ベルクソンの代表作の一つ、「物質と記憶」の岩波文庫版の翻訳には熊野純彦の訳がある。訳者はあとがきで夢野久作の怪書ドグラ・マグラの一節を牽いている。
#「胎児よ 胎児よ なぜ躍る 母親の心がわかって おそろしいのか」
先に述べたように初期の幼児期(ゼロ歳から5,6歳)の記憶はあると主張しても子守の寝物語が定着したものがすべて(ちょっときつい要約かな)と考えられる。
ところがそれ以前はどうか、一考の余地があるようだ。前世の記憶なんてのはあてにならない。LSDでラリッテいる連中にはそんなことをいうのがいるらしいが。
しかし胎児期の記憶と言うのはあるように思われる。聴覚は胎児のかなり早い時期に完成するらしい。妊娠五か月で完成するという報告もあるという。母親の子宮や腹の皮膚や脂肪を通して、幼児に聴覚が完成しているなら、外界の出来事は知覚できる。勿論文法などはわからないが、母親の反応で、例えばその外界の声に母親が拒否的なあるいは恐怖、嫌悪の感情を抱けば、それは胎児に伝達されるだろう。アドレナリンの放出の急増とか腹筋の収縮などを通して。
世に胎教がもてはやされるのも、この辺に根拠があるのかもしれない。