穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

アインシュタインの指導原理としての創世記 

2021-11-18 19:49:08 | 哲学書評

 アインシュタインはユダヤ人である。どれだけ敬虔なユダヤ教徒であったかは報告がないようだ。ユダヤの聖典(であると同時にキリスト教や回教の聖典でもある)創世記によると神はまず「光あれ」といった。そうして光があった(出来た?)。

 終生の論敵であった量子力学について「神はサイコロをふらない」と繰り返した。この神はユダヤの神なのか。単なる(単なるというのは軽んじた言い方ではなく)絶対者、超越者と言った意味なのか、あるいは宇宙の創作者という意味か。

 ところで彼の相対性理論などには多くの哲学的な前提があることが指摘されている。光速は同じ慣性系なら一定であるなど。これはいい。しごく常識的な前提であるし、彼の独創的な主張でもない。

 分からないのは宇宙には(こういう修飾句でいいと思うが)光より早いものはないという断定である。なにを根拠に言っているのか。たしかに光速より早いものは観測されていない。しかし、それは根拠にならない。仮定である。仮定でもいい。あらゆる自然法則(人間の発見した)は仮説である。あきらか反証が出て来るまでは、それは自然法則と呼ばれる。ホパーだったかが言っているとおりだ。

 もっとも、これは観測から実証されているらしい。木星と太陽の蝕の予測と観測が一致したとか。光速c(こちらはcの自乗)は物質とエネルギーの等価方程式にも表れる。これは実証されたのかね。原子爆弾は成功したがあれだけの規模では定量的な観測は不可能であろう。もっとも、放射性原子のごく少量が崩壊する過程で観測あるいは推測出来ているのかもしれない。

 そうでなければ高速cを持ってこないで「とてつもない莫大な量の」という定性的な言葉で十分である。素人なのですこしインターネットを調べてみたが、「光速が宇宙で一番早い」という根拠をしめした解説は皆無のようだ。物理学者と言うのはこれでよく落ち着いていられるものだと感心する。

 だいたい、天文学者や物理学者までもが真顔で夢中になって論じている多元宇宙論では光速などの物理定数はどの宇宙でも同じ値を示すのか。

 なお、ご愛読?をいただいたシュレディンガーの猫についてのアップは前の号で終わりました。

 


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