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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

コージーミステリを読み耽る愉しみ その28 マーダー・ミステリ・ブッククラブ・シリーズ(C・A・ラーマー著)

2024年05月06日 | パルプ小説を愉しむ
第二作でブッククラブのメンバーたちはクルーズ旅へ出かける。19世紀にイギリス・オーストラリア間を旅した優雅な蒸気船オリエント号を忠実に再現した原題のオリエント号でのクルーズだ。乗船していた医者の不具合で急遽アンダースが代役として乗り込むことになったために、メンバーたちも5日間のクルーズを楽しもうと乗り込んだ。乗船早々出会った自由奔放そうなアマゾネス系の美女で船長夫人のコリーから、所有しているカフタンドレスが何枚か盗まれたので探して欲しいと依頼される。冗談だと思っていた一行だが、船内で心筋梗塞による死者が出る。事件かも疑うアリシア。色々と探っていくうちに船内では宝石の盗難事件が起こっていたことを知る。盗難を避けるために下船した乗客が多かったためにアリシア達が乗り込めるように手頃な価格帯で空きが出ていたのだった。年老いた老貴族夫人と不釣り合いに若いジゴロ風の美男夫。船旅のエキスパートと周りからも認められている裕福で船会社のオーナーの一員でもあるソラーノ姉妹3人組み。途中から旅に加わったと言うコリーの親友という影の薄い女性。そしてアンダースがなぜか忙しそうにしてアリシアと過ごす時間を中々割かない。しかも、事件かもと疑うアリシアに対してとてもそっけない素振り。メンバーの協力を得て船内の情報探索に乗り出す屋、船長夫人のコリーが船から落ちたという。その上、老貴族夫人が早朝のジムエリアで背中を刺されて殺される事件も起きる。コリーと老貴族夫人のジゴロ夫とが不倫関係にあるという噂もある中で、このコリーとジゴロ夫が共謀して宝石を盗んでいた疑いが出た。先に心臓発作で亡くなった老婦人も2人に殺され、罪の意識を持つようになったジゴロ夫がコリーも舟から突き落として殺し、その上真相に気付いた妻までも殺したのだと船内でバーテンダーの振りをしていた潜入捜査官はジゴロ夫を逮捕する。辻褄が合わないことと、都合よく証拠が揃いすぎていることに違和感を覚えたアリシアは、潜入捜査官からバカにされながら独自捜査を進めて真相を暴く。宝石泥棒は、体の不自由さを装うために車椅子に乗っていた老貴族夫人とジゴロ夫だったのだ。夫とコリーが不倫していることに気付いた老貴族夫人は、コリーのカフタンドレスを盗んでコリーらしい恰好で犯行に及び、酩酊させるために使っていた薬をわざと多めに使うことで人殺しをすることでジゴロ夫が逃れないようにしていた。不倫相手のコリーを殺したのは、船長を敬愛するとともに妻のコリーを毛嫌いしていた富裕なソラーノ姉妹3人組み。彼女たちがコリーを殺害したことを老貴族夫人に知られて恐喝されるようになったために、老貴族婦人は殺されたのだった。アリシア一行の天晴な捜査がオリエント号での殺人事件、宝石盗難事件を解決したのでした。もちろん、オリエント号というのはクリスティの名作『オリエント号殺人事件』に引っ掛けられて創作された物語。

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ミステリ大好き、特にアガサ・クリスティ大好きというアリシアとリネット姉妹が始めたミステリに特化した読書会。開始して第3回目の集まりでメンバーが行方不明になってしまうというミステリー事件がわが身に降りかかってくる。メンバー行方不明だけではなく、他メンバー一人が車にはねられそうになり、挙句に失踪じたメンバーの夫がゴルフコースで撲殺されるという殺人事件も勃発。自分の読書会への責任感からか、それともミステリー好きから来る好奇心からか、アリシアはメンバーの協力を得ながら事件の解明へと突き進む。アガサ・クリスティーも不倫していた夫への不満から失踪を自作自演したこともあったという。その本がヒントとなって失踪していたメンバーの発見に成功するアリシア。失踪していたバーバラは元女優で、読書会での振る舞いはすべて不幸せな妻を演じていただけだった。そして自分の失踪を演出するための舞台として読書会を利用していたのだった。図書館司書のミッシーのヒントと冷蔵庫に貼ってあった切り抜きから失踪先の高級リゾートを突き止めて、隠れていたバーバラを見つけ出して見破ったトリックを突き付けてやるところはポアロかミス・マープルかといったところ。コージーではあっても、クリスティへのオマージュといっても良いような軽快なテンポで読み進める上品なミステリーでした。

この人にはみずからわが身を救ってもらうしかない。
バーバラのダメ弟のことを思って心の中でアリシアが言った台詞。神は自ら助けるものを助く、という言葉の一辺であることは私にも分かる。
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その4 英国小さな村の謎シリーズ(M・C・ビートン著)

2024年03月22日 | パルプ小説を愉しむ
シリーズ19話となる『アガサ・レーズンと毒入りジャム』。今回もまた、近隣の村の押しの強い牧師から村祭りのPRの手伝いを頼まれる。断ろうと村を訪れたところ、イケメン男が目に止まるやアガサの悪い癖が出て、断るはずだったPRのお仕事をあっさりと引き受けた。人気ポップシンガーを村祭りに招き、千客万来の集客に成功したものの、祭りの最中に人が死ぬという事件が起こってしまう。村祭り恒例のジャムコンテストの味見ジャムに麻薬、LSDが混入していたことが判明。PRを依頼した牧師がアガサに事件究明を依頼。ジャム味見のテントに詰めていた年配女性二人には怪しいところは何もなく、ジャムコンテスト応募した人たちそれぞれには怪しいところがある。村人からは災難を招いた張本人と白い目で見られる中、調べ始めると他の村人たちにも怪しいところがある。アガサらしい行き当たりばったりの捜査が今回も功を奏し、混入していたLSDから犯人を割り出すと、牧師の妻が犯人と分かった。

このシリーズの特徴はスピード感。映画で言うところのシーンが組み合わさって話が進んでいく。シーンは短いもので1ページ、長いものでも数ページの長さで、一つの章に幾つも入ることで、場面転換と異なるエピソードが複層的に展開することで物語の進展がスピーディに感じられる。もちろん、細かでねっちりとした描写よりも色々はネタを多く入れ込んでいることもスピード感を増している。著者であるM・C・ビートンの持ち味なのだろう。

心の中に居座っているお目付役が指摘した。アガサはインナーチャイルドの子供っぽさに悩まされることはなかったが、このお目付役ときたら口うるさいことこの上ない。
映画でも小説でも、フロイトやユング心理学を応用すると登場人物の奥行が出るようだ。また、2人の心理学を応用して登場人物の行動を解説する評論家もいるが、最近では作家じたいが登場人物に心理学の心得を持たせることを時々見られるようにもなってきている。

「あなたは改宗したカトリック教徒みたいなものなのよ。自分はもうお愉しみがないんだから、あんたもお同じであるべきよ、ってことでしょ。この地球温暖化の詐欺がいい例よ。地球を救うために重い税金をかけていると政府は言っている。たわごとよ!税金は全て国庫という名のブラックホールに吸い込まれて、永遠に消えてしまい、地球をすくためには何ひとつ行われていない」
著者の政治的な意見が反映されているのかどうかは不明だが、今の世の中で常識であり良識にもなっている温暖化という問題に対して、このような反対意見を吐かせることでアガサという人物のキャラクターが濃くなっている。しかも非常に歯切れの良い意見表明であることが、アガサらしい。

化学者が「自尊心」というラベルを貼った効き目のある薬を発明できたら、億万長者になれるだろう。

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シリーズ第18話『アガサ・レーズンの奇妙なクリスマス』。地元で開業した探偵事務所は迷子のペット探しや浮気調査などで大繁盛。もっとスリリングは依頼が欲しいと思っていたアガサの元に一通の手紙が。領主屋敷に住む夫人から調査の依頼だった。何事かと訪れてみると、そこで暮らしていたガサツな老女が自分は子供たちに殺されるとアガサに伝える。本気にしないアガサだったが、せっかくの依頼だったので週末に一泊して老女の誕生日パーティに参加したところ、パーティの真っただ中で彼女が毒ニンジンで殺されてしまう。4人の子供たちとその連れ添い、皆が怪しく見えてくる。丁度その折、手が照りなくなったのでトニという名の17歳の女性を試験雇用してみたところ、これが大当たり。アル中の母親、暴力を振るう兄という悲惨な家庭で育ったトニにアガサは同情して母親のように面倒を見る。兄に殴られたトニに住むところを借りてやり、仕事のためと言いながら車まで買ってやる。アガサの親切に感謝しつつも多少の重荷に感じながら、トニは仕事に励む。地頭がいいのか、飲み込みが速いのか、浮気調査、ペット探し等々で手柄を次々に立てていく。そして毒殺された老女の事件にまで駆り出される。老女は金持ちであるにも拘わらず、子供たちに十分な金を渡さず、しかも屋敷が牢獄に思えるほどに子供たちを束縛し精神的に苛んでいた。そんな毒親に対する子供たちの復讐のように思われていたところ、屋敷の庭師がキッチンから盗んだ老女手作りのワインを飲んで死ぬ。ワインに毒ニンジンが入れられていた。犯人は子供たちの誰か、それとも老女に反感を持つ村人の誰かか。老女の過去に疑惑を持ったアガサとトニは老女の生まれ育った村を訪問する。分かったことは、友人の婚約者が宝くじに当たった途端に速攻で結婚していたこと、離婚を望んでいた亭主が秘密で付き合っていた女性がある日突然失踪してしまっていたこと。鋭いトニの嗅覚は、歴史史跡となっていたヴィクトリア朝時代の屋外トイレの土地に埋められたいた人骨を発見する。老女がやったらしいと目星をつける。決して褒められるような経歴の持ち主でなかった依頼主。そんな老女を殺したくなるだろうと思いつつ、パーティ席上での出来事を思い起こしていたアガサは、倒れた老女を見舞おうとしたところ次女が邪魔したことを思い出す。これこそ犯人と目星をつけ、本人を呼びつけて問い詰める。しらばっくれていた次女は、話の途中にアガサの家のトイレを借りる。何かあると見越したアガサがこっそりつけていくと、次女はアガサの歯磨き粉チューブに毒ニンジンエキスを注入していた場面に遭遇。これで犯人確定。晴れてアガサは念願のクリスマスパーティを自宅で開催する。主賓と考えていたジェームズも晩餐が開始される時刻に到着。この上ない至福のパーティになるはずだったが、ジェームズにキスされてもアガサは何の興奮も感じない自分に気付く。その上、酔っぱらったロイが借りてきた人工スノーマシンの操作を失敗。せっかくのホワイトクリスマスでいい雰囲気だったパーティ会場が突如猛吹雪と化してしまうという修羅場に。でもよかったことは、トニとビル・ウォンが仲睦ましくなったこと。後日ビルの家に招待されたトニは、ビルの母親のひどいディナーも父親のそっけない態度もなんとも思わないどころか、不遇な家庭で育った経験から見ると十分に受け入れられたように思えた状況だったようだ。帰り際にハグされたビルの花親は「またおいで」という始末。やっとビルにも人生の春が訪れるのだろうか。

貧乏お嬢さまシリーズと一緒に読んでいて、このシリーズの描写がアガサの行動のようにあちらこちらに飛びつつ話が進行していることに気付いた。例えば、
トニはレッドライオンが気に入った。アガサは今度の週末について、ずっとチャールズとしゃべっていた。トニは不安な気持ちでアガサを観察していた。
こんな描写があちらこちらで見られる。前の文と無関係な文が3つも4つも続きながら話が進むのだ。しかも簡潔な(=そっけない)一文の連続で。味気ない文体かというと、そうではない。アガサの衝動的で負けず嫌いな性格や行動のあり方にあった文体として、故意に選んだものだと思う。

ビルのせいでいい雰囲気だったクリスマスパーティが台無しになってしまう場面はこうだ:
アガサは窓辺でそっと降ってくる雪を眺めていた。次の瞬間、彼女は雪だるまと化した。アガサはゆっくりと振り向いた。雪で覆われた顔の中で、、目だけがギラギラ光っている。

まるでドタバタ喜劇のような出来事が起きるのがこのシリーズの愉しみの一つ。小気味よく連続する短い文章が読み手の目の前に繰り広げるのは、まるで映像であるかのようだ。そう、シナリオのト書きのような短文の連続が平面的な読み物を映像化していたのだ。

アガサにとって、クリスマスは聖なる行事ではなく、ハリウッド映画みたいにきらびやかで華やかなものだった。
日本でもそうだね。最近ではハロウィンも盛り上がるためのイベントと化している。

「今や神を恐れる人はいないんじゃないかしら。あるいは、みんな怖がるのが大好きなのよ」
「皮肉な見方だけれど、当たっているわね。生態学が新しい宗教なのよ。惑星は死にかけていて、北極と南極は溶けかけている。それはすべての人類の罪、罪人たちがいけないのよ。」

教区の牧師夫人、ミセス・プロクスビーとアガサの神学論争。環境問題が過度に議論されるようになっている今を、生態学が新しい宗教だと言い切るミセス・プロクスビーなりの解釈が振り切っている。

若いトニにとっては、アガサとミセス・プロクスビーもすごく年を取っているように感じられていたが、ミセス・ウィルソンはエジプトのミイラぐらいの年寄りに思えた。

「それが何だっていうの?最近じゃセックス、セックス、セックスばかりじゃないの」
「愛はたいてい欲望の皮をかぶって現れる。あるいは、後から欲望を満足させられるという期待があるせいで、愛は成就するんだ」

アガサに負けずに口が悪いチャールズの割り切り。ある意味、男女の関係に達観している。

「私のクリスマスは絶対に忘れられないものになるはずよ」
「去年のは絶対に忘れませんよ。クリスマスプディングを灰にして眉毛がなくなったこと、覚えていますか?」
「失敗から学んだわ」

どんな不遇にもめげずに「失敗から学んだ」と割り切れるアガサの強さというよりも、議論に負けることを許さないアガサなりの言い返しだ。

毎日が憂鬱で暗く、何もかもが死ぬか枯れるか、冬眠の準備に入っているかだということを見せつけられるのは、田舎で暮らすことの欠点に思えた。都会なら照明が輝き、騒がしく、ほどんど季節の変化に気が付かなかった。

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第16話の最後の最後が、愛しのジェームズが村に戻って来てアガサの家へ突然に訪問する場面で終わっていたのを受けて、第17話は『アガサ・レーズンの復縁旅行』というタイトルになっている。結婚後間もなくアガサの元を去っていっていった後、何の音さたのないどころか修道院にまで入って追いかけるアガサを振り切るようにしていたジェームスだったが、突然の帰国で再度お隣さんとなった。心穏やかではないアガサは、これが2度目の正直とばかりに心を乱してお洒落に勤しむ。ジェームスの友人から招待を受けたガーデン・バーベキューパーティの場で、ジェームスの友人たちから無視されるもののジェームスはとりなそうともしてくれない。傷つき怒り心頭に達したアガサは一人で家に帰る。反省したジェームスは一緒に旅行しようと申し入れる。子供の頃に行った思い出の場所に二人で行こうという申し出。一度は落ち込んだアガサの心も再度舞い上がり、復縁旅行に旅立つが、その場所スノス=オン=シーという場所は今でも昔日の感もないほどにさびれた寒村に落ちぶれ果てていた。昔を偲ばせるものがなにもないうすっべらな安っぽいホテルに泊まっているのは、性格も言葉遣いも粗野な新婚夫婦とその子供たちと友人たち。夕食時にアガサに新婦が難癖をつけ、その不良息子がジェームスに絡みだす。しかも料理は最悪、食べられたものではない。二人はホテルを抜け出して地元の中華料理店で夕食をとるが、その夜にアガサに難癖をつけた新婦が殺される事件が起きる。凶器であるアガサのスカーフで首を絞められて。当然、アガサは地元の警察から調べを受ける。カースリーで探偵事務所を開いていると言っても馬鹿にされて終わり。自分のプライドのためにも真犯人を挙げて見せるとアガサは誓う。一方、期待と大違いのスノス=オン=シーに嫌気がさしたジェームスはアガサを置き去りにして南仏に旅立つ。後でアガサに来るように葉書を出して誘う。ジェームズは冷たい性格で独りよがりであるという事実にアガサはようやく気付く。そして、ジェームス離れが起きるのがこの回。殺された新譜は3度目の結婚で、前の夫は宝石強盗の罪で服役中。でも盗んだ宝石類は発見されていない。そのあたりに怪しさを感じたアガサと探偵事務所の面々は同時調査を開始。金目当てで結婚した新婦ではあったが、チェーン店を持つ夫は実は大して財産があるわけではなかった。では夫が逆に妻を殺したのか。遺産は誰に行くのかを調べたところ、友人の男に渡ることが判明。第一容疑者発見と身辺調査を始めるものの、真犯人は新夫で、妻が隠していた宝石を偶然見つけて分け前を寄こすように脅したところ拒否されて殺してしまったのだった。筋としてはありきたりではあるが、真相に辿り着くまでのアガサのドタバタがこのシリーズの楽しいところ。

それにしても、元PR会社の遣り手社長で性格も口も悪いというアガサの役回りがだいぶ変わってきている。実はナイーブで傷つきやすく、正義感も強い。スノス=オン=シーの町長や議員たちが町民たちのためにはないもせず、怪しい投資家集団からのカジノ構想をいとも簡単に受け入れるように町民たちを半ば恫喝するような説明会の場で、アガサらしさが爆発する場面が白眉。

「みんな、眠っているの?このいばった連中に立ち向かいなさいよ。防波堤は当然でしょ。なんおために議員たちに税金を払っているの?年金生活者は必死になって、いまいましい街の税金を払ったうえ、どうしてカジノなんて押し付けられなくちゃいけないの?」
そして、投資家集団のお金がマネーロンダリングかもしれないと匂わせた挙句に、
「では、挙手で決めましょう。カジノを望まず町は防波堤のお金を支払うべきだと考えるなら、手を挙げて」
とかってに議事を進行させてしまう。もちろん大多数の町民が手を挙げて賛成票を投じた。出所の金が怪しいとアガサに言われた投資家集団は、火事の投資話を無しにして去る。そして地元の本社が謎の出火で焼け落ちてしまう。この集団を追いかけることが出来なくなってしまう。マネロン疑惑は当たっていたのだった。

ああ、フラットシーズを吐いてきたようだね。愛が消えると、女性の新潮は7センチ低くなるんだ。
ジェームズのことが吹っ切れてヒールを履いて外見を取り繕うことをしなくなったアガサにもう一人の友人のチャールズが言う。このチャールズも自分勝手なことはジェームズ以上。支払いの際に財布を忘れたふりをすること度々、興味がなくなるとさっさといなくなる。面白そうなときだけアガサと一緒にいてくれるという身勝手は男だが、一緒にいて楽しい相手ではある。出てくる男も女も碌でもない連中が多いのがこのシリーズ。

アガサには恋に地執着する癖があった。頭の中に執着する対象がいないと、自分自身と向き合うことになる。それがつらいからだ。

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読み飛ばした(と思った)15話『アガサ・レーズンの探偵事務所』を読み始めたところ、これは読んだことあるかもという既視感がむくむくと起き上がった。読み進めると、やはり読んだことがある、でも犯人が誰なのかは記憶にないのでそのまま読み進める事ととした。色々な事件を解決してきた過去の経験と実績、ジェームズがいないことへの寂寥感を消し去るための繁忙感、これらが相混ざってアガサは自分の探偵事務所を開くこととした。最初に雇ったアシスタントは、お隣に引っ越してきた60代半ばの女性、エマ・コンフリー。とても有能はアシスタントで、本来は気が弱いにも拘わらず、傲慢なアガサに気圧されるまいと気丈に振る舞う。依頼者への料金提示はアガサの想定していた金額を上回る金額を提示し、行方不明のペットを探すのも上手い。事務仕事を任せるつもりだったが、あまりの有能さにより探偵として働くことに。その代わりに、紳士のお友達が途切れていミス・シムズを秘書として雇い、加えてビルのアドバイスにより元警官も雇い入れる。依頼の一人に、娘の婚約を破棄白という脅迫状が届いらという上流階級の夫人がいた。近々催される婚約披露パーティの席上で何も起きないようにアガサに守って欲しいという。エマと一緒にパーティに出かけたアガサは、窓から光るものを目ざとく見つけ、依頼者の身を守る行動に出る。プールに突き落としたのだ。生憎と部屋からは何も発見できなかったので、アガサの間抜けな勘違いとされてその場で馘。話を耳に入れたビルが部屋を捜索したところ、ガンオイルと空の薬きょうが発見され、アガサが見たものは勘違いではないことが証明される。晴れて捜査に戻るアガサ。

依頼人女性が娘とする豪邸は、本来はチャールズの友人でもあった真の貴族階級家族、フェリエット家のものだったが、金のために売り払ったもの。売却の際に、へリエット夫妻は購入者から小馬鹿にされるような侮辱を受けたようで、そのことをいまだに根に持っている。チャールズの手を借りて捜査を進めるが、チャールズにランチを2度ご馳走になったエマがチャールズから求愛されていると勘違いしだし、一種の精神錯乱状態になっていく。自分とチャールズの仲をアガサが邪魔していると思い込んだエマは、こともあろうかアガサを殺そうと試みる。家に忍び込んだエマは、インスタントコーヒーの瓶に殺鼠剤を入れる。部屋に現れたのはアガサを殺すように依頼を受けた元IRAの殺し屋。誰もいない家でアガサの帰りを待つ間、コーヒーを作って飲んだものだから殺し屋が殺されてしまう。エマは逃亡するものの逮捕されて精神病院送り。そんなことが起こっている間もアガサは捜査にかかりっきり。色々な手がかりを探し求め、それらから犯人を探し出そうとするもののうまくいかない。婚約相手の父親、ジェレミー・ラガット=ブラウンが金融詐欺で刑務所送りになっていたこともあり、有力容疑者と思うものの鉄壁のアリバイが存在。事件当日はパリにいたのだった。手がかりを求めてフェリエットの娘に会いにパリへ行くが、行き違いで会えない。でも、元アル中の古い友人に会ったアガサは天啓を得る。ジェレミーは自分に似た男をリクルートして入れ替わることでアリバイを作り出したのかもしれない。なんと、この思いつきとしかいえないアイデアが実際に起きたことで、アガサとジェームズがこれを証明していく。そしてジェレミーの相棒はフェリエット家の長女、フェリシティ。家を失ったことを許せず、何としても取り返すことを決心した彼女はジェレミーを操っていた。真相が明らかになってしまった以上、アガサを生かしておけない。自分の手で始末しようとアガサに家に入り込んだところ、精神病院を脱走したエマがこちらもアガサを殺そうとして家に侵入したところをフェリシティに殺されてしまい、フェリシティも逮捕に。なんと2度もアガサは自分を殺そうとして侵入した殺し屋が殺されることで助かってしまう。こう書いていると筋のドタバタ喜劇さがよくわかる。このドタバタさがこのシリーズの持ち味だ。アガサは、ティーレディであるセオドシアとは正反対の欠点だらけの女性で、捜査も行き当たりばったり。ドタバタの連続が面白くて読み進められる。一方、セオドシアは優等生。他人の悪口は言わないし、料理も自身の生活、交友関係も理想的なエレガントな女性だ。アガサは他人のことは悪く言うし、レンジで作る料理ばっかり食べている。油断していると顔には皺や口元にひげをうっすらと生えてきていることに気付いてエステへ直行するアガサ魅力的でもある。

大半の50代が60代をよぼよぼの老人だとみなしているが、アガサも例外ではなかった。自分は永遠にそんな年齢にならないと思っているのだ。
アガサを弁護するわけではないが、自分も経験があるので良くわかる。そんな年齢にならないと思っているのではない、そんな自分を想像できないのだ。さらに、自分がもつ自身のイメージは20代の頃の頃のものから変わることがないのだから人間とは浅はかなものだ。

「ずいぶんおしゃれしてますね。そのドレスの襟元が申し越し深かったら、公然猥褻で警察に逮捕されますよ」
50代半ばといえども男の目を意識するアガサは着る服に気を配る。理想的な女性であるセオドシアも着る服には気を遣うものの、アガサよりは淡白だ。アガサの貪欲なくらいの欲望日比べ。


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アガサ・レーズンと完璧すぎる主婦』はシリーズ第16作目。ブログの書き込みを読み直してみると、15作目をよみとばしてしまったようだ。道理で、突然アガサが探偵事務所を始めていたことに戸惑ったわけだ。でも、探偵事務所をいつ、なぜ開いたのかが分からないままに読み進める。ローラ・チャイルズのお茶と探偵シリーズに比べると、展開がジェットコースターのように進むことに驚いた。事件にのめり込むアガサは、見境なしに手がかりと思えるものに突き進んでいく。その姿はスラップスティックコメディを思わせるような目まぐるしさなのだ。読み手の読むスピードが上がるように仕向けているのだと思う。そのために、展開の速さがシリーズの特徴に思えるのだと考えるのだが。

探偵事務所を開いたアガサの元には、女子高校生の失踪事件、いなくなったペット探しなどしか持ち込まれない。アガサが離婚事件を断っているせいだ。このままでは事務所を維持できるか不安になったアガサは浮気調査を引き受ける。そんな折、失踪していた女子高校生の死体を見つけるという手柄を立てる。アガサが、というよりも事務所でつかっている年寄りの職員が。PRに長けたアガサは、死体発見で終わることなく、犯人を見つけ出す無料捜査を行うとマスメディアに売りこむ。宣伝材料となって依頼が舞い込むことを予想してだ。依頼された浮気調査はなんの進展もなし。相手が完璧すぎるぐらいの主婦だったから。誰に聞いても、主婦の鑑という答えが返ってくるような女性。依頼主の亭主の方は、エレクトロニクス会社を経営する威張り腐った嫌な奴。そんな亭主が殺されて、犯人捜査を調査対象だった奥方から依頼される。行く先行く先で手がかりになりそうな材料が次々と現れ、アガサと事務所職員が手を尽くして操作にあたる。このプロセスがスラップスティックコメディっぽくもあり、また、行き当たりばったりさがジェットコースター的な展開の速さを生み出しているのだろう。事件捜査の片手間にアガサの恋愛事情があり、老いに対する恐れと敢然たる挑戦とがあり、甘いものと腹回りへの配慮の葛藤があり、時折心が折れるアガサを慰める元部下のロイの登場、心の支えでありながら心をかき乱すサー・チャールズの存在と身勝手な行動などなど、これらが事件捜査に挟み込まれてくる。

女子高校生殺人と社長殺人は繋がっていると見破ったアガサだが、警察は取り合わない。それなら独自調査を進めるアガサ。犯人は、妻と殺された夫の愛人の共謀。この二人は、エレクロトにクス会社の営業担当者のイケメンと浮気していた。浮気に気付いた夫は金持ちの妻に対して金を要求した結果、逆に殺されてしまう。手を下したのは、夫の愛人だった秘書。二人は手を組み、社長を殺し、女子高校生と結婚すると言った浮気相手と女子高校生の二人も亡き者にした。薬物殺人に使った牛乳瓶が事務所の植木鉢の中にあることをアガサに見つけられてしまった二人はスペインへ逃亡。警察に相手にされないアガサたちは自費でスペインまで飛んで行って二人を確保するというお手柄を立てる。

彼は中背で、ふさふさした白髪交じりの髪をしていた。顔はしわくちゃというほど皺はなく、さっとアイロンをひとかけすれば若いころの顔に戻りそうだ。
アイロンをひとかけというのが誇張であることは分かるが、洒落ている。

最近は、そこらじゅうに嫌煙家がいるのでやっかいだ。連中の避難が空気そのものを汚染し、吸いたくもないときに煙草に火をつけさせられているような気がした。
個人的には煙草を吸うような人間は嫌いだが、でも行き過ぎた思想も嫌いだ。行き過ぎた思想そのものが空気のみならず地球を汚染しているということに激しく同意するね。

「愚かな若者は愚かな年寄理になる例をこれまでに見てきたもの」

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『アガサ・レーズンと七人の嫌な女』『アガサ・レーズンとイケメン牧師』『アガサ・レーズンの幽霊退治』と立て続けに読んだ。14作目の『アガサ・レーズンの幽霊退治』になっても、アガサは前夫のジェームズの影を引きずっている。そのジェームズの家だったお隣に、またもや素敵な紳士が越してきた。名前はポール・チャタートン。ポールもアガサに興味を感じ、一緒に探偵ごっこを始めたものの、喧嘩別れして途中からは別々に調査をしている。性格がねじけている身勝手女という設定で始まったものの、身勝手な鉄面皮の下に傷つきやすい繊細な感情を隠し持った女、という設定が板についてきた。

これまたご近所の村で幽霊が出るという噂がある家に押しかけたアガサとポールだったが、顔パックした女主の姿を幽霊と見間違えて家に逃げ前ってしまったアガサは、女主からさんざん罵倒されたうえに幽霊退治を断られてします。すると、不思議なことに彼女が階段から落ちて死亡してしまうという事件が発生。事故ではないと睨んだアガサとポールは独自調査を開始。彼女の幽霊屋敷は奥庭も広く、資産価値は高い。不仲の二人の子供の仕業か、その家を買い取りたいと望んだ企業家の仕業か。すったもんだ、いきつもどりつのいつものドタバタ捜査が始まる。捜査の過程で、必ずアガサの回りに男が登場するんだよね。今回はポールが当初の男だったが、途中からチャールズが再登場。フランス女と結婚したものの、逃げられて離婚。再び舞い戻ってきてアガサの回りに出没する。アガサには不思議な魅力があるようだ。それでないと、このシリーズの進行に差しさわりが出るからね。

結局、犯人は地元の歴史研究家であることが判明。これも偶々偶然に分かってしまったのも、いつも通りのこと。拳銃をかまえた殺人犯を目の前にしながらなす術のないアガサとチャールズの前に、タイミングよく警察が到着してめでたしめでたし。アガサの短気さ、捨て台詞、ドタバタ捜査の過程でみられるコメディまがいのやりとり等々、アガサのシリーズはいつ読んでも愉しめる。

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シリーズ十作『アガサ・レーズンと不運な原稿』の最終場面で、旅から戻ったジェームズがアガサに突然求婚する。一度は別れを決心していたアガサが求婚に応じて、二人は目出度く華燭の宴を挙げる。チャールズは、この結婚は上手くいかないといつものように遠慮なく口を挟むが、アガサは聞く耳を持たない。やはり、結婚早々二人の生活はボタンの掛け違いどころか、暗礁に乗り上げるところから第11話『アガサ・レーズンは奥さま落第』が始まる。

いつものように朝食の場で喧嘩した後、ジェームズが失踪してしまう。しかも彼の出血が家で発見されてアガサはまずい立場に追い込まれる。直前の二人の喧嘩が村人たちに知れ渡っていたからだ。夫を心配するとともに自分に関わりないことを証明するためにも、アガサはジェームズを探さねばならない。そんな中、ジェームズと付き合っていたらしい女性、メリッサが自宅で殺されているのが発見される。発見者は毎度のことながらアガサとチャールズ。なんとジェームズとメリッサは付き合っていた。これだけでもアガサにはショックだったが、アガサが調査に回る先では夫を殺した妻として人々から認知されていることに腹立たし気持ちが収まらない。

ジェームズが調べかけていた事実から、メリッサが精神に異常をきたしたサイコパスだと断定したアガサはチャールズの援助を得てまたまた独自調査を始める。メリッサは二度結婚し離婚を繰り返していた事実から、元夫のどちらかが犯人と目星をつける。このシリーズのお決まりとして、アガサが眼をつけた犯人は本当の犯人ではなく、その周辺にいるのが真の犯人。今回もその通りで、元夫の妻がメリッサと精神病院時代に一緒だったサイコパスで、彼女がジェームズとメリッサを襲っていた。メリッサは死んだが、ジェームズは頭部に傷を受けながらもフランス南部に逃げて、修道院にかくまわれて傷と自らの精神を癒す。彼は、脳に腫瘍ができていて長くは生きられない状態にあるのだった。

事件が解決して、傷と精神を癒したジェームズが戻ってくることになってところで話が終わるが、アガサは離婚する気満々。読者の想像を裏切ってくれる作者は、どのような物語を次の第十二話で展開してくれるのだろうか。

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『アガサ・レーズンと禁断の惚れ薬』はシリーズ第九話。前作の最後で殺人犯の美容師が脱毛剤を使ってアガサの髪を洗ったために、ところどころに禿ができてしまった無様な髪となったアガサは、逃げるように海辺のリゾート地に逃れていく。髪が生えるのを待つためだったのだが、リゾートのホテルに長期滞在する一行から魔女と呼ばれる地元女性の存在を聞かされて面白半分に訪問する。占いをしてもらった後に、よく効くと言われた毛生え薬と一緒に惚れ薬を買うことになる。髪が生えてきたように思うものの、毛生え薬のおかげか自然治癒力のせいか半信半疑。

アガサの訪問直後にその魔女が殺されてしまい、当然のことながら参考人としてホテルに足止めを食らうことに。長期滞在している奇妙な一行と時を過ごす羽目になったものの、地元警察の警部と仲良くなる。警部の飲み物に惚れ薬を入れたところ、効果抜群。警部がアガサに興味を持ち出してデートに誘うようになった挙句にプロポーズされる。警部を愛しているか自信のないアガサだが、誠実な彼の妻になるという状況に浮かれてOKし、しかもそのことを新聞の記事にさせてしまう。

魔女殺しの犯人が捕まらないまま、魔女の娘が戻って来て母親の仕事を引き継ぐ。魔女二世の誕生。長期滞在の一行は魔女二世に降臨祭をやらせたものの、母親魔女が二世に乗り移ったところで邪魔が入って中断、その夜、二世は海辺で溺れ死んでしまう。事故ではなく殺人だと感じるアガサ。

そんな折に記事を読んで訪ねてきたチャールズと一夜を一緒に過ごしてしまったアガサを、警部が見てしまって婚約は破談に。それでも、一人で嗅ぎまわるうちに、拾い猫(魔女の飼い猫だった)が長期滞在一行の中に一人デイジーに怯えたような態度をとったことで彼女が犯人と気づく。デイジーも部屋に一人でいるアガサに犯行を打ち明ける。次の犯行がアガサに向けられるかというその時、デイジーが喋ったことを聞いていたホテルのマネージャが警察に通報して犯人は無事に逮捕となる。

アガサが解決したのか、引っ掻き回したせいで犯人が浮かび上がったのか微妙なところはいつもの通り。そして、ジェームズとアガサとは、素直になれない男女間のすったもんだがいまだに続いて関係がこじれたまま。バブル期のTVトレンディドラマによくあった設定がそのまま繰り広げられ、続いている。

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シリーズ第八話の『アガサ・レーズンとカリスマ美容師』では、ジェームズではなくチャールズがアガサの相手役を務める。ジェームズは旅行に行ってしまって不在にしたままだからだ。牧師館のミセス・ブロクスビーに薦められて行った先の美容師に、とてもイケメンの美容師がいた。しかも腕もよい。アガサは気にって通うのだが、相手もアガサに興味があるよう。ディナーに誘われて有頂天になるアガサ。ディナーに行った先のレストランにいた村の女性は、アガサと一緒にいた美容師の顔を見るなり、サッと姿を消す始末。美容室の裏庭では、何やら男女が言い争っている。男が女を強請っているようだ。何となく胡散臭さを感じ始めたアガサだが、その勘はズバリあたった。カリスマ美容師は関係を持った女から金を巻き上げている常連の強請屋だった。アガサに興味があるように見せかけて、あわよくば関係を持ったうえで強請の相手にしようと狙っていたのだが、そうなる前にアガサの目の前で毒殺されてしまった。偶然に手に入れた美容師の家の鍵を使って、家に忍び込んだところ何者かが放火して間一髪逃れることができた。カリスマ美容師の素顔を分かったが誰が殺したのか。チャールズの助けを借りてアガサが謎解きを始める。

推理の当然の帰結として、強請られていた被害者の誰かが毒を持ったに違いない。でも、誰だ?美容師の客を一人ひとり訪ね歩くうちに彼には元妻がいることを発見。別の場所で一緒に美容室を営んでいたらしい。カリスマ美容師の代わりになる美容師を見つけて、洗髪してもらっている真っ最中に事件の調査結果を喋ってしまっているうちに、女性美容師が突然アガサを殺そうとしだした。運よくチャールズとビル・ウォンが駆けつけて犯人は逮捕。そしてアガサも命はとりとめたものの、美容師が脱毛剤をつかってシャンプーしていたために髪の毛は見るも無残な状態に。ウィッグを使えば問題ないと言うチャールズは、相変わらず相手の気持ちを気にするがない。アガサのことが好きなのか、それとも手ごろな女と思われているだけなのか。

最後の最後でジェームズが旅から帰って来て、アガサの家の方を見ると、そこには花束を持ったチャールズの姿。これでまたまた二人の関係はこじれることに。こじれるだけこじらせて物語を長引かせるのが作者の手だとは分かってはいるが、それでもこの二人の行方は気になる。


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『アガサ・レーズンと死を呼ぶ泉』がシリーズ第七話。キプロスでの出来事があったにもかかわらず、アガサはまだジェームズにご執心。ディナーに行かないかと電話で誘うが、ジェームズは「忙しい。ついでに言っておくと、ここ二・三週間はずっと忙しいと思う」とまったく気のない返事。都会のジャングルでPRという仕事をしていた時は鋼の心を持っていたはずのアガサでも、この返事には心が折れる。アガサの場合は胸ではなくて腹の真ん中が痛むのだそうだ。

カースリーの近くに、清らかな水が滾々と湧き出ている泉があるアンクーム村での出来事が今回のお話の中心。泉の水に目を付けて商品化しようと考えたミネラルウォーター会社が出てきた。村の住民は賛否両派に真っ二つに分かれる。投票直前のある日、その泉に浮いていたのは決定票を持っていた教区の議長。発見者はアガサ。平和のはずの村に、またもや殺人事件が勃発。第四話の貴族館のある村といい、今回のアンクーム村といい、アガサが静けさを求めて移り住んだイギリスの村には事件が絶えることがない。

アガサはミネラルウォーター会社の広報の仕事を引き受けた。ジェームズのつれない態度のせいで、一人で問題を解決しようと考えた結果の行動だった。会社は兄弟二人が経営していた。兄はふつうな兄とイケメンで魅力的な弟。その弟がアガサに興味を持ちデートすることに。これを見たジェームズは心穏やかではない。アガサの誘いに気のない返事をしておきながら、ジェームズも自分の心に正直になれず、それが二人の恋路をむつかしいものにしている。まるで、男女の想いのすれ違いが物語を紡いでいく80年代のトレンディードラマのようだ。

アガサが企画したPRのための地元での村祭りの最中に、泉の所有者も殺されてしまう第二の事件が起きる。ジェームズはジェームズで一人で調査を始める。そうすれば、そのうちアガサと一緒に調査できるであろうことを願って。それぞれが投票権を持っていた教区委員を調べたところ、どれもこれもいけ好かない連中ばかり。シリーズに登場する村の住民は性格が悪いと決まっているようだ。そんな人々がシリーズごとに次から次へと出てきては退場する。事件の裏にはいけ好かない住民あり、ということか。清く正しく美しい心真っ直ぐな住民は、アガサが住む村の牧師の妻であるミセス・ブロクスビーぐらい。

兄弟二人の秘書が怪しいと睨んだアガサだったのだが、この間違いが真犯人を暴き出すことに。殺人犯は経営者兄弟のイケメン弟のガイだった。ガイは、泉の水の商品化に反対する人間を排除することで計画を推し進めようとしていた。ガイはちょっと異常性格気味な傾向もある男だったのだ。彼とデートしていたアガサの目は眩んで本当の姿が見えなくなっていた。アガサが間違えて犯人と見込んだ人間の近くに真犯人がいるというのがこのシリーズのお約束ごと。ガイに連れ出されて始末される直前までいったのだが、一緒に連れていかれたミセス・ブロクスビーのおかげで助かったばかりか、事件の真相も暴くことができて大団円と相成った。


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結婚式がお流れとなった第五話の終わりで、時間をくれと言って旅立っていったジェームズを追いかけて、アガサはキプロス島にやったきた。引退後にイギリス人が好んで住む地域らしく旅行者も多い。クルージングで一緒だった3人組の2つのグループ、片方は上流意識丸出し、もう片方は金持ち成り上がり層、に反感を持ちながらも一緒に行動することになったアガサ。合間を見てはジェームズ探しを怠らない。

結婚がキャンセルされたことでアガサのジェームズに対する気持ちが冷めたかのような話の流れだったはずなのに、未練たらたらジェームズを追いかけるなんて、アガサはいったいどうなってしまったの? 押しが強くて、嫌味で、身勝手なアガサがいつの間にか恋に悩む乙女のような可愛らしいキャラクターに変わっている。とは言っても、ところどころに昔の片鱗は出てくるが。

嫌々ながらも一緒に行動していた2つのグループの中から、今回も殺人の被害者が出てくる。アガサが殺人を引き寄せるのか、よりによって観光先でも殺人事件に巻き込まれるなんてアガサもとんだ役回りだ。でも、それだから我々はこうしてコージーミステリーが愉しめる。

地元警察からは事件関係者として扱われつつも、アガサはジェームズは協力して事件捜査を開始する。離れたりくっ付いたり、この二人はいいコンビだ。キプロスからイギリス警察のビルイ・ウォンにファックスで、事件関係者の身元調査を依頼し、金が絡んでいることを見つける。一緒に行動する2つのグループともに、妻は金を持つが夫は事業に失敗して借金を抱える立場、そこにそれぞれの夫婦の友人という男が混じっている。誰が、犯人か? 

素人捜査と非難されながらも捜査を進めるうちに、アガサが崖から突き落とされそうになったり、アガサ目掛けて岩が投げつけられたりする事件が立て続く。シリーズものの主人公の特権として、アガサは常に間一髪のところで助かる。一緒に行動しているグループの誰かだと目星をつけるが確定ができない。そうしている内に第二の殺人事件が起こってしまう。

一つ目の殺人事件の凶器が先の尖った鋭利な金属であったことから、アガサは上流意識プンプンの女性旅行者を怪しいと睨む。毛糸編み針を使っていたことを思い出したからだ。ジェームズを待たずに一人で対決に赴くアガサ。睨んだとおりに、2つの殺人はその女の仕業。自分がやったと誇らしげに語った後に、嵐が荒れ狂う海へ飛び込んでいく。

この第六話は、ジェームズを追いかける片想いのアガサから始まるのだが、第四話で登場した准男爵がアガサをジェームズと奪い合う恋敵として登場する。男女の関係になってしまって、ジェームズに対して後ろめたく思うアガサと、単なる一晩きりのアバンチュールのような雰囲気を醸す准男爵のチャールズ。その後も、チャールズはアガサにいろいろと誘いを掛ける。2人の男の間で揺れ動く微妙な女心、というほどアガサは若くも弱くもない。やってしまったことはやってしまったこと、それに引き摺られない強さは持っている。でも、間の悪いことにチャールズと一緒になると、ジェームズと出くわしてしまって誤解を与えてしまう。第六話の終わりも、キプロスから戻った二人がディナーを愉しんだ後でアガサの家までチャールズが送っていったところ、折り悪く旅行から戻ってきたジェームズと鉢合わせ。ドタバタ喜劇の要素がシリーズに新たに付け加わることとなった。

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帰りは泳いでいこう、とアガサは決心した。
地中海から英国へ泳いで帰れる訳ないことは誰でも分かるが、こんな極端だが何気なさを装った一言が、乱気流があまりにひどかった様子を明瞭に伝えてくれている。

あなたは白馬にまたがった騎士が現れるのをずっとずっと待っていて、残されたのは馬糞の臭いってだけなのかな?
アガサの人となりがあるために、下品な物言いが許され、かつ愉しめるシリーズとして、このフレーズも世に言う「白馬の王子様」に乗っかった強烈な言い回しだ。白馬の騎士の代わりが馬糞の臭いとはね。これもどこかで使えそうだ。


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第四話からの流れの必然として、アガサとハンサムな隣人、ジェームズは目出度く華燭の典を挙げることと相成った。式のまさに真っ最中、こともあろうか死んだと思っていた夫のジミーが会場に現れて「中止しろ」と叫んだ結果、式はお流れとなり、ジェームズは激怒。その上、ジミーが翌朝死体となって発見されてしまって、当然のことながらアガサが容疑者として見られてしまう。

シリーズ第五話『アガサ・レーズンの結婚式』の冒頭は慌ただしい。あれよあれよという間に事件が起きてしまうのだから。それにしても、第一話で出会った時のアガサの一方通行的な想いが第四話では相思相愛に変わり、第五話で結婚に至るとはテンポが速すぎる。作者はこの先、どうやってシリーズを展開していくつもりなのだろうか?と心配になったものだが、そこはしたたかな計算があったようだ。なにせ、結婚式が台無しになってしまって、二人の仲は最初の状態に逆戻りしてしまったのだから。しかも、結婚式を台無しにしたジミーが殺人の被害者になることが、アガサとジェームズが協力して解決のために奮闘するための舞台もなっている。作者のしたたかな計算、という言葉がぴったりの第五話です。

アガサの夫だったジミーは、落ちぶれてホームレス状態だった。アガサもジェームズも自分たちの容疑を晴らすために、協力して事件に首を突っ込むこととなる。ジミーの生前の行動を洗い出すうちに、強請りを働いていた疑惑が出てくる。女性の相棒がいたようだ。相棒を探すうちに、強請りの会っていたと思われる人たちが殺されていく。ますます疑いを深めるアガサとジェームズ。

ジミーの相棒だったミセス・ゴア=アップルトンは身近にいた。アガサがジェームズと結婚することとなり、自分のコテージを売りに出したところ、買ってくれたミセス・ハーディと名乗る女性が当人だった。なんという偶然!アガサとジミーが夫婦であることなどしらず、田舎暮らしでもしようと購入したコテージがアガサのもので、しかもジミーがアガサの結婚式に異議申し立てにやって来た時に顔を合わせてしまった。早速、昔の相棒を強請ろうとしたジミーだが、逆に殺されてしまったというもの。

最後の最後まで、ミセス・ゴア=アップルトンの正体がわからないままの二人だったが、ほぼ時を同じくして見つけた昔の写真から、隣人がミセス・ゴア=アップルトンであることに気付く。ジェームズはロンドンで、アガサは元自分のコテージで。気付かれたミセス・ゴア=アップルトンが、火かき棒でアガサの頭を殴りつけ、」気絶したアガサを生き埋めにして殺そうとしたその瞬間、ジェームズからの連絡を受けた警察が飛び込んできて、無事に救出。そして犯人は逮捕という目出度い展開に。そして、ジェームズは考える時間をくれと言って旅に出てしまう。二人の仲が戻りそうな予感を残しながら、第五話の目出度く終わる。

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「自分が鯨の糞ほどの価値もない気がするわ」
「彼女のおケツから後光が射しているとでも思っているのでしょうね」

辛辣かつ下品な物言いはアガサならではだが、二つ目の台詞は物語の最後でジェームズも口にしてしまう。アガサと部長刑事のビル・ウォンとの仲を嫉妬した結果だ。上流階級の男であるジェームズがアガサの影響を受けていること、この下品は台詞をジェームズに口にさせることで、二人の心理的距離はいまだに近いことを伝えようとする作者の気配りだね。

「最近は心理学用語をやたらと使ったわけのわからない言葉が溢れ返っている。それが芝居がかった行動につながっているんだよ」
「心理学用語」という代わりに「横文字のビジネス用語」にすると、DXだ、サブスクだ、IOTだ、インダストリー4.0だ、と次々に表れては消える単語に踊らされているビジネス界の現状を表わした台詞に早変わりするのが不思議だ。

「彼はとても変わった人だから。彼はいわば自分の心を仕切って小さな部屋に分けているんだと思うわ。恋人としてのアガサを受け入れる部屋はぴたっとドアが閉ざされていて、友人としてのアガサを受け入れる部屋のドアが開いているのよ。何もないよりもましじゃない?」
ジェームズの心変わりを嘆くアガサを慰めるミセス・ブロクスビーの言葉。上流階級に属する上品な男ではあるが、ちょっと変わり者ともいえるジェームズの気質を見抜いている。ちょっと変人ぽいな、と思っていた私も、この言葉を読んで、なるほどなぁ、とジェームズという男が分かったような気がしたものだ。

「最初に会った時、彼はわたしが世界でたった一人の大切な女性だと思わせてくれたの。それにジミーは、自分がきれいだと感じさせてくれた人生でたった一人の人だったわ。賢いこともいわなかったし、冗談も気が抜けていたけれど、関係が悪くなるまでは、私をいい気分にしてくれたし、天にも昇る心地にしてくれた。世界には何一つ悩みなんでない、おもしろおかしい場所であるかのようにね」
こんな台詞を口にするアガサがなんて可愛らしいことか。第一話で登場した場面では、ビジネス世界でやり手の口うるさい性格最悪婆あとしか思えなかった女性が、こんな塩らしいことを言うなんて。プラスがプラス値を増大させるより、マイナスをプラスに変換させた方が変化度合いが大きく感じる、アガサが可愛く思えて仕方がなくなるように仕込んでいるとは分かりながら、作者の術策にしっかりとハマってしまっています。


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シリーズ四作目は『アガサ・レーズンと貴族館の死』。前作のお話の経緯により、期間限定で手伝うこととなったロンドンでの広報の仕事を無事に終えてアガサがカースルーに戻ってくるところから始まる。ロンドンで広報ウーマンとして働くアガサは、昔のタフさ、嫌み、人間としての毒がたっぷりと出ており、何よりもアガサ自身がそれを分かって嫌悪している。

今は愛おしくなった田舎での暮らしに戻った頃に、隣村に住む準男爵の敷地内で殺人が起こった。事件関係者の一人であるデボラがカースリーに住む親戚に助けを求め、アガサがまたまたお隣りに住むジェームス・レイシーと共に殺人事件に立ち向かうこととなる。準男爵のサー・チャールズ・フレイスが当然のことながら第一容疑者となるのだが、このチャールズがジェームスの知り合いの知り合いということで、近くの市内にあるチャールズの住まいを根城にしてアガサとジェームズが夫婦のふりをして捜査にあたることとなる。当初は、アガサの執拗なアプローチを恐れて夜には寝室のドアに開かないように細工さえする始末のジェームズだった。

殺されたのは地元の教師でハイキングクラブのメンバーの女性。彼女は周りのすべてをコントロールしたがる自己中心的で他人を支配することに喜びを感じるタイプ。貴族階級への反感もあり、古くから認められている「権利通路」を使って準男爵の領地を横断するついでに畑をめちゃくちゃにしてやろうと目論んでいた。準男爵の丁寧かつ紳士的な対応に他のハイキングクラブメンバーは同行しなかったために彼女は一人で敢行することとなり、結果は畑の中で死体として発見されることとなる。

アガサとジェームズの捜査がノロノロと進むうちに、第二の殺人も起きる。死体を見て気分を悪くするアガサをジェームズが優しく介抱する。当初、夫婦の振りをすることが嫌でしかなかったジェームズだが、アガサの快活さを知らず知らずに受け入れてるようになったばかりか、失くしたくないと思うようになっていた。そして、アガサ自身がジェームズに対する恋心を押さえつけることに成功するにつれ、逆にジェームズの気持ちが高まってくるという男女間の不思議な逆相関関係がここでも見られる。

色々と調べるうちに、準男爵が犯人に違いないと信じた二人が館に乗り込んだところ、真犯人であるデボラが準男爵を殺そうとしていた現場に出くわして、結果として目出度く捜査が成功裏に完結することとなる。そして、なんとアガサはジェームズからプロポーズされ、ふたりは結婚することとなるというお話で第四話が終わる。


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理性と感情がアガサの中でせめぎあっていたが、結局感情が勝ちをおさめた。
貴族である準男爵からランチのお誘いを受けることは、庶民にとって特別なことなんだね。ロンドンのスラム出身はアガサは「恐れおののいていた」という表現がされているくらい。階級社会の一端が窺い知れる。

この年になったら、早めにお墓に入ること以外に楽しみなんで何もないわ。
アガサの年はどのくらいだろうか?決して、60歳を超えてはいないはず。それでもこんな言葉を口にするとは! 彼女よりも年上である私にこそ、この言葉を口にする権利がある。そして、同時に思うのは、死ぬ前にもっと愉しみたい。愉しむのは今からだ、と。

最近は”スラム街”などという言葉は使われない。密集地区(インナーシティ)と呼ばれている。婉曲な表現によって、その薄汚さと暴力と絶望が取り除かれるわけもないのに。
ポリティカリー・コレクトだとか、差別性を失くすために新しい言葉が次々と出ている。もちろん、差別には反対だが、単に言葉を入れ替えただけで問題がないように振る舞うことは、差別用語を使うこととは別の次元での社会の闇だと思う。そんな私の思いを代弁してくれるような台詞だ。

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『アガサ・レーズンの完璧な裏庭』はシリーズ第三作目。第一作目を読んだのが2018年6月だから2年以上経過している。2年以上のブランクがありながら、主人公のアガサの性格の悪さの記憶は鮮明に残っており、偶には強烈な毒を持つアガサのシリーズでも読もうかと選んだのが三作目だった。

好戦的で意地悪で競争となったらズルをしてでも勝たないと気が済まないという性格は以前と変わらないが、アガサを迎い入れたカースリー村には変化がおきていた。アガサを受け入れるようになっていたのだ。痘痕も靨なのか、住めば都なのか、それとっもブスも見慣れりゃ慣れるなのか、アガサの正直なところが村民たちには人気が出てきたようだ。第三作では、ガーデニングが得意で料理も上手、しかも美人なっ未亡人であるメアリー・フォーチュンが村に越してくる。そして、アガサが憧れている隣人のジェームズとよろしくやっている仲にまで進展している中に、アガサが長期の海外旅行から帰ってくるところから始まる。帰国してすぐにジェームズと顔を合わせたところ、相手はさっさと家の中に引っ込むというよろしくない状態。一方、新参者のメアリーとジェームズの仲はすこぶるよろしい。嫉妬心がメラメラと燃え上がり、メアリーに対する闘争心が沸きあがるのはアガサの持って生まれた性分。

村ではガーデニング・コンテストを行うこととなり、アガサは入賞して村の皆もジェームズもあっと言わせ、メアリーに意趣返しとしてやろうとするが、初めての取り組みに上手くは行かない。そこで、得意のズルをすることにする。庭の周りを高い塀で囲んで見えないようにして、コンテスト前日の夜に買い入れた花々で庭をいっぱいにしようと画策する。

そんな最中、庭の手入れに余念のない住民の庭が次々に荒らされるという異変が起きる。そして、とうとうメアリーが殺されてしまうという事件まで起きて、アガサの活躍の場が生み出されることとなる。中国系の刑事、ビル・ウォンと協力しあいながら、時には出し抜きながらアガサは殺人犯人と庭を荒らした犯人の両方を暴き出していく。

この第三作には、これと言って目についたセリフはなかった。が、毒舌で性格悪いアガサが何を言うか、何をするかが愉しみで、272ページの物語が一日で読み終えてしまった。メアリーが庭荒らしの犯人で、それを見つけた被害者の一人がメアリーを殺すという仕返し型の殺人事件なのだが、その謎解きよりもコントを見るかのようなアガサの活動が愉しくて愉しくて、一気呵成という言葉がぴったりくるように途中で本を置くのももどかしく、最後まで一気に読み通してしまった。

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普通のコージーミステリだったら、一生懸命に努力しながら世間さまに迷惑かけずに真っ当に生きている一般ピープルが主人になるのだが、このシリーズの主人公であるアガサ・レーズンは全く違う。生き馬の目を抜くロンドンのPR業界で成功したキャリアウーマンが早めの引退をして、理想だと思ったコッツウォルズのカースリー村で田舎暮らしを始めたところ、平和のはずの田舎で人殺しが発生、好奇心旺盛なアガサが首をつっこんでいくことで物語が進展する。

なにせ、この主人公、多少の嘘や無作法などお手のもの。1作目を読み始めた時には、この大阪のおばちゃんを彷彿させる強引かつ俺様キャラに驚き唖然としたものだが、シリーズを2作も読むと、このいけ好かないおばさんキャラにも次第に心を許してしまい、痘痕もえくぼ状態になってしまう。ほんと、不思議だね。

2作目の『アガサ・レーズンと猫泥棒』では、愛猫が誘拐されて泣きの涙にくれるアガサらしからぬアガサが描かれ、1作目で描かれた悪役キャラが若干方向転換している。私からすると、いけ好かないキャラをずっと押し通して欲しかったけれどもね。


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ピューリタンが熊の罠に反対するのは、熊に苦痛を与えるせいではなく、世間に喜びを与えるからだ
ストイックな生活を要求するピューリタンに対する皮肉なんだろうね。

ディスコで新しいタイプの精神安定剤だという触れ込みで、薬を売りさばいていたそうだ。レミントンの若者は健康に自信を持って大丈夫だよ、今頃は寄生虫がきれいに駆除されているだろうから
馬用の薬を騙して売りつけられた馬鹿な若者たちに対する。シニカルなジョーク。これまた、英国らしい皮肉だね。

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コージーミステリを読み耽る愉しみ その5 英国王妃の事件ファイルシリーズ(リース・ボ-エン著)

2023年10月28日 | パルプ小説を愉しむ
今年(2023年)の1月に出された第15話『貧乏お嬢さまの困った招待状』は、新刊であったために予約者が20名以上もいて数か月待たされた。そして、待たされるだけの価値のあるシリーズであることを再発見した。
愛しのダーシーと結婚して数か月が経った11月のある日。屋敷の女主となったジョージアナは自分が今年のクリスマスをどう過ごすのかを決めて手配しなければならないことに気付く。そこで、親しい友人たちを招待してハウスパーティを開こうと考えて招待状を出したところ、王妃陛下の昔の女官を勤めていたというダーシーの叔母から館に来るように招待を受ける。この時期には、その隣の地所で家族の集まりを持つ王族たちがいる。招待の裏にある王妃からの無言の圧力を感じた二人は、自分たちの計画を諦めて、叔母が王妃から借りているレディ・アイガースの館へと向かう。二人の他に、レディ・アイガースのコンパニオンであるミス・ショート、アメリカ人の退役軍人夫婦、元近衛師団の少佐だった男と妻、ジョージーの母と兄の家族4人(子供が二人含めて)、そこにデイビッド王子とシンプソン夫人までも加わることになった。お隣の王家では、国王主催のささやかな狩猟が行われ、そこでデイビッド王子の肩先を散弾銃弾がかすめるという事故が起きる。単なる事故なのか暗殺計画なのか不明なまま、クリスマスシーズンが進む。ボックスデイの朝、王子とその友人にして護衛、ジョージーの三人で乗馬に出かけようとした矢先、シンプソン夫人が怪我をしてロンドンへ帰ったと聞いた王子を乗馬をキャンセルして夫人の後を追う。友人にして護衛のディッキーと2人で霧の中を乗馬に出かけたジョージーは、先を走っていたはずのディッキーが落馬して重症を負っているのを発見。死に際の言葉は、妻に対する謝罪の言葉とタペストリーと聞こえたような単語のみ。馬の扱いに慣れていたディッキーが落馬するには訳があるはずと疑いを持つジョージーとダーシー。王妃も同じように疑いを持っていた。なぜなら、昨年も同じように王子の護衛役が落馬して死んでいた。それにシンプソン夫人の事故も誰かが引き起こした可能性がある。疑惑が次第に大きくなる中、館に滞在していた少佐が狩猟会の最中に撃たれた姿で発見された。人々の後ろに立って狩猟会の面倒を見ていた少佐を撃つには背後から忍び寄る必要がある。無政府主義者かアイルランド過激派か、それとも何らかの遺恨を持つ人間の仕業か。ディッキーの死因が気になるダーシーとショージーは事故現場に何度か足を運ぶがこれといった発見はない。折れた枝がころがり、少し離れた庭番の家のゴミ捨て場に使い古されたロープ。この2つが怪しいとみたが、どう使ったのかが分からない。そんな中、王妃から呼び出しを受けたジョージーが王家の屋敷で待つ間、部屋に飾られたタペストリーに目をやると、ロープで吊るされた攻城兵器を使っている折柄を偶然見つける。ロープと木の枝の使い方に気付いたジョージーがやることは誰がやったのか。ダーシーの叔母、レディ・アイガースが昔描いていた絵に意味が込められていることを発見したジョージーは、レディ・アイガースが妻を裏切っている夫に対する復讐をしていることに気付く。そこで、ダーシーが不貞を働いているかのように見せかけたところ、レディ・アイガースは見事に引っ掛かりダーシーを殺そうと氷の張った池へと警察を装って呼び出す。心配になったジョージーが車に隠れて同行。氷が割れて池に落ちてしまったダーシーを間一髪救い出すとともに、レディ・アイガースをダイスタックルで捕まえることができたのでした。

怪しい事件は起こるものの、直接的な殺人と思える事故が起きたのは245ページまで進んだところ。全体で410ページの物語だから、半分以上経過してからがミステリ本来の始まりとなる。「お茶と探偵シリーズ」のように第1章で事件が起こるのとは大違いなのだが、スロースタートであることがまったく気にならないのがこのシリーズの持ち味。ジョージーの人となりが醸し出すほんわかとした優しさとお転婆さが入り混じった気持ちのよい雰囲気の中で進む物語に身を任せて読み進むのが悦楽。

この女性 - これほど小柄で、これほど美しくて、これほど自己中心的で、そのうえ男性に対して圧倒的な影響力を持つ - からよくもわたしが生まれたものだと何度目かに考えていた。
もちろん、女優の元公爵夫人にしてジョージアナの母親についての描写。「男性に対して圧倒的な影響力を持つ」ような女性は日本では、少なくとも私の身の周りでは見たことがない。欧米にはいるのだろう。

これまで何人もの殺人者と出会ってきた。その中には人の命をなんとも思わない、疑いようもなく邪悪な人間もいた。けれどそれ以外な、我慢の限界を超えて、殺人だけが唯一の逃げ道となってしまった、悪というよりは痛ましい人たちだった。
こんな見方が殺人者に対してできるジョージアナの優しさがシリーズ全般の下地となっているために、ほんわかとした読了感が得られる。

「頼むから、あの子たちには子供時代をうんと楽しませてやってくれ。それでなくても、あっという間に過ぎ去ってしまうんだ」
珍しくもジョージーの兄、ラクノ公爵が妻フィグに対して言った言葉。これまでも、常にフィグの言いなりになっていた印象が強いビンキーだが、子供を前にして言うべきことは言えるようになったようだ。

「ここがあなたの国でないことは承知していますが、わたしたちは伝統を重んじていますし、それを壊そうとする人達には心を痛めています」
滞在しているアメリカ退役軍人夫婦が英国人の風習に対して批判的であることに対して、女主のレディー・アイガースが放った言葉。露骨に対立するような言い方でないことが教養ある人間であることの証なのだろう。

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14話の『貧乏お嬢さま、追憶の館へ』では、祖母の遺産を相続した親友のベリンダに誘われてコーンウォールにあるという家を訪れる。家は崖沿いに立つあばら家同然の家でまともな台所も風呂場もない。他に行くあてのない二人はそこで一夜を過ごすが、夜に男がやって来て一緒のベッドで寝ていたことが朝になって分かる。その男はベリンダの幼馴染の男で、ベリンダは密輸か何かの怪しげな仕事をしているに違いない男という。こんなところには泊まっていられない。街に戻って宿場できるホテルを探すが、シーズン外れのこの時期に部屋を貸すところはないっと言われる。困っている二人の前に、幼馴染のローズが現れて二人を家に招待する。ベリンダの家の料理人の娘であったローズは、地元の名家に入った男と結婚して女主人となっている。元々の所有者は事故で死んでいる。夫のトニーは崖から落ちて死んだ元の所有者の娘、ジョルキンの夫でローズは後妻。寂れた田舎で奉公人からも疎んじられて暮らしているローズにとって、幼馴染ベリンダの登場は懐かしくも心強かった。何事においても完璧な家政婦の目を気にしながら毎日を過ごすローズは、夫に殺されるかもしれないと二人に漏らすが、そんな中夫のトニーがベリンダのベッドで短剣に刺されて殺されるという事件が起きる。親友ベリンダが逮捕されてジョージーが真相究明に乗り出す。真相究明と書いたが、このシリーズのジョージーは行き当たりばったりの行動の連続で、彼女の持つ何らかの幸運を引き寄せる力でヒントが積み重なる。ベリンダやジョルキンが子供だった頃、コリンという名の男の子が川で溺死する事件があった。潮の干満ゆえに河口の水量が増えている時に泳げないコリンはジョルキンやトニーたちから見放されて溺れたのだとか。しかもジョルキンはコリンが泳げないことを知っていて危険な場所に連れ出して遊んでいた可能性がある。関係者を調べているうちに、潜入捜査を近隣でしていた夫のダーシーとばったり出会って家政婦の身元調査を頼んだところビンゴ!溺れ死んだコリンの生みの親だったのが家政婦のミセス・マナリング。元々はこの屋敷の女中であったマナリングは、当主から言い寄られて子供を身籠ったが捨てられ、未婚のまま出産したコリンを養子に出して古巣の屋敷で娘ノジョルキンに仕える女中となった。ジョルキンとトニーがコリン溺死に関係あると知って二人を次々と殺害し、ベリンダに罪を擦り付けようとしていた。すべてが露見してしまったミセス・マナリングは屋敷に火を放って自分も死んでしまうという結末。一応筋は通っているミステリーだが、ドタバタ感が最後まで続いている。イギリス王位継承権を持つビクトリア女王のひ孫のジョージーは、人の好い人物だがドジなことこの上ない。そんなジョージーの物語だからドタバタは許される。

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結婚式の次は当然のことながら新婚旅行ということで、第13話は『貧乏お嬢さまの危ない新婚旅行』。結婚式場からジョージーとダーシーが直行したのはテムズ川に浮かぶハウスボート。人気のない岸辺だし、手配してくれた友人は食べ物(キャビアも)と飲み物(シャンパンも)を存分に積み込んでおいてくれたので、2人は誰に邪魔されることなく、そして事件に邪魔されることなく甘い甘い数日を貪っていたものの、食べ物が少なくなり氷も溶けてしまって飲み物も冷やせない。そしてジョージーはキュウリのサンドイッチが食べたい。そこで2人はロンドンのラクノハウスに向かう。義姉ノフィグに嫌みを言われつつも、結婚プレゼントを整理しているところに王妃さまからガーデンパーティに招かれる。栄えあるガーデンパーティの席上で、ダーシーが新婚旅行にケニアを予定していると発表したところ、王妃さまから内々の頼み事をジョージーはされる。かの地に行っている王子を見張って欲しいと。世紀の恋と呼ばれるシンプソン夫人との仲が進展しないように見張って欲しいということだった。

鉄道と飛行機を乗り継いで到着したケニアのハッピー・ヴァレーはとんでもないところだった。その地に根を下ろしている成功者たちは、自分たちならではルールで暮らしており、夜は夜で酒池肉林の乱痴気騒ぎ。そんな中、一番最初にこの地を切り開いた成功者のブワナ・ハートレーが殺される。乱痴気パーティから抜け出した帰り道の途中で、車のエンジンをかけっぱなしで、側の茂みの中で倒れていた。アフリカだから当然のように死体はハゲワシがついばみ始めている。先住民たちの犯罪と頭から決めつけるかの地の上流階級の人々の考えに納得いかないジョージーはダーシーの友人の政府職人に手を貸すことで事件に首を突っ込むことになる、毎度のように。

すべての人間(白人)が怪しい中でなんの証拠もでない。結局、犯人はブワナの家で働くマサイ族の使用人ジョセフだった。彼は、単に使用人なのではなく、ブワナがマサイ族の女との間に作った息子で、イギリスで教育を受けさせてハッピー・バレーの家で使用人として使っていた。当初は息子としてちゃんと扱うという約束だったが、その後何人もの女と結婚離婚を繰り返し、最後は農園を維持するために結婚した金持ちのアメリカ女性との手前、母親であるマサイ族の女性を追い出し、ジョセフを息子として扱うよりも使用としての扱いが多くなってきていた。そんな中、ブワナが貴族の称号を受け継ぐこととなり、子供たちを呼び寄せて遺言を作った。遺言の中に自分のことが全く書かれていないことを知ったジョセフは、自分と母親への裏切りと見なして殺したのだった。

ジョセフを犯人だと見破ったのはジョージーのみ。しかも、ブワナの葬儀の折に、一人の黒人女性と目を交わし合うジョセフの様子を見てピンときたジョージーだった。謎解きになんの脈絡もないのだが、それでも不自然ではないところがさすがにコージーミステリー。ダーシーとのケニアでの新婚旅行、ハッピー・ヴァレーの乱痴気度合い、事件を捜査する現地の警察官とのやり取り等々、事件の回りの状況進展で読み進んでいくうちに、なぜかジョージーがいつものように犯人に行きついてしまう。このジョージーの活動は、ジャネット・イヴァノビッチが書いたステファニー・プラムのシリーズと相通じるところがあるように思う。ステファニー・プラムほど、ハチャメチャで行き当たりばったりのスラップスティックもどきの活動ではないにしても、ドジなジョージーや何をやらせてもへまばっかりの召使、そして上流階級の人間たちの身勝手な行動等々、一般ピープルから見た上流人たちの可笑しくも愚かしい姿を垣間見て笑いにしている、そんなのぞき見的な趣味も見え隠れするように思うのは考えすぎだろうか。

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彼らの論法には正義は含まれていないようだ。
現地の人間たちは、揃って犯人を先住民と決めつけてかかっているのをみてジョージーが漏らした感想。「自分に都合の良い解釈」だったり、「先入観の塊から生まれる間違った判断」というよりも短い語数で、彼らの考えの誤りを指摘している。「正義は含まれない」というのは、単に正しくないという以上にそう考えている人たちの頭の構造に対する大いなる異議申し立てでもある。とは言っても、結局犯人は現地の人間だったわけだが。

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いよいよ貧乏お嬢さまのジョージーがダーシーと結婚式を挙げることとあいなった。アガサ・レーズンの結婚式騒動に引き続いて、結婚がテーマとなったシリーズ第12作の『貧乏お嬢さまの結婚前夜』を愉しんだ。

とは言っても、すんなりとは行かないのがミステリー小説の常。お金がないジョージーとダーシーは結婚後に住む部屋を探すが、家賃高騰しているロンドンには満足できる物件がない。落ち込んでいるジョージーに突然朗報が舞い込む。ジョージーの父親と離婚した後に、母親クレアが結婚(そして離婚)していたサー・ヒューバート・アンストルーサーから知らせが届いた。ジョージーに屋敷を自由に使って欲しいという。ジョージーを気に入っていたヒューバートは、自分の子供がいないためにジョージーを相続人にしている。結婚の知らせを新聞で読んだヒューバートからジョージーへのプレゼントだ。でも、知らせには気になる一文があった。それは屋敷の様子がおかしいので探ってくれというもの。

その一文が気にはなったものの、豪邸が自由に使えて維持費も出してもらえるとあってジョージーは上機嫌。着いてみると、召使たちの様子がおかしい。命令に反抗的でマナーもなっていない執事(ジョージーによると執事とは主人の10倍もマナーが優れている生き物なのだそうだ)に料理下手の料理人、ふてくされるメイド、ろくに働かずに庭園でできた果実を地元商店に勝手に売って金に換えている庭師。そして、屋敷の西別館には幽霊らしきものが。この屋敷で何が起きているのか、それをめぐってジョージーが立ち回る姿がずっと描かれる。読んでいるこちらも、何が起きているのか興味が引き立てられて、ちっとも飽きずに読み進められる。

母親のクレアもドイツ人実業家マックスとの結婚が暗礁に乗り上げてしまって、ジョージーと一緒にヒューバートの屋敷にやってくる。心強くはなったが、母親が気になるのは自分のことだけ。ジョージーは女主人としての威厳を示そうと、そしていつもの探求心を発揮して、屋敷で起きていることを探ろうとする。

西別館に住んでいたのは幽霊ではなく、ヒューバートの年老いて耄碌した母親だと説明される。でも、何か変。昔の召使たちを訪ねて情報を取っていくうちに、今いる執事は本来の人物ではないこと、ヒューバートの母親は口うるさい婆だが決して耄碌してはいなかったことを探り出す。今いる召使たちは何者か?ロンドンに住む祖父(こちらもお隣さんとの結婚が予定されていたが、相手が死んでしまった)に相談したところ、ロンドン警視庁の元部下に引き合わされる。元部下、今は警部が言うには、屋敷にいる召使たちはバードマンと呼ばれた窃盗団の一味に違いないという。一味が逃亡を企てていることをしったジョージーは、警察と連絡を取り合いながら彼らを一網打尽にすることに成功する。またもやお手柄。

かくして、屋敷も無事に昔通りに運営されるようになり、ダーシーとジョージーは無事に結婚式を挙げることができたのだった。


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婚約者ダーシーの父親の無実を証明し、ジョージーはキレニー城(ダーシーの一族が所有する城と領地)で幸せいっぱいに暮らしていたのもつかの間、ダーシーが旅立ってしまうというオープニングで始まるのが、シリーズ第11作目の『貧乏お嬢さま、イタリアへ』。秘密の任務をおおせつかったようだ。ゾゾ(ポーランドから亡命してきた王女)も飛行機による世界一周レースにでるために居なくなって、ただでさえ侘しいアイルランドの片田舎のキレニー城に残されたジョージーは寂しい思いをしているところに手紙が到着。出産のためにスイスとの国境沿いのイタリアの町にいる親友のベリンダが心細さのためにジョージーに来て欲しいと催促と、皇位継承権放棄についてジョージーに直接確認したいという王妃陛下からの手紙だった。キレニー卿には悪いと思いつつも、喜んでロンドンへ戻るジョージー。ダーシーとの結婚のためなら王位継承権は要らないときっぱりと言い切ったジョージーに王妃は、そこまで決心が固いならば応援すると約束してくれたので、これでジョージーもひと安心。これから親友を訪ねてイタリアのマッジョーレ湖に行くと聞いて王妃はジョージーに頼みごとをする。息子のデイヴィッド王子が愛人のシンプソン夫人とその地域のイタリア貴族の家のハウスパーティに出席することになっており、ひょっとすると二人はその地で結婚してしまうのでは、と危惧した王妃がジョージーを丁度よい見張り役として送り出すことにしたのだ。大した用でもないと考えたのが甘かった。

ハウスパーティのホステスはイタリア貴族に嫁いだイギリス貴族の娘で、昔ジョージーとベリンダが学んだスイスのお嬢さま学校に一緒に行っていた頃の敵役だったカミラだという。昔を思い出して一瞬たじろぐが、王妃からの頼みは断れない。王妃からの口添えの手紙もあり、ジョージーは無事にハウスパーティに潜り込むが、そこに居たのは不可思議な取り合わせの人々。ホスト役のパウロ(カミラの夫)の叔父はムッソリーニの顧問をしているというイタリア政界の重鎮。そこに、ドイツの将軍とその副官、ジョージーの母親のクレアと恋人のマックス、デイヴィッド王子とシンプソン夫人、それにドイツ貴族というハンサムは青年のルドルフ・フォン・ロスコフ伯爵。このルドルフはイタリアへ向かう列車の中でジョージーを口説こうとし、あわやレイプ寸前にまで行きかけた品行の良くない男。不思議な組み合わせの人々が集まる中、ルドルフが殺されるという事件が発生。最初は自殺かと思われたが、左利きのルドルフが右手にピストルを持って自殺するのはおかしいとジョージーの鋭い観察眼が見抜く。余計なことをすると一行から大顰蹙をかったものの、事件は事件として自意識だけで膨れ上がっている現地の無能な刑事がしゃしゃりでてくる。

調べていくと、ルドルフは招待されておらず、ドイツの将軍一行も彼を招いていないことが判明。それだけではなく、ジョージーの母親がルドルフに脅迫されていることも判明し、その上ホステス役のカミラとの間にも不審な様子が見て取れる。使われたピストルは、クレアの所有物だったために、母親が有力な容疑者になる中、脅迫のネタを捜してくれという母親のたっての願いを断れない。脅迫のネタは二人の情事を隠し撮りした写真で、それが明かされるとクレアはマックスに捨てられてしまうだけなく、殺人犯確定になってしまうのだ。またもやジョージーは泥沼に嵌まり込んで行く。

写真の隠し場所かと思った離れの小屋を探っていると、そこに突然ドイツの将軍とムッソリーニ顧問でもあるパウロの叔父、そしてデイヴィッド王子たちが秘密の話し合いをするために小屋に入ってくる。長いテーブルクロスが掛かっていたことを幸いにジョージーはテーブルの下に隠れるが、そこで交わされた会話を耳にしてしまう。ドイツとイタリアが英国を自分たち側に引き込もうとして、デイヴィッド王子を利用しようとしている。

今までに色々な事件に巻き込まれ、危ない思いもしたジョージーだが、このテーブルクロスの下に隠れて秘密の会話を聞いてしまうシーンは、いままでのシリーズの中で一番スリリングであることは間違いない。特に、テーブルの下に落ちたライターをルドルフが拾おうとする場面は、思わずヒヤリとさせられる。ヒッチコックばりに緊張感が高まったシーン。

見つからずに無事に小屋から脱出できたジョージーの前に庭師に扮して紛れ込んでいたダーシーが現われてびっくり仰天。デイヴィッド王子がこんなところに来ることの不自然さに疑問を感じていた当局がから派遣されていたダーシーだったので顛末を報告。ダーシーの秘密指令は無事に終了。

だが、そこでルドルフが実は英国のために働く二重スパイであることを明かされ、事件は一層複雑になっていく。一つ無くなっていた枕を探そうとだだっ広いクロゼットの中に入ったジョージーは偶然にも隣部屋との境が取り外せることに気付く。そして、事件は隣の部屋で起きたにも拘わらず、銃声を聞くこともなく眠りに落ちていたのは、そのメイドが淹れたハーブティーに薬が混ぜられていたのではないか。誰も彼もが怪しく思えてしまう中、突如バラバラだったパズルが一つにまとまり、あまりに有能であるが故に怖いくらいの存在であったメイドが犯人と気付く。

メイドはナチスの秘密組織のスパイで殺し屋だった。メイドの手を逃れてダーシーを探しに夜の庭園に出たジョージーに、メイドが気付いて追ってくる。残念ながらこのシーンの怖さはいま一つでした。なぜなら、メイドの他にダーシーと目される第三の影が現われしまうから。ダーシーと二人でメイドを捕らえて警察に引き渡して一件無事に落着。邸宅内の礼拝堂に隠されていた母親の脅迫ネタも焼却して一安心。

今回のエンディングは、スイス側の療養所から抜け出していたベリンダが、借りているヴィラで突然産気付き、たまたま訪れていたジョージーとダーシーが生まれてきた男の子を取り上げる羽目になってしまう。生まれたきた男子は、ジョージーの思いつきで子供が生まれなかったカミラとパウロ夫婦に養子として引き取ってもらうことにして、こちらも無事に落着。

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世紀の恋として名を馳せたシンプソン夫人だが、この物語では、常にその場を取り仕切っていないと気がすまない高慢で自己中心的な存在として描かれている。次期国王のデイヴィッド王子を皆の前で呼び捨てにしたり、飲み物を取ってくるように命令したり、およそマナーの欠片もない人間として描かれている。人が殺された次の日、予定していたミラノにショッピングに行けなくなったことに機嫌を悪くして、こう言い放つ。
「わたしたちが滞在している家で自殺するなんて、なんて軽率なことをするのかしら」

自分を中心にして世界が廻っている、と考えている人間ならでは発言だよね。一方、心のやさしいジョージーは、母親を脅迫していた男と言えども殺されてしまった翌日の雰囲気をこう言っているのと対照的だ。
背の高い窓の外に見える湖も、わたしたちの気分を反映していた-どんよりとした灰色で、向こう側に見えるはずの湖は霧のベールに隠れていた。

今回も、さりげない風景描写があちらこちらに見られて、物語の雰囲気を醸し出す役割を果たしてくれている。ダーシーとゾゾが居なくなったキレニー城にいる気持ちがこう書かれている。
春の香りがする空気のなか、生垣に春の花が咲く道路を歩くのは気持ちのいいものだ。それでもわたしはここをでていきたかった。

ハウスパーティが開かれるヴィラの光景はこう描かれている。
風にたなびいた髪を調えながら、私は眼前の景色を眺めた。ゲートの向こうはきれいに手入れされた芝生と花壇が広がり、斜面をあがった先には木立や緑地庭園が見える。黄色い砂利の私道は両脇にヤシの木が植えられていて、突き当りは噴水のある前庭になっていた。ヴィラは、イタリアの大邸宅というイメージそのものだ。

そして、室内の描写はこうだ。
青と金色に塗られた高い天井、金メッキが施された、水色のシルクの錦織の椅子、同じよながらのシルクの壁紙が貼られた壁いは、イタリアの画家ティントレットによるベニスの風景や、わたしが知らない画家の手による宗教画などがずらりと飾られていた。白い大理石の床にはペルシャ絨毯が敷かれ、低いテーブルには大掛かりな花の飾りが置かれている。(中略)思わず息を呑んだと思う。そこはヴェルサイユ宮殿のミニチュア版のようだった。

戦争前の貴族たちの裕福な暮らしというのは、想像もつかないほど豪華だったのだろう。その一片を見せてくれるのが、それぞれのシリーズの中にある著者の描写なのだが、それに比べて貧乏お嬢さまであるジョージーの貧しい暮らしと両極端だ。それでも、ダーシーとの愛やベリンダとの友情、国王と王妃の信頼とスリリングな出来事に次々に巻き込まれる決して飽きることのない冒険、そして何よりも常に前を向いて明るく生きているジョージーの暮らしが悲惨だとは思えず、これはこれで幸せな生活なんだなと思えてくる。

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第9話は、ジョージーを乗せた車を運転するダーシーがグレトナグリーンへ向かうという唐突な終わり方でした。グレトナグリーンとは、アメリカのラス・ヴェガスのようま町で駆け落ちの名所とのこと。よって、第10話のタイトルは『貧乏お嬢さま、駆け落ちする』とあいなり、グレトナグリーンへ向かう車中のジョージーの独白から始まる。第10話にしてやっと二人の仲が進展するのかと思いきや、大雪に阻まれた二人はグレトナグリーンに辿り着けず、それどころかダーシーの父親が殺人容疑者になってしまったことを新聞のニュースで知るという、今までに無い事件性を帯びた急展開なオープニングです。

急いで地元、アイルランドのキレニー城へ帰ったダーシーから、ロンドンに戻ったはジョージーへ電話が入る。父親の有罪はほぼ確実そうだから、二人の婚約は解約して、もう会わないことにしよう、と。泣きくれるジョージーだったが、こんな時こそ愛しいダーシーの元にいる事にしようと単身アイルランドへ向かう決心をする。世間知らずなお嬢さまだったジョージーが、逞しさとしぶとさを兼ね備えた女性に成長したものだと思わずにはいられない。決心したのはいいが、計画性がないジョージーだけに到着するまでが一苦労。やっとの思いで到着してダーシーに会い、事件解決に向けて協力しだす頃には物語の約四分の一が経過しており、ジョージーの謎解きを期待する読者は急展開なオープニングの後でしばし待たされる。

ダーシーの父親は、金に困って所有していた城と地所を金持ちアメリカ人に売っており、このアメリカ人を殺した嫌疑をかけられている。人嫌いで世を拗ねている父親は事件当夜の記憶が定かではなく、事件の前に言い争いをしている姿を見られていることと死体の脇に残されていた指紋のついた棍棒という決定的な証拠もあり、自暴自棄になって無実を抗弁しようという気すらない。息子のダーシーとジョージーが助けよう差し出した手を拒絶するばかり。こんな父親を見て、さすがのダーシーも元気を失い、諦めの気分に陥っている。そんなことにめげることなく、ジョージーとアレクザンドラ(亡命している元ポーランド王女)は些細な手掛かりから事件の真相に迫っていく。

ダーシーの父親から城と地所を買い取った金持ちアメリカ人とはシカゴのギャングのボスで、アルカトラズ刑務所から奇跡の脱走を果たした後に遠くアメリカから離れた辺鄙なアイルランドの城に隠れたように暮らしていた、というのが真相。昔の仲間が見つけて昔の分け前を要求したところ、もみ合いとなって殺してしまったために、ダーシーの父親に罪を擦りつけようとしたことが発覚して、めでたく父親の無罪が証明される。

ジョージーはゾゾのことを、
年齢はわからないー40歳か、もう少し上だろうか。黒いシルクのパジャマを着て、これまで見たこともないほど長い黒檀のシガレットホルダーを手にしている。その先では、ロシアのタバコが煙をあげていた。豊かな黒髪が肩の上で緩やかに波打ち、ふっくらした唇は赤く彩られ、その化粧は完璧だった。彼女が、ありえないほど長く黒いまつげを上下させてわたしを見つめ、長くほっそりした手を差し出すと、”官能的”という言葉が脳裏に浮かんだ。

だったり、
田舎の弁護士事務所にゾゾを連れて行くのは、鶏小屋に孔雀を放つようなものだ。

と表現して、社交界のトップに君臨していそうな貫禄と魅了たっぷりな女性として描いている。容姿の見事さだけではなく、パーティで同席したシンプソン夫人が、自分と似た黒いビーズのイブニングドレスを着ているゾゾにドレスの褒めたと際に、

「あら、こんな古いものが?わたしはすっかり忘れていたんだけれど、衣装ダンスの奥に埋もれていたのをメイドが引っ張り出してくれたのよ。もう何年も着ていなかったわ」
と自分のドレスをけなすことで、似たドレスを着ている夫人を貶めるという高度な社交術も披露してくれる。また、

「きみか。なんの用だ」とキレニー卿(ダーシーの父親)に言われて
「ご挨拶だこと。それって本当は、”息子とその友人たちに会えてうれしいよ”っていう意味なのよね」
と切り返す頭のよさと前向きに物事を捉えようとするポジティブな性格でもあり、初対面のキレニー卿のことを

「あら、あのぶっきらぼうな外見のしたには、きっと寛容で暖かい心が隠れているのよ」
と見抜く眼力の持ち主でもあり、また

「あらまあーずいぶん恐ろしいところね。あなたは、恐怖の館に滞在することになるのね、ジョージー。まさかウーナ大おばさまは魔女だったりしないわよね。」
と言ってお茶目さを披露してくれる女性でもある。

事件が解決した後の最後の最後で、ダーシーの父親がこのゾゾに求婚するところで物語が終わる。こんな魅力的な新しい登場人物に加えて、いつもならがのジョージーの活躍に、読了後になぜか誇らしい気持ちになれたのはシリーズ初の体験だった。

二人の女性が活躍する合間に、
射しこむ太陽の光に目を覚ますと、真っ青な空にふわふわした雲が浮かんでいた。窓の下では、ウーナが鶏に餌をやっている。どこから見てものどかな田舎の風景で、ひとりの人間の命が危険にさらされていることを忘れてしまいそうだ。

というさりげない情景描写もあり、謎解きと事件に関わる人間関係だけではなく、ホッと一息つけるような身の回りの風景描写もあることで、緩急自在な展開を魅せてくれる作者の手管にはほとほと感心してしまう。

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シリーズ第9話、『貧乏お嬢さまと時計塔の幽霊』では、ケンジントン宮殿に住んでくれという依頼が英国王妃からジョージーになされる。条件は、国王・王妃の三男であるジョージと近々に結婚することになって英国にやってくるギリシャのマリナ王女の付き添いになって、英国暮らしになれてもらうお手伝いをすること。貧乏の代名詞のようなレディー・ジョージアナにとっては天の恵み。それまで使っていた家は、持ち主のベリンダがアメリカから帰ってきたので出て行かなくてはならない。実家に戻って義理姉の世話になるつもりはない。そんな中で降って湧いたような美味しい話だった。

ところで、ケンジントン宮殿ってどんなところか気になったので調べてみると、ロンドンはウェストミンスターの西方、ケンジントン・ガーデンズ内にある宮殿らしい。今は、ウィリアム王子と夫人のキャサリン妃が住んでいるらしいが、その前は離婚したダイアナの居住地になっていたそうだ。

お話の中では、一部にジョージーの親戚である王族の老女たちが住んでいるのみで、それ以外の居室には飾ってある美術工芸品も少なく(すぐに物を壊すジョージーには好都合)火の気がないために寒々としている棲家のところに、ジョージーは疫病神のようなメイドと一緒に乗り込んでいく。住み出せばメイドたちがしっかりとお世話をしてくれるし(ジョージーのレベルで言うと、という基準値の低さはあるが)、親戚の老女たちもお茶に招いて親切にしてくれる良いところ。何よりも、秘書役の近衛兵少佐に言えば、買い物だって高級レストランでのランチだって、それに高級カジノにだってお金の心配なしに行くことができる。「王族のため」という錦の御旗のもとに何の心配もなし、のはずだったのだが、ここでもジョージーは死体に遭遇してしまう。それも、ケンジントン宮殿の中でだ。そして、死体の主は、なんとロンドン社交界の花形であったボボ・カリントンという若い女性。ボボは、花婿のジョージ王子の数多い愛人の一人で、しかも子供を生んだばかりということも分かってくる。結婚式を控えた王子が犯人なのかという疑惑が出てくる中、ロンドン警察と王室警護のための秘密警察の共同捜査が始まる。

第一発見者であるのみならず、王族の一部であるために関係者に気儘に質問して回れるという点が買われて、ジョージーも捜査協力することになるが、好奇心が人一倍旺盛で活動的なジョージーが「協力」といった生易しいレベルで終わるわけなく、独自のやり方で調べていくうちにガッツリと事件に嵌まり込んで行く。

社交界で浮名を流していたボボは、上流階級の人々が持つ隠したいことをネタに恐喝をすることで何不自由ない暮らしをしていたことが判明し、そこから捜査は一気に犯人探しへと進んでいく。結局のところ、ゲイであることをネタに強請られていた秘書役の近衛兵少佐が犯人であることに突如気付いたジョージーだが、相手も気付かれたことに気付いて宮殿内で待ち伏せされてしまう。深夜の誰もいない宮殿の中での対決はジョージーに絶対に不利。そんな中でジョージーを救ってくれたのは恋人のダーシーなどではなく、なんと宮殿に住まう幽霊たち。生んだ子供を取上げられて、今でも宮殿内を白いドレスで彷徨う昔の王女と、ジョージ一世がドイツから連れてきた野生児ピーターの二人の幽霊が突然現れ、驚いた犯人が足を滑らせて階下に転落死してしまうことでジョージーは危機を逃れることができて目出度し目出度し.... って、ちょっと都合が良すぎないか。と言うよりも、幽霊に助けられたことにするなんて作者の怠慢??? そんな気がする結末でした。

アメリカから帰ってきたベリンダがハリウッドのことをこう言う。
あのライフスタイルは私には合わない。無作法だし、人工的すぎるのよ。だれも本当のことなんて言わないの。大きなことを言って、できもしない約束をして、なにもかも嘘なのよ。
ある意味、そのとおりだね。

サー・ジェレミーがちらりと少佐に向けたまなざしは、警部はわたしたちと同じ身分ではなく、わたしたちの同類とは言えないが、今は我慢しなくてはならないと語っていた。
この台詞は極めてイギリス的だね。ガチガチの階級社会で生まれて暮らしていくと、こういう考え方になるのだね! シリーズ最初の頃は、階級差が面白さの一つだったが、次第にこの手の台詞が出てくることで、イギリスの嫌らしさであり病巣が浮き出てきている。

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第8話は『貧乏お嬢さま、ハリウッドへ』。ジョージーが母親と一緒に大西洋を渡ってアメリカへ行く。アメリカに行くことになったのは、母親が恋人のドイツ人富豪と結婚できるように、以前の夫(テキサスの富豪)との離婚手続きをリノで進めるためで、しかもジョージーを連れて行こうと思ったのは、一人旅が心配だったから。この世界的に有名な舞台女優である母親は、自分の人生を享受することにのみ熱心で(ジョージーの言葉を借りると、「南極以外のあらゆる大陸の男性と次々と浮名を流している」のだそうだ)母親らしいところがない。なにせ、幼い子供たちを置き去りにして貧乏貴族のお城を飛び出したのみならず、いまだに娘のジョージーに向かって自分に似ていればもっと綺麗になれたのに...などと平気でのたまう母親なのだ。対してジョージーも、ロンドン下町生まれの警察官の娘と決して上流の生まれではないことを指摘して思い出させてやる。口には出さずに心の中で。こんな普通に思い描く親子の関係ではないのだが、決して憎みあっているわけではなくそれなりの愛情を相互に抱いてはいる、それなりのだが。

この第8話は、読み進んでいるうちに興が乗ってこないことに気付いた。今までのシリーズに比べると描写がワクワクさせてくれないのだ。理由は、舞台がアメリカという私が知っている場所柄だからなのか、アメリカには大自然以外にワクワクさせるものが不足しているのか、それとも作者自体がアメリカを気にいっていないのか?作者は今現在カルフォルニア在住と解説しているので、三番目はないだろう。横断鉄道の窓からアメリカの大自然を眺めながらジョージーが感激している。

イギリスにあんな夕焼けはない。まるでイギリスの倍くらいもある空に、巨大な刷毛で原色を塗りつけたような夕焼けだった。魔法のようだった。

たしかに大都市ではない町に行くと空が広いと感じることがある。私自身も、グランドティートンに遊びに行った際に、空の広さに驚いたくらいだったから。

豪華客船の中で大物映画プロデューザーに出会い、母親が映画に出ることになり親子でハリウッドへ行く。この大物プロデューサーの家たるや、ヨーロッパの各地から金に物言わせて価値ある品々、有名絵画や宝飾類のみならず、お城そのものまで持ってきて広大な敷地内に自分の王国を作ってしまう。敷地内に庭にはシマウマやキリンなどの野生動物まで放し飼いにしてあり、点在する来客用コッテジはイギリスやドイツ風を模した造りになっている。これが悪趣味なものであることは文章に滲み出ており、そんな文章が醸し出す雰囲気も私の興を殺いだ一因なのだろう。

文庫本で420ページある物語の250ページ目でやっと事件が起きる。招待してくれた大物映画プロデューサーが殺されてしまう。事件を担当する保安官たちには荷が重そうだ。図体だけはでかくいが脳みそまでは発達する時間がなかったかのような人たちとして描かれている。いつもの通りに、ジョージーがほんの小さな手がかりから犯人を見つけて事件を解いてしまう。そのプロセスが、手抜きとまでは言わないが練られていないのだ。この手のコージーミステリは、ミステリ自体というよりは、物語り自体で主人公や登場人物の行動や心理、振る舞いなどに愉しさや面白さがあるはずなのに、今回は寄り道せずに坦々と平地を歩くがごとくにお話が進んでいくだけなのだ。それならばミステリ部分にもっと面白さを入れ込んでもらわないと割に合わない。雄大な大自然しか描くものがなかったからなのだろう。ヨーロッパを舞台にすると、伝統に裏打ちされた雰囲気なり造形物なりがあり、上辺は取り付くってはいるものの嫌味たらしい上流階級の面々の下種な言動というスパイスが効いてくる。次作はヨーロッパが舞台というから、それに期待しよう。

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第7話は『貧乏お嬢さま、恐怖の館へ』。今回のジョージー、元いレディ・ジョージアナ・ラクノは、兄の領地のスコットランドに戻るのが嫌だが住むところがない中、親戚の王妃に相談したところ、王妃の友人である公爵夫人の家に招待されることになった。単なる社交の招待ではなく、公爵家の新しい跡取りになるオーストラリア育ちの若者、ジャックのしつけ役として。この20歳になるジャックは、自分が英国貴族の血を引いていることなど最近まで知らずに、オーストラリアの羊牧場で伸び伸びと育っていたので、独特のしきたりやがんじがらめのマナーで縛られている貴族の生活などまっぴらだと思っている。もちろん、一族の人間からは白い目と悪意のこもった眼差しで見られ、当てこすりや意地の悪い悪口が陰で叩かれている。そんな中、現公爵が殺されるという事件が領地内で発生し、背中にはジャックの持ち物であるナイフが突き刺さっていた。粗野ではあるが人柄は悪くないジャックに好感を持っていたジョージーは、またもや鼻を突っ込んでいく。

このシリーズを読んでいて愉しめるのは、貴族(王位継承権も持っている)でありながらも主人公には特権階級意識がほとんどなく庶民的感覚すら持っていて好感を抱けることと、物語の進め方の上手さなのだと思う。例えば、この第7話の冒頭の2段落で、ジョージーの母親の性格が手に取るように分かるとともにジョージアナの近況が把握できる見事な出だしなのだ。

母は彼(かつての恋人)が自分よりも『山を優先することが我慢できなかったらしい。女優である母にとって主役以外の役は存在しない。

ハロッズの従業員すべてが自分のためだけに存在してるかのような態度がとれ、アメリカ並びにヨーロッパ大陸を股にかけて恋愛と情事を繰り重ねている母(真の意味で「股」にかけているよね)を羨ましくも思いつつも、自分の身の丈にあった行き方を選ぶほどジョージーはしっかりとしている23歳の魅力的な女性である。

特権階級意識がないという点では、昔警察官をしていた平民の母方の祖父が大好きで、祖父についてこんな思いを持っている。

祖父の家から帰る時は、いつも心が痛む。祖父がわたしの人生でもっと大きな役割を担うことができればいいのだけれど、わたしたちのあいだには大きな社会的な溝がある。ロンドンに戻る地下鉄のなかで、わたしは社会のルールの愚かしさを考えていた。

21世紀の平等世界において、当たり前の考えを20世紀前半の貴族の一員が持っているということがジョージーを好きになる一因でもある。加えて、この手のコージーミステリーに色をそれているのが皮肉と大げさな言い回しだろう。

訪れた公爵夫人の広大な領地に立つ見事な館の広間にある暖炉を見て
長い壁の中央には、牛をローストできそうなほど大きな天井まで届く大理石の暖炉

と言うし、又

蜘蛛が出たらどうしようと考えずにはいられない。普段の私は勇敢なほうだ-蜘蛛がいないところでは

という自虐的な性格描写もある。こんな貧乏お嬢さま、ジョージーを好きにならずにいられようか?!

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『貧乏お嬢様のクリスマス』はシリーズ第6話。実家ではあるものの、義理の姉とその家族の前にラクノ城に居づらくなったジョージアナは、たまたま見かけた新聞広告にあった田舎村でのクリスマスパーティのホステス役求人募集に応募して雇われる。寂れてはいても居心地よい田舎でのクリスマスを愉しんでいたところ、平和なはずの田舎で人が次々に死んでいく。警察は事故と見るが、ジョージアナの独自の嗅覚は殺人の匂いを嗅ぎ付ける。たまたま同じ村で過ごしていた祖父と恋人候補のダーシーの協力を得ながら、古いクリスマスソングになぞらえて起きている連続殺人を解き明かす大活躍となる。

「良家の子女募集」という条件なら、貧乏であったとしても王位継承権のある貴族の末裔にはぴったりのお仕事。よくもこんな設定を思いつけるものだと思いながらも、階級社会のイギリスだからこそ成り立つ発想なんだろうと思うのです。シリーズの別の話でも、「我々と同じ側になれない」と成り上がりの家族のことを平気で酷評するような台詞が出てくるところに階級制度の奥深さが見て取れます。

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額に"刑事"と刺青があったとしても、これほど刑事らしくは見えないだろう。

あなたは私に幸せをもたらすために天国から遣わされた人間の姿をした天使だね。

この手の台詞は大好きだ。男と女の他愛も無い言葉のゲームとして殺人事件の合間合間を愉しませてくれるから。

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このシリーズは設定が絶妙である。2つの大戦の間のつかの間の平和の時代、ヴィクトリア女王の孫にして今(物語上)の国王の親戚であり、王位継承権34番(後に、兄に第二子が生まれたので35番目になる)となるヴィクトリア・ジョージアナ・シャーロット・ユージーニーが主人公。レディーの称号を持っている正真正銘の貴族だが、哀しいことに貧乏貴族の一員として、ロンドンにある結構なお屋敷に召使も執事もなく、文無しで暮らしている。生活費は、自分の名前を使って掃除請負業を営み(派遣される清掃員は自分という情けなさ)、時折友人関係者のパーティに行って飲み食いをすることで何とか生きながらえているという、生活力旺盛な22歳女性。時折、王妃に呼び出されて、やっかいなお仕事を仰せつかるのだが、ジョージーの得意技は好奇心と責任感からくる独自の捜査能力と行動力。貴族であって貴族で無いようなうら若き美女が、巻き込まれた殺人事件に勇敢にも立ち向かい解決している過程で、英国貴族の内輪もちらっと覗かせてくれている。気楽なミステリーに覗き見的な要素を入れ込んだこのシリーズが面白くないわけない。

王位継承権34番とはいえ、貴族の血は父方。母親は有名な映画女優で、今もお仕事ならびに恋愛は現役真っ最中。こんな盛んな母親プラス性的に自由奔放なお友達たちに囲まれつつ、本人は晩熟で恋愛に中々踏み込むことができない。気になる男はいるものの、告白もできず悶々としている。そんな中で、このシリーズ2作目の『貧乏お嬢さま、古書店へ行く』でも殺人が起きる、しかも3件も。

   ☆★☆★☆★☆★☆★

貴族の友人は自分たちが特別であることを意識しながら、堂々とのたまう:
そんなところにわたしやあなたのような人間があらわれたら騒ぎになるでしょう。ニワトリ小屋の中にクジャクが交ざったみたいな。
なにを言うか!! アホウドリの間違いじゃないか?

心の底から嫌いですが、公正な意見を述べようとしているだけです。
当時の英国社会を賑わせていた一大イベントのシンプソン夫人についての意見が求められた時のジョージーの反論がこれ。芯のある公正なレディーらしさがこの言葉からうかがえる。シンプソン夫人はこのシリーズでは、まことに尊大でいけ好かない女として描かれている。当時の英国上流階級の立場をとるのであれば、こうなるんだろうな。でも、もし、シンプソン夫人がこのとおりの人物であったら、そらぁ好きになれないわ。その意味では、著者の人物の描き方は素晴らしいと褒めるべきなのだろう。

人物だけでなく、風景の描写もなかなかもものがあります。だからこそ、このシリーズが愉しめるものになっている。
目も前にイーストアングリアの平原が開けた。景色のほぼすべてが空のように見える。真綿のような白い雲が浮かび、野原にいくつもの影を落としている。遠くに教会の尖塔が見えて、木々の下に村があるのがわかる。

コージー・ミステリには期待していなかった街や村々の描写に観光気分となりながらも、ジョージアナの活躍話にページを途中で閉じることができない。
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その1 コクと深みの名推理シリーズ(クレオ・コイル著)

2023年08月13日 | パルプ小説を愉しむ
2022年7月の出版された最新作の第19話『ハニー・ラテと女王の危機』を読み始めるまでに何か月かかったことか。このシリーズに限らないが、コージーミステリーの最新作の予約者が多く、図書館の順番待ちは当たり前のようになっている。さて、前作で記憶喪失になったクレアはマイクとの結婚式を控えているものの、新婚旅行の予定が立っていない。マイクとの間に目に見えない壁ができ始めている。そんな心配事の中、ヴィレッジブレンドの店内に蜜蜂の群れが舞い込むという突発事件が発生する。NYマンハッタン市内でも養蜂を手掛ける人は多いようで、そんな養蜂家の一人から何らかの理由で蜂が逃げ出したのかと思いきや、蜂たちがラベンダーの香りを発散させていたことから、クレアが結婚式で使う蜂蜜を提供しようとしてくれていた人物、それはクレアのメンターかつ元姑でヴィレッジブレンドのオーナーであるブランシュの親しい友人が大切にしていた蜂たちであることが判明。何が起こったのかを探るために、ビー・ヘイスティングのペントハウスに向かったクレアと元夫のマテオは破壊された養蜂施設とけがをして意識不明のビーを発見する。ICUに運び込まれた命には別条ないようだがビーの意識は戻ってこない。ブランシュに連絡を取ろうにも友人とカリブ海クルーズに出かけている上にハリケーンに巻き込まれて音信不通の状態。担当警官は遺書が見つかったと言ってビーの自殺として処理してしまう。ビーをよく知っているクレアがビーが自殺するはずがないというものの取り合ってはくれない。そこで、事件を探ってみようと心に決めることでお話が始まる。同居しているはずの姪と連絡がとれない。自家製蜂蜜に混ぜ物をしていたとビーに避難されていた養蜂家が、ビレッジブレンドのゴミ箱から死んだ蜂たちを盗んでいった。蜜蜂の権威に問い合わせたところ、ビーの蜜蜂は独自に生み出したハイブリッドの種類とのこと。少ない花から多くの蜜を集めることができることから、この種にはとてつもない事業価値があるという。怪しい人物No.1に躍り出たフェリックス・フォックスに突撃探索を入れたところ、フェリックスが言うにはこの種の蜂は彼とビーとが恋仲であった時代に一緒に生み出したものだと言う。そして、今でもビーのことを大切に思っているというフェリックスだが、クレアの疑惑は残ったまま。ビーの姪のスーザンがPRを手伝っていた新興IT企業家が開催するチャリティパーティに潜り込んだクレアは、スーザンから会おうというメールを受け取り会合場所に向かったところ、不審人物にビルから突き落とされそうになる。手がかりを探して再度ビーの温室を訪ねたクレアは秘密の引き出しから港で行われている不信な野菜入荷作業に目を付ける。マテオと調べに行ったところ、捕まってしまう。屋内で野菜を栽培するということで資金を集めていた新興IT企業の活動は実は詐欺で、誤魔化すために野菜を輸入していたことをビーが掴んでいた。しかも、その黒幕はCEOではなく、マテオも知っている美人CFOだった。しかも、働かされているホームレスたちは、マイクのグループが追っていた違法麻薬を餌に集められていた。詐欺と違法麻薬製造まで手に染めていた美人CFOの罪が暴かれて一件落着でした。

(マテオの元妻のブリアンは)よりよい環境-新しい(年長)伴侶、緑豊かな(新しい伴侶の銀行口座にたまっているドル紙幣も含めて)場所へと移っていった。
ドルがグリーンバックと呼ばれているのは知っていたが、自然の緑と掛けて「緑豊かな」と皮肉にすることまでは考えなかった。これは使える。英語でだけだが。

ITの魔法使い
ITがブラックボックス化している現在、ITの魔法使いは誉め言葉としても使えそうだ。

聞いているうちに実感したのは、デニス・マーフィのじつに静謐は人となりだ。この人のとほうもない懐の深さは並みのものではない。すべてを受け止めようという穏やかな自信に満ちている。何度となく成功と失敗を経験し、長い長い歳月をかけて築かれた人格なのだろう。経験を知識に換え、平穏な境地に達することができるということか。
こんな老人になってみたいものだ。

彼は地道に階段をあがっていくということができない。いきないジャンプして飛びつこうとする。楽をしたがるんだ、ああいう若造は。テレビ番組みないなノリで。しかし、箔付けに走っても実力はつかない。
デニスが、ある若い料理人を評して言った言葉。地道は努力をせずに一足飛びに上に上がろうという姿勢には私も反対だが、上手く言葉にできなかった。

「5ドルぽっちでなにを期待してるんだか」
「5ドルで買える最高の食事だ、それを期待しているんだ!おまえの仕事はそれを提供することだ。できなければクビだ」

デニスからボロクソに言われた若手料理家だが、そんな彼でも料理することに誇りを持っているようだ。「5ドルで買える最高の食事」と言い返すところに、この男の矜持を感じる。

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前回の書き込みの日付を見たら2021年1月だった。ということは、2年と4か月ぶりに本シリーズを読んだことになる。だいぶ経っているなぁとは思ってはいたが、そこまでとは...第18話『コーヒー・ケーキに消えた誓い』を読み始めた途端に大きな違和感が生じた。覚えているシリーズと違う、と。何が違いかというと、ミステリーなのだ。コージーミステリー的なお気楽なお話しなのではなく、本格的なミステリーっぽい事件性が初っ端から醸し出されていることに驚いた。それもそのはず、今回はクレア自身が誘拐された上で記憶喪失になっているところから物語が始まる。一体何が起こったのか、誰がやったのか。

NY警察のマイク・クィンから正式にプロポーズされた後、結婚式のケーキ試食に出かけたクレアは2週間経って、NYのとある公園のベンチに寝ている自分に気付いた。なぜ、ここにいるのかだけではなく、なぜここにいるのか、何が起こったのかの記憶が一切抜けたまま。自分だ誰だかは覚えているものの、直近の15年ほどの記憶もすっぽりと抜け落ち、娘のジョイは13歳、元夫のマテオとは離婚した直後、マイクのことは一切記憶にない。もちろん、その間の科学技術の進歩や歴史上の出来事も忘却の彼方。ケーキ試食で一緒だった名門ホテルの女性オーナー、アネット・ブルースターは今でも誘拐されたままでどこにいるのかも発見されていない。事件の背後にあるもの、犯人探しに加えて、クレオがどうやって記憶を無事に取り戻すかもストーリーに織り込まれているところがいつものコージーっぽくない。

救急病院に入ったクレオは記憶喪失を専門に扱うセレブ医者の施設に入れられて監禁に近い状態になりそうになることを恐れた友人・知人たち(マダム・ブランシュ、マテオ、マイク、ヴィレッジブレンドの従業員たち)は病院からクレオを脱出させる。警察が追うことが分かっていたから、どこに隠そうか迷ったものの、マテオの前の妻、雄m製ファッション雑誌編集長のブリアンが使っていた屋敷に匿うことにした。コーヒーや料理をすることで記憶の断片がすこしづつではあるがクレオに戻ってくる。クレオと一緒に誘拐されたアネットが所有する名門ホテルは、今ではアネットの妹が代理で経営しており、しかも姪のテッサが引き継ぐことになっていたはずだが、肝心のアネットの遺言書も盗まれていた。どうやら一族の中の争いが絡んでいるよう。アネットの夫の交通事故死から調べ始めたクレオたちは、近所の住民を訪れ、彼女の姪が交通事故で死んだアネットの夫から性的暴行を受けた後で記憶喪失となり、専門の施設で治療したものの死んだことが判明。その施設の持ち主こそ、クレオの治療を買って出たセレブ医師だったから、この医師に疑いが向く。記憶の断片は取り戻すものの、事件の全体像は忘却の彼方にあるクレアは、色々なことを通して記憶を取り戻そうとする。屋敷で風呂に入った時に感じた感覚に触発され、アネットは夫、ハーランの事故死の原因(他殺ではないかと疑っている)の調査を頼まれた直後に、2人は誘拐されたことを思い出す。ハーランはアネットのホテルに設置されたカメラ映像を使ってセレブたちを恐喝していたのだった。事故現場から逃げ去った人影があったとの情報も掴んだクレオが捜査を進めるうちに、クレオを密かに追っていた男が殺される現場に遭遇する。この男は、アネットの姪のテッサが雇っていた私立探偵で、死体の脇には血の付いたクレオの手袋の片方が置かれていた。現場でホテルの警備主任の姿を見かけたクレオは追いかけるものの見失う。マイクが部下たちにその男を逮捕させたものの、荘園反応がなく彼が犯人という確証が得られない。テッサにはヨーロッパで生まれた従兄がいるらしいとの情報を辿って行った結果、アネットの妹のビクトリアがオーストリアで秘密出産して子供を里子に出したらしいと知る。父親はハーランで、ハーランとビクトリアは一緒に住むことに同意して準備を進めていたとの情報も得たクレオとマイクは、ハーランが住んでいた家へ行ったところ、ハーランの書類を整理しているホテルの弁護士、オーエンがいた。オーエンこそビクトリアとハーランの息子で、単なるホテルの弁護士ではなくもっと父親からもらえるはずと欲を出した結果、殺してしまった父親を交通事故に偽装していた。その上、母親にホテルの所有権が移るように、アネッサを誘拐し遺言書の書き換えを迫っていたのだった。クレオはその巻き沿いになっていた。屋敷内でオーエンと対決するマイクとクレオは、事態を探っていた地元の男の乱入に助けられてオーエンを逮捕することができた。そしてクレオの記憶も無事に戻って、マイクとの関係も戻の鞘にもどってめでたしめでたし。

このコーヒーはパークビューパレスのような豪華なホテルにはふさわしくないと思います。スマトラとコロンビアのブレンド。チョコレートとウォールナッツの味わいがうっすら感じられる。焙煎はへたくそでバランスが悪い。明るい酸味もまったくない。だから奥行がなくて退屈。わたしならケニアAAやイルガチョフェを加えるわ。。
記憶喪失のまま、名門ホテルのコーヒーを一口飲んだクレオが発したコメント。NYのランドマークとなっているコーヒーショップの経営者で腕利きバリスタならではな面目躍如。そのコメントを通して、直近15年の記憶すべてが失われていた訳ではないことをマダムたちにも分かると同時に、記憶回復の希望も出てきた。それにしても、たかが一口だけのコーヒーで使われている豆の原産国が分かるとは。しかもどうすれば良いかも即座に出てくるところがクレアのキャラクターをうまく出している。

この部屋でプルーストのマドレーヌが見つかるかもしれない。
コーヒーの一口で記憶の断片が出てくる瞬間に立ち会ったエスターが、かの有名は「失われた時を求めて」の紅茶とマドレーヌになぞらえて言った台詞。分かる人は分かる。

このあたりはカリフォルニアとは違う。裏庭で柑橘類の木を育てることはできない。オレンジ、レモン、ライム、バナナ、アボガド、コーヒー、その他、ここで栽培できない新鮮なフルーツと野菜はたくさんある。だからといって、それを食べずに我慢するなんでごめんと。そういうものから得られる健康上のメリット放棄するなんてもったいない。
カリフォルニアから始まった季節外れの農産物を口にしないというロアヴォアのムーブメントを耳にしたクレオの意見表面。健康オタクのカリフォルニアはモノゴトが極端に走る傾向があるよね。そんな極端なムーブメントに対してクレアは論理的に自分の意見を展開する。自立し公正な見方ができる女性というキャラクターが強められている台詞だよね。

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『ほろ苦いラテは恋の罠』
第17話は、今のデジタル社会がテーマと背景となって物語が進展します。スマホ、そしてアプリ、特に男女の仲を取り持つマッチングアプリに元夫のマテオがハマっているところが書き出しです。シンダーという名前のマッチングアプリがアメリカで大流行し、義理の母でクレアの最大の理解者でもあり支援者でもあるマダムまでシニア向けのマッチングアプリでデート相手を物色している状態。そんな中でもクレアはそんなアプリには目もくれず、「スマホゾンビにならずに済んでいる」と自分を褒めています。

クレアの職場であるビレッジブレンドが、マッチングアプリでデートに最適な場所の一つとして紹介されて店が大流行の中、マッチングアプリで知り合った男から心無い仕打ちをされた女性が店で発砲事件を起こします。スマホ時代の習性として、撮影された動画が投稿されて拡散し、ビレッジブレンドは閑散となってしまう。そんな状況を救おうとしてアプローチしてきたのが、当のマッチングアプリの代表者。店が再び流行るように一種のステマを仕掛ける作戦を提案します。相手の提案を胡散臭いとは思いつつも、困った状況を打破するために手を組むクレア。

発砲事件(実は空砲をつかっただけ)の被害である男は、アプリで女漁りをしては翌朝には捨てるようなクズ男であることが判明、女性として許せないクレアはその男の身元を洗おうとするが、調べれば調べるほど実態がつかめない泥沼状態に。ハドソン川に係留されている船にマダムを迎えに行った際に、波に浮かぶ死体を発見。死体となった女性は、よりよって店に何度か来ていた客であっただけではなく、シンダーのプログラム元開発者だった。彼女がシンダーを辞めた理由、引き抜かれた先の会社と条件(準備金としてキャッシュで1万ドル)、そしてクズ男が事件当夜に落としていったと思われる1万ドルの現金引落明細書、クレアの独自捜査が始まりうちに、店外席でクズ男が殺された。空砲さわぎどころか実際の殺人まで抱え込んでしまうビレッジブレンド。

空砲事件を起こした女性が犯人として検挙されるが、証拠が怪しいと睨んだクレアの恐れを知らない行き過ぎ捜査が始まる。シンダーの経営者を昔プログラム開発者として雇用していた別のマッチングアプリ会社の創業者2名が麻薬販売と復讐も兼ねてシンダーを舞台に大掛かりな不正行為を働いており、それに気付いたプログラム開発者や協力者が殺されていた、というのが事の真相。筋としては悪くないが、ちょっと込み入りすぎなのと、最後のクレア救出シーンが今作品の荒いところかな。結局は拉致されて船に押し込まれたクレアは無事に救出されるのだが、そのクライマックスの場面がやけに白々しく取ってつけたよう。

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「ビレッジにはその後も創作活動に真剣に打ち込むアーティストと熱心な活動家が集まってきた。いっぽうで、快楽にのめりこみたくて危険な香りに引きつけられてやってくる人たちもいた。社会的な制約からの逸脱を目的にするのは、まったく無意味なのに。あくまでもそれは、創作と引き換えにされるべきもの。人間の魂を高みに引き上げる営みと、目的もなく生きることは真逆なのよ」

「新しいものをもてはやし、使い捨てにする。それがわたしたちのモダンカルチャー。いまの若い人が、いつまでゲームに夢中でいられるかしらね。遊び感覚で手軽に恋愛するむなしさに気づいたら、きちんと人と向き合うようになるわ。時間をかけて共に体験を重ねていくことで人は親しくなれる、愛情を育んでいけると、やがて気づくでしょう」
この2つはどちらもマダムの台詞。いろいろな経験をした人ならではの箴言として、スマホ時代の今に対するアンチテーゼとなっている。ナチス時代にヨーロッパから逃れてくる途中に家族を亡くし、アメリカでも苦労を重ねながら今の地位を築いたマダムならではお言葉です。とくに、「新しいものをもてはやし、使い捨てにする」という部分は昨今のビジネス潮流にも当て嵌まる。DXだ、CXだ、サブスクだと、この数年でどれだけビジネスの現場が踊らされてきたことか。それらはすべて役に立つ重要な要素ではあるだろうが、表面的な紹介と言葉の羅列に踊らされたビジネスマンがどれだけいたことだろう。ものごとの本質を捉えずに流行りすたりで仕事をするからそうなっちゃうんだよね。

「『おれを真似ておれみたいに弾いて、おれの失敗までそっくりにコピーする人間はおおぜいいたよ。それよりも自分の人生を生きろ、自分の失敗をしろ、そうしなければ自分の歌は決して見つからない』、彼はそういって私を諭した」
このセリフは、マダムが知り合った60歳近いNY警察の渋い巡査部長が昔を思い出しながら語った話。この「彼」とはジミ・ヘンドリックスのことで、マダムが経営の前線で働いていた時代に応援していたアーティストたちの一人となっている。そんなジミ・ヘンに憧れた若き巡査部長が、ジミ・ヘンを追いかけてビレッジブレンドに来ていたということからこんな逸話が語られている。ずるいけれども、往年のビレッジブレンドとマダムの経営スタイルをイメージさせることには大成功している賢い手です。


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『沈没船のコーヒーダイヤモンド』
シリーズ16話では、元夫のマテオの先祖が関わってきます。20世紀半ば、宝石細工士一家。が乗っていた豪華客船が、イタリアからNYへ旅する中事故で沈没してしまう。沈没のドサクサの中で、DVを受けていた宝石細工士の妻がやったことがお話のプロローグであり、又伏線となって後々の展開に関わってくる。いつものことだが、このシリーズでは冒頭に事件を起こした犯人の行動やその後の展開の起点となるようなお話がプロローグとして提示されて、一体何が起きるのかの興味をかきたててくれるとともに主人公クレアの活動の一部始終を追っかけるための心と頭の準備運動をさせてくれる。

クレアがマネージャーとして切り盛りしているコーヒー店の前で警官が撃たれる。警官が狙われるという連続事件がビレッジブレンドの店頭で起きたのだ。店を飛び出したクレアが撃たれた警官の手当てをしている時に、近くの廃墟ビルからアニメのパンサーマンの格好をしている怪しい人影が現れて去っていく。唯一の目撃情報を元に捜査が始まり、クレアの恋人のマイクとその配下のチームも捜査のに加わるが、いっこうに手がかりがつかめない。そんな最中、プロローグで登場した豪華客船のレプリカを建造して豪華な船旅を提供しようという事業が進み、船上で出すコーヒー業者選定のコンペにビレッジブレンドが参加することになった。事業責任者からの直々の申入れであり、絶好の事業拡大のチャンスとしてマテオもクレアも喜び勇んでオリジナルブレンドの考案と開発を進める。

億万長者たちが味わうことになるコーヒーを考えるに当たって、元の豪華客船に乗ってアメリカに渡ってきた古くからの友人でありNYで成功している宝石細工士に意見を求める。ここで、60年前の沈没事件と現在の事件とが絡まりあって新たな展開となって動き出す。沈没した船とともに行方不明となった有名なダイヤモンド(これがコーヒーダイヤモンド)の回りを飾っていた小粒のダイヤが、マテオの母親からマイクに渡り、婚約指輪としてクレアに出される。ここでも、昔の事件と今とは交錯しだす。

それにしても、マイクがクレアにダイヤの指輪を渡してプロポーズする場面は、あたかもミュージカルの一場面のよう。警官の一団がビレッジブレンド前の道路を封鎖し、強面の警官ふたりがクレアを「重罪犯として逮捕する」と宣言する。罪状は、NY市警の警官を誘惑したから。そこで、一団の警官たちが店内で踊りだす、というLaLaランドの冒頭シーンのような展開。一糸乱れず踊っている警官の間からマイクが現れ、クレアの前で跪きプロポースをする。何だ、これは!! でもいいっか。物語の中のリフレッシュメントとして考えれば。

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いつもことながら、参考になるような例えや言い換え、表現があちらこちらで登場することも、本シリーズの愉しみの一つ。

大学教授がチンパンジーに熱力学を説き聞かせるような忍耐強さでマテオは私に説明してくれた。
チンパンジーと熱力学との組み合わせが、忍耐強く説明している様を面白おかしく描写している。何よりも、苦労している様が目に浮かぶようだ。

クレアの義母にしてマテオの母、そして私が敬愛するとともに憧れるエレガントな女性であるマダムが試作コーヒーのテイスティングをした際にこんな形容の仕方をする。
すばらしいわ。みごとにバランスが取れていて、口当たりはビロードのよう。口に含んだ時から飲み込むまで次々に新しいフレーバーがあらわれて眩いばかり。(冷めていくコーヒーの味見をして言う) まあ・・・パーフェクトなキャラメリゼ。洗練されているけれどエクサイティングで、甘美な上にエキゾチック。パーフェクトな男性みたいね。

ハドソン川から潮の香りのするひんやりとした空気が流れ込む。さわやかな風がすぐ近くのニレの木の枝を揺すり、鮮やかな黄色の葉と低いタウンハウスの赤い煉瓦、それに海のほうの明るい空の色を加えてちょうど三原色になっている。
NYの雰囲気を伝えてくれる風景描写が愉しめるのもいつもと同じ。

小生意気は若い小娘に向かってクレアが吐く台詞もイカシてる。
大学で数年勉強してトレンディなメガネをかけたくらいでは、長い人生経験とまともなマナーにはとても太刀打ちできないわね。ごきげんよう。
そうだよ、決して本と講義では学ぶことのできない貴重は経験を我々おじさんたちは沢山身につけているのだよ。それを、もっともっと世の中は評価しないといけない。この台詞は覚えておいて、是非使ってやろう。

圧力(プレッシャー)がないところにダイヤモンドは生まれない。
これは、クレアの信条。

そして、登場人物の一人が語る自分の生き方の台詞も時代を反映している。
驚いたな、この男はジゴロだ。
すみません。生き方と言って欲しい!自分に合っているだけだ。常に顧客満足を念頭に置いている。

女を食い物にして寄生して生きている男の人生観に顧客満足が出てくるとは。CS(顧客満足)は世界的なトレンドワードになっているのだろうか?

カットと素材の質から判断して、オールドネイビーというよりもJ・クルーあるいはパタゴニアのように見える。
この台詞も驚愕だった。カットと素材で服飾メーカーが分かるのか?そんなにファッションに通じていたのか?それとも、NYでは当たり前の常識なのだろうか? これ以外にも、老人が来ていたスーツを見て、一昔前のデザインだと言った場面も本書にはあった。30年前のバブル期に流行った大きめスーツなら見て分かるだろうが、メーカー名までの特定できないな。勉強不足でした。

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『眠れる森の美女にコーヒーを』
シリーズ14話の本話では、NYセントラル・パークでのフェスティバル中にプリンセス役の美女が薬物で昏睡状態になってしまう。しかも、元夫のマテオが容疑者として逮捕。恋人のマイクがいない中、クレアが秘密クラブに一人で潜入捜査までして真相に挑んでいく。

いつもの、後先見ない勇敢さというか、怖いもの知らずというべきか、それとも正義感ゆえの行動か?いつに増して、本書のクレアは逞しい。

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今回、目を見張ったのは、一言台詞の素晴らしさではなく、余裕のある大人の会話とはこれだ!という会話があったこと。
後を追っていた男が、NYの一角(あまり上等なエリアではない)のレストランにいることを知って、いきり立って乗り込んだクレアに対して男がこう言うのだ。

「魅力的な女性にアプローチされるのは、そうそう毎日あることではない。だから、あなたのぞんざいな態度に目くじらを立てるのはやめておきましょう。お友達についてあなたは質問なさった。ご自身の自己紹介はせずに。『こんにちは、エルダー、ご機嫌いかが?』とも言わず。コーヒーをいっしょにどうか、の一言もない。」
反省しておとなしくなったクレアに対して男は言う。
「どうぞお座りなさい。一緒にお話しましょう。おそらく力になれると思います。」

これだね、大人の男の余裕。激情に激情で相対するのではなく、相手に対して礼儀正しくありつつも、相手の失礼をしっかりと(でもやさしく)指摘して反省する余地を与える。こんな対応ができるのであれば、男と女のゲームも愉しくなるだろうに。


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■『聖夜の罪はカラメル・ラテ』
前後してしまったがシリーズの12話です。クリスマスのNYを舞台に、クレアが雇っていた若い女性が撲殺されるという惨事が発生する。しかも、クレアの店が出店していたイベント会場の横のメリーゴーラウンド中で。いつものように、お節介というべきか好奇心旺盛というべきか、はたまた正義感が強いと形容すべきか、我らが主人公のクレアは独自の調査を開始する。そして分かったことは、殺された女性について何も知ってなかったということ。

彼女の過去を探っている最中に、第二の殺人がこれまたクレアが出店したクリスマスイベント会場で起きる。繋がりは何か? お決まりの迷推理のあての間違った行動が真犯人に結びつくラッキーさ。クレアは福を呼び込むツキを持っているよね。羨ましいかどうかは別にしても、この種のコージーミステリーには欠かせない要素であることは事実。だって、これがあればたいていの進行は許されるから。

今回は、クレアの素敵な義母の登場が控えめだ。義母だけでなく、元夫のマテオと現在の恋人のマイクも。彼ら以上に、店員たちの活躍がハイライトされている回だった。タッカーとパンチのゲイカップルは、お店の中だけでなく事件解決にも大いに貢献し、彼らのショービジネス能力もしっかりと華を添えているから筆者(たち)もサービス精神旺盛なストーリー展開です。

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ドレスの面積があまりに小さいので抗議した。素敵な長い袖はついてるけれど、すそまでの長さはわいせつといっていいほど短い。
この「わいせつ」という単語の使い方がいいよね。どれだけ丈の短いドレスなのかが用意に想像できる。単に「とても短い」というのと、実際の巻尺で測った長さは同じだとしても、読み手の心に浮かぶイメージは大違いだ。こんな言葉が選べることが羨ましい。

ポテトの入った小さな袋をあける。そしてルビーレッドのケチャップをきつね色のポテトに散らす。食のピカソがキャンバスにサディスティックに絵を描くような調子で。
そして、こちらは「ピカソ」を比喩に使った感覚がすばらしい。ブルーの時代、レッドの時代、といったピカソの斬新かつ狂気といってもよいほどの色使いが視覚に訴えてくる見事な比喩だと思う。


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◆ 『大統領令嬢のコーヒーブレイク』
第15話となるこの回はNYではなく、ワシントンDCが舞台になる。舞台が変わるだけでなく、クレア・コージーが容疑者になって恋人のマイクと逃避行を重ねながら自分に仕掛けられた罠を解きほぐしていく。話の進み方も、二人の逃避行の現在からスタートし、順に過去の出来事を語りながら、何が起こったのかが読者に提示される。過去と逃避行の現在を行ったりきたりしながら、謎とスリルに満ちたストーリーが進んでいく。コーヒーと並んで今回のテーマとなるのがジャズ。もう一人の主人公である大統領令嬢が、クレアが経営するコーヒーショップ兼ジャズハウスでセッションを行う場面の描写は圧巻だ。セッションメンバーの体の動きのみならず心の動き、そして店内の情景、そして出される料理とドリンク、これらも見事にジャムセッションしている。26ページ程だが、この場面だけでもこの回は読む価値がある。それだけ、この話は素晴らしい。

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一つの盛り上がりである大統領令嬢がジャズハウスでセッションする時の場内アナウンスがイカしている。こんな台詞を聞けば、いやでも期待が高まって一刻も速く音楽を聴いてみたくなる。

感情が高まった状態で、いかにうまく相手に耳を傾け、反応するのか。ジャズは発見のアートです。そして受け止めるアートです。ジャズにおいてまちがった音は存在しません。どの音もパフォーマンスの一部であり、音楽の一部であり、流れの一部だからです。
今夜、これから皆様が聴く音楽は、ミズ・アボゲイル・パーカーの心と魂から生まれるものです。皆さんにはぜひともお願いしたいのは、ただひたすら聴くということです。耳だけではなく、心と魂で聴いてみて下さい。そうすれば間違いなく、恋に落ちるでしょう


ジャズを極めるには、音楽とは単にコードの連なりではないのだとわかっている必要があります。真のアーティストは、芸術という形で表現します。それ以外には伝える方法がない、そういうことです。
たいていの音楽は人の内面をあらわしています。それをもっともふさわしい方法でつたえるのです。悲しい曲を聴けば泣いてしまう。楽しい曲を聴けば踊りたくなる。ロマンティックな曲を聴けば・・・・ま、おわかりですね・・・
さて、ジャズという音楽になくてはならないもの、それはスイングです。ここジャズスペースで、ふたたび皆さんとスイングするのは、・・・


言葉の力は絶大だと感じさせるシーンであります。26ページ程の言葉の羅列に過ぎないものが、時間と空間、架空と現実の世界を越えて臨場感と興奮とを呼び起こしてくれる瞬間です。

音楽とは楽器ではない。音楽は楽器から生じるのではなく、ミュージシャンの内部から生じるんです

ジャズという音楽についての薀蓄を見事に伝えてくれる台詞が数多くあったが、その中でも気に入ったのがこれ。そしてこんな台詞は私好みのものだ。

女性の胸の谷間を見ることで男の寿命は延びるんだ。科学的な裏づけのある事実だ

音楽や芸術に関する深遠な言葉の合間に、こんな男女の間の痴話話っぽいジョークも出てくる。まさに、読者を掴んで自由自在に翻弄してくれる稀有なミステリーだよね。

なにごとにも賞味期限というものがあるの。若いとそれが分からないのね。欲しいものを手に入れるために絶えず自分の善良さをゆがめていたら、やがて自分のカップの中がすべて腐っていることに気付く日がくるわ

クレアが自分を罠にかけた相手の一人に対して吐いた啖呵です。見事だね。単に怒りをぶつけるのではなく、こんな風に相手に諭すがごとく言えれば、喧嘩は勝てるよ。

そして、私がなりたいと思う自己イメージに合った表現がこれ。こんな男になりたい。

アビーの継父はなかなか素敵な男性だった。そして桁外れのパワーを感じた。ごうごうと燃え盛る炎のような激しさ、太陽のようなエネルギーを発散している。


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NYマンハッタンの洒落たコーヒーショップを舞台に捲き起こる物騒な事件を題材としたこのミステリは、ハラハラドキドキさせてくれて、そしてむしょうにペイストリを横に置きつつコーヒーを飲みたくなり、時間が経つのも忘れさせるほどに愉しませてくれる。しかも、毎回だ。

主人公のクレアも魅力的だが、なんと言っても義母の存在が飛び抜けている。ゴージャスで優雅。日本だったらシルバー世代と呼ばれて、くすんだ色の服と変わり映えしない毎日といった生活しか思い浮かばないのだが、このおばあさまはあくまでも一人の女性、いや女性を超越した女神のような存在といっても良いかもしれないくらいに、刺激と魅力をたっぷりと振りまいてくれる。

残念なのは、この素敵で優美な義母の登場がだんだんと減っていること。それでも毎回お約束の殺人事件を見事に主人公が、周りを振り回してお騒がせしながら見事に解決していくストーリー展開には魅了させられっぱなしだ。登場人物の魅力度、ストーリー度、そして台詞の魅力度、そして舞台となっているコーヒーショップのお洒落な雰囲気とそこで供される各種のコーヒーの描き方も素晴らしい。コーヒーのアロマが文章の中から立ち上ってくるような陶酔が得られる。失望させられることが今までに一度もなかった私のお好み度最上級のコージーミステリだ。

◆『億万長者の究極ブレンド』
スーツとネクタイを身につけているのは葬儀屋と使えないやつだけだというのが、デジタル領域の企業でのファッションの法則です。」

マネジメントの究極の目的は、”意味”を作り出すことであり、お金ではない。仕事というのは、実存的な挑戦として提示されるべきなのです。そうすることで社員の想像力を刺激し、活用する。」


◆『謎を運ぶコーヒー・マフィン』
そんな経営専門用語があるのか?ヴィンセント・ヴァン・ゴッホとドラルド・トランプを足して二で割ったみたいだな

あなたやわたしはおとなだし、知識を身につけてそれに基づいた意思決定をすることができる

アートというのは"きれいな"ということとは無関係。"真実"と"本質"を追求する営みである。アーティストであるとは、自分の声とものの見方に到達しようとすること。本物であり続けることでしか、それは実現できないのよ



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コージーミステリを読み耽る愉しみ その7 荒野のホームズシリーズ(スティーブ・ホッケンスミス著)

2023年07月03日 | パルプ小説を愉しむ
シリーズ2作目の『荒野のホームズ、西へ行く』では、どうしても探偵になりたいオールド・レッドにつきあってビッグ・レッドともども大嫌いな鉄道会社に雇われる。西部横断鉄道が度々ならず者に襲われるのは、社内にスパイがいるに違いないと考えた保安主任が採用したのだった。探偵の端くれになれて列車に乗り込んだものの、鉄道嫌いのオールド・レッドは乗り物酔いで苦しむ一方。最終車両の展望デッキで吐いているオールド・レッドと介抱しているビッグ・レッドは列車から転がり落ちた人の首と首なし死体を見つける。急ブレーキをかけて列車を混乱に陥れたために車掌から大いに怒られつつも、殺されたのが手荷物係であったころから殺人事件として独自捜査を始めるものの周りからは白い眼と軽蔑の眼差ししか得られない。社内販売員の少年の手を借りつつ捜査していると、又もや列車は急停車する。今度は列車強盗の登場。鉄道捜査員としての務めを果たそうとした2人は強盗団からぶちのめされるが殺されはしない。強盗団の頭2人は、鉄道会社を糾弾する声明を列車内で発表するや、何も奪わずに立ち去っていく。これもシャーロックを尊敬するオールド・レッドにとっては謎解きのためのデータの一つ。字は読めず、人とのコミュニケーション(特に女性とのコミュニケーションが苦手な田舎者のカウボーイだが、推理する能力は一級品。物語は弟のビッグ・レッドの語りで進んでいく。強盗団の頭2人は、先に盗んだ100本の金塊を手荷物車両に隠してサンフランシスコへトンズラしようと画策して、その手引きをしていたのが車内販売員の少年だった。美貌にして勇敢な女性乗客、ダイアナ・キャヴェオを人質とした3人は、客車を切り離して出発するところを、ビッグ・レッドと伝説の探偵で今はただの酔っ払い、バール・ロックハートが追う。運よく強盗団の2人を倒したビッグはダイアナと一緒に列車から飛び降りる。スピードが最大限に上がった列車は難所で脱線して大爆発。金塊は溶けて峡谷の隙間の下へ入っていく。次の駅で出迎えた鉄道会社の保安主任は、金塊話と強盗団の頭2名が死んだことを隠そうとし、2人に黙っているようにいうが、気にいらない2人は断って無事に仕事を馘になる。事件解決とと汚れ仕事を断ったと言う自負を持ったまた、2人はまたもや探偵になるために活動し始める。

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兄貴は生まれてからまだ27年しかたってないってのに、そのすべての年が大荷物となって背中にくくりつけられているみたいに、しおたれている。

あんたたち二人もおれと同じくらい嫌われているみたいだな。
ハンサムで魅力的だと、嫌われることもあってね。


手洗い所に入ったおれは、すぐに自分の顔を鏡で確かめた。そのあまりの凄さに鏡が割れなかったのが不思議なくらいだ。

彼の筆が見事なタペストリーを織り上げるとしたら、おれの不器用な文章がつくるのはつまらない糸の結び目みたいな代物だ。

ゴマをあまりにすりすぎたせいで、ゴマはペーストになっちまいそうだった。

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『荒野のホームズ』
19世紀のアメリカ西部を舞台に、社会の底辺にいると言ってもよいカウボーイの兄弟二人(一日1ドルの日雇いで仕事を探しているくらいの社会の底辺度合いだ)が大活躍する、風変わりなことこの上ないミスマッチさがコメディ風味を生み出しているミステリ小説だ。この兄弟、とても仲がよく互いを認めて支えあって生きている。何せ、他に居た兄弟姉妹のみならず、両親までも洪水で亡くしてしまった境遇だから。兄は27歳だが72歳と言っても通じるくらいの風貌と弟は言うが、シャーロック・ホームズの大ファンにして、ホームズの観察眼と推理力を真似て事件の真相に迫っていく。弟の役割は、一つは力仕事。ビックレッドと呼ばれているくらい大柄(本人の伝によると、家の屋根には背が届かない程度の大柄らしい)で、しかも字が読める。この特技を活かして、雑誌に掲載されているホームズの活躍を兄、オ-ルド・レッドに読み聞かせた結果、兄の異才が覚醒したようだ。弟、ビッグ・レッドの目と口を通して、物語は進む。カウボーイらしく無駄口を叩くのが大好きで話がしょっちゅう横道に逸れるのだが、それが又カウボーイのお話しらしくて興が乗ってくるというもの。

仕事にあぶれた二人が雇われたのが、訳有りの牧場。所有者のイギリス貴族が遠くにいるのをいいことに、働いている男どもはやりたい放題で資産をちょろまかしている。そんなところに所有者であるイギリス貴族の一団が現れ、事件が勃発。蛇のように邪悪で疑り深い雇い主の目を掠めながら、オールド・レッドは証拠集めを進めて、見事にいけ好かない貴族の爺さま一団と雇い主たちを鼻を明かしてくれる。

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牧場で雇われているコックはスエーデン人で英語があまり話せない。その様子が、カウボーイ的にはこのような表現になるようだ。
「どうやら、そいつの喋る英語は、魚が口笛を吹いたらこんなもんだって程度らしい。」
こういった変てこだが愉しい比喩や言い回しが随所に出てくるミステリはそうは無い。西部のカウボーイとホームズ流推理、この二つ自体がアンマッチなのだが、その上字すら読めない無学なカウボーイとなるとミスマッチさが増大されてこの上ない愉しさになる。それが、このシリーズの持ち味です。
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その8 ビル・スミス&リディア・チン(S・J・ローザン著)

2023年06月30日 | パルプ小説を愉しむ
今度はリディアがメインとなる第11話『ゴースト・ヒーロー』では、リディアにアート関連の捜査依頼が舞い込む。依頼主は現代中国アートで一角の人物になろうとしている白人コレクター。アートにずぶの素人であるにも拘わらず何故依頼されるのか不審に思いつつも依頼を受けるリディア。早速ビルに相談するのだが、その時のリディアの頭の冴えはすごい。富裕であることを装って入るが、着ているものが既製品のスーツ(高級品だが)、連絡先のみで職業が書いていない名刺、連絡先はプリペイド携帯、絵自体に興味を持っているように思えない依頼主の話しっぷり、そして気前の良い料金支払い。依頼主すら疑ってかかっている時点で、探偵という職業に向いていることが分かる。依頼は、天安門事件で死んだはずのアーティストの絵の新作がを手に入れたいというもの。反体制のヒーローだったチャン・チョウ、別名ゴーストヒーロー・チョウの新作を。相談を受けたビルはリディアを連れてある人物に会いに行く。アート関係を専門に扱う私立探偵、ジャック・リーというアメリカ生まれの中国系2世。ジャックとビルはソーホーのギャラリーのオープニングパーティで知り合って意気投合したのだとか。驚くことに、ジャックもチャン・チョウの新作の噂を耳にした人物から依頼を受けていた。依頼者は別だったので、3人は共同戦線を張ることにした。ジャックの依頼主はNYUの教授のバーナード・ヤン。現代中国アートの権威であるヤン教授は、天安門事件の際に義兄弟同然であったチャンが死に水を取ったのだという。ヤン教授の娘のアンナは、中国で反体制ゆえに投獄されている詩人のマイク・リウというのだから、話は一騎に政治がらみのきな臭さを帯びてくる。新作を見たことがある人を知っているというフワフワした話を確かめに画廊を回るリディアとビル。ビルは金なら腐るほど持っているロシアン・マフィア、リディアはそのアート・コンサルタントという触れ込み。ビルのロシア訛りの英語をそれらしくするために訳者は苦労したのだろうな。会話対だけなら、片田舎から出てきた抜け作みたいな言葉遣いだ。フワフワした話の出所の別の画廊にも同じ設定で2人は乗り込む。受付係をたらし込むビルと、そんなことが気になるわけないでしょ!的に熱くなるリディア。そこに中国系探偵のジャックも参加し、ジャックの言動も気になるリディアは急なモテ期に突入して二股状態となる。そんな所に、依頼主に手を引くように依頼して欲しい、依頼料は1万ドルと持ち掛けて中国人、そして手を引けと脅してくる中国マフィアも登場する。話が錯綜する中で、捜査スケールがどんどんと膨れ上がっていく様は、作者の腕の冴えている証拠。噂の出所はヤン教授の娘のアンナが作った贋作が元だったことを突き止めるが、いけ好かない画廊主が肝心の絵を盗み出してしまう。真作だと鑑定するように父親のヤン教授に圧力をかけて濡れ手に粟を狙う画廊主と苦境に陥ったヤン教授一家。ここでリディアが打開策を思いつく。その打開策というのは、ロス・トーマスの小説並み、『華麗なるペテン師』並みの引っ掛けだった。出世狙いの国務省中間管理職だったリディアの依頼主、手を引くように金を積んできたのは中国領事館の文化担当官、このところ事業不振のいけ好かない画廊に金を貸している中国マフィアは資金を無事に回収したい、これらの絡み合った登場人物全員の裏をかいてヤン教授一家を救い出す方法にリディアとビルとジャック、そしてヤン教授自身も飛び込む。娘が描いた贋作と交換に手持ちの真作を手渡す教授、噂の作品が贋作だが新たな真作が世に出たことで死んだはずの反体制派画家が生きていると思わされた国務省役人と中国領事館担当者は米国と中国が協力して進めようとしているアートウィークが政治的に困ったものになってしまう。国家権力をかざして3人に襲い掛かる国務省役人だったが、画家本人は合法的にアメリカ市民権を取得したと聞かさて今度は入国を斡旋した黒幕を差し出すように圧力をかけて出世に繋がる自分の手柄をなんとして得ようとする。リディアが出した最後のカギは、いけ好かない画廊主。中国本土に頻繁に出入りすることを現代中国アート界での力の源としていた画廊主は、これで中国政府から好ましからざる人物と烙印がおされて地位を失う。国務省役人と中国領事館館員は黙るしかなくなる。そして脅されていたヤン教授一家の憂いはなくなった。

「そのとき芽生えた麗しき友情が、隣のバーで確固たるものになった」
ビルとジャックが知り合い親交を深め合ったエピソードが披露された折のビルの台詞。「カサブランカ」の最終シーンの台詞をもじっている。これだけではなく、ローン・レンジャーとトントが出てくるは、TV番組や小説やらがあちらこちらに顔を出して、会話に色を加えてくる愉しみも味合わせてくれる。

「中国人の十八番だろう」
「中国人をバカにしているのね」
「ぼくの存在価値を確かめたかったのさ」

これはビルとリディアのいつもながらの掛け合い。この2人だけではなく、
「あなたが脚線美で陀ぐ・ヘイグの注意を惹きつけているあいだに、ビルがギャラリーに忍び込んで絵を取り返す」
あなたに脚を見せた覚えはないわ」
「想像力を使えと言ったから」

こんな掛け合いがされるほど、リディアとジャックの仲も盛り上げってくる。「想像力を使え」とリディアに言われたことを逆襲の手に使う頭の良さ、これも演出の一部。

自分を信じるかと訊く人は信じないことにしているの
探偵としてのリディアの矜持というか信念、それとも生き抜いてきた中で得た人生訓というべきか。

「ていうか、入手できないのが考えられない立場なんだよ。どういう意味かわかるか」
ロシアンマフィアに扮したビルがいけ好かない画廊主に対して言う台詞。金と力があるんだぞ、ということを暗に示しつつも、言った本人のお頭の良さは今一つであることを分からせるように非常に上手に化けているビル、というか作者の腕の冴えだね。

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第10話『この声が届く先』を読み始めてすぐに感じたことは、「このシリーズはこんなハードボイルドっぽかったけ」という疑問符だった。ブラームスのソナタを練習しているビルの元に電話がかかってくる。着信音はワーグナーのワルキューレの騎行。
朗々と響く重厚な和音は携帯電話の軽やかなメロディーを圧倒した。(中略)ワーグナーがブラームスに勝るのは、それがリディア・チンを意味するときだけだ。
短い文章が並べられてビルの状況が描写される冒頭の2つの段落は、とてもハードボイルドなタッチ。リディアからの電話からは、ボイスチェンジャーを使った声がリディアを誘拐したと伝え、リディアも「最悪よ」と自身の生存を伝えるメッセージを口にする。誘拐犯はゲームをしようと提案し、時間は12時間と切る。商品はリディアを無事に救出できるかどうかだ。思わず引き込まれたまま、一気に読み進む。家のドアノブにゴミ袋がぶら下がり、中にゴミかと思うような品々が入れられている。スタバの紙コップ、鉄道の切符、煙草の空き箱、食料品店のレシートは、犯人から与えられたゲームのヒントだ。過去に担当した事件でビルを恨んでいる奴だろうと検討はつくものの、電話の中でリディアが口にした情報から犯人像を描いてみるが、誰なのか分からない。リディアの従兄のライナスに電話をかけて協力を依頼する。コンピューター関連の事業を起業したライナスは、同時の人的ネットワークを使って電話の発信元を探り出すが、それだけでは謎が解けない。ライナスのガールフレンドのイタリア系女性で行動派のトレラもここから一緒に行動を始める。何とかヒントを元に示された場所に言っていると、中国系女性の死体が転がっていた。発見と同時に警官に包囲され、殺人容疑で捕まりそうになったビルは警官に手向かって逃走。これで罪状が重くなる。すると、そこに突然現れる中国系マフィアのボスのルー。ルーが支配する売春宿の女が被害者だった。従えた大男のボディーガードに痛めつけられたビルは本当のことを言うが、信じてもらえない。拉致されたビルが入れられた車を止めたのは、これまたリディアの親戚の女警官、メアリーだった。トレラから連絡を受けたメアリーが張っていた場所を運よく通過した車を止めて、指名手配犯を装うことでビルを逮捕することで救った。リディアの誘拐を警察に任せたくないというビルの強い要望に時間制限を設けることで、メアリーはビルを逃がす。そこに、犯人から次のヒントが与えられる。向かった先のコンドミニアムの部屋に拉致されていた中国系女性は、こちらもルーの配下の売春婦。その女の隣には時限爆弾が仕掛けられている。爆発まで寸でのところで女を救出できたビル。そこへ、またもや電話がかかってくる。目の前で女が死ぬように仕組んだ男の狙いは何か?そしてリデャアが監禁されている場所はどこか。救い出した女を近くの救急病院まで運ぶことをライナスたちに依頼して、次なるヒント解きを始める。男の会話から思い起こされる犯人像に合致するのは、異常に勝ちにこだわるゲーム好きの男のケヴィン。ケヴィンの昔の知り合いにあたってみたところ、誰も知らないという。しかし、そのうちの一人のところに隠しカメラが設置されていて、ビルが正体をしったことがケヴィンに伝わる。ビルが多少盛り返して、ここからゲームは後半へとなだれ込む。次のヒントをライナスやトレラと3人で解いたビルが向かった先に仕掛けられていたのは、潮の干潮で縛られた女(これも中国系)が海に落ちるように設定されていたトラップ。一人では救えないが、泳げないライナスに変わって飼い犬のウーフにひと役買ってもらって何とか救助成功したものの、そこへまたもやルーと用心棒が登場。助かられた女が言ったことで、ビルの犯行ではないと思うようになったルーは、ビルとライナス、ウーフを自分のアジトの一つへ連れていく。もちろん中華街の中の高級売春館。ビルはこの辺りで顔を知られているために、警察に一報が入る。警官に包囲された中を、伝説の地下トンネルを通って、ルーたちとビル、ライナスは逃亡を続ける。ここからは、ルーたちも味方になる。昔のケヴィンの顔をフォトショップで加工して今の顔をライナスが作り上げる。それを配下にばらまくルーと、ツイッターを使ってフォロワーたちの協力を得ることで、ケヴィンの居場所をあぶりだそうとする企みが見事にあたって、ダウンタウンを歩いているケヴィンを見つけたものの、そこへルーたちが現れて折角の機会を失ってしまう。この場がとても良い。建物んの屋上に追い込まれたケヴィンが飛び降りると脅す中、言葉でさんざん挑発して屋上縁から出させようとするビルだったが、リディアが監禁されている部屋に取り付けた毒ガス装置を携帯電話で起動させることができると聞かされて一瞬たじろいだ際に、隣にビルへと飛び移って逃亡するケヴィン。ルーの用心棒が追うが取り逃がしてしまう。逃亡する間際に投げ捨てた携帯電話をトレラがダイビングして掴むが、建物の壁面に設けられた旗竿を掴むことで落下せずに済んだトレラ。トレラは旗竿があることを測ってダイブしていた。トレラを助けるためにルーと用心棒の手を借りるビル。敵対者同志が和解して真の協力関係に入った感動的な場面だ。電話発信先を割り出し、ケヴィンの性癖を付け足すことで、リディアの監禁場所が改装中のビルの中だと突き止め、事態を把握した警官たちと一緒に現場へと向かう。リディアが監禁されている地下の一室のカギを開けた瞬間、ビルだけがケヴィンに部屋に引きずれり込まれる。1対1の対決となったものの、長時間は知り廻ったビルは体力の限界。一方的に殴られけられるビルに加勢したのは、鎖に繋がれているリディアだった。ビルを戦っているケヴィンの後ろから股間を蹴り上げ、倒れたケヴィンをビルが殴り続ける。ふと気づくとリディアがビルの脇腹を蹴っている。早くドアを開けて警官隊を入れ、毒ガス撤去しろと促す。警官隊が突入して救い出されるビルとリディアが、病院を退院して連絡を取り合う最終章。こので二人の仲の今後の進展させる予感で余韻を持たせたまま、第10話が終わる。うーん、渋い、渋すぎる。一気呵成のノンストップ・クライムサスペンスだった。

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ちょっと跳んで第7話『天を映す早瀬』。港北図書館にあったこのシリーズで一番若い番号で未読のものがこれだったから。奇数回の今回はリディアが語る番。NYのチャイナタウンで尊敬される人物であると共にリディアの祖父の親友だったガオおじいさんから依頼を受けて、リディアとビルは香港に飛ぶ。ガオおじいさんの香港時代からのもう一人の親友が死んだので、形見の翡翠を香港の孫に渡して欲しい、遺骨を香港の墓に埋葬して欲しいという依頼。何の問題もなさそうな簡単な依頼なのだが、よりによってリディアとビルの二人が指名された。簡単な任務のはずだったが、相手の家族に会ってみると息子が誘拐されていた。息子の返却と交換でガオおじいさんから渡された翡翠のペンダントを渡せと。宝石店で鑑定してもらっても大した値打ちのものではない。裏に何かあるとみたリディアとビルは捜査を開始。すると、別口の脅迫電話がかかって来て200万ドル支払えとの要求。ますますおかしい。一緒に消えた子守りのフィリピン女性も失踪したままだ。彼女が仕組んだのか、それとも子供と一緒に誘拐されたのか。米国アラバマ育ちの現地刑事も加わって捜査を進めるが、一向に埒が明かない。地元ギャングのボスも絡んで、カンフーを使う手下どもがビルを拉致する。ビルを返して欲しければ、息子の行方を探し出せとリディアの要求。ギャングが誘拐犯でなければ誰が誘拐したのか、そしてギャングの狙いは?

NYで亡くなったウェイ・ヤオシーが弟と営んでいた貿易事業に密輸が絡んでいた。ウェイの弟がギャングのボスと組んで中国本土から盗掘した価値ある埋蔵品を輸入していた。新たな事業主になるウェイの息子スティーブに恩を着せて操りたいと言うのがギャングのボスの考え。誘拐は狂言で、密輸の当事者であった弟がスティーブに入荷を邪魔されないように子供を連れて2・3日遊びに行くように強要したところ、怪しんんだ子守りが自分の考えで身を隠したのだった。子守りの恋人が子供時代に習っていた離島のカンフー道場に目星をつけたリディアは組んでいる刑事と乗り込む。子供はいた。さすがにボスは別の道も作って有、直接スティーブと交渉して配下に入れることに成功していたので、ビルは痛めつけられながら無事に戻された。

「黒雲が雨一滴落とさずに通り過ぎるかと思えば、雲ひとつない晴天の日に堤防が壊れて村を洪水が襲うこともあるのだよ」
なぜ私なの?と尋ねたリディアにガオおじいさんが説明するのがこの台詞。要は、見た目とは違って何が起こるかは誰にも分からない、という意味なのが、そう言うよりも奥が深そうに聞こえるのが不思議だ。ガオおじいさんはこの手の例え話をよく使う。題名の『天を映す早瀬』だっておじいさんがいった「早瀬は天を映さない」から取っている。中国四千年の人智が凝縮された箴言にアメリカ人は思えるのだろう。私も年を取ったので、直接的に簡潔に説明するよりもこの手の予言めいた箴言を言ってみるようにしよう。文章は説明口調にならず、コンパクトかつインパクトある文章にする必要があるが。

「ぼくの生まれ故郷では、占い師は善良で敬虔な信徒の目の敵にされていた」
「あなたの生まれ故郷では、占いよりもっと抽象的な神学論に傾倒して、日常生活で不可解な出来事が起きても無視していたのよ」

占いというものに懐疑的なアメリカ人のビルに対するリディアの論法。これって一種のディベートだね。相手の論拠を崩すのに、自分に都合の良い論拠に拠って反論を組み上げているのだから。その論拠はアメリカ人には到底受け入れられないものであったとしても、文化の違いや4千年の歴史に裏打ちされた人智の極致であるという自信のもとに堂々と主張している。これだよ、いかにロジカルに話すかよりも、自分にとって都合のよい論拠を堂々と振り回す度胸だよ。

「当店ではお客様の美しさにいささかなりとも近づけるものだけを、吟味して提供するようにしているんですよ」
持参した翡翠の値打ちを鑑定したもらおうと入った宝石店が、素晴らしい宝石類を飾っていたことをリディアが口にした時の店主の返事。謙遜しつつも、相手を賛美し、自分たちの自慢もそれとなく塗している。

「あなたは兄上に贈り物をしたいという。だが兄上の趣味や、どんなものを喜ぶのかも知らない。だったらともに時間を過ごし、兄上自身やその価値観についてもっと知ったほうがいい。そうすれば、品物ではなく、いっしょに過ごす時間が一番の贈り物だと悟ることができるでしょう」
ギャングのボス・リーと対面しようと、アメリカからの旅行者を装ってリーが営む古物を訪れたリディアに対して、リーが与えるアドバイス。この台詞で悪役度が一気に何倍にも膨れ上がった。相手の嘘を見破ったのみならず、参ったとした言いようのないアドバイスを垂れる。

神々はこの種の会話に聞き耳を立て、そこに目に余る不遜な態度を認めれば、いつの日にか必ず天罰を下してその輩に破滅をもたらすのだから。
事件解決後に謙遜の態度を忘れないリディア。なぜなら、リディアが解決したのはほんの僅かでしかなく、そのことを何十倍にも膨らませて自慢話にしてしまわない慎み深さを持つリディア。その裏にある東洋人ならでは謙虚さを尊ぶ気持ちを、唯一の絶対神を信じるアメリカ人に対して分かりやすく、そして聖書の教えらしく語っている。東洋から西洋に対する言論の手本のような台詞の一つだ。

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3作目『新生の街』はリディア・チンが物語る回となり、ハードボイルドタッチが減る、とは言ってもコージーミステリーのようなお気楽さはない。なぜなら、リディアもニューヨークのマンハッタンで開業する私立探偵だから。ビル・スミスよりも経験は少ないが、事件に真摯に向き合う。兄のアンドリューの友人の新進ファッションデザイナーであるジェンナ・ジンが新作ファッションショー目前に根済まれた新作コレクションのスケッチブックを取り戻して欲しいとの依頼をうけた。5万ドルの受け渡し役として現場に出向いたリディアは、指定されたようにゴミ箱に5万ドルが入った封筒を入れたところ、何者かに狙撃される。張り込んでいた同僚のビス・スミスは狙撃相手を追っている間に、5万ドルが入った封筒は紛失。面子を失くしてしまったリディアは意地で捜査を継続する。そもそも誰が盗んだのか。身内を洗い、ジェンナを支える金持ち名家の御曹司、ジョン・ライアンを追って時代の最先端を行くクラブへ潜入。そこでモデルエージェンシを経営する男から声をかけられた上に、ジョンが別のモデルと密会している現場を目撃。何やら金を渡している。そのモデルは、ジェンナがショーで使う予定のアンディー・シェクターというモデル。ジェンナが信頼することこの上ないジョンが何をしているのか。声をかけられたエージェンシーに出向き、モデル志望と偽る。社長はヘアデザイナーを紹介して髪型を変えるように指示。エージェンシーの支払いで有名ヘアデザイナーに髪を切ってもらいイケてる髪型になったリディアにビルはびっくり。ヘアカットもモデルの履歴書といえるブック用の写真撮影もエージェンシー負担という都合のよい話には裏があり、このエージェンシーはモデル斡旋業ではなく、エージェンシー負担で色々と揃えた上で仕事のために有力者を紹介するという触れ込みで売春斡旋している会社だった。ショー直前で辞めていったプロデューサーのウェィン・ルイスも容疑者として浮上したので家まで訪ねて行ったところ、殺されていた直後だった。関連を追ううちに仲たがいしているリディアの妹に行き当たる。モデルということだが見つからない。芸名を使っている可能性も考えて捜査をするとある女性が浮かび上がる。コンタクトに成功すると、やはりリディアの妹のドーンだったが、モデルではなく高級コールガールをしていた。殺されたウェインはドーンが雇っていた連絡役兼会計係だという。ドーンの家に忍び込んだ二人は、ドーンが残しているはずの電子メモ帳がないことに気付く。そんな中、ジェンナに再度5万ドルの要求がある。受け渡し役としてジョンが出向いたところ、ジョンが拉致されて100万ドルの身代金を要求されてしまったとジェンナから聞かされたリディアは、ジェンナと共にジョンの母親を訪れて金を貸してもらえるように交渉する。ジェンナとジョンの付き合いに反対している母親は、100万ドルを出す見返りにジョンとは二度と会わないことを条件とする。ジョンの命を救うためにその要求をのみ、金を引き渡し場所へ運ぶリディア。ダウンタウンのさびれたビルの中で、ジョンを拉致した2人組とリディア・ビルとの銃撃が始まる。1人は倒したものの、ジョンを人質としているために形勢不利なところに思いもよらない助っ人が登場。リディアの妹のドーンが突然現れて、もう一人を倒す。犯人はモデルのアンディーとリディアの兄の友人のローランド・ラムだった。元々は、リディアにいい恰好したいジョンがローランドを巻き込んで仕組んだ芝居。信託基金を支配してジョンに自由に金を使わせないようにしている母親を騙して、金を出させようとした芝居だったが、自分が経営する縫製工場に嫌気がさしたローランドは金を独り占めしようと画策したところから歯車が狂って話が妙な方向に行ってしまっていたのだった。すべてが判明した時点で、ジョンはリディアの元を去っていく。そしてリディアとビルは目出度く事件を解決したのだった。

思わず食べてしまいたくなりそうなクリームがかった白いウール地の脇には、ずっしりした質感を持つ革の切れ端が五種類留めてあった。金、銀、赤のメタリックな布切れが光沢のある黒い絹の上に縦、横、斜めに交差している。絹には、月光に照らされた池の表に立つさざ波のごとくに、泡立ち、消えていく地紋があった。
ファッションを取り扱う回らしく、布生地の表現が詩的だ。ビルの回だったら、こんな表現は出てこないだろう。そして、風景についてもこんな描写がある。事件捜査中の一種の箸休め的な風景描写だ。
五感をいくら働かせても、ニューヨークが陸に囲まれているとしか思えないときがある。四方八方に陸地が延々と続く、大草原にぽつんとある街か、平原地の真ん中の市に住んでいる、そんなふうに・・・・。ところが、また別のときにはーーそよ風と水の匂いが香り、やかましく鳴くカモメが西から東に雲を追いかける、明るい春の朝にはーーここが、大洋に注ぎ込む川に囲まれた大陸の岸辺であることに突如思い当たる。

直感は神秘的なものでも、摩訶不思議なものでもない。単に普段は意識していないというだけの、経験の賜物である。
丁度、ユング心理学の本を読んでいるところだったの、意識と無意識についての台詞に敏感になっていた。大海のような無意識の世界から突然に湧き出す直感をリディアはこのように信じているんだなぁ、と。

しかし母は、偶然という概念は、世の中というものに底なしにうとい西洋人が作り出した絵空事だと信じている。さらみは、中国人をだますために異邦人が編み出した質の悪い計略ーーつまり西洋人はそんな概念を作り出すほどずる賢く、同時に、効き目があると思うほど間抜けだとことになるのだがーーであるとも。
リディアが母親のものの考え方についてこういっている。アメリカに移民として渡ったものの、中国人としての気概と自尊心と中華思想にどっぷりと染まっている様がよくわかる。また、このように言うことで、リディアが代表する中国系の人物を浮き立たせる役目も果たしている。

「どちらとも言えないわ。両方かもしれない。どっちでもないかもしれない。その中間かもしれない」
「何かを決めようってときのそういうあいまいな態度が、君たち中国人のおもしろいところだ」
「西洋人は融通がきかなくて、なんでも白か黒かに決めつけようとするから、外見だけで判断する視野の狭い人種になっちゃうのよ。ある意味では、それが地球をまっしぐらに破滅に導いているんだわ」

ビルとリディアの掛け合いだが、これも中国系とアメリカ人との考え方の相違をデフォルメして見せてることで、このコンビの面白さを際立たせることに成功している。

わたしは、全然考えないというわけではないが、本当に深く考える前に行動に移してしまう。ビルはそれよりも、まず湯気の匂いを嗅ぎ、レシピを調べる。
リディアが考える2人の思考と行動パターンの違い。すぐ行動に移してしまうリディアの性癖に」くらべて、ビルの性癖の表現はだいぶ比喩的だ。「まずは状況を把握して」ではなく、「匂いを嗅ぐ」という言い方、手練れが表現するとこういうレトリックになるのかという良い見本。

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50代の白人男性と若い中国人女性がコンビを組んで事件解決にあたる探偵ものといえば、何年か前に『チャイナ・タウン』という小説を読んだなという記憶が頭の片隅に残っていた。今回読んだ『ピアノ・ソナタ』は『チャイナ・タウン』に続くシリーズの2作目。ボケをかます男にしっかり者の女がツッコミを入れるというコメディタッチの物語だったと記憶していたのだが、この『ピアノ・ソナタ』を読み進めるうちに間違った記憶をしていたことに気付いた。なにせ、この『ピアノ・ソナタ』はハードボイルドの要素が満載なのだ。大排気量の車をゆっくりと運転している」ゆとりと言うか、ヘヴィー級チャンピオンが軽く縄跳びをしていながら「いつでも全力出せるぜ」的な底知れぬ力を秘めた余裕が文章の底辺に流れている、そんな感じ。物語は50代の白人男性の一人称で進む。今は独り者だが、以前は結婚していて一人娘が交通事故で亡くなった夢で明け方に目が覚めることがたびたび。そんな時はピアノを弾くのだそうだ。今はシューベルトの変ロ長調にはまっている。
今朝四時に心臓が早鐘のようにうち、顔を汗びっしょりにして夢から飛び起きた後も弾こうとしてみた。お馴染みの夢だった。それを見た後は眠れないが、たいていピアノは弾ける。だが、今朝はまったく駄目だった。

謎、そして影のあるこの男、ビル・スミスが昔世話になった人から調査を依頼される。警備員をしていた彼の甥っ子がはたらいていた老人ホームで殴り殺される事件が起こり、真相を暴いて欲しいと。警備員として施設に入り込んで色々と嗅ぎまわる。施設があるのはNYのブロンクス。施設は厳重に警備されてはいるものの周りは犯罪多発地帯。コブラという黒人犯罪集団が地元を仕切る。勤務開始初日に、スネークたちにぼこぼこにしている男を助ける。助けるといっても当人もボコボコにされる。銃を出してその場をやっと切り抜けるという体たらくさ。超人的なスーパーヒーローではなく、ちゃんとした普通の人間らしい設定にしてある。並みの人間にして影がある男、これこそハードボイルド。助けた男は同じ施設の用土品チームで働く男で元スネークの一員だった黒人。この男が色々と助けてくれる。そして、一癖ある入所者の一人、元ピアノ教師のアイダ・ゴールドスタインも主人公を気に入ってくれて、彼女なりのマナーで助けてくれる。そうこうしているうちに第二の殺人事件。夜間部門の警備主任が、前回と同様に殴り殺された上に足を銃で撃たれていた。警察は黒人犯罪集団の仕業とにらみ、ボスのスネークをあげようと躍起になる。二案目の被害者のロッカーから5千ドルのキャッシュを発見したビルはメモを残す。何かがこの施設で行われている。色々と嗅ぎまわるが真相には行き届かない。不信な車に備考されたり、コブラから呼び出されてヤキを入れられたり、踏んだり蹴ったりのビルの多難が続く。そんな中、アイダの手引きで施設の隠された地下室に入り込んだビルは、ここが盗品売買の倉庫代わりに使われていることを発見する。用土品係の主任の副業がそれで、二番目に殺された夜間の警備主任は袖の下をもらうことで目こぼしをしていたのだった。加えて、厳格な管理をすることで嫌われていた施設の管理責任者が
補助金を詐取していたことも見つける。終盤間際になって各種の犯罪がこの施設で行われていることを暴くが殺人事件の犯人は分からない。コブラに呼び出されて再度ヤキをいれられてしまったビルが施設にやっとこことで帰り着くと、そこで襲われて殺されそうになる。助けたのが、相棒のリディアと昼間帆警備主任。彼らのおかげで殺されずにすんだビルは、覚えていた襲撃者の姿かたちと推理から、犯人はコブラの副リーダーだち暴く。施設に対して「保険」として月千ドル要求したのだが、その副リーダーはさらに五百ドルを上乗せして要求し、受取役の夜間警備主任と二人で上前を撥ねていた。分け前を増やせ、さもないとボスにばらすと脅されて犯行に及んだもの。しかも最初の殺人は、真相に気付いた警備担当を夜間主任が殺していた。これで依頼された事件の真相が究明された。

朝の光に輝くまばゆいばかりの沈床園の向こうに、プロンクス・ホーム養老院の三階建て石灰岩造りの棟が、庭の両側にそびえる塀ちかくまで延びていた。太陽が中央棟の背の高い窓に反射し、屋根のタイルをきらめかせる。石造りの広いポーチが曲線を描いて庭にせり出していた。
初出社の日に見た施設の印象がこれ。どうってことない描写なのだが、建物のイメージをしっかりと持たせてくれる良い文章だと思った。

勘定をすませ、リディアと共に黄昏れ始めた外へ出た。レンガ造りの建物が連なる上の空に霞がかかり、太陽が低い位置から黄金に赤をちりばめた光を放っていた。
こちらもそう。こんなふうに身の周りの景色を軽々と描写するとことが、軽く縄跳びするヘビー級チャンピオンを感じさせてくれる。

「明日は、ずいぶん仕事がありそう。こっちが書類仕事に浸かっているあいだ、何するつもり?」
「きみが愛してくれないから、さめざめ泣いているさ。」
彼女はにやっと笑っボビーを見やり、馘を振った。いつものように、わたしがふざけたと思っている。


「イーストチェスターがウェストチェスターにあるの知ってた?」
「ああ。きみがきれいで、ぼくが首ったけだって、知ってたかい。」
「ビル、ちょっと、いい加減にしてよ。」
「悪かった、ごめん。さりげなく言っときゃ、気がつかないと思ったんだ。」

昔読んだ一作目はこんな会話が随所にあったような気がする。コメディタッチのミステリものと記憶していたのはそのせいだろう。

「この事業は、誰かがやらなければならないんだ。まったくの無駄骨なんじゃないかって思えることもあるがね。たいてんそんなふうだって言った方がいいかな。出血しているところに、バンドエイドを貼るようなもんだ。検討はずれの治療法だし、そのバンドエイドにさえ事欠く有様さ。だが、それが手元にあるなら、そしてそれしかないんだったら、やってみないわけにはいかんだろう?」
こう言う施設責任者にして人権保護の活動家の元弁護士に反論してみようとしたビルに対して、元弁護士が言い放つ。
「そういう意見は聞き飽きたよ。目の前で患者が出血死しそうな時に言ってみるんだな」

「もし、ロビン・フッドが単なる盗人以上の人間かと思うかってきいてるなら、違うって答える。もし、ドクター・マドセンみたいのがたくさんいて、ミセス・ウィルコフみたいなのが少なければ、世の中は住みよくなるかってきいてるなら、そうだって答える。」
ロビン・フッドって普通はヒーローだと見なされていると思っていたのだが、それは一方的な勘違いだったのか。

後書きを読んで知ったことだが、このシリーズは一作ごとに語り手が交代するらしい。ということは、一作目はリディアの目から見た物語だったのか。だから、ビルの軽口が多く、そのことからコメディーっぽい作品と思ったことが判明した。









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コージーミステリを読み耽る愉しみ その12 優しい幽霊シリーズ(ナンシー・アサートン著)

2023年05月05日 | パルプ小説を愉しむ
第8話『ディミティおばさまと悲恋の修道院』では、子育てノイローゼ気味になったロリのことを考えた周りの人々がロリをハイキングへ送り出す。大自然の中を歩いて気分を転換させて心を和らげさせようという計画だったのだが、ハイキングの途中にイギリス全土を猛烈な寒波が襲い、大雪になってしまうという大ハプニングが起きてしまう。しかも、地図を読まず行き当たりばったりの旅程が好みのロリは計画とは異なる道に踏み込んでしまった挙句にレディソーン修道院という名の古い建物に緊急避難することとなった。そこには、ロリの他にも土地に迷った2人のアメリカ人に加えて、ショットガンを振り回す管理人と称する老人がいた。修道院といっても本物の宗教的な修練の場ではなく、修道院に似せて作った金持ち層の屋敷の名残を最近になって有名女優が買い取って改装を加えてところだった。元々の所有者、デクラーク一族の最後の末裔は第二次大戦後にこの屋敷を負傷兵のための病院としており、そこに収容されていた米国兵に対して恨みつらみが残っていたようだ。偶然迷い込んだ2人のアメリカ人のうち女の方は、意地が悪くロリに辛く当たるし、夜中に屋敷内を探索している気配がある。古い屋敷内を漁って金目のものを盗もうという魂胆かもしれない。もう一人も男の方は優しく気が利いて、しかもハンサム。ここ何作か連続でロリのホルモンが異常に発生し、あわやロマンスに発展するかという危機が今回も続く。幸いなことに、いずれの回も相手の男は紳士だったので、何も起こらず今回も同様。

秘密のノートでディミティおばさまと会話したロリは、おばさまもその施設で負傷兵の看護をしていたために末裔のルーカスタを知っていた。治療を受けていたアメリカ兵との間で何かがあったようだ。それが今回のミステリのタネで、ロリは屋敷内を漁っていると思われるアメリカ女性、ウェンディを探りながら自身でも屋敷内の探索を始める。すると2名は実はグルであることが判明し、しかもウェンディは多くの宝石類を持って男の部屋に入ってきたことを見つけてしまう。これは一族に古くから伝わる宝石類、孔雀のパリュールで、ルーカスタはアメリカ兵によって盗まれたことでアメリカ人を毛嫌いしていたのだと判明。しかも、戦後から自分が死ぬまでに、入院していたアメリカ兵に対して恨みつらみの手紙をずっと出し続けていた。盗んだのは2名の父親の2人組。2人は父親たちが盗んだ宝石類を秘密裏に返そうとして大雪の中この修道院にやってきていたのだった。犯罪は犯罪として、残りの人生を悔恨の情にさいなまれつつ過ごした元米兵2名と父親たちの犯した罪のお詫びとして宝石類をそっと返却しようとする2名の若者たちの気持ちを考えて、ロリも返却に手を貸す。問題は、どこからパリュールを盗み出したかだ。大理石でできた箱の中、というキーワードからそれは祖先たちの霊廟の中の棺の中からだと考えてロリたちは、新月の夜に霊廟に忍び込む。幽霊騒動も何も起こらずに、棺の中には宝石類を格納するスペースがあることを見つけて無事に宝石類は一族の手元に戻った。とは言っても、一族はすべて死に絶え、今や館は別の人間の所有物になっているのだが。著者が米国人であるから、同国人の犯罪には寛容なようだ。逆の立場だったら話の展開は全く異なっていたであろうことは容易に想像がつく。悔恨の情を抱いたまま残りの人生を過ごしたとか、子供たちが父親たちのために宝石類を返そうと奮闘しているけなげな姿というもの以上に、同国人という意識が昔の犯罪をなかったものとしてリセットさせてしまってめでたしめでたしという終わりにしてしまったようだ。

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第5話の『ディミティおばさま幽霊屋敷に行く』でも人殺し事件は起きない。が、ロリが悪天候ゆえに起きた地すべりに巻き込まれて九死に一生を得るところから始まる。元上司のスタンから依頼されてイングランドとスコットランドの端境エリアにあるノーサンバーランドで稀覯本の鑑定に出かけたロリは、悪天候の中道に迷って軍が管理する演習地域に迷い込んでしまう。突然起きた地すべりに愛車が流され辛うじて逃れ出たロリは大雨の中5マイル歩いて人家に辿り着き、親切な男性に介抱されて一命を取り留める。男の名前はアダム、著作を完成させるために辺鄙な地方の小屋に籠っていたところ。ロリが訪ねるべきウィアードハースト館とは目と鼻の先。夫のビルから救助依頼が出され、軍もロリを探していた。マニング大尉に館に連れられたロリは、そこで主のジャレドと新妻のニコールに会う。ニコールと年が相当離れたジャレドは人を見下した態度をとる男で、ニューカッスルに用があるといってすぐに旅立ってしまう。使用人に囲まれてはいるものの寂びれた館に残された寂しそうなニコールにロリは同情するが、この館には幽霊が出ると村人たちは噂をし、ニコールも幽霊がいるという。ディミティおばさまという幽霊と交信できるロリにとって、幽霊とは恐怖する対象ではないものの、ひょっとした切っ掛けで知った隠し階段で不気味なものに遭遇して倒れて頭を打ってしまう。この屋敷には何か秘密があると感じるロリ。本業の稀覯本の鑑定を始めてみると、100年ほど前の居住者であった10代の娘が村の男と親が許さない恋仲になっており、二人の文通が本によってなされていたことを見つける。二人の運命に興味を持ったロリは文通の残りを見つけようとする。屋敷の中で起こる不思議な出来事、そしてロリもアダムに対して自分で自分を制御できないほどの異常な興味関心を持つようになってしまう。タネを明かせば、この館に悲恋の少女の霊が残っており、その霊がロリに取りついてアダムへの興味関心を沸き立たせていた。ニコールと一緒に秘密会談奥にある秘密部屋に隠されていた本から文通の残りが発見される。地元の男は身分も財産もないが、クレアは令嬢だ。何も持たない男は丁度勃発した第一次大戦に志願し、名誉を得ることでクレアに相応しい男であることを証明しようとしたが、結局は激戦地で死んでしまう。令嬢のクレアは男の子供を身籠っていたが出産後に死んでしまう。生まれた子供の孫がアダムにあたり、アダムは自分のルーツ探しも兼ねてこの地方に来ていたのだった。果たして幽霊は、自分の親と祖母を不幸に追いやったクレアたちに対するアダムの嫌がらせであった。その上、長い間閉じられていた館は地元に住む過激派テロリストたちが武器弾薬を秘匿しておいた隠れ家でもあった。スコットランドへの自治反対を標榜する過激派の地元パブ亭主と家族たちとアダムとが別々に相手のことを知らずに館に忍び込んで幽霊騒ぎを起こしていたという顛末。前作では行倒れの男の身元捜索、今回は訪れた先の館での幽霊騒ぎと、人殺しのような物騒な事件でない事件を面白く読み進ませる著者の力量は認めるものの、今回の過激派テロリストというのは唐突すぎる。作者もちょっと困ったのか、それともこの時期に英国で何かがあったのか。

いかめしい顔は厳しく強情そうで、ぎゅっと結ばれた口元は頑固そうだ。くちばしのような、横柄そうな花。半眼で睥睨する目。白か黒しかない人生を送った男、神は自分と同じヴィクトリア時代の人物に違いないと信じていた男に違いない。
高慢な英国男を形容するに相応しい表現として「神」まで持ち出すとは、アサートンもよっぽど腹に据えかねているのだろう。

寝室の華美な壁紙を背景にくっきりと浮かび上がった姿は、ラファエル前派の絵から抜け出た乱れ髪の乙女のようだった。
ラファエルやミケランジェロなど、ルネサンス時代の高名な画家を持ち出して女性の美しさを褒めたたえるという行為は、相手の美しさを極上のものとすると同時に口にした者の教養も保証してくれるのだろう。是非使ってみよう。でも、ピカソが描いたようだでは反感を食らうだけだろうが。

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9か月ぶりにこのシリーズの第4話『ディミティおばさまと聖夜の軌跡』を借りた。アメリカのみならずイギリスを舞台にするコージーミステリの多くが殺人事件をテーマとするのみ対して、このシリーズは殺人以外がテーマとなることが多い(もちろん人が殺される事件もあるが...)。今回は、クリスマスシーズンを前に主人公ロリ・シェパードの家の前で行倒れになっていたホームレスの男の正体を探るという地味なテーマの物語。地味ではあるが読んでいて飽きないのは、書き手の力量ゆえだと思う。最初は不潔さゆえに気味悪がっていたのだが、病院に見舞いに行った際にこの男の端正な顔に惹かれてしまい、正体を知りたくて仕方なくなったロリ。病院付近で貧困者向けのシェルターを運営しているカトリック牧師と知り合い、一緒に調べるようになる。夫のビルが親しい友人の葬儀と相続処理のために家を不在にしている間、自然が沸き起こす欲望をこのホームレスの男と牧師両方に感じていることを認めることは作者も正直だ。男は大戦中にあった空軍基地を転々と巡っていたことが判明。しかも、空軍兵士に贈られる勲章をいくつも持っていた。戦争当時の空軍と何らかの関係があると知った二人は各地の元基地を調べる中、男の姉を見つけて正体を知る。男の名前はクリストファー・アンスコーム・スミス。キットと呼ばれるこの男は、ロリの友人であるエマ・ハリスが住むアンスコーム・マナーに住んでいたサー・マイルズの息子で、ご近所さんのディミティおばさまとの知り合いの仲。キットは、父親が戦争中に戦略爆撃という名前で一般民間人を多く殺したことに衝撃を受けて贖罪の旅にでていたのだった。その旅が終わりに近づいた時に次に何をすべきかをディミティおばさまに相談したくてクリスマスシーズンにフィンチまでやって来ていたのだった。一命を取り留めたキットが、やがてアンスコーム・マナーで馬の世話係として働きだすことは第6話をすでに読んでいるので知っている。このように話の輪が繋がっていくことが確認できた。前述したように、地味なテーマではあるが、シリーズ全体を俯瞰してみた際にミッシングリンクが埋まるような上手いテーマ設定であることが分かる。

間隔の広い目や曲線を描く唇は、ミケランジェロに刻まれたものかもしれない。
ロリが心ならずも惹かれてしまうキットの整った顔がこのように紹介されている。顔の美醜が一瞬にして人の好感情のみならずその後の行動までも運命づけてしまうという世の不公平には大変に不満ではあるが、「ミケランジェロに刻まれたもの」という比喩はいただける。「ダ・ヴィンチが描いたかのよう」というのも使えるだろう。ピカソが描いたはダメだろうが。

あなたは最善を尽くしているし、わたしにとっては、最善を尽くしている人は誰だって十分なの。あなたが同志で神は幸運だわ。
一緒にキットの正体探しをしてくれる牧師のことをロリがこういって労う。「神は幸運」というちょっとした一言が決めてだね。

「目の前を横切る人を、誰ひとり透明人間にしないこと。」
その牧師がロリに言う。これから他人に対して暖かい目を向けて欲しいと。他人に親切にするというありきたりの言葉ではなくて「透明人間にしない」という台詞がなんと印象的なことか。そして、こんなことも言っていた。
まともな世界は、ちょっとした親切の積み重ねでできる。

邪悪な存在と戦うときにはいかなる手段も許される、と決めた時、人々にとっての善は滅ぼそうと決めた悪と区別がつかなくなった。(クリストファー・ドウソン「国々の審判」)
この警句は使える。是非覚えておこう。

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直前の投稿が今年の4月9日。ということは、2か月ちょっとしか経っていないというのに、頭の中では何年ぶりかのような感覚だった。今回は第7話『ディミティおばさまと貴族館の脅迫状』。貴族館というのにそそられました。

隣人の親友、エマの旦那、デレクが実は伯爵家の直系男子であることが判明。本人は、若いころから父親である伯爵と仲たがいしており、貴族としての暮らしではなく歴史的建造物修復の職人として幸せに暮らしている。伯爵も年老いて、しかも心臓に爆弾を抱えている。しかもデレクの長男はもうすぐ21歳になって相続権を獲得できる年になるし、長女のネルは祖父の秘蔵の孫娘。ランチを食べさせるために、自家用ヨットでモンテカルロまで行く、という台詞すら登場していた。しかもロリの旦那、ビルは数か月前から伯爵家の法律問題を扱うようになっており、デレク夫婦とビル・ロリ夫婦も伯爵のカントリーハウスに招かれる。登場人物は、伯爵含めてこの4人プラス、デレクから見ると甥と姪にあたる人物、そして使用人たち。事件は、親族の一人であるサイモンが得意なはずの乗馬で落馬してけがを負うというところから始まる。殺人ではないのですね。うっかりの事故かというと、サイモン宛に脅迫状が来ていたことから事件性を帯びてくる。警察沙汰にしたくない伯爵とそれを慮る親族。そこでロリの出番となる。

結局は、デレクが幼少の頃に乳母がデレク可愛さのあまりに相続権を横取りしようとしていると勘違いしてサイモンを脅迫するのみならず、落馬事故に見せかけて殺そうとしたもの。この乳母は最後の最後、謎解きのシーンで突然現れるという唐突な設定だが、それでもコージーミステリーだからOK。何よりも、読んでいて何の引っ掛かりもなくスムーズに読み進められるという作者のうまさがある。事件解決の糸口をくれるのは、ロリとは秘密のノートを介して会話できるディミティおばさまという幽霊。こんな設定もOK。なぜなら、読んでいて楽しいから。特に今回は、伯爵家のカントリーハウスという想像を絶するスーパーリッチな暮らしの中でも物語だったのだから。

ヘイルシャムのエントランス・ホールは、ローマの寺院のように格式と冷ややかさを感じさせるものだった。乳白色の大理石の壁、大理石の彫像、そして黒い鍛鉄に金線をあしらった手すりがついた広々とした大理石の主階段。二階の廊下は寒々とした大理石ではなく、壁は薄桃色の漆喰、床は矢筈模様のチーク材で、壁に並ぶブロンズの燭台にはやわらかい光が灯っていた。(中略)壁は深紅のダマスク織で覆われ。金張りの額縁に入った油彩の肖像画がかかっている。大窓に掛かった金色のベルベットのカーテンは、両端にいよせられて房飾りのある紐でもとめており、窓の上部も房飾りのついたスワッグ・カーテンで装飾されている。(後略)
到着後に執事に部屋まで案内されたロリがカントリーハウス入口と自分にあてがわれた部屋を形容するのに5段落、1ページと2行を要している。この超がつくほどの贅沢さが読者を夢見心地にさせてくれる。作者は、この非現実的な状況をイメージが膨らむように分かりやすく描写してくれる。これがこの著者の上手なところだ。

「18世紀の生まれにしては、ずいぶん保存状態がいいのね」
「ぼくが時代遅れだっていうのは、率直に認めるよ。いつだって田舎の方が都会より好きだし、手作りのほうが大領生産より好きだ」

幼いころにメヌエットを習っていたという親族の一人、サイモンとロリの会話。時代遅れという代わりに18世紀の生まれだって。

「今はお好きじゃないんですか?」
「好きですよ。乗らなくていいなら、ですけど」
これまた親族の一人との会話。英国貴族らしく乗馬をすることが当たり前のように考えている親族の一人との会話。

「実にエリート主義的な考えだな」
「そうかもしれないけど、別にいいでしょう?どんな貧しい人だって木を彫り、粘土を焼き型に入れ。石を刻むー人の精神は美を貪欲に求めるものだからよ」
もし、私が自分の意見をエリート主義的だと言われたなら、どう反論するだろう?ロリは一旦そうだと認めた後で、人として美を追い求める本能に言及することで見事な反論をしている。勉強になるなぁ。

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このシリーズを最後に呼んだのが2020年7月。ということは、2年近い歳月が流れた後で今回『ディミティおばさまと村の探偵』を読んだ。4話と5話を飛ばしてシリーズ第6話になってしまったが、たまたま図書館で見つけのがこれだったから仕方がない。

イギリスのコッツウォールド地方にあるフィンチという村で人が殺される事件が起きる。村での殺人は1世紀ぶりのことと。殺されたのは、村人たちから目の敵にされていた初老の女性。目の敵にされるのは無理もない。当人自身が他人を誹謗中傷、根も葉もない噂をばらまいて貶めることに快感を感じる異常人物だったから。警察が介入しても村人たちは互いを庇い合って情報を漏らさない。少ない情報の中で目をつけられたのが、主人公のロリが守護天使のような役割で守っている傷つきやすいキットという青年だった。キットを救うためにロリは事件の究明を始めるが、たまたま訪れていた村の牧師夫人の甥御が手伝うこととなった。この甥御、ニコラス・フォックスという30男は、繊細な心根と外見、禅と格闘技を身に着け、女性に対する優しいマナーと物言い、人に対する気遣いなど、なかなかの好男子。ロリもニコラスに好意を超える感情を抱くようになり、それが噂好きの村人たちの注目の的になってしまう。この二人の関係がただならぬものにならないであろうことは、この物語がラブロマンスではなくコージーミステリーという範疇であるから安心してできる。

殺された女性に恨みを抱く村人は数多くいて、それぞれがなぜ恨みを抱いたのか、何をネタに誹謗中傷されていたのかが次々と分かってくると、だれでもが犯人になりそうだが、この手のお話では犯人になりそうな人間が犯人になることはない。一体だれが殺してのか?最後の最後には、ひょっとしてニコラス自身が殺したのでは?という疑いももってしまった。

ネタを明かせば、事件は殺人ではなく、死んだ女性が部屋に飾っていたゼラニウムの鉢が頭蓋骨の脆いところにあたって死んだという単なる事故。田舎の警察が不十分な現場検証しかしないために事が大事となってしまっただけ。そして、なんとニコラスはロンドンで刑事をしていた人物。だから人を誘導したり問いただしたり、真相にグイグイと迫っていることが得意だったというおまけつき。潜入捜査で相棒が殺されたことがトラウマになって療養中だったニコラスが、叔母の牧師夫人に頼まれてロリを手伝うこととなった。ニコラスが繊細な人物として描かれていたのは、トラウマを抱えて葛藤しているという設定だったから。ニコラスとロリの関係も清らかなままで、ロリと夫のビルはトラウマ解決を手伝う存在になることで物語は無事に終わる。

このシリーズは、不要な料理が長々と書かれることもなく、事件を追っている中での主人公ロリの気持ちの流れがごく自然に描き出されているところに読みやすさがある。事件解決は二の次にして、主人公や友人が作る料理やクッキーなどがこれでもかというくらいに出てくる他シリーズとは異なり、安心して読めるコージーミステリであることを再確認した。

いつもはかすかに見えるだけの額の皺は峡谷のように深く刻まれている。
いつものことながら、ありふれた情景を印象深くさせる比喩の使い方が見事だ。教養とは手間暇かけた装いと正しい日本語と言っていた台詞があったが、良い意味で裏切る比喩や言葉遣いも教養に含まれるのだと思う。

互いに強い気持ちを掻き立てられているは明らかで、目が合う旅に火花が散っている。この気持ちは、どうすればいいのだろう?
こういう台詞を入れることで、ロリとニコラスの関係の深さを読者に心配させるように持って行っているのですね、作者も罪作りです。


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立て続けに、シリーズ第一作『ディミティおばさま 現る』を手に取った。それだけ、読み物として面白い。特に次がどうなるのかを気にさせる展開の組み立てとストーリーの流れの心地よさとがそうさせるのだと思う。

母親に死に別れ、夫とも離婚して失意と貧乏のどん底にあるロリの元に、ある日立派な封書が届く。ウィリス・アンド・ウィリスという弁護士事務所から届いた手紙で、
クリーム色の封筒と便箋、厚みのある紙、光にかざすとすかしとすの目が入っている

という稀覯本専門家のロリの目ならではの観察結果がさりげなく披露されてつつも、物語がここから展開するぞ!という予感を醸し出してくれる。実際、ここからロリに幸運が舞い込むことになる。

指定されたオフィスを訪れたロリは、子供の頃に母親から御伽噺として聞かされていた”ディミティおばさま”が実在していたこと、ディミティおばさまとロリの母親は大親友で、おばさまの物語は二人の間の手紙の遣り取りから生まれていたこと、そしておばさまが亡くなってしまった今、ディミティおばさまが暮らした英国フィンチ村の家に一か月滞在しておばさまが創作した物語を出版するためにロリが序文を書くことが遺言で求められいることを告げられる。必要経費は実質的に自由に認められ、仕事が無事に終了した暁には一万ドルが手に入るというロリにとっては天からお金が降ってきたような”たなぼた”な申し出だった。二つ返事でOKしたロリは、弁護士事務所のパートナーである息子のビルとフィンチ村へ旅立つ。

村では往復書簡を読み耽る合間に、ディミティおばさまが抱える悩みであり苦悩を解き明かそうと、いろいろと村人から情報をとったり、ロンドンとの往復をする。そして暴き出された悩みは、第二次大戦中におばさまを襲った不幸せな恋とその結末にあることを見つけ出し、恋人との間の些細だが大きなかけ違いを生んでしまった誤解を解くことに成功する。

こうして、ロリはディミティおばさまの物語の序文を完成させただけではなく、遺言に書かれたようにフィンチ村の家と財産を相続し、その上同行していたビルと恋に落ちて結婚することになる、という目出度しめでたしのエンディングを迎える。

冒頭でロリが訪れる弁護士事務所、ウィリス・アンド・ウィリスはボストンの富裕階級を顧客に持つ成功した名門事務所で、どれだけ成功しているのかが建物や家財の描写で描かれている。
ここにあるのはオフィスではなく邸宅、それも両側をオフィスビルにはさまれて小さく見えるものの、まったく位負けしていない風格漂う豪邸だった。そにかくそこには、コンクリート砂漠のただなかの美しい荘重なオアシスがあった。


グレイの大理石でできたシャワーストールとジャクージバス、たっぷりとした収納、流線形をした革張りのリクライニングチェア、マッサージ用ベッド、全身が映る大型の鏡、電話、オーディオ、テレビ、ビデオ、トレーニングマシンが置かれている。(中略) この更衣室をそこいらのバスルームと比べるのは、タージ・マハールを”村の小さな教会”と比べるようなものだ。

弁護士でロリの遺言執行人であるウィリアム(ビルの父親)は、
資本主義の暴君

と呼ばれながらも、有能である弁護士がそうであるように威厳を持ちつつ手際よく仕事を進める一方、ロリに対して非常にやさしく親身に接してくれる。
正直申しあげて、その気持ちを癒すためにわたくしにできることは、ほとんどありません。ですがあなたの法律顧問として、持てる能力のすべてを投じて職務を果たすことは、お約束できます。

とロリの境遇に深い理解と同情を示し、常にロリのために考えて行動してくれる。事務処理を任されている弁護士ではなく、親しい友人か親族であるかのような親密さをもって。

一方、実在していたディミティおばさまは、手紙の中で
平凡な美徳がもっとも粘り強く、穏やかな勇気は大胆不敵さより価値があることをしっていたからです

だったり、
小学校教師の報酬は、お金ではなく愛で支払われる

といった心の琴線に響くような言葉をロリに投げかける。

また、とてもロマンチックな台詞もあちらこちらに見られる。例えば、
何十もの流星がベルベットのような夜空に銀色の筋を引いて消えていく眺めは、まるで神様たちが時のかなたから送ってくるウィンクのようだ。

雨が二、三粒、ポーチにかかった屋根に当たったかと思うとにわかに土砂降りになり、ポーチをきらめく透明な壁で囲んだ。

といったような素敵な言葉がある一方、ロリのかつての上司であり恩師のことを
どうしてウェイトリフティングやワニと格闘するような職業には就かずに稀覯本という分野を選んだのか

といったユーモラスで温かい目線で紹介してくれるところも、コージーミステリでありつつも上質な読み物だと思う。

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『ディミティおばさまと古代遺跡の謎』はシリーズ3作目。前作が面白くて一気に読み上げてしまった記憶が新しいので、ついつい3作目も手にとってしまった。

前作の最後で待望の妊娠が分かった主人公のロリに、ウィルとロブという男の双子が誕生している。待ちに待った子供を授かって育児に奮闘するものの、育児ノイローズが高じてしまったロリが家の内装や家具をめちゃめちゃにしてしまっているところからお話が始まる。テーブルの角を始めあらゆる家具には緩衝材をつけ(双子が頭をかち割らないため)、扉には留め金をつけ(もちろん鍵の置き場所は忘れてしまう)、挙句の果てに下敷きにならないようにベッドからマットレスを下ろそうと奮闘しているところで我にかえる。そんなロリの前に現れた救世主の子守がフランチェスカ。子沢山の家庭で育ったために、育児も料理も掃除選択も文句なし。やっと、ロリとビルの家庭に安らぎがもどった。

と思いきや、村の外れで古代ローマの遺跡発掘作業をしている大学教授と学生グループをめぐって騒動が沸き起こる。発掘賛成派と反対派に分かれる中、牧師館から古文書が紛失するという事件が起こる。その古文書には、村はずれのローマ遺跡は他地方で発掘されたものを埋めたものだと書かれたものであったから、騒動がいっそう大きくなる。牧師夫婦に頼まれて、古文書探しを始める。

このシリーズは他のコージーミステリとは異なり人殺しのような重大事件は起きない。盗難や失踪といった、ひょとしたら犯罪ではなく何かの間違いかもしれない程度の事件なのでスリルはないものの、それでもどんな展開になるのかを愉しませてくれる作者の腕はそれなりのもの。仲の悪い村人の生い立ちと関係が話の展開とともに次第に明らかになってくることで、謎解きミステリのユルさを目立たなくしてくれる。

村一番のうるさ方である雑貨店主兼郵便局長で台風のようなエネルギーと意地の悪さを持つペギーは村の鼻つまみ者だが誰も逆らえない。そんなペギーの裏の顔を知って恋してしまったジャスパーが、ペギーのためを思って牧師館に盗みに入ったことが最後の最後で明らかになる。そして、それを切っ掛けに仲の悪かった村人たち同士に協力の輪が生まれてくる、という目出度し目出度しの物語でした。

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ほとんどの記憶はあいまいで、まるで雨に濡れた水彩画のように、区切りも区別もなくつづく日々のものだった。
「区切りと区別なく」と畳み掛ける表現がいいね。

子供たちはすこぶる元気だ。同じ頃に生まれた赤ちゃんに追いつくどころか、ホーキングズ先生が考えうるどんな成長曲線をも逸脱する勢いで成長している。
成長曲線というビジネス用語がこんな風に使えるのかと一瞬考えてしまったが、子供の成長にも使える当たり前言葉なんですね。自分の脳みそがいかに仕事に偏っていたかが良く分かりました。

大枝の深緑を背景に、木漏れ日を受けた金褐色の髪が燃え立つような赤銅色に輝いていて、このうえなく美しい。まばゆい白のシャツドレスと草の染みのついたフラット・シューズを身に着けたフランチェスカは、小麦色の肌をした光り輝く女神だった。
こんな女性にめぐり合ってみたいものだ...

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『ディミティおばさま 旅にでる』を読み始めて2ページ目の冒頭で頭の中に??マークが浮かんでしまった。なぜなら、

ディミティおばさまが亡くあってから、わたしの願いはすべて現実になった
という一文で、思わず表紙に戻って本の題名を見直し、「じゃあ旅に出るディミティおばさま」って誰? と読書に急停車がかかってしまった。

これが、シリーズの2作目から読み始める時に時たま起きる障害。気を取り直して読み進むうちに、ディミティおばさまは死んではいるが、幽霊として出没して主人公のロリ・シェパードを様々な困難・苦労から救い出すお手伝いをする役だということが分かって一安心。この幽霊であるおばさまは、ロリに何らかの危機が訪れそうになると出てきて、日記帳に文字を記すことでロリと交信し、アドバイスだったり状況説明をしてくれる便利な存在。

今回は、結婚1年目にして弁護士である夫と過ごす時間がなくなってしまったロリが、2回目のハネムーンとして英国旅行を企画したところ、あんにたがわず土壇場で行けなくなった夫の代わりに義父が一緒に来ることになったものの、その義父が失踪してしまうことから物語が始まる。失踪した義父に、幽霊のディミティおばさまが付き添うことで、ロリたちは義父の行方と失踪のキッカケとなった事件を調べることになる。

義父と夫の一族は、ニューイングランド地域で指折りの高名な弁護士事務所を経営しており、一族の片割れはロンドンで同じく弁護士事務所を営でおり、そもそも英国と米国に分かれることになったキッカケが事件の鍵を握っている。そのことを知った義父は、一人で真相究明に乗り出し、それを失踪と思ったロリたちが跡を追っかけるという展開が続く。何代か前に、双子の兄弟が英米に分かれることとなったのは、一族の事務所を英国でもトップを争う有名事務所にさせたいと願う母親の大それた野望と、双子の兄弟の間で奪い合いとなった一人の美しい女性が関わる悲劇にあることが暴かれていく中で、昔の因縁が今の一族の問題にも投影されてくるという時間を超えた絡み合いがストーリーを盛り立ててくれる。

このシリーズには大した期待はしておらず、興味本位で図書館から借りてきた(だから2巻目からのスタートとなった)のだが、読みだすと展開が気になって途中で止めることなどできないほどのめり込んでしまった。結局、一日で読了。ミステリーそのものではなく、「次はどうなるのか?」という期待を上手に煽ってくれる書きぶりがそうさせたという点で、なかなかの力量がある作者とお見受けしました。
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その24 ウェディング・プランナー(ローラ・ダラム著)

2023年04月12日 | パルプ小説を愉しむ
ワシントンDCのウェディング・プランナーのアナベル・アーチャーとアシスタントのケイトは殺人事件に遭遇する。依頼された結婚式の最中に。しかも、殺されたのはMOB、花嫁の母親。この母親、クララ・ピアスはアナベルにとっては顧客というよりも頭痛の種としか言いようのない母親。小さなことをあれこれ言い立て、ブラックリストである小さな手帳に気に入らない出来事を片端から書き込み後々ネチネチと攻め立てる。誰もが殺したいと思うような母親が四季の最中に薬殺された。どれくらい嫌われていたかの証拠は、彼女の葬式後のパーティでは皆が浮かれ楽しむくらいに。自分の依頼案件がけがされ、そして仲間のケイタラーに容疑がかかったことから、アナベルは独自の調査を開始する。クララはDCに住む上流階級らしく好むものは権力と浪費。離婚した前の亭主と後妻のゴシップをあれこれと流して中傷するは、今の亭主はほっぽらかして政府高官と情事を愉しむ。その政府高官も脅すことを厭わない。そんな女性だから敵も多い。調査を始めてすぐに、第二の殺人が起きる。クララの今の浮気相手が被害者。その夫婦の娘の結婚式用の試食の場にいたのは、またまたアナベル、ケイト、そしてケイタラーという取り合わせ。自分のキャリアがどうなるのか???前の夫が逮捕されて一段落と思ったところ、土壇場で真犯人に気付いたアナベル。犯人は花婿だった。労働者階級出身の彼は、身分を偽り上流階級の人間として世に出ていたのがクララに身分を知られてしまい、秘密にする代わりにクララの言うことをなんでも聞かざるを得ない状態になるのが嫌で犯行に及んだもの。秘密ばばれたと知った花婿がアナベルを殺しに来るが、同じアパートに住むお世話好きの老女の手助けで一命を取り留めて一件落着。

このシリーズは始めて読んだが、何のひっかりも余韻もなく猛スピードで読み終えた。文章が軽い、お話が軽い、何も残らない。読み終えて考えてみたところ、このシリーズはコージーミステリーとしての要素だけで出来上がっており、それを肉づけるものがないことに気付く。例えば、街並みの素晴らしさ、仕事がどれだけ辛いか・愉しいか、自分の容姿や着ているものへの執着の度合い、何が好きか嫌いか、こんな本筋とは関係はないものの物語を膨らませてくれる」エピソードが欠けている。例えばティーショップを営むセオドシアは、地元のチャールストンの街並みの美しさを語るし、英国王位継承権35位を持つ貧乏お嬢さまだって行く先々の街や出会う人たちについてあれこれ語ってくれる。こんな周辺情報が欠けているのがこのシリーズ。ミステリー、コージーとしての筋はしっかりとしてはいるが、これだけではお話は楽しくならない。前に進むベクトルと同じくらいに状況を説明してくれるエネルギーが満ちていることがコージーミステリーとして不可欠であることがよ~く分かった。
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その20 お茶と探偵シリーズ(ローラ・チャイルズ著)

2023年03月27日 | パルプ小説を愉しむ
23作目は『クリスマス・ティーと最後の貴婦人』。出版がほんの4か月前の2022年11月のせいだろう、借りてきた本が新品のようにピカピカの白いままだ。今回の被害者は地元の大金持ち夫人。自宅で開いていたクリスマス・パーティの席上で殺され、宝石が飾られた指輪とルノワールの絵が盗まれていた。もちろんパーティでお茶のケイタリングサービスをしていたのはセオドシアを始めとするインディゴ・ティーショップのメンバーたち。殺されたミス・ドルシラは、”ヨーロッパの小国のGDP以上の金額が入っている銀行口座の名義人”として簡単ながら十分な説明が最初の段落でなされている。こんなに金持ちガホイホイ殺人事件の被害者となるチャールストンでは、さぞかし相続関係の弁護士がひしめき合っているのだろう。

今回も怪しげな登場人物が目くらまし的に登場する。被害者のお金持ちの個人秘書、ルノワールの絵の売買を仲介した胡散臭い美術商、傲慢で思い遣りの心が欠如しているご近所さん、そしてそのご近所さんに間借りして近隣の手間仕事を請け負っている男、唯一の親類縁者である甥っ子、被害者の財務担当者、そして金に群がる慈善事業者たち。いくら胡散臭く怪しくても、これらの登場人物は犯人ではないことはこのシリーズの定石。誰なのかと思って読み進んでいったところ、終盤間際でビクトリア調のお茶会が開催されるところに行き当たった。会場は、これまた歴史エリアの豪邸を借りて行う。お手伝いとしてあてにしていたミス・ディンプルが体調不良で来られなくあって困っていたセオドシアの前に、ミス・ドルシアの個人秘書が手伝いを申し出る。怪しい。しかも、ランチの時間で有能であることを証明したために、夕方のビクトリア調お茶会の助っ人も依頼される。その時、この個人秘書は自分の恋人も手助けできると言い出す。これは怪しい。この二人がグルで、何年前に起きたルノアール絵画窃盗団のまだ捕まらないメンバなのではないか。そうであればつじつまがあう。読みながらそう思ったものの、犯人は恋人の方。地元の土産物店で働く善良な人物であり、怪しい個人秘書の恋人という軽い立場でしかなかった男が、最終場面で突然スポットライトを真犯人として浴びる。私の予想は半分だけだけれども、当たっていた。

不運や災難に対して人間は無力だと知ったところで、事態がよくなるわけではない。
何事につけポジティブ思考のセオドシアらしい言葉。無常観あふれる仏教思想とは正反対。

「この魔法のように穏やかな雰囲気を瓶に詰めて、明日まで持っていければどんなにいいか」
こちらはドレイトンの言葉。60歳を過ぎて尚メルヘンチックな心を残している彼らしいコメント。「〇〇な雰囲気を瓶に詰めて、□□まで持っていきたい」これは使えそうだ。

”おもしろい”というのは、率直な意見を言う気になれないときに使う言葉よ
セオドシアの部屋を評して”おもしろい”と言ったティドウェル刑事にセオドシアが言う。ある意味当たっている。おもしろいや可愛いは無難な形容詞だからね。

今回読みながら検索して身に着けた言葉は以下。
ガーランド
オービュッソン絨毯
ふわふわ素材のボレロ
スーザン・ウィティグ・アルバートのミステリ小説


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毎回毎回事件が発生する場所やイベントに種々様々な工夫がなされているこのシリーズだが、第22話『ハイビスカス・ティーと幽霊屋敷』では由緒あるが誰も住まずに廃墟と化したお屋敷が幽霊屋敷となるイベントが開催されるという設定になっており、著者の苦労がしのばれる。まじかに結婚を控えた金持ちの令嬢である小説家のウィロー・フレンチが、新作発表兼サイン会の場とした幽霊屋敷イベントで殺される。塔の上から首つり状態でぶら下げられるという悲惨な姿で。しかもその女性はヘイリーの友達で、かつティモシーの甥の娘。知らせを聞いたヘイリーは大きなショックを受ける。事件現場に今回も居合わせたドレイトンとセオドシアは、ヘイリーとティモシーのための事件の解明に首を突っ込む。調べていくうちに、殺された女性の婚約者はやり手金融マンという華々しい職業ではなく単なるアシスタント、しかも第二アシスタントという仕事しかしておらず、自分の地位と仕事を偽っていたことが判明した上、ウィローが婚約を破棄していたという情報を得る。加えて、屋敷の元持ち主であるエリス・プシャールは破産寸前で、ヘリテージ協会に寄贈された屋敷を取り戻したがっている。ウィローの著作を出版している会社の代表、バーナビーは、以前で稀覯本の売買をしており、同時期に盗難にあったヘリテージ協会のエドガー・アラン・ポーの古書の犯人かもしれない。ウィローにラブレターを渡していたヘリテージ協会のインターン、ヘンリーは行方知らずでこれも怪しい。と、こんな具合で容疑者と思しき人物がボロボロ出てくる。でも、このシリーズのお約束として容疑者の嫌疑がかかった人間はどれも犯人ではない。今回は、協会の別のインターンのシェリーが犯人だった。このシェリーなる人物の登場回数は少なく、とても事件の犯人としての扱いを受けない端役中の端役、それが真犯人だった。お金に困っている中、近くにお金持ちのお嬢さまがいることに嫉妬して犯行に及んだ。警察もシェリーがリストに無かったというくらいに意外中の意外な展開で、さすがにこれば...と思ってしまった。

脳が時間外労働を開始した。
今回ゲットした目ぼしい表現はこれ。使う場面と設定を選びそうだが、嫌々や想定外の場面で頭を使うことになった時に使えそう。

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第21話『ラベンダー・ティーには不利な証拠』では、ドレイトンと一緒に狩猟パーティに招かれたセオドシアがホスト役の主が銃で撃たれて死んでしまう場面に偶然立ち会ってしまう。気球に乗ってみたり、大型帆船を見るパーティがあったり、水族館のオープニングパーティなどなど、毎回色々な趣向を凝らした場面でセオドシアが事件に遭遇する。毎回事件現場をどのような場面にしようか考える著者も大変だろうなと同情してしまう。それにも増して、お話にはそれなりに関与している人を犯人には全く見えないように工夫しながらストーリーを構築していく工夫はもっと大変あろう。いかに犯人には見えないようにお話に登場させ、良い人であるかのように振る舞わさせるのだから。

今回の犯人は殺された狩猟パーティのホスト役の共同経営者とホスト役の息子の嫁がグルだった。裕福な金持ちですべてを持っている相手を嫉妬した共同経営者が殺人に及び、たままたそれを目撃した嫁が自分が描いた筋書き通りに行くように疑似誘拐事件を手伝わせて事件を複雑にしていくはずだった。でも、殺人と誘拐が一緒に起きると何らかの関連性があると思うのが当然で、著者もセオドシアにそう思わせて行動させている。行動させた、と書いたが実はたまたまお隣さんの家を覗いたら誘拐されたはずの嫁が居たことで犯人が分かり、嫌がるドレイトンをジープに乗せて追跡劇を敢行したのだった。殺人が起きた区域を管轄する保安官や誘拐事件が起きた区域を管轄する警察以上に、セオドシアはいつも以上に活躍したのでした。

21話も読み進めて思うのだが、最近はチャールストンの素晴らしく美しい街並みの形容が少なくなっている。以前は、いかに立ち並ぶ由緒正しきお屋敷を細かに描写してくれたり、朝や夕方・夜のチャールストンのほれぼれするような街並みや自然の移ろいを描いて私の心を鷲掴みしたものだったが、それが最近減っていることが不満として溜まりつつある。

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とうとう第20話。続けてきた投稿が積み重なって3000字を超過したため、別のスレッドを建てることとなった。
『アッサム・ティーと熱気球の悪夢』では、人生初の熱気球に乗せてもらえる体験をしり込みするドレイトンと一緒に楽しんでいたところ、突如現れたドローンが一緒に飛んでいた別の熱気球に飛び込み、爆破させて墜落させた。被害者は3名。セオドシアは今回も事件の現場に居合わせて事件をしっかりと目撃する。ドローンの所有者を調査した警察は、セオドシアの親友のアンジー・コングドンの恋人に疑いの目を向ける。被害者の1人がIT起業家で、その会社の方針に声高に異議を唱えていたという事実も発覚。腹立ちまぎれの犯行の線を追う警察に対して、不信感を募らせるアンジーの絶っての願いを受けてセオドシアがまたもや立ち上がる。事故と相前後して、IT起業家のドン・キングズリーが所有していたはアメリカ史上初の国旗が紛失。骨董品的価値のある旗を狙う学者、コレクター、骨董商なども怪しい。そして、何といって蒐集品の保管・陳列など一手に引き受けていたドンの個人秘書も行状がよろしくない。

怪しい人物が数人出てくるものの、彼ら彼女らは犯人ではないというこのシリーズのお約束どおり、真犯人は大学教授を名乗っていた女性だった。手渡された名刺から所属する組織と所在地を調べたところ、すべて嘘。実はFBIも指名手配していた窃盗犯であることがわかり、事件は一転して解決へ向かうところ、夜の散歩途上セオドシアがドローンで襲われる事件が。たまたま、庭整備のための置きっぱなしにしてあった梯子と熊手でドローン攻撃を撃退して犯人を無事にとらえられてハッピーエンド。

下級の爵位と崩れかかったマナーハウスを相続したイギリス人のような風貌だとセオドシアは思った。
うーん、こう言われても全くイメージが思い浮かばない。欧米系の人間ならば判別できるのだろう?

デレインはいつもこんなふうにしゃべる。大げさな言い回しと感嘆符を駆使した話し方なのだ。
確かに、デレインは大袈裟だ。それを「感嘆符を駆使した」と目に見えるように表現することが新鮮。

「変化を悪く言わないで」
「伝統を悪く言わないでくれたまえ」

古いもの好きのドレイトンとセオドシアの軽い言い合い。変化と伝統、お互いにいい言葉を勝手に選んで使っている。自分に有利になるように言葉をえらぶレトリックの手法が会話をリードする力になることとともに、知的な会話のための条件でもある。

頭上からはさながら地獄のボーリング場のように雷鳴がとどろき、おどろおどろしい雰囲気に包まれている。
表現の大袈裟なさまは、まるでデレインのしゃべる言葉のようでもある。

「天使がわれらを守り、天がわれらをうけいれてくれますように」
ティーショップが主催するお茶会が成功裏に終わって、全員で乾杯する時のドレイトンの言葉。彼らしい敬虔さとちょっとした時代錯誤的な大袈裟さを併せ持った言葉かな。
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その8 レディ・エミリーの事件帖(ターシャ・アレクサンダー著)

2023年03月12日 | パルプ小説を愉しむ
第三話『レディー・エミリーの事件帖 円舞曲は死のステップ』の舞台はオーストリア帝国のウィーン。ハプスブルグ王朝の都であったウィーンの華麗な佇まいが目に浮かぶような貴族文化の象徴のような都だ。エミリーがこの街へやってきたのは、親友アイヴィーの夫・ロバートにかけられた殺人の容疑を晴らすため。

事の発端は、フォーテスキュー卿の館にエミリーと婚約者のコリン、アイヴィー夫妻が招待され、男性陣は狩り、女性陣はおしゃべりという時間つぶしをしていたところから始まる。英国政治の黒幕、フォーテスキュー卿は、他人の弱みを掴むことによってその相手を支配するというえげつないタイプの男。しかも、自分の娘をコリンに娶せたいと目論んでおり、エミリーを目の敵にしている。こんな男の館にいるエミリーはちっとも滞在を愉しめない。ロバートはフォーテスキュー卿の庇護下にいて政治家として成長したいと考えている。そんなロバートが、こともあろうにフォーテスキュー卿と言い争いをするような事態となってしまう。そしてその直後にフォーテスキュー卿は決闘用の銃で撃たれて殺される。言い争いが目撃され、しかも事件時のアリバイがないロバートは逮捕される。状況は不利。メディアはロバートを売国奴呼ばわりし、世論も敵だし社交界もアイヴィーたちを締め出しつつある。そんな中、エミリーは親友夫妻の無実を信じ、幼馴染のジェレミーとパリに住む友人のセシルとともに手がかりのあるウィーンへと赴く。時代は第一次大戦前。夜な夜なワルツが奏でられ、上流階級の人々はパーティに酔いしれ、街のカフェでは芸術家やアナーキストたちが集う。こんな街の不安定さが描かれた中、エミリーはわずかばかりの手掛かりを元に事件関係者を辿っていく。ハリソンという名の男が執拗にエミリーを追い脅迫する中、幸運だったのは(そういう設定なのだが)偶然に訪れたカフェで知り合った芸術家の卵、フリードリヒからアナーキストの頭目であるシュレーダーに辿り着き、そこでヒントが得られる。シュレーダーの兄は十数年前に決闘で英国人男性に殺されていた。その時の銃の一つがシュレーダー宅に飾られているのを見たエミリーは、もう一つの銃がフォーテスキュー卿殺害に使われた銃であることを発見する。決闘相手の英国人は若いロバートであり、立ち合い人であった男を調べていくと、かつてはフォーテスキュー卿が使っていた男であることが分かる。英国に取って返したエミリーは、その立ち合い人はフォーテスキュー卿夫人の兄であったことを突き止める。しかも、男色疑惑をフォーテスキュー卿に握り潰してもらったものの、フォーテスキュー卿の裏切りで自ら死を選ぶしかなくなっていた。そんな背景を調べあげ、事件に使用された銃が事件直後に紛失していたことから、エミリーは夫人が犯人であると確信して面会に行く。エミリーが真相を掴んだことを知った夫人は銃で自らの命を絶つという悲劇が起こるが、これでロバートは無実となり釈放される。事件を無事に解決したエミリーはコリンと共にギリシャの別称に赴き、そこで二人だけの結婚式を挙げることとなる。

あらすじだけだと波乱万丈のミステリのようだが、実際は遅々として話が進展しないミステリ。貴族らしいマナーに縛られて回りくどい振る舞いを強いられているエミリー達のように、「調査は踊る、されども進まず」といった展開が続くのだ。核心へと踏み込めず、同心円上をぐるぐると回っているよう。しかも、ウィーンでの登場人物は事件とは何の関係もなく、真相は十数年前の少年売春摘発事件から起きている。しかも、犯人は被害者の配偶者。それまでは影の薄い人物としてお話に登場することが少なかった人物を犯人としている。主人公の言動こそがお話の主たる目当てというコージーミステリだからこそ許される安直な筋書き。でも、その周りに配されたウィーンの街並み、貴族文化の馥郁たる香りは読んでいて愉しかった。しかも、セシルはオーストリア皇帝の母、エリザベートと知り合いで、「シシー」と呼ぶ仲。シシーも何度か登場するは、クリムトやグスタフ・マーラーといったその時代の芸術のど真ん中にいた人物も登場するという贅沢さ。ウィーン滞在時の宿はホテル・インペリアル。元は王子の宮殿であった館がホテルに改装され、エミリーとセシルが使ったスイートは、王子が私室として使っていた”高貴な館”と呼ばれる広大なスイートルームでこう記述されている。
セシルと私が身を落ち着けたのは、ありとあらゆる贅沢な調度品に囲まれたそのシートルームだった。寝室はふたつあり。ベッドまわりはすべて最高級のリネン製品で統一されている。複数ある今の壁には淡い青のシルクの壁紙が施され、繊細な手彫りの繰り方でアクセント添えられていた。

このホテルの名物はインペリアル・トルテ。
豊かで繊細な風味のチョコレートとアーモンドの味わいが楽しめる、
と書いてあった。だが、登場人物たちによるとここのインペリアル・トルテよりもライバルホテルのザッハトルテの方が美味しいらしい。
ダークチョコレート入りの糖衣とアンズのジャムという組み合わせは、わたしたちが楽しんでいる年代物のワインにとてもよく合う。

思わず手元に取っておいたベルギーチョコに手が伸びてしまった。

     ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

読んだことがあるなぁと思いつつ第1話『レディ・エミリーの事件帖 折れたアポロ像の鼻』を再読。時は19世紀末、つまり英国が世界の最強国にして「沈まぬ帝国」の地位をしっかりと守り、世界に冠たる大英帝国を謳歌していた時代。父親が伯爵という貴族の家柄であるエミリーが結婚半年にして夫であるアシュトン子爵と死に別れてしまうというところから物語が始まる。アフリカでの狩猟が趣味であったアシュトン子爵、フィリップは結婚後短期間でアフリカに旅立ち、そのまま帰らぬ人となってしまったため、エミリーはフィリップのことをよくは知らない。が、残された日記を読み進み、社交界の友人たちから話を聞くにつれ、次第に興味と愛情が深くなっていく日々を過ごす。ヴィクトリア女王の影響があって、上流階級の女性は1年間の正式服喪期間がありその後は一定期間の半服喪期間を過ごさなければならなかったようだ。着る服だけではなく社交も制限されていることが書かれている。そんな服喪期間、フィリップがギリシャに素敵なヴィラを購入してエミリーを連れていくことを心待ちにしていたことを夫の親友、コリンから聞かされる。ギリシャに対する興味が講じたエミリーは、言葉をならい、古代のギリシャ文学を読み始めるが、母親はそれを苦々しく思っており表立って反対するが、エミリーはめげることなく自分の意志を貫き通す。同世代の友人、もちろん貴族仲間の中には、今やそんな時代ではないとエミリーの肩を持つ女性や男性もいる。会食の後、女性がテーブルに残ってワインを嗜むことはハシタナイ行為と思われていたことが書かれており、エミリーはそんな風習も打破して母親と古い世代を敵に回しても平気なガッツを見せつける。そんなエミリーを好ましく思っていたのは、夫の親友だったコリンと狩猟仲間のアンドリュー。二人とも、夫の最後のアフリカ狩猟旅行に一緒だった仲間。

そんな中、ひょんなことから古代ギリシャ遺跡物が複製と置き換えられ盗難にあっているのではないかという嫌な予感がエミリーを襲う。発端は、夫の故郷の本邸、アシュトン・ホールを訪れた際に、梱包された木枠を開けたところ本物としか思えないギリシャ遺跡物が次々を出てきたこと。フィリップから頼まれてエミリーの自画像を描いたルノアールの紹介で複製師のアルドウィンと知り合ったエミリーは、大英博物館にある展示物が複製品であることを知る。本物はフィリップが持っていた。これはなぜ?ひょっとして、故人となった夫は詐欺や盗難に手を染めていたのかもしれない、と恐れおののきながらも、真相究明に乗り出す。他のコージーミステリとはことなり、前のめりで事件解明に取り組むのではなく、こわごわと手探り状態で謎を解いていくといった感じ。親友のコリンが一番怪しいと思い、アンドリューに助けを求めた。だが、事実はアンドリューが詐欺・窃盗の犯人でコリンはそれを究明する役割を王室から授かっていたという皮肉。犯人がアンドリューであると悟ったのは、ロンドンとパリでの出来事がつながったから。アフリカから戻った宣教師がエミリーを訪ね、フィリップが病気のままアフリカにいると聞かされる。証拠の品として出されたものの一つが、結婚式で撮ったエミリーの写真だった。最初は信じてコリンが犯人と思ったエミリーだったが、エミリーの自画像を描いたルノアールがエミリーに写真を返そうとしたところ見つからないという。この前、アンドリューに見せたばかりなのに。それを聞いてエミリーは、アフリカから戻った宣教師を疑い、調べたところそんな人物は実在しないことが分かる。点と点がつながって犯人が暴かれた。あとは、アンドリューが詐欺と窃盗の実行犯だという動かぬ証拠をつかむ必要がある。エミリーと結婚したいアンドリューを騙し、トロイのヘレンの指輪を盗ませた事実を突きつけて無事にアンドリューとその弟は逮捕される。夫はもちろんアフリカで死んでいることがはっきりし、セシルと共にギリシャの島に旅立ったエミリーの元にコリンが訪れ、二人のこれからを暗示するように物語が終わる。

各章の終わりに1ページ弱のフィリップの日記の一部が書かれている他は、すべてがエミリーの一人称で話が進む。が、交わされる会話が第三者的な描写を持ち込んでいるところが新鮮。このシリーズはアメリカでベストセラーに仲間入りしたことが訳者あとがきに書かれていたが、きっと英国の上流階級、貴族の物語という設定が理由だと思う。必要以上にマナーが厳しく、「マナーが良い」とか悪いとかが頻繁に出てくるし、男女間の会話も「こんなことを言って失礼なのだが」や「~して申し訳ない」といったセリフが頻発する。それにこのお話の効果演出のためなのだろうが、ホメロスの『イーリアス』の一説が会話の端々に差し込まれる。気の利いた教養人であることの証明なのだろうが、私から見て気障で知識をひけらかすいけ好かない会話とした思えないのでした。

「礼儀知らずと思われたかもしれないわね。だけど、わたしはマナーを無視してもいいほど十分に年を取っているの」
パリで初めて会ったセシル・ドゥ・ラックがエミリーに言うことば。これで、セシルが因習にとらわれずに自由な生活を楽しんでいる女性でることが分かる。しかも、そのことを自分の口から言うほど大胆であることも。

「男性に喪服が必要ないのは、てっきりスーツが陰鬱な色だからだと思っていました」
これもセシルとエミリーとの会話の一部。軽口が叩ける間柄になっていることが分かるね。

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若くして夫に死に別れたレディー・エミリーが事件に巻き込まれ、素人ながらに事件を解決していく。名前から分かるように主人公のレディー・エミリーは英国の貴族。『英国王妃の事件ファイルシリーズ』に設定が似ているのだが、あっちは王室の末裔(とても貧乏なことこの上ないが)のうら若き女性、こちらは財産もあって毎日の生活に追われることなど夢想だにしない多分30代女性だと見受けられる。30代じゃなくても、限りなく30に近い20代後半ってところかな。ヴィクトリア女王とお茶を飲むシーンがあるので、時代は19世紀後半。イギリスがまだまだ世界に冠たる国であったことのお話。

このシリーズに惹かれる理由の一つは、大英帝国華やかりし頃の貴族社会の暮らしの一端が垣間見られること。貴族同士のお付き合いである社交界、お互いに相手の貴族を訪問する時の慣わし、そして男女の間のものの言い方等々、がもの珍しくて大いに興味がそそられる。大仰なものの言い方や訪問相手が同じ貴族の時と平民の時とのマナーの違いなどがあちらこちらに出てくる。貴族を訪問する時とは違って、平民を訪問する際には事前に知らせなくても当然に歓迎されはずと当然のように考えていることが分かる記述があったり、相思相愛の男女であってもそれなりの礼儀を求められ、それを守らないと社交界で爪弾きになってしまうこと(これは相当は恐怖らしい)などなど、今の我々からしたら へぇ~! って思ってしまう風習ばかり。

そんな堅苦しい風習に囚われている世界に住みながらも、主人公のレディー・エミリーは進歩的な考え方を持っている。夕方から女性どうしでワインを飲んでみたり(男性からは眉をひそめられた行為らしい)、上流社会で当然のパーティへの参加を面白くないからという理由だけでえり好みして不参加を決めたり、殺人事件に自ら首を突っ込むというのもその一つ。自分の頭で考えて行動するという二十世紀女性の先取りのような気質も、このシリーズを読み進められうようにしてくれる要素の一つだね。
今回読んだのは、二作目の『盗まれた王妃の宝石』。フランス革命で散ったマリー・アントワネットの子どもの子孫が実は英国に渡って素性を隠しながら生きながらえているらしいというのを背景にしながら、マリー・アントワネットゆかりの宝飾品が盗難にあい、殺人事件まで起こってしまう。殺されたのは、レディー・エミリーの知り合いだったことから、彼女が事件解決にしゃしゃり出るという顛末。

因みに、英国社交界をこう呼んだ人がいたらしい。
退屈な者たちと時間を持て余した者たちの寄せ集め

 登場人物の魅力度 ★★★
 ストーリー度   ★★★
 設定の魅力度   ★★★★
 台詞の魅力度   ★★★
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女探偵ケイシー(ケイティ・マンガー著)

2023年02月20日 | パルプ小説を愉しむ
第二作『時間ぎれ』では、死刑執行を目前に控えた女囚の無実を証明して欲しいという10人の親族女性集団からの依頼と懇願、無言の圧力に耐えかねてケイシーは調査を引き受ける。でかくて強くて抜け目ない女探偵であっても、心はやさしいのがケイシーの良いところ。夫であった警察官を射殺した現場で犯行に使われた銃を握りしめて気絶していたところを発見され逮捕され、裁判にかけられて死刑宣告されたゲイルは、あと一か月ほどで刑の執行がなされるのだと言う。確かに時間ぎれ寸前だ。親族の女性たちはゲイルの無実を信じて疑わないが、当の本人は刑務所の中で無気力なままで日々を過ごしている。事件当夜の記憶がなく、自分がやったのかどうかすら分からないという。あちらこちらをつついているうちに、死刑判決を出した元判事から話がしたいと言ってくる。あれは間違いだった、証拠をみつけたという言葉を残して夕方に自宅に来てくれとケイシーに言う。自宅に向かったケイシーは、ジャクージで手首を切って死んでいる元判事を発見。タイミングがあまりにも良すぎる。そして左右の手首の両方にくっきりと切り傷が残せるものだろうかと疑う。殺された元夫の警察官の相棒として3人が浮上し、そのうちの1人は謎の失踪を起こしている。もう一人の家に行ったが誰もいない。庭の裏地のゴミ捨て場でボロキレのような黒と緑のシャツの切れ端を見つける。失踪していた元相棒が最後の日に来ていたシャツであることを妻から写真で見せられたケイシーはゴミ捨て場を掘り返す。あったのは、その家の持ち主の元警官の死体。しかも、盗まれたケイシーの銃も一緒に発見される。誰が嵌めたのか。残っている元相棒は1人だけ。その男は警察内部を監察する役割に出世していた。恋人の警官、ビル・バトラーはその男を疑わない。一人で挑んでいくケイシーを追いかけて口封じを図る監査官。汚職警官であったこの男は、協力を拒んだ元の相棒だちを殺して逃げ延びてきていた。森に逃げ込んだケイシーを追いかける犯人。銃撃戦の末に尻を撃たれたものの、相手の膝がしらを吹き飛ばしたケイシーの見事な勝利で事件は無事に解決。でかい、強い、抜け目ないは伊達ではなかった。

女性たちは、たった一目であたしの髪、態度、年齢、体重、現在および将来のこの世における価値を値踏みし、合算しようとしていた。それは、オビ=ワン・ケノービーの振り回すどんなレーザーにも負けないくらい強力だった。
ケイシーに調査を無理強いさせた親族の女性軍団の目力の強さがこう形容されている。洒落ているのと、ちょっと無理してユーモアを詰め込んだ感もある。

もうやり合う気?5分でいいから、優しくしてもらえないかな?
会えば言い争いになってしまうケイシーと恋人のビルの会話。「5分でいいから」に実感がこもっている。

彼女はノーベル平和賞にノミネートされるべきだと思いますね。
親切で気の利くメイドのことを雇い主に告げて褒めることば。

「お仕事は室内装飾でしたね」
「世界を変える役には立ちそうにない職業ですよね」

殺された元判事のフィアンセとの会話。自分の職業を上品に卑下する台詞だ。

     ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

でかい、強い、抜け目ない、と3つ立て続けに形容詞が並んだ裏表紙の説明に惹かれて、『女探偵の条件』を借りてみた。これは決してコージーミステリではない。ハードボイルドっぽさもあるれっきとしたミステリー。主人公のケイシーは、でかくて強くて抜け目ないが、イケメン男に弱い。そのため、ダメ男の夫のせいで麻薬取引に加わり前科持ちとなったために探偵免許が取れない。しかたなく、探偵免許を持つ保釈保証人ビジネスを営む160キロのデブ男、ボビー・Dの下で働いている。このボビー・Dはいつもオフィスの椅子に座って何かを食べている。四六時中だ。口は悪く、食い意地は汚いが、ケイシーとの関係は悪くない。という縁で、ケイシーはノースカロライナ州の上院議員選挙に立候補している女性候補者メアリー・D・マスターズにボディガードとして雇われた。が、そのメアリーの車の中に死体が発見される、しかも、自宅の前で。殺されたのは、土地開発成金の街の有力者。政治家と裏で繋がっていると噂されているフィクサー。誰が、ソーントン・ミッチェルを殺して、メアリーに罪をなすりつけようとしたのかを探るように依頼されたケイシー。

コージーミステリーではないから、服を買ったりお茶会を開いたり、パーティに参加したりといった余計なものはなし。直線的に捜査にまい進する物語展開はスピーディだ。そして、女探偵のタフさを表わすためか、このケイシーも相当に口が悪い。

ボビーはうれしげに笑って、次のドーナツに食らいつき、さもすまそうにむしゃむしゃやっている。この男に比べたら、ヘンリー八世などお作法の先生にみたいなものだ。
雇い主のボビーもこんな感じで表現するし、

十月のその日は、カロライナでしかみられない、うららかで美しい景色を見せていた。空は青く晴れわたり、漫画に出てきそうな白い雲が、涼しいそよ風に乗って軽やかに流れていく。空気はさわやかに香り、まるであたしの肺にだけのためにきれいな海の上空の空気と入れ替わったようだった。
とうららかな天気に対しても皮肉を含ませずにはいられない。タフぶっているためには必要な台詞というわけか。これはケイシーのせいではなく、作者のせいだね。

「彼女にも心があることは認める。それが寛容かどうかについては、明言を避けておく」
ボディ・ガードとして雇ってくれているメアリーの心についても辛口だ。でも決して嫌ってはいない。男社会に挑戦し続けている同性に対しての理解と共感を持っていることは読み取れる。

ケイシーの地道な調査に結果、事件当夜の目撃者が見つかり、そこから犯人は男と女の二人連れと分かる。男はへんてこな訛りがあり、女は尊大で背が小さい。これにピンときたケイシーは警察より早く犯人を特定できた。対立候補のイケメン男の母親と政治顧問が、強請ってきたをソーントン・ミッチェルを返り討ちにした上で、対立候補にメアリーの足を引っ張るために死体を自宅の車の中に押し込んだのだった。問題は母親が関与している事実をどうするか。ケイシーを警察と協力して、体にマイクを付けた囮となって母親と対決する。ショットガンを突き付けられながらも怯むことのないケイシーだったが、窮地を救ったのは息子の対立候補だった。結局は、この男の潔さを選挙民は支持して当選。メアリーは落選したのだったが、落選後に二人は結婚するという番狂わせ的な出来事が起きてしまうのだった。

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コージーミステリーを読むふける愉しみ 番外編

2023年02月07日 | パルプ小説を愉しむ
■ 『逃げ出したプリンセス』 ヘスター・ブラウン
一般ピープルの女性・ミーツ・王子様という女子好みのシンデレラ物語なのだが、おじさんにも楽しく読める物語だった、しかも非常に愉しく。イギリスのヨークシャー出身で今はロンドンでガーデナーとして働いているエイミー・ワイルド。他人の庭を耕しタネを植え付け野草庭園を造営することは得意だし大好きなのだが、異性との交流が苦手。ルームメイトのジョー・ド・ヴィアがパーティをひらいてエイミーのお相手探しに躍起となるのだが、本人は口下手なのと極度の引込み思案とで冷蔵庫の前に陣取ってパーティをやり過ごそうとするばかり。今日も何度目かのマッチメイキングパーティがジョーたちの部屋で繰り広げられるのだが、そこへ招待されていないはずのイメメンが取り巻き金髪美女3人を引き連れて乱入。ロルフと名乗ったイケメンはバルコニーから落ちそうになった時にエイミーが大事に育てていた植物の鉢を幾つか落としてしまう。ロルフが嵐のように登場して去っていった後に、気付くともう一人のイケメンがエミリーに近づいてくる。ロルフがやったことを謝罪するとともに、落ちていった植物を弁償してくれるという。加えて、階下へ一緒に下りて落とした鉢の後始末もやってくれた。翌日、その男、レオからお詫びとして代わりの鉢植え植物が届けられる。エイミーがクライアントのために育てていて、ロルフによって台無しにされてしまったマジック・シードという特別な植物だったのだが、レオは難なく代替物を見つけて届けてくれる。この出会いがきっかけで二人はデートするようになる。高級レストランだけではなく、超リッチ層しか家を所有できない地域にある庭園での食事。嫌でもレオの正体が気になる。実は、レオとロルフは兄弟で、二人はニローノ公国というイタリア沖にある国の王子様たちだった。御祖父さんが今の元首で、レオとロルフは傍系の継承者という血筋。気取ったところがなく、人付き合いが苦手なはずのエイミーすら気楽な雰囲気にさせてくれる魔法のような社交術。レオはごくごく普通なエイミーを魅力的だと想い、エイミーに求婚する。ここまでは典型的なシンデレラストーリーだが、児童文学ではなく大人向けの読み物としてここから先に試練がエイミーたちに降りかかる。平民のエイミーはニローノ公国プリンスの相手としてふさわしい存在になることを強要される。健康的体形はモデル型体形を目指してダイエット(しかも2週に一度の体重測定と食べるものは毎日宅配で届けられる)、ダンスのレッスン、イタリア語のレッスン、などなど。仕切るのはレオの姉のソフィア。子供のころから知能指数が異常に高かく国際弁護士として活躍するソフィアは、女性であるゆえに皇位継承権を持てないことに大きな不満で不当な女性差別だと感じている。その怒りの矛先がエイミーに向いてくる。陰険な嫌がらせ、予定をわざと知らせない、サイズ違いのドレスを写真撮影時に用意する。二人の間をとりなそうと努力するレオ。そんな中、国家元首のレオたちの御祖父さんが逝去する。死の直前に次の王位継承者をレオとロルフの父に定めて。皇太子という地位になってしまったレオは、今まで以上にニロ-ナ公国のために公的な立場で活動することが求められるようになったレオには制約が増える。もちろん結婚相手に対する制約も。がんじがらめになって自分のライフワークである園芸の時間もままならないエイミーだが、寝る間を惜しむように二つを両立させようとする。だが、すべてを金で解決するような王族たちの姿勢とやり方に反発を感じるようになるエイミー。生まれも育ちも極端に異なる二人は互いに歩み寄ろうとするのだが、歩み寄るにもあまりに大きな溝が。溝を大きくしてしまったのは二人を追うパパラッチと俗悪ジャーナリスト。エイミーの姉、ケリーがしでかした昔の事件が尾を引く一家。母親は事件以来、外に出ることに恐怖を覚え家で趣味のケーキ作りに没頭。作ったケーキは捨てるわけにはいかないので食べる。当然体重が増える。肥満体となった母親の姿が面白おかしく、というより侮蔑的に大衆紙に掲載されたことで、エイミーは家族を取るか愛するレオを取るかの選択に迫られ、レオの父親の戴冠式を前にニローナ公国から逃げ去ってしまう。いずれケリーの存在が暴かれ、家族が必死に忘れようとしていた昔の事件が暴かれて、家族がもっと辛い目に会うくらいなら自分の幸福を捨てることを決心する。そんな時に手を差し伸べてくれたのがルームメイトのジョー。エミリーから真実を受け開けられたジョーは、昔の写真から自分のクライアントがケリーであることに気付く。ケリーを一家に会わせる段取りをつけ、昔のことを心から詫びるケリーを受け入れる一家。逃げ出したプリンセスを追い求めるパパラッチ対策として、ケリー自らが公式インタビューの応じて過去の出来事と家族への愛情と謝罪の気持ちを吐露するというジョーが生み出した先手必勝パターンが功を生む。一方、ニローナ公国でも新しい元首が王位継承権の在り方を見直し、女性にも継承権を認めることとなった。これでレオの継承権は第三位となり皇太子ではなくなる。ロンドンの銀行家としての生活が可能となったレオは再びエイミーに結婚して欲しいと伝えて、エイミーが受け入れる。めでたしめでたし。

と、こんなべたなシンデレラストーリーなのだが、手の届かない超リッチな超上流階級の雰囲気満載であるほかに、文章と描写の素晴らしさがおじさんである私を惹きつけた。物語のプロローグからして引き込まれしまうこと間違いない導入部だった。

ガラスの靴とロイヤルウエディングの物語を主食に育った女の子たちがたいていそうであるように、わたしもかつて、プリンセスは生まれながらにプリンセスなのであって、あとからなるものではないと思っていた
この最初の文章で引き込まれたね。古典の名著にも負けないほど読者を鷲掴みにする素晴らしい冒頭だと思った。物語を「主食に育った」なんて言う抜群の言語センス。そしてこう続く。

一見、有力候補にはほど遠かったシンデレラだって、人々が万一その謙虚で慈悲深い人柄と輝くばかりの美しさに気付かなかった場合のために、国でいちばん華奢な足という歴然たる証をあたえられていたではないか。
誰もが知っているシンデレラを例に出し、これから始まるシンデレラストーリーを予感させつつも自分の考えを補強する文章が続く。そしてプロローグの締めがこちら。

女の子はプリンスにガラスの靴を履かせてもらっても自動的にプリンセスに返信するわけではないというシビアな現実が待っていた。プリンセスの真価は”めでたしめでたし”のあとに決まる。
普通の少女・ミーツ・プリンスという単純なお話ではないと伝えている。たった2ページのプロローグで私は魔法にかけられたようにこの物語を読み進むこととなったのだ。

「天気やら狩りやらクリスマスにもらったものなんかについて他愛もない話をしながら、お互いが興味を持てる話題が浮上するのを待てばいいの」
ルームメイトのジョーがエミリーに教え諭す。実はこのジョー、貴族の娘であることがお話の進展とともに分かる。上流階級のアクセントと相手のノーと言わせないという力強さを持った女性がエミリーのために一肌も二肌も脱ごうというのだ。

それぞれ別の時代のブリットニー・スピアーズが三人、ボノ一人。
もしマフィアがイングランド代表としてクリケットをやったら、こんな感じだろう。
どちらもジョーがエミリーのために開いたパーティにやってきた客の描写。ブリットニー・スピアーズだったり、ビヨンセを狂ったように踊ったり、若々しいエネルギーが爆発している様がこの時代のヒット歌手の列挙で目に浮かぶ。

父がわたしの小さな手を取り、トマトの種を土の中に押し込むのを手伝ってくれたときから、私は種の魔法にかかったままだ。(中略)ところが、それに暖かい土の毛布をかけ、水をやり、肥料を与えると、まるで魔法のように、種の中で何かが目覚める。そしてそれは、いつ成長を始めるべきで、どちらに光があって、どこまで背を伸ばせばよいかをちゃんと知っている。そこに、花粉をつけた羽で花畑から果樹園へ、果樹園から花畑へと舞い飛ぶ蜜蜂たちの驚くべき自然のマジックが加われた、どればおとぎ話など必要とするだろう。
一方のエミリーは平凡を絵にかいたような出身の女性だが、ふんだんに愛情をかけられて育ったことと感受性豊かな人物であることが「それとなく」紹介されている。

なぜか彼の姿だけなぜか妙に際立っている。まるで、ほかの人たちより少し余計にピントが合っているかのように。
レオに最初に目を止めた時のエミリーの姿がこれ。

ああ、そのアクセントはヨークシャーなのか。御免、あまり詳しくなくて。独特だね。音楽的だな
自己紹介が終わった時にレオがエミリーに言う。訛りが音楽的と形容するとはなんと魅力的な男だろうか。見た目だけではなく知性も十分に兼ね備えていることがここで分かる。

「今日耳にしたことのなかで、いちばん興味深い話だな。しかも断トツで」
庭園に植えてある植物について熱く語るエミリーが、自分の話している内容があまりにオタクっぽいことに気付いて黙った時にレオが言った台詞。エミリーの気まずい沈黙を助けるだけでなく、相手を持ち上げる表現として是非使ってみたい。

仕事の話をするきみはすごくいい表情だなと思って。きみにとってガーデニングという仕事は、単に完璧な芝生をつくることだけじゃないというのがよくわかるよ。
ロイヤルファミリーの一員として、相手をそらさない雑談の手ほどきを受けていたと告白したレオだが、こんなとろけるような台詞が口から出てきたのはその結果なのか、それとも本心なのか...次の同じ。

「この庭に命を吹き込んでくれて、本当にありがとう」
「庭はもともと、生きていたわ。わたしはこの部分を植え替えただけ」
「違うよ。きみは何か別のものをもたらしてくれた。魂を与えてくれた。きみが選んだバラたち、その香り、名前、歴史ー。それはただ単に植物を土に植える古都とは違う。君はこの庭に、この先何年も何十年も続いていく物語を作ったんだ。」


彼は相手の自己評価を一瞬にして高めることのできる人だ
エミリーがレオを評する一言。これにすべてが集約されている。雑談するにもただ単に口から言葉を発するだけではなく、相手をリスペクトし更に「自己評価を一瞬にして高める」ところまで昇華できていることが真の上流の証なのだろう。こうなりたい。

「結構よ。あなたの後頭部には特に興味ないもの」
自分のしたことへの謝罪として「ひれ伏して謝りたい」というロルフに対して。さらりと言ってのける。

わたしの場合、そこに”彼の両親に会う”という要素と”城に滞在する”という要素が加わり、さらにそのすべてに”ロイヤルファミリー”という係数をかけることになる。
恋人の両親に会うという儀式を前にした女性心理を、要素に分けて数式にして表示するという斬新さ。これもいつか使ってみたい。「加わり」「掛けて」「係数は...」。引いたり割ったりする場合も考えておこう。

 登場人物の魅力度 ★★★★
 ストーリー度   ★★★
 設定の魅力度   ★★★★
 台詞の魅力度   ★★★★

■ 『ビルバオの鏡』 シャーロット・マクラウド
『にぎやかな眠り』の著者であるシャーロット・マクラウドが書いた別のシリーズものの第4作。このシリーズでは、セーラ・ケリングというボストンの名家出身の女性が、歳はなれた夫に死に別れた後に、自分の足で立って自立しながら自活の道を歩む中、第二の生涯の一緒に過ごせる男性と出会いつつも遭遇する事件をどう乗り切るかが描かれている。

はっきり言って退屈。つまらない描写が多く、事件の謎解きなどホンの申し訳程度の筋立てしかない。犯人も必然性がなく、誰であっても成り立つ物語でしかない。コージーミステリーとはそんなもんだ、と言われればそうかもしれないが、それであればせめて謎解きのプロセスでいろんか面白く興味深い出来事が書かれていて欲しい。このシリーズは主人公のセーラが自立していく過程が物語のメインのようだが、それも読んでいて応援したくなるようなものではない。何せ、セーラ自身のものの言い方が厳しく、応援したいと思えるような女性でなないから。それに、一族の人間の鼻持ちならないこと。彼らの中の人間が犯罪を平気で犯していたという設定なので、悪く描くのは当然としても、気分が悪くなるような人たちの集団であり、一族全員を抹殺しても世界平和のために許されそうな存在でしかない。どこかに読みどころを作って欲しかった、というのが偽らざる感想です。このシリーズはもう読まないな。
 登場人物の魅力度 ★★
 ストーリー度   ★★
 設定の魅力度   ★★
 台詞の魅力度   ★


■ 『エリザベス王女の家庭教師』 スーザン・イ-リア・マクニール
アメリカ育ちのイギリス人女性が、第二次世界大戦中の英国に戻り、チャーチル首相の秘書から始めてMI5にリクルートされ、ナチスが計画しているエリザベス王女誘拐計画を阻止するために家庭教師としてウィンザー城に派遣されることになった。この本はシリーズ2作目で、1作目でチャーチル首相の秘書として見事な活躍をした後の話として、物語が展開していく。ナチスのスパイとして城に潜入しているのは誰なのかを探りながら、お城でのロイヤルファミリーとの生活や主人公マギーの恋愛感情、家庭事情、そしてアメリカ育ちの女性らしい(と英国では考えられるのだろう)行動と思考が見事にナチスの大胆な計画を挫折に追い込む。

王女が誘拐されなかったことは歴史上の事実として知れ渡っている、つまりは読者には結末が分かっているというハンディキャップがありながらも物語を紡いでいくというのは大変なことなのだろうと思う。最後は主人公が勝つ、というのが分かりながら、その過程をいかに愉しませるかが、普通のミステリー以上にこの種の設定の物語に課せられた課題なのだろうが(『ジャッカルの日』なんかも同じだよね)、まあまあ上手くやっている。というのも、最後まで愉しく読めたのだから。特に、マギーの連絡役として途中から登場するネヴィンスという男に対するマギーの嫌悪感やそれを煽るネヴィンスの言動なんか、マギーの顔つきが分かるほどにしっかりと描写されている。

■『もう年はとれない』 ダニエル・フリードマン
主人公は80をとっくにを過ぎたジジイ。そう、ジジイと呼ぶのが相応しいくらいにふてぶてしく、しぶとく、そして嫌味な皮肉を始終周りに撒き散らしている。なにせ、イスラエルから訪れた男に対して「ユダヤちん○こ」と面と向かって呼び捨てるくらい。こんなジジイがもし知り合いにいたら、絶対に関係を絶ってしまう、それくらいの嫌味なジジイ。そんなジジイであっても、長年連れ添った妻には嫌味のトーンが下がる。孫に対してもだ。つまり、この世に存在する自分の家族以外の人間に対しても容赦がないということ。
当の本人もユダヤ系で、それが故に戦争時にナチスドイツの捕虜になってユダヤ人収容所で悲惨な体験をする。その時の収容所所長が生きており、しかもアメリカで暮らしているという話を打ち明けられる。今の自分にとっては関わりのない話と取り合わなかったが、周りはそうは思わず、否応なしにナチ戦犯狩りに巻き込まれてしまう。昔取った杵柄というやつ、刑事であった経験が活かして、隠れていた元戦犯を探し出してしまうのだが、相手も寄る年波には勝てずにヨボヨボで、痴呆症になって老人ホームという収容所のようなところで垂れ流しながら生きる屍のありさま。
戦争当時の復讐はそこで終わり、ここから本筋へと一直線。自分を元戦犯探しに駆り出すために自分の周りで人を殺していた相手と対決することになる。状況証拠は自分の孫に不利。警察は孫を殺人犯と考え出しているから、ジジイも本気にならざるをえない。
そのような状況でも、関わりを持った他人に対して痛烈な皮肉を浴びせまくる。

- 彼女を見ると、バイオリンコンチェルトやルネサンスの絵画を形容するときによく使われる華麗な形容詞が思い浮かぶ。
- つねに外敵に直面している?おれは88歳だ。サンドイッチを作ってくれる人間が手を洗うのを忘れたら、それこそが外敵だよ。
- あなたが大声で黙らせられない、脅しても追い出せない、殴って従わせるわけにはいかない確かな現実があるんだ。わたしはこの話をするのを先延ばしにしてきた。

 登場人物の魅力度 ★★★
 ストーリー度   ★★★★
 設定の魅力度   ★★★
 台詞の魅力度   ★★


■『海辺の幽霊ゲストハウス』 E・J・コッパーマン著
9歳の娘を持つシングルマザーが、これからの生活手段を確保するために海辺でゲストハウスを始めようとして購入した屋敷に男女の幽霊が住んでいた。そして幽霊たちは、自分たちが殺されたのだと言い、主人公に殺人者が探す手伝いをするように強要した。言うことを聞かないと、ゲストハウスを始める準備ができない。いやいやながら事件背景を探り出す主人公に脅迫メールが届くようになり、今度は自分が危険な立場に追い込まれていく中、あちこち突いていくと犯人が浮かび上がってくる。
軽快なストーリー展開と、幽霊という存在の奇抜さとしっかりものの娘と対照的にダメ母親のコンビが醸しだすの陽気で軽快な物語展開が、続編を愉しみにさせてくれる。

- 六、七週間眠ってしまいたいという願望が痛みに取って代わられると、意識がはっきりしはじめた。心の中でひとりで投票した結果、また痛み出した頭の傷には触れないことにした。
- わたしがテクノロジーに対して持っている親近感といったら、かもしかが工具のドライバーに対して持っているそれといい勝負なのだ。

 登場人物の魅力度 ★★
 ストーリー度   ★★★★
 設定の魅力度   ★★★
 台詞の魅力度   ★★


■『死人主催晩餐会』 ジェリリン・ファーマー
映画の都ハリウッドでケータリングビジネスを営む女性が殺人事件に巻き込まれるというアメリカ小説ではごくごく普通に見られるケータリング事業という設定にも拘わらず、物語の流れをハラハラドキドリしながら興味津々に追えるストーリー展開に仕立て上げたのは著者の力量か。

- デザートが運ばれてくると、これほどまでに芸術的な鋭い感覚で表現された七千カロリーをみたことはないとウェスリーは言った。
 登場人物の魅力度 ★★
 ストーリー度   ★★★★
 設定の魅力度   ★★★
 台詞の魅力度   ★★


■『闇のアンティーク』 サルヴァトーレ・ウォーカー
- きみとなら理性と利害に基づく打算的な結婚ができるのに残念だよ。
- 宣伝だよ、宣伝。すべてがショービジネス化してきたこの世界ではね、芸術の祭司たちはいまや、神殿の奥におとなしく引きこもっていたりしない。彼らは国際骨董市をはしごして回る高級旅芸人になったんだ。知ったかぶりと正真正銘の無知と出世欲のにおいをぷんぷんさせ、決して満たされることのない金銭欲を剥き出しにしながら、地球規模の巡業を続けている。
- 連中にとって、我々はときの神々と交信するシャーマンで、成金にとってこれほど恐ろしいものはない。アポロンさながらの得がたい肉体を繊細なマイセンの磁器のように持ちまわることにかけてはあの男の右に出るものはない。薀蓄をちりばめた優雅な会話で聴衆を魅了する。

 登場人物の魅力度 ★★★
 ストーリー度   ★★★
 設定の魅力度   ★★★
 台詞の魅力度   ★★★
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コージーミステリーを読み耽る愉しみ その6 フレーヴィア・ド・ルースシリーズ(アラン・ブラッドリー著)

2023年01月31日 | パルプ小説を愉しむ
このシリーズを読んだのは4年以上前。主人公のフレーヴィアが生意気でいけ好かない小生意気な化学好きな11歳の少女であったことは覚えている。図書館の棚にあった『不思議なキジのサンドウィッチ』はシリーズの第6話。2話からいきなり6話に跳んでしまったのだが仕方がない。

6話の書き出しはいきなり「おまえたちのお母さんが見つかったんだ」で始まる。死んでいたはずのフレーヴィアたち姉妹の母親のハリエットがみつかったとは??読み飛ばした3話から5話の間で何が起こっていたのかと思ったが、読んでいくと母親ハリエットの死体が見つかって地元バックショー荘に戻って来たのだった。ヒマラヤ山中で見つかったハリエットの死体は冷凍状態にあり、そのまま棺桶に入れられて地元バックショー駅に戻ってきた。棺桶に付き添ってきたのは軍服に身を固めた人々。空軍少将だという叔母も袖にストライプが入った軍服を着ており、しかも元首相のチャーチルまで来ている。時は1951年だから元首相だ。これだけの人物がいきなり登場するのだから、湧いてくる当然の疑問としてハリエットとは何者だったのだ?フレーヴィアが屋根裏部屋で偶然見つけた映写機と映画カメラ。カメラには未現像のフィルムが残っていたのだが、化学好きの少女にとってフィルムの現像は簡単な作業。フィルムに記録されていたのは飛行機から降りるお腹が大きなハリエット(中にいるのはフレーヴィア)。父と一緒にピクニックしているハリエット(だれが撮影した?)。カメラがパンした際に屋敷内に立っていた長身のアメリカ軍人と思われる男性。そしてカメラに向かって何かを伝えようと口を動かすハリエット。口の動きが伝える言葉は「キジのサンドウィッチ」。やった、題名に関連するキーワードが謎として提示された。同じ言葉は冒頭の死体が戻ってきた駅で元首相のチャーチルも口にしていたのをフレーヴィアは耳にしている。謎の言葉は何を意味しているのか、そしてハリエットがヒマラヤの氷河の中で死んだ理由は?

フレーヴィアは凍死した死体にアデノシン三リン酸とビタミンB1を注射することで凍死死体を蘇らせることができるという説を思い出して試そうとする。お通夜の夜伽の担当時間に決行する。覆いを開け、棺桶の中にドライアイスを閉じ込めている亜鉛の覆いを苦労して切り取ったところ、母親の顔が出てくる。手を差し入れたところ紙入れが見つかる。抜き出したその瞬間に内務省の役人たちがやって来てフレーヴィアは部屋から追い出されてしまう。せっかくの苦労が無駄になったものの、手に入れた紙入れの中に遺書があることを見つける。自分が読むべきではないと思ったフレーヴィアは父親に渡すタイミングを見計らう。そんなうちに夜が明け葬儀が始まる。紙入れに手がかりが残されていないか探そうとしているうちに、ブンゼンバーナーで炙った紙入れの表面に字が浮かび上がる。Lens Palace。母親が残したダイイングメッセージだと直感するものの意味不明。モヤモヤしたまま葬儀に出る一族だったが、教会のステンドグラスに書かれた文字からLens Palaceがハリエットを殺した犯人の正体に気付く。なんと身内のリーナ・ド・ルース。ばれたと分かり逃げようとするリーナは警察に追われ、教会のガラスに挟まれて出血多量で死んでいく。ハリエットは大戦中に日本軍のスパイをあぶりだす作戦に従事していたところ、スパイ本人のリーナに殺されていたのだった。

事が終わった後で、遺言が執行される。バックショー荘を含むハリエットの財産は末子のフレーヴィアが相続することとなり、フレーヴィアは母親と同じカナダの女子学校に寄宿することとなった。嫌がるフレーヴィアだが、化学実験装置が充実していることを知らされるや行く気満々になってしまうところが化学好きならではの思考回路だ。

第1話では11歳だったフレーヴィアは第6話で12歳。6件の事件が起こっているのが1年ちょっとの間。最初はいけ好かない科学オタクとした思えなかった少女だが、実は思いやりの情にあつい少女でもあったことが分かる作品だった。

窓というのはほとんど変化せずに存在しながら、つねに変化している外の時代を見ていることができる手近にある化学の奇跡だ!
強調されると思わずそうかも、と思ってしまう。ちょっとした哲学っぽい台詞。

恋愛と戦争と頑固な姉の操作にかけては何をやってもかまわないのだ。
12歳の少女なりにつかんだ仲の悪い姉たちとの付き合い方。それを恋愛と戦争にも応用させてしまうところにフレーヴィアの恐ろしさと賢さが見て取れる。作者の意図と計算が遺憾なく発揮されているなぁ。

光を与えよ(ダレ・ルケム)
多分ラテン語だろう。覚えておけば使えそうだ。

    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

■『人形遣いと絞首台』
シリーズ2作目となるこの作品でも、フレーヴィアちゃんは相変わらずいけ好かない子供だ。口は悪いし、自分の興味本位で行動するし、姉に対する悪戯が半端ない。それでも、この悪魔的な主人公に愛着を感じてしまうのは、主人公であるからなのであろう。彼女の一挙一足が物語を生み出し、彼女の意見や考えが述べられることでストーリーが進む。性格が悪いと断定されている姉二人から見た物語があったとしたら、フレーヴィアはさぞかしボロクソになっているのだろう。どんなに嫌なやつでも、その人間に密着して、その人間からの意見のみを聞かされると、許せるようになるだけではなく、愛着も感じるんだろう。

映画などで、ダーティーヒーローやヒールと呼ばれる役が愛され役になるのも、同じ心理なのだろう。現実の世で一緒に時間を過ごしたならば、決してそうは思わないことを感じてしまうのだろう。その意味で、欧米映画において、アジア人が一人の人間として描かれないことは、彼らの人種的な偏見に根付くものだろうし、彼らは決して一人の人間としてアジア人を見ようとしていないよね、本題とは違う話だけれど...

それにしても、フレーヴィアちゃんの化学知識は驚愕もので、罪の意識から殺鼠剤を飲んで自殺しようとした殺人犯に鳩の糞から解毒効果のあるNaNO3を抽出して飲ませることで一命をとりとめさせる。こんなことが11歳にできるのか?著者の化学知識も半端ないよね。

    ☆★☆★☆★☆★☆★

そりゃ、シンシアが仕切り上手だということは認めざるを得ないけど、そんなことを言えば、鞭を持ってピラミッドを立てさせた男の人たちだって仕切るのがうまかったわけでしょ。

厳しい一言だね。ピラミッドが奴隷によって立てられたかどうかは議論の余地があるようだが、そんなことはお構いなしに世にはびこっている偏見を利用して自分の嫌いな相手のことを悪く言っている。これが11歳か(もちろん、著者は11歳ではないが)。


    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■


■『パイは小さな秘密を運ぶ』
主人子は、なんと11歳の女の子。11歳といって侮る無かれ、化学が趣味でそん所そこらの大人では太刀打ち出来ないほどに化学の知識を持っており、その上、性格がチョコッとねじまがっている。なにせ、2人いる姉に対して、辛らつな言葉を吐くだけではなく、化学の知識を使って復讐をしっかりと計画的に実行するくらいだから。

フレーヴィア・ド・ルースというのがその女の子の名前。イギリスの田舎に住んでおり、2人だが召使もいる。決して金持ちではないが、しっかりとした名家の有産階級の子供。この11歳が、自宅の庭で起きた殺人事件を解決してしまう。解決するまでに、あっちこっちをフラフラを放浪しつつ、それでもしっかりと推理しながら、誤認逮捕されてしまった父親を救い出すんだから大したものだ。

    ☆★☆★☆★☆★☆★

男性と女性の間は壊れた電話で繋がっていて、どっちかが電話をきったとしても絶対にわからない。でも女の子が相手なら、最初の三秒間でわかる。女の子同士の間には、音も無く目にも見えない信号が絶えず流れている。
これが11歳の女の子が口にする台詞だろうか。人生をしっかりと生き抜いたおばさんが口にしそうな深遠な哲理だね。こんな台詞が吐ける女の子という設定がいいよね。

ドガーは入ってきて、驚いてまわりを見渡した。まるで、気が付いたら古代シュメールの錬金術師の実験室に運ばれていた、と言わんばかりに。
古代シュメールと錬金術の2重の組み合わせが絶妙だね。

全体的にとても異質で、冥王星で起きている出来事のようだった。
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コージーミステリを読み耽る愉しみ その20 お茶と探偵シリーズ(ローラ・チャイルズ著)

2022年11月06日 | パルプ小説を愉しむ
シリーズ第19話『セイロン・ティーは港町の事件』では、ティモシーの自宅豪邸で開催された大型帆船を見るパーティの席上で殺人が起きた。参加者の一人でヘリテッジ協会の理事の一人がクロスボウで矢を射られた結果建物3階から落下して死亡。しかも、フェンスの上にある錬鉄のとがった飾りに突き刺されると言うショッキングな事件現場が第1章から登場した。お隣のB&Bの最上階に怪しい人影を見たセオドシアは勇敢にもB&Bに走り込むが誰も見つからない。いつものようにティモシーから事件解明を依頼されるセオドシアは深みにはまっていく。泥沼の離婚訴訟を起こしてた妻、妻から愛人と指摘された職場の同僚女性、故人から怪しい融資を受けていた実業家、故人が寄付した古銃器反発する銃規制強硬派の人間などなどがいつもどおりに怪しい人間として登場する。

シリーズが進むうちに、セオドシアの調査進行とともにセオドシアの周辺で異様な事故が起きるようになっている。今回は、深夜のジョギングの途中に怪しい人物、調査途中に車をぶつけられたり、ヘイリーの従兄が車にはねられるという実害も発生。事件究明に挑むセオドシアに緊迫感が漂うようになってきている。

話の中に、セオドシアと同じ一画に日本アンティーク品を扱う店を開いたアレクシアという魅力的な女性が登場する。登場の仕方がさりげないこと、物語への関与があっさりしていること、セオドシアやドレイトンなど常連メンバーとのつながりがないことなどから、個人的には怪しい人物と思っていたら、案の定彼女が犯人だった。不正な融資を故人から受けたのみならず、同業者を殺して商品を手に入れた疑惑も残っている人物。日本アンティークを扱う店が今後も登場するようになればいいなと思っていたのに残念でした。

   ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

15・16・17話はすでに読了しているので18話『オレンジ・ペコの奇妙なお茶会』へ。地元に新規オープンする豪華スパの経営者が自宅パーティの席上で毒を注入されて殺される事件が発生し、今回も事件現場に居合わせたセオドシア。事件が起きたパーティは、ネズミのお茶会として催され、給仕役は全員ネズミに扮しているという奇妙なお茶会だった。被害者の妻がヘリティッジ協会への高額寄付を考えていたために、協会の理事を勤めるドレイトンからのたっての願いで事件の調査を始める。今回も出てくる、出てくる怪しい人物が。被害者と一緒にスパを共同経営していた人物に横領という疑惑と一緒に人格的な問題がありそう。広報を請け負っていた個人事業主は自分を売り込むので躍起。共同経営者から資金援助(と生活援助も?)を受けていたオーガニック化粧品企業家女性も怪しい。被害者の隣でB&Bを営んでいる夫婦は、事件を契機に豪華邸宅を買い取ってB&Bの規模を一気に大きくしようと邸宅を手放すように妻に異常に接近。被害者から出資を受けていた怪しい投資会社の経営者には、SECが目をつけているらしい。そして、金持ちの未亡人は金遣いがあらかった亡父のことをどう思っていたのか?いろいろな疑惑が渦巻く中、常連のティドウェル刑事が研修で不在にしているためにビート・ライリーという新顔の刑事が登場する。この掲示がセオドシアに興味を示し、セオドシアも嫌がっているようでありながらもまんざらでもなさそう。

実の犯人は冒頭から登場する怪しさ満載の人物ではなく、以外な人間という鉄則どおり、スパの経営を引き継ぐこととなった被害者の義理の娘がやったことだった。大学で化学を専攻していたことをスパのオープニング記念パーティ席上で知ったセオドシアに天から舞い降りてきた何かがひらめきを与えてくれた。セオドシアにだけ渡された特別な中身がはいったギフトセット。羨んだデレインに譲ってしまったギフトセットの中にある特製の口紅に毒が入っていると確信したセオドシアは、まさに使おうとしていたデレインから口紅を奪い取って義理の娘、オーパル・アンを問い詰める。反撃するオーパル・アンをプールに突き落として自白を引き出す。またしても、警察を出し抜いて真犯人を突き止めたセオドシアでした。それにしても、チャールストン警察は何をやっているのだろうかね。

セオドシアの恋人だった地元美術館の広報担当者は一体どうしたのだったか。彼の退場記録がまったく記憶にないまま、新たな恋人候補者としてピート・ライリー刑事が登場した。どこまで進展するのかが次回以降のお愉しみだ。

   ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

『スイート・ティーは花嫁の復讐』はシリーズ14話。12話で知り合い。13話で熱々であったデレインとドゥーガン・グランヴィルが婚約期間を経て華燭の宴をあげることとなった。ミセス・グランヴィルの地位を得ることが急務であったデレインは、唯一の空いている式場、冴えないB&Bで式の開始を神経質に待っていたところ、新郎控室に入っていったセオドシアがドゥーガンの死体を発見。物語開始後13ページでの出来事だった。死体の前にはコカインとおぼしき白い粉があったことから事故かと思われたが、セオドシアはドゥーガンの頭の傷を見つけてしまう。部屋にあったペーパーウエイトが一つ紛失している。これで撲殺されたのか?

常日頃からセオドシアを頼りにするとともに自己チュー的なデレインは、セオドシアに調査を依頼。デレインによれば、結婚式に来ていた元カノのシモーンが怪しいという。復縁を迫ったところ拒否られてドゥーガン殺害に至ったというのだ。物語の最初で容疑がかかる登場人物が犯人であることはこのシリーズではまずない。容疑者リストに入らない人間が犯人であることが非常に多い、というパターンを当てはめると残念ながらシモーンは犯人ではなくデレインの嫉妬の賜物と分かる。ドゥーガンは遣り手の弁護しであったから敵は多かったし、共同経営者の態度も不信。突如現れた義理の息子なる男も怪しい。しかも、ドゥーガンは葉巻店を副業で経営しており、キューバ葉巻密輸の疑いもある。ボビー・セイント・クラウドなる密輸業者の名前を聞き及んだセオドシアは調査を進めるものの誰が犯人かは判明しない。そんな折、式場のB&Bの池に沈んでいたペーパーウエイトを発見。しかも、それを投げ捨てることができる屋敷内の窓枠に布切れを発見。布切れにあう衣装を当日着ていた人物を当たり始める。

犯人はドゥーガンの秘書のミリー・グラント。物語の最初から登場し、傷心のデレインに優しい言葉を投げつけていた女性だったが、実は二股をかけられていたミリーは自分が結婚相手に選ばれなかったことでドゥーガンを殺害したのだった。しかも、絵画・宝石類やドゥーガンが密輸していたキューバ葉巻を自分のものにしようともしていた。隠し場所は、ドゥーガンの投資先であった古屋敷。歴史に目のないドレイトンとゴーストハンターズ兄弟が探索に行っている最中に、セオドシアはミリーを問い詰めに乗り込む。間一髪現場到着に間に合ったティドウェル刑事の手を借りて無事にミリーを確保して一件落着。容疑がまったくかからず、何度か物語に登場する光が当たらない登場人物が最後の最後で犯人と分かるケースが何度かあったが、今回もそのパターンでした。

「じゃあ、あのお客様はお茶をステアではなくシェイクするのがお好みかもね」
捜査員の一人をダニエル・クレイグみたいと評したヘイリーにセオドシアが茶化して言う台詞。ジェームスボンドの有名な台詞をうまく使っている。

   ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

13話は『ローズ・ティーは昔の恋人に』。地元チャールストンに建てられた水族館のオープニング・イベント会場で、またしてもセオドシアは死体に遭遇。セオドシアが気晴らしに見入っていた巨大水槽に突然人が落ちておぼれ死ぬ現場に遭遇してしまう。しかも、死んだのは以前の恋人だったパーカー・スカリーだった。引き上げられた死体の手には誰かから渡されたパーカーをおびき出すためのメモが握られていた。自分と近しい人が殺されたことでセオドシアは真相の究明に乗り出す。いつもは止めるティドウェル刑事も関係者へのヒアリングをするようにセオドシアを誘導する。パーカーのレストランを遺言で譲られた新しい恋人、そのレストランを買いたくて堪らない遣り手のレストラン経営者、パーカーと一緒に新店出店を企画していた過去に犯罪歴のある同業者、パーカーを食いものにしていた弁護士、パーカーの企画を蹴って他業者に水族館内レストランを任せることにした水族館の責任者。怪しく思えてくる人間がどんどん出てくる。

そんな中でも地元民に愛されるティーショップを経営するセオドシアの毎日は多忙。店での接客、特別なテーマ性をもったお茶イベントの開催、出張ケータリング・サービス、これらに加えて友人知人から頼まれごとも快く引き受ける。未成年者を犯罪に走らせないようにするためのキャンプを運営する慈善団体運動家から、優勝賞金を慈善活動の資金になるように借り物競争に出場して欲しいと頼まれ、これまた快諾。我々を慣れ親しんだ実物を借りてくるのではなく、対象物を写真にとってWEB上にアップする競争というのが今時らしい借り物競争。そして、この慈善事業を営んでいるかのように偽装していた女性がパーカー殺しの犯人だった。慈善事業とは形ばかりで、寄付金を着服していたことをパーカーに見破られてしまい、水族館でのパーティーで水槽に沈めて殺していた。最後の最後で、この女性がセオデシアも気付いたかと思い、買い物競争で通した機会を利用して殺そうとしてものの失敗してしまい、馬脚を現してしまった。それまでは何のヒントもないままに、真犯人解明だった。ティドウェル刑事ですら、この女性はノーマークだったと驚いたほど。

今回のテーマ性あるイベントの一つは、日本の茶道の実演イベント。セオドシアとヘイリーがキモノを、ドレイトンは羽織を羽織って登場。ドレイトンは自作の俳句まで披露するという気の入れよう。誇らしいやら、ズレを気になるやら、不思議な気分でした。

「わたしもその場にいるのが政治的に正しいと言いたいのね」
水族館のオープニングイベントの合間に水槽内の魚に見入っていたセオドシアが、呼びに来たドレイトンに言う。「政治的に正しい」というポリティカリー・コレクトネスが一世を風靡したのはいつのことだったか。この13話は2012年に出されていた。

「メロメロになった男性の頭の中で、いかなる神経化学物質が放出されるかは神のみぞ知るですよ」
ティドウェル刑事は時折、この手の金言っぽい台詞を口にする。新しい恋人にレストランを譲ると遺言状を残したパーカーのことを評しての台詞。

めぐまれない少女たちにお茶というすぐれた文化を教えられるなんて、これほどすばらしい話はない。人生におけるうるおいというものを知ってもらえれば、きっと心が豊かになる。
確かに!10代の女の子にとって、友人とのダベリの時に手元にある飲み物程度でしかないお茶やコーヒー自体を楽しむ心のゆとりがあれば、人生が違ってみえるのだろう。でも、どうだろうか?私も最近空を見上げて雲の流れをぼおっと見るという愉しみを見つけた。この愉しみは会社勤めしていた頃には考えもしなかったし気付きもしなかったもの。10代の少女にとってお茶とは、昔の私にとっても雲の流れる空みたいなものでしかないのだろうな。

「われながらいやになる。前頭葉がふやけてどろどろになってしまった気がするよ」
60代の魅力ある男性代表のドレイトンが、物忘れが多くなった自分を振り返ってこういったのだった。わかる、分かる。

「おもしろいことに、牡蠣はどこで収穫されるかで味が違うそうだ。葡萄がテロワール、すなわち土地の味を吸収するのと同じらしい」
「牡蠣にとって水はなんて言うの?」
「わからんな。アクアール?」

セオドシアとドレイトンの他愛もない戯言だが、さらりとこんな会話ができるユーモアが人生における潤いなのだろうなぁ。

   ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

12話『オーガニック。ティーと黒ひげの杯』は、建国前後の時代にアメリカ沿岸を荒らしまわった海賊黒ひげにまつわる歴史が舞台。捕えられて処刑された黒ひげの頭蓋骨に銀を張り大ぶりのダイヤを埋め込んだ杯が盗まれた。ドレイトンが理事を勤めティモシーが理事長を勤めるヘリテッジ協会主催の大海賊展の初日の出来事。しかも、盗難時に殺人も行われてしまったのみならず、殺人被害者を真っ先に手当したのがセオドシアだった。さすが、事件を呼ぶ女。理事会で突き上げられ、理事長の座を保つことがむつかしくなったティモシーはセオドシアに調査を依頼する。当初は仕方がないという風情であっても次第に前のめりに調査に入り込むセオドシアの様子はいつもの通り。

このシリーズの愉しみは、古き良き街チャールストンの風情ある佇まいとヴィンテージものの宝石類・茶器・身の回り品がふんだんに出てくること、そしてセオドシアの廻りにいるハイソな友人たちの立ち振る舞いだが、今回はなぜか影が薄い。ヘイリー、ドレイトン、そしてミス・ディンプルのチームワークと固い信頼関係はほのぼのというよりも出来すぎているくらい。彼らのバックアップがあるからこそ、セオドシアは店を任せて調査に入れ込むことができる。

今回の犯人は、調査過程で手助けをしてくれた地元の大学教授のアシスタント、ピーター・グレイス。彼の知性にヘイリーはメロメロになり、一緒に行った囮のイベントで正体を現す。偽の髑髏杯を盗み出してヘイリーを拉致して逃げ去ったピーターを追ってセオドシアとティドウェル刑事が追う。昔、黒ひげが船の手入れをしていたという伝説がある村にピーターの家があると知った二人が急行し、縛られたヘイリーを助け出すがピーターがいない。ふと外を見ると、携帯で電話しているティドウェル刑事の後ろから銃を持ったピーターが忍び寄る姿が見えた。思わず髑髏杯をピーターめがけて投げつけるセオドシア。見事に命中して殺人犯逮捕にいたった。はたして、投げつけられ粉々になった髑髏杯は本物からおとり捜査用の偽物か。それについては語られることがなかった。敢えて明らかにしなかったのは著者の意図だが、読み手としてはモヤモヤが残ったままでお話が終わってしまった消化不良の読後感が残った。

「寄付する人は誰だって、壁にかかているレンブラントを買うのに自分がひと役買ったと思いたいものなの。自分のお金が電球やトイレットペーパーみたいな消耗品に使われたなんて考えたくないはずよ」
「まったく無粋な人だな」
「現実主義者と言ってよ」

最初のセオドシアの台詞はそのとおり。ただ、自分の寄付金には色がついていないので何に使われたかはわからないのが実情。それでも、消耗品に使われたとは思いたくない。ましてや、理事たちの遊興費や生活費に流用されることなんて望んでいない。私が世の中で寄付を募る団体を信用しないのはこの理由。セオの意見を「無粋だ」というドレイトンの気持ちも分かるが、「現実主義者」と切り返すうセオドシアの頭の回転も素晴らしい。

「何事も広く浅くなんだ」
「ルネサンス時代の万能教養人みたい」

この回で、美術館の広報部長マックス・スコーフィールドが登場した。後の回を読んで彼が新しいセオドシアの恋人になることを知っているので、二人の出会いがここなのかと得心がいった。

「わたしたちだって皮膚と肉の下はこうなっているのよ。誰だって同じ内部構造をしているの」
「きみが言うと、生々しいというより詩的に聞こえるね」

頭蓋骨を見て「誰だって同じ」というセオドシアはやはり現実主義者だね。それを詩的な表現というドレイトンは優しい心の持ち主か、セオドシアに心寄せているかだ。

「われわれがこの世に存在できるのは、限られた時間だけだと肝に銘じておかなくてはな」
何気ない陳腐なドレイトンの台詞だが、老齢者となった私には突き刺さる。

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アガサ・レーズンのシリーズを挟んで11話『ミントの香りは危険がいっぱい』を読む。対局にいると言ってもよいくらい異なるアガサとセオドシタの違いが気になってしまう。優等生のセオドシアと劣等生のアガサ。劣等生であっても自身の欲には正直なアガサは逆に可愛い。セオドシアの優等生ぶりが少しばかり鼻についてきた。

自身が企画した地元チャールストンのイベントの最中に、友人のダリアが殺される。しかもダリアに会いに行こうとしたセオドシアの目の前で。物語開始から6ページ目で犯行が行われていた。どんどんと事件発生が速くなってきている。そのうち、読み始めた直後に事件が起きるのかもしれない。悲しみに沈む恋人、お店のアシスタント、そして家族たち。ダリアの母親がセオドシアの叔母と懇意であったため、事件捜査を依頼されて断れないセオドシタは今回も深みにはまっていく。ダリアの恋人は違法なトレジャーハンターであることが判明するし、お店を引き継ぎたいアシスタントも怪しい。それに、ダリアの店が取り扱っていた古地図を狙っている人物も多い。店と捜査の両立を図っているところも優等生のセオドシアらしい。とは言っても、ドレイトンとヘイリーからの協力会って可能なこと。この2人のセオドシアに対する愛情深さと信頼の深さと協力度合いは涙ぐましいほど。こんな理想的な状況の中で物語が進んでいくところもこのシリーズが優等生であることの証左。

犯人はなんと、ダリアの妹、ファロンだった。ファロンは実の妹ではなく養子であり、そのことを古系図から知ったファロンが嫉妬と絶望と裏切られた気持ちから犯行に及んだもの。このシリーズ、段々と犯行の理由がピンとこないものになってきている。前作もそうだったが、今作もそんなことで人を殺すかね?と思ってしまう。多作であることをミステリーとしての質に影響を与えてきたのかな。もう少し読み進めて判別してみようと思う。

「それを信頼というのよ」
自由にお店のメニューを任されているヘイリーにセオドシアを言う台詞。そして、チョコレートコンテストに出品しようと頑張っているヘイリーにこう声をかける。

「努力は恥でもなんでもないでしょ。全力で打ち込んだんだもの」
なんて物分かりがよくて人思いで愛情あふれる人物か。上司でありながら親友のような相互の信頼に基づく関係。優等生の物語と思う所以だ。

その装いは良き時代(ベルエポック)の貴婦人を思わせ。シナモン自身もつとめてその役柄を演じていた。女子青年連盟風のスーツとは無縁の、優雅と気品、世紀末前後の華麗な魅力に満ちた装いだった。
シナモンとはご近所にお店を出した人物。この女性の装いがこのように書かれている。古き良き時代の建築物、装い、マナー、ジュエリー、そして伝統が服を着ているかのようなドレイトン等々、歴史に裏付けられていることに重要性があるというのがこのシリーズでは一貫している。


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第9話『ホワイト・ティーは映画のあとで』は地元チャールストンで映画祭が、第10話『ウーロンと仮面舞踏会の夜』では題名通りに仮面舞踏会が開かれる。題材となるイベントも仰々しさが増している。次なるイベントは何か気になるところ。映画祭の最中、壇上に登場した映画監督が殺されるという事件が勃発。物語開始からたったの19ページ目で第一章の途中でしかない。逃亡する犯人と思しき人間に突き飛ばされて頭から血を流しながら倒れているドレイトンの姿が第一章の終わりだった。逃亡する犯人の姿を見かけた唯一の目撃者のセオドシアは、もちろん独自調査を始める。容疑者の一人が、ティモシー之孫娘。彼女はスタッフとして映画製作に参加する中、殺された監督と懇ろの仲になっていた。彼女以外にも、業界紙でボロクソに言われた編集会社のオーナー社長、そのほかにも数名。早々に登場するこれらの疑わしき人々が犯人でないことは今まで通りで、犯人は映画祭のボランティア。元は映画製作スタッフの一員だったが、馘にされた恨みと監督に抱いていたストーカー的な異常な恋心が殺しを実行させたのだった。

「業界人の大半はおもしろくもイカしてもおらんよ。現実とは似ても似つかない、はかない映像を作り出すだけの業界で苦労しているのだからね」
ドレイトンのギョーカイジンに対する辛口コメント。確かに「はかない」世界の中で生きていることは実体験からも分かる。でも、ギョーカイに属しているというプライドが働くモチベーションになっていることも事実。

大半のテレビ番組の編集はつかみ文句がすべてだ。物語などほとんど必要としない。生きのいい音楽を流して大胆なショットで全体像を描き出し、そこにちょっとばかりの音楽をかぶせてやればいい。
前半部分はそのとおりだと思う。コメントを言う資格があるのかと疑問に思うような芸人たちが耳を引いて心をつかむキャッチフレーズ的なコメントが幅を利かせるバラエティ番組を思い起こすだけでセオドシアの台詞が当たりだと分かる。でも後半には異論があるね。

第10話の『ウーロンと仮面舞踏会の夜』での殺人被害者は、セオドシアの元恋人ジョリーのいとこのニュースキャスター、アビー。辛口で辛辣、自分勝手なアビーが、セオドシアが参加した乗馬狩猟クラブでの障害競走のフィールドで殺されていた。しかも、物語開始7ページ目で死体を発見するという記録的な速さの展開。彼女を起用するために馘になった元キャスターも怪しいし、独自調査していたらしい昔の誘拐事件の関係者も気になる。アビーと付き合っていた様子の骨董宝石店主は素行がとても怪しいし信用ならない。ジョリーからの頼みもあり、又ティドウェル刑事から直々に調査依頼を受けたセオドシアは、店をドレイトンとヘイリーに任せて調査を開始。悲しみに沈んでいたように見えた無害なアビーの夫が犯人であったことを突き止める。しかも共犯者は、一年前に起きてアビーが独自調査していた誘拐事件の被害者であったはずの地元大富豪の息子。親と仲が悪い息子の自作自演の誘拐事件だったのだ。しかも、売りに出されていた素敵なキャリッジハウスを見つけて、買いたいと熱望するものの金策が思いつかないセオドシアに、誘拐事件の報奨金の一部が支払われることとなり、無事にお金の問題が解決されることとなった。めでたしめでたし。ただ、手に汗握るスリリングな物語展開とは言えないことが不満。いつものように物語に引き込まれなかったのはなぜだろうか?

彼女たちにとってインディゴ・ティーショップはまさにとっておきの場所で、ヨーロッパ風の喫茶室なんだ。ここでは時間がゆっくりと流れ、お茶を飲むことが優雅な芸術の域にまで達し、風味豊かなダージリン、麦芽のようなアッサム、スモーキーなキーマンなどの香りがただよい、アロマテラピー顔負けの効果をもたらしている。
セオドシア自慢のお店が味だけではなく、見た目、店内で交わされる会話、骨灰磁器の手触り、お茶が醸し出す香りなど五感に訴える描写がこれでもかと出てくるところは流石と言わざるを得ない。

「このお茶の種類はなんだね?(中略)たしかに揚子江の泥水のような味がするよ。ワインはコルクで栓をしたものなのかね?それともニュージャージー州から大型タンクローリーで運んできたものかね?」
パーティーで供されたお茶に不満のドレイトンの言葉。彼らしい。

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このシリーズには各種様々な地域のイベントが登場して読者を物語の世界へと誘ってくれるが、第5話の『ジャスミン・ティーは幽霊と』の地域イベントはチャールストン墓地でのゴーストウォークという慈善イベント。お化け屋敷を墓地のオープンエアでやりながら、幽霊たちの寸劇やお茶を楽しむイベントだったはずが、殺人が起きてしまう。しかう、セオドシアの恋人のジョーリーの叔父さん、ジャスパーが殺された。今回もラッキー(アンラッキー?)なことに、セオドシアはジャスパーの死の瞬間に居合わせた。しかも、足元の落ちていた注射器を見つけるというお手柄も。ティドウェル刑事からは、事件に首を突っ込まないよいにと念を押されてそのつもりだったセオドシアだが
ジョーリーからの懇願で事件に首をつっこむことになった。事件当夜にジョリーと口論していた地元演劇集団を主宰するヴァンス・タトル、勤める会社の新製品導入計画で意見が異なるCEO、離婚話が進行中の妻、やり手だが職業倫理が薄いと思われるPR会社の担当者等々、怪しい人物は引きも切らない。

ジャスパーが医療品製造会社の新製品開発責任者であったことが事件の発端で、自身の父親が死んだのは不良医療品のせいと筋違いの怒りに燃えたPR会社の担当助手、エミリーが犯人だった。頭が切れて手の込んだ小細工をすることも手慣れたこの担当助手は、セオドシアが暮らしているティモシーの歴史あるお屋敷に石を投げ入れたり、乗馬中のセオドシアに発砲したりして威嚇を繰り返す。身に危険が及びつつあることにセオ本人のみならず、ドレイトンやヘイリー、ティドウェル刑事までもピリピリしだす。ディレイんに頼まれて代わりに服をエミリーの家まで届けた時に、置いてあった家族写真アルバムからエミリーが犯人であることに気付いたセオドシアは、携帯を通話中にしておきながらエミリーを誘導することに成功。銃を持ったエミリーが発砲する寸前で警察が突入して事件は無事に解決。このシリーズ、セオドシアが一人で犯人に行き当たってしまうことで事件が解決される。

この世に存在するお茶の種類は大きく分けて
紅茶と緑茶と烏龍茶の三つ
次はそれぞれの種類の木に焦点を当ててみよう
インド産もあれば中国産もある

T・S・エリオットの詩の一節をドレイトンが暗誦する。数えきれないくらいのお茶を紅茶と緑茶と烏龍茶の三つ分けたところが白眉だね。

いいティータイムには三つの要素が不可欠である、というのがセオドシアの持論だ。第一にすばらしいお茶とお菓子、第二に友人との充実した会話、あるいはのんびりと思索にふけるひとりの時間、そして第三の要素が完璧な茶器類だ。
セオドシアが定義するお茶の愉しみ方。完璧な茶器は持ってはいないが、好みカップで許してもらおう。

「古いものが好きで頑固なんだから」
「意志が固いと表現したほうがいいんじゃない?」
「ずいぶん太っ腹な表現だこと」

ヘイリーとセオドシアの会話は仲間のドレイトンの性格をどう表現するか。人にやさしいセオドシアの性格が見て取れる。

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このところ、このシリーズばかりを続けて読んでいる。今回は第4話『イングリッシュ・ブレックファスト倶楽部』と第15話『プラム・ティーは偽りの乾杯』の2作。毎回、お話の内容と関係のありそうなお茶の銘柄がタイトルに入るので気になって調べてみたら、前作の原題は”THE ENGLISH BREAKFAST MURDER"、後者は"Steeped in Evil"だった。必ずしも原題にお茶の銘柄が入っているわけではなく、日本語訳の時に換えているのが分かった。日本人らしい気配り、こだわりだね。

このシリーズを気に入っている理由をこれまでに幾つか書いてきたが、導入部分の簡素でありながらもその場の雰囲気に読み手をいざなう描写は、物語の始まりとして素晴らしい。例えば第4話、サウスカロライナの夕刻の風景から空でで輝く金星、そしていきなりセオドシアがドレイトンを呼ぶ声がして、場面は早朝の海岸でウミガメの生態保護のボランティア活動に参加している2人の姿となる。そこまでたったの3段落、7行でしかない。広角画面から徐々に絞り込まれてセオドシアの姿にカメラを寄っていくような感覚だ。第15話は、自分がワイン通だとは思っていないというセオドシアの心の声 ⇒ 高級ワイナリーでの試飲パーティーの場 ⇒ その場にいる説明 ⇒ ドレイトンが呼びかける声とつながり、お話に突入していくまでにたったの3段落、12行のみ。映像ならば、周りの風景からいきないドレイトンにカットインする流れ。速いけれども速さを感じさせないスマートな流れた。しかも、どちらも第1章の終わりで事件が発生するというスピーディーさ。好きだね、この話の回し方が。

第4話のブレックファストファスト倶楽部とは、ドレイトンの友人であった骨董商が老人の域に達した仲間4人とお茶を飲みながら気ままな時間を時間を過ごす集いの名称。個人は素人ながらチャールストンの沖合に沈む南北戦争時代の沈没船を調べていたようだ。積まれていた骨董品に目をつけていたのだ。仲間の4人もなんらかの形で沈没船段策に独自に関係していたよう。そんな中で仲間の1人が銃撃される事件が起きる。動揺するドレイトンを気遣ってセオドシアが真相究明を始める。亡くなった骨董商の共同パートナーであった若い女性も当然疑惑がある。セオドシアが恋人のジョリーとセーリングに出かけようとしたところ、ヨットに細工がしてあり沈没しかける事件も発生。いよいよ、骨董商の溺死は殺人だという疑惑が強まる。ふたを開けてみると、犯人は共同パートナーに言い寄っていた地元レストランのオーナーだった。資金繰りに困り、沈没船の中の価値ある骨董品に目をつて、そのために骨董商を利用していたのだった。

上流階級のご婦人がたのあいだでは、取っておきの白い手袋に上等な服、しゃれた帽子で出かけたくなるような、贅沢なティーパーティをひらくのがはやり始めている。
お茶を飲むのに手袋や帽子が必要とは!貴族的な文化が色濃かった南部都市らしい雰囲気が醸し出されている。

「海はなんと神秘にみちていることか。想像を絶するほど多種多様な生命体が棲み、月は磁力で波を引き寄せ、海底にはいまも数多くの難破船が静かに眠っている。海とは詩心と冒険をあらわす隠喩なのだよ」

第15話は招待されたワイナリーで、一族の長男が殺される事件。しかも試飲パーティーのたけなわに、ワイン樽の中から発見されるというショッキングな死体発見のシーンは、小説でもインパクトが大きいが映像であったら効果バッチリだ。父親はワイナリー経営に情熱を傾けるが、実は上手くいっていない。妻とは離婚手続きが進行中。そこに謎の日本人が資金投入を餌に経営参加を持ちかけている。殺された長男には麻薬常習事実が発覚。同棲していたモデルの恋人も怪しい。近隣のゴルフ場経営者も、土地を狙っていたようだ。次々に現れる怪しい匂いプンプンの人間たち。犯人は、セオドシアのお店からほど近い画廊の若きオーナー。グラフィックデザインの能力が高かった個人にヴィンテージワインのラベルを描かせて、日本人出資者と偽ワイン造りを画策していた。その企てには義母も参加していた。ペテンに気付いた長男が殺されたというのが真相。よくできたストーリーだった。

「この店をカルフォルニアで流行している産地直送タイプのレストランに換えようというのでなければいいのだが。ほら、アザミのサラダだの、青汁をつかったドリンクなんかを出すようなやつだよ」
何事も古き良き時代を尊ぶドレイトンらしい台詞。産地直送は素晴らしいコンセプトだし、健康を気遣うことは今の時代に合ってはいる。でも、レストランで青汁ドリンクは飲みたくならない。

「この瞬間が一番好きだね。すべてが美しく、生き生きとしていて、来るべき一日を待っているときが」
ドレイトンのキャラクターは次第に誇張されてきている。開店前の店の佇まいを見て、こんな台詞を口に出すようになっている。でも、このように思える瞬間を持っていること自体はとても羨ましい。

「三つ数えるまでに、こちらに注目していただけますか。ふたつ数えるまでにご注目をお願いします。あとひとつです」
チャールストン近郊で成功しているワイナリー・オーナーであるジョージェット・クロフトがパーティの壇上に登場して注目を集めるために発した言葉。名乗る際に「人間の皮を被った悪魔と呼ばれている」と自分を呼ぶくらいの図太さと正直さとみなぎる自信とを持っている女性。登場回数が少ないが、とても強い印象を残しており、もっと知ってみたい登場人物だ。

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第3話『アール・グレイと消えた首飾り』と第16話『アジアン・ティーは上海の館で』を続けて読了。第3話のアール・グレイとはお茶の種類だけではなく、事件解決に一役買ってくれるセオドシアの愛犬、アール・グレイのことでもある。盟友、デレインの姪の婚約披露パーティ会場で、新郎が崩れ落ちた天井の下敷きになって死んでしまう。不思議なことに会場に飾ってあった新郎一族の自慢の歴史的なダイヤの指輪がなくなってしまった。事故か盗難か。盗難を疑ったセオドシタは、その直後に開催されるヘリテッジ協会でのイベントに飾られる高価な首飾りも盗まれる。歴史ある街、チャールストンに怪盗が現れた、そう感じたセオドシアは独自の調査を開始する。容疑者らしい人間は何人か浮かぶが、決め手にかける。そこで、セオドシアとドレイトンは罠を仕掛ける。ドレイトンが切手収集を趣味にしていることを武器にして、希少価値の高い切手、Zグリル切手をヘリッテジ協会のイベントに出展することとして、怪盗が現れるのを待つ。結果は空振り。あれっ?、と思わせておいて、展示が一日限定であること当のドレイトンが会場のあちらこちらで言い訳していることを知ったセオドシアは、怪盗がドレイトンの自宅に現ると推理して。愛犬アールグレイと張り込む。見事に、宝石店の店員が怪盗であることを掴んで逮捕に協力。

第3話の冒頭はmセオドシアが今いるパーティ会場の描写から始まり、彼女のいでたちを紹介、そこへドレイトンの声がしてドレイトンのいでたちと彼のお茶に対する知識と情熱を語り、そこからもう一人の相棒、ヘイリーについても描写、そしてセオドシア自慢の店・インディゴ・ティーショップの内装とお茶に関するセレクションを軽く入れる。ここまでで第3話の始まりから4ページ半。そして続ける。
インディゴ・ティーショップは本物と気品にあふれた店であり、それがお客の心をつかんだ。おかげでお客が途切れることはない。
ただ単に、セオドシアのお店が「繁盛している」と書くだけとは大違い。このような丁寧な描写が作者の売りであり、また作品にリアリティを持たせてくれると何度目かの再発見。

第16話では、中国・上海にあった清朝時代の茶館を移設した美術館のお披露目パーティで、その茶館買収に大いなる金銭的寄与をした地元名士が殺される。そして、そのことでセオドシタのボーイブレンドのマックスが美術館の広報担当を首にされてしまう。掘っておけない性格に火が付いたセオドシアがまたまた事件解明に一肌脱ぐ。殺された男の妻、その妻に言い寄っている男、殺された男の元愛人、なぜかよく見かける刑事専門弁護士。怪しい人物が浮かぶものの、これといった進展はない。茶館を売った上海のビジネスマンに連絡を取ったところ、似た館がボストンの美術館も購入していたことを知ったセオは美術館に連絡を取ってみると、買値に倍近い違いがあることを偶然に発見。誰かが買値をごまかして着服していると直感したセオドシアは、古い歴史ある家を買おうとしている美術館のアジア担当学芸員が犯人とつかむ。今回も警察の上をいく捜査でした。

このシリーズは読んでいて非常に愉しい。セオドシアの謎解き以上に、住んでいる地域、チャールストンの雰囲気が感じられるとともに、文化的な香りが溢れている。例えば、
クロッテッド・クリーム、ビスコッティといった食べ物の種類、エステート・ジュエリー、バロック・パール、マーキスカットのダイヤ、エメラルドカットのダイヤ、ファイヤー・オパール、ラフカットのダイヤといった宝石類も紹介され、ティファニーのファブリル・ガラスの花瓶、クイーン・アン様式の銀器、ブラウン・ベティ型のティーポット、ファミーユのティーポット、バロニアルオールドという模様のついたスターリングシルバのナイフとフォーク、オービュッソン・カーペット、シャドーボックスとおもしき工芸品といったお茶関連に限定されないカトラリーや家具など、ジョージア王朝様式の屋敷、緑色のタイルを敷いたボルチコ、イタリア様式のお屋敷といった建築様式についても言及がなされる度に調べながら読み進むことが多く、文化的に満ち足りた生活を渇望している割には知識が少ないことが痛感される。ビーハイブに結った髪、なんてファッションに関することも知ることができました。

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「お茶を飲みながら洗練された会話がしたくて、おたくのお店につい足が向いてしまいました」
お店に立ち寄るティドウェル刑事が口に出す。ぶっきらぼうで感情を顔に出すことがない元FBIの刑事だが、セオドシアとお店に一目置いている様子がわかる。

「盆栽のコンセプトとは、自然じゃないというところにあるんだと思っていた」
「あれは高度に発展した芸術の一形態だ。千年以上にわたって引き継がれてきている。盆栽の様式と概念というのはひじょうに写実的なものなのだよ」

ドレイトンの趣味の一つは盆栽。その盆栽に関するヘイリーとドレイトンの会話。我が国の文化の一つを正しく理解してくれていることに感謝の念を持ちつつ、自分なりの解釈が加わっていることを知る。

わし鼻がでんと鎮座しているせいで、どこか貴族のような雰囲気がある。何世紀か昔に生まれていれば、メディチ家の一員として辣腕をふるっていたかもしれない。
うんうん、分かる。

伝統的な気品にあるれるチャールストンではあるが、底の方には貪欲と怒りと憎しみが、わずかなりとも渦巻いている
ちょっとハードボイルドが入った一文。チャールストンが愛することに関しては誰にも負けないセオドシアだが、底辺にある人々のどす黒い感情にも気付いている。

きみときたら、天使も踏み込むのを恐れるような場所に突っこんでいくのが本当に好きだね
恋人のマックスがセオを評していった台詞。天使も踏み込むのを恐れるような場所とは恐れ入った。

「嘘と偽りが複雑に入り組んだ、巨大な織物のようだな」
ドレイトンならではの、ちょっと大袈裟な比喩を使った表現。単に「嘘で塗り固められた」というよりも頭の良さを感じてしまう。歳の功をこんな様子で描いているところも著者の力量だね。

バウハウスの機能主義とテレビドラマ「25世紀のバック・ロジャース」のような未来的なデザインのいいとこどりをした検知器学専攻の学生が館得そうな外観
これも何となく理解できてしまう。絵にかいてみろと言われる描けないが、でもどんな感じかはよく伝わってくる。

「わたしのいないあいだになにかあった?」
「おいしい食べ物と楽しい時間がありましたよ。しかも、ドレイトンのすばらしい解説付き。まるでお茶のドキュメンタリー番組を観ているようでした」
「わたしとしてはプロモーションのつもりなんだがね」

時折お手伝いに来てくれるミス・ディンプルがセオドシアの不在中をこのように描写。おいしい食べ物と楽しい時間があったとは、なんて素敵な言い方なのだろう。ゆったりと時間がながれる南部ならではの文化が背景にあるから、こんなセリフがあるのだろうね。

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犯人は現場に立ち戻るではないが、気に入ってしまったシリーズは最初から読み進めたいと思うものだ。そこで、第1話『ダージリンは死を招く』と第2話『グリーン・ティーは裏切らない』。

このシリーズを読む愉しみは、(1) 見事な建物や部屋の作りと庭、骨董品など、南部アメリカの文化的香りがすること(奴隷制度の上に成り立ったものであったことには目をつぶって)、(2) 色々なお茶と料理が食欲をそそるのみならず、品ある人々の優雅な暮らしに想いを馳せられること、(3) 主人公セオドシアが友人の依頼を受けて事件解明に立ち向かう姿がしっかりと描かれ、その行跡がティーハウスでのオモテナシと両輪をなして物語が進行するというわかりやすさ、なのだと思う。(1)と(2)に惹かれるということで、私自身の好みの再確認もできた。(3)に関しては、第1話と第2話では顕著で、友人の頼みを引き受けたセオドシアが一人またはティーハウスの面々と協力しながら、警察に頼らずに独自の推理し、調査する過程が描かれており、警察との連携が深かった第6話以降とは趣きが異なっている。それにしても、友人の頼みを断れないところに、主人公セオドシアの性格、人思いで人情に厚く、正義感が強くて向こう見ず、そして何とかなるというポジティブシンキングの持ち主、というのが見えてくる。

物語の描写方法も気に入っている。第1話の冒頭は、セオドシアが机に向かってお茶を飲んでいるところからセオドシアの姿の説明に入り、その後に回りの風景と気候の描写が3段落で紹介されている。まるで、質の良い映像を見ているかのような自然な流れで物語に入っていく。部屋全体から人物に焦点がゆっくりと絞られたあとに、カメラがパンして窓の外を映しているかのようだ。

そして、事件が起きるのも早い。第1話では第2章で、第2話では第1章で事件が起きている。セオの事件へ取り組む姿がストーリー描写の中心骨格としてブレていないことも、読み進めるための安心材料になっている。

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天然パーマの鳶色の髪が顔のまわり渦を巻き、その結果、頭に後光が射した格好になる。まるでラファエロが描く歳暮マリアと愛想のいいメデューサを足して二でわったような姿だ。
第1話の冒頭の最初の段落で紹介されるセオドシアの姿がこれ。進むにつれて、肌の色がきれいだとか、顔の形がいいとか、体形がサイズ10だとかが次第に細かい紹介になっていくが、まずは鳶色の髪が魅力的であることが冒頭で印象的に紹介されている。ラファエロとメデューサを引き合いにだすことで可笑しさもプラスしながら。

そして、彼女の性格は彼女が回りをどのように見ているか、どのように言葉を発するかでいろどられていく。
「わたしの一番の喜びは。最愛のものに集中することなの。つまり、このインディゴ・ティーシップとあなたがブレンドしてくれるすばらしいお茶にね」
というように、自分の好きなものを挙げるとともに、相手(この場合は一緒に働くドレイトン)に対する敬意を込めた賛辞だったり、

「あなたがセッティングした」テーブルは、まるでセザンヌの静物画みたいね。ロマンテックで上品で、食べるのがもったいないくらいきれい」
これも一緒に働くヘイリーの努力をねぎらう言葉だ。そして、いつも着ているものに気を配っているドレイトンにはこのような台詞も吐く。
「殿方というのは来ているもので中身が分かるものよ」
なんて、相手想いの心優しい人間なのだろう。「南部の貴婦人」という言葉がシリーズの中に出てくるが、相手に敬意を示すことが貴婦人の一要素だと思わされずにいられない。

そのドレイトンは、60歳前半の男性、お茶の専門家にして性格は頑固。古いものを愛し、地元のヘリテッジクラブに属し、築100年以上の由緒ある建物に住み、盆栽を始めガーデニングも趣味で、新しいものには興味がない。
「わたしは機械撲滅主義者だよ。近頃はやりのコンピューターなんているくだらない機械にはぞっとするね。魂のかけらもない。」

いつも着るものに気を配り、ベストな仕事を成し遂げることを自らの使命と課し、ちょっと神経質で偏屈でもあるが、一緒に働く人々に足しては最大の愛情を持っている。
「さっききみが言ったことはみんなの努力のたまののだ。大勢の善意の人間がけんめいに努力して得た結果なんだ」

決して自分一人で成し遂げたと誇ることなく、助けてくれた人たちへの感謝も忘れない人物がドレイトン。これが、アメリカ人なのかと疑わずにはおられない。ドナルド・トランプのみならず、アメリカ社会の惨憺たる状況を見るに、理想と現実の大きな違いに残念な思いをせざるをえない。

第2話で殺された金持ちの結婚相手の若い女性に対して、セオドシアが感じた思いがこれ。
このお嬢さんはいつまで、誰をも魅了する美しさを武器にこの世を渡っていくつもりなのだろうかと。彼女のような人は、いつでも世の中がなんとかしてくると勝手に神事のらりくらりと人生を送っていくのかもしてない。

ミス○○を次から次へと獲得した超がつくほどの美人に対して、ちょっと厳しい言葉だね。著者の感想なのだろうか。

空に浮かぶ巨大な黄金球と化した太陽が、さざ波ひとつひとつに光を浴びせ、水面にダイアモンドをまき散らしている。池のまわりでは緑あざやかなソーグラスのギザギザの葉が、潮の香を含んだ風にそよいでいる。
物語のあちらこちらで、この種の描写が出てくる。ミステリの進行に対して閑話休題とでも言ったらよいのか、張り詰めたものをほぐしてくれる優しさがあるし、読んでいて幸せな気持ちにしてくれる描写だ。ストーリー進行がとっても上手いことも、このシリーズを読む愉しみでもあることに気付く。

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だいぶ飛ばして第17話『ロシアン・ティーと高低の至宝』。港北図書館に置いてあるこのシリーズの残りはこれだけだったために一期に8から17へ飛んだ。今回は冒頭から事件が発生する。セオドシアたちが参加していた高級ジュエリー展示会に黒いSUVが飛び込み、中から出てきた銃を持った覆面姿の3人組が展示してあったジュエリーを次々と盗んで逃走。3人とは別に見張り役の1人がバイクでいた。参加者がパニックに陥るなか、セオだけは冷静に犯人たちに特徴がないかをうかがう。一人の手首にタトゥーのような青い線が入っていることを発見する。犯人たちが立ち去った後のガラスの瓦礫の中に、一つの死体。イベント主催者の姪のケイトリンの首に飛んできたガラスの破片が刺さって死んでしまった。強盗に殺人が加わった。

主催者のブルックから犯人探しを頼まれたセオドシアは、良き南部女性らしく引き受ける。今回は地元チャールストンに来て日数も浅い人たちの中で上流階級層に足がかりをもっている人たちが怪しいと睨む。調べるうちに怪しい人たちが何人か現れる。地元の名士(女性)の新しい恋人、しかもヨーロッパから来ているという。そして、マイアミから引っ越してきたオーダーメイドのヨット販売をしている夫婦。近隣から来ているロシア文学の研究者。そして、ヘイリーの恋人がバイクに乗っていることから、彼も怪しいと思い出す。これらの容疑者が早々に揃うのだが、早くから容疑者として登場した人物は犯罪とは無関係というこの手の物語の鉄則に当てはめて読み進んでいくのだが、彼らの容疑は深まりもしないし晴れもしない。グラデーションがちょっと濃くなる灰色のままで終盤まで来てしまうのだ。今回は鉄則の裏を掻くのか、と思いきや、ファベルジュの卵を展示することになったヘリッテッジ協会のイベントが最後の山場となる。今回も強盗団を押し入るだろうと誰もが目論む中、セオはブルックから借りた高級ジュエリーであるブローチを身に着けてパーティへ参加する。強盗団の目を引き寄せるための罠を自ら仕込んだのだったが、自分の行為が恐ろしい無謀な行為であることに気付くとブローチを協会会長室の金庫にしまおうとヘイリーに手渡したところ、そのヘイリーが3人組を襲われて拉致される現場に居合わせてしまう。ジープでヘイリーたちを追いかけてヨットハーバーまで来てみると、ヨットはまさに出航するところ。警察に連絡をとって沿岸警備隊に出動してもらい、犯人グループとの追いかけっこが始まるや、ヘイリーが犯人グループの一人に組み付いて海に飛び込む。ヘイリーが運よく救出されて喜ぶセオとドレイトン。引き続き警備隊の舟に引き上げられた賊の一人にセオがヒールで蹴りを入れる。賊が頭をあげると、何と地元の名士の女性グレイスの顔が。グレイスがジュエリー強奪の首謀者だったということで、やはり早めに出てきた容疑者が犯人ではないという鉄則は守られました。

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遠いイングランド人の祖先から受け継いだ高い頬骨と磁器のような肌、鋭いブルーの瞳、ふっくらした唇、形のいい卵形の顔。ただし、女性なら誰でも喉から手が出るほどほしがる鳶色のたっぷりしたこの巻き毛だけは、扱いにくくて困る。
主人公のセオドシアの風貌の記載がこれ。きっと美人なのだろう。単なる美人ではなく、品の良さが際立っているレディー。鳶色を調べたら赤暗い茶褐色と書いてあった。金髪ではなくて、どちらかというと赤毛なのですが、アメリカ女性はこの色の髪に憧れるのかな?

「ちゃんとひとり分のこってます。あなたのものだとわかるよう、ちゃんと名前がかいてありますよ、きっと」
容貌に優れているだけではなく仕事もやり手。人の意表をついたりずる賢い手を使うことなく、あくまでもレディーらしく王道のど真ん中を突き進むやり手。遅いランチタイムにやってきた新規のお客に対して、ランチセットがまだ残っていますよ、良かったですね、という代わりに「あなたのものだとわかるよう、ちゃんと名前がかいてありますよ、きっと」なんて、気が利いているし品があるよね。

「おっしゃるとおりです。しかも、その仕事を大いに楽しんでいるんですよ。」
残っているランチに名前が書いてあると言われた新規の客は新しくヘリテッジ協会の理事となったドレイトンの友。ヨーロッパから最近きたばかりなのに、すぐにヘリテッジ協会に潜り込んだと考えたセオは容疑者の一人として疑ってしまう。もちろん、ドレイトンは反発するが、セオの言い分にも理がないことはないと認めて苦しい立場に。


「復讐は七つの大罪のひとつではなかったかな?」
ドレイトンがは強奪事件捜査を独自に進めるセオドシアに対して言ったセリフ。教養ある人間であれば、復讐は決して七つの大罪の一つではないがことは明白にも拘わらずこのような大袈裟な表現をすることが教養ある表現なのだろう。

「チャーチ・ストリートは以前からずっと、魅力と気品が詰まったおいしいケーキにみたいな通りだった」
商店街で事業をするセオドシアの友人の一人が、事件を憤りつつ人の死に悲しみつつ漏らした。「魅力と気品が詰まったおいしいケーキ」、しかも魅力と気品という誉め言葉を重ねて、おいしいケーキに組み合わせるところが洒落ている。

前回の書き込みでも書いたが、このシリーズはチャールストンという街にある古き良き南部の建物の描写がここかしこにちりばめられており、それがこのシリーズを読む愉しみにもなっている。
廊下にも東洋の絨毯が敷かれ、壁の油彩画や凝ったつづれ織りが深みのある暗色のパッチワークをなしている。ヘリテッジ協会は旧世界の雅と贅の象徴であり中世の城と小塔のあるマナーハウスを足して二で割ったような建物だ。

新しく生まれ変わらせ、装飾をほどこし、居心地よくした板葺き屋根の小さなキャリッジハウスは彼女の自慢だ。紅茶色をした木の床が素朴な魅力を醸し、キャンドル、骨灰磁器、上質のリネンがヴィクトリア朝らしさを添えている。しかも、壁にはオーナメントで装飾した葡萄の蔓のリースやすわっぐがかかっている。というわけで、ティーショップ全体は、素朴でヴィクトリア朝風、それでいて既成概念にとらわれない雰囲気にあふれている。
最後の「既成概念にとらわれない」というところがすべてに対する免罪符のようでもある。多少はビクトリア朝から外れていても、こう言うのことですべてが許されるのだから。

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一作戻って第6話『カモミール・ティーは雨の日に』と第8話『ロンジン・ティーと天使のいる庭』を連続して読んだ。このシリーズに惹かれる理由は2つ。一つは物語の舞台となっているサウス・カロライナの街並の描写が美しいこと。チャールストンの街に立ち並ぶ歴史があって見るからに(想像するからに?)見事な建物が私の古い洋館嗜好を強烈に刺激する。例えば、

ヘリテッジ協会は、セオドシアがかねてより気に入っている建造物のひとつだ。灰色の石造りの巨大なこの建物は、必要不可欠ともいえる高い天井とイトスギの鏡板を張りめぐらした部屋、どっしりした鉛格子の窓、足をのせるたびにかすかな音をたてる東洋絨毯をそなえている、ほのかな光に照らされたガラスのショーケースに、イギリス製の銀の蓋付きジョッキや色あざやかな油彩画、古地図、フランス製のティーセットなど、上品でみやびやかだった時代の名残をとどめる品々がおさめられている。
といったように、じっくりしっかりと文字を連ねて、その建物がどのような見栄えなのかを教えてくれる。また、会社を訪問する際も簡単な言葉で終わらせることなく、

セオドシアは古い黄色煉瓦の壁を飾る色彩豊かで幾何学的な絵をながめながら、つやつやした木の床を受付に向かって歩いていた。
と単に訪問した事実を記すだけではなく、訪問先の建物や設えの描写は欠かさない。そして、

夕暮れ間近の陽ざしが、金糸のようにインディゴ・ティーショップの店内いっぱいに降り注いでいた。木釘でとめたフローリングの床をつやつやと輝かせ、煉瓦の壁に柔らかな光を反射し、ダージリンや中国産の紅茶、アフリカ原産のルイボス・ティーなど、通り異国の茶園から運ばれてきた珠玉のお茶をおさめた瓶や缶が並ぶ作り付けの棚を、ネオンサインのようにくっきりと浮かび上がらせていた。
と、とある時間帯の自分の店の佇まいについての描写もしっかりしている。

シリーズが気に入っている」二つ目の理由は、店で働くチ0フティーブレンダーのドレイトン・コナリーに自分が重なるから。60歳を過ぎてなおダンディーでかっこよく、仕事に誇りを持ち、地域社会での貢献も行っている。何よりも、歳老いたことを恥じたり悔いたり残念がったりしない。むしろ、誇りとしているくらい。常に服装に気を配り、蝶ネクタイがトレードマーク。服装に関してこのような台詞があった。
「育ちのいい人間が、着るものでみずからの知性と品の良さをしめした時代があったのも事実だ」

なんでもカジュアルっぽくすることが流行りのこの時代に、棹差す気概が好ましい。ただし、本の中に入っている挿絵は気にいらない。モコオコした髪型と顔立ちがまるでいかさないおばさんみたいなのだ。これさえなければ、言うことなしなのだが...


主人公のセオドシアは、従業員想いで地域社会に役立つことを常に考え、お茶の知識も素晴らしく、優雅な南部レディーとしての振る舞いも自由自在にできる魅力的な女性。歳の頃は30代半ばぐらいといった設定。店を訪れたお客に対して、
「わたしたちは自分の役割を果たしただけです。来る日も来る日も全力投球の毎日をしばし忘れさせ、できるかぎりゴージャスでおいしい昼食をお出しするという役割を」

とお店のミッションを伝えながら相手への愛しも忘れない。こんな素敵な台詞が吐ける店主、お茶はドレイトン、料理はヘイリーというベストな組み合わせチームがいるティーショップなら、是非行ってみたいものだ。ドレイトンの料理についても台詞。
「楽であれば当然、効率もよくなる。だが、それ以上にこだわっているのが見栄えだ。ボリュームたっぷりという感じに見せたいのだよ」

見栄えにこだわるところがドレイトンらしい。着るもので知性と品の良さをしめすことの大事さを知っている人間だから。

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このシリーズは読んだことがあったのだが、このブログに書き込んでいないことを発見した。そこで、第7話『ブラッドオレンジティーと秘密の小部屋』を読んだのをきっかけに他のコージーミステリと並べて記憶に残すことにした。

地元(サウスカロライナ州だったか)の歴史ある建物が寄贈されることとなり、その記念パーティ会場で殺人が起きた。コージーミステリという軽くて口当たりのより読み物であっても”殺人事件”が当たり前に起きるところがアメリカなのだね。日本のミステリで殺人が事件の題材になっていると、どうしても絵物語に思えて仕方がないのだが、アメリカでの話となると日常茶飯事の出来事として真実味を持ってしまう。このパーティで出されるお茶とお菓子を担当していたのが主人公セオドシアのお店だった。殺され方はナイフによる殺傷。毒殺ではなかったために、お店の信頼失墜とはならずセオドシアを始め店関係者は最初から被疑者候補にもならずにいたところ、殺された男性の奥さんからセオドシアは事件解明を頼まれてしまう。警察が動いているにも拘わらずだ。これが発端。タネを先に明かしてしまうと、歴史ある建物を寄贈した地元名士夫婦が犯人で、希少動物の密輸をしていたことを調べられることとなって殺人に及んでしまったという筋立て。

このシリーズでは、主人公のセオドシアが事件に向き合う時間が他よりも多い気がする。深層に迫ることは少なくても、事件をことを気にかけ何とかしようと頭を動かしている時間は多い。その中でお茶のお店の様子や人間関係が描かれるのだが、行き当たりばったりの行動が事件真相に迫ってしまうことになる他シリーズとは異なるというのが読んだ感想。そして、歴史ある建物、南部社会の上流な人々などが登場するものの、頭の中には豪壮華麗なイメージが浮かんでこないもの特徴。例えば、
肩幅は広いがスマートな感じで、いかにも育ちがよさそうな、高貴とさえ言える雰囲気を漂わせている。裕福な農園主か特権階級の生まれと言っても通用しそうだ。

パーティにやって来た下院議員の描写だが、”高貴”な雰囲気が頭の中にどうしてもイメージとして生成されないんだな。イメージが生み出されるようにもう少し言葉を重ねて欲しいところ。

店で働くお茶の専門家、グレイトンにしても、知識のみならずマナー優れたティーマイスターとしての上品かつ優美で繊細な動作仕草を描いてくれていたら、もっとこの人物に対する思い入れも深くなるだろうに。

   ☆★☆★☆★☆★☆★

「震えているではありませんか」
「アドレナリンが大量に放出されたせいですよ」
「常識も大量に放出してくれればよかったのですがね」

犯人夫婦を追って一人で密輸動物の保管倉庫に向かったところ、海に飛び込まざるを得なくなった主人公を助け上げた刑事との会話。「常識も...」がジョークとして捕えられるのか、強い皮肉として捕えられるのか紙一重のセリフ。一般会話の中では使うことをためらってしまう際どさがあるものの、本書の中でもっとも気になった台詞ではあった。


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コージーミステリを読み耽る愉しみ その2 お菓子探偵シリーズ(ジョアン・フルーク著)

2022年06月24日 | パルプ小説を愉しむ
「高校のときからずいぶん変わりましたからね。髪は薄くなったし、体に脂肪はついたし、智慧もついたと思いたいですが」

ハンナな水から上がってあえぐ魚を見ていた。リサとミシェルはまさにそんな様子だった。口を開けて目を見開いている。床をのたうち回ってこそいなかったが。

上は数十年ぶりで再会した相手に、自分の見た目が老けて変わったことをユーモア交えて自虐的に伝えているし、下は二人が驚きのあまり言葉を逸している様子を描写している。それなりに魅力的な言葉遣いではある。しかしながら、お茶と探偵シリーズや優しい幽霊シリーズと一緒に読み進めていると、このお菓子探偵シリーズには堅苦しさを感じてしまうのだ。

『デビルズフード・ケーキが真似している』はシリーズの第14話。1話と3話の2冊からはだいぶ跳んでしまっている。ミネソタ、それはアメリカの片田舎でも物語。地元民に愛されているクッキー・ベイカリーを営む主人公、ハンナが殺人事件を追っかけて解決するコージーミステリだが、場所がミネソタである以上歴史的由緒正しい建造物や宝飾品や芸術品が登場することはない。ジュエリーが登場するのは、盗難事件の獲物としてのみ。そんな質実剛健で地に足の着いた生活を送っている中流の人々の日々の暮らしの中でも、やはり殺人は起きる。さすが、犯罪王国のアメリカ。

今回は、高校時代に一時期レイク・エデンで暮らしていたマシューとそのいとこのポールにまつわる事件。地元教会の牧師、ボブが新婚旅行に行くことになり、代行の牧師としてマシューが来たものの、ある夜に殺されてしまう。発見者はハンナ。マシューとポールの外見がよく似ていたころから、二人が入れ替わっていた疑惑もでてくるが、ハンナが元の教会に確認したところ代行として来ていたのはマシューと分かる。が、直後に本物のマシューが現れて混乱する関係者。マシューと間違えられて殺されたポールは、なぜ殺されなければならなかったのか?そんな疑惑に果敢に挑戦していくのがハンナ。種明かしすると、実は入れ替わってはおらず、後から本物の顔をして現れたのがポール。ポールは犯罪者となっており、近隣都市で盗んだ宝飾品をマシューのカバンの中に隠したので、後を追ってレイク・エデンにまでやって来たという訳。もちろん、殺人犯はポール。

筋としてはよくできているとは思うのだが、でもやはり堅苦しい。物語のために作られたと言わんばかりの登場人物や、仰々しい台詞がそう思わせるのだろうか。いくら地元民に愛されるクッキーベイカリーとはいっても、売っているのと人にあげているのが同じくらいの量なんじゃないかと思うくらい、ハンナ気前が良い。そして、保安官であるマイクと歯科医のノーマンという2人から愛され、今はノーマンの方に傾きつつあるという状態。モテモテで人気があって、優しくて気前よく、そして殺人事件も難なく解決しちゃうスーパーウーマン、それがハンナ。

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ミネソタの田舎町レイク・エデンで手作りクッキーショップ "クッキー・ジャー" を営むハンナ・スウェンセンが主人公の素人探偵ストーリー。住民がお互いに知り合いで、のどかと思われる片田舎であっても殺人が起こること自体、アメリカという国が病んでいる証拠だと思うのだが、そんな堅苦しい正論を言っていては、折角のコージーミステリが愉しめない。

ハンナは、大学で博士号をとる直前に家族の都合で故郷のレイク・エデンに戻って、大好きなクッキーを焼くことを営みとしている29歳の独身女性。見た目についての記載は少ないが、妹のアンドリアが美人であることから、姉のハンアもそれなりのルックスであることが想像できる。好奇心旺盛で知りたがり、後先を考えずに容疑者と思われる人物の家に不法侵入するものの、脚はガクガク、心臓ドキドキ。それでも、素敵な家具や部屋のしつらえには興味津々で捜査のことも後回しになってしまう。人の良さと美味しいクッキーをばら撒きつつ、関係者の家を直撃取材、いろいろなヒントをかき集めて真相解明のために突き進む。

そんな素人ならではの危なっかしくも微笑ましい努力の過程と、ところどころに紹介されるハンナお手製のクッキーのレシピ(お約束だね)が、コージーミステリの愉しさそのものという点では、作者の努力は報われている。

もし、博士号を取得していたら「古典詩の韻律について講義」していたかもしれない、という記述があるので、文学を専攻してたようだ。それにしては、古今の名作からの箴言、名台詞が文中に出てこないのが物足りない。片田舎の町では、そのような会話は好まれないからかもしれない。この辺りが、バーニー・ローデンバーのシリーズの粋な会話とは違う。なにせ、あっちはNYが舞台だからね。

 登場人物の魅力度 ★★★
 ストーリー度   ★★★
 設定の魅力度   ★★★
 台詞の魅力度   ★★★
 

◆チョコチップ・クッキーは見ていた
- カウンターの上のセントポーリアをちょっと見てもらえる?家庭内植物虐待の罪で刑務所に入れられたくないから。
- ゴージャスな女の子たちのほとんどは落第するか、大学に残るとしてもMRSの学士号をとること、つまり結婚相手を見つけることが目的だった。


◆ブルーベリー・マフィンは復讐する
シリーズ三作目の本書では、町おこしの一環として始めたウィンターカーニバルに特別ゲストとして招聘された高名な料理家が、こともあろうかハンナのクッキーショップで殺されてしまう。妹アンドリアの高校時代の親友とハンナの恋人(候補)まで殺人容疑者となってしまって、ハンナの探偵魂に火がつかない訳がない。妹アンドリアと何人かの地元の友人たちの協力を得て事件解決に挑むのだが、このシリーズ(のみならず通常のコージーミステリ)の常として謎解きの過程で出てくる色々なこと、ハンナの恋模様や地元の人々の噂話、母親との関係などなど、が盛りだくさん。謎解きが縦軸だとすると、ハンナを取り巻くレイク・エデンでの日常の物語が横軸といったところですかね。なにもなさそうな片田舎の生活を横軸に入れ込んで物語を進行させるという手際には、著者が並々ならぬ豊かな想像力を持っていることを思わせてくれます。

- 彼女は50代初めの魅力的な女性で、その手が触れたものはすべて金になった
ケーブルテレビでの料理番組で有名になった料理家が、レシピ本を始め家庭用品ショップや色々な事業に手を出し、次々に成功させて大金を稼ぎ出した様子を物語っている。古代のミダス王の物語を知っていればニヤリとするよね。

- グリルにたたきつけるように置いたら、片面30秒、ひっくり返して30秒ね。
ステーキ店に行った時のハンナの注文の仕方です。いかにレアのステーキが好みかがこの注文の仕方で分かろうというもの。物語を面白くするためには、この手の大仰な表現があるかないか、が私にとっての鍵となるんだな。
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