酒タバコ肥満撲滅委員会

市民マラソンを楽しみながら、酒とタバコと肥満は嫌いだ、と呟く日常をうだうだと。

友人の訃報

2016-11-27 16:33:14 | Weblog
友人が亡くなりました。
末期ガンだったそうです。
まだお若いのに。
あっという間のことで、お見舞いに行くこともできませんでした。

亡くなってから、その人の存在の大きさに気がつきました。
遅すぎますよね。

訃報は人づてに、ずいぶん遠回りで届きました。
亡くなった方のご家族とは交流がなく、連絡も取れず困りました。
自宅の電話番号は知っていたのですが亡くなったかどうかすら不確実だったので、連絡をためらってしまったのです。

お通夜当日に知人経由で連絡が入り、お通夜とお葬式に参列できました。
家族葬と聞いていたので参列はできないと諦めていたのですが、普通の御葬儀でしたので私たちも参列できました。


ご家族の負担を考えると家族葬という選択肢はよく理解できるのですが、友人としてはわがままですがお別れをしたい気持ちが押さえられません。
他の仲間も同意見でした。
もちろんご家族のお気持ちが優先しますが、それでも当初家族葬と聞いた時にはなんだかショックでした。


お別れをしても、それでもまだ信じられない気持ちです。
お別れができなかったとしたら、もっとモヤモヤした気持ちになっていたでしょう。
葬儀の必要性を考えさせられました。

人の気持ちは簡単に切り替わりません。
それでも葬儀という非日常空間は死というものを具体的に伝えてくれます。


最近は内々で葬儀を済ませることが多くなってきました。
うかつに広めるとさして親しくもない近所の人や仕事関係者などが義理で参列して、後々までその義理が付いてまわって迷惑なのはよく分かります。
私も喪主を務めたことがあるのでよくわかるのですが、難しいところですね。


また、現代的というか、ネット社会ならではの情報伝達についても考えさせられました。

亡くなった方はネット上でのコミュニケーションが好きな方でした。
単にネット上だけのお付き合いに留まらず家族ぐるみの付き合いにまで発展した方も沢山いて、ネットとは親和性が高い方でした。
でもご家族は亡くなったことをネット上では書かないで欲しいと希望されていました。
大切な家族の死という重いものを軽々しくネットに書かないで欲しいという気持ちはよくわかります。
葬儀が必要以上に大規模になるのを避けたい気持ちもあったのでしょう。
でも、その結果としてネット上で悲しみを共有できなかったのは、思った以上に辛かった。



私の周囲の年配者の中には終活をはじめている人もいます。
年配者に限らず自分の人生の終り方について書いておくことは、自分の精神的安定や生きる意味の再確認という効果があり、さらには残された家族や友人への思いやりでもあるのでしょう。
これからの終活の中には、自分の死をネット上で公開するかどうかも指定する時代なんでしょうね。



先日、納骨が終わったそうです。
これで一つの区切りですが、友人を送るというのは辛いです。
年下なので、余計に。
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