放送大学、日本近世史が終わりました(一周しただけですが)。
世界史にも日本史にも縁がなく、そもそも授業を受けた記憶すらないので、まさか人生の折り返し以降に自ら進んで学ぶ機会があるとは思いませんでした。
他の科目もそうですが、歳を重ねてから学ぶことは記録力などでは不利になるものの総合的な知識量が助けてくれて、思ったよりも楽で楽しいものです。
日本近世史もそうでした。
例えば寺、現代では世襲制の家業的色合いが強いとか、坊さんは肉食妻帯とかは、習わずとも頭に入っています。
なので、中世では違うということだけ覚えればいいのです。
これが中学高校生ぐらいの社会知識しかないと、現代の寺の状態すらしらないかもしれません。
坊さんはストイックな生活をしているものだと思いこんでいるかもしれません。
そうなると、現代のことと中世のことの両方を覚える必要があって、逆に覚えたりする危険もあります。
それなりの歳になれば、あちこち出張や旅行に行ったり、あるいは交際範囲が広がって自分には縁のなかった土地でも多少は身近に感じたりします。
私で言えばマラソンで山口県に行ったり、仕事仲間が千葉の人だったりして、私の生活圏外なのに山口県や千葉県に多少の親近感を感じたりします。
そういった知識や感情は、放送大学で学ぶ上で非常に助けになります。
日本近世史は捨て子問題や火事や地震など、とても身近な例を通して中世の日本を紹介してくれます。
また、いろいろな揉め事、たとえば農民と漁民の対立など、具体例から当時のその地域の生活を浮き彫りにしてくれます。
勉強しているというよりも楽しんでいるうちに、あっという間に最後まで学べました。
当時の家は血縁優先主義とは限らず、家というシステムを継続させるための一つの手段として捨て子を養子縁組することも行われていたということなどは、目からウロコでした。
日本人は昔も今も血の繋がりを重視すると思いこんでいたのですが、大きな間違いだったんですね。
たまたま聴いたラジオでこの科目を放送していて、あまり深く考えずに取った科目でしたが、これもまた試験が終わった後にもう一度勉強しなおしてみたくなる魅力的な科目でした。
世界史にも日本史にも縁がなく、そもそも授業を受けた記憶すらないので、まさか人生の折り返し以降に自ら進んで学ぶ機会があるとは思いませんでした。
他の科目もそうですが、歳を重ねてから学ぶことは記録力などでは不利になるものの総合的な知識量が助けてくれて、思ったよりも楽で楽しいものです。
日本近世史もそうでした。
例えば寺、現代では世襲制の家業的色合いが強いとか、坊さんは肉食妻帯とかは、習わずとも頭に入っています。
なので、中世では違うということだけ覚えればいいのです。
これが中学高校生ぐらいの社会知識しかないと、現代の寺の状態すらしらないかもしれません。
坊さんはストイックな生活をしているものだと思いこんでいるかもしれません。
そうなると、現代のことと中世のことの両方を覚える必要があって、逆に覚えたりする危険もあります。
それなりの歳になれば、あちこち出張や旅行に行ったり、あるいは交際範囲が広がって自分には縁のなかった土地でも多少は身近に感じたりします。
私で言えばマラソンで山口県に行ったり、仕事仲間が千葉の人だったりして、私の生活圏外なのに山口県や千葉県に多少の親近感を感じたりします。
そういった知識や感情は、放送大学で学ぶ上で非常に助けになります。
日本近世史は捨て子問題や火事や地震など、とても身近な例を通して中世の日本を紹介してくれます。
また、いろいろな揉め事、たとえば農民と漁民の対立など、具体例から当時のその地域の生活を浮き彫りにしてくれます。
勉強しているというよりも楽しんでいるうちに、あっという間に最後まで学べました。
当時の家は血縁優先主義とは限らず、家というシステムを継続させるための一つの手段として捨て子を養子縁組することも行われていたということなどは、目からウロコでした。
日本人は昔も今も血の繋がりを重視すると思いこんでいたのですが、大きな間違いだったんですね。
たまたま聴いたラジオでこの科目を放送していて、あまり深く考えずに取った科目でしたが、これもまた試験が終わった後にもう一度勉強しなおしてみたくなる魅力的な科目でした。