穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

東欧からのユダヤ難民の子フロイトのギリシャ悲劇の理解度

2023-06-03 07:46:39 | 無題

幼児期の母親への肉欲をエディプスコンプレックスとフロイトがなずけたことに先に触れたが、このとんでもない無知な命名について一言述べておこう。

ソフォクレスの悲劇「おいでぷす」は父親と知らず殺し、母親と知らずに母親と婚姻したという悲劇であり、母親に愛欲を感じたということではない。父と知らずに殺し、母と知らずに婚姻したのであり(スフィンクスの謎を解いたことによりテーベの市民の推戴により)、母親と知ってかつ性欲を抱いたということではない。第一、そのころ「おいでぷす」は実年に達していた。幼児性愛が悲劇になるなら、それは笑劇であり、下劣な幼児ポルノである。いかにもユダヤ難民が考えそうなことである。

こんなことは笑殺してもいいことだが、現代フランスの著名な複数の(日本の哲学界の提灯により)、代表的なフランス哲学者の理解?として翻訳も出ているから一言述べて誤解を解いたほうがいいと考えた次第である。

どうして彼が実の父親と知らずに旅行の途中のトラブルで父親を殺し、母親と知らずに結婚したかの謎解きはこれから始まる。ちょっとした古代のミステリーである。いきさつを知る証人が次々と現れたのである。

実はその時、国には疫病(コロナじゃないよ)が蔓延して危機的な状況にあり、おいでぷすは古代人らしくその原因を部下に探らせたのだが、その結果、とんでもない昔の話が明らかになったのである。フロイトごときにはちょっとややこしい話だったかもしれない。しかし、その尻馬に乗るとはフランスの代表的哲学者も情けないな。