Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

12月11日(日)のつぶやき

2011-12-12 01:26:58 | Weblog
00:03 from web (Re: @culturepot
@culturepot 昨日お会いした方は、大阪市と尼崎市の出身でした。おとなしい感じの印象を受けました。確かにドイツ語とヒップホップは、音やリズムが全然合いませんね。ドイツ語はメタルが一番合う、とミュージシャンの方が言っていました(笑)
00:10 from web
宇宙物理学者のイブン・アル=ハイサムは、月を研究する過程で「ルーメン」の概念を導き出し、そこから「イルミネーション」という言葉が生まれたと言う。またその過剰は、光の運搬人である堕天使「ルシファー(lucifer)」になぞらえてルクス(lux)と呼ばれる様になったと言う。
00:11 from web
RT @k10rof: 日蝕と月蝕があるように、日経と月経があるわけです。
00:20 from web (Re: @culturepot
@culturepot 確かにテクノですね(笑)サウンドアートは流行している、という訳ではないと思いますが、音楽シーンは元気みたいです。これからは週末、もっと遊びに行って詳しくなって来ようと思います!
00:22 from web
昨日、Siegfried Zielinski教授にお会いしてきた。まさに知の巨人で、圧倒された。ジエリンスキー教授がおっしゃった「南方の、それぞれのモダニティ」という言葉が、印象的だった。
00:24 from web
交通事故でお亡くなりになった哲学者ヴィレム・フルッサー教授の追悼イベントが、UdK学内にあるフルッサー・アーカイブにて開かれた。死後しばらく経った今でも、先生や学生たちが自主的に追悼イベントを開いているとは、フルッサー教授もきっと天国で喜んでくれているに違いない。
08:07 from web
RT @Novalis_bot: 未来の世界においては、いっさいがかつての世界のごとくである―それでいて、すべてはまったくちがっている。未来の世界は理性的なカオスである。自己自身を貫き―自己の内と自己の外にあるカオス。カオスの二乗、あるいは無限乗。 『一般草稿』
10:15 from web
今日はドイッチュ・オーパーでモーツァルトのオペラ「魔笛」を見て来た。まさか自分でも、ここまで感動するとは思わなかった。音楽が到達可能な究極のポップ性と、近代ヨーロッパに至る重層化した歴史にアーティストとしてどう対峙するのか、という凄まじいせめぎ合いを、時空を超えて強烈に感じた。
10:16 from web
モーツァルトが7歳の時、たまたまその演奏を聞いたゲーテが、そのレベルは絵画でのラファエロ、文学のシェイクスピアに並ぶと思ったと後に回想しているそうだが、一体どれほどの衝撃だったのだろう?
19:25 from web
RT @levinassien: トッドに続いて、ミルトン・フリードマンの『資本主義と自由』を読んでます。この人、贈与とか反対給付義務とか交換とか貨幣ということの「意味」についての原理的考察って、全然しないんですね。
19:38 from web (Re: @hamazakikaku
@hamazakikaku @culturepot HP拝見させて頂きました。実際にドイツのトルコ人街周辺や、ドイツの抱えたトルコ人問題を分析的に考えていると、とても複雑な気分になります。ドイツで第二のラップ戦争みたいなことは、絶対に起こってほしくないなぁ。
22:50 from web
ドイツにおいて冬の音楽とされるモーツァルトの「魔笛」について、クリスマスの歴史とゾロアスター教を枕とした文章を書こうと思ったのだが、思った以上に手強いテーマだと痛感。エジプト史とヨーロッパ史を丁寧におさえないと、とっても書けないことに気がついた。
22:51 from web
モーツァルト「魔笛」は1791年に作られたというのが重要。1798年から翌年にかけてのナポレオンによるエジプト遠征、そしてその調査結果をまとめた「エジプト誌」に先駆けて、ラムゼスの時代のエジプトをテーマとした「魔笛」が作られていることは大変興味深い。
22:51 from web
カール・フリードリッヒ・シンケルは、有名な「魔笛」における夜の女王の登場場面の舞台装置を、ナポレオンの「エジプト誌」に影響を受けて作ったのだと言う。
http://t.co/FSaId4Hy
22:52 from web
オペラ「魔笛」の「夜の女王のアリア」No.14(夜の女王が、自分の娘に剣を渡し、ザラストロ(ゾロアスター)を刺し殺せ、と命じる際のアリア)をオペラハウスで実際に見てみたら、本当に素晴らしかった。
http://t.co/LKJqTZT9
22:53 from web
ユネスコによるナポレオン「エジプト誌」のデジタルアーカイブ。これは本来は人間が作ってはいけない、神の領域に踏み込んだ類い希な書物だ!
http://t.co/QGqTsa0L
22:54 from web
ワーグナー論を書いたニーチェが、「ツァラトゥストゥラはかく語りき」を書くモチベーションを持ったのは、モーツァルトが「魔笛」でザラストロ(ゾロアスター)を扱った文脈が少なからず働いているのではないか?
23:47 from web
エジプトに興味を持っていたニュートンは、万有引力の法則と同様の手法を使い、西暦をベースとした全ての国々の歴史を比較検討する万有歴史の法則を見つけようと考えたと言う。ネーションに支配された国史は全て矛盾し、世界史のみが存在することを、ニュートンは数学的に気付いていたのだろう。
23:47 from web
ニュートンは度量衡の統一の為にピラミッドの研究をする中で、ピラミッドが天文学的なものと繋がっていることを発見し、それがフランスのナポレオンの関心を惹くに至った。アレキサンダー大王にあこがれたナポレオンは、東西文化の融合と、ユニバーサルな度量衡の統一を夢見ていた。
23:49 from web
ナポレオンは王制によって規定されたヤード・ポンド法からの解放を目指し、ユニバーサルな単位として、北極点からパリを遠って赤道までの子午線弧長を1万キロとし、その千万分の1をメートルとするメートル法を採用したが、この年は、モーツァルトの「魔笛」が発表されたのと同じ1791年だった。
23:50 from web
メートル法施行後、地球が真円でないと判明したことから、地球と月、地球と太陽との距離の公倍数からメートルを逆規定することで問題を解決した、と読んだことがある。これは大ピラミッドの高さの10億倍が、地球と太陽の最短距離である1億4670万キロになることから着想されたのだろうか?
23:50 from web
ケプラーの惑星の楕円軌道を数学的に証明してくれ、とニュートンに依頼したのはハレーであり、結果1687年にプリンキピアが誕生した。ハレーは1716年に、地球と太陽の間の距離を計れると提案していたから、地球が真円でないことからメートル法を修正する際、比較的容易だったのだろう。
23:51 from web
エジプト人はエジプトのことを「ミスル」とセム語で呼ぶ。ギリシャ語で太陽の街を意味するヘリオポリスはカイロ近郊にあった古代都市だが、アラビア語エジプト方言では「新しいマスル」( マスル=エル=ゲディーダ)と呼ばれており、ミスル、つまりイスラム布教の基地として建てられたことが分かる。
23:54 from web
ちょっと分からないけれど、おそらく元々、セム語で太陽を意味していたミスルという言葉を、ユダヤ教と比較して後発だったイスラム教が、宗教上の布教活動における布教基地という意味として、アラビア語に採用したのではないか?
23:55 from web
コーラン以降整備されたアラビア語は、セム語より新しい。イスラム教布教基地を意味し、現在エジプトを意味するミスルという言葉の意味がギリシャ語のヘリオポリス(太陽の街)に残っていると考えると、古代エジプトでアセトと呼ばれた女神のギリシア音イシスの名残とは考えられないだろうか?
by curatorshinya on Twitter

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