ラジオ番組のたまむすびからステッカーが届いていました。
投稿メールが読まれていたようです。
めったにラジオに投稿はしないのですが、なんとなく小ネタを思いついたので2月に投稿してみました。
でも読まれる気配がなかったので途中で聴くのをやめてしまいました。
数週間後にTBSラジオから封筒が届き、手紙とステッカーが入っていて採用されていたことを知りました。
封筒の宛名書きのシールの端に小さく たまむすび ○月○日 と放送日が書いてありました。
向こうの事務処理場の都合でしょうけど、受け取る側としても放送日がわかって助かります。
改めてYoutubeで聴きましたが、自分の投稿が読まれるのは嬉しいものです。
採用されたのは投稿日ではなくボツメール救済コーナーでしたので放送は翌週、補欠合格のようなものですが。
投稿テーマは「そういう世代だよな」、私が書いた内容は「気がついたら内科も歯医者も皮膚科も全ての医者が年下になっていた、還暦オーバーはそういう世代」という内容です。
赤江さんと山里さんがこの話題で盛り上がってくれていたので嬉しかったです。
ラジオは聴くもの、投稿はメール職人さんにお任せして私は聴くだけというスタンスですが、たまに投稿するのも面白いですね。
たまむすびは3月末で11年の歴史に終止符を打ちました。
赤江さんのたっての希望で子育てに注力したいということで、だいぶ慰留されたようですが意思は固かった。
もうすぐ50歳と言っていましたが、まもなく小学生になる子供を育てながら帯番組を続けるのは年齢的にきついでしょう。
出産を機に辞めなかったのが不思議な気がします。
出産後の時期は聴いていなかったのでどんな心境だったのか知りませんが、まだやり残したことがあると思っていたのかな。
TVのワイドショーを辞めてラジオだけに注力したときも、ギャラとか知名度upを考えたらTV一択なのにラジオを取ったので色々と憶測を呼びましたが、やり残したことがラジオの方が多かったという理由だった記憶があります。
番組が終わる理由は成績不振で打ち切りとか、局の方針と内容が合わないとか、スポンサーが付かないとか、喧嘩別れとかの残念なものが多く、最後は愚痴や恨み節が聴こえてきます。
大沢悠里さんのようにご高齢を理由に勇退するケースような幸せなケースは稀です。
赤江さんのように若くして惜しまれながら、本人も感謝しながら終われたのは相当珍しく幸せな終わり方です。
どんな理由でも終わるのはリスナーからすれば残念でしょうけど、まあ理由が理由ですから納得というか諦めはつくはずです。
別に赤江さんが引退するわけじゃないけど、毎日聴けていた声が聴けなくなるのは引退に近い喪失感を持った人も多いのでは。
私はたまに聴く程度で武道館のイベントにも行かなかったのですが、それでも番組終了と聴いた時にはショックだった。
しかし番組終了を発表してからの1週間と、番組終了前の1週間は聴きごたえがありました。
終わり方が特別だったから番組が終わることを楽しくいじれる余地があったので、各曜日すべてが面白かった。
この11年間で最高に面白かった期間かも。
長く続いたラジオ番組が終わるのは、親戚が亡くなるような寂しさを感じます。
法事でしか会わない親戚でも訃報は悲しいし、親しければなおさらです。
しかしキラキラが終わってもう11年も経つんですね。
いまだに小島女子はTBSラジオにはいらっしゃっていないようですが、そりゃそうかな。
投稿メールが読まれていたようです。
めったにラジオに投稿はしないのですが、なんとなく小ネタを思いついたので2月に投稿してみました。
でも読まれる気配がなかったので途中で聴くのをやめてしまいました。
数週間後にTBSラジオから封筒が届き、手紙とステッカーが入っていて採用されていたことを知りました。
封筒の宛名書きのシールの端に小さく たまむすび ○月○日 と放送日が書いてありました。
向こうの事務処理場の都合でしょうけど、受け取る側としても放送日がわかって助かります。
改めてYoutubeで聴きましたが、自分の投稿が読まれるのは嬉しいものです。
採用されたのは投稿日ではなくボツメール救済コーナーでしたので放送は翌週、補欠合格のようなものですが。
投稿テーマは「そういう世代だよな」、私が書いた内容は「気がついたら内科も歯医者も皮膚科も全ての医者が年下になっていた、還暦オーバーはそういう世代」という内容です。
赤江さんと山里さんがこの話題で盛り上がってくれていたので嬉しかったです。
ラジオは聴くもの、投稿はメール職人さんにお任せして私は聴くだけというスタンスですが、たまに投稿するのも面白いですね。
たまむすびは3月末で11年の歴史に終止符を打ちました。
赤江さんのたっての希望で子育てに注力したいということで、だいぶ慰留されたようですが意思は固かった。
もうすぐ50歳と言っていましたが、まもなく小学生になる子供を育てながら帯番組を続けるのは年齢的にきついでしょう。
出産を機に辞めなかったのが不思議な気がします。
出産後の時期は聴いていなかったのでどんな心境だったのか知りませんが、まだやり残したことがあると思っていたのかな。
TVのワイドショーを辞めてラジオだけに注力したときも、ギャラとか知名度upを考えたらTV一択なのにラジオを取ったので色々と憶測を呼びましたが、やり残したことがラジオの方が多かったという理由だった記憶があります。
番組が終わる理由は成績不振で打ち切りとか、局の方針と内容が合わないとか、スポンサーが付かないとか、喧嘩別れとかの残念なものが多く、最後は愚痴や恨み節が聴こえてきます。
大沢悠里さんのようにご高齢を理由に勇退するケースような幸せなケースは稀です。
赤江さんのように若くして惜しまれながら、本人も感謝しながら終われたのは相当珍しく幸せな終わり方です。
どんな理由でも終わるのはリスナーからすれば残念でしょうけど、まあ理由が理由ですから納得というか諦めはつくはずです。
別に赤江さんが引退するわけじゃないけど、毎日聴けていた声が聴けなくなるのは引退に近い喪失感を持った人も多いのでは。
私はたまに聴く程度で武道館のイベントにも行かなかったのですが、それでも番組終了と聴いた時にはショックだった。
しかし番組終了を発表してからの1週間と、番組終了前の1週間は聴きごたえがありました。
終わり方が特別だったから番組が終わることを楽しくいじれる余地があったので、各曜日すべてが面白かった。
この11年間で最高に面白かった期間かも。
長く続いたラジオ番組が終わるのは、親戚が亡くなるような寂しさを感じます。
法事でしか会わない親戚でも訃報は悲しいし、親しければなおさらです。
しかしキラキラが終わってもう11年も経つんですね。
いまだに小島女子はTBSラジオにはいらっしゃっていないようですが、そりゃそうかな。
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