穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

胎児の記憶

2023-06-04 07:02:49 | 無題

ベルクソンの代表作の一つ、「物質と記憶」の岩波文庫版の翻訳には熊野純彦の訳がある。訳者はあとがきで夢野久作の怪書ドグラ・マグラの一節を牽いている。

#「胎児よ 胎児よ なぜ躍る 母親の心がわかって おそろしいのか」

先に述べたように初期の幼児期(ゼロ歳から5,6歳)の記憶はあると主張しても子守の寝物語が定着したものがすべて(ちょっときつい要約かな)と考えられる。

ところがそれ以前はどうか、一考の余地があるようだ。前世の記憶なんてのはあてにならない。LSDでラリッテいる連中にはそんなことをいうのがいるらしいが。

しかし胎児期の記憶と言うのはあるように思われる。聴覚は胎児のかなり早い時期に完成するらしい。妊娠五か月で完成するという報告もあるという。母親の子宮や腹の皮膚や脂肪を通して、幼児に聴覚が完成しているなら、外界の出来事は知覚できる。勿論文法などはわからないが、母親の反応で、例えばその外界の声に母親が拒否的なあるいは恐怖、嫌悪の感情を抱けば、それは胎児に伝達されるだろう。アドレナリンの放出の急増とか腹筋の収縮などを通して。

世に胎教がもてはやされるのも、この辺に根拠があるのかもしれない。

 

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東欧からのユダヤ難民の子フロイトのギリシャ悲劇の理解度

2023-06-03 07:46:39 | 無題

幼児期の母親への肉欲をエディプスコンプレックスとフロイトがなずけたことに先に触れたが、このとんでもない無知な命名について一言述べておこう。

ソフォクレスの悲劇「おいでぷす」は父親と知らず殺し、母親と知らずに母親と婚姻したという悲劇であり、母親に愛欲を感じたということではない。父と知らずに殺し、母と知らずに婚姻したのであり(スフィンクスの謎を解いたことによりテーベの市民の推戴により)、母親と知ってかつ性欲を抱いたということではない。第一、そのころ「おいでぷす」は実年に達していた。幼児性愛が悲劇になるなら、それは笑劇であり、下劣な幼児ポルノである。いかにもユダヤ難民が考えそうなことである。

こんなことは笑殺してもいいことだが、現代フランスの著名な複数の(日本の哲学界の提灯により)、代表的なフランス哲学者の理解?として翻訳も出ているから一言述べて誤解を解いたほうがいいと考えた次第である。

どうして彼が実の父親と知らずに旅行の途中のトラブルで父親を殺し、母親と知らずに結婚したかの謎解きはこれから始まる。ちょっとした古代のミステリーである。いきさつを知る証人が次々と現れたのである。

実はその時、国には疫病(コロナじゃないよ)が蔓延して危機的な状況にあり、おいでぷすは古代人らしくその原因を部下に探らせたのだが、その結果、とんでもない昔の話が明らかになったのである。フロイトごときにはちょっとややこしい話だったかもしれない。しかし、その尻馬に乗るとはフランスの代表的哲学者も情けないな。

 

 

 

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詠嘆調の「プルースト学者」

2023-06-02 05:44:09 | 無題

あれから10ページも読んでいない。先日書店で表題の書を見つけた。ちくま学芸文庫である。この種の本はやはり解説書がないとだめだ、と思い出していたので早速贖った。

東大の教授でいわゆる「プルースト学者」のひとりらしい。ちょっと読んでみたが詠嘆調が強くて読みずらい。抵抗があるというのかな。身も世もなく詠嘆調になるとかえって説得力がなくなる。それにあとがきを書いているのが、これまた東大の教授でプルースト学者のひとりらしい。

お互いに褒めあっている。ちょっと仲間内で傷を舐めあったいる感じでどうも引けちゃうね。私のような天邪鬼には逆効果である。わたしはどうも入って行けない本に出合うと、途中から終いのパートを読みだす癖がある。特にミステリーなど。この本はミステリーじゃないけど適当に見当を付けて、しまいのほうを少し読んだ。

実は14巻のうち最初に第一巻と十四巻を一緒に買おいたのだ。そういうこともあるかな、と思ってね。終章は幼年時代から半世紀がたって、夜会で老いさらばえた昔の登場人物が描かれているようだ。つまり執筆当時のプルーストと同年配の人物描写である。それだからか、描写には冴えが見られる。

もっともランダムに十頁ほど読んだだけであるが。この書はお好み弁当みたいにいろいろな具が入っている。卵焼きからつまんでもいいし、野菜の煮つけから食べてもいいようだ。

 

 

 

執筆

 

 

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幼児の記憶はすっ飛ばしているね

2023-06-01 07:44:39 | 無題

「失われた時を求めて」はどう読んでも、はやくても6,7歳の時からの記憶である。生まれてから寝たすべての部屋を思い出したという大上段に降り被った割には拍子抜けだ。

6,7歳からなら私の記憶もある。プルーストほど詳細ではないが。まあそれはいい。中には産湯を使った記憶があると豪語する三島由紀夫の例がある。この点は前に書いたことがあるが、本人の記憶ではなくて、たとえば孫を溺愛する祖母とか、バアヤ(この言葉に注釈が必要か)などが寝物語に繰り返し話したことが、自分の記憶のように変形定着したと思われる。トルストイの「幼年時代」、中勘助の(銀の匙)や谷崎潤一郎の幼年時代など皆その手の由来だろう。

わたしはジフテリア罹病以前の記憶がまったくない。そして常日頃それを思い出したいと思っている。なにかとてつもなく陰惨な、PTSDになるような嫌な記憶があるような気がする。それでプルーストの豪語につられて読んだのだが、まったくあてが外れた。

ギリシャのソフォクレスの悲劇「オイデプス王」ではないが、今の災厄の原因はなんだ、と過去を探すようなものだ。オイデプス(エデイプス)はフロイトによって幼児ポルノに変えられてしまったが。

 

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