Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

手抜き放送(誉め言葉)の展開

2024-10-18 19:02:12 | 交通
神姫バスのいい意味での手抜きによる多言語対応について述べましたが、同じスタイルは地方部のJR西日本でも実施されていますね。
まあ日本語オンリーの車内放送に英語を追加しました、という神姫バスと違い、当初から2ヶ国語対応ですが、いかにもの取って付けた感は一緒です。

JRWの場合は、日本語と同じで駅名を読み上げると、英語バージョンで「Station」と入り、「●●駅」を明確にしています。{Bus Stop」と入れても微妙なので停留所名で終わる神姫バスよりは丁寧ですが、ボイスもトーンも違う「Station」が入り、しかもそれで終わりだと逆に違和感がありまくりです。
共通化している旧北陸線の三セク各社もそのまま踏襲している格好ですが、自動放送がないあいの風の413系は車掌が英語までこなすという忙しさです。

そうそう、全くの余談ですが、湖西線の車内案内で「和邇」が「和迩」になっているんですよね。駅前の道路案内も「和迩駅」となっており、分かりやすさ優先なんでしょう。
新潟の「潟」を年配の方を中心にさんずいに「写」と略字で書く人がいますが、必ずしも旧字体を略した新字体というわけでもないんですよね。塩竃に対する塩竃というような異体字でもないです。(竃は釜の旧字体ではない。塩を旧字体の鹽で書くと鹽竈神社の正式名称になる)
近い漢字に吐き下しを意味する「瀉」がありますが、「潟」のつくり全部がうかんむりの中に入っており、なぜわかんむりとなる「写」にしたのか。「しゃ」という音が一致しますから、それで代用としたのか。それはさておき、駅名を略字にしてしまうのは珍しいですね。略しようが無くてかな書きになってしまった常磐線の「大甕」(地名は大みか)は、501系以来略さずに表記していますが、なんとも窮屈です。



平成の大合併も一因

2024-10-17 22:29:36 | 交通
芸備線の再構築協議会ではよしんばバス転換されてもJR西日本が関与するとか国が関与するとか他力本願の小田原評定が続いているようです。
なんか本末転倒というか枝葉末節というか、考えるべきこと、目的がまずありきでないというのが情けないですね。

公共交通をどうやって維持するのか。それ以上でもそれ以下でもないのに、その議論がまずあるべきはずなのに、そこがないのです。
バス転換となれば現在補完関係にあるとされるバス路線を巻き込んだ再編が必要です。最近の転換事例では地域のコミュニティ輸送を含めた再編で公共交通の最適化を図っており、同じ県北の三江線もそうでしたが、芸備線はどうなのか。となると関与させるのはJR西日本ではなく備北バスではないのか。あるいは庄原市西城地区の廃止代替バスを運行する地場のバス(タクシー)会社もありますが、備北中心に再編し、そこに支援をすべきではないのか。現状の廃止代替バスの路線は、芸備線をバス転換したら相当区間が被るわけで、廃止代替バスがカバーしていた集落の経由便とか、延伸とかで効率が図れないか。

当然同様の超閑散路線である木次線も同じ手法になります。広島県側は廃止代替バスがカバーしていますし、島根県側も路線バスが来ている。県境乗り換えはさすがにお役所仕事だから島根県側の片乗り入れに、広島県側の廃止代替バスを重ねる格好か。
芸備線の協議対象が庄原以東になっているから離れ小島ですが、福塩(北)線もそう。ここは吉舎以北で被る中国バスの関与でしょう。世羅、三次、府中、庄原の公共交通をどうするのか。まあ公共交通に対して一家言ある親会社がいるわりには、そうした「大きな話」が出てこないんですけどね。このあたりは事業者は公共の支援、あわよくば運行を受託して損しない商売へのシフト狙いが見え見えですから、その意味ではお互い押し付け合って、あるべき議論が全くお留守です。

余談ですが、地方ローカルバスの急速な縮小や消滅は、平成の大合併による自治体の巨大化もあるでしょうね。
「一国一城の主」じゃないですが、ひとつの自治体であればそれなりに外部との流動もあるわけです。県庁との行き来もあるでしょうし。県庁との間となるとそれなりに距離がありますから、もらい事故もありますから安全面で職員に運転させるというのは出来れば避けたいところ。そうした需要に支えられて中小自治体の役場所在地と最寄り駅(バス拠点)の間を結ぶローカルバスが成立していました。

これが広域合併で旧役場は「支所」になってしまい、市町村内の一部署に過ぎない存在になったわけです。住民サービスなどは合併後も新しい(存続する)自治体の基準で継続されますから「支所」はその拠点として機能しますが、外部との行き来は確実に減ります。県庁への往来はまず消えるわけで、市役所本所との行き来も市町村レベルであれば距離も短くリスクも低いということで公用車を使うケースも多いでしょう。遠距離に公用車を使うと事故リスクもさることながら、限られた公用車を「移動時間」が拘束するわけで、効率的でないということもあります。

そうなるとバス路線の存在意義は無くなるわけで、コミュニティ路線をワゴン車で設定するとか、それも毎日や平日全部ではなくなります。
市内はそうした限定的な交通機関がきめ細かくなりますが、地域にとっての最小限のモビリティであり、路線バスとしては存続が出来ない状態になります。
そうみえるのも、広島県北の場合、県境を越えた島根県や鳥取県側には県境を越えて走るコミュニティ路線も少なくなく、実際に高速バスとの連携などの交通拠点である松江道の高野インター(道の駅たかの)までの路線があります。逆に三次エリアでは備北バスが県境を越えて飯南町まで伸びていますが、結局は自治体中心との連絡ということでしょう。

中小自治体が残っていた時代は「順路」だった鉄道駅方面のルートも、広域合併による自治体から見たら「街外れ」に向かうわけで、そうしたことも「つながらない」バス路線が増えた原因でしょうね。道路網整備により幹線筋が変わったことも大きいですが、高山市なんかは荘川、清見と合併して高山との行き来は確保されていますが、荘川は郡上や白川郷との行き来が出来なくなっています。(かつては岐阜、大阪への高速バスが停車していましたが通過になっています)
まあ一方でこれは特殊な事例ですが、白川郷、五箇山の世界遺産登録で、これまで通年1本、季節運行1本だけだった白川郷から五箇山経由で金沢、高岡方面に向かうバスが、まさかの一般路線バスの「世界遺産バス」として城端、高岡から大増発となっており、何かきっかけがあれば流動もバスも復活することもあると言えます。



減車に補助席廃止といかに座らせないかという腐心

2024-10-17 22:28:06 | 交通
電車の座席定員減少が全国的なトレンドですが、JR西日本の地方線区用電車のなし崩し的な減少も大概です。
227系や521系がドア間転クロで、車端部ロング、そして中扉部は補助席付で登場していますが、227系は500番台の「Urara」でドア間を1列削減して正座席が8席減っています。トイレ付先頭車だと正座席が2割の減少とひどい話ですが、115系の置き換えではかなりのケースで減車もセットになっているようです。

223系以来の補助席による座席確保ですが、これも空手形になりつつあり、ワンマン運転用として機器を設置することで端部寄りの扉脇の補助席が消えました。これで4席減少です。さらに521系では七尾線など駅にIC改札機を置かない駅用に車側にICカードリーダーを置くことになり、中扉も使うためここにも置いて片方の補助いすが消えました。これでさらに4席減です。

まあ227系や521系はバリアフリートイレのサイズが適正なのが救いで、機械室も合わせて6席くらい減らしてしまうケースと比べるとまだマシでしょう。車端部におさまっており、バリアフリートイレでないケースとの差はありません。

なお広島地区の227系はそれまでの115系が4連だったところ、3連や4連も出ますが、一方で5連や6連が設定されるため、これが日中にあたるとかえって快適です。
一方で岡山地区は正座席減少から入りながら、両数は115系と一緒の3連か4連が大半であり、4連も2連×2のため運転台部分が無駄に多く座席も少ないです。
北陸の521系はもともと急行型3連だったのが2連でしたが、詰め込みが過ぎたようでけっこう4連が走っており、逆に快適なことも多いです。

あいの風では521系に中間車を増備した3連化を計画しているようですが、JRE仙台地区の701系、さらにはE721系のように4連組が作れないか。そうすればJR九州に導入させて関門地区の置き換えが可能になります。40年選手の415系を使い倒していますが、もう限界でしょうから。接客面でもあんまりですし。唯一交直切替で車内灯が消える車両ですし。



鉄道ありきの政策は成功はするだろうが

2024-10-17 22:26:47 | 交通
ひたちなか海浜鉄道の「快進撃」がとまりません。国営海浜公園を目指した延伸工事もCovid19から「解凍」されます。
一時はキハ20をかき集めたヲタ向け路線を疑いましたが、NDCによる近代化を押し進めており、JREのキハ100系の導入で同一系列3連での運行が可能というところまで持ってきています。ただこれは実は併結が出来ないということを意味しているようでもあり、運用効率化を考えたら全車種混用であって当然なんですが。

現時点で発足当初から5割増し以上の輸送実績の伸びというのは十分すぎる実績でしょう。まあこうなると「電化」を考えてもいいわけで、それこそE531系5連を乗り入れさせる、というような将来像まで描き切れているか。これ以上の輸送量増加はそれが絵空事ではない状況になります。

国営海浜公園輸送については、おそらく成功するでしょう。ただ以前から言っていますが、それは利用者にとって「見えない不便」を強いた結果になります。
要は鉄道と那珂湊市内観光とのコラボを優先した施策であり、各種イベントで名高い公園へのアクセスとしてはベストではないからです。
どのような手段を取っても玄関口は勝田駅になりますが、駅前から海浜公園まで一直線に伸びる4車線道路を活用したBRTこそベストの選択でした。広域交通流動が入り込まないスタンドアロンの4車線道路は明らかに駅とのアクセスを意識したスペックですが、そこを活用しないで四角形の三辺、いや、五角形の四辺を行く鉄道を選択したことは、利用者に無用な時間を費消させるというマイナス面は否めません。冗談抜きで勝田起点で見ると「U」「し」の字型ですからね。

国営海浜公園に関しては首都圏各地から臨時列車が運行されることで知られており、埼玉や多摩からの列車が武蔵野線や貨物線を活用した風変わりなルートで走るため、忖度メディアが1日2日の運転を一大事のように取り上げることもしばしばです。そういう広域需要を考えると、高速バスの出番ともいえますが、公園近辺での渋滞を嫌っているんでしょうか、なぜか設定がないのです。これも公園を縦貫する県道区間にバス専用のハーフICを設けてバスターミナルを設置すれば(勝田駅からの4車線道路から直通する専用道も整備すればなおいいでしょう)、定時性の高い直通交通機関が確保できるんですけどね。

まあ近代化されたとはいえDCで揺られて輸送することを選択したわけで、実は往復で小一時間無駄にしているとは誰も気づかないままに成功するんでしょう。



似て非なる安売り集客

2024-10-16 20:35:39 | ノンジャンル
軽井沢に若者が、というネットの記事がありましたが、栄枯盛衰というか時代は繰り返すというか、1980年代の旧軽銀座とかの様子を思い出しますね。
軽井沢や清里の「低俗化」のなかで、軽井沢は別荘地という軸足を守ることで清里のような衰退を防いだという理解でしたが、また若者をかき集めるという流れになっているようです。まあ全国でインバウンド向けを中心に宿泊施設の再生と言えば聞こえはいいですが、コンセプト化と高級化を進めるグループの本拠でもあり、そこの施策が賞賛されているあたりがお里が知れる記事でしょう。

軽井沢の大衆化はそれこそ1970年代から批判的な意味で言われてきました。当時の国鉄としては異例の「短距離特急」である季節特急「そよかぜ」が設定され、当時の往復運賃料金から「軽井沢五千円族」と呼ばれる日帰り客が急増したのはそのはしりでしょう。
大衆化の主力だったコクドも千ヶ滝の別荘地開発がメインで、ホテルはゴルフ場併設と、大衆化とはいえ一定のレベルを維持していました。その意味では星野温泉も含めて沓掛からの展開であり、旧軽を中心とする「軽井沢」は敷居が高かったのです。一方で「そよかぜ」は大衆化の流れを受けて中軽井沢(沓掛)発着でした。

別荘地はバブルもあって繫栄しましたが、経済力のある世代のリタイアで維持管理コストも負担となって「負動産」となり、そして日本経済の衰退とともに別荘を持つということはステイタスでもなく、違う世界の話になってしまっています。富裕層は住宅地然としたこうした別荘地には手を出しませんし、プリンスホテルも大衆向け高級感、というジャンルが崩壊してしまい低迷期に入りました。その意味では「別荘地」というブランドが持続可能ではないという危機感が「安売り」としての大衆化という約40年前とは異なる展開を真似委しているんでしょうね。

1980年代中盤に発表された中島みゆきのアルバム「36.5℃」に「あたいの夏休み」という曲が収録されていますが、都会の中下流レベルの若者が別荘地に遊びに行き、「ここは別荘地盛り場じゃないのよと、レースのカーテンの陰ささやく声」となるシチュエーションの歌詞が印象的です。明らかに当時の若者が押し寄せた軽井沢をイメージしていますが、それでも3泊するという内容の歌詞があるわけで、日帰り中心の安売りという現状は厳しさを募らせます。
まあ新幹線の開業で東京まで最短61分となった時点で、別荘地としての魅力の一つである非日常性も失われたわけですが、同レベルの時間距離の箱根がしたい著しい熱海と比較してもまだまだ「泊りで行くところ」というイメージを確保できているのを見ると、戦略次第であり将来を決める重大な岐路に立っているのでしょう。

なお「別荘地」というフレーズが似合うエリアというのは国内では限定的といっていいでしょう。異母兄弟の堤兄弟がそれぞれ手掛けた「別荘地」は必ずしも高級路線ではないですが、当時のコンセプトを譲らなかったことでいまもなお魅力を保っていると言えます。もちろん先行きが暗いのも事実ですが、数多の自称「別荘地」が悲惨な状態になっているのと比べると全く違います。特にセゾンが手掛けた八ヶ岳高原のロッジはセゾンの経営思想を色濃く残した格好で、それがゆえに魅力を失っていない格好です。そうしてみると、経営という意味では失敗と断じられますが、歴史の審判には耐えたと言えるでしょう。(全盛期から比較するとサービスレベルは落ちていますが)