穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

幼児の記憶はすっ飛ばしているね

2023-06-01 07:44:39 | 無題

「失われた時を求めて」はどう読んでも、はやくても6,7歳の時からの記憶である。生まれてから寝たすべての部屋を思い出したという大上段に降り被った割には拍子抜けだ。

6,7歳からなら私の記憶もある。プルーストほど詳細ではないが。まあそれはいい。中には産湯を使った記憶があると豪語する三島由紀夫の例がある。この点は前に書いたことがあるが、本人の記憶ではなくて、たとえば孫を溺愛する祖母とか、バアヤ(この言葉に注釈が必要か)などが寝物語に繰り返し話したことが、自分の記憶のように変形定着したと思われる。トルストイの「幼年時代」、中勘助の(銀の匙)や谷崎潤一郎の幼年時代など皆その手の由来だろう。

わたしはジフテリア罹病以前の記憶がまったくない。そして常日頃それを思い出したいと思っている。なにかとてつもなく陰惨な、PTSDになるような嫌な記憶があるような気がする。それでプルーストの豪語につられて読んだのだが、まったくあてが外れた。

ギリシャのソフォクレスの悲劇「オイデプス王」ではないが、今の災厄の原因はなんだ、と過去を探すようなものだ。オイデプス(エデイプス)はフロイトによって幼児ポルノに変えられてしまったが。