4泊の予定で、沖縄を訪ねて来た。「アトミックサンシャインの中へ in 沖縄」展の反省会や総括、という意味も含めて、作家とキュレーターとの間でお話をする場を持つことができないか、というリクエストがあり、私もぜひ行いたい、との思いから、日程を調整して、沖縄入りした。
美術館にて開催された作家とのお話し会いの会は、直接顔を合わせて話し合いを進める上で、クリアになって行った部分もいくつかあった。しかし、それと同時に、いくつかのテーマに関しては、話し合いを進める上で、意見の相違がクリアになるのみで、あまり前進できなかった部分もあった。展示そのもののテーマへの理解や、アートそのものの前提や捉え方が異なっている、という根本的な問題が、展示終了後も大きな問題として横たわっている、ということを再確認できたことが、収穫といえば収穫であった。
この問題は引き続き話し合って行こう、ということで、その場は解散となった。私もクリアにする部分はクリアにして、次につなげて行きたい、と思っているのだが、そのやり方については、複雑な問題が多く、まだ悩んでいるというのが正直な所だ。考え抜いて、自分なりの答えを出したいと、ずっと思い続けている。
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その後、那覇からフェリーにて1時間程度で行ける、慶良間諸島最大の島、渡嘉敷島へと行って来た。せっかくの夏だし、綺麗な海が見たいな、と思ってやって来たのだが、どうしても気になってしまい、島に着くやいなや、海を見る前に戦跡巡りをしてしまった。どうしても、集団自決があった現場に先に行って、戦没者のご冥福をお祈りしなくてはという気持ちが、渡嘉敷に降り立った瞬間に湧きあがってきたのだ。
宿のオーナーに戦跡について尋ねると、とても丁寧にご紹介して頂けた。それと同時に、とても重く、そして政治的な傾向を持つものなので、それに関してあまり皆の意見を真面目に聞きすぎないでね、と注意して頂いた。
渡嘉敷で、戦跡巡りのガイドをやっているドライバーの方と一緒に、一緒に戦跡を巡った。強い日差しの中、山道をあるいて行くと、普段とは全く異なる感受性を刺激されて、私の中の自然が覚醒して行く。
小高い丘から行くことのできる、集団自決の現場に行き、手を合わせて冥福を祈ると、ガイドの方が、集団自決の様子を、具体的に話してくれた。話を聞くだけでも、想像を絶する様な光景が繰り広げられていたことが分かる。これだけの重い歴史を背負って、果たして人間は通常の生活ができるのだろうか?と私が考えていると、ガイドさんが曽野綾子と大江健三郎による渡嘉敷島の集団自決の検証問題について話してくれた。裁判などの複雑なやりとりを聞いていると、何故宿のオーナーが私に「あまり真面目に聞きすぎないでね」と忠告してくれたのか、少しだけ理解できた。
慰霊碑である「白玉の塔」にも足を運び、参拝してきた。ガイドさんに、白玉とは何ですか、と聞くと、琉球にて命を象徴するものだ、という説明をして、そのまま琉歌を吟じてくれた。
「しら~た~ま~の~~」
ああ、この歌は、那覇のユタが歌ってくれた歌と同じだ、きっとこの歌を歌って、私の祖父の命を降ろしてくれたのだろう。(しかしこのガイドさん、肝心のこの歌のタイトルを知らなかった。知っている人がいたら、ぜひ教えて下さい)
宿にて、渡嘉敷島に関する本があったら、読ませて頂けませんか?と尋ねると、何冊かの本をもって来て下さったのだが、その中に金城重明牧師による本『「集団自決」を心に刻んで 沖縄キリスト者の絶望からの精神史』が含まれていた。ああ、これはクリス・マルケルのLEVEL FIVEにて渡嘉敷島での集団自決の記憶を話していた金城氏の本だ、と思い、戦跡巡りをした後、ビーチにて読んでみた。(フランス人映画監督のカメラの前にてインタビューに答えた、という下りも見つけることができた)
驚いたのだが、彼が留学したニューヨークにあるユニオン神学校にて、彼に神学を教えてくれたパウル・ティリッヒをナチス・ドイツから匿ったのが、ラインホルド・ニーバーだったそうである。私は、大学1年生の時、マルクス経済学を教えてくれた教授が、ニーバーのこの叡智溢れる言葉を教えてくれたのを、鮮明に覚えている。
The Serenity Prayer
God, grant me the serenity to accept the things I cannot change;
the courage to change the things I can;
and the wisdom to know the difference.
非戦の近いをした、集団自決を目の当たりにした沖縄の金城牧師が、ニーバーの影響をニューヨークにて受けていることに、大変な興味を惹かれた。
その日の夜、私は大変うなされた。熱帯夜であったことも関係したと思うのだが、左足を切断される様な痛みを伴う、悪夢だった。どうやら、昼間に聞いた集団自決の話を、私の体が処理しきれなかった様だ。
私は、沖縄から多くの宿題をもらい続けている気がする。少しずつで良いから、自分なりに考えて、解決して行きたいと思う。
美術館にて開催された作家とのお話し会いの会は、直接顔を合わせて話し合いを進める上で、クリアになって行った部分もいくつかあった。しかし、それと同時に、いくつかのテーマに関しては、話し合いを進める上で、意見の相違がクリアになるのみで、あまり前進できなかった部分もあった。展示そのもののテーマへの理解や、アートそのものの前提や捉え方が異なっている、という根本的な問題が、展示終了後も大きな問題として横たわっている、ということを再確認できたことが、収穫といえば収穫であった。
この問題は引き続き話し合って行こう、ということで、その場は解散となった。私もクリアにする部分はクリアにして、次につなげて行きたい、と思っているのだが、そのやり方については、複雑な問題が多く、まだ悩んでいるというのが正直な所だ。考え抜いて、自分なりの答えを出したいと、ずっと思い続けている。
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その後、那覇からフェリーにて1時間程度で行ける、慶良間諸島最大の島、渡嘉敷島へと行って来た。せっかくの夏だし、綺麗な海が見たいな、と思ってやって来たのだが、どうしても気になってしまい、島に着くやいなや、海を見る前に戦跡巡りをしてしまった。どうしても、集団自決があった現場に先に行って、戦没者のご冥福をお祈りしなくてはという気持ちが、渡嘉敷に降り立った瞬間に湧きあがってきたのだ。
宿のオーナーに戦跡について尋ねると、とても丁寧にご紹介して頂けた。それと同時に、とても重く、そして政治的な傾向を持つものなので、それに関してあまり皆の意見を真面目に聞きすぎないでね、と注意して頂いた。
渡嘉敷で、戦跡巡りのガイドをやっているドライバーの方と一緒に、一緒に戦跡を巡った。強い日差しの中、山道をあるいて行くと、普段とは全く異なる感受性を刺激されて、私の中の自然が覚醒して行く。
小高い丘から行くことのできる、集団自決の現場に行き、手を合わせて冥福を祈ると、ガイドの方が、集団自決の様子を、具体的に話してくれた。話を聞くだけでも、想像を絶する様な光景が繰り広げられていたことが分かる。これだけの重い歴史を背負って、果たして人間は通常の生活ができるのだろうか?と私が考えていると、ガイドさんが曽野綾子と大江健三郎による渡嘉敷島の集団自決の検証問題について話してくれた。裁判などの複雑なやりとりを聞いていると、何故宿のオーナーが私に「あまり真面目に聞きすぎないでね」と忠告してくれたのか、少しだけ理解できた。
慰霊碑である「白玉の塔」にも足を運び、参拝してきた。ガイドさんに、白玉とは何ですか、と聞くと、琉球にて命を象徴するものだ、という説明をして、そのまま琉歌を吟じてくれた。
「しら~た~ま~の~~」
ああ、この歌は、那覇のユタが歌ってくれた歌と同じだ、きっとこの歌を歌って、私の祖父の命を降ろしてくれたのだろう。(しかしこのガイドさん、肝心のこの歌のタイトルを知らなかった。知っている人がいたら、ぜひ教えて下さい)
宿にて、渡嘉敷島に関する本があったら、読ませて頂けませんか?と尋ねると、何冊かの本をもって来て下さったのだが、その中に金城重明牧師による本『「集団自決」を心に刻んで 沖縄キリスト者の絶望からの精神史』が含まれていた。ああ、これはクリス・マルケルのLEVEL FIVEにて渡嘉敷島での集団自決の記憶を話していた金城氏の本だ、と思い、戦跡巡りをした後、ビーチにて読んでみた。(フランス人映画監督のカメラの前にてインタビューに答えた、という下りも見つけることができた)
驚いたのだが、彼が留学したニューヨークにあるユニオン神学校にて、彼に神学を教えてくれたパウル・ティリッヒをナチス・ドイツから匿ったのが、ラインホルド・ニーバーだったそうである。私は、大学1年生の時、マルクス経済学を教えてくれた教授が、ニーバーのこの叡智溢れる言葉を教えてくれたのを、鮮明に覚えている。
The Serenity Prayer
God, grant me the serenity to accept the things I cannot change;
the courage to change the things I can;
and the wisdom to know the difference.
非戦の近いをした、集団自決を目の当たりにした沖縄の金城牧師が、ニーバーの影響をニューヨークにて受けていることに、大変な興味を惹かれた。
その日の夜、私は大変うなされた。熱帯夜であったことも関係したと思うのだが、左足を切断される様な痛みを伴う、悪夢だった。どうやら、昼間に聞いた集団自決の話を、私の体が処理しきれなかった様だ。
私は、沖縄から多くの宿題をもらい続けている気がする。少しずつで良いから、自分なりに考えて、解決して行きたいと思う。