今朝、病院に行った。病院に行ったのなんて、いつ以来だろう。背中に原因不明の小さなこぶが出来たのだ。背骨の上だったので神経系をやられたのかと、一瞬不安になった為だ。診察の結果は、「問題なし」であった。こういったデキモノは、体質によって出きるというのだと言う。ふーん。
夕方は、デザイナーのMに会う。Mはぜひセイラの作品をTシャツ作品として販売したい、と言うのだ。私としてはコマーシャル活動をあまりしていないファインアーティストの作品をTシャツにするのには慎重になっているのだが、Tシャツを作る側のコマーシャルサイドにしてみると、その辺には結構疎いというのが現状だ。私が作品「ボスニアン・ガール」であればTシャツを作る事におそらくセイラも同意してくれると思うという話をしたのだが、会社側としてはもう具体的にどの作品を商品化したいとまで決まっているというのだ。そこまで向こうが言うのであれば、後は本人と会社側の人間が直接会って話すしかない。しかし、アート作品を一方的にコマーシャル・プロダクトにされても困ってしまうなぁ。まあ、あとはセイラと話してもらおう。
ちなみにMはドイツ出身なのだが、すっかり日本語が上達しており、今日は全ての会話を日本語にて行なった。彼女の日本での生活やビザを取るまでの苦労話やら、いろいろと聞かせてくれた。やはり、海外の方が日本に住むのは、大変な事だ。
その後、MはベルリンのDの話をしてくれた。ああ、懐かしい、Dだ。Dは私が始めてベルリンに行った時に私を泊めさせてくれた、ファッションモデルを夢見る青年だった。DはMの友人で、Mと一緒に始めてクロイツベルグにあるDの部屋に行った時の事を思い出す。テクノが流れるピンク色に塗られた壁の部屋から、身長190センチもある、ど派手なイヤリングをしたピンクのモヒカン刈りの男がニュっと出てきたのだ。私は一瞬驚いたが、その後すぐ仲良しになって、Dとは5日間毎日の様につるんだ。
彼はとても繊細な男で、とても複雑な家庭出身の男だった。アーティストを夢見ていた時代もあったとかで、私と一緒にアートの作品集を見ながらあれやこれやと批評したりした。しかし、彼には大きな問題があった。薬物に身体を蝕まれていたのだ。自称、全てのドラッグをやった事がある、と豪語していたりした。とても心配だったのだが、やはり、というか彼は現在は薬に身体を蝕まれて、一度は廃人寸前にまで追い込まれたと言う。私はなんでこんなに優しくて繊細な男が薬に手を出してしまうのか、大いに悩んだ。本当に優しすぎる男だった。
私が滞在中、毎朝目がさめると、Dは私にカプチーノを作ってくれた。コーヒーの上に、シャコシャコと10分くらいはスプーンで丁寧にかき混ぜたフワフワのミルクをかけてくれるのだ。ヨーロッパ人は家庭でカプチーノを振舞ってくれる人が多くて、ロンドンの友人Lの父親も、私の滞在中は毎朝カプチーノを振舞ってくれたものだ。あの、大の大人がキッチンでミルクをかき混ぜている姿が、私にはなんとも滑稽で、好きなのだ。その後、私はNYに引っ越した際、思い切ってカプチーノの作れるコーヒーメーカーを購入した。私は文化を買ったのだ!
今日、カフェでMが飲むカプチーノを見ていたら、そんな事を思い出した。D、負けずに頑張れよ。
夕方は、デザイナーのMに会う。Mはぜひセイラの作品をTシャツ作品として販売したい、と言うのだ。私としてはコマーシャル活動をあまりしていないファインアーティストの作品をTシャツにするのには慎重になっているのだが、Tシャツを作る側のコマーシャルサイドにしてみると、その辺には結構疎いというのが現状だ。私が作品「ボスニアン・ガール」であればTシャツを作る事におそらくセイラも同意してくれると思うという話をしたのだが、会社側としてはもう具体的にどの作品を商品化したいとまで決まっているというのだ。そこまで向こうが言うのであれば、後は本人と会社側の人間が直接会って話すしかない。しかし、アート作品を一方的にコマーシャル・プロダクトにされても困ってしまうなぁ。まあ、あとはセイラと話してもらおう。
ちなみにMはドイツ出身なのだが、すっかり日本語が上達しており、今日は全ての会話を日本語にて行なった。彼女の日本での生活やビザを取るまでの苦労話やら、いろいろと聞かせてくれた。やはり、海外の方が日本に住むのは、大変な事だ。
その後、MはベルリンのDの話をしてくれた。ああ、懐かしい、Dだ。Dは私が始めてベルリンに行った時に私を泊めさせてくれた、ファッションモデルを夢見る青年だった。DはMの友人で、Mと一緒に始めてクロイツベルグにあるDの部屋に行った時の事を思い出す。テクノが流れるピンク色に塗られた壁の部屋から、身長190センチもある、ど派手なイヤリングをしたピンクのモヒカン刈りの男がニュっと出てきたのだ。私は一瞬驚いたが、その後すぐ仲良しになって、Dとは5日間毎日の様につるんだ。
彼はとても繊細な男で、とても複雑な家庭出身の男だった。アーティストを夢見ていた時代もあったとかで、私と一緒にアートの作品集を見ながらあれやこれやと批評したりした。しかし、彼には大きな問題があった。薬物に身体を蝕まれていたのだ。自称、全てのドラッグをやった事がある、と豪語していたりした。とても心配だったのだが、やはり、というか彼は現在は薬に身体を蝕まれて、一度は廃人寸前にまで追い込まれたと言う。私はなんでこんなに優しくて繊細な男が薬に手を出してしまうのか、大いに悩んだ。本当に優しすぎる男だった。
私が滞在中、毎朝目がさめると、Dは私にカプチーノを作ってくれた。コーヒーの上に、シャコシャコと10分くらいはスプーンで丁寧にかき混ぜたフワフワのミルクをかけてくれるのだ。ヨーロッパ人は家庭でカプチーノを振舞ってくれる人が多くて、ロンドンの友人Lの父親も、私の滞在中は毎朝カプチーノを振舞ってくれたものだ。あの、大の大人がキッチンでミルクをかき混ぜている姿が、私にはなんとも滑稽で、好きなのだ。その後、私はNYに引っ越した際、思い切ってカプチーノの作れるコーヒーメーカーを購入した。私は文化を買ったのだ!
今日、カフェでMが飲むカプチーノを見ていたら、そんな事を思い出した。D、負けずに頑張れよ。