Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

3月14日(金)のつぶやき その2

2014-03-15 01:11:20 | Weblog

カントのVorstellung(表象)におけるコペルニクス的転回は、仏教における五蘊の想の発見とほぼ同じことを意味しているのではないか。
「カントのコペルニクス的転回について質問です」Yahoo!知恵袋 detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de…


すると、サブジェクトが主体を意味する様になるカント以前において、オブジェクトに相当する言葉はあったのか、そしてあったのであれば、それはどう使われて、何を意味していたのだろう?ご存知の方がおりましたら、ぜひご教授下さい。


オブジェクトもサブジェクトも言語的なものに過ぎないから、言語を可能なものとして駆動させる縁起の思想を持って来ないと、究極的には説明できない様に思う。


儒教の喪では、死の当日、遺体のある建物の屋根の上に登り、故人の来ていた服を三回回して、霊魂が帰って来る様に祈祷すると言う。これは殷王朝の風習だそうだが、『トム・ソーヤの冒険』に登場する、死んだ猫を持って墓場に行き、悪魔にその死体を投げつける、というイボ取りのまじないを思い出した。


“Sound Becomes Light - New research confirms a theory: high-frequency acoustic waves can be converted to light” popsci.com/scitech/articl…

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視覚とは可視光線の波動を、聴覚とは可聴領域の波動を、触覚とは非可視光線の波動を受けるものだと考え、人間を主体としてではなく、捉えられる波動から考えた場合、視覚・聴覚・触覚を統一できるのではないか?

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こちらこそ、ご質問ありがとうございました。 @orashitoriegumo ご丁寧なお返事有難う御座います!教えて頂いたリンクをきちんと読ませて頂きます。自由意志ということに関してはなお不勉強でありました。ご厚意に感謝します。


ワーグナーとルードヴィヒ2世で有名なノイシュヴァンシュタイン城の名は「新しい白鳥石の城」という意味だが、バイエルンがタタール語でRich Landと読めることを鑑みると、ドイツ南部の白鳥伝説は、ブリヤート経由で日本各地に残った白鳥伝説と同根ではないだろうか?



3月14日(金)のつぶやき その1

2014-03-15 01:11:19 | Weblog

@curatorshinya 無知ながら質問させて頂きたいのですが、「自由意志」は釈迦のいう縁起と矛盾するものでしょうか?あるいは縁起の論理で自由意志の選択基準をも包括出来るものでしょうか?未だ自分自身葛藤している部分の、シンヤさんのお考えを参考にしたいです。お時間あれば是非…

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | RT

とても重要な質問です。それを理解するには、まずは自由意志とは何かを理解する必要があります。参考までに。 連続ツイート「自由意志論を巡って - オリゲネス、アウグスティヌスとエラスムスから考える」 togetter.com/li/472156 @orashitoriegumo

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エラスムスの言う自由意志を"I will"と、ルターの奴隷意思を"Let it be”と捉えた場合、エラスムスの『自由意志論』は日蓮の世直し系の『立正安国論』に、ルターの言う「奴隷意思」は、親鸞の説く癒し系の「他力」に 似ているかと。 @orashitoriegumo

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それと以前、ArtAsiaPacific誌に"Art after Free Will(自由意志以降の芸術)"を寄稿しました。英文記事ですが、ぜひご覧になって頂けましたら幸いです。 artasiapacific.com/Magazine/82/Ar… @orashitoriegumo

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自由意志とは、私の意思でありながら、その意思が神と完全に一体になることで自由になる、という発想かと。これがいわゆるボランティア精神のルーツであり、それが十字軍などのFreiwilig(Free Will=義勇軍)を生んだのでしょう。 @orashitoriegumo

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参考までに。 連続ツイート「自由意志から考える義勇兵と靖国神社について」 blog.goo.ne.jp/spikyartshinya… @orashitoriegumo


墨子は、自分を愛するように他人を愛しなさい、そして君子は、自国を愛する様に他国を愛しなさい、と説いた。 紀元前の中国に、これだけの思想があったとは、驚きだ。

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人間も含めた動物は他の動物を食べることで延命するけれど、物理学的にはエントロピー最大化を加速し、地球の熱死を早める役割を果たしている。この宇宙が均衡に近づく為の一つ一つの現象を、人間は言語という理性で切り取り、それを自由意志と呼んでいるのかもしれない。

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海外でトマトジュースを頼むと、必ずと言って良い程、塩とペッパーが出されるけれど、あれは何故なのだろう?トマトジュースはステーキと同じ扱いなのだろうか?


浦和レッズの例の横断幕よりひどい雑誌見出しの載った電車中吊り広告なんて、腐る程あると思うのよ。

出稿禁止措置にしてくれんかな。WILLとか。

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | RT

『神々の怒り」って、おそらく複数形だから一神教ではなく八百万の神を想定したものだと思うけれど、伊勢神宮の天照のお札は神宮大麻なんだよね。 @hamusoku 大阪薬剤師会のキャンペーンポスターが斜め上すぎて神々の怒りを買うレベル hamusoku.com/archives/82886…

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アメリカ留学から帰って来てテレビを見たら、「ガチンコ!」という番組をやっていた。私は最初ドキュメンタリーだと思って見ていたら、友人に「最近はああいうフィクションをTVでやっても良くなったんだよ」と言われて唖然として、日本のモラルが修正不可能な所まで劣化してしまったのだと感じた。

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@therasamaria @orashitoriegumo お返事ありがとうございます。勉強になったとのこと、大変嬉しく思います。


@sakamotoplus こういうのは、チームとリーグがちゃんと罰するべきだと思います。Jリーグ側の無観客試合の措置は、素晴らしいものだと思いました。


@curatorshinya 神の全知全能をドグマとするキリスト教神学において、自由意思は神学的な大問題であって、それを主張したピコ・デラ・ミランドラは異端扱いされた。同じく、決定論をドグマとする物理学においても自由意思は厄介な問題。スピノザは、人間の無知によって自由意思を救った

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | RT

岡潔は、自分のような学問のやり方では十中八九、花は咲かぬだろうと自覚していました。しかし、自分のような人が十人いれば、そのうち一人は生き残る。その一人は大きな花を咲かすだろう、と信じたのでした。

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数年に一度「成果報告」ができるようなタイプの学問もあれば、一人が一生涯を懸けてはじめて咲くか咲かないかの学問もあります。後者の方が遥かに望みは薄いですが、これがなくなったら学問は寂しいと思います。

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なぜ浦和レッズは李忠成選手を獲得したか  -差別横断幕の本当の原因とサッカーのチカラ | FOOTBALL IS THE WEAPON OF THE FUTURE by 清義明 masterlow.net/?p=1107

Shinya Watanabe 渡辺真也さんがリツイート | RT

卵の黄身は太陽に似ている。鳥の卵の形は、山鳥など高度が高いものになればなるほど鋭角になり、鶏など高度が低いものは円に近づき、両生類の卵になるとほぼ真円になる。ドゴンの卵のメタファーは、卵の形というミクロコスモスの中に、宇宙のマクロコスモスが潜んでいる、ということなのかもしれない。


動物は、他の動物を補食する食物連鎖をすることで、宇宙の熱死を早めている訳だけれど、卵を太陽に見立てると、ミクロな太陽である卵子から生まれた動物に、他の卵子から生まれた動物を補食させることで、神はミクロな太陽系の発生と消滅を繰り返すことで、宇宙の熱死を早めているのかもしれない。


私はベルリンの自宅で100%再生可能エネルギーの電力会社EWSと契約しているのだけれど、この電力会社から、脱原発を目指すドイツの再生可能エネルギー法が危機に瀕している、ぜひデモへの参加を!との呼びかけがあった。
energiewende-demo.de

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ヨーゼフ・ボイスの社会彫刻の根源には、世界を流動として捉えるフルクサスの思想がある。つまりボイスは、社会を個体・液体・気体の様に変化可能なFulx(流動)として捉えていて、だからこそそれを直接民主主義によるSoziale Plastik(社会彫刻)として塑像しようと試みた。

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「反芸術は生であり、自然かつ現実、また全体であり一つである。雨は反芸術であり、人々の会話は反芸術であり、くしゃみは反芸術であり、蝶々の飛翔は反芸術であり、また微生物の動きは反芸術である。全ては美しく、あたかも芸術が真実をつかむかの様な価値がある。」 ー ジョージ・マチューナス

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ジョージ・マチューナスは、フルクサスとは何かについて、「浄化」や「流れによる消滅」という言葉を使ってオノ・ヨーコに説明しているけれど、それを知るとやはり、マチューナスの根底には、リトアニア語のルーツであるサンスクリット語的な思考が流れている様に感じられる。

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デカルトや、それに続くスピノザの時代、「サブジェクト」はまだ「客体」の意味で使われていた。「サブジェクト」が「考える自己」である「主体」を意味する様になったのは、カントかコペルニクス的転回を行ってからのこと。自由意志を考える上でも、この点は見落とせない。