きょう業務改善指示 欠陥放置、トヨタ社長謝罪
〈前略〉 国交省ではユーザーやディーラーから寄せられた不具合情報が社内で共有されておらずリコールの遅れにつながった恐れがあるとして、社内の連携を強化し、再発防止策の提出を求める。
82件の不具合情報のうち国交省が特に問題視しているのは、問題の部品を改良した平成8年までに見つかった5件の折損報告。これは、ディーラーからリコールの判断材料となる「市場技術情報」としてトヨタの品質保証部に情報が上がっていた。
だが、同部ではこのうち4件はハンドルを停止状態で目いっぱい切る「据え切り」をした状態で起きたとして、「特異なケース」とみて原因調査の対象から排除していた。 (産経新聞) - 7月21日8時2分更新
クレームは、寄せられたほうとしては気持ちのいいものではないが、その相手が
・以前からしばしば折り合いがうまくいっていない
・スタッフと波長が合わない
ような場合、クレーマーのような者だろうと、その相手を一種の性格異常か変わり者扱いして、相手の主張を意味のないものとしてとらえ、さらに結局は金銭目当てではないか、ゆすりが目的じゃないか、むしろ被害者はそんな「異質な者から」クレームを言われたこちらではないかと、いつのまにか迷惑を受けているのはサービス提供側であるかのように、逆転したような発想になっていることすらある。
たくさんの相手(顧客)と接する中には、確かに本当に難癖をつけなきゃ、生きていけないように思える人がいないわけじゃない(これも既にバイアスが入った見方かもしれないが)。
しかし相手が“少数派”の者だからと決めつけて、クレームそのものが既に意味の薄いものだと、本質を軽視・無視して、訴えは無効だなどと、改善をしなかったら、やがて大事故につながるかもしれない、ということは真摯に受け止めておかねばならないだろう。
相手はクレーマーだ、という見切りの早い“診断”は、危険だということだ。
副作用もそうだ。1例目は、まさか、そんなことは聞いたことがない、そうじゃないとは断定できないまでも、たぶん違うのではないかと、「特異なケース」扱いしがちなのではないだろうか。
確かに副作用でない可能性が高い、という思いが強いのだろうが、ひょっとしたら本当に副作用かもしれない、という思いもかたや一方に置いて、常に検証する目でその後の様子にあたっていかねばならないだろう。
その後、類似例が見られた時に、ビビビっと「以前もこういうことがあった!」と、気づいて、早期に手を打てるかどうかだろう。
担当者が「これは怪しい」と訴えても、判断権限のあるものが、それを握り潰そうとするかもしれない。そんなセンスの者を、要職につけてはならないし、つけてしまったとしたらすぐに解くとともに、任命した者にも責任をとってもらわねばなるまい。
1人に判断権限を持たせるのではなく、安全管理には、判断能力のある者を複数人揃えて、冷静かつ適切な判断ができるようにしておくと、組織にとっても、利用者にとっても好ましいことだろう
〈前略〉 国交省ではユーザーやディーラーから寄せられた不具合情報が社内で共有されておらずリコールの遅れにつながった恐れがあるとして、社内の連携を強化し、再発防止策の提出を求める。
82件の不具合情報のうち国交省が特に問題視しているのは、問題の部品を改良した平成8年までに見つかった5件の折損報告。これは、ディーラーからリコールの判断材料となる「市場技術情報」としてトヨタの品質保証部に情報が上がっていた。
だが、同部ではこのうち4件はハンドルを停止状態で目いっぱい切る「据え切り」をした状態で起きたとして、「特異なケース」とみて原因調査の対象から排除していた。 (産経新聞) - 7月21日8時2分更新
クレームは、寄せられたほうとしては気持ちのいいものではないが、その相手が
・以前からしばしば折り合いがうまくいっていない
・スタッフと波長が合わない
ような場合、クレーマーのような者だろうと、その相手を一種の性格異常か変わり者扱いして、相手の主張を意味のないものとしてとらえ、さらに結局は金銭目当てではないか、ゆすりが目的じゃないか、むしろ被害者はそんな「異質な者から」クレームを言われたこちらではないかと、いつのまにか迷惑を受けているのはサービス提供側であるかのように、逆転したような発想になっていることすらある。
たくさんの相手(顧客)と接する中には、確かに本当に難癖をつけなきゃ、生きていけないように思える人がいないわけじゃない(これも既にバイアスが入った見方かもしれないが)。
しかし相手が“少数派”の者だからと決めつけて、クレームそのものが既に意味の薄いものだと、本質を軽視・無視して、訴えは無効だなどと、改善をしなかったら、やがて大事故につながるかもしれない、ということは真摯に受け止めておかねばならないだろう。
相手はクレーマーだ、という見切りの早い“診断”は、危険だということだ。
副作用もそうだ。1例目は、まさか、そんなことは聞いたことがない、そうじゃないとは断定できないまでも、たぶん違うのではないかと、「特異なケース」扱いしがちなのではないだろうか。
確かに副作用でない可能性が高い、という思いが強いのだろうが、ひょっとしたら本当に副作用かもしれない、という思いもかたや一方に置いて、常に検証する目でその後の様子にあたっていかねばならないだろう。
その後、類似例が見られた時に、ビビビっと「以前もこういうことがあった!」と、気づいて、早期に手を打てるかどうかだろう。
担当者が「これは怪しい」と訴えても、判断権限のあるものが、それを握り潰そうとするかもしれない。そんなセンスの者を、要職につけてはならないし、つけてしまったとしたらすぐに解くとともに、任命した者にも責任をとってもらわねばなるまい。
1人に判断権限を持たせるのではなく、安全管理には、判断能力のある者を複数人揃えて、冷静かつ適切な判断ができるようにしておくと、組織にとっても、利用者にとっても好ましいことだろう