お愉しみはココからだ!!

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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

「ややこしい主義ですこと」「ややこしい世界だからね」

2005年11月19日 | パルプ小説を愉しむ
ロス・トーマスの物語は実に面白い。何と言っても登場人物がとっても魅力的で、読んでいるだけで自分が一ランクの人間になったかのように思えてしまう。

金の受け取りに紙幣枚数を数える主人公チャプ・ダンジーに対して金を運んできた女が訊く時の台詞。

「ご要望どおりの額がはいっていなかった場合はどうします」
「入ってるさ」
「じゃあ、まぜたしかめるんですか」
「今やっておかないと、あとで後悔するかもしれんし、そのときでは遅すぎるからだ」
「ややこしい主義ですこと」
「ややこしい世界だからね」


自分を捕えた犯罪グループがもう一つのテロリストグループの小屋を無理やりに襲わされる時に自分を捕えたリーダーに向かって言う。月が煌々と輝く夜のこと。

「月の手配までしてくれたのか」
「いや、しかし、天候の手配はしておいた」


こんな余裕の遣り取りが何の気なくできるのが洒落た大人というもんか。

『モルディダ・マン』とは賄賂をばら撒く人という意味だという。チャプ・ダンジーは金と魅力をばら撒いて他人に影響力を大いに及ぼす。その行動は人の一歩も二歩も先を行くほどに頭が鋭い。人も騙すが、それでいて正直でもある。チャプ・ダンジーによると名前も国籍も職業もすべて生身の人間に貼られたラベルでしかないと言う。

「きみたちならテロリストという呼び方をすると思っていた」
「私はダンジー、アメリカ人です。あなたは村ベト、イスラム教徒で、たまたまリビア国民となったアラブ人の一人でいらっしゃる。どちらもラベルですよ」


ロス・トーマスのお話は、どろどろとした人間関係は無縁の世界だ。世のしがらみに囚われずに一人の人間として仕事を全うする仕事人たち。時には道を誤った人間、自分の信念から国や組織の大義に身を捧げる人間。彼らはすべて受身ではなくあくまでも自分の責任で選択した道を選んだ男達であり、そこに潔ぎよさがある。その上に、しゃくなほどに洒落た会話のできる伊達男たち。やくざ映画を見終わった後は目つきが悪くなるように、ロス・トーマスを読んだ後は一端の仕事人になったような気になる。

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「アイスティーを一杯もらえれば、人類への信頼を回復するのに役立つかもしれんな」

2005年11月13日 | パルプ小説を愉しむ
ジャネット・イヴァノビッチは私の大好きな作家で、ステファニー・プラムがハチャメチャな活躍をするシリーズは大の好物です。ごくごく普通の人物を装いながら、やることなすこと決して普通の人間では出来ないぶっ飛んでいる内容、それがこの作家が得意とするコメディーです。

この『気分はフルハウス』は、バウンティーハンターのステフは出てきません。38歳のドジな主婦ビリーが、気まぐれから習おうとしていたポロのレッスンで、教師である大金持ちのプレイボーイと恋に落ちて結婚するという、イヴァノビッチにすればごくごく平凡で普通の庶民が主役な真っ当な筋立てなのです。もちろん途中にはイヴァノビッチならではの山あり谷あり、そして尋常ではない人々のとんでもない行動あり。

ステフものではステフのおばあちゃんが、とんでもない変人ぶりを愉しませてくれるが、ここではプレイボーイ教師の従姉妹がそれ。婚約している相手がプロレスラーで、パーティー大好きセレブ。喋ることが世間離れしていてとんでもないものの、性格は良くて可愛らしい。イヴァノビッチはこんな女をわざと登場させて、話を複雑にしつつおもしろくさせるのが得意なんだと知りつつも、ついつい手にはまってしまう。

離婚経験のある平凡な38歳の2児の主婦が、恋愛の駆け引きに長けた大金持ちのプレイボーイの心を射止めてしまう。決して背伸びをしない平凡な生活がもつ心温かい力が何よりも力を持つのだが、平凡という設定の人物たちは決して平凡でも只者でもないのがイヴァノビッチ作品。ステフに代わって、ビリーが庶民パワーを満開にさせて愉しませてくれました。
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「まるでマークス・ア・ロットの極太サインペンで描いたように見える」

2005年11月06日 | パルプ小説を愉しむ
髪の毛が薄いことを形容した文章の一つです。丸々全文はこうです。
「さずかな髪にグリースをたっぷりつけて額からうしろに梳かしつけてあるのが、まるでマークス・ア・ロットの極太サインペンで描いたように見える」

『ビッグ・レッド・テキーラ』(リック・リオーダン)の主人公トーレス・ナバーは昔の恋人からの電話が切っ掛けで、生まれ故郷のサン・アントニオに戻ってきた。保安官をしていた自分の父親が眼前で射殺された直後に去ってから10年が経つ故郷に。高校時代の友人たち、父親の仕事仲間、地元のギャングや野心的な政治家、そして元恋人とその元婚約者と両親たち。父親を射殺した黒幕を暴きに掛かる。

このトーレスは私立探偵でもなく、単なる法律事務所の調査員でしかないのだが、自慢の太極拳が無法者たちを見事にやっつけてくれる。話の合間に「太極拳を1時間ほどやると頭も体もがすっきりしてきた」と言った合いの手や太極拳についての解説が入ることで、スーパーマン的な人物像がイメージされてくる。中々うまい手だよ、リオーダン君。だけどもストーリーはちょっと込み入りすぎだよ。あれこれと関係やネタの出し方をねじ繰り回している内に複雑にしてしまったようだ。謎解きとしてはいいかもしれないが、読んでいて人が絡まりすぎている。シンプルにするともっと良くなると思うのだが。尤もアンソニー賞とシェイマス賞をダブル受賞したくらいだから読み応えある作品だったが。

元恋人の師で今や彼女にたかって生きている写真家を評した台詞。
A&Mで助教授をしていたときから現在にいたるまでの最近の作品は、もしアンセル・アダムスがテキーラをしこたま飲んでカメラを何度も落としたら、こんな写真を撮るだろうというものだった。
たっぷりの皮肉を上品さで包むことで洒落てはいるが、相手を貶める台詞になっているね。こんな台詞が日々の会話の中で使えるような奴は、頭の良さは認めるがきっと鼻持ちならない奴だろうと思ってしまうね。


ところで、髪の毛に関して全く別のお話の中にこんな台詞があったのも思い出しました。
「彼は頭髪を失いかけており、そのような人々がよくやるように残った髪をま横になでつけていた。分け目の位置は腋の下あたりだ」
中曽根元首相や竹村健一の頭がまっさきに思い浮かびましたね。
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マグロの解体ショー

2005年11月05日 | My Diary


近所をウォーキング中に、「まぐろ解体実演販売」なる張り紙を隣駅で見つけたので、ジム帰りに寄ってきました。菊名西口の寿司屋横の路上で60kgの本マグロを切り分けて集まった人々に売っていました。60kgというとほぼ私と同じくらいの重さ。体長は1mちょっとで胴回りは腕を廻して十分に抱えられる程度の大きさ。TVのグルメ番組で見せるような上物マグロよりも一回り小さそう。


切り分けたサクを見るとTVで観て想像したほど鮮明な赤色ではなく、くすんだ暗赤色。大きな切り身を一つ試食させてもらったが、とりたてて美味というわけでもなかったなぁ。でも、そこは雰囲気がなせる技なのか、次々にサクが売れていく。100g当たり赤味400円、中トロ600円、大トロ900円という値付けは高いのか安いのか不明なので、いつもは買えないパーツを買うことにしてしばし待つと頭の部分の解体が始まった。頭の部分を切り開いて中の肉を指でほじくってパックに一盛りするので、すかさずに値段を聞くと千円と言う。これを買った直後に頬肉と目玉が出てきたのでこれまた500円で買いました。


今夜の夕食は豪華なマグロ丼となり、家族それぞれ好みが別れました。
(a) 頭の部分の肉は、大トロにも似たとろけそうな食感で甘味あり。私と配偶者はこれに一票
(b) 頬肉はコリコリした食感が楽しめる。照り焼きにするのが良いと薦められたのですが刺身の方が美味しかった。長女はこれに一票。
(c) 目玉は大根と煮込むと良いと購入時に薦められたのでそのとおりにすると、なんと目の周りのゼラチン質が良質な脂身のような食感で美味でした。目の裏側に付いてたごく少量の赤味肉も刺身で試しましたが、濃厚な中落ちといった感じ。長男はこれに一票を入れました。

いつも買っているスーパーのマグロよりも格段に美味しいという点は、家族皆で一致した見解でした。
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