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禅が教えてくれる美しい人をつくる「所作」の基本 (枡野俊明著)

2019年05月28日 | 読書雑感
曹洞宗の住職にして庭園デザイナーの坊さん、枡野さんが禅の教えの中から人として美しく、そして正しく生きるためのヒントを教えてくれている。
例えば...

調身、調息、調心」という禅の心得。姿勢(=所作によって成り立つ)が整うと呼吸が整い、呼吸が整うと心が整ってくるという所作・呼吸・心が三位一体として結びついていることの教え。

折り目正しさ」は、形の美しさをつたえるだけではなく、心の豊かさや素直さといったことを余すことなく伝える言葉。挨拶すべきときには挨拶が出来る、感謝が必要な場面では感謝の言葉が出てくる、敬わなければいけない相手には謙虚な態度で接する。これが折り目正しい行動。

愛語」美しい言葉はそれそのものが美しくなるための大きな武器。慈しみの心から発する愛を持った言葉には力がある。いいたいことを思いついたまま語るのではなく、その言葉を相手がどう受け取るのかということにまず思いをめぐらせる。一旦自分が相手の立場になってみて、その言葉をなげかけられたら、どう受け止めるだろうかと考えてみる。自分のなかに愛語かどうかを見分けるフィルターを持ちましょう。

良因良果、悪因悪果」が教えるものは、すべての事柄には「原因」があり、そこに「縁」という条件がそろって始めて「結果」が生まれるという仏教の考え方。キュウリの種は「原因」、それが育ち実りを収穫するという「結果」を得られるためには、途中に土地を耕したり肥料を畑全体にいきわたらせて種を植え、毎日水をやるといった「縁」が必要。良い「原因」を心がけると、良い縁が生じて良い結果となる。

語先後例。」相手をきちんと見て、まず挨拶をしてその後に丁寧に頭を下げる作法。言葉とお辞儀を同時におこなうより、言葉のはるかによく相手に伝わりますし、所作全体も綺麗になる。

著者は単なる坊さんではなく、庭園デザイナーでもあり、禅から離れて日本料理についてもこのように教えてくれる。
西洋料理と日本料理の違いの一つに、使う器の種類の多さがある。器と料理が相まって食事のおもてなしになる。日本料理では素材そのものにも秘密がある。旬の素材を7割、旬が過ぎ去っていく名残の素材を1割5分、これから旬を迎える素材を1割5分、といったように旬のことなる三品をそろえるのが最高のもてなしとされている。これは過去、現在、未来という時間の流れを意識したもの。食事をいただく時間は限られるが、その限られた時間の中であっても、過去から未来に流れる永遠の時間があり、ゆっくりと愉しんでください、という思いがその食材選びに込められている。

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この本を読んだら、むしょうに座禅を組みたくなったので、表参道にある永平寺別院長谷寺に行って来ました。昨年12月に一回目の座禅を組んでから二度目の座禅だったのですが、二回目は二柱、それぞれ30分ほどの生涯で最も長い座禅の体験でした。一柱目の途中、組んでいる足の付け根が痛む、背中が痛むのを我慢しながら腹式呼吸を意識していたら、「無」の境地になったのか寝てしまったのか分からない瞬間が二度ありました。眠りに落ちると姿勢がガクッと落ちるはずなのに、そんなこともなかったので「これは?!」と思って臨んだ二柱目、足の付け根と背中の痛みしか感じませんでした。それでも、終わりの鐘が鳴った時には飛び跳ねるかと思うくらい体が反応していたということは、座禅にそれなりに集中していたのでしょう。

思い起こしてみると、スポーツジムで最初に体験した気功のクラス。インストラクターの動きについて行こうと必死になっていると、突然右と左の手のひらが磁石のように反発しあった経験がありました。それが、「気」というものは確かに存在しているんだということを実感した瞬間でした。そんな経験があったので、ひょっとしたら二回目のまだ訳が分からない時にひょっとしたら「無」を体験できたのかな?と少しの期待をしている自分がいます。
コメント
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