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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

コージーミステリを読み耽る愉しみ その13 シャンディ・シリーズ(シャーロット・マクラウド著)

2020年07月26日 | パルプ小説を愉しむ
『蹄鉄ころんだ』はシリーズ第二作。前作で知り合って目出度く結ばれたピーターとヘレンのシャンディ夫婦の周りで再び事件が起こる。まずは、二人が銀食器を買いに行った店に強盗が入り、ヘレンが人質になってしまう。無事に解放されたものの、犯人も盗まれた金と銀の地金も行方不明のまま。そんな中、晩餐に招待した大学関係者の一人が豚舎で殺され、苦労の品種改造の末の成果であった母親豚が誘拐されてしまう。事件が起きたのは、毎年行われ地域を熱狂の渦に包み込む大学対応の輓馬競技会の直前だったから、学長のみならず大学関係者はピリピリしている。

このシリーズは、これといった盛り上がりがあるわけではなく、淡々として物語が進んでいく。淡々とではあるものの、バラクラヴァ農業大学の周りで住み暮らす人々のまじめで善良で長閑な毎日の生活を、温かい目で見守っているようなトーンが文章に見え隠れしており、それが全体を通してユーモラスな感じを醸し出しているのだと思う。そう思うと、設定を農業大学として、畜産動物や穀物類、そして鋤や鍬を使った競技が大学対抗でなされる非日常の世界の中でのお話しにしていることが、物語の成功の大きな要素だと感じる。

もう一つの成功の要素は、大学関係者の異様な姿だ。頭を殴られても平気で強盗を二度三度振り回して荷馬車に頭を叩きつけるほどの巨体と体力を誇るトールシェルド・スヴェンソン学長と女丈夫な妻と5人の娘たちを始めとして、一風変わった教授陣たちの変人ぶり農業大学ならありかな、と思ってしまう。

謎解きは終盤で一気に行われ、それまでにあちらこちらで張られていた伏線が回収されている。決して目から鼻に抜けるようなタイプとは思えないシャンディ教授が、冷静な観察眼と推理力を活かして、殺された装蹄師の親戚で最近村にやってきたばかりの男だと見破る。騙されているふりをしてシャンディとトールシェルドが大立ち回りを演じて、一味が捕らえられる。

シャディ教授は、さっそうと若いわけでも、尊敬をあつめるほど年をとっているわけでもなく、思わず息をのむほどハンサムでもなければ、人の目をひくほど醜くもない。猛スピードで走る貨物列車より速く走れるわけでも、ひと跳びで高いビルを跳びこえられるわけでもなかった。
平凡な様を描写するために、スーパーマンを形容する懐かしい言い回しを持ってくるところが憎いよね。

あの人は、脳みそがあるべきところにスクランブルエッグがつまっているような人だってことは、あなたも知っているはずよ
ひと様のことをこのように悪く言うのは、あまり良い気分にさせないのだが、お話しの流れの中で出てくると、なぜか許せてしまう。言われた相手のことが悪く書かれており、こう言われるのが当たり前のようになっているからなのだろう。文脈の恐ろしさというべきか。

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■『にぎやかな眠り』
堅物の大学教授がいたずらで仕掛けたクリスマスイルミネーションのせいで、ご近所の厄介者のお邪魔虫主婦が死んだ。死体から教授は殺人だと思った。長閑なはずの農業大学がある田舎町のクリスマスが突然にきな臭い時期に変貌。大学教授らしい一歩一歩論理を固めていく推理から教授は殺人犯を割り出していく。ホームズらしい華々しさがあるわけでなく、これと言った冒険がある訳でもなく、それでも一歩一歩進んでいく。大学の学長夫婦、教授や助教授陣たちの田舎での生活を、これまた一歩一歩丁寧に温かくも手厳しく描きだす描写が登場人物の全員を面白く見せてくれる。ニヤリとする笑いが好きな人向けのミステリ。

- たとえティモシー。エイムズが泡立つ生石灰の大桶の中で足の先から一センチずつ溶けて言っているときいても、今のシイラ・ジャックマンは同じ返事をしただろう。
- 監査役のベンが死んだのは、おそらく散文的な理由があるはずだ。

 登場人物の魅力度 ★★
 ストーリー度   ★★★
 設定の魅力度   ★★★
 台詞の魅力度   ★★
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泥棒シリーズ ローレンス・ブロック著

2020年07月08日 | パルプ小説を愉しむ
ローレンス・ブロックが描く泥棒紳士、「バーニイ・ローデンバー」シリーズの愉しみは、バーニイが巻き込まれる殺人事件を見事に解決してくれること以上に、バーニーと仲の良いキャロリン・カイザーとの間に交わされる丁々発止の無駄話の奔流だと思う。バーニイが目を付けた家に泥棒に入るシーン、「金で買える最も優秀な刑事」であるレイに目を付けられて面倒を抱えてしまう場面、そしてほとんどの登場人物を一カ所に集めて種明かしをして殺人の犯人をあぶりだすクライマックスシーン、これらミステリ小説の本筋以外の7割程度は、キャロリンとの他愛無いが自由奔放に流れる会話が続き、これがこの本を読む愉しみの7割がたを占めている。例えば、

「ホットでゴージャスな女があなたの思いつくかぎりのこと、思いつかないいくつかのことまでした挙句、姿を消すなんて、これ以上素敵なこともない」
「いや、あるよ。明け方四時ごろになって、彼女がピザに変わるとか」
「アンチョビは抜いてね」

理想の女がピザに変わるという御伽噺の変形が、突然アンチョビを入れる入れないというピザの好みの話にすり変わっていく自由度満点のお話しの展開に身を任せる安楽感だったり、

「経済学者のソースティン・ヴェブレンが誇示的消費についてなんて書いたか思い出してごらんよ」
「なんて書いたのの?」
「きみが思い出すと思ったんだけど」

という自分で振っておいて回収できないままの落語的なオチのないままのグダグダ続いていく話もこれまた一興。

「ワーグナーを途中であきらめたからって、その人を責めることはできない」
「そうかな。マーク・トウェインは、ワーグナーの曲は思ったほど悪くないと言ってるけど」
「それってミック・ジャガーがバリー・マニロウのことを言ったセリフだと思ってた」

作者が勝手に作ったセリフだと分かっちゃいるが、あまりのくだらなさゆえにかえって新鮮に聞こえてしまう。

それだけではない。エレベーターが上に上がっていく様を

「5、60メートル天国に近づいてから」
と形容してみたり、口から火を噴きそうなほど辛い料理を食べ終わった後で、

「ふたりとも満足感と唐辛子のせいで発光していたのではないだろうか」
と言ってみたりする表現の自由さ。無駄な表現なのだろうが、読み手の頭の中にイメージが湧きおこしてくれることは間違いなく、こんな刺激を受けたくて、このシリーズを読むことを愉しみにしているのです。

『泥棒はスプーンを数える』は、シリーズ第12作目。自分が営む古書店にスミスと名乗る男がやってくる。ボタンに関するものを蒐集しており、どうしても欲しい蒐集品をバーニイに盗み出してほしいと持ち掛けることでお話しが始まる。もちろん、スミスは偽名で、やがては自分のことをバートン・バートン5世と名乗るが、これもまた偽名。結局、スミス氏はバーニイを裏切って、欲しいものだけ手に入れて金を払わない。それを見越していたバーニイは、彼が別の犯罪に係わっている(金持ち老女の家に侵入して、ボタンに関係する絵を盗んでいる)ことを見抜き、これを暴く。バーニイが関わった死体は、結局は死んだ老女の子供たちが共謀して行った殺人であることも一緒に暴かれる。普通とは異なるのは、話が込み入りすぎているので検察も立件することなく、すべては「金で買える最も優秀な刑事」のレイ・カーシュマンの懐が豊かになる、という通常の勧善懲悪モノではありえない結末となること。Socially Correctではないものの、こんな結末が許せてしまう”ゆるさ”がこのシリーズの持ち味でもある。

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『泥棒は深夜に徘徊する』の中にこんな台詞がありました。

「わたしと寝たら死ぬわよ、それだけの値打ちはあるけど」
こんな女に会ってみたい。

「さっきの男は自分のことを天が寄越した贈り物みたいに思ってて、わたしがそう思わないことが信じられなかったみたい。」
これは相手の男を誉めているわけではないが、言ったのはもちろん「寝たら死ぬくらい」の女でした。
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