対象外だ
異なる立場;個人投資家の投資は、時として大胆(⇒無謀)だ
語の感性:いくら稼いでも、税金をがっぽり(⇒ごっそり)持っていかれる
相手の気持ち:(申し訳ありませんが)規定により、中途解約には応じかねます(⇒応じられません)
心に届く言葉:擦り切れることのない財布を作り、尽きることのないと見を点に積みなさい

単純な動詞を使うと、それだけでは力が弱く感じられることがあります。そうしたときは、その動詞の意味に含まれる名詞、特に身体名詞を使った組み合わせにすると、読み手にたいする印象が強まります(例:見る⇒目にする/目に触れる、聞く⇒耳にする/耳を傾ける、行く⇒足を運ぶ/足を動かす)

対立する言葉を並べ、打ち消しながら進む展開のなかで、言葉は力を帯びてきます(例:『「時間やねぎらいの言葉」はなく「やめないでという思い」、「寂しい」ではなく「悲しい」』)



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『十二夜』 (シェイクスピア著)

2023年10月26日 | 読書雑感
ヴァイオラ:おなたのお人柄は分かりました、気位が高すぎます。
  だがたとえあなたが悪魔だとしても、実にお美しい。
  私の主人はあなたを愛しております。あのような愛には
  報いてあげなければなりません、たとえあなたが
  並ぶものなき美人であっても。
オリヴィア: どのように愛してくださるの?
ヴァイオラ: 神をあがめるように恋焦がれ、涙は滝のごとく、
  切ないうめき声は嵐のごとく、ため息は火を吹かんばかり。

(第一幕第五場)


公爵: だからおまえも年下の女を恋人を持べきだ。
  さもないとおまえの愛は長続きしないぞ。
  女とはバラの花、その美しさははかないいのちだ、
  散っていくのも一瞬、咲かないかのうちだ。
ヴァイオラ:それが女です、悲しいことにそれが女です、
  花の盛りと見えるときが、散り行くときとおんなじです。

(第二幕第四場)


セバスチャン: ありがとう、アントーニオ、
  おれにはありがとうと言うほか何の俺もできない、
  ほんとうにありがとう。このようにせっかくの好意が
  ただの言葉でしか報いられない例はよくあること、
  だが、おれの財産がおれの真心のど豊かであれば
  ちゃんとお礼がしたい気持ちはわかってくれ。

(第三幕第三場)
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形容詞を使わない大人の文章表現力 (石黒圭著)

2023年10月10日 | 読書雑感
料理を作って親しい友人やお客様に出すとき、食べられればよいとばかりにそのままだすことはなく、器や盛り付けに気を配り、おいしそうに見えるようにする。文章も同じで読み手に伝わらない言葉、伝える力が弱い言葉を修正し、文章に一手間加えること、それがレトリックの本質。

基本的な考え方は「形容詞を避ける」こと。直感的に出てしまう形容詞に一手間を加え、どのように力のある表現に変えていくか。そのための9つの引き出し。

1. 大雑把な表現を排する(直感的表現から分析的な表現へ)
① あいまいさを避ける「限定表現」

 ・「すごい」は、意味が漠然としているため、他の言葉で言い換える。
   ポイントは、「何がすごいのか」「どうすごいのか」、漠然とした「すごさ」を言い換えで表現すること。
   人間の身体はすごい⇒人間の身体は精巧に作られている
   甲子園球場の声援はすごい⇒甲子園球場はスタンドの声援が熱狂的だ
   藤井聡太はすごい⇒藤井聡太は読みの力が群を抜いている
 ・「おもしろい」では伝わる内容が薄い。自分の興味を分析的に捉えて伝える
   日本のアニメは面白い⇒ストーリー性?映像の鮮明さ?主人公のキャラ?登場人物の設定?
 ・両義の形容詞に気をつける
     アルコールは大丈夫です、デパ地下がやばい
② 個別性を持たせる「オノマトペ」
   擬音語、擬態語で状況がイメージしやすくなり、より豊かな表現が可能となる
③ 詳しく述べる「具体描写」
 ・「かわいい」、「すばらしい」、「怖い」は、具体的に、意実に即した言葉に換える
  このネックセル、かわいい!⇒このネックレス、くりぬいたハートの中に輝く真珠がはいっていてエレガントなデザインだ
 ・形容詞を動詞で具体的に描写すると表現が力強くなる
  すばらしいお母さまですね⇒子供の言葉をきちんと受け止められる優しいお母さまですね

2. 自己中心的な発想を排する
④ 明確な基準を示す「数量化」

 ・「多い」「少ない」、「さまざま」、「いろいろ」等は発言者の主観的・相対的な基準に基づいているため、相手に正確に伝わりづらい。
  そのため、客観的な基準を伝え、具体的な表現にする
  この焼き鳥屋は休みが多い⇒この焼き鳥屋は土日にしか営業せず、店が開いている日よりもしまっている日の方が多い
  ホテルを選ぶポイントはさまざまある⇒ホテルを選ぶポイントは、部屋の広さや清潔度、朝食のメニュー、料金など、さまざまなポイントがある
⑤ 事情を加える「背景説明」
  断ったり言い訳をする際には、背景を説明して相手の気持ちへ配慮する
  いま忙しいんでダメです⇒締切間際の仕事を抱えているので、今は手が離せないのです
⑥ 出来事を用いる「感化」
  「幸せ」や「せつない」といった言葉では自分の気持ちが相手に伝わりづらいため、形容詞を動詞に換えて事実や出来事として描写したり、状況を詳しく説明する
  「せつない」事例:病室で、白い布をかぶせられてベッドに横たわる娘にすがりすいて号泣する母親

3. ストレートな発想を排する(直接的表現から間接的表現へ)
⑦ 表現を和らげる「緩和」

 ・否定表現はヒトひねりしたり別の見方を探す
  うわー、不味い!⇒ちょっと私の口に合わないかな / きっと好きな人にはたまらない味なのでしょうね
⑧ 裏から迫る「あまのじゃく」
 ・表現が直接的すぎる形容詞の代わりに、対極的・前向きな見方をしてみる
  つまらない会議だった⇒今日の会議は面白ことは少なかった / 今日の会議は報告事項が多くて新鮮味に欠けた
  厨房がうるさい⇒厨房の声が大きく、テーブルでの会話が不自由だったのは残念でした
          / 厨房をもう少し静かだと、落ち着いて食事ができたのにと感じました

 ・ネガティブな言葉を使って自分の感情をストレートに出さずに、ポジティブな表現な表現に換える
  悔しい⇒残念な気持ちになった / いい勉強になった
 ・肯定的かつ具体的に言い換える
  退屈な人生⇒面白ことは週1回ぐらいしかない / 毎日、同じことの繰り返しだな
⑨ イメージを膨らませる比喩
 「目を閉じていきを吸い込むと、それがやさしい雲のように僕の中にとどまる」(村上春樹独特のひと手間加えた表現)
 大きな土地⇒東京ドーム3つ分の広さ
 ・陳腐な比喩は別表現にする
  死ぬほど暑い⇒焦げ付くほど暑い / めまいがするほど暑い / 命が危険にさらされかねないほど暑い
   「暑い」のは日差しの強さ?気温の高さ?身体への影響?


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『戦史』 トゥキディデス著

2023年08月16日 | 読書雑感
大きな判断をはばむ大敵が2つある。すなわち、性急と怒気だ。性急は無思慮に陥りやすく、怒気は無教養の伴侶であり狭隘な判断を招く。また誰であれ、理論をもって行動の先導者たらしめることに頑迷に異論を唱える者は、暗愚か偏見か、そのいずれかのそしりを免れない。なぜ暗愚かと言えば、見通しの定かならぬ未来の帰趨を言葉以外の方法によって説明できると考えるからである。また、なぜ偏見かと言えば、醜怪な説を通さんと欲しながら、己の弁明の術をつくせば、反論者を脅迫し反論に耳を傾けるものを脅迫できると考えるからである。
だが、何よりも始末におえぬ手合いは、反論者は買収されて巧みな説を売っていると相手を頭から非難する人間ども。なぜなら、相手の認識不足を指弾するにとどまれば、論戦に敗れたものも知性に劣りを見せたかと思われるであろうが、己の徳性は傷つけられずに議論の場をを去ることができる。だが、いったん不正なりとの中傷を被った論者は、よし説をと教えても世人の疑惑を免れがたく、もし説が敗れれば知徳ともに劣るものと言われよう。これによって損をするのは我らの国、人は中傷を恐れ、衆議を集めることができなくなるからだ。
(中略)しかしながら、きわめて重大な問題について、しかもかくのごとき条件を覚悟で提案者の立場に立つ我々は、諸君の近視眼的視野よりはるかなる展望のもとに論を進めているのだ、と考えてもらいたい。のみならず、我々は己のなす提案について後刻責任を問われうる立場から、なんの責任も問われない聴衆という立場にある諸君に話しかけねばならないのだ。
(巻三 ディオドトス)

諸君は常々話を眼で眺め、事実を耳で聞くと言う悪癖を培ってきた。口達者な連中が、かくかくの事件がやがて生じうると言えば、その通りかと思ってそれに目を奪われる。だが事が起こった後になっても、事実を己の目で見ても信じようとせず、器用な解説者の言葉にたよっ耳から信じようとする。そして、奇矯な論理でだぶらかされやすいことにかけては、諸君は全く得難いカモだ。とにかく一般の常識には従いたがらない。なんでも耳新しい説であればすぐその奴隷になる。だが尋常な通念にはまず軽蔑の念をいだく。しかして誰もかも、雄弁家たらんことを熱望しているば、それも現実には叶わぬ夢とあっては、われがちに名聴衆たらんと狂奔する。雄弁家のむこうを張って、ただ考えるだけなら弁者の公人を拝するものかとばかりに、弁者が鋭い点を突けばその言い終わるを待たず拍手喝采し、言われる前から先に先に冊子を付けようと夢中になるが、提案から生じうる結果を余談することにかけては遅鈍そのものである。(中略)要するに、諸君は一国の存亡を議する人間というよりも、弁論術師を取り巻いている観衆のごとき態度で美辞麗句にたわいもなく心を奪われているのだ。(巻三 クレオン)

注:古代ギリシャの民族
移動の第一波として前20世紀頃、アカイア人がバルカン半島に南下し、のちにミケーネ文明を成立させた。移動の第二波として前12世紀頃ドーリア人が南下し、ミケーネ文明の滅亡とあいまって、ギリシア各地に人々は移動・定住した。定住後のギリシア人は、方言によって、東方方言群(イオニア系・アイオリス系)と、西方方言群(ドーリア系)に分類される


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『ギリシャ人の物語』 塩野七生著

2023年08月15日 | 読書雑感
ペリクレスの「説得力」が効力を発揮できた最大の要因は、それを聴くアテネの市民たちに、支店を変えれば事態もこうように見えて来る、と示したところにあった。(中略)自信があれば人間は平静な心で判断を下せるのである。反対に、不安になしその現状に怒りを持つようになると、下す判断も極端に揺れ動くように変わる。いまだ自信にあふれる市民たちを相手にすることはできたペリクレスが、民主制の国アテネで30年もの間「ただ一人」でありえた要因は、別の視点を示し、その有効性を解くだけではなかったと思う。彼の演説の進め方にもあったのではないか。(中略}視点を変えてにしろ現状を明確に見せた上で、ただしこの政策への可否を決めるのは、あくまでもきみたちだ、と明言する。ペリクレスの演説を聴く人は、最期には常に将来への希望を抱いて聴き終わる、という点である。誘い導くという意味の「誘導」という日本語くらい、ペリクレスの論法を表現するにふさわしい言葉もないのではないかと思う。

「アテネでは、貧しさ自体は恥とはみなされない。だが、貧しさから抜け出そうと努力しないことは恥と見なされる」{ペリクレスの演説の一部}

民主制のリーダー:民衆(デモス)に自信を持たせることができる人
衆愚制のリーダー:民衆(デモス)が心の奥底に持っている漠とした将来への不安を煽るのが実の巧みな人
前者は、プラス面に光を当てながらリードしていくタイプだが、後者となるとマイナス面を暴き出すことで不安を煽るタイプのリーダーとなる。


ギリシャ人が後世のわれわれに遺した最高の贈り物は「中庸」の大切さを指南してくれたことにあると思っているが、「中庸」とは簡単に言ってしまえば左右いずれにもかたよらないところに着地点を見出す心構えにすぎない。日本語の「良識」は適切な訳語だと思う。

知識人の存在理由の一つは、すでに存在していた現象の中でも重要と見たことを、原語を使って概念化することにある。ゆえに、論理と現実が両立できるとは限らない、とは、アリストテレスの生まれない前からすでに人間世界の真実であったのだ。

論理的には正しくても人間世界では正しいとは限らない、とは、アリストテレスの言である。

アリストテレスが弟子たちに教えたのも、基本的には次の3つに集約されていただろう。
第一に、先人たちが何を考え、どのように行動したかを学ぶ。これは歴史であり、縦軸の情報になる。
第二は反対に横軸の情報で、言うなれば日々もたらされる情報。学ぶべきことは、これらの情報に対しては偏見なく冷静に受け止める姿勢の確立。
最後は第一と第二に基づいて、自分の頭で考え自分の意志で冷徹に判断した上で実行に持っていく能力の向上。


他者より自分のほうが優れていると思ってはならない、とソクラテスは教えた。しかし、そう思ってこそ、できることもあるのだ。他者より秀でていると自負するからこそ、他者たちをリードしていく気概を持てるのである。組織や国家という名の共同体を率いていく想いを持つのも自負心による。無知を知ることは、重要きわまりない心の持ちようであるのは確かだ。だが、「羊」である思う人ばかりでは誰が羊の群れを率いていくのか。

アルキビアデスの言葉を現代風に解釈すれば、30半ばのリーダーは市民たちに、発想の転換、視点の変更、それゆえの逆転の発想の必要性を説いたのである。つまり、未解決の問題にかかわり続けているよりも、他の問題を解決することによって未解決の問題の解決に持っていく、という考え方であった。

悲劇は人間の気高さを描くが、風刺喜劇では人間の劣悪さが笑いとばされる。

あらゆる理念。概念を創造したギリシャ人だが、「平和」という理念だけは創り出せなかったのだ。ギリシャ人にとっての戦争をしていない状態は束の間の休戦にすぎなかった。
古代の見本のように思われている民主政治を生んだギリシャは、実は内輪どうしの内ゲバを繰り返していたことが真実であったのだ、ということがこの本を読んでよく理解できた。華々しいペルシャ戦役と民主主義誕生という出来事だけに目を奪われずに、歴史を紐解いていくことの重要性が再確認できた。






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『失楽園』ジョン・ミルトン著

2023年06月08日 | 読書雑感
「善を為すのも為さないのもわたしの自由であり、必然も偶然も、わたしに手を触れることはできぬ。わたしがわが意志と示すものこそ、運命なのだ」(第七章)

「最初わたしが人間を創造った時、彼に幸福と不死という二つの佳き賜物を与えておいたのだが、その幸福がむなしく失われてしまった。そうなれば、残ったもう一方の賜物である不死も、人間の苦悩をただ永遠ならしめるのに役立つにすぎなくなり。わたしが『死』をあてがってやるまでは、その苦悩は続こう。そうだとすれば『死』は人間の最後の救いの道ということになろう。人間が苛烈な苦難の試練を経、信仰と信仰の業によって浄められてこの世の生を終えたのち、正しきものの復活の機会が来るに及んで眠っているその人間を呼び醒まし、再び新しくなった天と地とともに、第二の生命へと甦らせるもの、それが『死』だ。」(第十一章)

「その死という傷を癒やすことのできる方こそ、お前の救主として来り給う方だ、それもサタンその者を滅ぼすことによってではなく、お前とお前の子孫のうちに働くサタンの業を亡ぼすことによって癒やし給うのだ。そしてこのことは、死の刑罰を条件として課せられた、神の律法への服従という、お前にはできなかった務めを救主がてゃたされることによって、また、お前の罪過と、そしてそれから生ずるお前の子孫の罪過とに当然課せられなければならぬ刑罰としての市の苦難を、自ら負われることによってのみ可能なのだ。(中略)主の市は人間のための、ーそうだ、贈られた永遠の生命に感謝し、その恵みを善き業を伴う信仰によって受け入れるすべての人々のための、死だ。この神々しい行為が、罪に沈淪して生命から永久に見放されたお前の宿命を、お前の当然死ぬべかりし死を、抹消する。この行為がサタンの頭を砕き、その力を粉砕し、その両腕として猛威を揮っていた『罪』と『死』を亡ぼし、この両者のもっていた針を彼の頭に深く差し込む。死は眠りに似ている。死は永遠不朽の生命への静かな移行に他ならない。」(第十二章)
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『おだやかに:、シンプルに生きる』 枡野俊明著

2023年05月28日 | 読書雑感
1. シンプルにいきるための方法
春来草自生(はるきたらば くさ おのずからしょうず)モノゴトは自ずからやってくる
そんなに長く厳しい冬も、どんなに暑い夏の日でもやがて終わる。人間の計らい事を超えたところに「真理」というものがある。すべての物事は私たちの人智を超えたところにある。悩みや悲しみから無理やり抜け出そうとするのではなく、必ず抜け出せる時が来るのだと信じて、ただ自然の成り行きに任せる。
非思量(ひしりょう)頭でばかりいるからイライラが募る
イライラや怒りの感情にとらわれないように、「もうこれ以上考えるのは止めよう」と自分に言い聞かて、できる限り「考えない」という方向に頭を持っていく。
動中静(どうちゅうのじょう)どんな環境のもとでも心静かにいること
どんな環境にいようが周りの騒がしさに包まれていようが、いつも心を静かな状態に保つことが大切。そのためには静かに丹田呼吸を行って頭の中を空っぽにしてゆっくりと行きを吐き出す。それだけで心の揺れは収まってくる。
水急不月流(みずきゅうにして つきをながさず)普通や常識に流されない
自分が勝手に決めつけた「常識」や「普通」に縛られずに自分自身の心に正直にいきていくことが幸せにつながる。
無功徳(むくどく)結果が出ないからと落ち込む、それは結果を期待するから
「報われる」というのは、自分自身の人生が豊かになると言うこと。人生とは淡々とした小さいな努力によって善きものになっていく。
八風吹不動(はっぷうふけどもどうせず)湧き出る感情に振りまわされないように
心に芽生えてくる感情は素直に受け止めるが捕らわれないように。心に湧き上がってくる喜怒哀楽、それを素直に受け入れつつ、サッと流していく。
体露金風(たいろきんぷう)目に触れるものそのものが悟りの姿
たくさんの葉や実を付けた木も、彼は手て姿を露わにした木も、一本の同じ木。姿かたちは変えてても本質は変わることはない。その本質のなかにこそ、最も大事なものが宿っている。
喫茶喫飯(きっさきっぱん)今時分がやっていること、そのものになりきることが大事
今目の前にあるやるべきことになりきる。目の前のことに心を集中させる。そうることで苦しみや辛さは消える。苦しさや辛さというものは、そのものになりきれないあなたの心が生み出している。
冷暖自知(れいだんじち)何事も自ら経験しなければ分からない
人生の体験の中には、無駄なものは一切ない。人間がもつ五感を駆使して、自らの力で体感することで、自分が確かに生きているという実感を得ることができる。
形直影端(かたちなおければ かげただし)姿勢を正せば自ずと生活も整う
見た目の向こう側には必ずその人の心が透けてみるもの。日々の生活習慣を整えることで、心と体は美しいものとなる。
独座大雄峰(だくざだいゆうほう)いまここに生きていることが有難い
今こうして生きているという有難さに目を向ければ、無為な一日をすごすことはなくなる。
眼横鼻直(かんのうびちょう)ありのままの自分でいることが平常心につながる
社会の波に飲み込まれないためにも自分という一本の基軸をしっかりと見据えておくこと。「今の自分は本来の姿なのか」、「どこまで自分の心に無理をしいているのか」、それを見つけるためにも、日々に自問自答することで自分の心と対話をする。
日々是好日(にちにちこれこうにち)毎日をかけがいのない日となるように生きる
良い一日と悪い一日を決めつけているのは自分自身の思い込みにすぎない。日々に押し寄せてくる感情にばかり左右されないこと。雨の日にこそ、明日の晴を信じて前を向くこと。毎日がかけがいのない一日だから。

2. 人づきあいの心得
挨拶
(あいさつ)人づきあいが下手だと思っている人へ
人間関係を築きたいと思う人がいるのであれば、とにかく毎日「おはようございます」と大きめの声で挨拶をすること。流暢に話さなくても、少しずつの会話の積み重ねで互いの信頼関係は深まっていくもの。
悟無好悪(さとれば こうおなし)色眼鏡をかけたままで人を見ないようにする
すべての色眼鏡を外して、そこに見える風景こそがあなたの本心なのです。
一期一会(いちごいちえ)この一時に生きる
心に浮かんだ思いをないがしろにすることなく、その小さな思いを大事にする。
白雲自在(はくうんじざい)非とも心も白雲のごとく融通無碍
自分自身の芯を持ちながらも、大きな流れに乗ること。これまでとは違った風景が見えるはず。人生は自在に愉しむことが大切。
山花開似錦(さんかいひらいて にしきににたり)移り行くことこそが永遠の真理
すべての物事を「たまたま」と捉えてみる。そしてこの「たまたま」の状況はいずれ移り変わっていくと考える。むやみにもがくことをせず、大きな流れに身を委ねる。命がある限り、必ずや花は咲くもの。
杓底一残水 汲流千億人(しゃくちえのいちざん ながれをくむ せんおくにんひとの目の届かないところでこそ徳を積む
誰かに褒めてもらいたくてやるのではない。何かの損得を考えてやるのでもない。ただ自分の心の中にある善意に従って行動していく。それが人間の徳に繋がっていく。
愛語(あいご)思い遣りのある言葉遣いを心がける
言葉のすれ違いはやがては心のすれ違いになっていく。人と人をつなぐ大切な言葉を蔑ろにしてはいけない。触れ合う人たちに思い遣りの心を持って、相手の気持ちを想い優しい言葉をかける。
感応道交(かんのうどうこう)お互いに信じあう関係
社会生活をしていく上で身にまとっている鎧を脱ぎ捨てて、丸腰になる時間が心を柔らかなものにしてくれる。
自未得度先度他(じみとくどせんどた)まずは自分のことよりも相手のことを考える
すこしでも相手を優先する気持ちを持つことで自分自身の心が穏やかになる。
薫習(くんしゅう)できるだけ尊敬できる人の傍にいること
人間とは常に影響を与えながら生きている。互いに尊敬の念を抱きつつ、互いに善き影響を与え合うことが本来の人間関係。
鼻無心招蝶 蝶無心尋花(はなむしんにしてちょうをまねき ちょうはむしんいしてはなをたずぬ)縁は平等に訪れてくる
縁はすべての人に平等に訪れる。大切なことはその流れてくる縁に気付き、それを自分の手でつかみ取るかどうか。
白雲抱幽石(はくうんゆうせきをいだく)孤独な時間を持つことがすとれるを和らげてくれる
孤独の中にこそ穏やかな心になる種が宿っている。孤独になって考えてみることで、ものごとを客観的にとらえることができる。

3. 仕事との向き合い方
而今
(にこん)仕事の失敗をひきずらないように
私たちは「今」この瞬間にしか生きることができないから「今」という時間を大切に生きる。「今」自分がやるべきことは何かを考えて行動に移す。
歳月不待人(さいげつ人をまたず)時は人を待たない
残された時間を意識する。そして与えられた今日という日を一生懸命に生きて心が満足するような一日を心掛ける。
曹源一滴水すべては一滴の水から始まる
目に見える急激な成長などない。小さな積み重ねを疎かにしない。
一行三昧(いちぎょうざんまい)一つのものになりきる
「ながら」は無駄を生む。一つ一つのことに集中して取り組んだ方が、確実に物事は早く進む。
柔軟心(にゅうなんしん)とらわれない心を得る
「ねばならない」という考え方が人生を息苦しくする。自分を縛っているのは自分自身の心。
任運自在(にんうんじざい)すべてを流れに任せきる
人生にはめぐりあわせがある。流れに身を任せて生きていく。
人間到処有青山(じんかんいたるところせいあんあり)人間は本来、天職などというものは持っていない
ほとんどの人は自分の力と努力で天職を生み出す。今の仕事を頑張ることで青山は見つかるはず。
少水常流如穿石(しょうすいつねにながれて いしをうがつがごとし)絶え間ない努力は必ず実る
夢とは社会や他人から与えられるものではなく、自ら生み出すもの。夢に向かって歩むことこそが、人生を輝かせてくれる。
放下着(ほうげじゃく)過去のキャリアや成功体験にしがみつくことは仕事を後退させることと同じ
キャリアには終わりはない。常に磨き続けるからこそ、そのキャリアは輝くことができる。磨き続けるためには、決して過去に囚われてはいけない。
銀椀盛雪 明月蔵鷺(ぎんわんにゆきをもり めいげつにつきをかくす)人間に得手不得手があるのは当たり前
人の才能はそれぞれ。
三級浪高魚化龍(さんきゅうなみたこうして うおりゅうとけす)本気でやってみたいと思うことは恐れずにチャレンジすること
本気で取り組んだことには後悔の念は残らない。後悔の念とはあなたが目を逸らしたそこにこそある。
閑古錐(かんこすい)年を重ねたからこそやるべき仕事がある
今の自分の年齢でやるべき仕事、果たすべき役割とは何なのか、それを見つけた人は必ず社会から必要とされる。

4. 自分を高める智慧
平常心是道
(びょうじょうしん これどう)日常生活そのものが道をなす
目の前にある幸福の種に目を向ける。自分に与えられているすべてのものに感謝する。自分の身の回りにこそ真実は現前している。
莫妄想(まくもうぞう)自分にとって不要なものを見極めること
その欲望があなたの人生にとってどれほどの意味を持つのか、あなた自身を高めてくれるものかどうかを考える。
一日不作 一日不食(いちにちなさざれば いちにちくらわず)今日なすべきことを粛々となしていく、その積み重ねことが人生
自分がなずべきことはこれだと見極め、そこに心を尽くしていく。その積み重ねこそが、あなたの人生となっていく。周りと比べる必要などない。
薫風自南来(くうぷうじなんらい)自由自在の無心のなすこと
人間の心とは本来は自由なもの。不自由さをかんじているのであれば、それは自らが持っている無心を忘れているから。
直心是我師(じきしん これわがし)ありのままの心が道を示す師となる
自分自身の人生を歩むためには、常に自分自身と対話する。我が本心は何かの香を問い続ける。
無念無想(むねんむそう)とらわれから離れ、ただひたすらに生きる
考えることで不安が消え去るのなら考えればいい。そうでないなら、何も考えない方がいい。丹田に意識を集中させてゆっくりとした呼吸を心掛けることで、心を開放する。
生死事大 無常迅速(しょうじじだい むじょうじんそく)忙しいが口癖の人ほど、じつは時間を無駄にしている
一日の中で心に余裕を持てる時間を意識的に作る。そんな生活リズムを作っておけば、いそがしさから解放される。
他不是吾(たこれわれにあらず)自分ができることを他人任せにすることは慎むべき
生きているという実感は自分自身でやるからこそ生まれてくる。
柳緑花紅(やなぎはみどり はなはくれない)自然はそのまま真実の表れ
自分の力が及ばないことは、それを心で受け止めながら生きていく。そして自然の中に身を置くことで、自分自身も自然の一部であることを感じる。
直心是道場(じきしん これどうじょう)大切なことは環境を整えることではなく、志を持つこと
何かを成し遂げたいという熱意と志があれば、人間は成長することができる。
松樹千年翠(しょうじゅ せんねんのみどり)大事なものはいつも目の前にある
本当に大切なものは、変わりゆくものの中にはない。変わることのない心に目を向けることで、人間としての幸せが見つかる。
巖谷栽松(がんこくにまつをうえる)未来を信じて苗を植える
今の自分のためでなく、未来のためになすべきことをなす。
百花春至為誰開(ひゃっかのはるにいたって たがためにかさく)誰のためでもない、ひたすらの心を持つ
不安や心配とは雑念の中から生まれる。雑念から抜け出し、自分自身がやるべきことだけに目を向ける。自らに与えられた本文に心を寄せる。
大道通長安(だいどうちょうあんにつうず)どの道を歩んでも、人間は必ず幸せに辿り着くことができる
人生の道のりは選択の連続。勇気と自身を持って自分で選択する。人生の歩みを止めなければ、幸福の最終地へたどり着ける。
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『ルネサンスとは何であったのか』 塩野七生著

2023年04月25日 | 読書雑感
芸術作品とは、仲介者なしでそれと一対一で向き合い、作者が表現しようとしたことを虚心に受け止めるべきものだと感じたのである。作者との一対一の関係に慣れるには、何よりもできる限り多くの傑作を自分の眼でじかに見ることが重要だ。

土地は持っていないが、頭脳は持っている人々が集まって作ったのが都市国家です。都市とはイコール頭脳集団、と言ってよいくらい。それまでの「ノーヴィレ」(貴族)な血筋の問題であったのが、「血がノーヴィレを決めるのではなく、精神の高貴さが決める」ように変わってくる。所有する土地の広さと何代も昔にまでたどれる血統い代わって、才能の豊かさと気力の強さが、人間の評価の基準になっていったのです。

肌で知っているだけでは、彼個人の智慧にはなっても他者もふくめての共有財産にはならない。科学的に探究しその結果を言語を通して公のものにしてはじめて、実地に経験したことのない人でも共有が可能な智慧になるのです。

原語には、他者への伝達の手段としてだけではなく、原語を使って表現していく過程で自然に生まれる、自分自身の思考を明快にするという働きもある。明晰で論理的に話掛けるようになれば、頭脳のほうも明晰に論理的になるのです。つまり、思考と表現は、同一線上にあってしかも相互に働きかける関係にもあるということ。また、流れがこのように変われば、自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の言葉で話し書く魅力に目覚めるのも当然の帰結です。神を通して見、神の意に沿って考え、聖書の言葉で話し書いていた中世を思い起こせば、ルネサンスとは「人間の発見」であったとすルブルクハルトの考察は正しい。

人口の激減とは、やむをえずにしろ人々の関心を効率性に向けざるを得なくする。それ以前は都市に流れ込んでくる人の量を頼りに上昇していたフィレンツエ経済も、ベスト以後は、質を重視し個々の生産性の向上を期すやり方に変わっている。(中略)1348年から49年にかけてのペストの大流行は、経済大国になりつつあったイタリアの都市国家に、経済構造の再構築を強いたのではないかと思うくらいです。

宗教とは信ずることであり、哲学は疑うことです。唯一の原理の探求も、哲学では原理の樹立と破壊を繰り返し行うことによってなされるものであって、いったん打ち立てた原理を神聖不可侵なものとして堅持しつづけることでなるものではない。哲学とはギリシャ哲学につきると言ったのは、ギリシャ時代は多神教の世界だったので、神聖にして不可侵としなければ成り立たない、一神教の規制を受けないで済んだからですよ。

文化の想像とは、いかに優れた資質に恵まれていても、純粋培養ではできないのです。異分子の混入による刺激が、どうしても必要になる。

このルネサンスが現代の我々に遺した遺産を総括するとすれば、まず第一は現代人が肉体の眼でも見ることができる芸術品の数々。遺産の第二は、精神の独立に対する強烈な執着。言い換えれば、自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の言葉ないし手で表現することによって他者に伝える生き方です。遺産の第三は、二元論ではなく一元論的な考え方。(中略)古代ギリシャやローマでは、多神教であった事情から神さえも善と悪の双方をともにもつ存在とされていました。それが人間となればなおのこと、自分の内に善と書くの双方を持っている。となると、悪を抑えて善をより多く発揮させながら生きるにはどうすればよいか、がj」最重要な課題になる。この古代を復興したルネサンスでは、当然ながら人間が中心にならざるをえない。善悪ともを撃ちにかかえる人間が中心になれば悪は他人の粉うことで自分は知ったことではない、などどは言えなくなります。悪もまた我にあり、なんです。」ただしこれは、自己コントロールを求められるおいうことですから、精神も強靭でなければならず、ルネサンスとは精神のエリートたちによる運動であったと言えるかもしれません。

戦後の日本文学には、松本清張、司馬遼太郎、藤沢周平という流れがあります。松本清張は、戦後の下層階級の孤児のような存在を描いてきた。孤児が成り上がっていくプロセスの中での犯罪というのを取り上げた。そのことによって、戦後の混乱した占領期から高度経済成長期に至る時期をうまく捉えた。日本が高度経済成長に乗った段階で、経営者、管理者、指導者がモデルとすべき存在を歴史上に求めて書いたのが司馬遼太郎。そのあと、中間管理職の悲哀を江戸時代に仮託して書いたのが藤沢周平です。

総司令官は一兵卒までが働いてくれないと絶対に戦闘で勝てないので、一兵卒の気持ちまで把握しているものです。食の心配までする。だけど、中間管理職の場合は、自分は上から任命されのあで、上にばかり目がいく。それは当然なんです。だから、下に目が届かないということを非難しても、その避難は人間の本性からして適切ではないと思います。
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