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『日本仏教史』 (末木文美士著)

2020年10月30日 | 仏教を愉しむ
本書の備忘録として。

■ 日本古来の宗教観
日本の神は、人知を超えた恐ろしい存在と考えられ、人々に恩恵を与える一方でその怒りは人々に厄災をもたらすと信じられていた。かつまた、神は外からやってきて人々のところに定住しないと考えられていた。

民俗学の研究によると、そもそも日本の神の中で最も重要な神は死者の霊魂が昇華された祖先神的な性格を持つという。死者の霊魂は最初はアラタマとして危害をおよぼす危険な要素を持っているが、丁寧に祀られると荒々しさが薄れてニギタマ(和魂)に変化していく。それも数十年すると、タマの段階で持っていた個体性や物質性を失い、祖先神と一体化していく。このように日本の神は本来目に見えない存在であり人格的な個性は弱く、そして通常人里離れた山の中や海の彼方に住み、定期的にあるいは不定期的に人里を訪れる存在であった。その際に非物質的で変形を持たない神が一時的に宿る場が必要となり、これが依代(よりしろ)とよばれるもので、樹木や岩などの自然物や鏡・刀剣などが用いられる。人に神が下りてくるばあいは憑座(よりまし)といわれる神がかりとなる。

■ 日本における仏教受容の歴史と意義
聖徳太子の時代から、大化の改新を経て律令へ天皇中心の中央集権国家体制が確立されていくが、その中にあって仏教は一方で国家の手で保護育成され、また国家行事の中に採用されるが、他方ではそれに伴って国家の統制を受けるようになる。仏教が国家に採用された最大の理由は、大陸伝来の新しい宗教文化によって旧来の氏族社会の障害を取り払い、新しい国家体制の確立を図ったものと考えられる。

インド・中国という最高の古代文化の中で磨かれ、思想、教団組織、儀礼など、いずれをとっても高度に確立された仏教は、同時にまた建築や工芸・医薬などの最新の科学技術を伴い、さらには律令政治体制と密接に結びついていた。それゆえ、仏教を受容することはそのまま大陸の最新の文化を受容することに他ならなかった。律令体制の確立という面を主にみると、仏教の国家的な受容はまさにそのイデオロギー的な側面をなしている。もはや仏教の優位は確定的であり、古来の神々は仏に従属することによってのみ自己の存在を守りえたのである。その際に、仏教によって古来の宗教が決して滅ばされなかった点は注目される。古来の宗教を否定するのではなく、それを認めながら、しかも個々の氏族から自由な世界宗教である仏教を優位におくことによって、中央による統一をなしえたのであり、逆に氏族社会に根差した古来の宗教もすすんで仏教の保護を求め、それによって自己の地位を保とうとしたのである。

天平時代、位をすでに孝謙天皇に譲っていた聖武天皇は、東大寺の廬舎那仏を造立する。国家の永遠の繁栄を願って作ったはずの大仏は、過酷な労働の搾取によって人々を疲弊させ人心を離反させる結果となった。

天平仏教は、国家と仏教があまりに深く関わりすぎ、民衆の生活と乖離しすぎた。

■ 仏教思想の本質と変遷
仏教思想の大きな特徴は「縁起」にあると言われる。縁起とはあらゆる現象世界の事物は種々の原因や条件が寄り集まって成立しているということで、それゆえにこそ一切万物は変転極まりない。これが無常といわれることである。他に寄らずして自存し永遠に存在するようなものは何もなく、つまり実体がない。この考え方に立つと、この現象世界を離れて何か真実の世界があるという考え方は否定される。プラトンのイデア論や、神を完全な存在と考えるキリスト教哲学とは異なる。

紀元前後頃、従来の仏教に飽き足りない人たちによって興された新しい宗教運動のなかで大乗仏教が形成された。「空」の思想や菩薩の利他主義のほか、もともと在家者の活動と深く関わっていたと考えられ、仏陀に対する信の重視など、在家者に対する平易な行を説き、また釈迦仏だけではなくその他の様々な仏や菩薩に対する信仰も大きく発展する。般若経典や法華経、華厳経、無量寿経などはこうした運動の中で形成された。インドにおける大乗仏教は、その後中観派・唯識派などの哲学を発展させ、又のちには密教も形成された。

大乗仏教は、紀元2世紀ごろまでの初期(般若経典や浄土経典、法華経、華厳経などが成立)、4・5世紀に成立して唯識説を説くものや如来蔵・仏性を説く経典が成立した中期、大日経は金剛頂経などが成立した後期に分けられてそれぞれ別々に発展していった結果、膨大で複雑な構成をもつようになった。

一乗主義とは、人はだれでも悟れるとする考え方。大乗仏教では一切衆生を救済しようとする利他の精神こそ根本であると説き、このような大乗の修行を行うものが菩薩である。

「不立文字」を主張する禅が興隆に向かうと、経典そのものが重んじられなくなり、教学は衰退していった。

■ 日本における仏教思想と変遷
南都六宗とは、倶舎(くしゃ)、成実(じょうじつ)、律、三論、法相(ほっそう)、華厳の六宗。倶舎宗と成実宗は、部派仏教)小乗仏教)に由来し、倶舎宗は唯識派の世親の著作『倶舎論』に基づくために唯識派を承けた法相宗の属宗とされた。成実宗は「空」を説くために三論宗の基礎学として学ばれた。インドで大乗経典の思想を体系化して哲学的に完成させたのは龍樹(ナーガールジュナ)で、その思想の中心は「空」であって、一切の言語概念による把握を否定し真理はどのような言語概念でも把握されないと説いた。その思想を承けたのが三論宗。インドでは龍樹以降さらに仏教の哲学化が進み、4・5世紀には唯識派の思想が確立される。この思想が玄奘と弟子の基によって確立されて法相宗の教学になる。

原始仏教以来の根本原理の一つに無我の原理がある。一切の存在は自我のような固定的な実体性をもたないというもの。言い換えれば、因果性を離れた永遠の存在はありえないということ。ところが、密教の絶対者大日如来は永遠の宇宙的実体であり、それまでの仏教の仏が究極的には空に帰するとの根本的に異なっている。従来の仏教の無我・空のもつ現世否定性が消えて、密教においては顕著な現実肯定性が支配するようになっている。地・水・火・風・空・識の六大で物質・精神を合わせたこの世の総体を指し、この六大が世界の本質・本体に他ならないと考える。密教では物質および精神の具体的・現象的事実の世界がそのまま根源的原理と認められ、それが大日如来の法身(ほっしん/本質的な在り方)とされる。我々の自我もその世界の一部であるから、我々ば修行するまでもなくすでに本来的には仏そのものであって、そのことを自覚していく過程が修行である。

空海の密教理論は日本人の宗教観を理論化したともいえる面がある。日本人はこの現象世界の外に絶対神をたてたりイデア的世界を認めたりせず、現象世界をそのまま肯定する傾向が強く、アニミズム的世界観に由来する自然世界を尊重することが多く、汎神論的な六大説は日本人の世界観に極めて良く合致している。密教では、原理論および現象論を踏まえた実践論が三密加持で、三密とは身・口(語)・意(心)のはたらき、加持は我々のはたらきと仏のはたらきが合致すること。身に印契を結び、口に真言を唱え、心が三昧(精神が安定した状態)に住するならば、そこに自我と仏の合一、即身成仏が完成する。

中世に発展した特徴ある思想を本覚(ほんがく)思想と呼ぶ。元々は衆生に内在する悟りの本性を意味するものだったが、現実に悟りを開いているという意味に変わっていく。これにより、衆生のありのままの現実がそのまま悟りの表れでありそれとは別に求めるべき悟りはない、となる。この考え方を推し進めると、草木国土すべてが悟りを開いているとされる。我々が目にする一草一木、耳にする鳥や虫の声、すべてが仏でないものはない、ありのまま自然のままを尊ぶ本覚思想は仏教の枠組みを超えて、中世の文学・美術・芸能から神道の思想にまでおよぶ広範囲な影響を及ぼすこととなる。

仏教の立場では、悟りを開いたからといってこの現象世界と別の真理の世界に入るということはない。この現象世界の法則性、即ち縁起の原理を正しく認識することが悟りにほかならない。事実を見る目が煩悩によって曇らされているから、煩悩の曇りを払い正しい認識に向かって修行に努めることが必要とされる。悟りとは、何か別の次元に移るわけではなく、この世界の認識の転換であるから、いわゆる存在論ではなく認識論が問題になっているということもできよう。ところが、大乗仏教では、この世界の全体性が空・真如・諸法実相などとして、それ自体の実体性は否定されながらも体得されるべき対象と考えられるようになってくる。この立場からするあんらば、この現象世界が心理そのものの世界として肯定されることになる。仏の悟りの立場から見るならば、この現象世界は全体として肯定されるもので、そこでは生死と涅槃、煩悩と菩提というような対立は廃棄される。ところが、そのような考え方は仏の悟りの立場でいわれることであり、凡夫の立場でただちに生死や煩悩が肯定されるわけではなく、悟りに至るには幾度も輪廻を繰り返しながら長い困難な酒豪が必要とされる。この凡夫との距離が圧縮されて零となり、まったく修行を必要とせずに凡夫の状態のままで現象世界が全的に肯定されるようになったのが、その後の本覚思想である。

鎌倉新仏教の共通の背景として天台本覚思想がある。

鎌倉仏教が注目される理由として、第一に実践面で易行化、すなわち誰にでも可能な容易な実践法をたて、それによってはじめて民衆のものになった。第二は理論面で、親鸞や道元の思想は宗教哲学として今日でも第一線で問題とされるような高度な内容を持っており、またそこに日本の社会に適応した仏教の日本化が見られる。これに対して、平安仏教は祈祷仏教であって思想内容に乏しいと考える見方がある。

鎌倉時代に新しい称名念仏を提唱した法然は、口に阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を唯一絶対とする。さらに弟子の親鸞は、阿弥陀仏を信じること子を絶対であるとして、重点を行から信へと移した。自力の行によって悟りを得ようとしても不可能であり、阿弥陀仏の他力を頼ってはじめて救済が可能だとした。
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『モスクワの伯爵』 エイモア・トールズ著

2020年10月01日 | 読書雑感
ロシア革命で共産主義が誕生した経緯から、この国には元貴族などという階級が存在しないことは周知のこと。それなのに『モスクワの伯爵』とは? そんな好奇心から、あまり期待もせずに読み始めたところ面白いことこの上ない。面白いという形容が不謹慎であるならば、主人公である元伯爵の素敵な人柄が物語全体に投影されたとてもチャーミングな小説、と呼ぼう。

主人公は自己紹介する際にこう言う、「アレクサンドル・イリイチ・ロストフ伯爵。聖アンドレイ勲章の受章者、ジョッキー・クラブ会員、狩猟家です」と。名前と称号は当然としても、勲章の有無は貴族にとって重要事項だったのだと分かる。聖アンドレイ勲章とは、軍人または文民の最も傑出した功績に対してのみ与えられたロシア帝国初の勲章で、1000人に満たない人しか受賞の栄誉に浴さなかったらしい。

勲章までは分かるとして、「ジョッキー・クラブ会員、狩猟家です」は今の時代に生きる一般人の我々にとって重要度が分かりかねる。冒頭部分にこんな台詞がある、「紳士(ジェントルマン)は職業を持ちません」 そして、物語の中でロストフ伯爵がバーで仲良くなる英国人もこう自己紹介をしている、「ウェストモーランド伯の推定相続人、投資家見習い、そして1920年のヘンリー・レガッタで負けたケンブリッジのクルーのバウマン」 こっちは投資家見習いという職業を口にしているが(時代のせいか)、スポーツをやっていたことが自己紹介の中で言うべき要素の一つとして鎮座している。 紳士とは、余暇の時間を過ごすための趣味たるものをしっかりと持っており、それが職業以上に大切な自己アイデンティティであることが見て取れる。古き良き時代の名残ということだろうか。

このロストフ伯爵、故あってロシア革命直後にフランスからロシアに戻ったために裁判にかけられる。罪状は貴族であること。労働者が貴ばれた革命だから仕方がないよね。でも、この伯爵が若い頃に世に出した詩集が党上層部の人々から指示されているがために、殺されることなく滞在しているホテルに軟禁状態のまま一生を過ごすという罪状が課される。ホテルを一歩でも出たら銃殺が待っている。ホテルの部屋も、それまでのスイートルームを追い出されて屋根裏の小さな一部屋に追いやられることになる。気位高い貴族はどう生きていくのか? 判決が出た時び伯爵は32歳、その後の32年間がこの小説が紡ぎだす物語だ。

この伯爵、肝っ玉が太いというか楽天的というか、それとも人間としての魅力がゆえか、軟禁状態が続くホテルでの生活が非常に愉しく、かくありたいと思ってしまう日々が続くことになる。隠していた金貨が助けになったのは当然としても、それだけではなく伯爵の人柄が周りの人々を感化し、べた付くことのない、だがしっかりとした親密な友人関係を作り上げていく。何があってもめげず、落ち込まず、諦めない(一度だけ自殺を試みようとしたが、生きることの素晴らしさを友人から示されて断念している)。深い教養に裏打ちされた知識、礼儀正しさと正しい言葉遣い、相手への思いやりと配慮、見栄を張ることのない自然体な生きざま。そして、良いものを認識できるセンスと一人でいることを苦にしない生き方。これらすべて人生100年時代と言われる日本で生きる成熟した男が持つべき要素だ、と羨ましく思いながら読み進んだ。

   ☆★☆★☆★☆★☆★

「王女さまは年配者に敬意を払うように育てられる。ここでの原則は新世代は旧世代のすべての人々に一定の感謝をすべきだ、ということだ。お年寄りは田畑を耕し、幾多の戦争で戦った。彼らが芸術は科学を推進し、我々のために犠牲になった。だから、たとえ身分が高くなくても、彼らはその努力によって我々の感謝と尊敬を得て当たり前なんだ。」
ホテルに幽閉されるようになって間もない頃、9歳の少女ニーナと仲良くなる。お茶に招かれた際に、少女から王女さまになるために必要なことを質問されて、伯爵がこう答える。その時代の躾の一つでもあり伯爵の信じる哲学でもあるのだろう(王女になるためのルールの一つとして敢えて挙げるからには)。この種の、人としての哲学を語れる人物であること、まさに教養と良い躾が身に付いたジェントルマンらしさなのだろう。そして、このニーナとの関係が伯爵に新しいことに目を向けるキッカケとなり、時がたってから娘を親がわりに育てる試練(悦び)をもたらすことになる。

「新しい人生が手に入るのは確かに魅力的だが、故郷や妹や学校時代の思い出を捨て去ることはとてもできませんね。この記憶をどうして捨て去ることができますか?」
伯爵の故郷に伝わる言い伝えでは、故郷の森の奥にある特別な林檎を食べると人生を一からやり直すことができると言われていた。恋仲となった女優にその林檎を食べたいかと訊かれて、こう答えることができる大人は素晴らしい人生を歩んできた証拠だ。こう言える伯爵に完敗であり乾杯したくなる。

伯爵の学友の大半は教会に背を向けたが、ほかに慰めを見出しただけのことだった。科学の明晰さを好んだ者はダーウィンの考えに執着し、ことあるごとに自然淘汰の痕跡を見つけた。一方ではほかの者たちは、ニーチェとその永劫回帰や、ヘーゲルとその弁証法に傾倒した。いずれの手段もまことに賢明である-彼らの著作の千ページまでたどりつけたら、の話。
ピリッと皮肉のスパイスを交えた教養の仄めかしが、人物像に味を与えてくれているとともに、読みやすいパルプ小説の類とは一線を画す上質な読み物なのだと訴えてくる。確かに、平易な出来事だけではなく、この手のちょっと小難しいことも言及する方が、読み手にとってのチャレンジでもあり考えさせてくれるネタにもなるので歓迎だ。

人生の熟年期に入ると、時の経過はまことに儚く、我々の記憶にほとんど足跡を残さない、すなわち、まるで何も起きなかったかのように記憶から抜け落ちている。
こちらは、熟年期(老年期とも言える)に入った我々にはとても心優しい優美な表現であり、労わりでもある。こんな台詞が小説の中にあるだけで、物語のクオリティが上がって見えるよね。

伯爵が娘として育てたソフィア(ニーナが伯爵に託した)がピアニストとして自立する際に、伯爵は二つの助言をする。これは伯爵自身の信念といってよいものだろう。
ひとつは、人は自分の境遇の主人とならなければ、その人間は一生境遇の奴隷になるということ。そして二つ目がモンテーニュの金言-叡智のもっともたしかなしるしは、常に朗らかであること-だった。

特に一つ目の「自分の境遇の主人になる」というのは、まさに伯爵が32年間の軟禁状態を愉しく充実したものに変えてしまった魔法の心得だと思う。これがこの小説の一番のテーマなのだろうと思う。

伯爵の人生をより充実したもにしてくれたのは二人の女性、それもどちらも少女、だったと思う。ホテルに軟禁状態になった当初に知り合った9歳のニーナ。黄色が好きな女の子として登場して以来、ホテル内探索に伯爵を連れ出すことで、伯爵が見ようともしていなかった世界の存在に気付かせてくれた恩人。そしてもう一人はニーナの娘のソフィア。強制収容所送りになった亭主を追いかけるニーナから託された6歳の少女が、58歳になった伯爵の生活を変えた。

目を覚ますと、彼女は起き上がって服を着、黙ってベッドを整えた。伯爵が朝食を用意すると、トラピスト修道会士さながら黙ってビスケットをかじった。そのあと、自分の皿を静かに片付け、伯爵の机の椅子によじのぼって両手をお尻の下に挟み、黙って伯爵を見つめた。その目力の強さといったら。瞳は濃く、寄せ付けぬ深みを湛えていて、人を怯ませた。はにかみも苛立ちもなく、その目はただこういっているようだった。”次はどうするの、アレクサンドルおじさん?”
さすがの伯爵も、この少女の扱いに苦労する。朝食の後でやることを思いつかない伯爵は、ひたすら12時の昼食までの時間を待ちわびることになる。フリードリヒ大王がプラハ包囲を解いた時のプラハ市民の安堵、カルパンティエがデンプシーとボクシング対決した際の第三ラウンド終了ゴングを聞いて感じた安堵すら、伯爵のそれにはかなわなかったと表現しているくらいに。

ここに、著者の優れた知恵とアイデアが見受けられる。世慣れた伯爵と相対するには、並大抵の人物では不十分だ。そこに、少女という尋常でない相手役を設定することで、意外感を醸し出すとともに、二人の少女の強烈な個性が伯爵の教養、上流階級ならではのマナーや非常に魅力的な人柄に負けない存在感を生み出し、物語の厚みを出すことに成功している。特に、ソフィアは伯爵に育てられて一人前の魅力的な女性に成長していく様は、それまでの物語とは別の愉しみと悦びを生み出している。

最後は、ソフィアがピアニストとして渡仏するタイミングに合わせて、二人でソ連から脱する手はずを整えるところで物語が終わり、二人のこれからは読者の想像次第というエンディングを迎える。
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