1990年代以降の国と労働組合の幹部たちは、バブル崩壊の混乱する経済で、企業を守ることを最優先にしてしまった。
企業経営者や、業界代表の意見ばかり聞くようになって、企業の海外移転を防ぐことや、海外製品との価格競争力にばかり集中した。
肝心の勤労者の収入確保と、将来への希望を育む姿勢は欠落して、企業が業績を守り、収益を伸ばすことばかりに期待をしてきた。
ついに、企業経営者の意識には、国が守ってくれることが経済政策であり、企業が何のために事業をしているのか、見失っていた。
その経営者の意識劣化は、非正規雇用社員の制度の拡充を政府に要求し、できるだけ多くの臨時雇用を作り出してきた。
経営に責任が持てないから、不景気の時には、雇い止めを優先した。
いつでも雇用削減ができる臨時社員にしておき、さらに外注企業(下請け企業)に出して、納入価格を強制的に引き下げていた。
外資系の流行語による「アウトソーシング」に悪乗りをして、社員の育成や将来展望をおろそかにして、見かけの収益を確保した。
次世代の事業となる可能性を追求せずに、確実に利益を出せる合理化、コストダウンだけを、合理的事業経営と勘違いをしてきた。
それらのツケは、勤労者の収入低下の慢性化、少子化、将来への夢をしぼませて、国民生活を貧困の耐乏生活に向かわせてしまった。