日本が目覚ましい経済発展を遂げて、世界の注目を浴びた年代は1990年だの初めまでであった。
実力面では、世界のトップレベルとは言えないが、円安の有利な環境に置かれて、輸出競争力は抜群であった。
対米輸出が好調に発展して、円の為替レートはぐんぐんと上昇して、日本のバブル経済が膨張して、日本人の自尊心が高まっていた。
そのような時期に、気候変動問題が世界の重要問題として浮上し、日本も先進国としての責任を持つべきとの認識になった。
1992年のブラジルでのリオサミットでは、将来に向けて「温室効果ガスの削減行動」を、先進国が率先して約束する流れとなった。
1997年に京都で開催された気候変動締約国会議では、日本が議長国として会議を進行させて、京都議定書をまとめ上げることに貢献した。
この時期には、日本の将来は環境先進国としてのプライドを持って、世界での温室効果ガス削減の先頭に立つ意気込みであった。
しかし、その後の経済停滞と国際的な輸出競争力の低下によって、「京都議定書時代の美しい精神」は、消え失せてしまった
まさに【貧すれば鈍す】の精神的な退廃に直面して、とにかく経済再生第一で、現役世代の利益優先思考に固まってしまった。
次世代が【気候過激化で困る】ことなど、どこかに置き忘れて、『麗しい(令しい)精神』は、喪失してしまったのだ。