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好きなことを好きなだけ楽しみたい欲張り人間の雑記帖

『名画の言い分』おまけ  木村泰司著

2018年06月08日 | 読書雑感
絵画を単に観るだけではつまらない、薀蓄をいっぱしに語れるようになりたい!そんな浅はかな気持ちで本書を読んでみると、それはもう知らなかったことだらけ。現代アート誕生以前の西洋絵画にはメッセージを伝えるという確たる目的があり、そこには明確な意図があったということから始まり、キリスト教伝道だけではなく王権確立のために芸術がどのように用いられてきたか、そして描く対象によって古典美術には格の違いがあったこと等々、今までは単純に「これ雰囲気がいいから好き」とか「ちょっと好みじゃないね」といった程度の見方は正しい鑑賞方法でないことがよく理解できました。それでも、西洋に暮らしておらず異なるバックボーンを持つ我々日本人にとって、身にしみこんだ歴史観含めて、欧米人と同じレベルの知識と教養を求められるのは辛いよね。歴史や描かれた当時の政治経済そして社会状況まで知った上での鑑賞方法はメインストリームとしてあることは反対しないが、これだけが芸術の正しい愉しみ方と一方的に規定されてしまっては適わない。描き方が変遷したように、鑑賞方法も変遷してもよいのではないだろうか? なぜ、日本人である我々は、彼らの土俵で戦うことを求められるのだろうか?我々のバックボーンを土台として独自の土俵に立って、自己主張をするべきではないだろうか? そんな疑問も読みながら生まれてきた。

そう言っても、著者の木村氏が教わった視点として歴史の中での位置づけという見方をしれたことは有意義だった。歴史の中での位置づけには2通りの位置づけがあって、①一人の画家として生き抜いていく間に、描き方や描く対象が次第に変わっていったはずだが、鑑賞する対象がその画家の作品群の中でどのように位置づけられるのか、という視点と、②古代から現代までの長い芸術の歴史の中で、その画家や作品がどのような役割を担い、どのような美術史上の意味合いを持っているのか、という視点の2つ。本来ならばルネサンス美術に関する記述がもっと多いではずであろうという素人の期待とは全く違って、ネーデルランド地域の絵画や画家を多く取り上げていることに驚いたことは前に記載したとおりだが、これも西洋美術史を学問として学んだがゆえに、②の歴史的視点における重要度を重く見ているのだと分かった。

代表的な画家の一人であるヤン・ファン・エイク(15世紀に活躍)が油絵具の技法を完成させたという西洋美術上の大名誉を獲得できる成果を上げていることも、この地域の重要性を上げる一因でもあったわけで、彼の後に続くネーデルランド地域の画家たちの活躍で、独特の透明感をもつ緻密な描写がネーデルランド絵画の特徴にまでなったこと、そしてその結果、絵画がこの地域の重要な輸出品にまでなっていたという事実は、経済とは決して繋げて考えることをしなかった私の美術理解に新鮮な視野をもたらしてくれた。(でも、よく考えればそうだよね。ハリウッド映画は米国の主たる産業だもん)

そうは言っても、このブログを書きながら気がついたことがある。プロテスタントはカトリックへの対抗上聖像崇拝を禁止したために、ドイツでは絵画が発展せずに音楽に芸術パワーが向いたという説明がある一方、カルヴァン派プロテスタントの国オランダでは、風景画や静物画、風俗画といったジャンルの絵画が発展したという、似たように宗派であっても影響が異なり、違った結果が見られたことに対する説明がなかったことだ。そもそも、ドイツには絵画を愉しむという土台がなかったのが根本原因なんじゃないだろうか??

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最後に、絵画見栄っ張り講座の総まとめとして、「オルセーよりもルーブルの方が合っているよ」と嘘でも言う必要があるとのことを忘れないようにしよう。なぜなら、絵画の中でも最も格が高いとされた歴史画が多く収められているのがルーブル博物館で、オルセー美術館には19世紀以降の市民階級のニーズに合わせて描かれた絵画が多い。そのため、ルーブル美術館の収蔵品の鑑賞には、この本で学んだように知識や教養、理性が必要と看做されているからだ。お茶やお花にお作法があるように、西洋美術鑑賞にもそれなりのお作法があるようだ。
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『名画の言い分』第8章 木村泰司著

2018年06月08日 | 読書雑感
いよいよ最終章となる第8章では、印象派が取り上げられる。

印象派が誕生した時代は、フランス革命からナポレオン帝政、そして普仏戦争時、パリコミューンといった激動の1世紀を経て、市民社会の成熟期を迎えていた時代。特に、パリコミューンに参加した印象派画家もおり、体制に対する批判的精神が旺盛であった彼らは、従来のアカデミズムに反旗を翻した。具体的には、画にとって重要なのは主題なのではなく表現方法であるとすることによって古典美術と決別し、その結果モダンアートの扉がこじ開けられた訳で、それゆえに印象派が特別な存在となっている。

「天使は見たことがないから描かない」と言ったクールベこそが、モダンアートの扉をこじ開けた画家であり、芸術アカデミーに反抗して初めて個展を開いたチャレンジャーであり、その精神を引き継いだエドゥアール・マネは3次元のイリュージュンを作り出すのではなく、絵は絵として画家独自の表現方法を生み出すことでお印象派への道づけをした存在。そんなマネ自身は印象派と同一視されるのを嫌ったらしい。

睡蓮の画で有名なクロ-ド・モネは、生涯印象主義の技法を追及し、刻々と移ろう光と色を描き続けた画家。かれの作品『印象、日の出』から印象派という名前が付いたんだそうだ。モネが用いた画法が色彩分割法。色素の3元素で習ったように、色を混ぜていくと黒になってしまうので、絵具を混ぜることなく筆触を細かく分割して描くことで、見る人の目の中で絵具が混じることによって効果をあげるという手法のこと。確かに、モネの作品である睡蓮の画を近くで見ても、異なる絵具が重なるように塗ってあるだけで、モノの形は見えてこないが、離れたところから画をいると、あら不思議、ちゃんと形になっていることを実際に目にした経験があるので、この手法はよく分かった。

ルノワールは人生の喜びにフォーカスすることで、『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』のような人生の苦悩などには見向きもせずに都市の風俗や市民生活のワンシーンを楽しげに描いたし、エドガー・ドガは歴史画を捨ててパリの市民生活にテーマを求めた。ドガは正規の美術教育を受けていたそうで、それゆえにデッサン力に優れ、構成に優れた作品が多いだけではなく、一瞬を捉える手法にもたけていた。一瞬を切り取って永遠化する手法は、浮世絵と写真の影響を受けているらしい。『プリマ・バレリーナ』は、まさに一瞬を素早く切り取っている画だよね。

マネが1982年にレジオン・ドヌール勲章を受章すると、印象派は美術運動における前衛ではなくなるとともに、技法や美学に限界が感じられるようになったために1886年以降の画家たちは後期印象派と呼ばれるようになる、セザンヌやゴッホ、ゴーギャンがこれに属するが、この後期印象派には多様性があって決して一つのスタイルにまとまっていない。確かに、ゴッホトゴーギャンは全くの別物だよね。

印象派が登場したお陰で、その後に登場した画家たちの絵画は著しく多様化し、現代美術の時代が幕開けすることになった。そういった美術史上の意義からしても、印象派というのはとても重要な存在であったことがよく理解でしました。
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『名画の言い分』第6章と第7章 木村泰司著

2018年06月07日 | 読書雑感
第6章はオランダ絵画の魅力について。この本は、フランドル地域の絵画についての説明がやけに多い。レンブラントやフェルメール、ヤン・ファン・エイクは知ってはいたが、西洋絵画の歴史の中では重要度が高かったんだね。知らなかった。

木村氏がこの地域が重要だと考える歴史的背景として、絶対君主制からいち早く脱して市民を中心とする近代国家を樹立したこと。これにより、一般市民をマーケットとする絵画が発展している。一般市民、即ち商人や船乗り、農民たちは、王侯貴族と異なって神話の世界がどうのこうのなどとは言っておられず、現実の生活に直面しているため、現実の人生の喜びを描いた絵画に対するニーズが高かった。そのために、ジャンルとして静物画や風景画、風俗画が多く描かれ、しかも王侯貴族のような超特権階級が画家に特別発注するオートクチュールではなくて、画家が予め描いた絵の中から好みのものを選ぶと言うプレタポルテのような仕組みが出来上がった。現在のような絵画の流通システムはオランダで誕生したという点で、画期的だったんだね。しかも、17世紀のオランダにとって絵画は重要な輸出品だったのだそうだ。美術と言えば、フランスと思ってしまうのだが、これは以外だった。

オランダで発達した絵画のジャンルとして風俗画があるが、これは市井の人々の生活のワンシーンを描いたもの。生活のワンシーンを切り取ったものであっても、カルヴァン主義プロテスタントとして敬虔な信者であった彼ららしく、宗教的なメッセージが込められている。例えば、ヤン・ステーンの『陽気な酒飲み』のように飲酒や楽器を弾いているシーンは性的なものの象徴で悪徳、ヘラルト・テル・ボルフの『林檎を剝く女』のように子育てや家事に勤しむ女性が描かれたものはキリスト教的な女性の美徳を表現している。

また、同時代の他の欧州諸国の絵画では見られないも特徴として、フェルメールの『女主人と召使』のようにオランダの風俗画には女性が手紙を書いたり読書をしているシーンがよく登場する。このことから、当時のオランダの教育水準が高かったことが分かり、このような絵画の観方のあることも新しい発見でした。

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続く第7章は風景画の変遷に関してです。タイトルが「エデンの園からの解放」と名づけているところが憎いよね。

そもそも、中世におけるキリスト教では、この世の『創造物は天地創造の中でも最低のレベルであったものが、15世紀の神秘主義の台頭により、この世のすべてが神の創造物であり神の精神が反映されている、と考えが変わってくる。これにより、中世絵画の中でも概念の世界しか描かれなかったものが、目の前に広がる世界を正確に観察して描く写実的な絵が生まれるようになった。15世紀にレマン湖を描いた『奇跡の漁り』(コンラート・ヴィッツ)は、聖書の中の物語に拠ったものだが、特定の風景を背景として大きく描いた初めての絵画。オランダでは風景画の人気が高まり、ヤン・フォン・ホイエンが描いた『二本の樫のある風景』などは、オランダ独特の微妙な空の表情と水蒸気をたっぷりと含んだ空気感を見事に描き出している。18世紀のイギリスとイタリアにもこの流れは伝播し、イングリッシュ・ガーデンが完成したのもこの時期。そして19世紀のフランスに影響を与え、自然観察を是とするカミューユ・コロー(『』)やバルビゾン派、外光派などが登場した。外光派の中心人物であったウジェーヌ・ブータンの『トルーヴィルの浜辺』は海景画というジャンルを産んだだけではなく、印象派の直接的な先駆者と見られている。
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『名画の言い分』第5章 木村泰司著

2018年06月07日 | 読書雑感
第5章の内容はグッと変わって、天使とキューピッドの違いについての講義です。

キューピッドは古代ギリシャ時代の神々の一人で、性愛の神様エロスの英語名。キューピッドは愛と美の女神ヴィーナスの息子とされていて、広く知られているように愛の標的を射る弓と矢を携えている。元々は少年または青年の姿で現されていたのだが、17世紀のバロックやロココの時代頃から、ぐっと幼い姿になっていった。絵画の主題になるほどの存在ではないが、絵画のテーマが愛であることを分からせるために使われていた。

非常に似通った存在として、弓矢を持たない裸の有翼の子供が描かれていることもあるが、これはプットー(複数形はプッティ)と呼ばれる存在で、さまざまな妖精を擬人化したものらしい。リューベンスの『愛の園』のようにバロック時代には画面が大型化したため、空きスペースを埋めるために重宝されたそうだ。弓と矢がないのがプッティーとはいっても、ヴィーナスと一緒に描かれたものは、たとえ弓と矢を携えていなくてもキューピッドとなる。なぜなら、ヴィーナスの息子だから。お約束事ですよね。

一方、天使とは、本来は肉体を持たず姿や形やサイズが決まってはいないが、地上にいる際には物質化して人間のように見える存在とされている。神様の意志を人間に伝えるためにメッセンジャーが天使たちの役割で、キリスト教だけでなくイスラム教やユダヤ教にも現れる。そして、上級天使、中級天使、下級天使と全部で9等級のランク付けがあって、私でも知っているガブリエルやミカエル、ラファエルは、大天使と呼ばれる下から2番目の下級天使でしかないんだってさ。天使さんの世界も我等サラリーマン同様にヒエラルキーがうるさいんだね。昇格とか降格とかあったのかね。ルシファーという名前の堕天使がいることは知っているが、これもヒエラルキー間の移動なのだろうか?もし、そうなら、サラリーマンとしてルシファーさんに同情申し上げるよ。第1位の天使は、セラフィム(熾天使)と言う名前で純粋な光と思考の存在なんだって。どんなものか、ちっとも想像できないね。面白いのは、悪魔の侵入を阻止するために悪魔の軍勢と対峙する役割の天使が、パワーズ(能天使)として第6位のランキングされている。さっきも書いたように、上級になればなるほど見えない存在になるので、画面上に描く時には、頭部に翼がついた存在であったり、時には6枚の翼だけで描かれることもあるんだって。『ケルビムのいる聖母子』(ケルビムは第2位の天使で智天使)の天使などは、不気味な存在でしかなく、勘弁して欲しいね。

つまり、天使は神の使いであるため、キリスト教と関係がある。聖母子の直ぐそばにいる人物は、天使。普通の人間が聖母子のそばにお近づきになれる訳がないからだね。

このように、翼があるからといって、神話を主題にしている画を見て、「この天使が~~」とは口が裂けても言ってはいけないし、教会に飾られている画の中の有翼の姿をみて「このキューピッドがね~~」などと頓珍漢なことを言ってしまうと、無教養の田舎モン(我々は異教徒ですが...)と失笑を買ってしまうことが分かりました。

絵画を観て教養高いジェントルマンを気取ろうとしている以上、これは大切な知識でありました。
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『名画の言い分』第4章  木村泰司著

2018年06月05日 | 読書雑感
昨日に引き続き西洋美術の世界へ。第4章は、1章丸まる使って肖像画というジャンルについて教えてくれる。

肖像画のルーツは、古代ギリシャ・ローマ時代のコイン。皇帝を初めとして、偉業を成し遂げた人たちの顔がコインに彫られ、彫刻でも多くの肖像、彫像が彫られたが、中世キリスト教社会での神万能という時代に肖像が廃れてしまう。再び人間中心となるルネサンス期から肖像画も再生してくる、という流行廃りの歴史があった。再生した肖像に描かれるのは、もちろん時の権力者。よって、肖像画の一つの観方として、そこに描かれる権力者たちが何をメッセージとして伝えているのか、どんな人間だったのかなどを画から読み取れるのが肖像画の愉しみ方の一つだという。まさに、肖像画は画でありながら伝記とも言えるのですね。そんな肖像画も、市民階級の台頭や家族感の変化を背景として、一般人に広がっていく。ごく一部の超リッチ層からスタートし、次第に中下流に降りていく段階で、ブランドが大儲けするという商売の基本ルール図式がここにも現れている。

15世紀にフランドルで活躍したヤン・ファン・エイクが肖像画の開拓者と呼ばれる人物で、この人描いた『アルノルフィニ夫妻の肖像』は前に観たことがある。奥方は初々しくて可愛いのだが、男の顔が正直言って不気味で気味悪い。きっと男の家族がとんでもなく金持ちで、カネに明かして美人を娶ったことを自慢げに描いた画だろう、程度に思っていた。この画の中でも、前章で説明のあった「象徴」が多く描かれているのだという。例えば、足元の犬は結婚のシンボル、窓下のオレンジは一人が清いまま結婚したこと、新婦の後ろにある赤いベッドは二人が本物の夫婦であること、天井から下がるシャンデリアの蝋燭(1本のみ)は結婚の象徴であり、また火が灯っていることは神が結婚の証人(神は光だから)であることを表しているんだそうだ。

フランドルで生まれた4分の3正面像の肖像画文化が、欧州各国に広がっていく。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』にしても、4分の3正面像が採用されている。フランスでも、フランソワ1世の時代に文化的遅れを必死で取り戻そうとしていた。ローマ教皇に冷遇されていた晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチを招いたのもフランソワ1世だし(それゆえに『モナ・リザ』はフランスにある)、イタリア美術とフランス貴族趣味、フランドル人の芸術家たちの影響が融合しあってうまれたのがフォンテーヌブロー派と呼ばれる流派。時は16世紀前後。そんなフォンテーヌブロー派を代表するのが、肖像画『フランソワ1世』。

そんなフランソワ1世のライバルの一人だったのが英国王のヘンリー8世。妻をとっかえひっかえし、その挙句に英国国教会を始めた、かの有名人。英国国教会もプロテスタントなので、聖像崇拝は禁じられていたのだが、あえて真正面を向いた肖像画『ヘンリー8世』を描かせることで「英国でイッチ偉いのは、俺だぜ」というトランプ大統領なみの宣言をしている。そんなお騒がせ俺様キャラのヘンリー8世の後に続いたのが、メアリ1世、そしてエリザベス1世への繋がる。ヴァージン・クイーンと呼ばれる彼女だが、この呼称は生涯独身であったからだけではなく、マリア様にかけて自らが偶像になることによって、カトリックとプロテスタントというややこしい宗教問題の調和を図ろうとしたのだという。また、何枚もの肖像画が残されているが、この画にも皺が描かれておらず、やはり女性としての見栄があったのではないだろうか、と木村氏は推測されていますです。

さて、再度フランスに戻って画の発達を見てみると、すでに確立されたいた独自の優美様式、スレンダーでS字曲線を描く人物が美しいという美意識が画にも表されてくる。フォンテーヌブロー派の『狩の女神ディアナ』は、フランソワ1世の息子のアンリ2世の愛妾だった女性で貴婦人が古代の『女神や神話の登場人物に扮する肖像画のハシリになったもの。中々、フランスらしいエロさで良いですね。

その後、ブルボン王朝が始まり、太陽王ルイ14世の時代には、王立絵画彫刻アカデミーなるものが誕生し、事もあろうかこの機関で何が美しいのか、何が格が高いのかを正式に決めたのだという。個人の感性などというものは一寸足りと言えども、入り込む余地がなかったんだね。この時代を代表する画家が二コラ・プーサンで、『サビニの女たちの略奪』の主題には絶対王権が確立途中にあったフランスにおいて「国のためには多少の人民の犠牲は必要なのだ」という政治的メッセージも読み取れるのだと言う。

そして、18世紀のベルサイユ宮殿の時代。ルイ15世の公妾であったポンバドゥール夫人の肖像画がメッセージとして伝えているものは、彼女の強烈な自尊心。"公妾"という存在ではあったが、政治的な力もあったらしい。なにせ、国王ルイ15世が禁じた百科辞典の発禁処分を覆したのも彼女の力なのだとか。単に美しい女性というだけではなく、頭もよかったらしく、そのことが彼女の肖像画の中で書物や手紙という存在をとおしてしっかりとメッセージ発信されている。そして、ブルボン王朝最後の女王マリー・アントワネットも、国民の間での不人気を挽回するために、子供たちに囲まれた愛すべき存在をアピールする肖像画を残したが、時はすでに遅く、革命によって断頭台の露と消える運命であった。メッセージの送り時を間違えたんだな。メッセージはよくても、タイミングを逸すると商機を逃してしまう。「時代が早かったんだ」というのが、能力のないマーケターの強がりであり言い訳なのだが、まさにその言葉がピタリと当て嵌まっていて可愛そう。

一方、欧州の雄、17世紀のイギリスでも肖像画が独自の進化を遂げている。アンソニー・ヴァン・ダイクがこの時代を象徴する画家で、彼は依頼者であるモデルたち(=時の権力者たち)のイメージ戦略を巧みにやってのけた。生真面目だが風采の上がらない国王チャールズ1世のために描いた画では、国王の近寄りがたい存在感を醸し出し(確かに、画上でみるこの男にはカリスマ性とか、オーラとかいったものが全く存在しないね)、7代目ダービー伯爵の肖像画『第7代目ダービー伯爵と夫人と娘』では、伯爵が持つ地所をバックに、夫人の出所(ブルボン家とオランダ建国の立役者の血筋)をしっかりと描いている。モデルが描いて欲しいと求める地位や心理状態を巧みに画の中に再現することで、うぬぼれや自尊心を上手く擽っていたんだね。この手法が18世紀イギリスの肖像画の基礎になっていくのだという。やはり、イギリス人は自惚れ屋でいけ好かない奴等だね。
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『名画の言い分』第2章と第3章  木村泰司著

2018年06月04日 | 読書雑感
第2章はルネサンス時代のフィレンツェに話が跳ぶ。11世紀から13世紀にかけて行われた十字軍遠征に協力した結果、イタリアの都市は大いなる繁栄を手にすることができ、裕福な市民階級が台頭してくる。裕福になると、人間は神頼みを止めて人生を謳歌するようになる。そこで、同じように人間中心だったギリシャ・ローマ時代に興味を持つに至る。結果、こ難しい宗教絵画よりも、愛と美を愛でるギリシャ・ローマ時代の美術や学問が再生(リナーシタ)してくる。このムーブメントが「ルネサンス(文芸復興主義)」と後々の世で呼ばれることになるが、当時の人たちはあくまでもキリスト教徒であることから抜け出せないために、「キリスト教人文主義」という範囲で古代の文明・文化を再生していた。

キリスト教人文主義を象徴する作品の一つとして、ボッティチェリの『プリマヴェーラ(春)』なる作品が取り上げられる。ここに登場するのはキリスト教とは関係のない異端の神々のオンパレードでとても美しいのだが、キリスト人文主義的には、左端のヘルメス(伝達の神)が伝令の杖で頭上の雲を払っている仕草が「人間の愛なんて神様の愛に比べらたらこの程度さ」とイエス様の愛を讃えた絵画となっているのだと木村氏は言う。そうなのかもしれないが、私としては当時に時代を「マンジャーレ、カンターレ、アモーレ」として愉しんでいた人たちが、うるさいお上に表面的に従う素振りを見せるために考え出したエクスキューズとして宗教画に込められた象徴を逆利用していたとしか思えないのです。

そして究極の言い訳が「ギリシャ・ローマの時代は、イエス様がお生まれになる前に時代なので、仕方がないよね。でも偉大な文化のルーツであることには変わりがないよね」という考え方であろう。これを地で言ったのが、人文主義者で政治家だったレオナルド・プルーニさん。この人のお墓『レオナルド・プルーニの墓』には、当時には例がない詩が書かれている他、ギリシャ・ローマの異端の女神や天使が書かれているとか。

特にフィレンツェは商人と職人が多く、父親が家の近くで仕事をしていたために、家族という意識も強くなり、聖家族という画として現れてきた。それまではイエスの父親のヨセフは軽んじられていたが、きちんと聖家族として描かれるようになったんだとか。良かったね、ヨセフのお父さん。ミケランジェロの『聖家族』が有名だが、背景については上段のようなエクスキューズがあるらしい。つまり、後方の裸体男性は異端の時代を表し、画面を横切る溝のような線によって異端の時代からキリストの時代に移行している時代を表現しているという説があるとのこと。命と引き換えに芸術に身を捧げた人たちが、精一杯考えた言い訳が涙ぐましい。

この時代に、かの有名はミケランジェロやダ・ビンチ、ラファエロなどが登場することで、芸術価値はうなぎ上りに上がっていった訳だが、その結果として以前はたんなる画家だった人たちがゲージツ家として認められ、作品を制作するのではなくクリエイトするようにお成り遊ばした。自尊心や自意識が高まることで、肖像画という絵画ジャンルが誕生し、裕福な中産階級の人々の間にも広まっていくことで、絵画のマーケットが拡大していくことに貢献したのがルネサンスの影響の一つなのだそうだ。

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第3章では、ルネサンスの影響が飛び火したネーデルランドでの絵画の発展のお話が繰り広げられる。時代を追いながら、欧州各地を廻って美術の変化・変容を説明してくれているところは、一種の絵巻物のようでもある。各国でのムーブメントがばらばらにではなく、連携してお互いに影響を与えながら変化・発展している様は、とても分かりやすく、しかも頭が良くなった感じがする。木村さん、ありがとう。

力をつけたネーデルランドの中産階級の人たちが、美術界マーケットに新市場を作り出していく過程で、王侯貴族のような古典教養、キリスト教知識がない彼らは自分たちが理解できるような美術を求めるようになる。「お客様は神様」を地で行くようなニーズ汲み取り型マーケティングとでも言うべきか。彼らが理解できるように、この世のあらゆる事物のディテールを写実的に描く絵画が、油絵の具の使用法の進化とともに誕生したのがこの時代。もちろん、キリスト教会が絶対の力を持っていた時代なので、様々なものに意味を持たせる=象徴を用いて、世俗的な空間を聖なる空間に仕立て上げると言う、隠されたシンポリズム(象徴主義)というテクニックが使われた。例えば、『メロードの祭壇画』なる作品に描かれている空間は市民階級(画の発注者であり、お客であり=神様だったわけ)の家の一室なのだが、このことを「不埒な輩め」と言わさないように、卓上の白百合はマリア様の純潔を、消えたばかりの蝋燭は神がマリア様の胎内に移ったことを、描かれている花はマリア様の純潔だったり慈愛だったりを現すなど、色々な象徴を込める工夫が込められているのだそうだ。「一般ピープルのお家に聖なる家族を描く」ことが不謹慎にならないように工夫する必要があるなんて、なんとメンドくさい時代だったんだ。

ディテールが緻密に描かれるようになったもう一つの理由は、すべては神様の創造物であるという考え方。文盲が多かった庶民に対して、キリストの教えを伝える手段として祭壇画や宗教画に描かれた世界が使われたわけ。つまりは、絵画や教会建築は伝道のためのメディアだったんだね。

時代が進んで16世紀になると、宗教革命が始まる。聖書と対話することのみを通して人間は救済されると説くプロテスタントは、聖書に権威をもたせるべくカトリック的な聖像崇拝や絵画に対して批判的であった。そのため、ルターの宗教改革が力を持ったドイツでは絵画が発展せずに、音楽に芸術パワーが向けられたのだそうだ。

ネーデルランドといえばカルヴィン。ルターと並んで世界史にも登場する宗教改革の西横綱によるプロテスタントが浸透していくことで、宗教美術が破壊され、画家たちが向かった先に、風俗画や風景画、静物画といったジャンルが生まれてきた。当初は支配階級だったカトリックの面々の顔も立てつつ、聖書の物語が描かれていると解釈できるような工夫がなされていたらしい。『肉屋の店先』という作品は、文字通りに肉屋店頭を描いた静物画であるとともに、放蕩息子の帰還やエジプトへの逃避といった聖書の物語をとおして聖書的な道徳教訓が示されているのだそうだ。描き手のピーテル・アールツセンさん、よほど頭を捻りながらこの画を描いたに違いない。

こうした時代を経て、富と力を得た一般市民が美術のパトロンになり、絵画が一般人の家庭の中に入り込んでいった。一般市民はプロテスタントなので、質素ではあるが満ち足りた豊かな生活を写す鏡という立ち位置に絵画が変貌していったのがこの時代。代表的のものが静物画であり、特にオランダではカルヴィアン主義の影響により、人生の儚さや脆さ、現世の快楽や贅沢にたいする節度や勤勉を説いた”ヴァニスタ”という象徴性の強い絵画が誕生したのだそうだ。ヤン・デ・へーム作の『花瓶の花』を題材に、この画に描かれた人生の儚さを木村氏は解説してくれるが、得てして絵図らが暗~くなってしまうこの手の説教臭い美術は苦手だな。人間、正直に分相応に生きていればお天道様がしっかり見ていてくださる、といった江戸時代の長屋を舞台にした人情落語は好きだが、ヴァニスタという説教臭い画は好きになれない。何しろ、辛気臭すぎて愉しめない。

ここまでが第2章と第3章。続いて第4章の肖像画の発展の歴史に繋がるのだが、今日は疲れたのでこの辺りでお仕舞い。
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『名画の言い分』第1章  木村泰司著

2018年06月03日 | 読書雑感
絵画を観るのは好きだが、絵画のどこをどのように観たら良いのかを知りたかった。単に、自分の感覚で、「この展覧会の中で一番好きなものを選ぶとするとこれだな!」的な、確たる理由もなく自分の気ままな感覚のみで絵画を観ている段階から脱却して、知性と教養としての絵画鑑賞の仕方を身につけたかった。

そんな中、『世界のビジネスエリートが見につける教養西洋美術史』なる本があることを知って図書館で探したが、なんと132人目の予約待ち。それでは、ということで手に取った本がこの著書『名画の言い分』。著者の木村泰司氏は、『世界のビジネスエリートが見につける教養西洋美術史』の著者でもあった。なんとラッキー。この木村泰司さん、写真で拝見するにスキンヘッドの強面で、とても美術の専門家には見えないのだが、書く文章はとてもやさしく分かりやすい。講演会やイベントもこなしているようだが、説明が上手いことは本を読んで分かる。

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木村氏がこの本の冒頭いきなり教えてくれたことは、西洋文明自体が「人間の感性はあてにならない。理性的でなければ」ということからスタートしている以上、近世以前の西洋美術は感性で見るのでは不十分で、作品に込められたメッセージや意図を正確に読み解かないと、美術を味わうことができないのだと言う。言ってくれるね。グサッと核心に切り込んでくる潔さが心地よい。作品に内在するメッセージや意図を読み解くためには、その時代の歴史や政治経済、宗教観、思想や社会背景までも理解することが不可欠で、そのために西洋美術史という学問が存在するのだと言う。確かにそうだよね。「私はこれが好き」「俺はこっち!」とか言っているだけでは、学問として成立しないもんね。美術史という学問が成立していること自体を深く考えていなかった。そこで、初心者の我々のために(強面だが)心優しい木村氏は、8章立てで親切丁寧に西洋美術について、色々と教えてくれる。

第1章は、古代ギリシャから始まる。西洋文明は哲学を初めとして、古代ギリシャに行き着くことは常であるが、美術の世界も同様。なぜに古代ギリシャが西洋文明発祥なのかと言うと、それ以前の文明はすべて神様が牛耳っていた世界。雨が振っても、雷が鳴っても、それは神様の仕業だったのだが、ギリシャの時代からは、人間が理性というものを持ち出し、世の中の出来事を理性によって理解し解説するようになった。古代ギリシャ時代の美術は、アルカイック時代、クラシック時代、ヘレニズム時代の3つに大きく分けることができるが、アルカイック時代の彫刻はそれ以前のものと異なり、”丸彫り彫刻”というものが作られた。人間が髪の御わざゆえではなく、自分の力で立つようになったのだと言う。このアルカイック時代は、理想の美を捜し求めていた時代で、それが完成したのが次のクラシック時代。男の裸体表現、女性が着る衣装の豊かなドレープが理想的な美として完成し、現在に至るまでの一つの美の典型となっている。『幼児ディオニュソスを抱くヘルメス』を題材に使って、そこに描かれるギリシャ神話の世界を解説してくれる。逆に言うと、作品の背景となっているギリシャ神話を知っていて初めて、この作品の意図が理解でき、その上で作品を味わったり愉しんだりすることができる。それが西洋美術の見方なのだと教えてくれる。

ヘレニズム時代は、私も知っている。かの有名はアレクザンダー大王が帝国を築くことで、東西の文明が融合した時代。その後のローマの時代も含めてヘレニズム時代と呼ばれるが、この時代には美のあり様が理想美の追求から変わって、見る者の気分を高揚させるような感覚に訴えるドラマチックな表現に変わってくる。他民族との交流により、ギリシャ人だけの理想美が通じなくなり、多くの民族が見ても分かるように感覚に訴える表現に変わってきたらしい。それでも、ギリシャ時代とローマ時代とでは彫刻の表現が異なり、「ギリシャはモデルエージェンシー、ローマはタレント事務所」だと木村氏は分かりやすく教えてくれる。つまり、ギリシャの彫刻は理想美の追求、それに比べてローマの彫刻は先祖崇拝の役割があったため、それと皇帝が自分たちの存在を一般ピープルに知らしめるために、本人に似せて作る必要があったため。モデルエージェンシーとタレント事務所の喩え、とても味のある言い方だよね。木村さんが講演やイベントに呼ばれる理由が分かるってもんだ。

時代が進み、キリスト教がローマ帝国の宗教になった時代の彫刻『コンスタンティヌス帝』の視線が上を向いているのは、現世では皇帝が一番偉いが、自分の上には神様がいるんだぞ、ということを表現しているんだって!!そんなことも理解した上でこの作品を観ることが本当の美術鑑賞なのだそうだ。そして、ビザンティン帝国の時代の美術は、のっぺりとした平面的な描かれ方をするようになる。これは、ギリシャ・ローマ時代の神ではないことを明らかにすること、そして、罪深い人間のように3次元の姿ではなく二次元の世界で聖なる存在を表現するようになったためなのだそうだ。単に、画の描き方が下手になったのではなくて、宗教美術独特の意味や決まりごとがあるのだそうだ。

時代が更に進んで、封建領主が各地に存在して力を持っていた12世紀の時代に、フランス王権を強化するために意図的に作られたのがゴシック様式。娯楽など何もない時代に、キリスト教ミサを庶民にとって一大エンターテイメントに仕上げて「教会はまさしく神の家」と宗教心を煽るために、神々しい宗教音楽やステンドグラス、そして金銀細工やモザイクを多様したゴシック様式の教会を作り、これにより王の存在をアピールしたのだそうだ。まるで電通さまがクライアントに提案するイメージ戦略の先行例がゴシック様式だったんだね。パリやランスのノートルダム(”私たちの貴婦人”という意味でマリア様のことを意味する)寺院建立は政治的キャンペーンとしてフランス王家から資金が出たのだそうだ。教会の中では、キリストの教えを文盲の庶民に分からせるように、彫刻や美術品が視覚戦略を担っていたんだ。この時代の美術品を鑑賞するためには、そういったことも教養として知っておく必要があると本書は教えてくれる。

長くなるので今日は第1章まで。続きは今度。

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にじいろガーデン  小川糸著

2018年06月03日 | 読書雑感
小川糸の小説はこれで4冊目。今回の登場人物は2組の親子。年代が離れた母親同士が、レズビアンの関係で愛し合っている。この2人とそれぞれの子供を併せて計4人が、それぞれの立場で語ることで物語が進んでいくという、中々凝った演出が考えられている。

いつものことながら、小川糸の小説は読んでいるとホッコリとした気持ちに浸れる。登場人物が皆、良い人ばかり。世の中は、こんな純粋で無垢な人間ばかりを集めて純粋培養した世界ではない!とは思いつつも、読み出すと心が温かくなって、独自のワールドに入り込んで幸せな気持ちになってしまっている自分がいる。

エンディングは、悲劇。1人が癌で死に、直後に子供のうちの一人が交通事故でこん睡状態のままでお話が終わる。悲しいエンディングのはずなんだが、残された2人の互いにいたわりあいつつ前向きに生きていこうという気持ちのお陰で、メソメソした気分にならずに、逆にとても微笑ましい気持ちで最後まで読み通せた。

文体は、子供の作文のように文章と文章とが滑らかにつながっておらず、ゴツゴツした肌触りだなぁ、と感じてしまう。これは、生きるのが上手ではない登場人物らしさを醸し出すための計算なのかもしれないが、短い文章が切れ切れに繋がって物語が進んでいくことで、独特な感覚に包まれてしまう、とても不思議な感じがする文体だった。

それでも、今までに読んだ他の小説と同様に、女性らしい感覚が溢れている台詞や、独特な比喩表現があちこちに見られ、これが小川糸を読もうと思わせる動力になっているんだな。

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夕陽が最後の力を絞りだすように、辺りを目いっぱいの明るさで照らしている。
夕方が夜にすり替わるまでのほんの短い黄昏タイムを、草原のベンチに腰掛け味わっていた。
夕陽が「最後の力を搾り出す」とか夕方が夜に「すり替わる」なんて言い方は普通では出てこない。こういった通常では組み合わせない単語を平気で組み合わせることで、描かれる風景がビビッドに頭の中で映像化されるとともに、夢見る少女ちっくなワールドが広がってきて、おじさんは新鮮な感覚に絡めとられることになってしまうだろうな。

実際には十日ぶりでも、まるで地球を一周して戻ってきたかのように、果てしなく長い時間の隔たりを実感する。
私は、その数日間に一生分の涙を流した。
なに、この大袈裟な表現は?? でも、実感が200%伝わって来る大胆な喩えです。女性が口にするから活きてくるのであって、男の、しかもおじさんたちの口から出てくる比喩では決してないよ。女性作家の、しかも若い女性作家ならでは特権だよね。

もし僕の人生を紀元前と紀元後に分けるなら、間違いなくこの日が境目だったと思う
この表現には驚いた。人生のターニングポイントとか転換点、節目とかは良く使われる言葉だけれど、「紀元前・後」に人生の出来事を表現するという自由かつ大胆不敵な発想が素晴らしい。

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