社民族文化映像研究所のホームページで見れるダイジェスト映像が皆素晴らしいものばかりで、全部見たくなってくる。姫田忠義さんは本当に素晴らしい仕事を残してくれた。奄美に関するものは、全て見てみたい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 05:10
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民族文化映像研究所を作った姫田忠義さんに、これからモノを集めても大英博物館には叶わないから、映像を作ろう、と提案したのは梅棹忠夫さんだったそうだ。この時代には、巨人と呼べる人が沢山いたのだなぁ、と関心しきり。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 05:12
アイヌのウポポによるミニマル・ミュージックが美しい。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 05:47
rera suy ⁂ マレウレウ
youtube.com/watch?v=Vc_TgN…
昨日スーパーでレジ待ちしていたら、ドイツ人のおばさんが「私は二つしか買うものが無いから、あなたの前に行かせてくれ」と言う。いいよと答えると、今度はトルコ人のおばさんが「私は一つしか買うものが無いから」と言って、私の買うものの中に勝手にものを入れて、後で50セント渡された。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 14:32
こういうことって、相手から申し出があった場合においてやっても良いことであって、自分からしゃしゃり出たり、勝手にやっちゃあいけないことだと思うんだよね。なんだか1日経っても釈然としないので、備忘録として書き留めておきます。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 14:33
備忘録をもう一つ。昨日、学生が教室の中にボストンテリアを連れて来た。学生は教室に犬を連れて来るのは禁止だと知っておきながら、家においていても可哀想だから、と教室に連れて来たのだった。私も学校に犬を連れて来るのは禁止だと知っておきながら、了解した。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 14:35
そうしたら案の定、授業中にその犬を撫でて遊んでしまう学生が出てきて、叱ろうかどうか悩んだ。でもなんだか、そのエネルギーを使うのが惜しい気がして、何も言わなかった。私は正しいことをしたのだろうか?
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 14:36
ルールと情状酌量の余地って、本当に難しい。そしてできることなら、私はそれを判断する側の人間になりたくない。それは責任逃れというよりも、何かに与して誰かを傷つけたり、またその逆であって欲しくないからだろう。ルールと情状酌量は、知と情の領域とも言い換えられるかもしれない。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 14:39
昨日教室に来たボストンテリアを見た時、不思議な気分になった。私はニューヨーク時代に6年間一緒に住んでいたルームメートがボストンテリアを飼っていたのだけれど、その学生が連れて来た犬が、同じ犬に見えたのだった。勿論この犬はあの犬とは違うのだけれど、たまらなく懐かしい気分になった。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 14:46
私がニューヨーク時代に遊んでいたルームメートの飼い犬のボストンテリアに3年振りに会った時のこと。その犬は私のことを覚えていてくれて、短い尻尾を懸命に振って喜んでくれた。その犬と、昨日会った犬が、同じ犬種というゲシュタルトだけで、同じ意味を持っている様に、私には感じられたのだった。
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 14:48
デュシャンや赤瀬川原平など、身体をカメラ・オブスキューラに例えて芸術作品として表現した人は多いけれど、ボームのホログラフィック・パラダイムの様な考え方を芸術表現へと昇華できた人はいるのだろうか? pic.twitter.com/oTRedCNPfB
— Shinya Watanabe 渡辺真也 (@curatorshinya) 2017年4月25日 - 23:40