Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

日本語を話す、韓国人の父親の記憶

2009-01-06 14:07:46 | Weblog
急ぎの仕事の依頼だった白髪一雄インタビューの英語翻訳をようやく終えて、今日はノースキャロライナにあるデューク大学へと伺ってきた。ニューヨークからフライトで2時間、ちょっと南部に位置するノースキャロライナは比較的暖かく、コートを着ていたら、少し汗ばむくらいの陽気だった。

本当に美しい、映画に出てくる様な風格のあるキャンパスを抜け、図書館の奥にある会議室へと向かい、アジアをテーマとした歴史家や経済学者などの研究発表を拝見してきた。久しぶりの学会への参加(?)だったので、ちゃんと話について行けるかどうか不安だったが、大丈夫、ちゃんと話を共有することができた。逆を言うと、アジアをテーマとした研究者が中国、台湾、韓国、日本などから集まると、かなり概論的なものしかできず、まだまだ交流や前提となった箇所の探りあいをしている段階、それをアメリカが遠くから見ている、そんな印象を受けた。

それにしてもアジアの歴史認識問題の断絶は根深く、日本の植民地支配の問題もさることながら、台湾と中国の歴史認識も大変な困難に面している様だった。学会という場での交流に比べると、私が日ごろ目にしているアーティスト間の交流というのはがいかに自由かつ可能性に溢れているのか、再認識する機会となった。

その後、イタリアンレストランでの晩御飯に招いて頂き、ブラジル研究の学者さんと、釜山出身の韓国人の文学研究者の方といろいろと議論した。

このブラジル研究の学者さんが、韓国人の学者にとても面白い質問をした。韓国人がキリスト教化したのは、日本軍や日本文化に対する抵抗だった、というのは本当か、というものだ。

韓国人の学者さんは、そうだ、と答え、ウィルソン主義の延長線上に怒った1919年の三・一独立運動という抗日蜂起では、運動のリーダー格がキリスト教徒であった為、キリスト教そのものが抗日のシンボルとして機能している箇所も少なからずあった、そう言っていたのが印象的だった。何故キリスト教は日本に根付かなかったにもかかわらず、韓国には根付いたのか、その理由を探る上でもヒントになる史実かもしれない。

ちなみに彼の父は1919年に生まれたそうなのだが、日本語統治の中で生まれて為、大人になってもハングルは上手くかけず、まだ子供だったこの学者さんに、いつも確認していたそうだ。そして、その父が仲間たちと深酒をすると、仲間たちと言葉を日本語に切り替えて議論をし始めて、子供心に驚いた、そして母国語が日本語となってしまった父が、裏切りものと思われない様に、気心の知れた仲間たちだけと、お酒の席で日本語を話していた、という事実がとても印象的だった、と話してくれた。

いろんな形の近代の経験ってのがあるんだな、そう思うとどこか関心してしまう。私のテーマとしているエリアとも重複する箇所なので、いろんな方の個々の経験における近代の中の普遍性みたいなものを探って行けたら、そう思う。

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