何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

外科医 須磨久善

2010-10-02 19:09:15 | Book Reviews
「外科医 須磨久善」 海堂尊・著、講談社、2009年7月22日

p.26 あらゆる事態を想定すると、その考えはたいてい悲観的なものになっていく。しかし、そうしたネガティヴ・イメージ・トレーニングを行うことで、すべての事象を自分の想定内の世界に封じ込めることができる。すると次第に須磨のイメージは、ポジティヴな方向へ変わっていく。

p.34 新しいものを生み出そうとする人間には、使命感がつきまとう。そこに勢いとパワーが伴走する。それがなければギャンブルはできない。

p.42 技術の向上にゴールはない。
 どんな小さなことでもいいから、次の手術のための新たな課題は、いつも胸の中に温めておくのだと須磨は言う。そうした積み重ねが手術手段の進歩につながり、外科医自身の成長になる。

p.51 患者の幸福のためにリスクを冒し難手術に挑戦しようとするような、蛮勇を持ち合わせた外科医は存外少ない。そんな無謀なチャレンジにトライするのは、何が何でもハイ・クオリティなものを患者に提供したいという使命感にあふれる医師だ。
 「ただし、そんな医師は周囲からは変わり者と評価されますね」と須磨は笑う。

p.76 独創性をもって歩み続ける須磨に、一部の上司や同僚からの評価はなかなかに厳しい。足並みを揃えないわがままなヤツ、と評されることもある。だが須磨は、その評価を受容する。

p.77 それにしても、須磨の生き様はどうしてブレないのだろう。
 それは、須磨が初心を忘れないから、なのかもしれない。須磨が医師になった理由は実に単純だ。人に喜んでもらい、かつ自分も幸せになるための手段として、医師という職業はベストだと思った。それが減点で、須磨は実はそこから一歩も外に出てはいない。

p.80 須磨にとって、みんなと手をつないで仲良くしてばかりいることはできない相談なのだ。群を飛び出せばしっぺ返しをくらうとわかっているが、須磨の原点は、谷間の向こうで苦しんでいる人を助けてあげたい、そして助けたら喜んでもらいたい、というものだ。それは須磨のプライオリティなので、仕方がないことだ。

p.81 須磨の話を聞いていると、その視線はアカデミズムの小世界などでなく、一般市民が属する社会を常に意識しているのだとわかる。

p.99 有用な人間は、先取的な努力をすることで作られていくんです。

p.185 心臓外科医はアスリート。大切なのは気力です。目が見えなくなったから、手が震えるようになったから降りる、ではなく、その手前でたぶんチャレンジング・スピリットがなくなってくるでしょう。そういう受け身の姿勢で、及び腰で手術に向かっていると自覚した時が、私が外科医をやめる時になるでしょう。

p.198 本物の外科医は背中で語る。それができなければ一流の外科医とは言えない。

p.204 一人前になるんは地獄を見なければならない。だけどそれでは所詮二流です。一流になるには、地獄を知り、その上で地獄を忘れなくてはなりません。地獄に引きずられているようではまだまだ未熟ですね。

p.205-6 超一流は突然出現する。そういう人材を育てるにはどうすればいいのか。そうした問いに対し、須磨はシンプルに答えた。「本物を見るのが一番いいでしょう」。
 本物かどうか知ることが一番大切なのです。本物に触れるための方法のひとつは古典に触れることだ。古典として残ったものは、間違いなく本物だ。

p.206 自分のこころが引き込まれたら、自分にとっての本物です。ふつうの人はそうした瞬間を見過ごしてしまう。本物と出会った瞬間、誰でも、ああ、これかもしれないと思うはず。自分の感覚を大切にしようという気持ちさえあれば、本物が蓄積されていくはずです。

p.208 ところで須磨はなぜ、本物を必要とするのだろうか。
 おそらくそれは須磨自身が救いを求めているからだと思う。ふつうの人間ならば、救いは周囲の人間に求めることが多いだろう。だが、須磨が進む道は先達のいない未知の領域だ。そこでは既存のアドバイザーはいない。そうすると須磨は自分自身の中に救いを求めていくしかない。
 それが自問自答を繰り返すという、須磨の基本スタイルにつながってういく。その道標として必要なのが、本物という存在だ。その本物に自分自身の考えをぶつける。
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