何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

ますます遺族を怒らせることを、どう思っているのだろうか

2006-07-31 18:28:39 | よくわからないこと
パロマ事故報告書に遺族の怒り「反省しているのか」 (読売新聞) - goo ニュース

-----転載ここから
 自社製の瞬間湯沸かし器による一連の一酸化炭素(CO)中毒事故に関し、31日、パロマ工業が経済産業省に提出した調査報告書。

 焦点の不正改造問題では、「修理業者への周知徹底を図った」などとこれまでの対応を正当化する内容が目立ち、制御装置の不具合に関しても、「構造的欠陥ではない」と強調した。全容解明には程遠い内容に、遺族からは「何をどう反省しているのか分からない」などと不満の声が相次いだ。

 経産省への報告後、パロマ東京支社(東京都港区)で記者会見に臨んだ小林敏宏・パロマ工業社長(68)は、冒頭、約20秒間にわたって頭を下げた。

 「この度の事件では、亡くなられた方々に衷心よりおわび申し上げます」。険しい表情で語り、さらに約15秒間、頭を下げた。
-----転載ここまで

 JR西日本に続いて、パロマも遺族の心情を踏みにじるような行動をとったようだ。自社品に関連して、死者が出たのだから、亡くなられたかたには冥福を祈るようなことは“一応”言う。
 しかし営業活動は適切であり、結果的に死者が出たとはいえ、パロマにとっても避けがたい不運が重なったような態度だ。事故の原因は機械でなく、それを扱う者や会社にあり、「人災」であるとする遺族とは大きな隔たりだ。
 湯沸かし器による事故だから、責任は免れないとはいえ、ずさんさや悪質さはなかったと言わんばかりである。

 どうしてそのような「改造」が行われたのか、原因追求をしていけば、その遠因こそ主因であるということでも、認識が違うようだ。表面的な理由を前面に出すパロマと、そこに至った背景にも及んで原因追求されるべきだとする被害者。

 パロマだって、もし自分が被害者の立場になってみれば、遺族の怒りが理解できそうなのに、どうしたことだろう。
 そういえば、遺族の下には一族の社長が出向かず、副社長が出向いていた。やむをえない理由があったのだろうが(報道ではそこが見えなかったが)、これも解せない。

 まだまだパロマの余波は続きそうな気配だ。また程度や原因の認識に、これほどのズレがあるのは、わざと視点や争点をすり替えてずらしているようにも思えた。これ以上、言い争ってもムダのように思わせる、そういった背景にはメスを入れさせない・・・、もしそうだとしたら、悲しいというか、姑息な事故処理方法だ 
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甘い処分がかえって感情を逆なでする

2006-07-31 13:22:48 | JR西に学べ
JR西脱線 元幹部3人、引責3カ月後天下り 遺族から強い反発 (産経新聞) - goo ニュース

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 兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で引責辞任しながら、今年6月にグループ関連会社役員に就任したJR西日本の元幹部3人が、昨年8月には既に別の関連会社の非常勤顧問に就任していたことが分かった。引責辞任から3カ月余りで実質的な「天下り」をしていた形。前相談役の井手正敬氏(71)も、同時期に関連会社の顧問に就任していたことが発覚しており、遺族は「あまりに非常識」と反発を強めている。

 遺族や負傷者を対象に大阪市内で30日開いた報告会で、JR西の山崎正夫社長が明らかにした。

 新たな「天下り」が発覚したのは、当時鉄道本部長だった徳岡研三氏(59)と総合企画本部長の坂田正行氏(57)、大阪支社長の橋本光人氏(53)。徳岡、坂田両氏は昨年6月の株主総会で事故の引責で辞任。橋本氏は、事故車両に乗っていた大阪支社の運転士2人が負傷者の救助を行わずに現場を離れていたことや、事故当日に別の職員らがボウリング大会を開いていた責任などを取って同年5月に辞任した。

 今年6月、徳岡氏は「レールテック」社長、坂田氏は「西日本ジェイアールバス」社長、橋本氏は「ジェイアールサービスネット金沢」専務にといずれもグループ関連会社役員に就任。山崎社長は「昨年の退任で大きな責任をとっている」とし、「本人の資質、能力を勘案した(配置)」と説明していた。

 しかし、この日の説明会で3人とも辞任から2、3カ月後の昨年8月には、非常勤顧問という形ながら、既に別会社に“天下り”していたことが判明。報告会では、これについて「既に責任はとっている」などと理由を繰り返した。
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 直接の加害者ではないとはいえ、形式上のけじめで許されるような立場とは思えず、しかも引き続き要職について高い身分にいるのは、一生、身内を失ってその悲しみや苦しみを負って生きていかなければいけない遺族にとっては、納得がしがたい。
 当時の職位を辞すれば、それで「十分な」責任を取っているといえるのだろうか。単なる異動(配置転換)か、場合によっては昇進のようにさえ映る。相当の降格、厳重な処分が行われたようには感じられない。環境の変化はあったとはいえ、高給を受け続けていけるのだから、処分は生ぬるいように見えるのも当然だろう。

 どのようなあり方が適切かどうかは、被害者の納得のいく形でとしか言いようがない。突然の引き起こされた一生背負う苦しみのレベルが、同一であるべき、と考えるのだろうか。

 生徒の起こした不祥事に対して高校野球の監督が取りうる責任や、自らの不始末に対する芸能人の償いの重さに比べて、あれほどに多くの人命が失われたことに対する社会的なバランス感覚は、そのままJR西の体質と言えるのかもしれない。ちなみにワールドカップで頭突き退場のジダンは罰金のほか、3試合分の「社会的奉仕」である。
 過失について裁判に問いきれない自主性、自律性に、その組織のモラルが現れるようだ  
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